16.赦しの詩
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数日続いた雨が晴れた日、洞穴の前に横たわる小さな白竜の墓を立てるために自分はひたすら穴を掘っていた。
「じいさま」
ヘデラは白竜を「じいさま」と呼ぶ。白竜がそう呼ぶように言ったからだ。
実際、友だった赤竜が人間に自身の力を宿してから何世代もの人間が生まれているからなのだが、ヘデラは赤竜の赤を色濃く遺伝している。
反面自分は白竜によって人間のように作られたせいか真っ白な体になった。
「主は疲れたんだ、寝かせてやろう」
「もうおきない?」
「起きないよ……」
彼女は朝からそう何度も白竜が目覚めないのかと問いかけてくる。
子供は理解できない生き物だと知ったのは時折供え物を上げてくる里の人間から苦笑しながら「そうやって子供は覚えていくものですよ」と言われてからだ。
だがおかしいのは自分もだ。死んだんだとはっきり告げればいいものを、彼女を泣かせないよう言葉を選んでいる自分がいる。主の記憶が渡されたばかりで混乱しているせいだろうか。
胎内にいる頃に竜の力を注がれ、生まれた者が女でありまた胎に子を宿せばまた竜の力を注がれる。それを繰り返していくうちに身体の一部が竜に変貌する。それが半竜の正体だった。
竜は概念から生まれる存在だ。なので竜同士から竜は生まれない。しかし新たな生命を育むことは出来た。最終的にすべての竜の力を引き継いだこの少女は父にあたる男が普通の人間だったからか、瞳を除いて竜の要素を引き継ぐことはなかったが、それでも強大な力をもっていることは目に見えていた。
穴を掘り、白竜を少女と共に主を埋める。そうやって自分も少女も白竜が死んだことを自覚していった。
竜は人間にとっては神という概念の一つだ。それが死んでしまうのは妙な感覚だが、白竜が司る概念は消えていないから、抜け殻になったと思えばいいのだろうか。
自分も白竜も人の子を育てたことが無かったので手探りの連続だった。
途方に暮れてとうとう人里に降りて人間に助けを求めたら白竜のつかいだと崇められた。
子供に食べやすいものを分けてくれるだけではなく、供え物だと言って自分らへの食べ物もくれるようになった。おかげでこの子供もすくすくと成長していった。
しかし白竜は死んだ。少女の世話もこれで終わりだから里の人間と関わることはもうない。これが『感慨深い』という感情だろうか。
「ヘデラ、お前の役目が来た」
「やくめ?」
「主のために犠牲になってくれ」
自分のやることは決まっている。この女の死後自分は胎の子を育て、主の死後、子供の命と引き換えに自分にその力を引き継ぐ。
この力は人間の手に余るのだ。いくらその子供に竜の血が混ざっていたとしても、この役目は人間に任せてはいけない。
脳裏で彼女はどんな味がするのかと想像する。人間が自分にも食べ物を与えてくるから様々な味を覚えてしまった。
覚えてしまったけれど、それだけだ。きっとこの子供の柔肌以上に美味な肉はない。
『でも楽しみですね。お前様の瞳は芽吹いたばかりの新緑のような色ですから、瞳の色は緑色になるのかしら。それとも、妾と同じ色になるのかしら?髪の色はどうなるのかしら』
そんなことを言って大きく膨らんだ腹を撫でる半竜の女の笑みを思い出す。
なぜ今こんな記憶を思い出してしまうのだろう。
その女にそっくりな少女は自分の服を引いてじっと見つめてくる。
「アセビ、ぎせいってなに?」
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気を取られていると胸ぐらを捕まれ、上下が逆転した。
