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人形劇  作者: あかさたな


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1. 買われた少女

 

 雪が降っていた。

 灰色の空から落ちてくる白い雪が、古びた孤児院の窓に静かに張り付いては溶けていく。

 シルビアは窓辺に立ち、小さく息を吐いた。

 白く曇ったガラスに指先で丸を描く。

 その向こうでは、枯れ木の枝が寒風に揺れていた。


「シルお姉ちゃん」


 くいっとスカートの袖を引かれる。

 振り返ると、5歳のミアが不安そうに見上げていた。


「今日、ごはんある?」


 その問いに、シルビアは一瞬だけ言葉に詰まる。

 けれど、ふわりと笑った。

 少し垂れた大きな瞳が優しく細まる。


「あるよ。あったかいスープ」


 嘘ではない。

 ただ、そのスープに具がほとんど入っていないだけだ。

 ミアは安心したように頷くと、パタパタと暖炉のほうへ戻っていった。

 その背を見送りながら、シルビアはそっと唇を噛む。

 お腹が空いているのは、みんな同じだった。

 今年の冬は特に厳しい。

 寄付は減り、薪も足りない。

 子供達に少しでも食べさせるため、シルビアは最近、自分の分をよく譲っていた。

 お腹は空く。

 でも、それで子供達が笑うのならよかった。


「シル」


 院長先生の声に視線を向ける。

 いつも穏やかな老婦人の顔が、今日はひどく強張っていた。


「お客様よ。応接室へ」


 お客様?

 こんな雪の日に?


 首を傾げながらも、シルビアは素直についていく。

 扉の前で、院長先生が小さく息を整えた。

 そして、静かに開く。

 部屋に入った瞬間、空気が違った。

 甘い花の香り。

 暖炉の熱。

 そして、そこにいた女。

 深い藍色のドレスに身を包み、長い金髪を艶やかに結い上げたその女は、この古びた孤児院にはあまりにも不釣り合いだった。

 女がゆっくりと振り返る。

 青い目がシルビアを映す。

 その瞬間だった。


「ああ……!」


 女の顔が歓喜に染まる。

 立ち上がり、躊躇いなく近づいてきた。

 シルビアが戸惑っている間に、白い指先がそっと顎を持ち上げる。


「まあ……」


 うっとりと吐息を漏らしながら、女はシルビアの顔を見つめた。

 その視線に、ぞくりと背筋が震える。


「本当に」


 女の指が、頬にかかる金髪を払う。


「顔立ちは十分ね」


「……?」


 意味がわからない。

 シルビアが目を瞬かせると、女は眉を寄せた。


「けれど」


 その青い目が細まる。


「その目は気に入らないわ」


 シルビアの肩がぴくりと揺れた。


「怯えた子犬みたい」


 くすり、と笑う。


「安心して。ちゃんと直してあげる」


 何を言われているのか、理解できない。

 ただ、本能が告げていた。

 この人は、怖い。


「こちらはアルヴェール公爵夫人よ」


 院長先生が緊張した声で告げる。


 " 公爵夫人 "

 その言葉に、シルビアは息を呑んだ。


 そんな高貴な人がどうしてここに?


「シルビア」


 院長先生が視線を逸らしたまま言う。


「お前は今日、アルヴェール公爵家へ引き取られるの」


「……え?」


 頭が真っ白になる。


 引き取られるってことは、つまり、ここを出る?

 みんなを置いて?


