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ファイナル・アイドル・オーバーキル!Part1

 炸裂している!ビッグバン?ならば誕生するのは宇宙。そして星々。

 それはまるで地上に落ちた星空。決して言い過ぎてなどいない。むしろ星空を上回った眩さと激しさ。なんと遠慮の無い輝きだろう、人々だろう。我々に比べたら満天の星空などカス同然。きっとそう思っているに違いない人々。傲慢である。

 輝きと激しさと傲慢に満ちた、それは熱狂の渦のアリーナ。色とりどりのサイリウムにより生み出された、極彩色のプラネタリウム。喝采と称賛の絶叫。全てはステージに立つ少女たちに捧げられたもの。

『みんなー!今日は本当にありがとうね!』

 演目を全て終え、充実した笑顔と共に、心からの感謝を伝えるセンターに立つ少女。長い黒髪をかき上げて、自信満々の笑みを見せている。観客たちは出せる声を全て出し切るかのごとく大歓声で応え、それはまるで声の津波。しかしその津波にのまれないのがアイドルというもの。彼女たちの凛々しさに、人々は酔う。

『本当にありがとう。そしてこれから……重大な発表をしようと思うんだ!』

 その発言により大歓声は一転して、大きなどよめきになった。不安と期待が半々に入り混じり、唾を呑む音すらもステージに届くというもの。

 だが、困惑は客席だけではなかった。ステージに立つ他の少女たちも、それぞれお互いの顔を向け合い、首を傾げているのだ。今夜の重大発表など初耳だった。

「は?エイリ、何を言ってんの?」

 センターに立つエイリのすぐ横にいる、ダークブラウンのボブカットの少女は、マイクを口から離してエイリの耳元で問う。

「フフッ、いいから見てなさい、聞いてなさい……レーコ」

 レーコに向けたエイリの笑み。それは、客席に向けたものとは違い不敵なものだった。


 そして、エイリはまだ詰め寄ろうとするレーコに左手をかざして制し、発表を行う。

『私たちヒロインクラスは、この五年間を全力で駆け続けてきたよね。そして、今この国内最大級のアリーナを満員にするに至ったというわけで』

 エイリが一呼吸置くと、客席の困惑は更に増す。今この場で過去を振り返る発言をするのならば、続く言葉は……

『今日をもって、私たちヒロインクラスは』

 ここでどよめきは最高潮に達し、続く言葉を勝手に察知した者が、早くも嘆きの声を轟かせている。

『……解散します。とでも言うと思ったかな?』

 一瞬だけ響いた嘆きの絶叫は、また直ぐに困惑のどよめきに移り変わった。

『解散なんてしないよ。私たちは次のステージに行くの。世の中には、まだ私たち以外のアイドルたちがたくさんいるし、アイドルじゃなくても人気のあるミュージシャンとかバンドとか俳優なんかも、うじゃうじゃいるよね!』

 この時点でエイリが何を言おうとしていのか、まだ誰も理解できていない。客席もステージの上も。舞台袖の者たちですらも。

『それら全ての存在を私たちヒロインクラスが超越し、排除し、私たちが唯一無二のアイドルとして、この業界、いやこの国、いやいや世界に君臨する。それが!私たちの!次に目指すステージ!』

 観客はこの日一番の歓声を上げた。彼らはエイリの発言を、実に彼女らしい強気なキャラクターのリップサービスとして受け止めていた。

 喝采を浴びて恍惚気味に目を見開くエイリ。しかしながら、客席の困惑は消えたが、ステージの上はそうもいかない。

「ちょっと、エイリ。確かにあんたのキャラっぽい、強気な発言だけどさ。ちょっと強く出すぎじゃないの?いま生中継やってんのよ?排除とか頂点とか、変に騒がれちゃうでしょ!」

 混乱極まるレーコに、エイリはウィンクして、再び客席と向き合った。

『さぁ!みんなどうする⁉私と一緒にやってみない?アイドル一掃プロジェクト!』

 エイリの高らかな宣言がアリーナに響き、会場を揺らさんばかりの大歓声が轟く。そして照明。光。金色。銀色。虹色。極彩色。あらゆる眩さを孕んだ光が、視る者全てのの眼球を通し、脳へと至ろうというのか……


 アイドル殲滅宣言。これが、始まりだった。


 ①


「ふむ……認証印、身元保証人も大丈夫、と。で、上京の目的は?」

 よく効いた空調。観葉植物すら置いていない無機的、事務的なフロア。そんな上京審査手続所で、事務員がパスポート片手に、目の前の少年をじろりと睨む。はりきった風のある真新しい服で、背伸びしたであろう、似合わないサングラスをした少年。

「目的?アイドルですよ」

「うん?アイドルの追っかけかね?」

 少年は、その反応を鼻で笑い、ムカつくほどに自信満々の笑みを浮かべる。そして、サングラスをやに下がる感じで取った。

「いーえ。俺がアイドルです。これから、そう堂々と言い放つ為、俺はここへ来たんだ」

 その、どうでもいい笑顔を見て事務員は、道路を横切る蟻を見つめるような表情を浮かべ、もう何も聞かずに、証印を押したパスポートを少年へ投げ返し、彼の上京を許可するのだった。