「まだ続けるんでしょう?」
『愛してるわ、アセビ』
逆光。赤い瞳に時を奪われる。幼い頃の彼女から一変し、あの頃の女神と姿が重なり手を伸ばす。
「アイ、ビー……」
彼女の瞳が瞬時に琥珀に戻ると伸ばした手も払われた。
左手も同様に払われまた一手二手と攻防が続き、彼女は後ろに飛んで結界近くまで後ずさる。
薬草の臭いが鼻をくすぐる。心拍数が上がり、気分が高揚するのを感じる。
「ロイク酔ってる?」
「俺はまだ素面だ」
「そう言ってる人ほど酔っ払ってるんだよ!?」
「その口ぶりは俺以外の奴に酒でも注いだか?」
「なんで怒ってるの!?」
事実か。気に食わないな。
『アセビ』
「アイビー……」
我が鎖。騙してでも自分のそばに居たかった我が女神。
今度こそ彼女を喰らわなければ。
「ロイク?」
「『アイビー、僕を見ろ』」
「え――?」
双眸がこちらを見つめたまま硬直する。
赤い目がこちらを見つめてくる。琥珀の目がこちらを見てくる。
見ろ、見るな、見ろ、やめろ。その目で僕を見るな。
喰らってしまいたい。食べたくない。その血が欲しい。ダメだ。
その柔肌から直接啜る血はどれくらい甘美だろう。やめろ傷付けたくない。考えれば考える程涎が垂れそうになる。
こんなことを考える自分自身がおぞましい。
『ロイクはロイクよ』
いいや、今はそんなのどうでもいい。どうでもよくない。
『喰らえ』
彼女は硬直したまま大量の植物で自分の動きを阻害した。
己を巻き付けるのは木蔦や茨では無い。自分の身体をすっぽりと覆うほど巨大な樹木だった。
「アイビー何故!?」
目を合わせたまま、彼女はこちらに歩み寄り、動けなくなった自分の両頬に彼女の手が触れた。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。あぁまたその血を舐めたい。骨の髄までしゃぶりつきたい。
何故だ。何故彼女は今にも泣きそうな顔をしている。
「『私を見て、ロイク』」
言霊が相殺することで目の前にいる相手がフィアであることに気付いた瞬間、自分を取り巻く樹木が崩れ落ちる。
薬の効きが良すぎて気が狂った。自分の頬に平手を打つ。
「フィア、すまな」
「それが、ロイクの内側なんだね?」
「俺自身の感情じゃない」
これは白竜からの呪いだ。
「そっか。だからわたしの血が欲しくて仕方なかった」
「違う」
「うん。大丈夫。大丈夫よ」
この感覚に覚えがある。彼女がアイビーである時の人格、いや性格の切り替えか。しかし瞳の色だけで今の彼女がどちらなのかが判断できない。
背中から冷や汗が流れる中、彼女はこちらを見据えたまま口を開いた。
「『我が想い』」
旋律に乗せて詩を口ずさむ。この歌は赦しの詩の枕詞だ。
「待てフィア!!」
呪っていない時の赦しの詩はただの呪いだ。しかもこの儀式中にそんな事をされたらそれが上書きの内容になってしまう。
すぐに止めようと動くが意図も容易く避けられる。彼女は今も自分を見据えたまま。その動きは飛んでもいないのに鳥のように軽やかだった。
「『これは愛なりて憎しみにあらず』」
周囲の結界の色が全て白に変わる。この色は魔力の色だったのだと気付いた時にはもう遅かった。
魔法や体術で彼女の動きを止めようが、彼女は先回りしてそれを避ける。本人はこの空間はすでに彼女の領域で、自分がこれからどう動くかも把握できるのだろう。
負けを認めるつもりはないがこれ以上彼女を止めるのも無駄だ。
自分は親指に巻いていた包帯を解くとその指を嚙んで傷口を広げ、自分の血を地面に垂らした。
本当はこんなことしたくなかった。もし決着がつかなかった場合の最終手段として行うつもりだったが仕方ない。
