ファイナル・アイドル・オーバーキルPart4
⑰
オール・ヒロイン・アタック・フェス開催決定!
日時:八月十日(日) 開場 午前八時 開演 午前十時
会場:第一層円ビル前特設アリーナ
チケット代:全ステージ無料
出演者:ヒロインクラスオールメンバー&オニユリ
その告知は、衝撃をもって世間を駆け巡った。第一層円ビルはヒロインクラスの本拠地であり、そこにオニユリを招いての大規模フェス。しかもチケットは無料。
前回のイベントで成せなかったオニユリの公開処刑を今度こそ成功させ、その様子を大衆に晒す。そんな気概にあふれた告知。
「よーやく本腰を上げちゃったみたいね。円ビルに召集ってことは、本気中の本気ってことよね」
朝方の日課であるゴミ漁りに出向いていたランコとアキラが、告知ポスターの前で足を止めて、何度もその文面を目で追っている。
「これまで全然動きを見せなかったのは、この準備の為ってわけだな。多分、前回のとは本気の度合いが違うだろうよ」
「そうじゃなきゃねー。それに、あたしたちだって常に準備運動はしてたでしょ?いいよね、この感じ。対決って感じで」
ランコは心底楽しそうな笑みを浮かべて、ステップがちに歩き始め、アキラはランコが忘れたゴミ袋を拾上げて、背中に朝日を浴びつつ足を進めた。
フェス開催まであと約一か月。さて、気を引き締めよう、という雰囲気にはなるが、何をするにしても、今まで通りにするしかないので、今まで通りに、人々の怒りを煽り続けるオニユリ。
というわけで、今夜も湧き立つゲリラライブ。
『みんな、あの告知は知ってるでしょ?とーぜん、見に来るのよね?もし来なかったら、みんなの家まで行って、引きずり出しちゃうからさ』
「見に行ってやるよ!お前らの最期だっ」
「お前らがどんな無様晒すのか、今から楽しみでさぁ!」
もはや常連と言ってもいい男たちが、常と同じく罵声を上げる。それにしても楽しげに。
『ねぇ、ちょっと聞いてもいい?えーと、前にいつもいる、肥えた人と息の臭そうな人』
呼ばれた二人は、きっと自覚があるのだろう。直ぐに反応した。もちろん怒声。
『あんたらはさ、フェス当日、あたしらとヒロインクラス、どっちを楽しみにしちゃってんの?』
「は?アホかよ。お前らを楽しみにしてる人間が一人でもいると思うか?」
『ふ~ん。でもさ、ヒロインクラスの前だと、暴れることなんてできないし、罵声も出せないわよ。精々、みんなと動きを合わせた、アホみたいなお決まりのアクションしかできないのよ?』
「……あ?」
『あれってさ、ステージ上から操られちゃってんのよね。それで楽しけりゃ、別にどうでもいいんだけど。あんたらみたいに、連日好き勝手で衝動的に動き回ってた人たちが、今更そんなノリに合わせられんのかな?とか思っちゃってさ』
「「……」」
二人は黙り込んだし、他の者たちもざわついている。
『もちろん、好きにすりゃいいのよ。アイラやらメメとかいう連中に踊らされるか、自分たちが思うまま、衝動的になるか。ねぇ、こんな風にさ!』
そのまま、畳みかけるように曲が流れ出し、衝動的な高速ビートが弾き出される。集まった者たちは、戸惑いを抱えつつも、段々とビートに乗り始め、手を足を動かし始める。ランコたちの叫びと、客たちの怒声が湧き上がって、騒乱が生まれる。いつもの夜。
「ねーえ?それにしてもヒロインちゃんたちも芸が無いと思わない?」
今夜のゲリラステージを終えて、ピュアラブで一休みするオニユリたち。缶ビールを次々と空けて、誰よりも休息を楽しんでいるライムが、ふとそんな事を言った。
「フェス開催とか言ってるけど、要するに前回のイベントをもうちょいと大きい規模でやるってだけでしょ?アウェイであたしらの気持ちを折ろうとかって魂胆でさ」
「そうね。まぁ確かに方法自体は殆ど一緒かもしれないわ。でも……」
モモヨがカウンターの奥で洗い物をしているレーコに視線を向けると、彼女は小さく息を吐き、持っていたグラスを置いた。
「方法が似ていたとしても、内容と目的は前回とは違うかもね。恐らく今回は、エイリの意向が濃く反映されてると思うわ。あいつの性格を考えると、アウェイであんたらの心を折るとか、そんな生易しいことじゃ済ませないはずよ」
「レーコさんの言う通りよ。心とか気持ちとかじゃなくて、私たちを物理的にへし折るとか押し潰すとか、そういう目論見があってもおかしくないってのよ」
レーコに同調するモモヨは真顔。顔面マッサージをしているのは手癖。
「え、えぇ~……。そこまでするの?じゃあフェスは、ものの喩えとかじゃなく、マジもんの公開処刑ってこと?」
「まぁ、ヒロインクラスは今やこの国の中枢みたいなもんだしね。小人を、それも下層のスラムの住人を反逆者として粛清するのなんて、そりゃもう朝飯前でしょ」
「うっへぇ~。いやぁ。怖い怖い」
などと言いながらも、ライムはヘラヘラと笑いながら、常と同じくビールを飲む。
「フッ、アハハッ。笑えるわ。人間如きが悪魔を粛清なんてさ」
このように、ハデスも通常通り。そんなやり取りを、鼻で笑う軽さで、ランコが口を挟む。
「向こうがどう出ようと、あたしたちはあたしたちで好き勝手にやっちゃうだけよ。でっしょ?アキラ」
やはり今夜も傷を負ったアキラが、絆創膏を貼りながら、浮かない顔を上げる。
「そうだな。そりゃそうするしかねーよ。ハハッ、この流れだと、その日が俺の命日になるのかもしれんけどよ」
冗談めかして言うが、あながち冗談ではないかもな、とアキラの目は笑っていない。
「うん……まぁそうなったら、ちゃんと骨だけでも故郷に帰すよう手を尽くすから、そこは安心しちゃってもいいよ」
などと、死後のフォローを約束されたアキラは、投げやりに「わぁ、そりゃ安心」と、棒読みで呟いた。
そんな時、店内に小さく音が響いた。それはこの店においてはとても珍しい音。ドアノック。この店に入る者にノックをするという習慣は無く、大体が勢いよく叩き付けるように開けられるもので。
「んん?」
レーコもランコたちも違和感を覚えながら、入口のドアを見つめた。
「営業はしてないけど……どーぞ」
レーコの呼びかけに応じ、ドアはゆっくりと丁寧に開かれ、そして閉められた。
「こんばんは、オニユリの皆さん」
一瞬、清らかな風が吹いた気がする。あまりにも唐突だった。清風アイラ、登場。ランコたちは「なっ」という具合に固まった。
「それと初めまして、純恋レーコさん。私、ヒロインクラスの清風アイラと申します」
アイラは礼節を知る者としてレーコにお辞儀をし、挨拶をする。レーコはランコたちと違い、動揺はせずに落ち着き払って対応する。大人的に。
「初めまして、ね。トップアイドル自ら訪問とは恐れ入るわ。ま、テキトーに座ってね」
そう促され、アイラはカウンター席に座り、差し出されたアイスコーヒーを一口飲んで、店内を見渡している。
「それで、どういった用事?この子らの摘発にでも来たとか?」
「いえ、それをするのならとっくにしてますよ。ポリスクラスにはオニユリ関連には手出し無用の令を出してますし。ここに来たのは、私個人の用事……というか要望ですよ」
「あなた個人の?」
「はい。まず、エイリさんが未だ意識し続けている、純恋レーコという存在に、とても興味がありまして」
そう言って、アイラは真っ直ぐにレーコを見つめる。まるで何かを計るかのようにじっくりと。レーコはというと、そんな視線は全く意に介さずに、軽く吐息を漏らす。
「エイリが未だに私を?……意外と過去に拘ってんのね。そのエイリは元気なの?もう十年以上、生の姿を世間に晒してないけどさ」
「元気というか、きっとレーコさんからしても私からしても、相変わらずな様子だと思います。あの人はきっと永遠に変わらない」
「永遠ねぇ……。それは哀れね」
そんなレーコの同情に、アイラは少しばかり不快感を表情で示した。
「それよりもやっぱり」
アイラは視線からレーコを外し、首を回してランコを見つける。
「ねぇ、ランコちゃん。これから私とお話をしない?外を歩きながらさ」
「……うん、いいよ」
レーコの申し出とランコの承諾に、他のオニユリたちは戸惑う。
「ちょっとランコ。不用心すぎじゃない?」
「そのまま収容所に連れてかれても知らないわよ」
そんな心配の声を、ランコは「まぁ大丈夫でしょ」という軽い言葉で流して、椅子から腰を上げた。
「あと、そちらのプロデューサー?さん。えぇと、明川アキラさんでしたっけ?」
「え?俺?」
「そう。あなたも一緒に来てくれないかな?お二人と話がしたくてね」
「まぁ、うん、いいけど」
アキラもまた直ぐに承諾した。モモヨたちは心配そうな目をしているが、アキラは不思議と不安も不審も無かった。完全に敵である清風アイラの言葉は、今においては敵意も悪意も感じない。
「というわけでレーコさん、お二人をお借りしますね」
「どーぞ。ちゃんと返してね」
「はいっ、もちろん」
とても爽やかな返事だった。
夜九時三十分を回りました夜の盛り。下層のスラムには、今日一日穴を掘ったり、穴を埋めたり、道路を壊したり、道路を作ったりした労働者たちが帰還し、今日稼いた金をさっそく酒に変えている。特に何もしていなかった者たちもお零れにあずかろうと酒場に集結。
路上に撒き散らされているゴミや、吐き散らされている吐瀉物。路地裏はどうやら満員だったらしく、表通りの路上で、堂々と立小便や嘔吐。宿場の前ではオッサンのようなオバハンにしがみついて口づけせがむ赤ら顔のオッサン。
最低である。やはり痰壺街。羞恥という概念がすっぽり抜け落ちたこの街。しかしながら、清風アイラは嫌悪感を抱いていないのか、うっすらと朗らかな笑みすら浮かべている。
「はは……。活気の良さは、上層よりも上よね」
そんなアイラの反応を、意外そうな顔でランコは見つめる。
「へぇ。結構平気なんだね。てっきりこの有様に耐え切れずに逃げ出すものかと」
「まぁ、確かに酷い有様だと思うよ。最低最悪な街。でも、私もここの出身だから、そんなのも懐かしくてさ」
「「えっ」」
アキラとランコは同時に驚いた。足も止まった。少し前を歩いていたアイラがそれに気が付き後ろを振り向く。
「超意外なんだけど……。てっきり二層あたりの上流階級の人だと」
「あら。フフッ」
大人びた笑みで、語られ始める昔語り。
「父子家庭でさ。父さんはこの辺りで、壁やガラスの修繕屋をしてたわ。まぁ、依頼を受ける為に、ひっそりと自分で対象の家のガラスを割ってたりしてたのがバレて捕まっちゃたけど。その後はどうなったのやら……」
「その辺にいるんじゃないの?酔っ払ったオッサンなんて、顔の見分けがつくもんじゃないけどさ」
「かもね。まぁそれは別にいいのよ。ランコちゃんはどう思う?現在進行形で、ここに暮らす女の子として、この街はどんな感じ?」
問われて、周囲を見渡すランコ。品性というものを一切欠いた街。下品な活気だけが溢れに溢れた夜。
「んー。いいんじゃない?こういう酔っ払いとか、ゲロとか、生ゴミとか、そういうのって人の営みを感じちゃう。生活が溢れてんのね、ってさ」
「人の営み……か」
アイラは、郷愁的な表情で周囲を見つめた後、上を見上げるのだった。
三人が足を止めたのは、スラムの酒場を抜けて、人気の失せた工事現場。そこは、高架道路を建造中であるのだが、その工事はもう十年近く止まったまま。かつて上層に直通する高速道路を作ろうとしていたのだが、そんなものを利用する者が最下層にはいないという事が判明し、凍結された次第。
三人は立ち入り禁止の看板を易々と乗り超えて、断絶された道路の上に立った。
「ナハハッ予想的中!ここに来ると思ったわ」
ランコが勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
「へぇ?まぁ私にとって、ここは昔一番好きだった場所だからね。ランコちゃんもそうなんじゃない?」
「好き……か。そうかも。ここは、下層全体を見渡せちゃうからさ」
「なるほど。私は、ここから上を見上げるのが好きだったのよ」
ランコが見下ろした景色。大したものでない。そもそも暗くてよく見えず、街灯が疎らに灯った、景色とも呼べない、しょぼい曇り夜空のようなもの。
アイラが見上げた景色。それは栄華。あるいは映画。夜において、光ない下層の上にそびえる上層の夜景は、まるで宙に浮く光の要塞。そういうファンタジック。
「かつてここに立って、いつかあの場所であの光になってやる。そう思ったものね」
遠い目をしたアイラは語り始めた。
「ずっと見上げてるだけじゃ我慢できず、上層へ物資を運ぶトラックの荷台に潜り込んで、冒険したことがあってさ……。その時見たのよ、ヒロインクラスのパレード。その中心。絶対的な存在感。光を放つ我真アイラの姿を」
語るアイラの目は恍惚にすら至ろうとするうっとり加減。
「自分もそこに居られれば……。願望というものを始めて意識した瞬間だったのかもね」
「それで願い叶って、ヒロインクラスのトップになってるんだから、大したもんじゃない?」
「トップ?それはエイリさんよ。今も昔もね。私はセンターではあっても、トップになるつもりは無いし。ただただアイドルになりたかった。つまり、ヒロインクラスにさ。ねぇ、アイドルの条件って何だと思う?」
問われたランコは、黙って考える。というか考えるふりをしている。アイドルの条件など考えたことも無いので、とりあえず自分たちを顧みて
「う~ん?……うん、とにかく騒ぎ立てて目立つこと?」
「そんなわけないだろ、そりゃただの目立ちたがり屋のアホだ」
素早く反応したのは、アキラだった。そんな様子を見たアイラは「じゃあ」と、アキラに視線を向けた。
「アキラさんには分かる?アイドルの条件……」
「まぁよ。同じ質問をレーコさんにもされたな、そういや。華やかで、人を強烈に惹きつける……ようは〝憧れ〟だよ。アイドルってのはあらゆる面で憧れの対象なんだ。そして……」
「いつか自分が憧れたアイドルの様に、今度は自分が誰かに憧れられるようなアイドルになる」
アキラの言葉を途中で遮り、アイラが続けた。
「その通りね、アキラさん。ねぇランコちゃん、あなたにその〝憧れ〟はある?」
「憧れ?いや、無いけど」
涼しい顔して、即答の否定。
「だったらあなたはアイドルになるべきじゃないわ。憧れを持たないあなたがアイドルを目指してるのなら、それは侮辱以外の何物でも」
「そりゃーどうだろうな」
さっきのお返しとばかりに、今度はアキラがアイラの言葉を遮った。
「〝憧れ〟ってのは、確かに重要な条件だと思うよ。そして、このランコも、他の三人にしても、どいつもこいつも〝憧れ〟って言葉には無縁さ。アル中だったり、悪魔主義者だったり、夢見る頃が過ぎてたりよ。本来、アイドルには程遠い存在だし、むしろ真逆な存在かもな」
「そうよ。アイドル性皆無。話にならないわ」
「俺はむしろ、そこに可能性を感じてるよ。今まであった憧れの連鎖とは違う所から湧いて出てきた奴ら。そいつらを起点にして、また別の憧れの連鎖が生まれる。あんたらヒロインクラスは、それを恐れてんじゃないか?あんたも、我真エイリも」
アキラは毅然とした態度で、アイラに臨む。そんないつになくシリアスなアキラを横からランコはじっと見つめていた。
「ヒロインクラスに恐れるものは何も無い。それにエイリさんは楽しんでるみたいだったわ」
些か挑発的だったアキラの物言いだったが、アイラはいたって冷静に、余裕綽々に、冷笑と共に反論した。
「憧れとか、連鎖とか、よく分かんないけどさ。ようは、あたしらが気に入らないんでしょ?恐れないとか言っちゃってるけど、意識はしちゃってんのよね。だったら、少しはあたしらのしてることも意味があるってもんよ」
ランコのやはり挑発的な笑みと言動に、アイラはフフッと笑って返す。
「意味は無いわ。アキラさんがどんな可能性を感じてても、ランコちゃんたちがどれだけ大衆に怒りを伝染させようとしても、結局のところ私たちが、あなたたちを完全排除するという結末になるもの」
アイラは淀みなく言い切った。そしてこのまま言葉を続ける。
「今日はこれを聞きたかったんだけどさ。万が一、あなたたちがヒロインクラス打倒を成したとしたら、その後はどうするつもり?」
「さぁ?特に考えてないけど。なるようになればいいんじゃない?」
「……そっか。ヒロインクラスはこの国の中心、中枢。それを打ち倒した後に訪れる、全体の崩壊について考えたことは無いの?」
「無いっ」
ランコは淀みなく言い切った。
「そう……よく分かったわ。よーくね。もし、あなたたちが私たちのやり方とか体制に対して不満を持ってて、何か意見したいというのなら、それを聞いてもいいかなと思ってたけど、どうやらただのその場のノリみたいね。一時の感情とか。考え足らずとか。アキラさんはどう?上京者の意見には興味があるんだけど」
「俺?俺が見たいのはアイドルだよ。そいつはエンターテインメントってやつで、国の中枢とか体制とか、そんなんじゃない。あんたらは逸脱しちまってんのさ」
アイラは冷笑を浮かべてため息をついた。やれやれこのアホどもは、という具合。
「残念だけど、やっぱりあなたたちは私たちに駆逐されるしかないわ。抑圧から生まれた反発。それをまた抑圧する。天上者の務めとして!……そうでしょう?エイリさん」
突然上を向いてエイリに呼びかけるので、上空から絶対アイドル我真エイリの登場か、と息を呑んで上を向いたアキラだったが……
眩さに視界が奪われた。騒々しいプロペラ音に鼓膜が震わされた。ヘリコプターが降りてきた。
断絶された道路の先端近くまで降りてきたヘリはドアを開けて、アイラは軽快な足取りで跳び乗った。
「あとひと月……。あなたたちがやるべきことは、今以上に大衆の怒りを買う事。そしてその怒りを、フェスにそのまま持ち込むこと。それを成した上で……」
まだアイラ何か言っているが、プロペラの音がうるさ過ぎて、何を言っているのか二人には全く聞こえていない。そして最後に不敵な笑みを見せた後、アイラを乗せたヘリコプターは上層へと飛び去って行ったのだった。
「で、何が言いたかったの?」
「何?って……そりゃお前、あんたらムカつくわ、ってよ」
⑱
八月。盛夏というやつ。躁状態の太陽光線が上層のハイソサイエティに注がれて、向日葵が咲き誇れば、人々は肌を焼き、暑さに浮かれる。下層のスラムにおいては、太陽光線が遮られ、ただ暑さと湿気だけが届けられまして、人々は生きながらに腐り始める。そんな季節。
「いよいよ明日、えーと何だっけ?オールアイドル総進撃?」
「オール・ヒロイン・アタック・フェス、でしょ」
「そーそ。いよいよ明日それなんだけどさ」
ランコたち、オニユリの面々は、本日のアイドル活動を終えて、日が落ちたスラムを歩きながら駄弁っている。
「あたしらの出番っていつ頃なの?」
首を傾げるランコは、誰に聞いていいのか分からずに、とりあえずプロデューサーに視線を向けた。
「それが、俺もいろいろ調べたんだけど、全然情報が無いんだよ。フライヤーとか見ても、午前十時開演としか書いてないし、タイムテーブルも発表されてないしでな」
「来るならいつでも来い……というわけよ」
モモヨが、物知った風に言った。
「これまで散々、ゲリラ的に活動してきた私たちでしょ?だったら、明日もその感じでかかって来い。連中はきっとそんな事を考えてんのよ」
「ははーん。なるほど。んじゃ、そうさせてもらっちゃいましょ。きっとあたしらを待ってる連中もいるだろうし……どーしょっかな。期待に応えて早々に出てやるか、いやいやそこはあたしららしく、じらしにじらして連中のムカつきを貯め込ませて、一気に爆発とか……あぁいいねそれ、それいい感じ。ねえ、そうしちゃおーよ」
ランコは上機嫌にべらべらと喋り、ハデスやライムも「いーんじゃない」と、気分上々な口調で賛同する。
「それにしても、この二カ月ほど、あまりにも何も無かったのが気になるわ。アイラが来たなんてことはあったけど」
モモヨは一人、気分を浮かれさせずにシリアス。
「ねぇランコ。あの夜、あの子は何をしに来たの?今まであんたが何も言わないから、敢えて聞きもしなかったけど」
「え?何だったっけ?確か、お前らムカつくとか、調子に乗んなよとか、そんな感じ……だったよね?」
確認を促されたアキラは「要約すれば多分そんな感じ」と、軽く返した。モモヨはそんな風に軽い気持ちにはなれないが、いろいろ考えた所で何もしようがないので「へー」とやはり軽く返事をした。
軽い。このところ気分が軽いというのをランコたちは自覚していた。軽すぎて宙に浮いちゃいそう、なんて事は言わなかったが、浮足立っているのは共通認識。
「……とりあえず、明日十時に開演なら、それに合わせて会場に集合でいいな。いつステージに出るのかは様子を見つつ考えりゃいいか」
何ていい加減なスケジュールだ、と思いながらもアキラは皆にそう伝えると、各自気の無い返事をして、其々の寝床へと帰って行った。
ランコたちが夜のスラムで浮ついている頃、第一層の円ビル周辺、明日のオール・ヒロイン・アタック・フェス会場のメインステージ上で、清風アイラが一人佇み、瞑想でもしているのか、目を閉じている。照明一つ無い物音一つしないステージの上。完全な静寂の中、背後から引きずるような足音が聞こえて、目を開いた。
肩で息をしている來生メメが背後にいた。
「試しにとはいえ、初めて使ったけど……。凄いわね、ZONE。超快感だけど、超消耗するわ」
「そうでしょ?ゾーン・オブ・ナチュラル・エモーショナル。ありのままの感情を表現して、それを実現させる。精神がハイになる代わりに、肉体の消耗は普段の活動の三倍か四倍か五倍か……よく分からないけど、とにかくキツイ」
喋っている内に、やはり疲れ切った様子の姫井メイも現れた。
「あんたは使ったことがあるんだっけ?」
「えぇ。エイリさんに希望されて、ね。あの時は確か吐いたかな。目が回っちゃってさ。不思議な感覚だった。自分が自分の感情を追いかけてるようなさ。今はもう慣れたけど。ところで……」
アイラは十秒ほど待ったが、暗がりのバックステージからはもう誰も現れなかった。
「ヒナミとキクはお手上げだってさ。メローンは興味無いなぁ~とかいって、もう寝ちゃった」
「そっか。あの二人にはまだ早過ぎただろうし、メロンちゃんは多分そう言うだろうと思ってた。とするならば……」
その時、照明が一つだけ点いて、ステージの一点を照らし出した。するとそこに、まるで光と共に現れたかの如く、少女が一人立っていた。
色白で、純白のワンピースを纏い、柔らかなクリーム色の髪をした少女。
「私在るところに光あり。この闇夜にも、私が存在するのなら、こう言いましょう、光あれ、と!」
高らかにそう言うと、全ての照明が光を放ち、ステージを光が包んだ。
「ったく、あんたね、こんな時間までスタッフをこき使うもんじゃないわよ」
腰に手を当てて、ため息をつくメメに、少女は涼しい顔を向ける。
「何を言いますか、メメ。全ては皆が望んだこと。暗闇を照らし出す光を欲するのは、人として当然のこと。今ステージを照らし出したこの光は、労働の結果などではなく、人々の願いの結実。私にここに居て欲しいという」
「さすがね。その様子だと、ZONEとの相性は抜群だったみたいね、神堂アテネ」
名を呼ばれた少女アテネは、名を呼んだアイラに視線を向けて、一度会釈をした。
「はい。とても素晴らしく神聖な体験でしたよ、アイラ」
「ならば、あなたも明日のメインメンバーに入ってもらうけれど……いいかな?」
「正直……気乗りはしないのです、アイラ。確かに私という光は、闇夜を照らし、人民の未来を指し示す役割を担うでしょう。しかし、隠されたもの、例えば排水溝に詰まった生ゴミや、腐り果てた果実などを照らし出し、人々に不快感を与えるのはどうかと思うのです」
「そうね。いや……うん、そうね。とりあえず、そうだとして。いまゴミが排水溝から溢れ返っていて、それは嫌でも人目についてしまう。じゃあさ、それを排除するのも、先導者の役割というものじゃない?それとも、聖なる者としては、汚れものには手を触れたくないの?」
アイラは、少しばかり険しい表情で、アテネに聖者の在り方を問う。
「なるほどです、アイラ。それは一理ありますね。少し乗り気になりました。それに、一つ思い出したんですよ、私」
「うん?何を?」
「あちらに、魔を称するものがいるという事を、です。あの不敬で不快な姿を、これ以上衆目に晒すわけにいけませんものね」
アテネはにっこり笑った。アイラはニコッと笑った。というわけで、神堂アテネの参入が決まる。その横で、メメとメイは少しばかり苦い表情をしていた。
「あー、まぁアテネはうってつけだよね。毒をもって毒を制すじゃないけどさ」
「毒なんて言ったら天誅を食らわされるわよ、メメ。でも実際、私らには無い特性があるんだしね。いいじゃない。私らの理解が及ばなくとも、私たちの力になるんならさ」
メメは「そりゃそーね」と言うしかなく、やはり苦笑いを浮かべて、いい加減眩しいので照明を切ってほしいなと考えた。
⑲
絶頂!何もかも!