「フッ、ハハハッ。来た、ついに俺が来たぞ。この管制都市東京。この俺、明川《アケガワ》アキラがよ。フフ……俺の時代を感じる」

 関門を抜けて、アキラは空を見上げる。いや、空ではない。

 空に迫るほどの塔と、巨大な超高層ビルが頭上にある。周囲には高層ビルが、まるで守護壁の様に立ち並ぶ。

 アキラは知る。目の前の塔と超高層ビル。アストロタワーと円ビル。そこに住まう者たちこそがこの国の、いやきっと世界の頂点なのだと。そして、それがアイドルなのだ、と。

 加えて勝手に確信する。そう時を経ずして、自分の存在もそこにあるという事を。


 分裂国家。それは決して、他国がこの国の現状を揶揄したものではない。それが実情である。

 この国は今、各地方の自治体が各々の地域の自治権を有し、独自の法、独自の政策、独自の教育、そして独自の文化を創り上げている。

 よって他県同士の干渉は極めて繊細かつ慎重に行われ、住人たちの移動も、他国に入国するかのごとく、パスポートが必要となっている。

 分裂はした。だが、決して国は砕けない。地方の多様性と自立を認め、それが破綻せぬよう、管理と制御に努めるのがこの管制都市東京。それ故に、英知の全てと文化を極めた、世界有数の先進都市、そして完成都市である!


 明川アキラは田舎者である。分裂した地方都市の、さらに分裂した地域の隅っこに位置する山に生まれ育った少年。

 そんな彼の家の郵便ポストに、ある日投函されていた一通の封筒。それが、彼の人生を変えた。


 ―この度、厳正な審査の結果、明川アキラ様の一次審査合格をここに通達します。つきましては、二月十八日に行われる二次審査の面接と、特別審査の時間と場所を通知致します。場所は東京都五階層の一番地二十二号、オムニバスビル三階、オフィス・アナアキにて十三時より……


 アキラは、もう何度目を通したか分からないその通知を片手に、歩き、電車に乗り、バスに乗る。脇目を振らず、ただひたすらに前向き。胸を躍らせて、指定の場所へと辿り着く。

 そして、入口の扉を前にして息を呑む。

(人生の勝負か。ここから俺の人生が始まるんだ。あのくそド田舎に埋もれるだけだった俺の人生。文化に無関心なあの行政が支配した劣等地区を抜け出して、ここにやって来れたんだ。この日を夢見て、渡航費用の為バイトにバイトを重ね……)

 何やら感極まりそうになるアキラだが、頭を振って気持ちを切り替える。そしてもう一度言い聞かす。ここからが勝負なのだと。

「しっ、失礼しまっす!」

 張りきった声は裏返り、ノックの音は過剰なほどに大きかった。

「今日、オフィス・アナアキの所属アイドルの審査を受けに来た、明川アキラという者です!今日はよろ……しく?」

 脇目も振らずに深々と下げた頭を、ゆっくりと上げながら、アキラは気が付いた。

 ………

 誰もいない、と。

「あら、兄ちゃん、今日のヘルプの子だね」

 呆然と立ち尽くしているアキラが声の方に振り向くと、そこには初老の女。上下ゆったりとした生地の作業服に身を包む、きっと清掃員。

「へ?」

「いやー。ここの事務所が二日前に摘発されたもんで、急遽後処理をしてほしいなんていうから、人手が足りなくてぇねぇ。今日はあたしゃ一人と思ってたんだが、こりゃ助かった」

「い、いやその……へ?摘発?」

「ほら、じゃさっそく取かかろうかね」

「あら?いや、あの、その……うん?」


「……終わった」

 事務机や椅子の無くなり、いよいよ何も無くなったオフィスを見て、アキラは呟いた。

「あぁ、予定よりも早く終わったねぇ。あんたのおかげだよ、お疲れさん」

 そう言って、清掃員はご機嫌な様子で帰って行った。

「終わった。俺の勝負……人生」

 アキラは腰砕けて、何も無いオフィスに崩れ落ちたのだった。



 日が落ちようとしている。ビルの隙間から差し込む落陽に背を向けて、アキラは宛ても無く一人歩いている。

(摘発だぁ?何だそりゃ?オフィスアナアキなんてのは、悪徳業者だったって事かよ。俺は騙されたってのか?……何れにせよ、どうにもならんよなぁ)

 ズボンのポケットから財布を取り出し、中を見つめる。

(金はまだある。ちょうど地元に帰れるぐらいはある……か。しかしなぁ)

 人生の勝負は何もしないうちに終わってしまったが、自分はまだ引き返すことはできる。だが、

(くそっ。どの面下げてあの山に帰れってんだよ。親に対する連日の土下座による懇願の末に、トップアイドルになってやるなんて啖呵をきったんだ。それが一週間も経たずに、ただいまー、なんてのは……)