「〈我が血と共にこの祈りを捧げよう〉」
「!?」
フィアの歌う旋律と言葉も違う。赦しの詩は相手に通じる言葉でないと効果が出ないと言われているが、この世界で話せる者は二人を除いてまずいないだろう。
これは自分がアセビだった頃に作った詩なのだから。
「『けれど永遠の愛は互いを苦しめた』」
「〈我が元にある此の力、我が主へ捧げよう〉」
種族が分かれて六千と五年。既に女神の頃から随分と言葉や文字は変化して古代の異物と変わってしまった。
フィアは自分が普段と違う言語で歌いだしたことに、一瞬驚いたようだがそれでも歌うことを止めない。対抗心を燃やしているのか意地でも自分を呪うつもりでいるのか。
呪いには代償が必要で今回は指から流した血がそれだ。地面に落ちた血痕も含めて血液が蒸発するように消えていく。
「『汝の悲嘆の声を聞き届けよう』」
「〈我らが主よ、どうか我の声を聞き届け給え〉」
旋律が違うのに詩が重なる。太鼓も無いのに拍子が揃ってしまうのは、彼女が今も舞うように歌っているせいか。
「〈執着の果てにこの血潮は〉」
「『清純の心が穢され友情に戻れなくとも』」
彼女の周囲から白い光が溢れる。血液だけではなく魔力まで代償にしているのなら彼女の体に悪影響を及ぼしかねない。
お願いだから止めてくれ。そう願えば願うほど彼女の歌声は伸びやかで美しく聞こえてくる。
つられて自分の歌が途切れそうになり、彼女から背を向ける。
「〈果てに汝を縛り付け〉」
「『死しても離れぬ危険な愛に絶望しようとも』」
それでも回り込んでフィアが自分の視界に入る。
声も聞こえるから耳を塞ごうにも彼女に手を取られる。しかも手を引いてくので目も閉じることも憚られる。
互いに歌い呪ってはまた歌って相殺していく。
彼女が拳を強く握れば握るほど左手の親指からも血が滲み、光と共にそれが消えていった。
「〈果てのない時を檻に閉じ込めた〉」
「『汝の犠牲や献身なくしてこの身非ず』」
魔法も使っていないのに自分の魔力すら削られていく。手を握られている自分もそれにつられて魔力が抜けていくのだ。
それでも彼女の詩で自分の詩が打ち消される。両手を握り返しお願いだから止めてくれと睨んでも彼女の顔は怯まずしかと自分を見据えていた。
「〈既に時は満ちた〉」
「『別れの悲しみを癒そう』」
魔力が吸われ立っているのもままならなくなり、そのまま地に膝を付く。フィアもつられて両膝を地に付けるが、意地なのか自分の手を離さなかった。
魔力が足りないのか彼女の肌から脂汗が出ている。今度は自分の腕から黒い竜の紋章から黒い光が霧散したかと思えば紋様が白く輝き始める。一体どこまで代償に使う気だ。
「〈この歪な愛を終わらせよう〉」
「『忠誠を捨て我に誠実であれ!』」
アセビが作った詩はここまでだがフィアの詩は続く。心なしか彼女の歌声に苦痛が混じるように聞こえた。
フィアの身体に白い竜の紋様が両手からみるみるうちに広がっていく。まさか自分の抱えている呪いを全て引き受けているのか。
手を離そうとするが彼女から離れられない。
『その力を手にした時、お主の身は黒く染るだろう』
かつての主の言葉が脳裏に過る。
陽と陰、優と無の概念。奪えばその力は反転する。
魔力の色は属性が交われば交わるほど白くなるが、たまに反転して黒に近付く者もいる。彼女が【命】の白なら自分は【虚】の黒なのだろう。それは直接力を受け継いでいたカタバミをはじめとした子供達も然り。
もしアセビがアイビーの肉体を全て喰らっていたらどんな色に染まっていただろう。アセビにとって唯一の落胤であるカタバミの髪の色が黒い理由が、魔力の影響だったのだとしたら。
