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ZOO  作者: 伊東歩
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未熟なカナリア

 例年より少しばかり早い初雪が観測されたと朝のニュースで知った。今日も夕方過ぎからちらほらと、雨とも雪ともとれないものが空から舞い降りている。街は早くもクリスマス一色となりつつある。イルミネーションが通りを彩り、クリスマスソングがそこら中から聴こえてくる。歩道橋の上から見るその景色はなかなか悪くない。冷たい風が吹く。俺は真っ黒いロングコートの襟を立ててそれの侵入を防ぐ。

「今年のクリスマスは独りだ。あんたも?」

 隣にいる女が言った。真っ白いパーカーにレザーパンツ。化粧は黒を基調とした濃い目のメイクだ。整った顔立ちではあるが、いかんせん俺は髪の短い女は嫌いだ。まあ関係ないことだが。女は歩道橋の手すりに背中を預けている。目線はさっきから空を見上げたままだ。

「雪が好きなのか?」

「んーどうだろ?あたし北のほうの出身だから雪はあって当然って感じだし」

 俺はふと左腕を見た。腕時計だ。23時。まだ時間がある。つい30分ほど前、初めてこの大崎由美と出会った時のことを思い返した。

 俺がここに来たのは20時にもなっていない頃だ。それからこの寒空の下何時間も立ち続けていた。俺がもたれていた手すりはすでに人肌以上の温もりを持っているのではないだろうか。確認のため写真を取り出す。ボーイッシュな女が写っている。歳は20歳前後といったところだろうか。大崎由美。今回のターゲットの名だ。由美はこのあたりに住んでいるらしい。男女4人でバンドを組んでいて、メジャーデビューを目指し日々練習、ライブに励んでいるらしい。スタジオから4人で歩いて帰るのだが、この歩道橋の前で由美は一人になる。調査済みだ。今日もいつも通り練習を終え、帰宅のためこの橋を通るはずだった。ただ一つ誤算があったとすれば、いつもよりも早いのだ、帰宅が。何気なしに目線を右にずらしたとき、数人のカップルや会社員風の男女に混じって由美の姿が確認できた。ギターのケースらしい黒く細長いバッグを肩にかけている。時計を見る。22時半。これでは予定より長く会話をしなければいけないではないか。俺は人と話すのが嫌いだ。初対面の人間ともなると更にだ。しかし仕事だ、やらざるを得ない。そんな事を考えていると、何も知らない由美が俺の前を素通りしようとするところだった。慌てて呼び止める。

「あの、申し訳ないが少し俺と話をしてくれないか?」

 はじめ、由美は自分に投げかけられた言葉だと気付かなかったらしく、歩みを緩める気配すら見せなかった。

「ちょっと、聞いてるか?」

「え?あ、あたし?」

 ようやく少しだけ歩くスピードを落としてくれた。しかし立ち止まるまでには至らない。まあそれが普通だろう。横に並ぶ。

「何?ナンパ?」

 おどける様な笑顔。歩みは止まらない。

「期待に添えなくて残念だがそうじゃない。勧誘でもない。とりあえず話をしてくれればいい。まあ無理にとは言わないが」

 そう、別にここじゃなくとも問題はない。多少面倒ではあるが。だが俺の予想に反して由美は更に歩みを緩めた。そして、止まる。

「あんた変な人ね。まあ帰っても寝るだけだし、ちょっとくらいならいいよ。」

「変なのはお互い様のようだな。まさか本当に止まってくれるとは。」

「止めておいてそんな事言う?ま、いいけどね。」

 由美は肩からギターケースを下ろした。手すりの足の部分に立てかける。そして自分の背も手すりに預けた。そしてクリスマスは一人だの出身がどこだのと喋った。しばらく沈黙が続いた。

「何か言わないの?」

「そうだな」

 そう言って三度腕時計に目をやる。そうそう進んではくれない。

「ずいぶん時間を気にしてるみたいね。何か待ってるの?」

「ちょっとな」

「あんた、私たちのファンってわけじゃないわよね?」

「残念ながら、ただの仕事だ。しかし何故だ?」

「何故分かったかって?当然よ。ファンの態度じゃないでしょ、そんなムスッとして黙ってるなんて」

 鋭い、のか?俺の態度が露骨過ぎたのか?まあどちらでも構うまい。

「何故バンドを始めたんだ?」

 時間稼ぎの質問に過ぎなかった。そんな事これっぽっちも興味ない。

「そうだなあ・・あんた『KROW KRUE』ってバンド知ってる?」

 俺にはこれといった趣味はない。ただ音楽を聴くのは好きだ。当然今由美が口にしたバンドも知っている。

「2年ほど前にメジャーデビューしてからずっとヒットを飛ばし続けてるやつらだろう。それが何だ?」

「高校二年の時、学園祭である男子生徒がそのKROW KRUEの曲のコピーを披露したの。凄かった。一瞬で虜になっちゃってね。コピーバンドなのによ。その時思ったんだ、あたしの道はこれだ!って」