「できねぇ!そうなっちまったら、俺の人生山中に埋まっちまう!だぁー、くそ!」

 感極まり、両手で頭を押さえようとしたアキラ。すっかり忘れていた。口が開いたままの財布を持っていた事を。

「あぁっ?ちょっ」

 小銭は地面に散らばり、札はタイミングよく吹いたビル風によって宙に舞う。

「……?うぉっ、金が飛んできやがった!」

「マジかよ、あのガキ、突然金をばらまきやがるとはよぉ!」

「オー!メサイア‼」

 飛び交う札は見る見るうちにキャッチされ、足元では路地裏から現れた子どもたちが、我先にと小銭を拾い集めている。

「おい、ちょっと待てよコラ!」

 時すでに遅し。彼らは素晴らしい速度で、走り去って行った。


 かくて、アキラは一瞬にして一文無しへと成り果てた。

「お、おおお、終わったぁ!いよいよ本格的に終わったぞ俺!」

 精神崩壊でも起こしそうなほど、顔を歪めて困り狂うアキラに、行き交う人々は距離を取る。

「しかしくそッ、何だあの浅ましい連中は。東京に住む人たちは、すべからくハイスペックにしてハイセンスなんてのは嘘だったのか?」

 などと言いつつ周囲を見渡し、アキラはある事に気が付き、息を呑み込んだ。

 朽ちた家屋。錆びた看板。路上に溢れるゴミの山。酒瓶を枕に眠る老人に、裸足で駆けてく子どもたち……

 目にした光景のどこにも、ハイセンスなものなど無かった。

 呆然自失で歩いていたので、周囲の景色や雰囲気の変化に気が付かなかった。いや、そもそもアキラは、こういった場所の存在を知らない。この、スラムの事を。


「何だこの街は?東京のガイドブックには、こんな場所の事なんて載ってなかったぞ」

「そりゃーそうでしょ?こんな街を、よそ様に紹介するわけにはいかなでしょー」

 背後からの少女の声を聞き、困惑顔のままアキラは振り向いた。

「お、おぉう」

 アキラは目を見開き、今日はもう何度目か、また息を呑んだ。

 少女は、ゴミ置き場を漁っている。汚れが染みついたシャツを着て、破れたデニムと靴を履き、髪の毛に櫛は通されていない。

 いかにもスラムに住まう少女といった佇まい。だが、アキラはその姿をみすぼらしいとは感じなかった。

 二重瞼がぱっちりとした瞳には、生命の躍動を感じ、ゴミを漁る一挙手一投足に恥じらいは無く、堂々と品定め。化粧など一切していないどころか、所々に汚れも目立つその顔だが、輝きすら感じる端正な顔立ち。

(こいつは……)

 何というか、実際どう言い表せばいいものか……出会いを感じた。胸には高揚感を覚えた。あの、一次審査通過の通達を見た時の、人生が動き始めた時の高揚感と同様の……

「なに?じろじろと遠慮なく観察しちゃってさ」

「あぁ……いや、何をしてんのかな、と」

「ママに頼まれたおつかいよ。ここへ来ると、上の層にある店から、余ったお酒やら賞味期限切れのジュースやらが下りてくるからさ」

 そう言って、彼女は無表情なまま、未開封のウィスキーボトルや瓶ジュースをアキラに見せつける。

「そういえば、あんたさっきそこの通りでお金をばら撒いてたけど、そういう慈善団体の人?」

「そんなわけあるか!あれは最悪の出来事で、突然一文無しになった俺は超困ってんの!って、あんたに言っても仕方ないよな……」

 アキラは肩を落としてうな垂れる。そんな彼の肩に、少女は手を伸ばして乗せる。

「じゃあさ。服、脱ぎなよ」

「へ?……は?」

 突然の進言に、固まるアキラの上着を、少女は手際よく脱がせ、シャツも脱がせ……

「ズボンは自分で脱ぎなよ」

「は、はい」

 訳が分からない。混乱の極みにあるので、正常な判断がつかないアキラは、何故か少女に言われるがまま、自らズボンを脱いで、路上でパンツ一枚になったのだ。

 さて、これから何が始まるのか。アキラの脳内が、徐々に煩悩に満たされていく。

(しかし、こんな路上で、だと)

 などと思いつつも、どこか興奮も禁じえないアキラは密かに胸を高鳴らせる。まぁ欲情。

 だが、

「へへー、上等な服着ちゃってさ。じゃ、ちょっと行ってくるから、待っててね」

「あ?……あれ?」

 アキラの服を回収し、ついでに旅行鞄もぶら下げて、少女は急ぎ足で何処かへと去って行った。

「おい、ちょっと待て、いや、超待て!」

 少女の後ろ姿はもう遠く。走って追いかけようと思ったが、自分がパンツ一枚で路上に立っていることを思い出して尻込みする。そんな内に、もう少女の姿は見えなくなっていた。


「さ、寒い!」

 二月の風が、アキラの裸身を震わせる。待っててね。少女のその一言に救いを求めて、アキラは路地裏の隅に蹲り、ただ待つ。少女の再来を。

(アイドルになるべく上京し、その夢が一瞬で果て、一文無しになったかと思えば、服すらも失うとは……。衣食住が人間の生活の基本だとかいうが。俺にはもう何一つ残ってねぇ。今日一日で、こんなにも転落するとは……。テリブル・トーキョー)

「これで、あいつが戻ってこないとなると、後は死ぬのを待つだけ……」

 この調子だと、今夜中に死んでもおかしくは無い。何の冗談でもなく、アキラはそう思った。

 その矢先。

「お待たせ」

 救いが舞い戻った。

「て、てめぇっ、俺の服と鞄を返……せ?」

 少女は手ぶらだった。そして、彼女はポケットから何かを取り出し、アキラに手渡す。それは、

「あ?何だ?三千円?こりゃ一体?」

「一文無しで困ってんでしょ?だから、あんたの服と荷物を質屋に売りに行ってあげたのよ。これで、お金の問題は解決ね」

 少女は、得意げな笑みを浮かべていた。

「……うん。なるほどね。これで、俺は一文無しじゃなくなった。わはーい、ありがたい。アハッ、ハハハ」

「じゃ、そのお金で、地元まで帰りなよ。それだけあれば足りるでしょ?」

「ハハハ、いいね、ナイスジョーク。そうだね。このお金が三十倍に増えれば、何とか、僕お家に帰れるかも」

「はい?何つまらない冗談言ってるのよ?」

 少女のその一言で、アキラはついにキレた。

「ふ、ふふふざけんなぁッ!県境超える度に、いちいち手続きとか申請とかで料金取られるこの時代に、三千円で、こっからどこに帰れってんだッ?てめぇ、九州の山奥から下りてきた猿だと思って、馬鹿にしやがってよぉー!」

