プロローグ
少年、八重垣 太陽は事故に会った。
世間では、大型連休の話で盛り上がり始めた頃だった。
居眠り運転のトラックが追突するという悲惨な事故だ。
半死半生…、否、生きているのが不思議なほどの怪我ではあった。
しかし、進歩し続けてきた医療技術によって、彼は一命を取りとめた。
しかし、その代償は小さくは無かった。
「半身不随…です、か。」
目覚めた彼に、医者は現実を伝えた。
事故の際、後方から撥ねられたらしく、背中…特に脊椎への被害は事の他大きかった。
手術によって神経そのものは繋がっている状態。
しかし、一度切れてしまった神経は、以前の様に、とはいかなかったようだ。
検査も行ったが、下肢、上肢はほぼ動かず。
胴にしても、僅かながらに反応があるのみ…という有様だった。
内臓などは、弱ってはいたが、生活には支障がない程度の損傷で済んでいた。
しかし、それは気休めにもならない程に、被害は大きかった。
そんな目に会っている割には、彼は落ち着いている方だっただろう。
(…まぁ、事故なんて、世界規模で見りゃ毎日起きてるんだし、僕だけ特別事故に会わない…なんてことはないとは思っていたけどね…。)
それでも、ショックではあった。
この春から親元を離れ、やっと一人暮らしにも、大学にも慣れたばかりだというのに。
気持ちの整理は、そう簡単に着く話ではなかった。
医者がリハビリや、今後の治療方針などを横で話していても、どこか上の空だ。
そんな中、彼がふと顔をあげ、医者の話に反応した。
「すいません。さっきの治療法の話、もう少し聞かせて下さい。」
医者が話していたのは、海外の研究機関が最近発表したばかりの治療法だ。
VR-NSD治療法。
発表された内容によると、VR…バーチャルリアリティーを利用したリハビリらしい。
VRは、基本的には脳波を感知して、脳に直接イメージや感触を送る。
その際に、一応機材によって少なくはされているが、神経も刺激しているのだ。
VR内で体を動かせば、それによって神経が刺激されていく。
それによって弱った神経を強化していく…そう言った治療法だ。
この治療法にも問題はある。
一つは機材の値段だろう。
出始めの頃よりは安くはなったVR機材だが、今でも中古の軽自動車程度には値が張る。
もう一つは、この治療法はまだ発表されて間が無い為、どの程度の効果があるか未知数であることだ。
「まぁ、あくまでこんな治療もある。程度と思ってもらった方が良いと思います。」
医者は苦笑交じりに彼に言った。
彼自身も、その治療を行えるとは思っていない。ただ。
(その治療法なら、治療と称して堂々と廃人プレイができるな。)
そんな、この状況の割に酷いことを考えていた。
それから数ヶ月後。
彼は意図せずしてVR-NSD治療法を受けることになった。
(どうしてこうなった…。)
彼は諦めにも似た、奇妙な可笑しさを感じていた。
両親が見舞いに来た際、医者から聞いたVR-NSD治療法の話をしたのだが。
その際彼の父が、『もしその治療が受けれるなら、やってみたいか?』と問いかけ、それに彼も『やれるなら、やってみたいね。』と答えたのだ。
彼の父親は、その研究機関にコネを持っていたらしい。
モニターになる代わりに、VR-NSD治療法に必要な機材を低額で貸与してもらい、また治療に適するほどのネット環境を病院に設置することまで、手配したのだ。
(まさか、こうも簡単に実現するとは…。)
勿論、彼が思っているほど簡単に事が進んだわけではない。
全ては、彼の父親が、彼を思えばこその結果であった。
そして彼だが、こうして呆れてこそいるが、それと同時に大いに楽しみでもあった。
VRゲーム、特にVRMMOには以前から興味はあった。
彼の周囲にも数人ではあったが、すでにVRMMOで遊んでいる人も居た。