言葉ではなく、空気がその絶頂を物語っていた。とりあえずクソ暑い。そして熱い。
やって来ました八月十日。オール・ヒロイン・アタック・フェス。午前十時の開演から一時間が過ぎて、アリーナ会場は既に超満員。十万人はきっと超えている。会場周辺にも人は溢れて、多分二十万だって超えている。普段は閑静な円ビル周辺が、今日ばかりは静寂が圧殺された。
観覧無料とあって、有象無象の人々が押し寄せて、入場規制などは忘れ去られていた。この一時間で、続々と怪我や過呼吸や脱水症状などで倒れた人間が続々と運び出されているが、大局に影響は無く、熱狂は増しに増してステージは続く。
ステージの上では、ヒロインクラスの面々が代わる代わる現れて、次々と華麗なるアタックを観衆に向けている。観衆もまたそれに応じて熱気を返す。まぁクソ熱い。
常軌を逸している。普段のステージ上、客席共に管制のとれたヒロインクラスが、一体どうしたことか。今日というこの日、彼女ら彼らの理性が外れているように思えた。
そう思ったのは、熱狂の渦に身を置きながら、最後方で一人冷や汗をかき、周囲を何度も見渡しているアキラだった。
しかしアキラは、目の前の熱狂よりも、もっとずっと気になる事があった。
(どういう事だこりゃ?何で俺が一人でここに?他の奴らは?そもそもランコとここに来たはずなのに……)
今朝、勇み足で二人ピュアラブを出て、モノレールに乗り、第一層で降りた。そこまでは確かに隣にランコがいた。いつランコがいなくなった?いつ自分が一人でここに来た?何もかもが分からなかった。
さて、どうしたものか。
気分は少々浮つきながらも、それなりの意気込みをもってステージに臨もうと家を出た。モノレールに乗った。ホームに降りた。改札を抜けた。常と同じく、酒瓶片手に。
そして今ここ。どこよ?ここ?と、一口飲んで辺りを見渡しているのは仁ライム。
見渡す景色に、見覚えがあるような無いような。そこは、自分が行こうとしていた第一層のフェス会場などでは決してなく、ステージも無ければ人の群れも無く、当然大歓声も無い。
やっぱり見覚えは無いね、と気が付いたのは直ぐのこと。ここはどこにでもありそうなストリート。しかしライムにとっては馴染のないストリート。
剪定の行き届いた街路樹。その下では木漏れ日の中、恋人たちが待ち合わせる。そんな洒落た雰囲気のストリートに軒を連ねるのはブティックやカフェやレストランやスポーツジムなど、とにかく横文字の世界であり、居酒屋だとか、酒処とか、案内所といった文字はどこにも見当たらず、もちろん路上に、生ごみやネズミの死骸、吐瀉物や便などが散乱している事も無い。整然として、臭みも無く、涼しげなストリート。あぁここに自分の居場所は無いわね、とライムは直ぐに感じ取った。
まったく訳が分からないが、こんな馴染めないストリートでも一滴のアルコールでもあればこれ幸いと、カフェの扉を開いた。
「いらっしゃいませ、お一人様でしょうか?」
う~ん、うふふ。とライムは困った。店に入って直ぐに店員が出迎える。染み一つないシャツの上に、やはり染み一つないベストを羽織り、頭を下げてのお出迎え。
「ねーえ?この店にお酒ってある?ビールでも、ウィスキーでもワインでもいいんだけど」
「いえ、アルコール類は一切ございません。当店では、本格的なティータイムを楽しんでいただくべく……」
男性店員が店の特徴を誇り高く述べるのを他所に、ライムは勝手に席に着いた。
(まぁ別にメニューに無くても、あたしが持ってるしね)
というわけで、さっきから持ち続けていたポケットウィスキーを口に運ぼうとした時だった。ライムの腕を、誰かが掴んだ。
「困りますねぇ、お客様?いや、お客様でもないか」
「あら、あんたって」
セキュリティルック。ではあるが、どこか開放的でアイドル的と言うか、セキュリティアイドル。いやアイドルポリスだったかな?とライムは思い出しつつ見つめた。今自分の腕を掴む彼女、姫井メイを。
「当店、いやこの界隈では一切のアルコールの摂取を禁じているのよ。なのに、こんなにも堂々とねぇ」
「へぇ?そんな話は初めてお聞きしましたよ。いつから禁酒法なんて……」
「ついさっき、この場所で、この私のゾーンでね」
余裕と不敵の笑みを浮かべたメイは、ライムの体面の席に座って、視線をぶつける。
「仁ライム。密造酒の流通ははかどってる?」
「えー?何のことかあたし分かんない」
「恍けたって無駄よ。酒の密造の話は、五憎六腐の頃から耳にしていたものね。あのメンバーの娘のあなたがそれを引き継いだって話も、当然のこと知ってるわ」
「え、そうなんだ?」
ライムは、メイの言葉をまったくに意に介さずに、結局ウィスキーを口にしたのだった。
「あーあ。法律違反。禁固十年の刑!」
メイがそう言うと、突然視界が暗転し、カフェが消え失せた。
「へ?」
一瞬で場所が変わった。さっきまでのオシャレカフェとは打って変わり、薄暗くカビ臭い留置所。その中でライムは尻もちをつき、ウィスキーを手から落とした。
「???なに?あたし酔ってんの?って、まぁそりゃ酔ってるけど。なんか違うわね」
「酒の酔いで鈍くなってる思考じゃ、理解が追いつけないでしょうね」
今度は鉄格子の向こうにメイが立って、ライムを見下ろしている。
「簡単に説明してあげると、ここは私の世界。私の望んだ、清潔感と整然さと規律のある世界。あなたにとっては生涯無縁な世界というわけ」
「うん。それはいいんだけど。これからオールヒロイン総進撃とかいうイベントに出なきゃいけないのよね、あたし。ってかメイちゃんもでしょ。こんな留置所にいる場合じゃないってさ」
「それなら安心していいわ。ちゃんと私は会場に行くもの。あなたを連れてね」
「え?連れてってくれんの?わはーい」
「えぇ。空っぽになって、綺麗になったあなたをね!」
所変わって。変わりすぎて、そこは何やら大聖堂。高い天井に、ステンドグラスの窓。そしてそびえ立つパイプオルガン。空間は重厚で荘厳なその音色に満ちて。
列席には祈りを捧げる人々がいて、その中に一人、この場の雰囲気に全く馴染まない異物として、美沙ハデスが立ち尽くしていた。
「臭いわね。これはとっても……最悪な気分」
聖なる空気に気分を害すのは悪魔たる所以であり、ハデスはしかめっ面でやや上を見上げた。
そこに光の粒子が飛び交い、それはどんどん量を増していき、やがて光の塊になると人の形を成していき、ついには人を出現させた。
光の中から光を纏って舞い降りるそれは、正に天の使いのよう。神堂アテネの登場だった。もちろん、ハデスは最低な気分。
「誰だか知らないけど、気色の悪い登場をするわね」
「あぁ、そんな風に感じるのは仕方のないことですね、美沙ハデス。そして哀しい。あなたは魔に取り憑かれたが故に、光を光と感じることができない」
「……あたしの名前を知ってるのは結構だけど、あんたは何者よ?初めて見る顔だけどさ。まぁヒロインクラスなんでしょうけど」
「これは失礼しました。私は神堂アテネ。仰るとおりヒロインクラスですよ。しかしながらその実態は、人々を導く光として、天より使われし者。人々の希望。人々の喜び。人々の安らぎ。そういった者です」
ハデスは顔をひきつらせて固まっていた。
「これはまた……とびっきり痛い子がいたものね」
「かく言うあなたは、自身を悪魔だと思い込んでいるとか。私はそれを痛いなどとは言いませんよ。哀しいのです。魔なるものには、人を引き寄せる正に魔力があるということは承知です。あなたは心弱き時に魔の囁きに唆されて、取り憑かれてしまったのです」
「あたしに言わせれば、あんたこそそんなタイプよね。自分が大した者じゃないと知った時に、妄想に耽って、やがては誇大妄想に取り憑かれて、自己完結の世界で圧倒的な優位性に酔いしれる。あたしはそれを〝痛い〟と言ってやるわ。激痛よ」
見事なまでに対極の二人。悪魔なハデスに天使なアテネ。仁王相と菩薩相。棘と綿。そんな感じ。
「いいんですよ。何と言われようと。私はあなたを憎みません。私はあなたの心に巣食う魔を、我が光によって炙り出し、あなたをも導く」
「じゃああたしは、あんたを業火で焼き尽くして、大衆どもの心に憎悪の炎を灯してやるわ。魔障としてね」
決まった!この上ない満足な笑みを一瞬だけ見せた後、ハデスは山羊頭を装着した。
「迷える子羊なら導きもしましょうが……。何と醜い魔の化身。あなたを浄化して、天上へと導いてあげましょう。ここ、私のゾーンで」
ライムは留置所。ハデスは大聖堂。各々、何の脈絡も無くそんな場所に誘われ、難儀しそうになっている頃、春乃モモヨはというと、駅の改札口という何の変哲も無い日常的な場所にいた。
ただしその足は止まっていて、視線の先に敵を捉えている。
「大先輩の晴れ舞台にお出迎えとは、気の利く後輩たちね。昔はそんな風に思ったことは無いけど」
モモヨと対峙しているのは、橙ヒナミ、大鳥居キク、佐富士メローンの三人。
「お出迎えってんじゃなくて」
「あたしらここで、とりあえずモモヨさんの足止めをしとかなきゃいけないんですよ」
ヒナミとキクが覇気なく歩き出しモモヨの両隣につく。
「なーんか、あたしたちって、あのー、何だっけ?何とかってやつを使わなかったり、使えなかったりするから、三人がかりでね、多分きっと年齢的に一番体力の無さそうなモモヨさんをテキトーに足止めしといていね、っていうそんなお仕事なんですよぉ。あーんまり楽しくなさそうなんだけどぉ、まぁモモヨさんに会えるからいっかなー、とか思ってます、あたし」
メローンのまとまりのない言葉に、モモヨの脳は疲労する。そしてメローンは足を弾ませて、モモヨの正面をとり、にっこり笑う。
「はぁ……やれやれ。またどこかの誰かが、私をババアだと言ったわけね。まぁそれは良いけ……いや、良くないわ。絶対に許さない。まぁ許さないとして、何?あんたらやっぱり何か企んでるみたいね。今どこかでは、メメやらメイやらが、私以外のオニユリを狙ってると」
ヒナミとキクは「さーねー」と声を合わせて返す。それにしても、モモヨの表情には余裕があり、不敵さもあった。
「〝何か〟を使う。とか言ってたわね。そう……フフッ。何を使うのか、大体分かってるわ」
「「え?」」
にやり。モモヨの表情を見たヒナミとキクの耳は、脳は、確かにその擬音を聞いた。
「ZONE……っていうやつでしょ」
「あっ、そーそーそれそれ、そんな名前。さっすがモモヨさん。よぉく知ってる」
「まぁね。ヒロインクラスのオリメンで、永遠の最年少ってのは伊達じゃないわ」
モモヨはいそいそと、懐から何かを取り出す。若干メカニカルな装飾の指輪で、ビー玉ほどの球体が取り付けられている。
「そうよ、それこそがこの私の……ゾーン!」
ハッタリにも思える大げさな挙動で、モモヨは右手を宙にかざし、中指に球体が付随した指輪を取り付けた。にわかに発光し、点滅を始めた球体。そして空間が湾曲し始めて……
留置所、大聖堂、駅の改札、続きまして……
ランコは、陸上競技場の走者レーンの上に立っていた。もちろん、こんな所に来たつもりはない。アキラと一緒に、フェス会場の入り口まで辿り着いたはず。そんな時、聞き覚えのある声に振り向いた瞬間から、ランコはここに居た。
そんな突拍子も無い事態だったが、ランコは落ち着いていられた。こんな事は二度目だった。
「随分と冷静みたいだけど、そっか、あんたはZONEの一端の経験があるもんね。オーディションの時に」
スパッツにTシャツという、シンプル極まりない、スポーティルックな來生メメが、ランコの前に現れた。
「やっぱあれと同じって事よね。何だっけ?アイドル体験シミュレーション?」
「同じじゃないわ。あれはあの施設内で限定された装置だからね。このZONEは、それを更に発展させて、時と場所を選ばずに発動できるのよ。使用者の感情の高ぶりを受けて、周囲を巻き込み、願望の世界を実体化する」
ははぁ、と若干無関心ながらも、周囲を見渡してみれば、数えるのが面倒な程度には人がいて、つまりは巻き込まれた者たちだが、彼らは皆、取り乱すことなく大人しく着席している。
「あの人たちって、なんで落ち着いてんの?いきなりこんな場所に飛ばされたんじゃ、パニクッて泣き出しちゃいそうなもんでしょ?」
「彼らはみんな、私の願望を受け入れたのよ。元々あの場にいたのはヒロインクラスのファンだから、私の思うがまま。長年かけてそういう風に仕込んだってわけ。ところがあんたはというと、私らの敵だから、もちろん私の思うがままにはいかず、この私のゾーンにおいての異物となるのよ」
「……とりあえず、なるほどと言っておくよ。んで、メメの感情とか願望とか言っちゃってるけど、この競技場がその願望なの?ちょっと、というか全然意味分かんないんだけどさ」
そう問われて、メメはどこか感傷的な表情で、競技場全体を見渡した。
「そうね、分かんないでしょうよ。これは私のパーソナルなものだから。私は元々アイドルというより、アスリートを目指してたわ。短距離走が好きでね。誰よりも速く駆け抜ける事を夢見て、日夜走り続けてた。そして実際私は速かったし、あらゆる大会で優勝したわ。でもね、世間はそんな功績を認めはしなかった。というより、誰も注目しなかった。世の中にはヒロインクラスっていうアイドルがいて、どんなスポーツでどんな記録を出そうとも、ヒロインクラスの存在感には勝てなかったのよ。それに悔しがってる自分に気が付いた時、はっきり分かったわ」
感傷的だったメメの表情が引き締まる。
「私は誰よりも速く走りたかったんじゃなくて、とにかく一番って存在になりたかったんだってね。短距離で一位を取るってのは、単純明快な一番だったしね。でも世の中そんな一番に価値は無くて、真に価値のある一番は、ヒロインクラスのトップという称号だって分かった。だから私はそうなる事に決めたのよ」
饒舌。満足しきっている笑み。多分絶頂。客席からは盛大な拍手が送られた、
「はぁ……うん、別にそこまでは聞いてないんだけどね。そんなメメの夢の世界に招待してくれてありがとう、とまず言って、それでこれから何をすんのよ?」
「あんたは何もしなくていいよ。思うがままにいかないあんただけど、これからは私にされるがままなんだから。ここは私の世界。私の想いに全てが染まる。それに共鳴すれば、私の喜びや興奮、快感も共感して、最高にハイになれる。客席のみんながそう。でも共鳴できない異物のあんたは、私に反発して、でも精神は私に浸食されて続けて、やがて自我が崩壊する。さて……もう逃がさないわよ、純恋ランコ!」
拍手と歓声に沸く競技場。そんな中、ランコはまだ気圧されずに、背筋を真っ直ぐ伸ばして、まず息を吐いた。
「これからステージなんだし、手短にお願いねっ」
⑳
ZONEなるものにランコたちが取り込まれたり、取り込んだりしている事態など知る由の無いアキラは、いつまでも熱狂的な客席に身を置いていても仕方ないと、オロオロしながら、出入口、廊下、楽屋付近を回った後、廊下、自販機の裏、ゴミ箱、天井、そんな所にいるはずも無いのにそんな所を探し回って、彼女たちの姿を求めていた。
「うぅぉ……困ったな、おい。どーっしょー……おいおいおい」
困りすぎて、心の声がどんどん口から出てくるアキラ。背が丸まって、コンパクトに折り畳まりそうなほどに小さくなる彼の背中。
「お困りのようね、アキラさん」
背後から、シンプルに図星をついたのはアイラだった。
「あぁ困ってるよそりゃ。わけ分かんないしよ」
振り返ると、アイラは微笑んでいる。あぁこいつ何か知ってるな。そう思ってくれとばかりの含み笑い。
「あいつらがいないのは、お前らの企みか?」
「えぇ、もちろん。ランコちゃんたちは、いま散り散りになって、メメたちの相手をしてるわ。それぞれのゾーンでね」
「ゾーン?そりゃ何だ?」
「アキラさんは、それを知らなくていいの。アキラさんは、その結果を知ればいい。さ、特別席に案内するから、私に着いてきて」
そう言って、アイラはアキラの前に進み、先導を始めた。
ヒロインクラスの謀略が始まったとなれば、これもまた彼女らの計画の一端なのは明白。しかしこれ以上不毛な探索を続けていても仕方ないので、アキラは彼女の導きにのるしかなかった。
無い、無い、酒が無い。どこにも無い。さっきまで手に持っていたポケットウィスキーはどこよ?と、はっきり取り乱しているライム。
姫井メイが姿を消した後、何故か施錠されていなかった留置所の檻から、いとも容易く脱したはいいが、檻に挟まれた中道が延々と続くので、だいぶ苛立ちが募り、こんな時にこそ酒の力よねっ、と思ったが、その酒がどこにも無いのである。
「クッソ……あ、クソとか言っちゃった。嫌よねオホホ、苛っちゃってるみたいじゃない。そんな気分はサイテー……まぁしかし」
ライムは両横の檻を見た。さっきからずっと思っていたことがある。
「随分大人しいのねみんな。留置所にいて叫び声も上げずに、行儀よく正座してるなんてさぁ」
「……」
声をかけてみたが返事は無い。目を閉じて沈痛な面持ちで、自分の罪を心の奥底から反省している雰囲気がある。
「まーいーんだけどさー。誰かお酒もってなーい?」
「無いわよそんなもの。この世界にそんなものは存在していないの」
足音を響かせて、姫井メイが登場。手にした警棒を、これ見よがしにライムに突きつける。
「ここでは、何よりも規律を重んじる。規律とは何か?それは人々の戒めであると共に、安寧でもある。つまりは平和の礎。では、何を律するのか分かる?あなた」
「ん?ごめん、聞いてなかった」
その返しは挑発ではなく、実際、ライムは何も聞いていなかった。それどころではない。だってお酒が無いんだもん、と潤んだ瞳で語っている。
「……ふん。規律を乱すもの、それは常軌を逸した快楽。それに溺れた人々。それを誘発する要因の一つとして、興奮作用や中毒作用のあるお酒。そんなもの、私のこの世界で認めるわけにはいかなくてね」
「えぇ~。ちょっと位いいじゃない。っていうか、あなた何歳よ?お酒の良し悪しなんて分かんないお子様なんじゃーないのー?」
「私は二十一よ。ま、お酒の良さなんてものは分かんないけどね。あなたこそ何歳よ?常時アルコールを摂取してるみたいだけど、私よりも年下でしょ?未成年の飲酒?そいつは、絶対に許さないわよ」
「あぁ、それは安心してちょーよ。あたし、生まれた時から二十歳だからさ」
にっこり笑ってそう返すライムを見て、メイは表情を変えずにいたが、密かにキレた。
「あぁそう。つまり、生まれついてのアウトロー……とか言ったら、あんたみたいなのは喜びそうだから、シンプルにカスと言っておくわ。そしてそんなカスを、これから更生させてあげる!」
そう言って、メイは笛を吹いた。留置所内に強く響き渡ったその音に、ライムは耳を塞いだが、檻の中にいた者たちは、一斉に立ち上がり、沈んでいた表情に活力をみなぎらせ始めた。
「さぁみんな、起床時間よ。朝食前に三十分のランニング。朝食を終えて、朝八時になったら、さぁ出勤!」
全ての檻の施錠が開いた。すると檻自体も消えて、というか留置所自体が消え去って、朝の光と鳥の囀りに満ちた公園通りが突如として出現し、スポーティな人々がランニングに夢中。
その中に、事態についていけない様子のライムもいて、一応走っている。
「……はッ?何であたしがこんな健康的な事をしてんの?」
そう言って立ち止ろうとしたが、足は勝手に走り続ける。何が自分をそうさせているのか?