「え?何?お猿さんだったの?すごいじゃん、人と普通に会話できちゃうなんて」

 少女の反応には何の悪意も無い。

「違うっ、人だよ人。猿のような人だっ……いや違う。猿が住んでるようなとこから来た人……、だーっどうでもいいっちゃ、そげなもん!」

「うん、まぁどうでもいいかな」

 自分と違っていちいち冷静な態度の少女に、ぐぬぬと、アキラは歯を噛み締める。

「こうなったら俺はお前に責任をとってもらうぜ。とりあえず、今晩の飯と寝床を俺に提供しろよな!」

「う~ん。あたしはいいけど、ママがどうするか、だね。ま、困ってる人がいたらテキトーに助けてやりな、ってよく言ってたからダイジョブでしょーよ」

 というわけで、怒りに任せたアキラの強要は、いとも容易く受け入れられた。

「じゃあ、着いてきちゃってよ。あたしの家に連れてってあげるからさ」

「お、おぉよ……」

 一歩踏み出そうとしたアキラだが、思い出す。自分がパンツ一枚だという事を。

「なに?そのカッコなら気にしなくていいわよ。この辺りには、半裸で徘徊する人なんてたくさんいるしさ。ま、気になるなら、これでも羽織ってればいいわ」

 少女は、ちょうど足元に落ちていたブルーシートをアキラに投げ渡した。

 アキラは心底嫌そうな顔をして、そのシートに身を包む。そして、恨めしそうに少女を見つめた。

「うんっ。似合ってるじゃない。元々ここに住んでますって雰囲気ばっちりよ」

「全然嬉しくねぇよ。あぁ……もうどうでもいい。早くお前の家に連れてけよ。えぇと、お前の名前は?」

「あたしはランコ。純恋《スミレ》ランコっていうの。あなたは?」

「俺は明川アキラ……」

「アキラね。よろしく、お猿さん」


 ②


 管制都市。そして完成都市とも言われるこの東京。それは五つの層からなる、層状都市である。

 都市の頂点、第一層にはアストロタワーや円ビルがある上埜。第二層にはサイバーパンクで趣味的な街、@KIHABARAやインテリジェントな学園都市の神田保町。第三層にはオフィス街、丸中。第四層には物流センターや上京審査、検査場のある品乃川。そして第五層には、労働者の多くが寝泊まりする安宿が軒を連ねる貧宿。飲み屋街のドブ谷。し尿処理場があるババ高田など。

 そんな層状都市。形状として、遠くから見ればサザエなどの巻貝のように見え、誰かがビッグサザエなどと呼んだが、クソほども流行らなかった。

 第一層を頂点とした、完全格差都市という形態。上の層になるにつれ、住人の収入、生活レベルが上がるという性質上、最下層の五層においてスラムが形成されるのは必然だった。

 貧困に窮しても、貧困故に外へ出られない。上層を夢見ることも忘れ、その日暮らしを享受する者たちによって形成されたスラム街。そこがトラッシュロード、ゴミ街道などと称されるのもまた必然。


 そのゴミ街道を、ビニールシートを衣服代わりに纏って歩くアキラは、上京即日ゴミ箱行きの現実に呆然自失としながら、何の悲観も無い少女ランコに連れられて、ある酒場へと辿り着いた。

 BAR・ピュアラブ。はいはい素敵な名前ですねと、アキラは心の中で毒づいて、その店へと踏み入った。


「ママ、帰ったわ。お客さんと……いや、客かな?」

「被害者だよ」

 アキラのぼやきは無視されて、ランコは店のカウンターの奥へと進む。

 そして、彼女のママらしい人物を引き連れて戻ってきた。

「あらら。若いのに随分みすぼらしい恰好してるのね」

 ママ。恐らくは自分より二、三程度下であろうランコの母親にしては、随分と若々しい。だが、どこか疲れ切っており、快活さは無い彼女。

 そんな彼女は、アキラの姿を見るや、即座に憐みの表情を浮かべた。

 アキラは即座に、あんたの娘のせいだ、と返そうとした。だが、その言葉は口から出ずに、アキラはランコのママの容姿を凝視する。

「あんた、どっかで見たこと……」

 そんなアキラの反応を受けた、ランコのママは一瞬ハッとして、少しだけ顔を俯かせる。

「おい、確かお前の名前、スミレランコとかいったよな」

 アキラは何かの確信が欲しいらしく、ランコにそう問うた。

「そーだよ。純な恋のランコ」

「!」

 そして、どうやら確信を得たらしい。

「じゃあ、あなたはもしかして、純恋レーコさんでは?」

 問いかけたアキラの表情には、もう恨めしさはなかった。今、彼の瞳には輝きが灯っている。そしてその輝ける期待は、期待通りの答えを得る。

「……そうね。私の名前は純恋レーコ。きっと、あなたが思い描いている人と同一人物のね」

 その返答を受けて、アキラは感動のあまりに瞳に涙を滲ませる。ランコから受けた仕打ちなど、光速で忘れ去っていた。

「あぁ……やっぱりそうだ。あなたは、あのヒロインクラスの純恋レーコさん。うぉぉぉぉッ!すげえ!お、俺、ヒロインクラスの大ファンなんっすよ!と、っ特にレーコさん推しまくってて押忍って感じでいや、いやいやマジなんす!えぇっ?レーコさん?いや、マジでっすか?」