また、彼の好きなゲーム雑誌にも良く特集を組まれていた。
できるなら、やってみたいとは思っていたのだ。
事前に、VRMMOでも治療に問題ないかは確認してある。
問題ない。むしろ好ましい。と、返答をもらっていた。
どうしても、病院内では少なくなり易いコミュニケーションを補いつつ、体を動かせる。
それによる回復の度合いも、モニターしたいらしい。
ゲームの種類は問われなかった。
そこで、彼は以前から気になっていたあるゲームをやりたいと申し出た。
ボックスガーデン・オンライン。
彼の知人や、雑誌の中で、β版のプレイ感想がよく話題になっていた。
最新のVRによって、ほぼ現実に近い環境で遊ぶことが出来る。
プレイの自由度もかなり幅広い。
治療を開始する予定日が、ちょうどその本サービス開始日なのだ。
これ幸いと、そのゲームをやることにしたのだ。
事前にVR機材の方にはダウンロードしてもらっているので、当日キャラクターを作成すれば、即ログインできるだろう。
(そうだな…せっかくファンタジーなゲームを始めるなら、魔法職をやってみたいな。)
準備が進む病室で、ニヤニヤしながらゲームに想いを馳せる彼の姿があった。
そして当日。すでに環境は整い、彼がキャラクターを登録するだけなのだが…。
(…長いよ!)
彼は登録用のインフォメーションを、未だに読み終えてなった。
VRはその技術が進む一方、その技術を危険視する意見も多い。
戦時利用や、犯罪行為。またはそれに準ずる行為。
VRを使えば、それらが低いリスクで行えてしまう。
それらの責任を回避する為に、VRゲームのほとんどが、規約事項を多く盛り込んでいる。
内容は大したものではないのだが、彼は一応全てに目を通していた。
結果として、キャラクター作成に漕ぎ着けるまで3時間ほど掛かっていた。
次いで、世界観の説明、キャラクターの種類や、ゲームの目標など。
長い話に彼は疲れ切っていた。
(…お?やっと画面切り替わった?)
ようやく、インフォメーションの内容を見終わった。
ここまでで、すでに4時間。
キャラクター作成をさっさと終わらせて、ログインしよう。
彼はそう考えて、視線と口の動きで操作できる端末で、キャラクターの設定を急いだ。
最初の設定はキャラクターの名前だった。
そこは迷いなく、名前を入力していく。
キャラクターの名前は、すでに決まっている。
ステラ。
恒星の意味を持つこの言葉が気に入り、ずいぶん前からゲームのキャラクター名はこればかりにしている。
今回も、そのまま使う事を決めていた。
次に選ぶのは種族。
このゲームでは人間であるヒューマン以外にも、他種族がキャラクターとして選ぶことが出来る。
有名な種族であるドワーフ、エルフ以外の種族は三種。
竜の加護を持ち、高い筋力と魔力が特徴のドラゴニュート。
水辺に住み、陸上でも活動は可能だが、水中で最も力を発する種族、マーメイド。
小さい体格で、高い器用度と生産スキルが特徴のホビット。
これらの中から自分で選ぶことになる。
彼は無難に、ヒューマンを選んでいたが。
次いで決めるのはクラス…ゲーム内での職だ。
最も、これは選択式ではなく、ランダムなのだが。
選ばれたクラスとは別に、追加のスキルもランダムに付与される様だ。
種族とクラスによって、ステータスは変動する様だ。
(まぁ、これは魔法職っぽければそれでいいかな?)
そこで早速クラスを確認する。
【セージ】
クラスステータス補正:知力値+3
基本スキル:【調査】【再現】
追加スキル:【地魔術】
備考:賢者と呼ばれるクラス。豊富な知識と、調査した魔物のスキルを以て戦闘を支援する。
説明を読みながらわずかに逡巡する。
(賢者?雑誌では無かったクラスだな…でもカッコよさそうだし、魔法職っぽいからこれでいいか!)