もし今の自分がフィアの全てを取り込んだら――。
その行きつく先を想像し、これほどフィアを喰らわなくてよかったと安堵したことはない。
それでも血の香りが鼻腔をくすぐる。やはり自分の中には目の前にいるフィアを喰らいたくて仕方ない自分がいる。
だから自分は、この詩を歌う事でアイビーと主に赦しを乞いたかった。
白竜の命を達成出来なかったことと、アイビーに嘘を吐いていたことを。
「『そして二人で旅をしよう』」
だからここからは過去と決着をつける。
「〈だがその愛は我が心に消えず残るだろう〉!」
「!?っ、『この愛だけは不滅なり』」
しかし自分が彼女を愛した心は変えられない。
それは今まで自分を愛した者たちが居なければ尚のこと。
フィアの赦しの詩は互いの名前の花言葉を組み合わせた一般的なものだからある意味分かりやすい。
背を屈み一瞬フィアの口を塞ぐ。
「〈故に、主の魂を天に返す。そして――〉」
彼女が唖然としている隙に一小節歌い切ると、はっとした顔でまた顔を見上げてくる。
その自信に満ち溢れた顔にどうしても安堵してしまう自分がいる。既に自分が歌いきっていることにフィアは気付いているだろうか。
「〈この愛の名を〉」
「『この愛の名は』」
詩が揃う。最後の言葉は決まっていた。
「〈追想の愛と呼ぶ〉」
「『追想の愛なり』」
きぃんと金属がぶつかる音が響く。頭に響いているからか、ようやく離れた手で耳を塞いでも抑えられない。
しばらくするとその音が鎮まると、四方にある四つの焚火がすべて消えていることに気付く。
「ロイク……よかった……戻った……」
問い詰める前に当の本人は脱力しながらこちらに身体がのしかかってくる。何がとは言わないが顔に思い切り当たるから離れて欲しい。
「ロイクがのまれるかと思った……」
普段なら担ぎあげてでも退かすのだが、今は彼女を退かす体力すらない。
顔を捩り腕の隙間から除くが、辺りはすっかり暗闇に包まれていた。
周囲の火が消えたのだから儀式はここで終わりなはずだ。だから成功したと判断していいのだろうか。
ようやく体が離れたところで月明りが照らされ、目の前にいる彼女の顔がはっきりと見えてくる。
刹那、瞳から月を見る。
頬にまで広がっている白い竜に手を伸ばしたが、頬に触れた途端すぐにお互いの紋様はふっと霞のように消えた。
「消え、た……?」
フィアの唖然とした顔と瞳の中に同じ表情を浮かべた自分の顔がある。
すぐに手を見て握り拳を作ってみる。魔力が回復する感覚がある。
竜の力が自分の魔力を作る心臓と紐付いていると思っていたが、自分たちは一体何を代償にしたのか。
「ロイク、正気に戻った?」
「…………何の話だ」
「私を何かと見間違えてたよね」
「……間違いでは無いがその言い方は」
彼女の指には今も薄っすらと傷が残っているが彼女の血の香りに敏感に反応していない。自分の中から生まれた時から感じていた白竜の気配が消えていた。
「歌ったのはね、ロイクから黒い靄が出てたから、その靄を代償にして歌えば消えるって思ったからだよ」
「靄だと?」
自分には光は見えても靄は見えなかった。カタバミが魔力や命の概念を光や色で見ることができるように、フィアも呪いを可視化できるのだろうか。
(結局本来の目的は達成できなかったが……)
せっかく増えた魔力は元に戻ってしまったが、アセビにかかっていた白竜の呪いは消えた。
結局フィアの呪いの上書きは出来なかったがフィアを守る方法はいくらでもある。政治のことはターゲスが物理で何とかしてくれるだろう。
「……フィア、ありがとう」
「え、ロイク!?」
今は目の前にいる彼女を抱きしめることしか出来なかった。




