添い猫
小洒落たカフェというところはどうも馴染めない。かと言って居酒屋や大衆食堂も苦手なのだが。
昼過ぎの客の入りにしてはやや多いのではないだろうか。あちこちでざわざわと話し声が耳につく。この状況での唯一の救いは目の前にいる髪の長い女性だ。顔立ちも立ち振舞いも日本的で俺の好みに近い。その整った顔立ち、切れ長の目が見せる憂いは、なかなか艶美だ。
「具体的に聞かせてもらおうか」
俺は事務的に言った。美しく好みの女性とはいえ初対面だ。さっさと終わらせたい気持ちは変わらない。
「はい。私には付き合い始めて4年にもなる彼がいたんです。自分で言うのもおこがましいとは思いますが、それはそれは仲睦まじい二人だったと感じていました。もちろん結婚も考えていました」
容姿に合う透き通った声だ。仕事でなければ聞き惚れてしまいそうなくらいだ。
「先ほど彼がいたと言いましたが、言葉のとおり今は昔。つい3ヶ月ほど前に別れてしまったんです」
原因は?などと聞くべきだろうか。まあそうした方が相手が自分の話を聞いてくれていると感じるだろうし話やすくもなるだろう。だがいかんせんそんな話にこれっぽっちも興味が湧かない。それに、
「その理由は」
ほらな。どうせこっちが聞かなくても向こうは喋ってくるんだ。余計な口を挟んで話を間延びさせたくはない。
「ありきたりなんですけど、彼の浮気なんです。あれほど好きだと言ってくれていたのに、他に女がいたなんて・・」
女は上品な手提げバッグからハンカチを取り出し目頭に当てた。その仕草は美しくも見えたが同時に茶番にも思えた。安いドラマのワンシーンみたいだ。
「殺し屋さん」
女が急に身を乗り出し俺の両手を掴んだ。とっさにカウンターを見舞わせそうになるくらい俊敏な動きだ。それより、
「こんなところでその呼び方はやめてくれないか」
「この3ヶ月間私は彼を必死に忘れようとしました。あいつは最低な男だった、別れて正解だって。でもそれだけじゃだめなんです。詳しくは申せませんが、私は裏切られることが何よりも苦痛なのです。それこそ、死よりも」
潤んだ瞳でこちらを見つめている。きらきらと光るそれを見ながら俺は思った。
(さとうなんちゃらも真っ青だな)
「それで、俺に依頼しに来たわけだな」
そこでようやく女が俺の手を離した。先ほどハンカチを取り出した小洒落たバッグを再びまさぐる。
「この人です」
一枚の写真を取り出した。そこには綺麗な夕焼けをバックに仲良さそうに寄り添っている男女が移っている。女の方は今目の前にいるこの女だ。
「高原幸助、28歳。コンピュータプログラミングの仕事をしています」
聞いてもいないのに詳細を教えてくれた。そんなこと聞いても俺には何の得にもならないのだが。
「しかし浮気されたからといって殺すというのはいささかやりすぎではないのか?」
女はまるで睨むように上目遣いでこちらを見ている。
「先ほども申しあげましたとおり、私にとって裏切りとは死よりも辛く、悲しいことなのです」
「だからそれと同じくらいの苦しみを味わわせたい、と」
女はこくりと首を縦に振った。俺の手を握ったときと同じくらい力強い動きだ。ようやくその言葉を出してくれた、と嬉しそうにも見える。考えすぎだろうか。ちらと腕時計に目をやる。
「何かご予定が?」
「え?ああいや、今何時かと思って」
「お話中に時間を確認するなんて失礼ではないですか」
先ほどまでより若干力強い声でそう言った。思わず「すまない」と謝ってしまった。なかなか面倒くさい人間のようだ。周りに目をやる。先ほどより客が減ってきている。もう皆昼休みも終わり、午後の仕事をはじめている頃だろう。じきにこの店も客がいなくなるはずだ。俺たちもいつまでもここにいるわけにはいかない。店員に怪しまれてしまうからだ。
「依頼内容は分かった。では少し質問してもいいかな?」
「何ですか?」
「今まで何人の男と付き合った?」
女の顔にさっと警戒の色が走った。
「何でそんなことを聞くんですか?」
「調査のためだ。君の話を十分信頼するに足る情報を得たい。」
「・・・2人目です。」
「前の交際は何故終わった?それも彼の浮気か?」
「そうですけど、何か?」
「その男は殺したのか?」
「はい?」
女は明らかに苛立ち、警戒している。少しやりすぎたか。再度腕時計を見る。
「だからお話中に・・」
「失礼、癖でね。では、やる場所はどこにする?」
「やる場所、殺す場所ですね?では・・ここでお願いします。」
ずいぶん早い決断だな。