グッモーニンエヴリバディ 誰もが目覚めて息をして
毎朝八時に遅れないで? みんな社会のソルジャーなの
夜の八時に死んでても、朝の八時に生きてるあなた
毎日きっとウォーリアー 平和を背負って生きてるあなた
押し潰されてもきっと生きてる
ほらまた八時になりました さぁ目覚めるのよソルジャーアンドウォーリアー
さっきからそんなメイの歌が頭の中で何度も繰り返し響いている。それによって、足は動いているのだ。人を鼓舞するというか、強制的に活動させる作用。
やがて、駅に向かうスーツ姿の者や、工場に向かう作業服姿の者、学生服の少年少女たちが、背筋を伸ばし、胸を張って歩き始めた大通り。ムカつくほどに健全な大衆。その中でライムは、どこに行っていいか分からずに、どこにも行けないまま、しかし足は動き続けていた。
「何?何なのこれ……あたしはどこに行くのよ?ってかどこに行けるのよ?まっずいわ。アルコールが抜けそうなんだけどこれ……まっずいわこれ」
取り乱し、彷徨う速度を増すライムだが、やはり同じ道を行ったり来たり。
「やはり馴染めないのね、この完成された社会には」
人の往来のど真ん中で、一人悠然と佇んでいるメイ。嘲りを含んだ哀れみの目が、ライムを見ている。
「つまり、この社会にあなたの居場所は無いという事。ストレスの無い社会。過度な労働も無く、貧困に喘ぐことも無い。娯楽が欲しければ、ヒロインクラスを求めればいい。そうやってみんな満たされて、未来永劫そんな感じ。過剰なものなんて一切無い」
「いやー、そんなのって、あたしはつまんないと思うんだけどさ。突き抜けたアホとか、超天才とか、腐った男とか、残念な女とか、そういうのが居た方がいいんじゃない?笑えるし」
「笑えないわね。あなたみたいに、突き抜けて腐った超残念な女は。そんな社会の排泄物には……やっぱりこれかしら?」
メイはその手に、ライムが持参していたポケットウィスキーを持ち、見せつける。
「あ、あんたが持ってたのね。規律を重んじるとか言ってんのに、あんたそれ窃盗よぉ。さ、早く返しておくんなまし」
「……ふん」
意外にもあっさりと、ウィスキーを投げ渡して返したメイ。そんな彼女の呆れ顔など見もせずに、ライムはオホホと即蓋を開け、アルコール補給とばかりに口へと運ぶ。
「なっ!」
ライムの顔は即座に固まった。
「そん……な。これってまさか」
ライムの手からウィスキー瓶がするりと抜け落ち、地面で砕けた。飛び散った液体からは、アルコール臭などしなかった。
「言ったでしょ。ここにはお酒なんて存在していないと…。さぁどうよ?アルコール分解ドリンクの威力は?」
ライムの足はここでようやく止まったが、苦悶の表情を浮かべて、汗を滲ませ、地に膝を着く。
「アルコールがあなたの全てだというのなら、今あなたの全ては分解され、崩壊していく。これぞ、ウコンの力!」
自分の中の何もかもが抜け出していく。そんな感覚に脱力極まり、ライムはいよいよ地に伏す。これまでの人生の全てが液状と化し、アスファルトに染み出る。そんな光景を思い浮かべながら、視界は白んでいった。
ジーザズ イズ アライヴ インマイハート
讃美歌鳴り響く大聖堂で繰り広げられている、知られざる聖戦。
後光差す神堂アテネは、その背に猛禽類の羽を広げて、両手を掲げる。頭上に浮かぶ天使の輪というものはまぁ茶目っ気と言えるが、正に聖なる者。不思議とその背丈は常人の十倍はある。
比して、美沙ハデスなどという悪魔っぽい少女は、何とも卑小で、真っ黒なその姿は山羊の頭であるものの、蟻に等しい存在感。
「ちょっとねぇっ、ハッタリも程々にしとかないと、みんな引いちゃうわよ」
もちろん、そんな声はアテネには届いていない。
「信じる者は救われる。しかし私は、信じぬ者をも救ってみせます。それこそが希望の光。万人を導く道標。さぁ、この光に、この私に身を委ねるのです。あなたを惑わす魔障を振り払い、あなたを純白に仕立て上げますよ、美沙ハデス」
アテネの声はエコーがかかって、ハデスの鼓膜を震わせ、脳を揺らす。立派な攻撃。
「誰がっ、誰が純白なんかに……。あたしは黒、真の黒!ダークネスとかいう闇!魔なる黒!魔ッ黒!」
やはり届かないハデスの声。しかしアテネは、オホホなどと嗤わない。ただ微笑む。それは慈しみ。
ムカつきが止まらないハデスは、羊頭内の装置を使って煙を吐き出してみるが、そんなものは殆ど蚊取り線香で、蚊は殺せても天の使いを殺せるはずも無く、滑稽を晒す。それでもアテネは微笑む。やはり慈しみ。
「なんと哀れな抵抗なんでしょう。しかし美沙ハデス。あなたは直ぐに解放されますよ。えぇ、それはもう直ぐに。この神聖なるゾーンに、かようなちっぽけな魔障が耐えられるはずもない。さぁ美沙ハデス。思い出してくださいね。あなたが本来どのような者であったか……」
強大さを増すアテネの姿。声の大きさもそれに比例し、ハデスの脳は更に強く揺さぶられる。その振動する脳は、ハデスにある光景を見せつける。
光景というよりは回想。自分が誰かに抱かれて、誰かに微笑みかけられている。それは多分母親であり、今頭を撫でているのはきっと父親に違いない。
『ミサぁ、お父さんな、今度ヒロインクラスのセキュリティを任せられたんだぞぉ。凄いんだぞそれは。言ってみれば神に仕えるのと同じことでな』
『もぉー、あなたったら、子どもにまで仕事自慢してさぁ。名誉な事だけどね』
アハハ、ウフフと仲睦まじく話す両親に対し、それを見上げているハデスの気持ちは醒めきっていた。
(美沙って……あたしはハデスなんだけど。あたしが美沙ならあんたらも美沙でしょ)
姿形は幼女に違いないが、精神は十六のお年頃。反抗期。だが、反抗心以上に、疑問の念を抱き始めるハデス。
(いや……あれ?そういば、美沙が名前だっけ、あたし。うん……多分そうだった。じゃ、ハデスって何よ?何だっけ?死者の世界?冥界の王?)
『こらミサ。お前はオカルト本ばっか読んでからに。周りの子たちは、もっと可愛い服とかお人形とか持ってるだろ?』
『どーしてかしらね、この子は。いつの間にかオカルトにどっぷりはまっちゃって。もうそろそろヒロインクラスに夢中になる年頃なのに……困った子だわ』
(う~ん、困らせちゃってるのね。悪い子よね。ってか、何であたし、こんなオカルト好きなの?……いや、オカルトとかそんなんじゃなくて、あたしはそもそも悪魔であってさ。いや……あくまでオカルト好きってだけなのかな。だとしら、美沙ハデスなんていうのは、まるでアホ丸出しのオカルトマニアというわけで)
思考が混乱極まり、ハデスは床に膝を着ける。そんな彼女に、巨大なアテネは、ゆっくりと慈しみ深く、その大きなしかし柔らかな手を伸ばす。そして包み込む。
「悪魔などではないんですよ、美沙ハデス。あなたは人の子。私に導かれる迷い子なのです」
(あー……うん。きっとそうよ。あたしは迷子になってたのね。押しつけの強い両親に対して芽生えた反抗心を、悪魔への崇拝に無理矢理繋げて、あたしは美沙ハデスになった。そんな感じの思春期の気の迷い。なーんだ。あぁ?何だ?じゃあたしは何でしょ?)
「大丈夫。そんなあなたの為に、私という光が存在するんですよ」
(マジで?それサイコー。だったら……あぁ、こんなもんは邪魔ね)
ハデスは、幼女が遊び飽きた人形を放り投げるかのように、ポイッと。正にゴミをポイ捨てする感じに羊頭を捨て去って、幼さの残る少女の顔を晒し、脱力した表情を見せる。
「まぁ愛らしい顔ですね、ミサ。さぁ祈るのです。さすれば、あなたの迷いは消えて、光の中へ……私の許へ」
そう囁かれて、ハデスは迷うことなく祈りを捧げた。そこに魔の印象は微塵も無く、ただ貧困に喘ぐ少女が、主に救いを求めるという絵が出来上がっていた。
コンパクトミラー。キャンディー。ミニスカート。付け睫毛。油取り紙。淡いピンクのルージュ。ポッキー。ソックタッチ。ラメのシール。
といったものがまとまりなく散らばった空間に、佐富士メローンと橙ヒナミ、大鳥居キクの三人は誘われていた。
「……で、何なのよこれ?」
「あのオバンがZONEを発動させたって事は、あの人のゾーンでしょ」
「うん、そりゃ分かるんだけどね。こんな掃除のできない女子高生の部屋みたいなのが出現したからって、一体何がどーなるっての」
「あっはー!あったし、分かっちゃったかも」
メローンは手を叩きながらご満悦に声を上げた。
「女子高生の部屋!そうっすよぉー!ヒナミンにキックス。ここってつまりはモモヨさんの願った空間ってわけでっしょ?だっから、あたしは分かっちゃったかも。ってなわけでで、かもーんっすよ、モモヨさーん。いや、モモヨちゃーん!」
手を振るメローンに呼応して、部屋の扉が開いて、春乃モモヨの登場と相成ります。しかして、その姿かたちたるや……
「おっまったせー!春乃モモヨ、十五歳でっす!」
制服を着込んで裏ピース。あざとくも舌を少しテヘッとペロっと出してくさる。三十路を超えた女がしたならば、あまりにも気の毒な事案なのだが……。モモヨは見事に女子高生だった。張りのある肌。テカリの無い顔。皺とは無縁の目元、口周り。
「も、モモヨさん……まさか、あなたのZONEっていうのは」
「若返……ぇぐっ」
そう言おうとしたキクは、突然呼吸しにくくなったように咽る。蹲る。そして咳き込み続ける。一度咳き込むごとに、一つ歳をとっていくかのごとく、段々彼女の肌から張りが消えていき、染みや皺などが増えていく。
「はーあ?若返りとか望んでないんですけどー?あたしはさ、ありのままのあたしを望んだだけよんっ。これが私。これぞあたし。私はあたし。あたしよ、あたしっ」
何かの歌のような、うわ言の様な、私とあたしのリズミカルなコンボに、ヒナミとキクは苦悶の表情を浮かべる。老け込み始めるその顔に。
「この、ありのままの私を受け入れられないあんたらは、ここでババアになって朽ち果てる。ZONE……。初めて使ったけど、こりゃ凄っ!」
「ゴホッ、何でモモヨさんがZONEを」
床に這うキクが、視線だけを上げる。
「ヒロインクラスを辞める時に、色々とパクらせてもらったのよ。その中に、まだ試作段階だったこのZONEがあったってわけ」
モモヨは指に装着してある、球体を取り付けた指輪状のZONEを見せつける。
「さーて、さてさて、あんたらが私の足止めに来たってことは、ランコたちにも他のメンバーが絡んでるんでしょ?多分、メメやらメイはZONEを使ってると。だったら、そこにこの私が颯爽と登場して、あの子たちを救うっていう展開を期待されてるとみたわよ」
「すっごーい。超カッコイイと思うよ、モモヨちゃん」
「……あん?」
キクとヒナミは、もう言葉を吐く気力の無い老婆に成り果てていた。しかしもう一人、佐富士メローンはというと、何ら変わりなく、元気溌剌とした様子で、手を叩いてモモヨを誉めそやす。
「ねぇ……なんであんたは平気なのよ?」
「え?さぁー?」
メローンは、本当に分かっていないらしく、それでいて深く考える事も無く、床に落ちているファンシーグッズを手に取って楽し気。
「メローン。あんた、今の私を見てどう思ってんの?」
「かわいーと思ってるよん。さっすがモモヨちゃんだよ。憧れちゃう」
メローンの言葉は、なんとも軽薄だが、そこに悪意や含みは無い。実際、重みが無いだけで、彼女はそう思っている。
「そっか……。あんたはこの空間、私のゾーンを受け入れてるってわけ」
「そうっすよー。だって、あたしはモモヨちゃん好きですし。反発とかしませんてー」
好意の言葉が、モモヨを当惑させている。これではメローンに対して、ZONEの効果は何一つ発揮できない。ただ若返った自分と、若い彼女が談笑する空間と言う、どうでもいいゾーンで終わってしまうのだ。
「だったら、もっと想いを、願いを強く、強く、もっともっともっとっととととと」
想いは言葉として溢れてしまい滑稽だが、モモヨは必死だった。もっともっとこの願い。もっと…‥‥もっと。MORE、MORE!