画面下部に表示されたYESをすぐに選択する。
その表示の上にはステータスを確認する項目もあったのだが、確認はしなかった。
確認していれば、この選択は無かっただろうが。
次の項目は見た目の設定だった。
しかし、この項目を開いた瞬間、彼は軽いめまいを覚えた。
(…多い!多すぎるでしょこれ?!)
その原因は見た目を設定する項目の多さだ。
身長、肌の色、瞳の色、髪の長さなど、果ては声の質などまで。
項目の数はおおよそ100程あり、その一つの項目にしても、多くの選択肢があるのだ。
(確かに雑誌で、見た目は自分のお好みで、こだわった見た目に出来ます。とは書いてあったけど…。)
雑誌の特集の中では省略して紹介されていた為、ここまでとは考えていなかった。
何か簡単に済ませられないかと、画面上部に目を向ける。
そこには、【適正設定】の文字が見えた。
何だろうと、項目のヘルプを呼び出して確認してみる。
ヘルプによると、ステータスや種族から、最適化された見た目を、自動に選んでくれるようだ。
(なんだ!これで設定すれば楽に設定できるんだ!)
彼は嬉々として、【適正設定】の項目を選び、画面下部のYESを選ぶ。
見た目を確認することも出来たが、やはり確認はしなかった。
ここまでに時間がかかったからであろう。彼はかなり焦ってしまっていた。
最後の確認とばかりに、インフォメーションが表示される。
≪こちらの設定で本当にかまいませんか?≫
彼は迷いなく、YESの選択をする。
端末のヘッドセットを除けてもらいながら、彼は少し感動していた。
(やっと!やっとゲームを始められるよ!)
元々、入院生活で娯楽が少ないこともあった。
彼のゲームへの期待は、最早ちょっとやそっとの事では陰りもしない。
早速、看護婦にVRギアの装着と起動を頼む。
時刻は午後7時15分。
ゲーム内の時間は、現実の時間と12時間違う。
今ログインすれば午前7時15分となるだろう。
早速ゲーム世界にログインするべく、装着されるギアの調子を確認する。
ログアウトした際には、ギアから直接ナースコールが行くよう、改造が成されている。
夜間でも、VR使用の許可も出ている。
後顧の憂いはなく、彼はゲームの世界へ旅経つことにした。
彼が最初に感じたのはまぶしい光だ。
少し瞬きをすれば、視界はクリアになっていく。
「う…わぁぁ…。」
彼は自身の周りの様子を確認すると、声を漏らす。
そこは、広大な草原だった。
視界の左手、少し離れた場所に森も見えているが、それ以外は草原しか今は見えない。
そよぐ風、流れていく雲。
これらが仮想空間とは思えない精巧さで再現されている。
ひとしきり景色を確認した後、彼は自分の体の異変…いや、回復に気付く。
そう。足が地面についている。
手も、自身が思うように動いている。
「おおおおぉぉぉお!」
感動の声を漏らし、次いで彼が取った行動は、走ることだった。
久しぶりに動かす体。
仮想空間の中とはいえ、その久しぶりの感触に、喜びを隠さず走り回る。
「ははは!あははは!」
時間にして1分くらいだが、彼は走り回った。
その歩みを止めたのは、クスクスと笑う声が聞こえたからだ。
誰かが、彼を見て笑っていた。
綺麗な女性であった。
金髪の様だが、毛先に進むにしたがって、薄くグリーンがかっている長い髪。
その髪は後ろで束ね、後頭部でお団子状にして纏めている。
瞳の色は深い碧。
肌は白磁の様に白かった。
着ている服は簡素な貫頭衣。
白いその衣装には、所々十字をあしらった刻印が見られる。
その耳が軽く尖っていることで、種族がエルフだろうことはすぐに理解できた。
「あら?ごめんなさい。あんまり楽しそうだったから、見とれちゃってたわ。」
未だクスクスと笑いながら声を掛けられ、自分の行動を思い返して少し恥ずかしくなったらしい。
顔を赤らめながら、彼は彼女の頭上に目を向ける。
そこには、矢印の様なマーカーが浮かんでいる。
色は白、矢印の上の形は十字であった。
このマーカーは色や形で、相手の情報が簡単にではあるが、分かるようになっている。
白はプレイヤー、黄色はNPC、赤なら敵性NPCだ。
また、矢印の上が十字ならアコライト…下位聖職者を意味する。
剣ならファイター、弓ならハンター…と、マーカーを確認すれば、軽い情報は分かる様になっている。
更にマーカーを【識別】すれば、もう少し詳しい情報が分かる。
プレイヤー:【クイント】
種族:【エルフ】
クラス:【アコライト】
レベル:1
「えっと…クイントさん?初めまして。」
「えぇ、初めまして。」
彼女は笑顔で答えながら、彼の頭上を見ている。
恐らく、マーカーを確認しているのだろう。
そう思った直後に、彼は僅かな違和感を覚えた。
彼女の身長は、恐らく160センチ程だろう。
しかし今、自分は彼女と視線がほぼ同じではないか?