 錯乱気味なアキラの興奮は続く。

「特集された雑誌は全部買ってたし、付録のソノシートは穴が開くまで聴いてたもんで」

「ソ、ソノシート?ちょっと、ランコ、何よこの子、タイムトラベラーでも連れてきたの?」

「さぁ?山から降りてきた猿って言ってたけど」

「なるほど、山ねぇ。情報管制政策は順調どころか、地方で独自の発達をしちゃってるらしいわね」

 何らかの納得を得て、やはり気の毒そうな表情を浮かべてアキラを見つめるレーコ。見つめられたアキラは興奮の谷間に、現実的な冷静さを一瞬、取り戻す。

「あれっ?でもレーコさん、確か十八って。それにしては……いや失敬。ん?娘?妹じゃなく?……あら?」

「情報を規制するどころか、二十年も前の情報を送信してるなんてね。残念ながら、今私は三十八の一児の母なのよ。それにしてもソノシートか……。情報規制の次は、文化後退でも推進してんのかしら、エイリめ……」

 今レーコから突き付けられた現実を、脳内で処理しきれないらしく、呆けた表情を浮かべたまま固まるアキラ。纏ったビニールシートもずれ落ちる。

「とにかく、その恰好をなんとかしなさいね。別れた夫の忘れ物が残ってるからさ」


 元夫の忘れ物だという服を着て、神妙な表情でカウンターに座るアキラに、レーコはウィスキーグラスを片手に、気怠そうに吐息を漏らす。

「えーと。二十年前となると、そうねぇ、エイリは知ってるでしょ?」

「はい。我真《ガシン》エイリ。ヒロインクラスのナンバー1人気で、超強気。共演した相手ならば、先輩だろうと、飄々と笑いながら鋭利なナイフの如く、切り刻むような批判を繰り広げるって。それをナンバー2のあなた、レーコさんが達者にフォローに回るという、完成された布陣……だと」

 アキラにとっては現在進行形のアイドル評。しかしレーコにとってそれは、ただの思い出。

「そう。その通りよ。当時はあの子の尻拭いにどれだけ腐心したことやら。じゃ、そのエイリがアイドル殲滅宣言をしたことは?っていうか、私のヒロインクラスの脱退は知ってる?」

「アイドル殲滅?い、いや、っていうか脱退て……」

「あぁはいはい。オッケーよ。そこまではまだいってないのね。私は二十年前にもう脱退してるの。その少し前に、あのエイリが自分たち以外のアイドルを一掃してやるって、高らかに宣言したのよ」

 レーコは、ウィスキーをぐいと呑み込んだ。そして深いため息を一つ。

「ま、初めはまたあの子のキャラクターの過剰アピールだと思ったんだけど……。どうやら本気だったらしくてね。いや、本気だとしても、一介のアイドル風情には到底実現不可能な計画だった。それがあの女、上手い具合に政界にがっつり食い込んじゃってね」

「政界……」

「えぇ。アキラくん、あなた二十年前の総理大臣の発狂記者会見は知ってる?」

「あ、それならテレビの特集で見たことあります。確か、ある日の定例会見で、集まった記者たち全員に対して大立ち回りをして、全速力で駆け出し、そのまま失踪して、まだ行方不明ってやつ」

「なるほど、政治関係の情報は行き届いているのね。あの直後の、国がこの上なく不安定な時期に、エイリは政界につけ込んで、瞬く間に自分の色に染め上げちゃったのよ。きっと何かしらのマジックを使ってね」

 レーコはまたウィスキーを口に運び、感情的にカウンターにグラスを叩き付けた。

「実質……この国の政策を握っているのはエイリよ。それで提唱したのが分裂国家思想。国が敢えて一つに纏まらず、各地方で独自の行政を創り上げるとかいう自由行政化……なんて触れ込みは完全に嘘で、実際はエイリの采配によって、各地方の情報レベル文化レベルが管理されてる管制国家というわけよ。そしてその管制機能を担うこの東京は、管制都市なんて呼ばれてる」

 どこか怒りが込められた現状説明を受けて、アキラの頭は混乱している。

「え~と。つまり俺みたいな田舎者が知っているのは、かなり昔の情報で、俺の文化レベルは二十年以上遅れている、と。しかしそんな重大なことを、俺は何で今まで知らなかったんですかね?分裂国家とはいえ、地続きだし、東京に行って帰って来た人から情報がダダ漏れなんじゃ?」

「それはね、地方から上京する人がまずごく少数でしょ?上京審査とかあるし、あと移動費もかなりのもんだし、物流関係も、品乃川の物流センターでのやり取りだしね。そして何より、上京した人は、基本的に東京から帰らないのよ。ここに取り込まれてちゃってね。成功すれば当然居つくし、失敗してもこのスラムに堕ちて這い回る。」

 這い回る。その点に関して、アキラは既に実感していた。

「あぁ……でも何だって、我真エイリはそんな風にこの国を?」

「知らないわね、そんなこと。エイリがいい気分になりたいだけなんじゃないの?ま、そんな、あいつのいいようになる世の中に反発した私は、ヒロインクラスを抜けて、このスラムに堕ちたというわけよ」

 自分が知らないヒロインクラスのストーリーと、現在の社会状況の説明を聞き終えて、アキラは困惑するしかなかった。当然である。アイドルの知られざる裏話が披露されると思いきや、政治や、国家思想まで話が数十段飛躍していったというもの。『はぁ~……?』という、アホの表情以外しようがなかった。



 シャワー浴びてくるから、と言ってランコがその場から去った後、椅子に座って困惑を続けるアキラをじっと眺めるレーコは、グラスに残っていたウィスキーを一気に飲み干し、口を開いた。