「あ?」
モモヨは脳内で、何かが弾けたのを感じた。パンッという音が響いた気がした。プツッだったかもしれない。とにかく何かが限界値を超えてしまい、これヤッバ、と思ってしまうも後の祭り。
空間が高速で回転し始めて、コンパクトミラー。キャンディー。ミニスカート。付け睫毛。油取り紙。淡いピンクのルージュ。ポッキー。ソックタッチ。ラメのシール……が弾き飛ばされて、新たに、絵本、駄菓子、着せ替え人形、アニメのカレンダー、粉末ジュースなどが散乱する部屋が登場。
そして、そこに五歳児が一人。
「あらやだ、超可愛いっ!ねぇー、お名前はぁ?」
メローンは五歳児に視線を合わせて、にっこりと微笑む。
「あ、あたし、えと、えーと、はるのももよ」
「やっぱりそーだ。モモヨちゃんだぁ」
五歳児と化したモモヨは、瞳に涙を滲ませて、部屋を見渡した後、鏡に映った自分を見て愕然とする。
その瞬間、空間、モモヨのゾーンは砕け散った。
ZONEは解消され、メローンたちは駅の改札に戻っていた。老いの感覚が抜けていないヒナミとキクは、腰を抑えてよろめくも、その姿は元に戻っている。
「やれやれ……どうなる事かと思ったけど。で、どうなったのこれ?」
「……多分」
二人は、眼前で後姿を見せているモモヨを見つめる。どうやら元の三十二歳に戻っていると思しきその姿だが……
「ZONEが暴走したんじゃない?試作品だったから安定性も悪いだろうし。ねぇメローン。さっきのゾーンは、最終的にどうなったの?」
「うーんとね。モモヨさんがもっと若返る事を願ってさぁ。んで……こうなりました」
メローンに手を引かれて、モモヨはヒナミとキクの前に連れられた。その姿は、さっきまでの女子高生や五歳児ではなく、三十二の女。周囲をきょろきょろと見渡して、不安いっぱいの表情。
「さ、二人に挨拶よ、モモヨちゃん」
「は、はい……。はるのももよです」
「モモヨちゃんは、いま何歳なのかなぁ~?」
「いま五さいです」
大分怯えた様子で、目に涙を滲ませるモモヨ。見た目は妙齢。しかし五歳と称するその有様。
「これは……笑えないわ」
「自業自得とはいえ……ね。ZONEって恐ろしいわね」
「さ、モモヨちゃん。お姉ちゃんたちと一緒に行きましょーうね」
「はぁい」
『さて始まりました、第十五回アイドルアスリート選手権、決勝戦。その最終種目はトラック上を五時間ぶっ続けで走り続ける耐久レース。対決する二名は、來生メメ選手と純恋ランコ選手。実況は私、殻玉キタロー。そして解説はトラック運転手の虹卵ゴローさん。虹卵さん、この決勝戦、両選手の勝敗を分けるポイントは一体どの点にあると思われますか?』
『あー……うん。そうっすね。來生選手はいいね。あの健康的な脚が特に。筋肉の張りを感じる逞しさとか。胸が控えめなのも、スポーティでポイント高い。引き締まってる感じの臀部もまたいいね。あぁ……いいな』
『では、純恋選手は?』
『あぁ、ありゃー、いいもん食ってないよね。胸はそこそこで、スレンダーっぽいけど、全体としてやさぐれてるよね。薄汚れてるし。聞けばスラムの出身とか。ワハハッ、じゃあ仕方ないっ。そういう意味では逞しいけどね。下水道内のマラソン大会でもあれば、いいとこ狙えるんじゃないの?』
『あぁ、そんな事を言っている内に、いつの間にかスタートしてましたね』
メメのゾーン内で、適当に振り分けられた実況と解説などは殆どどうでもよく、耐久レースはさっさと開始していた。
ちゃっかりとクラウチングスタートで駆け出したメメを他所に、ランコは走る素振りも無く、面倒くさそうに走行レーンの上をただ歩いていた。
「アホくさ。あたしがこんなもんに付き合うとでも思っちゃってんのかな」
無気力な眼差しで、活力漲りトラックを駆け抜けるメメの背を……見たはずだった。
「そんな事、思ってるわけないでしょ?」
メメは既にランコの背後にいた。そして直ぐにランコを追い抜くと、またあっという間に後ろに迫って、
「これは私とあんたの勝負なんかじゃないの。私が何度も何度もあんたを追い抜かす。ただただそれだけの事」
また追い抜く。そしてまた追いつく。あり得ない間隔。狂った俊足。もはやメメは風になった。
かくて風は囁く。
『純恋ランコ。あんたはここで何ができる?そうやって斜に構えた感じで歩き続けるだけ?ポーズだけの女?それであんたは、どこで何ができるつもりよ?』
「やたら説教臭くなっちゃってさ。そんな言葉に乗って、あたしが走り出すとでも?」
『フフッ。そうやってクールを気取ってるだけのあんただけど、本当は誰かの背を追いかけて、走り出したいんじゃないの?』
風になびく髪の毛を撫でて、ランコは前方を見据える。何も無い、誰もいない。
「別にあたしは、自分がクールだとか思ってないし、そんな風になりたいとも思ってないけど。……ただ」
メメの説教を否定するだけで終えようと思っていたランコだったが、無意識に言葉を続けてしまった。それを、メメは聞き逃さない。
『ただ?ただ……ただ、何かしら?』
「ただ……探し物が見つからない。それって、多分あたしの……憧れ?」
『いや知らんけど。そう思ってんのなら、ほら、見えてきたんじゃない?あんたが追いかけたいものが』
ランコは目を凝らす。あぁ、何か見えてきたかな?そんな気がすると、歩いていた足の速度が段々と上がっていく。
「あれは……あれが……あれ」
見えてきたのは誰かの背中。見覚えはある。でも遠い記憶。そして遠い距離。
『さぁ走りなよ純恋ランコ。衝動に突き動かされて、あんたの憧れとかいうのを掴んでみなよ。ポーズだけの女にそれができる?できちゃうの?さぁさ、ほらほらほらほら』
ほらほらほらほらほらほらほらほーらほら。メメの煽る声が延々と脳内に響く。ランコは駆け出していた。憧れの背中。それは決して走りはしない。ゆっくりじっくり歩くそれ。しかし走るランコとの距離は全く縮まない。それでもランコは走るしかない。いつか追いつけると信じて。
ホラホラホラホラホラホラホラホラホララララーララーラ~♪
㉑
ミッションコンプリート。
四つのその報せを受けたアイラは、通話を切って一呼吸置き、対面に座るアキラに視線を向けた。
ここは円ビル内にあるオールヒロインアタックフェス運営本部。窓の外を見下ろせば、盛り上がりに盛り上がっているフェス絶景。しかし、本部の部屋の空気は冷めたもの。そこにはアキラとアイラしかいない。
「ミッションコンプリートだそうで」
「……?うん。うん?」
どんなミッションがどうコンプリートされたのか知る由の無いアキラは、明らかに戸惑う。半口開いて呆ける様は、もの知らぬ者としては真っ当。
「つまり、オニユリはこの会場には来られなくなった、という事」
「あ?そりゃどういう事だよ?」
「自然消滅という形だと思う」
「んな馬鹿な。お前らが強制的に排除したってんならまだ分かるけど、自然消滅ってなんだよ?あいつら四人が突然やる気を無くしたとでも?」
「それは本人たちに聞くのが一番ね。オニユリは消滅しても、純恋ランコ、春乃モモヨ、美沙ハデスに仁ライムの四人は、これから会場に来て、ステージに立つだろうから」
その展開が全然分かりません。言葉は要らずに、表情で完全にそう語るアキラ。そんなアキラを、少しばかり哀れみの視線で見るアイラは、それじゃ、といって立ち上がった。
「一緒に来てくださいね、アキラさん。これから最後に、あなたの心をきっちりと折り畳んで棚入れすることで、オニユリの最期とします」
「ははっ。そんな事を言われて、一緒に行く奴はいないだろ。でも、俺は行ってやるよ」
そう言って、アキラはスッと立ち上がった。しかしながらスッ、というのは自分でそうしたつもりであって、実際はガタガタだった。
「へっ、ハハッ。カッコいいだろ?これだよ、この余裕。きっとお前らは、確定した勝利に向かって悠然と歩いてるところ。連行される俺は顔面蒼白で、それか気が狂ってゲロ吐きながら喚き散らしているのがいい絵になるなとか思っててよ。でも、そんな思い通りにはいかねーよ?だって俺、クールだし。何が起きてようが平常心でいたいし。俺がこの先、どんな風に折り畳まれるのかなんて考えねーし。クソッ、あぁクソっ……わけ分かんねーし。クールなんだよ俺ッ」
自身のクールっぷりを力説しつつ、心情の動揺を語調で晒すアキラを、「じゃ行きましょう」の一言で起立させる清風アイラはクールだった。
ステージ上で炸裂し続けるアイドル・ボム。ボムブ。ボンブ。歌もダンスも、全開のヒマワリの如く全方位に向けて放射され咲き誇る。応えるのは途絶えることのない歓声。続々と担架で運び出される観客たち。連中は、今ここで死ねるのならば最良の人生の幕引きだね、とでも言いたげな表情で気を失っている。その横で、回復した者は目を見開いてまた客席へと駆け出す。
愛と愛が愛し愛。平和‼平和‼輪になってピース。ラヴジェネレーション、フォーエヴァー。あなたとお前に会いたくて。いつもここに、いつでもそこに?サン!サン!エターナルサンライズ‼イィィェェェェェェェ!ヒョォォォォォッ‼
うわ言だが絶叫。観客たちは爆竹の如く喜び狂って駆け回る。
「……いや、盛り上がり過ぎだろ」
過剰な盛り上がりを横目に歩くアキラは、図らずもクールダウンしていた。
「正気じゃないよな。どいつもこいつも、今なら死んでもいいみたいな顔しやがって」
「えぇ。それって、最上級の幸せだと思う」
アイラは平然とした様子。やはりクール。
「みんなの快感と興奮が共鳴し合って、共感して、一つの大きなうねりになって、そんな一体感の中、みんなはみんなとの繋がりを感じる。そんなゾーン。それが私の……」
「へぇ。俺はそんな中には入りたくないもんだな」
「そう……。アキラさんならそう言うと思っていたわ」
「俺だけじゃなくて、ランコたちもきっと」
「ふふっ、さて」
口は含み笑い。視線は哀れみ。滑稽な者を前にするにあたって、最適な表情といえた。
関係者通用口をパスして舞台袖にたどり着くと、熱狂はダイレクトに目に耳に届く。人の海。声の津波。しかしそれらは、ステージの上に咲いて舞って燃え上がる花々の背景に過ぎなかった。
ちょうど演目が終わり、息を切らせつつも笑みを絶やさぬ少女たちが舞台袖に戻って来ては、各々一人たりとも欠けることなく清風アイラの姿を見て、声を張り上げて挨拶をする。それに対してアイラは声は出さないが、微笑んで返した。
「随分慕われてんだな。って、まぁそりゃそうか。あんたがセンターなんだし」
面白く無さげに、吐き捨てる口調でアキラは言った。
「不満があるのも無理はないよね。だってアキラさんは、エイリさんがセンターの時代のヒロインクラスを見て生きてきたんでしょ?」
「まぁよ。俺はレーコさん一筋だけどな」
「純恋レーコ……。あの人も素敵な人だと思うわ。今なおエイリさんが意識してるくらいだから、きっとエイリさんに一番近い存在だったのね。でも、それがどうしてか今はずっと離れて、下層のスラムに住んでる。おまけに娘のランコちゃんは反逆し始める。哀しい話よ。でも、それももう終わる。そして新しく始まるステージ。それはむしろアキラさん、オニユリたちのおかげと言っていいかもしれないわ」
アイラは気持ちの高揚を、クールな態度の中に時折のぞかせる。やたらと多く喋り始めたのもそのせい。それでいて、アキラを見る視線はどこか感傷的であり、こんな人もいたよね、とでも言いたげで、彼の存在は早くも思い出になっている。
思い出にされたアキラは、何か言ってやろうと言葉を選ぶが、何を言っても惨めになる気がして、
「そういえば、あんたと俺の名前って結構似てるよね」
などと無意味に言って、無言と無表情を返されるのだった。
一分程の沈黙があったが、そうする内に、一瞬アイラの目が見開かれ、アキラがその視線を追うと、舞台袖に六人の少女が四人の少女を引き連れてやって来ていた。
姫井メイは粛々とし、神堂アテネは厳かで、橙ヒナミと大鳥居キクは困惑して、佐富士メローンは常の如くにっこりで、來生メメは勝ち誇っている。
「みんな、お疲れ様。そしてオニユリ、いや元オニユリのみんな」
神妙な顔つきの仁ライム。あらゆる呪縛から解き放たれたかのように晴れやかな美沙ハデス。オロオロと周囲を見渡す春乃モモヨ。そして、魂が抜けきって虚無となっている純恋ランコ。
姿形が変わるはずもないが、アキラは直ぐに異変を感じ取った。四人が常より放っていたロクデナシのオーラが微塵も無いのだ。
「おい、ライム。お前シラフかよ?酒はどうしたんだよ?」
「はい?そんな下品なもの、飲むわけないですよ」
背筋はまっすぐで、陽気さが全く無い堅物ムードのライム。
「ハデス……なんだその白いビキニは。山羊頭はどこやった?」
「あ、あまりジロジロ見ないで……」
白いビキニ姿のハデスは、清純そうに恥じ入り、アテネの後ろに半身を隠す。
「も、モモヨさん……モモヨさん?」
「うん、あたし、ももよでっす。うたうのがすきなの」
無邪気。哀しくなるほどに無邪気。言動と容姿のちぐはぐさが、あまりにも無残な有様だった。
「ランコ……おーいっ」
「……」
いくら肩を揺さぶられても、ランコはただ立っているだけで、何の反応も示さない。息をしているだけの人形と化している。
「仁ライムは酒を全て抜けきって、一切のアルコールを断った真人間に仕立て上げたわ」
「美沙ハデスは、私という光に包まれて、見事にその心に巣食っていた魔を打ち破ったのです」
「モモヨちゃんは、勝手にこうなっちゃいましたぁ」
「純恋ランコは、ただいま憧れを追いかけている途中。永遠にだけどね」
それぞれの報告を聞き終えたアイラは満足そうに微笑んで、その微笑みのままランコたちと向き合う。
「じゃあ、みんな一緒に、これからステージに立ちましょう。今やあなたたちもヒロインクラス。新メンバーの紹介を、ファンのみんなにしなきゃね」
唐突な新展開に、アキラは口を挟まずにいられなかった。
「おいおいこらこら、何を言い出してんだ。こいつらがいつヒロインクラスに入るとか言ったんだ?」
「いわずもがな、というやつでね。もちろん拒否もできるけど?どうする、皆さん?」
誰も何も言わない。入るとは言っていないが、拒否の言葉も出さない。じゃあオッケーね、と話を進めるアイラに、四人は特に嫌がる様子も無くついて行き、アキラだけが取り残される。
「おい、待てよ、おいランコっ!」
舞台袖からステージに向かうランコの肩を掴もうとしたアキラだったが、触れる直前でメメに阻まれる。
「女の子に気安く触れるもんじゃないわよ」
アイラもまた振り向いて、
「ちなみにアキラさん、ステージ上は男子禁制だから、絶対に来ないでくださいね。来れば命の保証はできません。あなたはここで見届けてください。オニユリの最期とヒロインクラスの新たなステージを」
ステージから溢れている光が、まるで後光さす偉人の如きアイラの姿。あるいは実際そんなオーラが発せられていたのか、アキラは一歩も動けなかった。
㉒
ステージの上に現れたヒロインクラスの中心メンバーたちに観客は、狂喜乱舞の様相を呈しながら、引き連れられてやって来たカスと断じた少女たちの姿にはどよめいた。
マイクを掴んだアイラは、会場全体を見渡し終えると、口を開く。
『盛り上がってる?なんて聞くまでもないよね』
反応としての大歓声を浴びて、クールな笑みを浮かべるアイラ。
『盛り上がりつつも驚いてる原因は、この子たちの事だよね。さ、みんな前へ』
促されて、素直にステージの前方に立ったランコたち四人。その瞬間、歓声は失せてどよめきやざわめきに転じた。
『この子たちがオニユリと名乗って、私たちヒロインクラスの活動を妨害したり反逆したりしたことは誰もが知るところ。そして誰もが不快感を覚えて、彼女たちの排除を願った』
会場にいる観客たちが一様に頷くという光景は不気味である。
『そんな彼女たちが、いまこうして私たちのステージに一緒に立っている理由。みんな驚いてくれても結構よ。オニユリは消滅して、彼女たちは、ヒロインクラスの構成員として迎え入れる。その決定を、ここで発表するわ』
巨大などよめきが波のようにうねっている。隣同士の顔を見合わせ、アイラに許されたとおりに、遠慮なく驚いてみせる。
『反逆者たちもまた、ヒロインクラスという光に惹きつけられた者たち。もう彼女たちに反逆の意志は無いの。みんな私たちの存在を理解し、受け入れた。そして私たちはまた大きくなる。熱くなる。いつか太陽に届く光になる。みんな一緒にね!』
アイラの言葉を呑み込んで三秒後に湧き立った拍手喝采。地鳴りのような歓声。もう戸惑いは失せて、新構成員歓迎のムードが出来上がっていた
『それじゃ、紹介するわ。みんなお願いね』
まず、姫井メイがライムの横に立つ。
『仁ライム!』
メイからの紹介を受けて、ライムは深々とお辞儀をする。
『よろしくお願いします!』
次に神堂アテネ。
『美沙ハデス……改めましてミ・サ』
突然改名されるも、ハデスは晴れやかな顔で、観客に手を振る。
『よろしくねー、みんな!』
メローンはおどけた感じでモモヨの手を取り、万歳のポーズをさせる。
『春乃モモヨちゃーん、でっす』
万歳ポーズのまま小さく手を振るモモヨ。
『あ、あり、ありがとうございまぁす』
そして、メメ。
『純恋ランコ!』
ランコは口を半開きのまま、やはり何の反応も示さない。
『うーん、この子はね。感動のあまり口を利けなくなっててさ』
そう言ってメメは、ランコの頭を無理やり下げさせるのだった。
『オールヒロインアタックフェスはまだまだ続く!ここからは新たなステージになる!みんな今日は燃え尽きてもいいって感じで、全力で着いてきてね!』
「ちょっと待てや!」
絶好調の盛り上がりで、クライマックスに駆け上がろうというステージと客席に、異が唱えられた。ただ一つの声。マイクも通されていないので、客席には届いていない。
ただ、声は届かずとも、その姿形だけで立派な〝異〟である。ステージの上にただ一人の男。アキラは、憤りながらも小さい歩幅でステージに上がって、センターを目指す。
「アキラさん……忠告しましたよね。ステージの上は男子禁制だと」
ひどく冷めた視線を、アイラは向けている。
「無視させてもらったぜ。あんまりにも勝手な事を言いくさって」
「命の保証はできない、とも言いましたよね」
そう言って、アイラは視線を客席に移す。アキラもそれに沿い、客席を見た。
あつい。夏だからそりゃ暑い。いや、これは熱い。アキラは膨大な熱量を感じ取った。
数十万の敵意に満ちた視線が、集中砲火的にアキラに向けられている。いや、きっとそれだけではない。このイベントは生中継で管制都市東京全域に放送されている。それを見ている者たちの敵意もまた感じ取る。その数は数百万、もしかしたら一千万超え。
男子禁制。華やかなる女性のみ存在が許されたステージの上に男がいる。何者でもないちっぽけな少年。ケーキが並べられている棚に、いきなり牛糞が置かれようものなら、そりゃ誰でもキレる。それと同じ事。
テンミリオンオーヴァーの人民から消滅を願われるアキラ。氷点下に冷めた視線に込められた熱い漆黒の意志に、アキラは一時言葉を失っていた。
「いまこの瞬間、あんたほど孤独な人はいないよね。でも、今すぐにこの場から去れば、ほんの一瞬だけ、視界に蠅が飛び交っただけだな、ってみんなは思ってくれるでしょーよ」
メメが嘲りつつ、一応逃げ道を用意してくれている。その道に乗れば、常軌を逸したアホの乱入程度で事態は収まるだろう。
「う。うぅ……ん」
苦悩は心のひび割れ。きっと一歩でも足を下げれば、たちまちに心は折れて粉々に砕け散る。すんませんでした、と土下座も辞さない完全敗北者に成り果てる。
願いを込めてランコたちの表情を窺うも、彼女たちはあまりにも冷めた表情であり、アキラの存在には何の関心も示していない。そして、アキラは「ハハッ」と乾いた笑いを一瞬噴出した。
「こりゃ終わっ」
「もうちょい粘れよ、明川アキラ!」
心が折れて砕けるその瞬間だった。野太い中年男の声が、耳に響いた。
客席は今再び動揺しどよめきに満ちる。それはこの度はステージ上でも同じだった。アイラたちもまた、怪訝な、不快な表情をそれぞれに浮かべて、来訪者を見ている。
舞台袖からのそのそと歩いてくる、坊主頭のくたびれたオッサンは、荒城アラシ。その後ろに二人の男。坊主頭ではなく、禿げた頭のオッサン。もう一人は無法地帯のように乱雑に伸びた頭をかきむしる、肥えたオッサン。
三人とも、ここに来るまでに何人もの警備員とやり合ってきたのだろう、顔は痣だらけで、もとより襤褸な服はボロボロで露出度高め。何とも見苦しい有様である。
しかし、手にしっかりと、ギター、ベース、ドラムスティックを握り締めている様には、確固たる意志を感じることができる。もっともそんなものを感じているのは、アキラだけなのだが。
「あんた、荒城アラシ……」
「腐った面しやがって。もう五秒ほど来るのが遅かったら、小便の一つでも漏らしてたって感じだな、おい」
「……」
「返す言葉も無ぇってか、まぁいいや」
「いいわけがないでしょう?」
アイラは早々に戸惑いを消し、眉間に皺を寄せ、珍しく憤りの表情を見せている。その横に、まったく同じ表情のメイがいて、腕組みをしている。
「荒城アラシ。収容所を脱走したって報告は聞いてたけど、まさかこんな所にやってくるとはね。後ろの二人は、仁トニオと氷熊トド……確か五憎六腐をやってたっていう」
「おうよ。いかにも俺は仁トニオ。元五憎六腐ベースよ」
禿げが誇らしげに自らを語り、
「そして俺が氷熊トド。元五憎六腐のクレイジーデッドビートなドラマーってやつでよぉ」
肥満体は、ドラム代わりに自分の腹をスティックで叩いて見せたが、誰も反応しなかった。
「元五憎六腐で仁……?って事はまさか」
アキラの推測に応じるように、トニオは真っ直ぐに、ライムを見ていた。
「あぁ、俺はあそこにいる仁ライムの親父さ」
「マジかよ。え?っていうか、両親は死んだって……」
「フフンッ。おいライム!お前の親父が、地獄から、肥溜めから戻って来たぞ!久しぶりだな!」
やたらとでかい声は、正に酔漢の喚き声であり、聞く者を不快にさせる効果は抜群。それは娘であるライムにも効果覿面。
「最低だわ。臭くて下品で……。こんな生物が私の父親のはずがない」
父どころか人間としての存在も否定したライム。
「カァー!堅苦しい事言いやがってよ。つまらん人間に成り果てやがって」
娘から人間外と断ぜられても落ち込む素振りも無いのは、やはり酔いのせいか。
そしてもう一人、娘に視線を送る男、荒城アラシ。虚ろな顔のランコを見るその顔は複雑な心境を露わにしている。
「あんたは、ランコの名を呼ばないんだな」
アキラに問われたアラシは、渋い顔のままに答える。
「レーコから、お前は親父と名乗り出るなと言われてるし。何か言ったとしても、きっと今のランコには何も聞こえないだろうな。今はそれよりも……」
アラシは視線をアイラに向けた。その背景に観客の群れ。彼らもそろそろ戸惑うのは止めてキレ始めていた。ケーキ屋に肥しが大量に流し込まされたような気分にもなった彼ら。
「一体何を考えているの?何もかもが腐り果てた男たちが、ここで一体何をするつもり?何ができるつもりよ?」
「なに単純な話でよ。糞を投げつけに来てやったのよ」
「なッ」
アラシが一本の紐を握っていた。どこにつながっているのか辿ってみれば、それはステージの背景として吊るされている暗幕。次なるステージセットがその後ろに準備されているはずだが……
にやりと笑ったアラシが紐を引き、果たして現れたのは、ドラムセットと幾つも積み重ねられたアンプ。
「お前らがあっちやこっちで盛り上がってる最中、スタッフをボコボコにして、俺たちの準備を進めさせてもらったぜ」
得意げに言いながら、アラシもトニオもトドもそれぞれ位置に着くべく歩き出す。
「さて、明川アキラ。お前はどうする?俺たちはもう後戻りできねぇ。お前はどうだ?ここで、何万いるかも分からん連中相手に、やらかしてみるか?えぇおい?命の保証なんてあるはずねーけどな」
挑発的な言動だったが、アキラはそれに上手く乗れない。
「俺に……この状況でできることなんざ」
「そーかい。まぁ好きにしろや。俺たちはやらかしてもらうぜ。俺たち……そうだな、オニユリって名前は使われてるから、俺たちは……」
『五憎六腐‼』
自信に満ち満ちてバンド名を叫び、やらかし始めた彼ら。〝やらかす〟それは、楽器の演奏。この時代、この管制都市東京においてその行為は正にアナーキー。
楽器狩り。それは我真エイリがアイドル殲滅宣言をした後、更なる施策としての表現活動禁止の際に、真っ先に行われた活動。まず人々から楽器を取り上げることにより、直接的に音楽活動を制限したのだ。
そんな楽器狩りの目を盗み、アラシたちは所有していた楽器を解体し、地下のあらゆる場所へ隠した。そして今それを復活させたのだが……
残念ながら経年劣化が酷いもので、弦が切れていたり、膜が破れていたり、数分もしないうちにチューニングがずれたりと、楽器としての機能が大分失われている。
しかし、そんな事は関係なかった。だって彼らはここに音楽を披露しに来たわけではないのだから。糞を投げつけに来た。その言葉通りの演奏が、珍騒がステージの上で晒されていた。
演奏の土台を支えるつもりなど毛頭ないといった具合に、ひたすらでかい音でリズムもくそもないハイスピードなビート。ベースはテクニカルっぽく指を巧みに動かしているが、音が埋もれて何も聴こえていないので、きっとハッタリ。ギターはひたすらにパワーコードを鳴らしてはしゃぐ。パワー!パワー!パワー!パーァァァァ!とする内にまた弦が切れた。
もちろんカス極まりないが、そんなカス共は一切たじろぐことなく、ステージ上を駆け回り、時に転げ回っている。
全力全開の五憎六腐のステージを目の当たりにして、盛り上がっている者は一人もいない。アイラは不快極まりなく、冷淡な表情の裏に憤怒を貯め込み、メメたちは嘲笑。観客は思い思いに罵声を浴びせている。
アキラはというと、殆ど放心状態である。
(何をやらかしてるんだよ、あのオッサンども。とっくの昔に終わってるオッサンがはしゃぎまわって、呆れられて笑われてキレられて……。酷過ぎる。そして俺はこんな所で何をやってんだ?)