「計算が合わなくないか?」

「メジャーデビューする前よ。当然誰も知らなかった。堀クンたちのお陰だな」

 堀というのはおそらくそのコピーバンドの一人なのだろう。

「ってあれ?今計算が合わないって言ったよね?」

 言われて気付いた。口が滑ってしまった。

「あたしの歳を知ってるの?さっき仕事とも言ってたけど、あたしと話すのが仕事?どうみても芸能記者じゃないよね」

 腕時計を見る。もう少し時間がありそうだ。

「新沼健太を知ってるだろう?」

「え?まあ、ね」

「彼氏だな」

「元、彼氏だよ。ちょうど1年前に別れた。あれ?こんな感じの歌詞の唄あったよね」

 由美はたいして面白くもなさそうに笑っている。真実を知ったらこの娘はどんな表情をするだろう?ふと試してみたくなった。いざとなったら冗談だと笑い飛ばせばいい。どうせ信じられるわけがない。

「そいつに依頼された。大崎由美を殺してくれ、と。俺は掃除屋だ、殺し屋ともいうな」

 再び沈黙が訪れた。案の定、この男は何を言い出すのか、そんな顔だ。

「ケンタが、あたしを?」

 軽く頷く。

「驚いた」

「だろうな。ついでに言っておくと指定日もある。12月9日。つまりあと20分もないな」

 さすがに言い過ぎたか?今更冗談でしたと言って笑ってもらえるとは思えない。

「12月9日か。ケンタらしい、二人の記念日だしね」

 俺の話を受け入れているのだろうか?その上でこの態度だとしたらこの娘は相当な度胸の持ち主だと言えよう。何か言いたそうな気配を感じた。まだ時間はある。付き合おうじゃないか。無言で促す。

「その日あたしの誕生日なんだ。そんでもって、ケンタと付き合い始めたのが2年前のその日で、別れたのがちょうど1年後。そういえばなんだかんだで誕生日プレゼント一度ももらってないや」

 思い出して悔しそうな顔をした。

「別れたくないって泣かれたんだけど、あれ、泣いてはいないか?まいいや、でもまさか殺そうと思うなんて。あたしだって別れたくて別れたわけじゃなかったのに」

 そう言ってふくれっ面をした。そんな軽いものじゃあないんだが。

「お互いに別れたくなかったわけだ。じゃあ何故そんな事を?」

「付き合い始めて半年くらいだったかな?バンドのコンクールに出たんだけど、その時のあたしはバンドにケンタに、でどっちも中途半端だった。結果コンクールは不甲斐ないどころじゃなかった。それで、どちらかに決めようって思ったの」

「で、バンドが勝ったわけか」

「そういうこと。ねえ、一つお願いがあるんだけどいいかな?」

「何だ?」

「あたしを殺すんだったら9日になる前に殺してくれない?後ろ向いて喋っとくからさ、分からないようにささっとやってよ。あ、その前に一服」

 由美はパンツのポケットからタバコとライターを取り出し、慣れた手つきで火を付けた。 この娘は俺の話を本当に信じているのだろうか。もしかしたら冗談だと踏んで、その上で話を合わせているだけかもしれない。どちらにしろ結果は同じなのだから構わないが。

「しかし何故9日になる前なんだ?」

 由美は手すりから背中をはずし、俺に背を向けた。本気なのだろうか?分からない。

「20歳になっちゃうの、あと10分くらいで」

「未成年がタバコ吸っちゃあ駄目だろう」

 俺がそう言うと由美は悪びれた様子もなく笑った。

「そう堅いこと言わないでよ。あたしはね、大人になるのが怖かった。今でも怖くはないけどやっぱり嫌。あたしはいつまでも夢を追いつづける無邪気な少女でいたいのよ。だから20歳になる前に殺してほしいの」

 そういうものか。腕時計を見る。そろそろだ。

「あたし病気なんだ。不治の病ってやつ?もう長くはないかも。病院行ってないから分からない。バンドの皆には悪いけど黙ってる。療養で時間を削ってる場合じゃないの。あたしはひたすら音楽っていう夢を追いつづける少女なんだから」

 時間も時間だけに通行人はさほど多くない。俺は誰にも気付かれぬようコートの内側からサイレンサー付きの拳銃を取り出した。

「ケンタどこで知ったんだろ?多分それを知ったからあんたにこんな依頼をしたんだろうね。そうだ、あんたの名前を教えてよ。自分を殺す人間の名前も知らないなんてなんか嫌じゃん」

 ターゲットに名を名乗るなど今までにないことだ。しかしそれは聞かれなかっただけのこと。最期なんだし、いいか。俺は由美の耳元でそっと囁いた。由美は嬉しそうに頷く。

「いい名前ジャン」

 これで最後だ。もう一度腕時計に目をやる。俺は由美の望みどおり少しだけ早く事を済ませる事にした。

「もしケンタに会うことがあったら伝えてよ。初めてにしちゃなかなかのプレゼントだよ、ありが・・」

 言葉は最後まで発せられることはなかった。タバコが指をすり抜け地面に落ちる。由美の体がぐらりと揺れる。それをすばやく抱きとめ、手すりに寄りかかるような形で両腕を掛ける。白いパーカーの胸元からじわじわと赤いシミが広がる。俺は誰にも悟られぬようそっとその場を離れた。歩道橋を降りる。歩道から見るイルミネーションは、歩道橋からのそれとはまた違う表情を見せている。これもこれで悪くない。数m進んだところで歩道橋を振り返った。由美は先ほどと同じ姿勢のまま、心なしかほんの少し口元に笑みを携えていた。写真以外でまともに顔を見るのはこれが初めてだ。なかなかいい笑顔じゃないか。そして俺は今頃になってふと、由美の歌を聴いてみたいと思った。


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