「それで、パソコンどころかCDも普及していない文化レベル地域にいた君が、どうして上京なんてしてきたの?」

「どうしてか、ってそりゃアイドルになる為ですよ。書類審査を通過したから、二次審査を受けに来いって通知があって」

「アイドル?男の子の君が?」

「えぇはい。これからは男のアイドルの時代だ、とかって書かれたオーディションの告知がある日郵便ポストに入ってて、これだ!と思いましてね」

「男のアイドルの時代……。それ、もしかしてオフィス・アナアキとかいう事務所が主催したやつかしら?」

「あ、そうそれです」

 レーコは気の毒そうな目でアキラを見つめ、肩を落とした。

「もう、知ってるかもしれないけど、あの事務所は先日摘発されたばっかりでね」

「知ってます。今日はその後片付けをさせられましたから。あの、レーコさん。やっぱり俺は騙されてたんすかね?あの事務所は悪徳業者だったのか……」

 何やら返答に困っているのか、レーコは頬杖をついてしばらく考え込む。

「う~ん、いや、あの事務所の社長、荒城って男なんだけど、あいつは本気で男のアイドルで時代を築こうとしてたのよ。そりゃ以前も男子アイドルはいて、凄い人気もあったけど、現在はヒロインクラス旋風で、女子アイドル至上主義だからさ。鼻息荒かったわよ。だから、君は決して騙されたってわけじゃないわ。ただ、その志がこの都市に許されなかった。そういう話なのよ」

「許されない……って。何で?」

「さっきも言ったでしょ、エイリのアイドル殲滅宣言よ。自分たち以外のアイドルの存在を一切許さない。それはもうただの宣言じゃなくなって、法的にそうなってしまったのよ。アイドル活動。音楽活動。芸術活動。自己表現。そういったものを無許可で行うことを一切禁止した、表現活動禁止法っての。そういった活動をしたければ、この東京で、我真エイリの許可を得なさいというわけ。そんなアホみたいな法律がまかり通っちゃってるのよ」

 レーコは目を伏せて、静かにため息をついた。

「ねぇ、君の地元には、アイドルっていた?あと、バンドやってる連中とか、ダンスグループとか、路上シンガーとか、訳の分からない路上詩人とかさ」

「いや、いないですよそりゃ。だって、歌といえばヒロインクラス。踊るといえばヒロインクラス。あの存在があれば、みんな満足してたし、自分でそれをやろうなんて思う奴はいなかった……」

「君以外は、って事かな」

 レーコにそう言われてハッとした。そういえばそうだ、と。

「あんまり、こういう事は昔を思い出すから聞きたくないんだけど、どうしてアイドルになろうとか思ったの?」

「えっ⁉」

 アイドル志望を語り、アイドル志望の動機を問われるという当然の流れで、何故かアキラは必要以上に動揺した。

「あるでしょ?他の誰も思いつかなかった事を行動に移した君だもの。何か強烈で頑なな意志ってのがさ。じゃなきゃこんな時代に大枚はたいて上京なんてしないでしょうし、そもそも志さないよね」

「は、はぁぅ……」

 何やら目を泳がせ口ごもるアキラに、レーコは顔を寄せじっと目を向ける。

「ねぇってば」

「……輝いていました。誰もが憧れの眼差しを向け、それを真っ直ぐに受けても一歩も退かず、堂々と胸を張って、自信満々にステージに立つその姿……」

 口から出る言葉に嘘は無い。かつてテレビで見た彼女たちの姿に、胸焦がれ、脳を焼かれた青春時代。だが……奥底に誰にも語った事の無い真意。それが今こみ上げてくる。

 アキラは少しの間目を閉じて決意する。今彼女に隠し事をすることに何の意味も無い。いや、ここで全てを言わなければ、これまでの自分の人生を否定するに等しい事。

 今日既に夢破れた身ではあるが、今この場で自身の青春に背を向ける事は……許されない!

 そして見開かれたアキラの目は、泳ぎはせずにまっすぐにレーコを見つめる。

「ぼ、僕は、ヒロインクラスの純恋レーコの大ファンで、雑誌の向こう、ブラウン管の向こう側の彼女を、強く慕っておりました!」

「えっ、あぁそりゃあどう……も」

「そしてぇ!僕は自分もアイドルになり、純恋レーコとお近づきになって、親しくなり、恋人になって、やがて結婚し、娘二人と息子一人の子どもをもうけ、幸せで円満な家庭を築きたい。そう願いました!」