「い、いや……」


 思わず漏れた声に、公爵夫人の笑みが薄れた。


「困るわ」


 静かな声。

 けれど、冷たい。


「あなたが来てくれないなら、この孤児院への援助は見送るしかないもの」


 シルビアが凍りつく。


「援助……?」

「ええ、食料も、薪も、修繕費も」


 夫人は優雅に微笑んだ。


「あなた次第よ」


 その瞬間、ミアの顔が浮かぶ。

 寒さで震える小さな手。

 お腹を押さえて眠る子供達。


 断れない。

 そんなこと、出来るわけない。


 シルビアはぎゅっと拳を握りしめた。


「……行きます」


 搾り出した声。

 公爵夫人は満足そうに微笑む。


「賢い子」


 その言葉が何故だか重い鎖のように聞こえた。



 ***



 馬車の中は暖かかった。

 ふかふかの座席、厚い毛布。

 けれど、シルビアの体は小さく震えていた。

 向かいに座る公爵夫人が、じっと彼女を見つめている。


「ねえ、シルビア」

「……はい」

「本は読める?」


 シルビアは俯く。


「少しだけ……」

「どのくらい?」

「自分の名前とか、簡単な言葉くらいです」


 夫人の目が細められる。

 そして、嬉しそうに笑った。


「それは、素晴らしいわ」


 意味がわからない。

 読めない事を喜ばれるなんて。


「何も知らないなら、教えやすいもの」


 その言葉に嫌な寒気が走る。

 夫人は膝の上に置いていた分厚い本を撫でた。

 金の装飾が施された、美しい表紙。

 けれど、シルビアには読めない。


「この本にね、とても美しい悪役令嬢がいるの」


 " 悪役令嬢 "

 知らない言葉だった。


「あなたにはその子になってもらうわ」

「……え?」


 夫人の青い目が恍惚と輝く。


「現実で、わたくしの理想の恋愛劇を作るの」


 シルビアは何も言えなかった。

 何を言われているのか分からない。

 ただ、この人が恐ろしいことだけは分かった。


***


 屋敷に着いても、豪華な正面玄関には入れなかった。

 連れて行かれたのは、裏庭の奥。

 雪に埋もれたように建つ、小さな石造りの離れ。

 中は暗く、ひどく冷たい。

 まるで、倉庫だ。


「ここ……?」


 シルビアが怯えたように呟く。

 公爵夫人は机の上に本を置き、ゆっくりと振り返った。


「今日からここがあなたの部屋よ。分かってはいると思うけど、逆らえば援助は終わり」


 夫人は優しく微笑んでいた。

 だからこそ恐ろしい。


「それだけじゃないわ。子供達がどうなっても知らない」


 涙が込み上げる。


 怖い。

 帰りたい。

 みんなに会いたい。

 でも、守らなくちゃ。


 震える唇を噛み締めるシルビアに、公爵夫人は本を開いて、流れるように文章を読み上げ始めた。

 シルビアには意味がほとんど分からない。

 知らない言葉ばかりだ。


「――セリーヌは、高慢に笑った」


 そして、顔を上げる。


「笑ってみなさい」

「……え」

「同じように」


 無理だ。

 どう笑えばいいのかわからない。


 戸惑うシルビアを見て、公爵夫人の目が冷たくなる。


「孤児院がどうなってもいいの?」


 その一言で、体が凍りつく。

 シルビアは震えながら、ぎこちなく口元を歪めた。

 夫人はしばらく見つめ、静かに首を振る。


「だめ」


 失望の滲んだ声。


「その優しすぎる目が邪魔なのよ」


 ゆっくり近づいてくる。

 白い指が、シルビアの目元に触れた。


「でも安心して」


 ぞっとするほど優しい声で囁く。


「入学する頃には、完璧なセリーヌにしてあげる」


 シルビアの唇が震える。


「そして、学園を卒業したら」


 その笑みは、あまりに穏やかだった。


「あなたは静かに死ぬの」


 息が止まる。


「その代わり、あなたのいた孤児院には二度と手を出さないと約束するわ」


 怖い。

 死にたくない。

 でも、あの子達を守れるなら……。


 震える体で小さく頷く。

 夫人は満足そうに本を閉じた。

 ぱたり、と乾いた音。


「もう、シルビアという名前は忘れなさい」


 青い瞳が真っ直ぐ彼女を射抜く。


「今日からあなたはセリーヌよ」


 窓の外では、雪が降り続いていた。


 その夜、少し垂れた優しい目をした少女は、何も知らぬまま、未来と名前を奪われた。


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