アラシたちとランコたちを、何度も交互に見ている内に、アキラの思考は段々とぼやけてきた。
(あぁ?俺は何をしに、ここに来たんだっけ?アイドルになるんだっけ?それがダメになって、アイドル成長物語を見届けたくなったんだっけ?それがなんかアナーキスト活動家みたいになっちまって、それも悪くないなとか思ったか?あぁ、そう思ってたんだけど、俺が夢見てた連中が空っぽになって、今や周囲を三匹の糞蠅が飛び交って……)
「ハッ……ハハ」
ぼやけていたアキラの思考が、急速にハッキリとし始める。壁一枚隔てたように聞こえていた五憎六腐の演奏や、観客たちの罵声もまたハッキリと聴こえ始めて……
「あぁぁぁぁぁッ!ウルセェェェェ‼」
キレた。
「アキラさん?」
突如咆哮したアキラは、一切の震えのない歩みでステージのど真ん中へと至り、マイクを掴みとった。
『どいつもこいつもうるせェよ!何だあの小汚いオッサンどもは?何だこのスカしたクソ女どもは?何なんだ!おい!お前らだよ!糞にたかる蠅どもが!』
糞とみなした男から蠅と呼ばれる。糞にたかるのは蠅の習性であり、それは至極真っ当な物言いだが、観客たちは大いに怒る。それもまた至極真っ当な反応。
罵声と罵声が混ざりに混ざって混濁し、言葉がグラインド。それが音の波になってアキラを押し潰さんばかりの勢いで溢れてくるのだが、
『怒ってんのかお前ら⁉骨の無ェ、腐ったチキンクリスピーどもが!クソ女に向けて、唾液を飛ばして声援合戦?搾取されることにだけ長けやがって。なに?今日は観覧無料?そういう事じゃねーよ?これはお前らの精神の話。アバウトメンタル。薄弱な意志のお話だってのよ。拳を振り上げて、何をするかと思えば、アホみたいに振るだけで、振り下ろしはしないよな。お前らの手は蠅叩きだろ。だったら、オイオイ』
五憎六腐の演奏をバッグに、観客たちを煽りに煽るアキラの言葉。それは歌とは到底言えないが、マッチはしていた。
衝動的な演奏に、激情の言葉がマッチング。しかし、常軌を逸してしまっているアキラは、そんな事を全く意識してはなく、ただ激情の向くままに動く。オイオイオイと口走りながらステージを降り、客側へと近づき、防護柵の前に立つ。
『お前ら何万匹いるのか知らねーよ。俺は一人。一人で山を下りて、京に上がってスラムに落ちて、何かあったけど結局また一人。もうね、いいよこれで。これが俺、これぞ俺。そうだった。俺はやっぱアイドル目指すからよ。これが!俺の!アイドル活動!』
そう叫んだ直後、防護柵を飛び越え、万人の客がすし詰め状態のスタンドフロアにダイビング。
ォゴオオオオオオオオオォォォ
バァァァァァァァァハハハァァァ
ボォォォォォォォォォォォォォゥン
下水管の中を濁流が怒涛に流れるような、掃き溜めの終末のような轟音が会場全体から溢れ出て、そんな中から時折マイク越しに『俺が俺は俺こそ俺!』などとアキラの声が聴こえてくる。
相変わらず五憎六腐が、人の神経を逆撫でする演奏を続けており、アポカリプスサウンドまでも混ざり合って、ここまでくればこれはもうノイズ以上にノイズであり、一種の現象にも思える。
終末現象の中心は当然アキラ。数十万対一という、前人未到の闘争。
アキラは無心だった。無数の手足が、眼前背後頭上足元から襲い掛かるが、知った事かと、目の前にいるもの全てに殴りかかる。どうせ自分は一人。だから安心して全てをぶん殴ることができるよねと、むしろ気楽さすら覚えていた。
『何がアイドルだっ、このカス共、俺がアイドルだっ。そして戦士。俺は戦士!ついで言うとソルジャー。アイドルってつまりそうだろ⁉そうなの?そうだ!ウォーリアアイドルオブソルジャー!インザサン。エタナールサマーにおいて死す。死ぬぞ!俺が死ぬぞ!アイドルイズデェェェェェッド!よく言うぜ。超カッコイイ。支配したがるクソ女どもに糞を捧げ奉る。お前らの話だよ!お前ら蠅だっけ?俺が糞だっけ?いや、俺はウォーリアーアイドルオブソルジャーなんで、お前ら糞蠅だ。オオッ、ホホホホホッ』
完全崩壊。瞬間ごとに頭に浮かんだ言葉を吐き出すアキラ。支離滅裂な絶叫と共に繰り広げられるアイドル活動と暴挙。衣服は次々に破り捨てられ、それでも勢いは殺されず、数十万の観衆に突撃をかます。マイクだけは手放さない。
観客たちもまた、アキラの異様さに触発されているのか、或いはこれまでのヒロインクラスのパフォーマンスの効能もあるのか、興奮状態は継続していて、襲い掛かるちっぽけな脅威に対して、全力で応えている。
濁流が、轟音が、絶叫が、闘争が、暴挙が、アイドル活動が、いつ止むともしれずに、会場を湧き立たせていた。
㉓
いつの間にか、五憎六腐の演奏が止んでいた。誰よりも先にそれに気が付いたのはアイラ。と言っても、実際に演奏が終わってから数分は経っている。アイラもまた、アキラのアイドル活動から目を離せないでいたのだ。
『ス、ストップ!みんな、もう止めてちょうだい!』
今なお闘争を続ける観客たちだったが、さすが清風アイラである。その一言で、全観客の行為を止めることに成功した。
沈静を成した後、振り返れば、汗まみれで息を切らしている中年三人がいる。水死体のように思えるが、立って息をしているので生きている。
ならば、ここから突撃していった少年は……
スタンディングフロアの真ん中から人が捌けて、円状の空間が出来上がっている。そこに、生まれたままの姿、しかし死骸のような無残さの少年、明川アキラが伏していた。
その生まれたままの死骸は、全身を震わせながら、息も絶え絶えに立ち上がって、とっくに壊れたマイクを握り、
「俺がっ、これが!アイドルだ‼」
そう言い放った。
かつてアキラが口にしたアイドルの条件。華やかであり、人の憧れの対象たる存在。今のアキラは、はっきり言ってその条件に一切合致しない。むしろ対極。だが、アキラは声高く誇り高くアイドル宣言をした。そして力尽き、膝が折れ……
「無茶苦茶しすぎよ、アキラくん。よく生きてるわね」
崩れ落ちる寸前のアキラの体を支えたのは、純恋レーコだった。
「お。オォ……ホホ、レーコさぁん」
霞む視界にレーコを見たアキラは、聖天使に抱かれ昇天に至る程の感激に至り、レーコにしがみ付いてむせび泣く。
「あら……ハハッ、全裸の男子にしがみ付かれて泣かれてるってのは絵面的によろしくないので、ほら、テキトーにトランクスに拾ってきたから、これを履きなよ」
テキトーというのは本当にテキトーで、先刻の闘争時にずれ落ちたであろう誰かのトランクスを手渡され、おぼつかない手つきでそれを履いたアキラ。まだ満足に歩けるものではなく、レーコに肩を貸されてステージに向かう。行く手を阻んでいた観客の群れは、後ずさり綺麗に二つに分かれて道を作る。モーセの十戒のようだね、とありふれたことを思うアキラ。
「さっきのアキラくんの発狂……もとい、アイドル活動は、結局彼ら、観客たちを魅了するには至らなかったみたいだけど」
「そりゃそうでしょうね。というかそんな事も考えてませんでした。ただ、悔しかったんすよ。何一つ果たせることなく、ここで終わってしまうのが」
「そっか。……でもアキラくん、まだ終わるには早いわよ。観客は魅了できなくても、君のアイドル的雄姿を目に焼き付けた子たちが……ほら」
「え?」
「?あなたたち」
ステージの上で、アイラの前に、三つの背中が立つ。
「……ハァッ!痛っ!」
ライムが、何を思ったのか自分の腕に噛みついて、血が出るまで噛み締めて、目を見開いた。
「ブハッ!……ハハッ。さすがあたしの肉体よね。血肉に酒が浸透しきってるわ。やっぱ酒は、口から摂取して、舌で味わい、脳で炸裂させる!そうよ、あたしはオーヴァーアルカホリックアイドル!仁ライム!」
腕から、口から血を垂れ流しているライムは、さっきまでの堅い表情から一転し、晴れ晴れで緩い笑みを浮かべていた。
そして、隣のハデスは、どこからか?本当にどこから取り出してきたのか、いつの間にか黒いマントを羽織っていて、それを取り去ると、いつもの黒ビキニの姿で、不敵で邪な笑みを浮かべた。
「今再び、魔が満ちたわ。悪辣なる白に染められたけれど、このあたしを完全に染め上げる事は叶わない。短時間とはいえ、下賤に身を置いた事を恥じ、しかしそれはより大きな魔力を生み出すこととなる。堕落を超えて、美沙ハデス……復活よ」
また、モモヨは、自分の手足をまじまじと見つめた後、コンパクトミラーを取り出し、顔面を確認。しかる後に小皺を伸ばす動作などして、笑みを作り上げると、
「ハイッ。ってなわけで私も元通り。うん、元の二十三歳。ったくもー、五歳に幼児退行とかってハズカシー!後輩たちにしてやられたけど、元に戻った以上は覚悟なさいよ!」
五歳児から、自分を二十代と思い込んでいる三十二歳という常態に戻ったモモヨ。先の無様は、自分の勝手な暴走の結果であることを、この場の勢いで誤魔化そうとしている魂胆は確かにある。
ともあれ、ライム、ハデス、モモヨの三人は、精神的にスラム状態へと立ち戻った。
「へへ、ようやく正気を取り戻したなぁ、ライム」
この上なく嬉しそうなのは仁トニオ。今ようやく、父と娘の再会と相成るわけで、いそいそとライムに近づいて、顔を向け合う。
「うん。……うん?えと、どちら様?」
「はは。こんな時にも冗談をかます。さすがは俺の娘。そうだ、久しぶりだなライム。俺だよ、お前の親父だよ」
「え?そうなの?」
ライムは驚いている。といっても大したものではない。「へぇー」と口にする程度のもの。
「そうなの?……て。そうだよっ。まぁ確かに十年近くは会ってないし、顔も覚えちゃいないか……。いや、そんなもんなのか?」
「さぁ。あたしが父親って聞いて連想するのはブラックニッカのオッサンの顔だしね。っていうか、父さんは肥溜めに落ちて死んだとかって思ってたけど」
「肥溜めには落ちたが、死んじゃいなかったんだよ。死んだことにされたのかもしれんが。まぁ……いいや」
感動が微塵も無い再会が終わったあたりで、アキラとレーコがステージの上に辿り着いた。
「ハデス、ライム、モモヨさん。元に戻ったみたいだな。元のどうしようもない奴らによ」
「アキラちゃんのおかげよん」
「あんたに心を救われたのは、これで二度目よね」
「まぁ、あんなパワフルで狂ったことされたら、一気に目が覚めるってもんよね」
三人が醸し出すロクデナシのオーラを確かに感じ取り、アキラは三人の復活を確信した。
ならば、もう一人はどうだ。
「おいランコ、お前は……」
ランコは俯いて、ステージの上を揺らめきながら歩いている。未だ意識の焦点が定まっていない。夢遊病者そのものである。しかしながら何かを探しているかのようにも見えて……
「ランコ」
探し物が見つかった。ランコはレーコの肩を掴んで、ふらつく足を止めた。
「やっと……」
そして顔を上げたランコ。
「やっと追い着いたわ、ママ」
「遅いわよ」
「うん。でもこれから追い抜いちゃうから」
笑った。笑った。母と娘。よく似た不敵な笑みであった。
純恋ランコ、美沙ハデス、仁ライム、春乃モモヨ。この四人からなるアイドルグループ、オニユリが息を吹き返した。これを不測の事態とし、ヒロインクラスの面々の動揺は隠せたものではない。
「最低だわ……最悪よ。なんて無秩序なの」
雑音と罵声のパフォーマンスに煽られ、自制心を失った観衆の暴走。それを目の当たりにした姫井メイの嘆き。
「何て愚かしいことを……。私の救済をふいにして、またしても魔に唆されるとは。なんという救いの無さでしょうか……美沙ハデス」
救った者に拒絶された人類の光、神堂アテネの静謐な怒り。
「なんかもう、いろいろ思うのもしんどいわ」
「よく考えたらモモヨさんが何歳だろうが、どうでもいいし」
「え~と、まず十六に戻って、それから五歳になって、二十三歳に成長した三十二?ん~んん」
疲れ切ったヒナミとキク、そしてモモヨの年齢の推移に頭を悩ますメローン。
「追い着いたっていうの?……憧れの背に?あんなちっぽけなゴミ漁りが、私のゾーンを打ち破って」
來生メメは、悔しさに奥歯を噛み締め、ランコを睨む。
そして清風アイラは、ぼろくそなアキラを見据えている。睨んでいるのとは違う。下衆を蔑むのでもない。対等の視線で、意志の強そうな目力を感じさせる。
「これから何をするつもりなの?アキラさん」
「俺?俺はもう何もしない。見ての通りのボロクソでさ。後はこいつらが……だろ?」
アキラの視線に応じて、ランコが「おうさ」と頷いて、他の三人と共に、アイラたちヒロインクラスと対峙した。
㉔
「ゾーンだか何だか知んないけど、えらい恥をかかせてくれちゃったよね」
「はぁ?生まれてからずっと恥を晒しながら生きてる奴らが、何を言ってんのよ?」
「まぁそれもそうかな。でも今この瞬間、恥をかいてんのはあんたらの方だと思ってるんだけどさ。さっきまでの余裕も無いし」
図星をついたらしく、メメはランコに掴みかかろうと前屈みになる。が、直ぐ後に、アイラの手が制止した。
「さっきアキラさんに聞いたこと……。ランコちゃんはこれから何をするつもり?」
「そりゃ当然、アイドル活動!」
そう宣言して、ランコはマイクを握り、客席に顔を向けた。
『みんな!お待たせってやつ?さっきも随分楽しんでたみたいだけど、これからもっと楽しく、燃えに燃えて、燃えカスになってもらうからさ!』
少しの間を置いてのレスポンスは、むろん罵声。大罵声。アキラによって、怒りに着火した観客たちのテンションはまだ高いまま。
「おいランコ……とかいうの。何曲もやる必要は無ぇからよ。一発で決めてやれ」
アラシが、ランコの背後で囁いた。彼がそう言うのは、息切れをしているあたり、体力的に風前の灯だからであるが、ランコはその言葉に一曲入魂の意を感じた。
「そうだね、〝知らないオジサン〟。オジサンたちが演奏してくれんの?」
「あぁ、任せろや。それに、俺たちだけじゃなく……いや、まぁいい。直ぐに分かる。さぁ、始めようぜ」
「オッケーィ」
そしてランコは、大罵声の中、静かに息を吸い込み、そして大きく吐き出した。ハデス、ライム、モモヨの三人もそのタイミングは同じだった。
『ファイナル・アイドル・オーバーキル‼』
弁当屋の怠慢で 腐った米食う夜八時
頭の中の羽虫たちが ついにこの時目の前に湧く
華やぐ羽虫でいっぱいテレヴィジョン
殺虫剤が品切れだってさ ならば立ち上がるあたしたち
あたしたちこそ殺虫剤 そうでありたいネズミたち
救いを嘯く光の群れ 氷の世界でそれを見上げて幾星霜
聖女どもに屈辱を 群がる家畜の臓物を
隠された者たちの憤激により 汚濁塗れの聖域を燃やせ
憐みに抗い 十字架を裏返せ
誰の救いも求めちゃないけど 唯一の救いを奪うかな?