 思春期の少年の見果てぬ夢と欲情の吐露に際し、今において困惑し、目を泳がせるのはレーコの方。

「そして、老いて僕が死にゆく時は、家の縁側で柔らかな午後の日差しを浴び、ゆっくりと目を閉じ、隣で手を握るあなたに、最上の感謝の言葉を送り……」

 以後しばらくの間、アキラのアイドルの志望動機である、莫大な妄想物語が、憧れの人相手に披露されるのだった。



 夜のスラムを照らすもの。それは月の光ではなく、第三層より上にあるビル群の夜景。それは、下層域に住まう者たちのとっては星空に等しい。

 アキラはバーの二階の錆びついたベランダに佇み、ひたすらそれを見上げていた。

「ビックリしちゃったぁ。いきなりママに告白しちゃうなんてねぇー」

 シャワーを浴びた後なのか、髪の毛をタオルで拭うランコが、背後に立っていた。

「あの場にいなかったのに、ちゃっかり聞いてやがるのな」

「そりゃあこんな家だもの。壁は薄いわよ。ま、フラれちゃったらしいけど」

 アキラは苦笑いを浮かべて、先刻の告白を想う。

 全てを言い終えた後の、戸惑いと憐れみに満ちたレーコの『なんというか、ごめんね』

 の台詞がまだ頭にこびりついている。

「告白というか、フラれたというか…。多分それよりもっとショッキングな気持ちだよこりゃ。憧れた人が二十年前の人だったとか……まぁでも」

 アキラの苦笑いが少し変わり、微笑みになった。

「誤魔化さなくてよかったな、とは思う。滑稽すぎる告白だったけど、本心だったしな。ま、これで少しは心に折り合いができるってなもんだ」

 何やら晴れやかにすらなるアキラの顔を、ランコは不思議そうに覗き込む。

 シャワーを浴びて、汚れを拭った彼女の顔。やはり輝きを感じるアキラは、少しまた胸の高鳴りを感じる。

「な、何だよ?」

「これが本音を吐き出した人の顔かぁ、ってね。いいよね、何か気分爽快そうで」

「お、おう。まぁな」

「どんな気分。一週間続いた便秘が終わった時とか、十日ぶりに風呂に入った時とか、そんな感じ?」

「おい、もうちょいまともな例えを出せよ……と言いたいが、まぁそんな感じ」

 やっぱり!とランコは愉快そうに笑う。

「いいよねー。多分この都市に住む人たちの殆どが味わえない気分よ」

「そうなのか?ここの連中はそんなに便の通じが悪いのか?」

「いや、そっちじゃなくて、〝本音を吐き出す〟方よ」

 ランコはベランダの柵に背もたれて、顔を空に向ける。そして見上げた先の夜景に、舌打ちを送った。

「……お前の言葉は排泄物。撒き散らされて腐臭を放つ」

 舌打ちに続いて、突然、何やら少女らしからぬ事を呟き始めるランコに、アキラは呆気にとられる。

「いきなり何を言い出すんだ?」

 そんな問いかけには答えずに、ランコは続ける。

「溢れ返った毒の中、溶かし込まれた奴らを呑み込み、また撒き散らして巻き込んで」

 どうやら、それは詩の朗読のようであった。


 そのうち毒は空気になり、お前の異臭を威厳と思えば

 錯乱状態維持が今、倒錯者を偉人に変えた

 そうしてお前が成し遂げたこと

 便器の蓋を開けただけ

 便所のドアを閉じただけ

 糞に満ちたその世界で

 お前は一人、腐ってろ


 朗読を終えたランコは、何やらすっきりした、それこそ便秘が解消されたような爽快な笑みを浮かべていた。

「……ひでぇ詩だなおい。何だそりゃ?年頃の少女が作っていいもんじゃないだろ」

「そりゃあ、これはあたしが考えた歌詞じゃないもんね」

「歌詞?歌だったのか?まぁどっちしても酷い歌だ」

 アキラの反応に、ランコは小さくため息をついた。

「この作詞者はママよ。アキラの憧れの、純恋レーコ作詞なのよねー」

「……えっ」

 ショックは当然。憧れのアイドル自作の歌詞が、糞に塗れていたなどとは……

「ママはヒロインクラスを脱退して、しばらくバンド活動しててね。まー、鳴かず飛ばずで、最後にその歌詞の曲を作ったけど、世に出せずに、活動終了というわけよ。まぁあたしが生まれる前の事だし、全部聞いた話なんだけどね」

「し、しかし何でそんな尖りすぎた歌詞を……」

「それが、ママの最も吐き出したい本音だったから、だと思う。一度だけ曲の形になったのを聴いた記憶があるわ。もう大分昔になるから、記憶も曖昧だけど」

 ランコは、上を見上げたまま思い出す……

「テンポがやたら速くて、刻み付けるようなギターの音はなんか性急な感じでさ。そんなビートに、ママがあの歌詞を、まさに吐き捨てるようにのせて歌って……いや叫んでた。一分くらいの短い曲よ」

 曲の概要の説明を受けても、アキラは全く想像できない。

 自分が知る純恋レーコとは、ヒロインクラスのナンバー2であり。彼女が歌う曲は、ポップでダンサブルで、クールで澄んだ声が華やかで……

「あの曲がママの本音で、その標的は間違いなく我真エイリだった。ママはあの女に対する憎しみを滾らせて、最後に燃え上がろうとしていたけど」

 世に出す術が無かった。当時既に、エイリのアイドル殲滅はほぼ完遂しており、続きましてということで、バンドマンやシンガーソングライターまでも標的に、その表現活動を摘発していたのだ。

「吹き付ける風が強すぎて、火元ごと飛ばされちゃったんだね。ただ、あたしはそんなママが好きなのよ。我真エイリに楯突いたママがさ」

「じゃあお前も、我真エイリが憎いわけだ」

「どうだろ。その憎しみはママのものでしょ。あたしが我真エイリを憎む理由は特に無いもんよ。ママもそれをあたしに強制しないし。ただ」

 ランコは、背も垂れるのを止め、ベランダに座り込む。

「自由すぎて、どうすりゃいいのか分かんない」

「自由すぎる?いやいや、そんなわけないだろ。表現活動を禁止されたり、俺なんて二十年前の情報を頼りに今まで生きてたんだぜ。県境一つ越えるのにもパスが必要だってんだ」

「そっか……なるほど。そんな考えを持ってるアキラは、多分今の世の中珍しい方だよ。みんな、区切られた枠組みの中で、自由を満喫しているからさ。アキラもさっきママに言ってたよね。地元じゃみんなヒロインクラスの存在だけで満足してるって」

