夢見るバク
眠い。やけに眠い。いつからだろう?たしか今日の朝からだ。よほど疲れたらしい。しょぼしょぼとする目を擦りながら俺は地下鉄のホームに吸い込まれた。ホームにはほとんど人がいなかった。たしかに少し遅い時間ではあるがそのせいではないだろう。もともとここの利用客は少ないのだ。電車が入ってくる。それに乗り込みドア付近の手すりにつかまった。そのまま目を瞑って地下鉄のゆれに身を任せていた。
「座ったら?」
不意に女の声が聞こえた。はじめ夢かと思った。
「ねえ、座ったら?」
まただ。どうやら夢ではなさそうだ。振り返る。連結部側の3人掛けの座席にその女は一人で座っていた。20歳後半くらいだろうか。白のダッフルコートに青のスカート。いつも思うのだが女性はスカートなど履いて寒くないのだろうか。足丸出しではないか。まあそんなことはいいとして、
「何か言ったか?」
「だから、座ったら?って。あなた眠そうだし、第一こんな空いてるのに立ってるなんておかしいよ」
周りを見渡す。2組のカップルと数人のサラリーマン、OL。最後尾には学生らしき集団が地べたに座り込んでいる。
(いすに座ればいいのに。まあ俺も立ってるが)
つまり席はがらがらなのだ。たしかにそんな状態で立ったままうとうとしているのはおかしい。職業柄ついドアに近い位置にいたくなってしまうのだ。しばらく迷った挙句座ることにした。乗り気はしなかったものの女性の隣に座った。そこが一番近かったのでそれが自然だろう。できれば初対面の人間の近くは嫌なので離れたかったが、露骨にそんなことができるはずもない。しかしやはり立っているのと座るのとでは全然違う。ふっと意識が飛びそうになる。そうだ、腕時計のアラームをセットしよう。これでうっかり寝過ごした、なんてことはなくなるはずだ。安心して眠りにつける。夢に引き込まれそうになったその時だった。がさがさ。がさがさ。
(うるさいな。何やってるんだ?)
隣の女性がなにやら自分のバッグをまさぐっている。
「何してるんだ?」
「あ、ごめんなさい。うるさかった?」
「いや、まあちょっと」
ちょっとじゃなくだいぶだ。まあそれをはっきり言うほど俺は子供ではない。少しくらい我慢してやろうじゃないか。
「本を探してて。あ、あったあった」
それは今日買ったものらしく茶色い紙袋に入っていた。それをバリバリとあける。意外と音が立つものだなと思った。袋をバッグに戻す。バリバリがさがさ。
(うるさいなあ)
そのとき、バッグの中になにやら物騒なものを見つけた。鋏だ。ただの鋏のように見えはするが、問題はその数だ。1本ではないのだ。数本の鋏がバッグの中でひしめきあっている。俺の目線に気付いたのか女性が照れくさそうに笑った。
「あはは、驚いた?まあそりゃそうよね」
「何なんだ?その鋏の量は」
女性は何かを言おうとして止め、ちょっと考えて微笑んだ。
「さてここで問題。私は何をしている人でしょう?」
(いるよな、すぐクイズにしたがるやつ)
面倒だったがしばらく付き合ってやることにした。無下にあしらって寝ようとするのはさすがに失礼だ。
「鋏関係だろう。美容師か」
「正っ解?いや、惜しい、かな」
女性は首を捻った。
「問題出しといて何だそれは」
うんざりだ。まとまってないなら静かにして寝かせてくれ。
「正解は、トリマーでした。まだ見習いだけどね」
トリマー?聞いたことあるようなないような。
「うーん、分からん」
「ペットの美容師ってこと」
「ペットって、犬とか猫?」
「そう」
「そうって・・」
なんだってペットの散発を美容師に頼まねばならんのだ。最近は何でも商売になるのだな。少し感心してしまった。
「まあ人殺しが金になるくらいだしな」
「何か言った?」
「いや、何も」
さっさと話を切り上げて眠りたかった。今なら気持ちよく夢が見れそうだ。
「あなた、動物は好き?」
(またかよ)
うんざりしながら横目で女性を見た。
「まあ嫌いじゃないな。あんたは?」
逆に質問してやった。そして思う、質問し返さなきゃ話は終わってたんじゃないか?しくじった。
「もちろん好きよ。じゃなきゃこんな仕事選ばないって」
まあそれはそうだろう。
「私は日本一のトリマーを目指してるの。そして私の手でいろんな動物をきれいに着飾ってあげたい」
「夢を持つのはいい事だな」
「でしょ。あなたの仕事は?」
「サービス業だ」
質問されたときはそう答えるようにしている。まあ間違ってはいないだろう。
「そう。それで、今から帰宅?」
「だな」
それから幾度となく眠りのふちに立たされるもその度にことごとくこの女性に邪魔されていた。そして、ようやく開放される時がきた。
「あ、じゃあ私ここなんで。それじゃ」
そう言って女性は立ち上がった。俺の前を通り過ぎドアを出る。と同時に、アラームが時を告げる。
(寝てないから意味なかったな。)
「ちょっと待ってくれ」
俺は立ち上がってその女性を呼び止めた。ドアを挟むように対峙する。
「な、何?」
女性は驚いた様子でこちらを見ている。もしかして何か勘違いしてないだろうか。
「いや、さっきちょっと嘘ついちゃってね」
発車のベルが鳴る。
「何を?」
「さっき仕事帰りと言ったが、本当は今からが仕事帰りなんだ」
「え?それはどういう・・・」
不思議そうな顔をした女性の表情が一瞬で変わった。驚いたような、更に意味が分からないというような、なんとも言い表しづらい表情だ。ぐらりと体勢を崩す。それと同時にドアが閉まる。倒れた女性を残し電車は軽快に走り出した。
「ふぁ~あ。眠い」
腕時計を見た。俺が降りる駅までは1時間近くある。十分に寝られるな。座席に座り直す。やはり知らない人間と座るより一人の方が気が楽でいい。
「やっと夢が見られるよ」
言いながら意識が遠のいていった。そしてその途中で大事なことを思い出していた。
(そうだ、アラームかけ直すの忘れてた。)