酩酊感こそ万能感 連続嘔吐の爽快感
渦巻く意識の異次元探訪 タイムトリップ実体験
そうでなくてもハイテンションで ローテンションでも愛おしい
飲んで吐け 吐いて飲め ミッドナイトの命は軽い
幾つになってもやめらんない これこれこれこの歓喜の渦
やめろと言われて やめてやんない
フォーエヴァーヤングなんて言わないから だって私はエターナル
ずっとここに居てあげる 未来永劫夢見る頃
炸裂しているオニユリたち。アラシたちが弾き出す雑音交じりだが爽快、或いは崩壊なビートに乗って、四人それぞれのスタンスで、言葉が矢継ぎ早に放射されている。
それに応じる歓声などは無い。あるとすればやはり罵声であり、痺れを切らしたヒロインクラスのファンたちが、叫ぶだけでは満足できずに、衝動に駆られ、手足を動かし始める。アイラたちにとって、それは凶兆だ。
「まずいんじゃないの、アイラ。客たちはそりゃ怒ってるけど、あんたが前に言ってたみたいに、ノリ始めてるようにも見えるわ」
「……えぇ。最悪の事態ね。しかもそれだけじゃなく」
アイラは客席の後方に目を向けた。そこに何やら、ぞろぞろと新たな一団が湧き始めている。
みすぼらしい者たち。汚れ塗れの作業服姿の者や、上半身裸の者もいる。ここ最近はろくにシャワーも浴びていないと主張する、黒ずんだ肌。そんな野蛮な一団。
「あいつらは……!」
メイは気が付いた。それが、つい数か月前収容所に送った者たちであることに。確かそれは、最下層のアンダーグラウンドで、怪しげな団体が活動しているとの噂を耳にして赴いた時の話だった
ハーデス!ハーデッス!ハァ!デッ!ッス‼
美沙ハデスを支える会。ハデスの心棒者たちが、収容所を脱して駆けつけていた。
メイはある予感に駆られて振り向いた。そしてにやりと笑う荒城アラシを見て確信した。
「あの男の手引きで、収容所破りがっ」
「更に、この一か月の間のゲリラライブで、すっかり触発された人たちも、そこかしこで走り回ってるみたいね」
毎夜の路上ゲリラライブの常連たちが、決して笑いはしていないが、我を忘れて腕をぶん回しながら野犬の如く駆け回っている。
しかしながら、そういった連中は一部に過ぎない。多くの客は、不快そうな表情で、そういう無秩序を見て立ち尽くしている。
そんな正統派なファンを見て、アイラは一度深呼吸する。耳に無理矢理ねじ込まれる雑音を一切無視して決断する。
「メメ、メイ、アテネ、これからZONEを発動させてくれる?」
提案された三人は一様に驚く。そして戸惑う。
「ZONE発動って、それも同じ場所でいっぺんに?あんたそんな事したら……」
「どんなことになるか予測もできないわね」
「おまけに、今現在この会場はあなたのゾーンでしょう?アイラ」
「えぇ。合計四つのZONEの同時発動。四つのエモーショナルのぶつかり合い。更に、あの子らのわけの分からないエネルギーも混ざり合って、混沌となる可能性は大ね」
現状既に混乱状態といってもいいにも関わらず、更にそれを混沌とする。そんなアイラの提案。随分と冷静さと理性を欠いた案だと、メメたちは思い、そしてアイラらしからぬ発案だとも思う。
「あんたらしくもないね、アイラ。ここは一旦、あいつらのパフォーマンスが終わるのを待ってからの方が」
「メメこそメメらしくない事を言う……。待つ?私たちのステージが蹂躙され尽くすのを?それは白旗を上げるに等しいこと」
攻撃的なアイラの視線と口調に、メメはハッとした。そして自分の温さに恥じ入って、舌打ちをした。
「今ここで、あの子たちと正面から衝突して、勝負を決める。その為に私たちも無茶をするわ。これを拒否する理由は何もない……でしょ?」
メメたちから、戸惑いが拭い去られていた。少女たちは今、同じ表情。強気、迎撃、殲滅の志。そして各々、ピアス、指輪、ネックレスに装着されている球体ZONEに手を添える。
「キク、ヒナミ、メロンちゃんの三人はサポートをお願いね」
はい、はいっ、はぁーい、と三つの返事を受けて、アイラはマイクを構えた。
『アトミック・ヒロイン・パレード!』
屈辱のステージ上で、三つの眩い発光現象。そして始まったのが……
同時刻同ステージ上で、異なる少女たちの異なるパフォーマンスが同時披露。ザラついて尖った攻撃的なビートを弾く生演奏と、打ち込み主体のクリアサウンドで明快なダンスビート。絶叫と熱唱。暴動とダンス。つまり両極の衝突。
廃材置き場でメイクアップガールが希望を吐き捨てたみたい
もしもあなたがそこにいてもいなくてもメタンガスで深呼吸
アトミックオーバーキルアンドピースで銀河嘔吐
花火のような激痛で愛しあう二人の密葬したい君を求めて死刑台
宇宙のどこにいたって引きずり出して吊し上げ希望になるよ
夜明けを目指して埋葬バーニングマイソウル
怒りと邪と嘲りと愛と希望と夢と糞。言葉同士がぶつかり合って、歌の体は完全崩壊。音はもちろん混ざりに混ざり合い、よく言えばもんじゃ焼きで、普通に言えば吐瀉物な状態である。
PAルームでは、裏方同士の小競り合い。アラシに誘われた者たちがオニユリの音響を、正規に雇われているスタッフはヒロインクラスの音響を、それぞれ有利にすべくせめぎ合い、当たり前のようにどつき合い、音のバランスは双方共倒れ。
そして、オニユリに突き動かされた怒れる者たちや、ハデスの心棒者、または収容所の脱走者たちが、この時を長年待ったとばかりに暴れ回り、それに応じるヒロインクラスのファンたちも、絶対にこいつら許さんっ、という正統派な怒りで、結局暴れ回る。
更にZONEの同時発動である。会場のスタンディングフロアには、警官隊や陸上選手たちが駆け回って、頭上には大天使が降臨した。
ステージの上で、オニユリとヒロインクラスが、体をぶつけ合いながら、双方全力全開で力を放出している。きっと互いのことなど、何一つ考えていない。彼女たちは各々無心で、全力全開のアタック!
エモーショナルの高鳴りが止まらない。これはZONEの影響か、十万超えの感情の高まりが視覚化、紅い蒸気と化して、会場全体を包み込んだ。どうしてか紅い。きっとそれが感情的な色。
紅に染まった世界で、万人がせめぎ合い、大天使が舞い降りていて、いつ止むとも知れない錆びついたマシンガンビートノイズと歌と絶叫のアンサンブル。
最終戦争っぽいな、とアキラは思った。そんなものは見たことないけれど。
㉕
誰もが時間の感覚を失っていた。いつ、ステージは終わったのだろうか。既に疲れ切ってただ眺めていたアキラ唯一人が、それを知っていた。
今現在、戦後十五分。観客たちは仰向けうつ伏せ横這い色々で倒れ込んでいる。ZONE解消により、紅い蒸気も消え失せた。戦後の静寂の中、荒い息遣いが各所から聞こえる。死人はいないと思う。多分。
ステージの上はどうだ?五憎六腐を称したアラシ、トニオ、トドの三人の男たちは、立ち尽くす水死体という感じで、全身汗塗れで放心状態。ヒロインクラスの面々は息を切らし、腰砕けで座り込んでいる。ただ一人アイラだけは、両膝を手で押さえ、何とか立っている。ではオニユリは?
彼女たちもまた、疲労感たっぷりに息を切らして言葉も無いが、誰一人倒れ込むことは無く、二本足で立ち、微かな笑みすら浮かべていた。
此度のステージを、オニユリとヒロインクラスの勝負とするならば、勝敗を決める審判は自分だろうという、勝手極まりない自負をもって、アキラはアイラに近づいた。
「あんたらヒロインクラスも、あいつらオニユリも全開のパフォーマンスだったよな。そしてこの結末……」
アキラは、視線を双方交互に見やり、対照する。その結果を、アイラ本人の口から聞きたくあり、アキラは彼女の言葉を待つ。
「……まだ、終わってない」
結果発表を拒絶。実にアイラらしい返答だと、彼女の事をよく知りもしないくせにアキラは思う。
「じゃあ、これからまだまだ続けるって事かい?そんな立ってるのがやっとってな状態で」
「当たり前よ。まだ、立ってるのよ。いや、倒れたとしても、私は決して負けない」
「……そんなに、あいつらの存在を認めたくないのかよ」
「認めちゃいけない。たとえもし、他のメンバーたちがあの子たちを認めたとしても、私は認めないっ。そしてもし、世界中があの子たちを受け入れたとしてもね。ヒロインクラスでない者たち、ヒロインクラスを否定する者たち。そんなものはっ」
絶対の意志と気力。そんなものに満ち満ちた目を向けられたアキラは気圧された。
「どうしてそんなに……実はあいつらに恨みがあるとか」
「そんなものは無いわ。私にあるのは憧れと誇り。我真エイリとヒロインクラスという、絶対的な存在だけが、私を生かすの。単純な話よアキラさん。あなたはアイドルを夢見て、田舎からやって来た。もしその夢が叶っていたとして……アイドルであることを、易々と捨て去ることはできる?ドブの底から憧れ続けて、ただそれだけの為に生きていたというのにっ」
もしもの話。実際のところ、自分はアイドルにはなれずに、夢は散った。しかしもし、アイドルになれていたとしたら……
「そうだな。夢潰えたからこその今現在ってわけだけど……。もし成就してたのなら、何が何でもアイドルで在り続けたい、そう思うに違いないな」
「でしょう?五層のスラムにいた頃から、私の視界には光が溢れていた。その光の中に必ず届いて、より強い光を放つ!他の生き方なんて考えていない。だからっ」
アイラは、膝を押さえていた手を離し、背筋を真っ直ぐ伸ばして直立した。呼吸も無理矢理整えた。そして、絶対負けない宣言をすべく、口を開けようとした時、
「さっすがぁ、だーから大好きよ、アイラ」
「……え」
佐富士メローンが、アイラの肩を労わるように軽く叩いた。
「メロンちゃ……いや、エイリさん」
メローンは、疲労感など一切感じさせない晴れやかな笑みを浮かべて、アハハ~などと笑って、アイラの肩を揉んでいる。
アキラには奇妙な光景に見えた。歳も格も、明らかに下のメローンがグループセンターのアイラの労をねぎらい、アイラは逆に畏まって言葉も出せないでいる。
いや、気にすべき点はそれよりも、さっき確かアイラはメローンに対して、
「さっきエイリさんとか言わなかったか?そっちのちっこいのに」
アイラは睨み、メローンは不敵な笑み。それを同時に向けられて、アキラは反応に困って口を噤んだ。
「何を言ってるの?聞き違っ」
「あーははっ。ついうっかり漏らしちゃったねぇ、アーイラ」
「そんなっ、何を」
「いーいのよ。これ以上無いくらいのタイミングでしょう?私の登場には、さ」
そう言って、メローンは、アキラの背後に目を向けた。そしてにっこり笑った。何かな?とアキラも振り向くと、レーコが腕組みをして立っていた。無表情。何だろうか?
「さて、久しぶりにお披露目といこうかしら、絶対アイドル我真エイリの姿をね」
そう告げた直後、メローンの全身が発光した。それはZONEの発動時とよく似た現象。誰もが眩さに目を細めて、霞む視界の先の変異を、おぼろげに見る。
癖のついた赤毛は、ストレートで長い黒髪へ。下がっていた目尻がやや上がり、あどけなかった顔は凛々しくなる。背も大分伸びた。
そして光が失せた後、人々は絶対的なヒロインクラスの象徴、我真エイリを目の当たりにしたのだった。
我真エイリ。その登場に、人々は各々脳内でそれに見合うBGMを流している。仰々しく壮大であったり勇ましかったり。
疲れ果て、腰砕けていたメメたちは、疲れを忘れて立ち上がり、ランコたちはそれとなく感じていた勝利を忘れて、その存在を迎える。
「いやー、ハハッ。いいわね、この注目を浴びる感じ。みんな私に夢中ってね。ザ・アイドル!久しぶりのオンステージ。そしてそんなステージに、また一緒にいるなんてねーぇ。レーコ」
誰もが驚きの表情を浮かべている中、レーコだけは表情を変えずにいる。冷静で、淡白で。
「一緒のステージに立ってるつもりはないけどね。まぁいいわ。久しぶりね、くらいの挨拶はしてあげる。……それにしても相変わらずね」
「いやっ、いやいやっ、相変わらず過ぎでしょっ」
レーコとエイリの間に、勢いよく割って入ったのはモモヨ。彼女は食い入るようにエイリの全身を見ている。
「最後に姐さんを生で見たのはもう十年以上前だけど、その時から変わってなさすぎじゃない?若作りとかそんなレベルじゃなしに、マジでそのまんまっていうか。あれ?ってか、メローンだったよね、さっきまで。んんんんうん?」
勢いよく割り込んで、勢いよく悩み始めるモモヨ。そんな彼女を、レーコはとりあえず放置する。
「確かにね。あんたと私は同い年だけど、今のあんたはどう見ても三十八歳には見えないわ。私がヒロインクラス辞めた時の十八歳。あの時のあんたと同じ容姿をしてる」
「……」
エイリは物言わず、笑みを浮かべたままレーコを見つめている。彼女の反応を心から楽しんでいる様子で。
「エイリさん……本物の」
「初めまして、というのも妙な気分ですけど」
「なんという眩い光でしょう……我真エイリ様」
メメ、メイ、アテネの三人は、これが生身のエイリとの初めての接触である。故に感激の極みであり、先刻の疲労感と敗北感は完全に吹き飛んでしまった。
「まぁ今まで佐富士メローンとして接していたしね。私としちゃ全然初めましてじゃないけどさ。まぁ楽になさいな。とか、エラソーに言っちゃう」
では佐富士メローンとは何だったのか?などという疑問は持たず、メメたちはただただエイリとの会話に感激中。
「いや、それじゃあのちっこいメローンとかいうのは何だったんだ?」
驚きはしたが、特に感激はしていないアキラは、遠慮なく疑問を口にした。
「擬態よ、擬態。ヒロインクラスの現状を知るには、ヒロインクラスのメンバーであることが手っ取り早いでしょ。ま、色々と仕掛けがあんのよ」
説明するのが面倒らしく、それでアキラの質問への応答は終わった。
「何だっていいんだけど」
感激と混乱の中、どこか憮然とした表情でエイリの前に立ったのはランコ。
「どうも、ランコちゃん。何やらご機嫌が斜めってるようだけど?」
「斜めってるっていうか……。我真エイリ。ヒロインクラスの象徴さんが、このタイミングで現れて、いったい何をしようとしてるのかなぁ、と思ってんだけどさ」
ランコは今一度、アイラやらメメやら、さっきまで張り合っていたヒロインクラスの面子を見る。
「なんかみんな復活してるって雰囲気だけど、どうすんの?今度はあんたも加わって、さっきみたいなパフォーマンス合戦しちゃう?」
「いやー。しないわよそんなの。そもそもお客たちが、みんな浜辺に打ち上げられた魚みたいになってるしさ。誰も見ないステージには何の意味も無いでしょ」
「だったら何をしちゃうつもり?」
「……うん」
何がうん、なのか分からない。何やらエイリは一歩下がって、視界にちょうどランコとレーコの二人を入れる。
「ははー。親子だから当たり前だけど、二人とも見た目はよく似てるね。でも性格は大分違うかな。ランコちゃんはむしろ私に似てる気がするわ」
「何よ?何が言いたいの?まさか私があなたの実のママですよ、とかそんな事言っちゃうんじゃ?」
「それは無いわ。乙女にそんな疑惑はありませんっ。ただ、私とランコちゃんが似てる根拠は実際あってさ」
エイリはちらりとレーコを見た。
「私の反応を楽しもうとしてるのも変わらないわね。でも残念ね、大体の事は把握してるからさ」
「そーなの?知ってる上でそんな冷静なのね……。大人になっちゃってさ」
「そりゃそーよ。あんたみたいに年齢を重ねることを否定したりはしない。若さを失うということは、人生を得るってこと。若さに拘ってるだけじゃ、それは人生じゃない」
それはエイリに向けた言葉であるが、その場の視線はエイリだけでなく、レーコの横にいるモモヨにも向けられた。
「……ん?なに?私の事を言ってるわけじゃないでしょ。モモヨは別よって、レーコさんのその気持ち。大丈夫、私そういうの分かっちゃうから」
「で?」
ランコは明らかに不機嫌な口調で、逸れた話の軌道修正を図る。
「ごめんごめん。私が何をしに来たのか?ってとこよね。じゃー、ランコちゃんにレーコ、アイラ。あぁそうだあと君も、アキラくん。あなたたちを招待するわ」
何を言ってんの?とランコが言おうとした時、エイリは手を叩いた。乾いた音がやたらと大きく響く。耳にその音がこびり付いて、視界が暗転した。
『アイドル殲滅宣言から二十年。それを成してから十数年。ようやく返ってきた反発の一撃を記念して、いろんな秘密を公開してあげる』
暗がりで何も見えない中、エイリの声が響き渡っていた。
㉖
色んなアイドルがいた。そして通り過ぎていく、消えていく。年齢の重なりが、成長というよりは経年劣化という状態となって去った者。スキャンダルを起こし、ファンや大衆から顰蹙を買い、追い出された者。或いは結婚し、幸せ宣言をしてファンを置き去りに身を引いた者。
色んなアイドルがいたが、最後は皆共通してアイドルではなくなって消えていった。時折伝説のアイドルが復活などという触れ込みで、加齢を存分に感じさせながらステージに再度上がった者たちもいたが、そんなものは見世物であった。
永遠のアイドル。それは見果てぬ夢。それを成し遂げようとした者もいて、それなりに長続きしたのだが、結果的にアイドル本人が正気を失い、壊れてしまった。
我真エイリはそういった実例を踏まえて、アイドルの性質を一つ定義付けた。それは〝不幸〟であること。
アイドルの悲劇は同情を買い、悲劇のアイドルは永遠に愛される。極端な例を挙げれば死亡。キャリアの絶頂において死んだアイドルは、永遠に絶頂のまま、きっと腐ることなく……
「とか思うわけよ、レーコ」
「はぁ……なぁに?エイリ。あんた自殺でもするつもり?」
「まっさかー。私はそういう実態を嘆いてんの。なんかさ、アイドルってファンを裏切っちゃダメとか、そういう絶対のルールがあるっしょ。恋をしちゃダメとか、酒飲むな煙草吸うなとか。まぁそんな縛りがあり過ぎるってなもんで」
「まぁ、そうよね。でもそれを承知でアイドルやってんだから、文句は言うなという話よ」
「まーぁね。でもさ、もっとアイドルの地位が上がって、ファンとの関係も変わって、むしろファンが私たちを裏切っちゃダメとかそんな状況になれば、アイドルは不幸でなければならないなんてことは無くなって、永遠のアイドルがようやく生まれる。そうは思わない?」
「うん?アイドルの地位を上げるって、どうなりたいのよ?」
「そーね。例えば国家権力とか。アハハッ、国家アイドル。そうなると、私たちヒロインクラス以外のアイドルが邪魔になっちゃうわね。オホホ」
ステージを目前にした控室での、他愛のないやり取り。レーコは、エイリの話を軽い気持ちで聞いていて、エイリにしても冗談交じりだった。
しかし、直後のステージで、エイリはアイドル殲滅宣言をしたのだった。
「ステージの上はみんな困ってて、ステージの下は大盛り上がり。あのコントラストはめっちゃ印象的だったなぁ」
エイリは、ステージの中央前方に立ち、誰もいない客席を眺めながら語っている。
ステージはステージだが、そこはさっきまでいた、円ビル前の特設ステージではない。かつて、エイリがアイドル殲滅宣言を行った、アリーナのステージの上。アキラ、ランコ、レーコ、アイラの四人は、どういうわけかそこにいる。
「覚えてるわよ。突然あんなことを言うもんだから驚いたけど、直前の楽屋でそれっぽい事も言ってたし、私からしたら、あぁまたかハイハイって感じだったけど」
「そしてね、宣言直後のステージ上の特殊照明照射。あれがZONEの初起動だった。ずっと昔から私の間近にいた理解者の協力のお陰で、実にスムーズに事は運びましたとさ」
「理解者の協力……というのは?ヒロインクラスの?」
神妙に耳を傾けているアイラの質問に、エイリは静かに首を振った。
「それはね、私のお兄ちゃんよ……。なんていうかシスコンなお兄ちゃんでさ」
兄を語り始めたエイリは、珍しく苦笑いを浮かべている。
「まぁそんなお兄ちゃんの事を、私も好きだったんだけどさ。それはいいとして、お兄ちゃんは脳科学の天才だったらしくて、光照射の点滅やパターンが脳にどう作用するかなんていう研究をしててさ。私の夢と希望も理解してくれて。そして他の分野の学者と共同で、強烈なアイテムを創り出したのよ。それが……」
「ZONE……」
アイラは自分が指に装着してある指輪を見た。
「そ。光波と脳波を織り交ぜて照射して、ありのままの自分が望むものを、他人に見せつけ、そこへ引き込む。そんなスーパー科学アイテム。シスコンか天才か、どちからの要素が無ければそんなものは出来なかったでしょーよ。ねーえ?お兄ちゃん」
エイリはふいに兄を呼んだ。視線と声が向く先は暗がりの客席。そこに、ゆっくりと姿を見せた、バツの悪そうな顔をした、坊主頭の中年男。
荒城アラシだった。
