#002 物理化学を専攻する大学院生だった私たち
「異世界に行くブラックホールの特異点の研究?!」
教室にいた十数人が一斉に振り向いて沈黙し、そして苦笑になった。
ここは難関で有名な国立大学の大学院で私、綾波理々沙は物理化学を専攻とする大学院生だ。
「おいユッキー!本気で言ってないよな?修士論文のテーマの話だぞ?」
加賀凌真が子供のいたずらをたしなめるような顔で自分が「ゆっきー」と呼んだ赤城由吉を見上げた。
みんな理解が追い付かない顔で赤城くんを見ている。
「えぇ?だって……修士論文だし、どうせ既存の考え方じゃダメなんでしょ? それに、ブラックホールの計算式なら授業で習ったじゃない。」
赤城くんことユッキーはピンクのニットのセーターの裾を軽く引っ張りながらはにかんでいる。
「授業で習ったブラックホールの引力の計算式は宇宙で惑星が爆発したあとに引力だけ残ってしまうっていうアレだろ?それを異世界って!いくらなんでもふざけすぎじゃないか?なぁ、理々沙もそう思うだろう?」
加賀くんが親友である赤城くんの論文のテーマが納得いかなくて私に意見を求める。
「そういえばさぁ、ブラックホールの超重力の中心に特異点が見つかってって……なんだっけ?なんか違う空間に行く的な映画あったよね?アメリカ映画の・・・」
赤城くんが気の毒な雰囲気になってしまったので、私は毒にも薬にもならないようなコメントで味方のふりをする。
大学院の修士課程を修了するためには学位論文を提出しないといけない。
かなり専門的な研究結果を論文にして審査に通らないと修了できないからだ。できるだけ早いうちからテーマを絞り出して準備をしないとヤバい。私たちは理数系だというのに論文は英語で書かないといけないというのも時間がかかる要因だ。
ピンク色のキレイめのニットを着てはにかんでいる赤城くんはかわいい系男子で女子より女子力が高い。少女漫画が大好きで特に悪役令嬢ものとボーイズラブは手当たり次第読んでいるらしい。スカートこそ履かないが甘々な装いを好むので「男の娘」と呼ばれる事もあるが、ごく普通の「男の子」で彼女もちゃんと居る。
教室の隅で我関せずを決め込んでいる大井くんは、大学生のとき赤城くんに微笑まれて恋に落ちたらしい。大井くんは彼女いない歴が歳の数というシャイボーイで、今ではむしろ赤城くんを疎ましく思っている。
加賀くんは付き合いはじめて三ヵ月になる私の彼氏だ。
三ヵ月前のクリスマスイブにマルチカラーの石でできたネックレスをプレゼントしてくれて告白された。私は赤城くんとは予備校時代からの友人で、ラノベやアニメの話で盛り上がることが多く仲が良かった。その赤城くんの親友だったのが加賀くんだったわけで、彼とは別に趣味が同じだったわけでもなく『イケメンだな~。あんな人とデートできたら楽しいだろうな~』くらいのスタンスで何年もいたので、まさか告白されるとは思っていなかった。好みのタイプだし親友の親友だしで付き合い始めたから、付き合っているとはいえ恋人らしいことはまだ何もない。正直、修士論文のことで頭が痛くてそれどころではなかった。関係ないけど、私が加賀くんと赤城くんの事を「一航戦」とこっそり呼んでいるのはナイショの話。
「インターステラーだっけ?」
加賀くんが私を振り返って返事をしたのに、赤城くんが食い気味に身を乗り出す。
「そうそう!あの映画!ノーベル物理学賞をとった理論物理学者が携わってるんだ。重力の方程式とかブラックホールの中心の特異点とかついでにワームホールについて研究したくなっちゃって・・・ボクはどうせ時間かかる作業なら本当に興味ある楽しい事しかしたくないんだ。凌真は量子力学で博士号めざしてるでしょ?研究手伝ってほしいなぁ~と思って。」
薄茶色のカールした髪をかきあげて嬉しそうに語る赤城くんを見て羨ましさを感じた。正直、大学の論文でも苦労した私が大学院のさらに高度な研究を要する論文のテーマを決められなくてずっと憂鬱だったからだ。修士とれなくてもいいかな。でも研究はしたいから、研究施設ある企業に就職しちゃおうかなと思い始めていたくらいだ。
「なんか楽しそうだね。いいなそれ!じゃあ私は錬金術について論文書こうかな。」
開き直ったら憑き物が落ちたようなすっきりとした気持ちになった。久しぶりの爽快感だ。
「いいね錬金術!それも楽しそう!錬金術ってことは元素変換の研究をするの?鉛を金に換えるとかだよね?そっちも量子力学だから凌真の十八番だよねっ」
赤城くんが『仲間見つけたり』という満面の笑みで私に答えた。私と赤城くんが盛り上がっているのを呆れた顔で加賀くんがみている。
「加賀くん!私、錬金術についての論文書くから協力よろしくね」
「はいはい。元素交換の研究は手伝うよ。」
加賀くんは諦めたらしい苦笑で返事をした。
「ふっふっふぅ~。今日から私を錬金術師って呼んでもいいんだよ~。私、錬金術師になる!」
なんか楽しくなってきた私は教室に残っていた物理化学専攻の院生たちに馬鹿みたいにはしゃいでみせた。
「錬金術師!いいねそれ。水銀と硫黄の2要素説で賢者の石とか作っちゃう?それともエリクサーかな?じゃぁねぇ~ボクは特異点見つけてゲートの番人とか呼ばれちゃおっかなぁ~。ふっふっふぅ~」赤城君が私の真似をして楽しそうに笑う。
「楽しそうでいいね錬金術師さん。私達も加賀くんに量子力学のアドバイス貰ってもいいかな?」
大学のころから仲が良かった羽黒さんと鳥海さんが話しかけてきた。
「俺たちも混ぜてくれよ。錬金術師さん!」
遠巻きに見ていた男の子たちもわらわらとよってきた。
ほらね?みんな楽しいことに飢えてるんだよ。
最近左脳ばっかり使っていたので右脳が喜んでいるよね?みんな!
「俺も錬金術に興味あったんだけど、似たようなテーマで研究してもいいかな?」
同じく大学のころから仲が良かった最上くんがそっと加賀くんの顔色をうかがいながら話しかけてきた。なぜ最上くんが加賀くんの顔色を窺っているかと言うと最上くんは大学3年の時に半年だけ付き合ったことがある元カレだからだ。まぁ元カレと言ってもすれ違いが多くてちゃんとしたお付き合いでもなかったので加賀くんに遠慮はしないでほしい。
「当然!いいに決まってるじゃない。研究結果も共有しようよ。」
苦難の道も仲間がいれば怖くない。加賀くんがすこし嫌な顔をしたように見えたけど見ないふりだ。
「やったぁ~!楽しくなってきたね。笑われるかと思ったけど特異点の話してよかった!理々沙ちゃんの言う通り、実はインターステラーみてたらすごくやりたくなっちゃったんだよね。異世界に行くゲートの研究しちゃうよボク!あ、そうだ、どうせならみんなで研究できるように広い部屋を研究室に使わせてもらえるように申請出そうよ。一緒の研究室で研究したい人手を挙げてぇ・・・おっけぇ~じゃあ頑張ろうね、みんな!」
思い出したよ。
由吉!おまえのせいか!