「ここ、とはこの店のことか。何故こんな場所なんだ?」
「二人の思い出の場所なんです。」
女が悲しそうな、そして少し嬉しそうな表情を浮かべた。
「そうか。分かった」
俺はカップに少しだけ残ったコーヒーを飲み干すと、伝票を持って立ち上がった。女がそれを見て慌てて立ち上がろうとする。手を出してそれを制する。
「座って待ってるといい」
女は俺の言葉に素直に応じ、椅子に座りなおした。
「ありがとうございます」
レジは女の後方にある。女の脇を通り抜けレジへと向かう。その一瞬で十分だった。女は背もたれに体を預け、頭だけうな垂れる。瞬時に見て死んでいるとは誰も気付くまい。
「二人の、因縁の場所なんです」
4日前。俺はどうしても馴染めない小洒落たカフェに来ていた。はじめに殺す場所を指定してきたのは初めてだ。よほど怨んでいるに違いない。
「俺には付き合い始めて4年になる彼女がいました。真剣な交際で、もちろん結婚も考えていた。でも、山村静子。あいつのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ。殺してやりたい。お願いします」
怒りに任せて言いたい放題の男の言葉に耳を傾けるはずもなく、俺は聞いている振りをしてぼんやりとコーヒーを飲んでいた。数十分後、ようやく男の口が止まった。
「つまりこういうことか?その山村静子という女が、この店であんたを見て一目ぼれした。そしてあんたの彼女を脅して別れさせ、自分が彼女になった。それを知ったあんたが別れ話をすると、女はストーカーになってしまった。こんな感じでいいな?」
「はい」
なんだ、5秒で済むではないか。俺の数十分を返せ。
「あの時あの女に会わなければ今ごろ美紀と結婚していたはずだ。仕事だって順調にいってたのにあの女に邪魔されて・・」
「悪いがそういう話を聞くのは仕事のうちにはいってない。どうしても聞いてほしいなら電話相談室にでも電話掛けてくれ」
「あ、すいません」
「その女の写真あるか?」
「は、はい」
男がジャンパーのポケットから一枚の写真を取り出した。綺麗な夕日をバックに男女のカップルが寄り添って写っている。それを見て俺はおや、と思った。
「これが、美紀に別れを決めさせた写真です。私たちは付き合っているのだからお前は身を引け、と。でもよく見てください。仕事柄よくパソコンいじるんですぐぴんときたんですけど、これすげ替えなんです。俺と美紀の写真をどこからか入手して、自分の顔を貼り付けた偽物なんですよ」
よく見ると顔と首の肌の色が微妙に合っていない。なるほど、さきほどの違和感はこれか。
「俺がこれを見なければずっと知らないままでした。でもこれを見て真実を知った以上、放ってはおけない」
しかし一時は付き合った女だろう?そう思ったが口にはしなかった。まあどんなにいい女でもこんな裏の顔を見せられたら百年の恋も冷めるというものか。
「自分なりに調べてみたんですが―こう見えて顔広いんです―あの女、どうやら前にも同じような事をしてそのうち何人かは死にまで追いやってるみたいなんです。おそらく、あなたみたいなプロに依頼して。でなきゃとっくに捕まってるはずだ」
この男どんな情報網を持っているのかと気になった。
「この手の女に俺も一度依頼を受けたことがある」
口に出してから気付いた。何故こんな話をこの男にしているのか。まあ暇だしいいか。
「手を貸したんですか?」
「仕事をしたまでだ。俺には関係ないしな」
男はしばらく絶句していた。無理もないだろう。下手したら自分が今目の前にいる男に殺されていたかもしれないのだ。うつむき、ぽつりと呟く。
「男なしに生きていられない女なんでしょう。本性を隠して近づき、いざとなったらその皮を脱いで襲い掛かってくるんだ」
普段は猫を被っているわけだ。写真を見る。なるほど、このつり目は猫に似ている。
支払いを終え扉へと向かう。店を出るとき、女の背に目を向けた。その姿はまるで男にフラれ、がっくりと肩を落としているようだった。まあ状況はあながち間違っていないかもしれないな。そしてふと女のつり目を思い出して呟く。
「裏切られるより死がいいんだろう?望み通りにしたまでだ。化けて出るなよ」
俺だけだろうか、猫は他の動物より霊的なものを感じる。化け猫はいても化け犬など聞いたこともないし。店を出た途端黒猫が俺の前を横切った。去って行く黒猫の背を見て、また呟いた。
「化けて出るなよ」
黒猫はちらとこちらを振り返り、にゃあとひとつ鳴いて去っていった。