「あ、ああ?あんた、おいおい、あんたが我真エイリの兄貴だってのか?」
「う……ん、まぁそうだな。本名、我真アラシ。あぁ、かつての天才のシスコンだ」
アラシは、アキラとランコから視線を逸らしつつ、自分がエイリの兄であることを認めた。
「ってことは、あんた、妹と共謀してたってわけだ。つまり、その為にレーコさんと……とととっ」
思わずレーコとの結婚、ランコの誕生について漏らしてしまいそうになったアキラは、あまりにも不自然なところで口を噤んだ。
「もういいのよ、アキラくん」
「そーよ、いくらあたしの記憶がおぼろげでも、あれがパパってことくらいは察してるし。写真で見たことくらいはあるし。ただ別にパパとの再会に思うところは何も無いけど」
そんな軽い扱いに、アラシはまた苦笑いを浮かべた。
「そんな兄が開発したZONEなんだけど、私はまぁステージ上で、ファン相手に効果があればいいかなとか思ってたんだけど……それどころじゃなかったのよね」
「想定以上に効力が持続というか、どんどん拡大していって、それはもう国を覆わんばかりに」
まったくもってろくでもない話である。兄妹揃って苦笑いを浮かべているが、エイリ自身の言う通り、それどころではない。
果たして、ZONEの効果は絶大なほどに有効だった。
「なんかさ、総理大臣が乱心して乱闘の挙句に失踪したってあったでしょ?発動したのがあれの直後で、国全体がショックで揺らいでたのがまたタイミングの問題ってやつでさ」
「あと……それとな、えぇと」
苦々しそうなアラシが、歯切れ悪く割って入る。
「……もう時効だろうから言っちまうが、あの総理大臣の乱闘ってやつ。あれも実は俺が原因でな。ZONEの実験をしたくて、どうせなら大物で結果が如実に分かる相手がいいなと思って、記者団に紛れ込んで、カメラのフラッシュにZONEの光波を混ぜたら……あぁなっちゃいました」
「「「「……………」」」」
語尾の軽さに誤魔化される者はいなかった。特にレーコは特大のため息を一つ。
「絶対に時効じゃないわよあんた。完全に国家テロリストでしょ。はぁ、まぁいいわ……いや絶対によくないけどね。続けなよ」
この場でアラシの断罪には何の意味も無いので、話の続きをエイリに促した。
「というわけで、不安に揺らいだ国民の心の隙間に、こうスゥ~っと、いろんなメディア媒体を通して私の光が照射され、私の理想が浸透してしまいましてね。あれよあれよという間に、この国は私の理想国家になってしまったというわけでした」
最低だった。素晴らしく間の抜けた、しかし即効で速攻な国家侵略である。いや、しかし恐ろしい。
「ということは、まさかエイリさんのゾーンって」
「そう、この国全体が私のゾーン。この国は、私の願望と衝動に満ちた世界」
清風アイラがイベント開始と共に発動させたZONEは、イベント会場全体をアイラのゾーンとしたが、エイリのゾーンたるやその規模を比べようがない程で、正に始末に負えない領域だ。
「最初のZONEは制御なんて考えてなかったから、恐らく太陽光線にもエイリの脳波と光波が乗ったんだと思う」
軽い補足のつもりで言ったのだろうが、もはや取り返しのつかない事態である。
ともあれ、エイリとアラシによる、結果的ヒロインクラス国家侵略の顛末は語り終わった。
「えーと、つまりこの国の全ては我真エイリの都合のいいようにできてるってわけ?」
突然話のスケールが跳ね上がったので、ランコもさすがに驚きを隠せないでいた。
「大体はね。所々で曲解されてる部分もあるけど。ちなみに私が十八歳のままなのも、ZONEの影響よ。あの時の私の姿形が、人々の目と脳に焼き付いて定着してるって具合。私自身以外の全ての人にね」
「つまり、管制都市東京とか、地方の情報格差とか、アイドルの国家権力化とか、あんたがずっと若いままとか、ヒロインクラスが絶対的な存在だとか、全部あんたら兄妹の仕業ってことでいいの?」
「仕業……か。悪意は無かったけど、いや、だからこそ性質が悪いんでしょうね。それに、発動当初はヤッバーとか思ってたけど、制御が利かないとなると、もう行くところまで行こうとか、開き直れたしね」
フラット。フランク。国家侵略がこんな軽さで行われたのか、とアキラは呆れ果てる。ランコも同様だった。
「ねぇ、ママは知ってたの?この国のこんなふざけた実態を」
「えぇ、他でもない開発者の口から直接ね」
レーコはアラシを一瞥し、ため息をついた。
「それを聞かされた時、とりあえずぶん殴って、もちろんそれだけじゃ許さないから、ZONEの解除を約束させたんだけど」
レーコの話を聞いていたアイラは、少し首を傾げていた。
「ZONEは、本人の意志で解除できるし、それか体力、精神が疲れ果てたら解除されるはずでは?」
アイラが自身の体験と知識で語る。エイリは首を振って返す。
「それは今のZONEがコンパクトで安全で健全なものに改良されたからよ。私が使ったやつは、とりあえず欲求と衝動が剝き出しだったから、制御とか解除の事なんて考えられてなかったのよ」
「「でも」」
話の反転は、レーコとエイリ両方の口から告げられた。同時発声に恥じ入る二人の隙に、アラシが咳払いをしつつ、話を続けた。
「一つの解除方法を、俺が考え付いた。エイリの願望へのアンチだ、反発、反抗だ。抑圧は反発を生み、やがて抑圧を撃破する。それができれば革命と呼ばれる。エイリに負けないくらいの、エイリへの反発エネルギー、革命エモーショナルを高めれば、このZONEの力を打ち破る事もできるかもしれない」
何やら得意げに語るアラシに一同ムカついているが、言葉にせず、黙って聞いておく。
「というわけで、俺は一旦エイリから離れて、〝鬼百合〟を結成し、ヒロインクラスとは正反対の、猥雑でスカムな音楽活動を始めた。しかし、人々の注目を浴びなきゃ意味が無いからな。俺が一人馬鹿をやったところで、ただの馬鹿だと思われてお終いだ。そこで、フロントを任せるのに最適だったのが、エイリから、ヒロインクラスから離反した純恋レーコだった」
『いやー、マズいね』などという軽さで、事の顛末を語ったアラシを、ひとまずぶん殴った後、レーコは彼の申し出を受けた。エイリの尻拭いをするのはいつもの事だし、という気持ちだった。
ところで、ぶん殴られたアラシだったが、そのショックで知能は低下。だがそれで目が覚めた。そして惚れた。レーコの強さ、凛々しさに。そしてシスコンを卒業。エイリの為ではなく、レーコの為に、鬼百合の活動をし、ZONEの解除にのぞんだ。
果たして、活動はすぐさま座礁した。エイリの衝動と願望は増々強くなっており、ZONEの影響下で人民は、ヒロインクラスを完全に称えて、それ以外の偶像の全ては唾棄すべきものとして認識していた。ましてや、猥雑なカスを身上とする鬼百合は、まったくもって塵芥だった。
その後、アラシは躍起になって色んな方法で反発活動、即ちZONE解除活動を行うも、もはやどうにもならずに、天才とも謳われた知能も更に劣化し、単なる奇人に成り果てて、地下の地下へと落ちていった。
純恋レーコと、その間にできた娘、純恋ランコを残して。
「しかし、まさか自分の娘が、オニユリの名前で世に出て、ヒロインクラス相手にここまで喰らいつくとはな。かつての俺やレーコが目指した状況が、今ってわけだよ、ランコ」
父親らしいつもりで、朗らかな笑みを見せるアラシに対し、ランコの視線は冷めていた。
「何かいい話っぽく語ってるけど、自分の失態の後始末を、自分の娘に任せてちゃってる、って話だよね」
そんな冷静で的確な分析には「はい」と答えるしかなかった。
娘の冷めた視線に耐え切れずに、アラシは妹に視線を向けた。
「なぁエイリ。どうだ?ランコたちのエモーショナルが、さっきのステージでヒロインクラスを上回ったと、俺は感じた。お前ももう認めざるをえないんじゃないか?怒号、罵声、無秩序、掃き溜め、ゴミ屑とかいった、お前が一切望まなかった要素が溢れ出てきたのは明白だ」
「……」
「お前も、元々はこのデカくなりすぎたZONEの解消を望んでたんだ。後は晴れやかな心で、負けを認めれば、全て終わりだ。お前も楽になるだろ」
「……」
エイリは無言。その視線は言葉で語りかけてくるアラシではなく、さっきから目で訴えかけているアイラに向けて。
「うん……ふふっ。ちょっと前、小一時間くらい前までは、そんな気分だったわ。待ちに待った、抑圧に対するでかい反発だったしね。ただ」
エイリはその場にいる者たち全員を眺め見た後、言葉を続けた。
「気が変わったわ」
「「「「!」」」」
アキラ、ランコ、レーコ、アラシの四人が表情を強張らせ、その一方でアイラは仄かに笑った。
「私はまだ、このZONEを続けたい。それを望む気持ちに応えてあげたい。アイラ、あなたの気持ちにね」
「エイリさん……」
アイラは、涙を滲ませて至上の幸福。そんな彼女の肩に、エイリはそっと手を添える。
「さっきのステージ。あなたの気持ちは本当に強かった。決して膝を着かなかったでしょ?そしてその強さの源が私への憧れというのなら、私はそう在り続けたい。そう思った」
エイリはアイラの頭を撫でて、抱き寄せた。アイラにとってはたまらない。感涙である。
「ってなわけよ。みんなこれからも、私とヒロインクラスの世界で頑張って生きていってね」
エイリとアイラが仲睦まじく微笑み合う。そんなハッピーエンド。
しかしそんなハッピーは胸糞悪いとばかりに、まずレーコが手を取り合う二人の前に詰め寄った。
「あんたね、人の予想と期待を裏切るのが何よりも好きなその性格、いつになったら治すのよ?そんなんじゃ、最終的に自分が本当は何をしたいのかも分からなくなるわよ。いや、もうそうなっちゃってるんじゃないの?」
「いや、そうでもなくってよ。考えてみなよ、レーコ。この国は私が望んだ世界。私の衝動でできた世界。それが解除されないのなら、やっぱり今もまだ、私がこの状況を心から望んでるってわけでさ」
「じゃあ、あんたがさっき話してたみたいに、ZONEが拡大していくのがヤバいとか思ったってのはどうなんだ?状況の否定だろ?」
アキラが、エイリの横に立ち、続いて詰める。
「それこそさっき私が言ってたでしょ。小一時間くらい前まではそう思ってたって。そして今はそう思ってない。嬉しかったのよ、アイラの気持ちがね。レーコが離れていって、お兄ちゃんもそれに着いていって、わりと心は孤独だった。とか言うと乙女チックで許されそうね」
「「許すかっ」」
息ピッタリに突っ込むレーコとアラシに、エイリはご満悦な笑みを返した。やはりハッピーエンドは終わらない。
「あたしは別にいいと思うけど」
ランコは、エイリに近づこうとはせず、後方からそう言った。そこに憤りというものは無かったし、エイリの言葉に対して躍起にもなっていなかった。
「あたしはヒロインクラスが負けを認めるのなんて望んでないし」
「おいおいランコ、何言い出してんだ。だったら今まで何の為に活動してきたんだ?」
「アキラこそ何を言っちゃってんのさ。あたしらオニユリは、ヒロインクラスを天辺から引き摺り下ろす為に、今までやって来たでしょ。我真エイリが負けを認めるとか認めないとかどうでもいいのよね。できれば、最後の最後まであたしらを否定し続けて、そのまま蹴落としてやるのよ。ってなわけでさ」
ここで今、ランコは足を進めて、エイリとアイラの前に立つ。対峙する。
「あんたのさっきの宣言は、むしろ歓迎しちゃうよ。ヒロインクラスがそのままでいてくれるのなら、あたしらもますます勢いづけちゃうし」
「わーお。スーパー大胆不敵よこの子。どーする?アイラ」
今、エイリに求められている自分。アイラは瞬時にそれを考え、即座に応じる。
「ランコちゃんに言われるまでもなく、ヒロインクラスは永遠にアイドル。それ以外はありえないし、それを脅かすものも存在しない。何もかもがそのままよ。安心してね、ランコちゃん」
堂に入っていた。慢心も無ければ嘲りも無く、胡散臭さも無い。人民が焦がれる光、太陽であることを自負するアイドル。太陽に唾が吐かれても、届くはずがない。アイラは今憧れと共に在る。その事が、彼女の全ての力となっている。
対峙するランコにしても、堂に入った態度と言えた。太陽の光を眼前にしても、決して目を細めない。きっとそれを光と思っていないから。
嬉しそうに笑う。それは二人に共通した表情だった。そしてそれを眺めていたエイリもまた、笑みを浮かべていた。アキラ、レーコ、アラシの三人はだいたい呆れていた。
㉗
「さて、オール・ヒロイン・アタック・フェスはこれにて終了。空前の盛り上がりを見せて幕を下ろしました。その締めくくりに、超重大発表!」
手を叩いて傾注させるエイリは、特に意味も無く人差し指を天に向かって突き出す。
「なんと私、我真エイリが表舞台に復帰いたします!」
まるで万人の聴衆に向けたかのようなトーンだが、聴衆は五人。その内のレーコが冷やかに応じる。
「ったく、呆れるわ。あんたそんな見た目してるけど実際は三十八よ。それがアイドル現役復帰だなんて」
「あら、モモヨだって一応現役でしょ?」
「だから、呆れてるのよ」
「ははーん?なんだかんだ言って、あんた結構羨ましいんじゃないの?」
エイリのなんとも意地の悪い笑みが、レーコにまじまじと向けられている。一瞬だけ眉間に皺が寄ったが、小さく息を吸い込んだ後は、冷静でいられた。
「まさか。羨むのなら、私もとっくに行動してるわ。私の時は移ろったのよ。これからはランコやアキラくんたちの時代。そっち側にしても、清風アイラの時代であって、我真エイリなんて前時代の遺物は、記憶の片隅で眠っているべきものなのよ」
「前時代の遺物かぁ……。確かにそう思われてても不思議じゃない。人前に生の姿を見せなくなって、それだけの年月は経ってるしね。だから、これから……」
エイリはおもむろに、華麗な挙動で両手を掲げて、手を叩いた。
「復帰後初ステージをお披露目というわけよ!」
エイリの宣言を合図に、ステージはライトアップ。今ここに、観客など誰一人いないにも関わらず、ミュージックスタート。大仰なイントロダクションなど一切無く、アップテンポなビートが打ち出されて、照明は色とりどりにステージを、我真エイリを染めていく。
そして繰り広げられたもの!
あぁ、それは水面から高く、太陽を目指して跳躍するイルカのような軽やかさと鮮やかさ。
錯乱した夏の太陽が、幾百にも砕け散って、空を燃やしつくすような熱さ。地球規模の花火。
その一方で、日の出直後の森林における、小鳥の囀りのような清浄さ。森の奥地の湖で、人知れず木々の葉から滴り落ちた朝露の一滴のような静謐さ。
そして、日焼けした肌を惜しみなく晒して野を駆ける子どもたちの笑顔。ビーチにおける躁状態の若者たち。
夏だった。そんなパフォーマンスだった。
サマーイリュージョン。夏に酔え。夏の夜空に今、百発の花火が一斉発射。やかましいことこの上ないが、これもまたエイリのZONEの成せるわざ。
と、アキラやランコは思ったが、どうやら違っていて、ステージは再び円ビル前の特設会場。花火というのは、オール・ヒロイン・アタック・フェス閉幕の打ち上げ花火だった。
「あんたら、今までどこに行ってたのよ?」
ハデスは、ステージの隅にいつの間にかいたランコたちを見つけた。
「えーとね、何とも言えないな。どっかに行ってたつもりもないし。それより、ここはどんな状況だったのよ?見たところ……」
場所は同じでも、状況は随分と変わっていた。殆ど死体同然だった客たちは、どうやら息を吹き返したようで、歓声と万雷の拍手が惜しみなく鳴り響いている。
「あんたらの姿がしばらく見えなくなったと思ったら、突然メインモニターに、あの我真エイリが映し出されて、ステージ復帰宣言をしたのよ。そしたら、客たちがゾンビみたいに立ち上がって、見る見るうちに盛り上がり始めたのよ」
「そーよ。これから祝杯でも上げようかと思ってた時にさぁ。興が削がれるったらありゃしなーい」
そんな事を言いながらも、しっかりとビール瓶を握っているライム。
「しかし、エイリ姐さんの復帰か……。いや、姐さんって呼ぶのはなんか違和感あるわね。見た目は私と同い年くらいだし」
こった肩を揉みながら、モモヨは無理のある事を言っている。
「さて、オニユリの皆さん。私の復帰ステージはいかがだったかな?」
汗一つかかず、息も切らさず、エイリはアイラ以下ヒロインクラスのメンバーを背後に、更にその後ろに万人の客をも控え、オニユリと対峙する。
「夏……だった、かな。すごい夏を感じちゃったよ。ついつい凄いな、と思っちゃった」
ランコの言葉は素直なもの。実際エイリのパフォーマンスを目の当たりにし、その際脳内で再生された夏の情景。いや、実際にその情景を体験した気にもなった。肌に海と湖と森を感じた。
「でも」
凄さを素直に認めた後に、ランコは表情を変えずに、そのまま続ける。
「ぜーんぶ幻想なんでしょ?言ってみれば勘違いでしょ?だったらあたしら、全然負けないよ。だってあたしらマジもんだしさ。マジにムカついて、マジに唾を吐いて、マジに体をぶつけ合って、マジに痛みを感じる。ねぇ?みんな」
「うん。マジね」
「マジマジ」
「魔児」
幾分テキトーだが、オニユリの見解は一致していた。
「なるほどねー。幻想体験よりも実体験か。こりゃ相容れるわけないわね。ではうちの清風アイラからも一言」
エイリから呼ばれたアイラは、勇ましく足を進めてその横に立つ。
「ファンタジーに酔えない女ってのも哀しいわね」
「ファンタジー漬けも不健全でしょーに」
「そっちに酒漬けの子よりはずっとまともよ」
「は?一向に健全ですが?少なくともそちらさんみたいに、妄想癖はなくってよ」
「妄想癖っていうのなら、そっちの悪魔っ子は何なの?」
「何を言うかと思えば馬鹿馬鹿しい、魔の存在を妄想の産物にしておこうなどというのは、心弱い者の、それこそ現実逃避よ。だいたい、見た目はどうあれ、三十を超えたいい歳した女を頭に添えようなんてさ……あ」
「……」
発言したハデスも途中で気がつき、皆の視線はモモヨに注がれる。モモヨはただニッコリと笑い、無理に何も言おうとはしなかった。賢明だった。
とにかく、どうあっても水と油であるこの二組。そうあるのであれば、対立こそが健全な関係だろう。
「しかし、結局何も変わらずじまい、ってわけかよ。ここまでやってよ」
アキラの表情には、いくらか落胆の色合いがある。無理もない。夢破れて、新たに夢見て、万人との闘争においてボロクソにされ、結果的に状況は何も変わらないのである。
「そう気を落としなさんなよ、アキラくん」
そんな事を言うのが我真エイリなので、余計に腹立たしい。
「私をステージ復帰させたのは、君たちの功績よ、間違いなくね。それを誇りに、これから生きていくことを勧めるわ」
アキラからすれば素晴らしく屈辱的な慰めだが、エイリとしては嘲っているつもりはない。いたって真顔。なので、ますます腹立たしい。
そんな折、スタッフが一人、慌てふためいてステージに上がり、アイラの耳に何やらそっと耳打ちした。それを受けたアイラは、スタッフとよく似た、驚きと焦りの表情を見せ、やはり慌ててエイリに報告をする。
「報道班からの報告なんですがっ」
「うーん?」
「このフェスの生中継が、さっきのエイリさんの復帰ステージから今現在、東京だけでなく、全国ネットで配信されていると!全国ネットワークなのですと!」
その一報を受けたエイリは、一瞬目を見開いて驚きの表情を浮かべた。
「情報格差が解除されたってわけ?しかしなんで……?」
この国全土がエイリのゾーンであり、全てが自分の管理下にある。地方への情報規制、文明格差というのは、国中の文明力を東京に一点集中し、地方に圧倒的な差でもって君臨する。そんなシンプル極まりないエイリの頂点主義の表れである。しかしながら、自分の想定外の事が起きている。エイリは首を傾げたまま、アキラやランコたちに目を向ける。
そして
「そっか、なーるほど」
と勝手に納得した。
「アキラくんにランコちゃん。おめでとうと言ってあげるわ」
「何だ、いきなり。全然嬉しくないけど」
「喜びなよ。きっとオニユリのエモーショナルの高まりが、一部私のZONEを打ち破ったみたい。今このステージの中継は、全国ネットで流れてる。私の管制を離れちゃってね。地方の情報格差が解消されたのよ」
「ッ……って事は、俺の田舎にもこの放送が?」
「そーよ。北の大地から南の山奥までね。放送の媒体は違うかもしれないけど。しかしリアルタイムよ。だったら、さぁどうする?え?アキラくん、ランコちゃん?ねぇ?オニユリちゃん」
挑発的な言動ながら、エイリの表情はシリアスだった。そして、ランコたちの反応は早かった。彼女たちは力強くマイクを握った、
『半死半生ネヴァーダイ!』
お前とお前とお前にお前 いつまで経っても死にやしない
それがあたし!あたし!あたし!あたし!
