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ZOO  作者: 伊東歩
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護るライオン

 扉を開けた瞬間に俺は顔をしかめた。その店はサラリーマンらしき男たちの笑い声や煙草の煙や匂いが充満していた。その中で僅かに感じられる料理の香りなど決して食欲を誘ってくれるものではなかった。居酒屋など何年ぶりだろう。

「おお、こっちこっち」

一人の男が座敷から俺を手招きしている。座敷に上がり、俺はうんざりといった表情でテーブルを挟んで向かいに座っている男を睨んだ。

「そんなムスッとしてんなよ。せっかくの男前が台無しだぜ」

 男は名前を富樫明と言った。本名かどうかは分からない。二人の前に大きなグラスになみなみと注がれたビールが差し出された。

「じゃあとりあえず、かんぱーい」

 無理やり俺にグラスを握らせ、割れんばかりに自分の持ったグラスをぶつけてきた。

「かんぱーいじゃない。何なんだ?突然」

 富樫は一気に飲み干してしまう勢いでごくごくとビールを喉に流し込んでいった。しかたなく俺もひとくちだけ口に含む。飲み込むと、途端にぴりぴりという刺激とともに苦味が襲ってきた。俺はビールをはじめ全てのアルコールが苦手だった。4、5品ほど料理が出された。富樫があらかじめ注文していたらしい。それをつまみながら談笑をはじめた。と言っても笑っているのはもっぱら富樫だけだった。俺は一秒でも早くこの空間から出たいと、信じてもいない神に祈った。ほどなくして胃が落ち着いたのか富樫は箸を置いた。グラスはすでに3杯目となっていた。

「そろそろ焼酎にしようか。」

 まだ俺を呼んだ理由を言わない気らしい。いい加減我慢の限界だぞ。腰を浮かす。

「一人で盛り上がるんじゃない。早く話をしろ。でないと俺は帰るぞ」

「まあまあ待てよ。分かった、話すよ。あ、お姉さん焼酎お願い、芋ね。お湯割りで」

 ようやく話してくれる気になったか。ここは安堵のため息をつくべきだろうか。どうでもいいか。

「実はな、お前に仕事を依頼したい」

「は?」

 いきなり何を言い出すんだ、この男は。富樫の前にビールのときとは違った形のグラスが置かれた。軽くくいっとあおる。

「く~、染みるねえ」

「そんなことはいいんだよ。何なんだ、依頼するだなんて」

「そのまんまの意味だ」

「そうか。じゃあその前に一つ聞いていいかな。お前の職業は何だ?」

「実はな、お前と同業者なんだよ」

「知ってるよ。しかも仕事の速さは業界随一だろう。お前がやればいいじゃないか」

 富樫は残りを一気に飲み干した。

「分からないかなあ、それが出来ないから言ってるんじゃないか」

「ということはダブルブッキングしてしまったということか?」

「いや、その日の俺の仕事は一つだけだ。それは俺がやる」

「じゃあ問題ないな。帰るぞ」

 俺が再び腰を浮かすと富樫は半ば必死に掴みかかってきた。

「まあ待てよ。十年来の親友だろう、とりあえず話だけでも聞こうじゃないか、な」

 いらいらしながらもとりあえず腰を下ろすことにした。というより富樫が手を離してくれないのでそうせざるを得なかったのだ。

「で、ターゲットはこの男なんだけど」

 そう言って富樫は一枚の写真をテーブルに出した。目を見張る。それは俺の気持ちを動かすに足る力があった。

「なるほど、とりあえず話だけでも聞こうじゃないか」

 無意識に先ほどの富樫の台詞を繰り返していた。


 一週間が経った。とある県立文化会館。ここが今回の仕事場所だ。といっても俺がいるのはその中ではなく、そこからすぐの高台にある公園。その滑り台の上だ。なんとも目立つ場所である。しかし調査の結果ここが一番のベストポジションのようだったので仕方ない。今日はその文化会館で子供たちの音楽発表会が開かれているらしい。そこの観客の一人としてターゲットが現れる。どこの席に座るのかということまでしっかり確認している。でなければこんな場所から狙えるはずがない。俺は掃除屋ではあるがスナイパーではないのだ。腕時計を見る。開会までまだ時間がある。そしてターゲットを仕留めるのは更に後、発表会も終わりの方だ。ずいぶんとめんどくさい仕事だ。俺は富樫に文句の一つでも言ってやりたかった。しかし富樫は富樫でもうすぐ仕事だろう。文化会館の周りが騒がしくなってきた。人が集まり始めている。

「ようやくか」

 思わず一つ呟いてしまった。この位置からだと文化会館の観客席とステージが一部だが見渡せる。俺は徐々に埋まりつつある席を見ながら、ターゲットを探した。そして、

「よし、どんぴしゃだ」

それから2時間近くうとうととしてしまった。距離がさほど遠くないお陰で文化会館の方から微かに歌声や音楽、そして拍手が聞こえてくる。腕時計に目をやり、そして文化会館に移す。ステージに一人の女の子が登場した。めやすとなる子だ。あの少女が出てきたということはそろそろ時間だ。俺は気を引き締めるよう両手で頬を叩いた。