いや、僅かに下に感じる?
疑問に答えが出る前に、彼女、クイントが話し始めた。
「このマーカー、セージだったのね。セージで始めた人初めて見たから、分かんなかったわ。」
そこで一度言葉を切り、こちらに向き直ったクイント。
その顔は、少し複雑な表情をしていた。
「不遇職って噂なセージで始めるって、すごい勇気ね。」
「え?」
その一言に、一瞬だが思考が停止する。
(…セージが、不遇職?…え?)
「…もしかして、知らなかったの?」
クイントは彼の様子を見て、どうやら事情を悟ったらしい。
そしてその質問に、彼はただ頷く事だけで答える。
「うーん…。そこは自分で掲示板とか見た方が分かりやすいと思うから、私は何とも言わないでおくわ。」
クイントは、苦笑交じりに言う。
と、彼女は何かに気付いたように顔を上げ、視線を左右へ動かし始めた。
どうやら、何かメッセージを受け取ったらしい。
暫く確認していた視線は、程なく彼に向き直った。
「私は先に進むけど、もしどこかで会ったらまたよろしくね?頑張ってね。ステラちゃん。」
手をひらひらと振ると、踵を返し、彼女は去っていく。
(…ちゃん?)
彼女の言葉に再び違和感。
見た限り、彼女の年齢は自分とあまり変わらないと思った。
その相手に、『ちゃん』と呼ばれる。
何かが、おかしい。
「あ、ちょ…。」
声を掛けようとして、再び違和感。
自身の声だ。
今まで浮かれていて気付かなかったが、かなりハスキーな声に聞こえる。
「あ、あ、あ~。」
声を出して確かめる。
やはり、思っていたより高い声。
なにか、自分は致命的なミスをしてしまっている気がする。
(…確か、自分の見た目も、ステータス画面で確認できるって…。)
視線を右上に向けると、メニュバーが表示される。
その項目からステータス欄を呼び出し、確認する。
プレイヤー:【ステラ】
種族:【ヒューマン】
クラス:【セージ】
レベル:1
筋力値:12
器用値:10
敏捷値:12
体力値:10
知力値:27(内、クラス補正+3)
精神値:14
幸運値:12
スキル:【識別】【鑑定】【調査】【再現】【地魔術】
ステータス画面の横に、自分のアバターの姿が映っていた。
「…あぁぁぁあぁぁぁ…。」
現実を確認し、彼は頭を抱えた。
姿はセージの初期装備であるローブ姿であり、中性的…。
性別を判断するには顔を見るしかない訳だが、肩口まで伸びた髪が緩く内側に巻いている。
顔は整っているが、凛々しいというよりは、可愛らしい。
何よりも、身長だろう。
ステータス画面に映るアバターの上部には|『150』の数字が見える。
仮想ウィンドウには、幼く見える少女の様な姿が映し出されていた…。