それは十秒ほど炸裂した、誰も求めていないアンコール。その締めに、ハデスが白煙を噴出させて、オニユリはステージから消え去った。ヤリ逃げというやつだった。
㉘
フェスも完全終了し、夜も更けて。もう誰もいないステージの上、我真エイリは、世界を眺め見ているかのような遠い目で、夜空を見ていた。
「らしくない雰囲気を晒して、なに浸ってるのよ?」
誰が来たのかは、振り返るまでもなく分かった。
「来ると思ってたよ、レーコ」
「ついでに俺もいるぜ、エイリよ」
その男の声は意外だったらしく、エイリは振り向いた。やはりそこにいたレーコと、その横に、寄り添いはせずに、遠慮気味に立っているアラシがいた。
「あら、お兄ちゃん。これは意外だったわ。もう私には興味が無いもんだとばかり」
「そんなわけないだろ。確かにシスコンは卒業したが、お前は俺の妹なんだ。いつだって気になるのは当然だ」
「ウハハッ、マトモなこと言っちゃってさ。事の最大の原因なのに」
「そーよ。なんか反省の色が無いわね」
同調した女二人からの責め苦に、アラシは目を泳がせる。
「えっ、俺を非難する流れになんのかよ?そ、そりゃまぁ誰が一番悪いのかと言われれば、俺なのかもしれんが。それよりも、今はお前の事だよ、エイリ」
「私?さー、何でしょうか?」
エイリは薄らと笑みを浮かべつつ、レーコとアラシの二つの視線に、堂々と応じて、真っ直ぐ見つめ返す。
双方、しばしの間無言で見つめ合った。お互いの気持ちを探る視線がぶつかり合う。ぶつかり合うだけで、何も分かりはしないので、レーコが口を開く。
「色々と言いたいことはあるんだけど、言葉にするのがどうにも今更って感じだし。……ねぇ、あんた大丈夫なの?」
「あらら。罵声を浴びせられるか、叱責されるかのどっちかだと思ってたけど、心配されるのは意外ね」
「罵声や叱責も含めての心配よ。あんたの精神が崩壊か暴走かしてるんじゃないか?ってね」
「つまり私はいま錯乱してるのか?ってわけ?そう見えちゃう?」
「いや、調子に乗ってるようには見えるけど」
「その通り!絶好調!」
両手を掲げて絶頂アピール。自信に溢れた満面の笑み。エイリにはうしろめたさや後悔は無い。
「そう……。じゃあ安心ね。もしかしたら、自暴自棄になって、こんなことしてんのかとも思ってたけど」
「ハハッ、この十年くらいはヤケクソだったかもしんないけどね。マジな話、自分の願望が創り出したこの国に対して、嫌気がさしていたもの。だから本当の姿を隠してたし」
エイリは余裕な表情に、僅かばかり憂いを浮かべた。それは昔馴染のレーコや兄のアラシすら、殆ど見たことのない表情であり、二人は顔を見合わせ、口を噤む。
「思想を一方的に押し付けて、洗脳的に従わせる。大衆は何も疑わずに、私たちヒロインクラスに酔いしれる。そして私たちは増々調子づいて、支配者気取りにすらなる。昔の私が最もムカついたタイプの集団ね」
「……そうかもね。でもあんた、あの日、国家アイドルだとかなんとか言ってなかった?」
「あれは、そんなものが存在しなかったから、そう表現したのよ。現状認められない者が、大きな流れに打ち勝って、立場を逆転させてやろうっていうさ。そんな革命的乙女の夢物語。でもそれが何の大間違いか実現して、自身が主流になっちゃった。ハッキリ言って、ソッコーで虚しくなったわ。ZONEが願望の変化に沿ってくれれば、そんな風にはならなかったんだろうけど、試作品な上に暴走状態だったから、どうしようもなかった。だからいっそ、抑圧を増し増しにして、反発を煽った」
「そしてようやくの反発が、ランコたちのオニユリだったってわけか」
「えぇ。お兄ちゃんとレーコの鬼百合よりも、強力な反発よ。心底嬉しかったわ。もしかしたらこれで、この虚しい夢物語が終わるかもねってさ。実際そうなりかけたけど……最後の最後で、アイラがそれを許しちゃくれなかったわ。あの子の、私へのヒロインクラスへの強烈な憧れと、夢の終わりを認めない強靭な意志がね」
「清風アイラ……。あの子は何であんなにヒロインクラスを」
「それは、あの子自身にしか分からない事。それを私は探ろうなんて思わない。ただ、昔、パレードでパフォーマンスをしてた時に見かけた、薄汚れた服の少女の目が忘れられなくてね。あれは羨望じゃなかった。そこに行く、必ず行ってやる。睨むのとは違う、強烈な決意表明を感じさせたあの子。アイラだった」
その話をアイラ本人にしたことは無い。する必要も感じなかった。
「今日のフェスの事も含めて、あんなにも強く私を想うのなら、私の夢物語は決して虚しくなんてないはず。そう思ってさ」
レーコとアラシは、珍しく神妙に語るエイリの様子に、彼女の本気を窺い知る。
「ってなわけで、今はスッキリ気分で、超ハッキリした意識があるわ。いっそこの世界、惑星全部を私のゾーンにしてやろうってさ」
雰囲気が一気に転じて軽口な宣言だったが、エイリの瞳は輝いていた。真に迫る笑み。レーコとアラシは、エイリの昔馴染みとして、その言葉の本気を知る。呆気にとられる。二人はよく似た表情を見せていて、それを見るエイリはアハハハハッ……
この上なく楽しそうに笑った。
「楽しそうね。その楽しみをきっと、私とアラシの娘であんたの姪っ子と仲間たちが終わらせる。それを焚きつけたのもあんただけどね」
「えぇ。それも楽しみに待ってるわ」
言いたいことを言い終えた二人。一瞬笑みを向け合うと、レーコは踵を返す。
「お兄ちゃんはどうすんの?」
「俺は俺で社会にゲロを吐いてやるさ。とりあえず五憎六腐としてな」
「へぇー。まぁそれはあんまり期待しないでおくわ」
「言ってろよ。……ま、体には気を付けてな」
最後の言葉と笑みは、兄だった。そしてアラシもまた背を向けて、レーコとは違う方向へと去って行く。
二人の背を見送るエイリは、また世界を見据えるかのような遠い目をしていた。
㉙
世紀の一大イベント。それは決して過剰な売り文句ではない。実際異様な盛り上がりと混乱を見せたオール・ヒロイン・アタック・フェス。その締めくくりが、我真エイリのステージ復帰だったが故、途中にあった全裸男の発狂や、オニユリの演目などは決して大きく取り沙汰されず、管制都市東京は以前と何も変わらず、ヒロインクラスの統治都市のまま。フェス当日に収容所破りが多発したので、この頃五層のスラムの人口が増えているという変化はあるが。
しかしながら地方は違った。あの日あの晩、一気に情報格差が解消されたのだ。何年も、十何年も、所によっては何十年も一気に文化レベルが飛躍するという事態。怒涛に押し寄せる最新情報の量に追いつけない田舎者たちの困惑と混乱は現在進行形。蓄音機からデジタルへの強制移行。携帯電話やスマートフォンなど知らぬ者たちは、とりあえず電卓を耳にあてるなどしていた。
―オール・ヒロイン・アタック・フェス。実に盛大なイベントで、反響も大きかったですね。お疲れ様です。
「ありがとうございます。終わってみれば、とてつもなく有意義なイベントだったと思いますね」
―我真エイリさんのステージ復帰もあって……
「そう。それに尽きますね。エイリさんの復帰は、当初の予定には無かったんですよ。あの方は常に私たちを見守ってくれてはいたんですけど、復帰の話なんて一度も出てこなかった」
―どういった経緯であの日の復帰が?
「私たちの熱意を受けて、と言ってくれてます(笑)」
―あの〝オニユリ〟の出現との関連はあるのですか?
「……無いと言えば嘘になりますね。あの子たちがいなければ、あのフェス自体が開催されなかったし、オニユリのメンバーの純恋ランコさんは、元ヒロインクラスの純恋レーコさんの娘さんというのも、エイリさんにとっては想うところがあったように感じますね」
―かつては人気を二分した二人ですからね。
「はい。今現在では比較にもなりませんが(笑)」
―ところで、あの日はトラブルも色々とありましたね。わけの分からない男が乱入して発狂したり、オニユリがステージを乗っ取り、収容所破りをした者たちが雪崩れ込んできたりと。
「最低でしたね。そして最悪なのは、あのトラブルに私たちヒロインクラスは気圧されそうになってたことで……。こういう事は言いたくはないですが、認めなければならないと思います。あの時、私たちは挫けそうになっていたと」
―前代未聞の騒音でしたからね。災害レベルだったと思います。アイラさんにとって、あのオニユリというグループはどのような存在ですか?
「そうですね。以前と今とでは捉え方が違いますが……。以前はある種のライバルの登場かも、とか思ってましたね。良くも悪くも刺激になる存在だと。実際、結果的にはエイリさんの復帰にも繋がりましたし。でも今は……わりとどうでもいい存在かな、と思います。私たちが太陽だとするなら、あの子たちは太陽が当たらない場所に生えた苔やカビみたいなもので、もちろん不愉快なんだけど、触ったりしなければ大して気にもならないっていう(笑)」
―なるほど(笑)では今後のヒロインク
毎朝日課のゴミ漁りに没頭しているランコの横で、アキラはグズグズになっている雑誌を手にして、清風アイラのインタビューを呼んでいたのだが、途中で何らかの液体に紙が浸食されて、非常に不衛生だったので読み飛ばし、他の特集記事を読んでいる。
「へぇー。最近、地方では上京志向の若者が増えてるらしいな」
「ふ~ん。やっぱその子らも、アキラみたいにアイドル目指してんのかな?」
「いや、どうやら文化レベルの差が発覚したから、とにかく東京に来て、最新文化への理解を深めたいとかよ。それとか、東京に来ることで未来へのタイムスリップを疑似体験とかそんならしい。まぁ志ってよりは観光だろうよ。上京パスの申請も緩くなったって話もあるしな」
「そっかー。そのまま居付いちゃう人もいそうよね」
ランコはアキラを見据えてそう言った。
「あ?俺のこと言ってんのか?」
「うん。アキラはこれからどーすんのかな?」
「何言ってんだ?どーするもなにも、お前らのサポートだよ。堂々と言えたもんじゃないが、レーコさんとお前の家に居候し続ける気だよ。目的はまだ何一つ達成してないしな」
「アキラの目的って……。ママと結婚したいんだっけ?」
「は⁉な、なななに言ってん……いや、確かにそれが、いや……お?」
アキラは、朝日が昇る方角を見て、泳いでいた目を細めると共にそれに気が付いた。日の出を後光として、ゴミ山の上に立ち尽くしている彼女……
「おりょ?アイラ」
ランコもアキラの視線を追って、彼女を見つけた。清風アイラ。朝の訪れと共に登場。
「超カッコイイ登場の仕方するよね。さすがスーパーヒロイン。ウルトラアイドル」
「どうも。おはよう、ランコちゃんにアキラさん。フェス以来ね。アキラさんは、体の負傷はもう大丈夫?」
「いや。風呂に入ると傷口が沁みるし、夢の中で何百もの拳が襲い掛かってくるしで、最低な気分だよ」
「そう……それはお大事にね。ランコちゃん。他の子たちは元気?」
「相変わらずよ。ハデスは収容所から脱走した人たち相手に毎夜集会開いてるし、ライムちゃんはアルコールを常飲してるのは当然で、密造酒を地方に流そうって事を考えてるとか。モモヨさんは一時肩が上がらなくなったってさ」
アイラは、なるほどね、と微笑み、ランコに近づく。
「しかし何だってんだ?太陽様が菌糸類を消滅させるために舞い降りたってのか?」
「うん?その物言いから察するに、私のインタビュー記事を見てくれたみたいね。だったら、ヒロインクラスの今後の活動もご存じかな」
「ハハッ。残念ながら、途中で雑誌がふやけてて、読めたもんじゃなくてな。まぁ大方、酔っ払ったオッサンが立小便でもしたんだろうけど……」
冗談と皮肉のナイスミックス。そんな事を思ったのはアキラだけだった。
「え?アキラ、そんな汚いもんを手にしてたの?」
「最低ね」
「いや……すんません」
当然の流れとしての侮蔑を受け、アキラは小声で謝罪した。
「まぁいいわ。知らないのならば、告知しましょう。私たちヒロインクラスは、この秋全国ツアーを開始するわ」
「へぇー」
「生のヒロインクラスを、地方人にお披露目ってわけかい」
さも重大な告知かのようなアイラの口ぶりだったが、アキラとランコの反応は薄い。わりとどうでもよかった。しかしながらアイラにとっても、二人の反応はどうでもよかった。
「そう。情報格差、文化レベルの差が解消されたからには、全国民に現在進行形のヒロインクラスを知る権利がある。これは当然の成り行きよね」
「つまり、地方や田舎の人たちを勘違いさせて洗脳するっていうツアー?」
「国中の人たちに夢と希望を与えに行くのよ」
表現からして相容れない二人。それが最良の関係だと知っているので笑い合う。そこに和やかさというものは無いが。
「だったら、ヒロインクラス不在の東京で、オニユリが好き勝手やらせてもらうってことになるかもしれねーよ?」
口を挟むアキラに対しては、冷ややかな視線。
「お好きにどうぞ。〝私たちのいない東京〟でね」
挑発しか含まれていない言葉と笑みだった。
「私たちの目を盗んで、たくさん繁殖するといいわ。それを見つけた時は一斉除去してあげるから」
自信満々で強気で傲慢な駆除宣言。アイラは腕組みで、ランコは首を傾げた。
「なんかアイラ、えらく攻撃的な物言いになったよね。前は、私たちを見下しつつも、冷静で謙虚な感じだったのに。それじゃメメあたりとキャラが被っちゃうよ」
「そうかな?……そうかもね。そんなつもりは無いんだけど。あなたを前にしていると、感情が衝動的に出るようになってしまった」
「あたしのせい?何でよ?」
きょとんとした表情のランコの疑問は純粋だった。アイラは幾らか冷静さを取り戻して、口を開く前に周囲を見渡した。
「あなたと私……。人生のスタート地点は同じくこのスラム。ここで生まれ育ち、同じ景色に囲まれながらも、違うものを見て、違うものに憧れ……あの日、違う思惑で同じ場所に立った」
「はへぇ、そういう言い回しだと、運命的とか思っちゃう」
「運命的?それはあなた一人よランコちゃん。純恋レーコの娘であり、我真エイリの姪っ子でもあり、しかしヒロインクラスではなく、それに反目する者として、あのステージに立った」
「我真エイリの姪っ子?誰が?」
「……あぁそうか。お前、そういうや血縁的にはそうなるんだな。ハハッ、こりゃ確かに運命っぽいな」
エイリとの血縁に今更気が付く二人を見て、アイラは眉をひそめた。
「ランコちゃん……。あなたの存在そのものが、私の憧れを侮辱しているのよ」
「そう言われてもね、あたしは何も意識してないし」
「だからそんな態度がっ……。いや、いいわ。ごめんね、取り乱して」
アイラは溢れ出かけた感情を、危ういながらも抑え込み、少し大きめな呼吸を一度する。
「あなたと私はこれでいい。いつかどちらかが消えることになるでしょうけど。それまで精々ぶつかり合いましょ」
真っ直ぐで尖った視線。ぶつかり合いましょなどと言っているが、むしろ突き刺すつもり満々である。
「いいよ。上等でしょ。アイラたちが泣いても、止めてやんないよ?覚悟しちゃっててよね」
ランコにしても、一切ひるむことなく、針の視線に刃の視線を返す。
朝っぱらから一触即発の空気が、二人には心地良いらしく。攻撃的な笑みを浮かべて、ずっと見つめ合う。そんな二人を眺め見るアキラは、これはこれでいいね、などと呑気に思っていた。
「さて、それじゃあね……と、その前に肝心なものが」
踵を返す直前で、アイラは何やら思い出し、厚みのある紙袋を取り出して、ランコの前にかざした。
「エイリさんから頼まれててね。オニユリのみんなに、フェス出演のギャラを渡してね、ってさ。ここに百万あるんだけど」
「ひゃ、百万⁉おいおいそりゃ俺たちギャラ高すぎだろ?一晩の一瞬の出演で、しかもお前らの妨害をしたってのに」
「理由はどうあれ出演は出演で、私復活の報労も込めて……だってさ。さて、どうするランコちゃん?さっきみたいな啖呵を切っておいて、この百万を受け取るの?」
「そりゃもちろん!」
アイラは挑発のつもりだったが、ランコの即答は実に明朗で、快活だった。
「お金はお金なのよ。礼は言わないからね。それに見合う働きをしたんだろーし」
そう言ってランコは、アイラの手から紙袋をひょいと摘み上げ、素晴らしい速度で懐にしまい込んだ。
「まぁ……いいわ。それでこそのオニユリ、純恋ランコと言ってあげる。それじゃ、次会う時は、またとびっきりに不快な存在になってることを祈ってるわ」
皮肉を含めて言いつつ、ようやくアイラは背を向け去って行く。向かう先に上る朝日。きっとその眩さに耐えて目を細めているのだろうな、と思いつつ、アキラとランコはその背を見送る。しかし自分たちも眩しかったので、直ぐに太陽に背を向けたのだった。
「百万貰って万々歳ってなとこだけど、実際これからどーするよ?」
思わぬ臨時超高収入にご満悦なランコは、鼻歌交じりでルンルンとしている。
「そーだね。そーね……。アキラはどう思う?」
「さっきから色々と考え始めたんだけど、いざオニユリも全国ツアーを開始せんとするのも、アイラの口車に乗っかるみたいだし、かと言って連中のいない東京で息を吐いても、しょーもない奴らだと思われそうだし。まぁそもそも連中の反応ばかり窺うってのも癪なんだけどな」
「そーよね。あたしもそう思う」
非常に軽い返しに、本当か?と言いたくなるアキラだったが、言葉にしても意味が無いので、ため息一つに代えておいた。
「ありゃ?呆れちゃってる?でもさ、要はあたしらがやりたいようにやればいいってわけでしょ?その結果、ヒロインクラスの子たちが奥歯を噛み締めたり、頭痛に悩んだり、ニキビに悩んだり、お通じが悪くなったりすればいいわけでね」
「ほーう。ほほほ。自信満々に言うね。ではランコさんが今やりたいことはどんな事でしょーか?」
「焼肉食べに行きたいわね。こんだけのお金があれば、いやー、ハハハッ、いいもん食べられるわよっ」
当然呆れた。しかし、心底嬉しそうなランコの笑みを見つめれば、ため息は出なかった。
「お前らしいな。あぁきっとそれでいいんだろうな」
「そーそ。それにほら、アキラもいるんだし」
「えっ?」
「ん?アキラもしばらく一緒にいてくれるんでしょ?だから、あたしもみんなも、やりたいようにできちゃうんだよ」
含みの無い笑みで、自分の存在を求められる。口調は非常に軽かったが、アキラの心はときめいた。そのときめきは、かつてテレビで初めて純恋レーコを見た時や、ランコと初めて会った時に感じた以上の心の高揚。
「フ……ハハハッ」
ときめきが、アキラの口から笑いを吹き出させた。
「どうしちゃったのよ、いきなし」
「いや、上京して良かったなって、改めて思ってな。そーさ、俺がいるし、お前らもいる。レーコさんまでいる。だったら……」
「ねっ、だからみんなで焼肉行っちゃおーよ」
「へいへい。それがいい。よーしっ、今夜は焼肉だな!」
「おぉーっ」
小鳥のさえずりは無い。朝日はくすんでいる。埃に塗れたスラムの朝七時。そこから始まる物語があって、そこから突き上げる衝動があって、そこから突き進む若さがある。少年少女二人の足取りが段々と早まって行く。今夜の焼肉が待ちきれない。
そしてきっと、その先の景色を目指すだろう。誰かの共感を求めるだろう。誰かの反感を望むだろう。誰かの怒りを買うだろう。誰かの憧れを受けるだろう。
農村における農奴の暴動。パイロ誤作動で大炎上の工業地帯。サラリーマンと浮浪者のクロスオーバーブレイクダウン。猿どもに英知の授与。そんな未来がきっと待っている。
誰にも望まれない少女たちがアイドルとなる。側溝からのコンニチワ。最下層から天上界へのレーザーライト、レーザービーム。太陽だって打ち砕く!これはきっとそういう物語。
イッツ、ファイナル・アイドル・オーバーキル!