「聞かせてもらおうか。お前は何故こいつを殺したいんだ?」

 一週間前の居酒屋。俺は目の周りをうっすらと赤く染めた富樫を問い詰めた。

「そもそも知ってるとは思うが掃除屋が掃除屋を狙うのはご法度だぜ。もしそのことが業界で広まったら、下手したら生きちゃいられない」

 つまり富樫の依頼相手は何を隠そう同業、掃除屋なのだ。

「分かってる。無理を承知で頼んでいるんだ」

「じゃあ一筆書いといてくれよ。私が依頼しました、みたいなのをさ」

 俺はなるべく平静を保っていたが内心困惑していた。富樫が何故こんなことをするのか意味が分からない。

「俺が納得するまでちゃんと説明してくれよ」

 と念を押した。

「分かってるよ。じゃあ説明するぞ。ある日こいつに一つの仕事が入った。ターゲットは6歳の少女。怨恨かね、まあ珍しいことじゃない。こいつはあっさり引き受けた。そして早速仕事に取り掛かった。少女が下校の時一人になるのを見計らって背後から近付いてった」

「簡単な仕事だな」

 少し間があいたので俺は相槌を打った。

「まあ簡単だ。しかし、そこでこいつはふと気付いてしまったんだ。この少女は自分の娘だと。その娘が幼いころに妻と離婚して、その元妻は再婚してたんだ。だから名前を聞いても分からなかったんだな」

 愚問だと思いつつ、俺は聞いた。

「それで、こいつは仕事をこなしたのか?」


 めやすと定めた少女がもうすぐで歌い終わる。俺は余計なことを考えまいと全神経を集中させた。ターゲットと俺との間には文化会館の窓ガラスがある。その窓ガラスには直径4cmほどの丸い穴が空いている。昨日までに俺が空けておいたのだ。丁度その穴の先にターゲットの男がいる。ステージの位置の関係でこちらに背を向けているが間違いない。歌が終わりに近づく。男が不審な動きを始めた。歌が終わり、場内に拍手が響き渡る。今だ。もう一度神経を集中させ、躊躇うことなく引き金を引いた。不意に男の動きが止まる。がっくりと首だけうな垂れる。俺は大きく息を吐いた。


「一週間後、文化会館で音楽発表会が開かれる。その時に仕留めると依頼主には言ってある」

「なるほど。そこで俺が殺ればいいんだな」

 富樫は大きく頷いた。そして焼酎のおかわりを頼んだ。

「聞いていいか?何故自分の娘だと分かったんだ?名前も変わって、顔だって分からなかっただろう」

「特徴があったんだ」

「特徴?」

「娘は首の後ろに3角形を描くように3つのホクロがあったんだ。それが、ターゲットの少女にもあった」

 富樫は水でも飲むかのように焼酎をあおった。

「俺はこの仕事に誇りを持ってる。一度引き受けた依頼はなんとしてもやり遂げなきゃならん」

「じゃあその娘を殺すのか?」

「俺に何もなければな。たとえば他の掃除屋に殺されるとか」

 そう言って富樫はにっと笑った。人懐っこい笑顔だ。

「なるほど、掃除屋が殺されればその少女を殺すよう依頼した人間への警告にもなるわけだ。次やったらお前の命がないぞと」

「あの子には父らしいことを何一つしてやれなかった。」

「俺には分からないな。他人の命を護るために自らの命を犠牲にしようなんて」

「いつか分かる時が来るさ。お前が父親になったらな」

 俺が父親になる日など来るのだろうか。

「このターゲットの写真、貰っていいか?」

「はっはっは、変わった趣味だな」


 拍手はまだ鳴り止まなかった。どうやらあの少女の歌が最後の演目だったらしい。観客は皆総立ちになっている。ただ一席を除いては。そのすぐ後ろの席の女が妙に慌てたように落ち着きがないのが目についた。気付いたのだろうか。それにしてはあまりに騒がなすぎる。そこまで考えてふと思考を止めた。

「まあ、俺にはお前の依頼主なんて関係ないしな。」

ステージの脇からぞくぞくと子供たちが出て来た。とりを務めた少女が振り返ってそれを招く。首もとの3つのほくろが印象的だった。俺は滑り台の上でバッグから一升瓶とコップを取り出した。焼酎だ。それをなみなみと注いで、コートのポケットから写真を取り出す。

「乾杯だ、十数年来の親友よ」

 居酒屋での富樫の言葉を思い出しながら一気で飲み干した。喉、食道、胃と、熱い液体が流れ込むのを感じた。

「うげ、きつっ」

 文化会館に目を戻す。ステージには子供たちだけでなく大人もいる。おそらく子供らの親だろう。そうだ、子供の発表会には親が見に行くものだ。

「ははっ、良かったな。最後に親らしいことしてやれたじゃないか」

 俺は一升瓶を持ちばしゃばしゃと写真に掛けた。写真の富樫はどこか嬉しそうに微笑んでいるように見えた。


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