 そういえばそうだった、とアキラは黙り込む。

「でも、俺に言わせれば、そりゃ錯覚だ」

「なるほど、アキラはそれじゃ我慢できなかったってわけね。さすが、ママに憧れてたわけだ」

「そりゃお前も一緒だろ」

「え?」

「レーコさんが好きなんだろ。我真エイリに楯突くママが。だったらお前……」

 アキラは、しゃがみ込んでいるランコの前に立ち尽くし、今一度彼女の顔をまじまじと見つめた。

「アイドルになってみろよ」

 その提案に、ランコはきょとんとして、首を傾げた。

「あたしがアイドル?」

「さすが純恋レーコの娘だけあって、恵まれた顔面を持ってる。性格や特技やらはまだよく分からんが、そいつはかなりのアドバンテージだ。それに何より、だ」

 少しの間口を閉じ、間を作ってもったいぶらせるアキラ。

「俺の心がときめいた。今日、お前を一目見た時にな」

「……何?その、説得力の弱いもうひと押しは」

「うるせーよ。アイドル目指した俺の夢はもう終わって、その動機も失っちまったんだ。でも、今芽生えた俺の新しい希望は、アイドルのステージに立ってるお前の姿を見てみたい、ってとこだよ」

「ははーん?さては、ママに恋敗れたから、娘のあたしに乗り換えようという」

「ッォ……んな下衆な発想があるか!……あるか?あるのか……いや、無い!」

 一瞬、そうかもと思い込みかけたアキラだが、頭を振ってその疑念を払拭。

「既存のものじゃなく、何か新しいものを見たい、っていう希望だ。そういう事にしておけよ」

「しっかしアイドルになるって事はつまり、ヒロインクラスの構成員か、その下部組織に加入するって意味だよ。エイリに楯突いて、自由を気取るどころか、思いっきり染められちゃうんじゃない?」

「そいつはお前次第だろ。何をするにしても、始めなきゃ始まらんってやつだ。何をしたいのか分からんのなら、何かしてみりゃいいわけだ」

「簡単に言っちゃってるけどさ、ここじゃ一日を生きることがそれなりに精一杯で、何かするっていうのは、肉体労働かゴミ漁りかっていう具合なのよ。アイドル目指す余裕なんて少しも無いわよ」

 そう言ってランコは、ベランダ下の薄暗い通りに目配せする。そこには今日一日を生きた泥まみれの労働者や、飯にありつこうと必死な痩せこけた野良犬などがトボトボと歩いていた。

「っていうかアキラも、アイドル夢見て上京したんだろうけど、今現在ここの住人になってるって事を自覚しときなよ」

 夢破れたとはいえ、まだその余韻に浸っている風のあるアキラに、ランコは釘を刺す。

「とりあえずアキラには、あたしのゴミ漁りの手伝いをしてもらおうかな。そのついでに日雇い労働の働き口を探しでもしちゃってさ」

「ゴミ漁り?日雇い……?」

 夢語りの後に突きつけられた現実を直視したくないのか、アキラは不自然なほどに顔を上に向けて、上層の輝きを見つめた。遠く眩しい光の世界だった。


 ③


「ゴミ漁りの時間は、朝七時と夕方六時。それぞれ上から降りてくる廃棄品の内容が違っちゃうのよね。朝七時はお酒が多くて、夕方六時はジュースや弁当が多いって傾向よ。覚えておいてね」

 どうでもよかった。ゴミ漁りの研修よ、などと意気込むランコだが、アキラとしてはゴミ漁りプロになるつもりなど当然無く、ランコの言葉を殆ど聞き流す。しかしながら、今朝の七時のゴミ漁りにおいて、賞味期限切れのビールや、開栓されながらも殆ど飲み残されているウィスキーを手に入れている姿を見て、ほんの少しだけ感心してしまった。

「しっかし、そんなゴミ漁りばっかり覚えてて、将来どうすんだ?っていうか今現在どうやって生活してるんだよ?」

「へ?うちは一応バーをやってるでしょ。たまに来る客に、あたしが集めた酒やらを適当に調合してオリジナルカクテルとかいって売ってるのよ。そうすれば金を使わず金を得ることができちゃうってわけ。これぞ錬金術よね」

 絶対違うと思ったが、自信満々なランコに水を差すのも気が引けたので黙っておいた。

「ところで、その朝から夕方の間はお前は何やってんだ?普通だったら学校行ってる歳だろ?」

「学校?小学校ならとっくに卒業してるわよ」

「そりゃそうだろ。何言ってんだ。中学は?高校は?」

「行ってるわけないでしょ、そんなもん。この第五層に生まれた子たちは殆ど小卒よ。どこに生まれ落ちようが、一応最低限の教育は必要ってことで、五層と四層の中間地点に小学校があって、とりあえずそこに通って、卒業したら後はお好きにお生きなさいってさ」

 なんて過酷な自由だろうか。たかだか十二歳程度で、将来の道筋も示されずに放り出されるなどとは。

「とは言っても、最近じゃ小学校に行こうって子も少ないらしいよ。行っても行かなくても将来的には何にも変わらないしね。結局行きつく先はこのスラムだし」

 と言ってランコは、近場で仲間と戯れる女児たちを見つめた。今現在朝の九時。スラムのストリートで駄弁る彼女たちが小学校に通っているはずも無い。

 しかしながら楽しげだった。ストリートキッズさながらの恰好だが、顔は満面の笑みである。そして女児たちはその笑みのまま歌い始めた。

「はーぴねすたいむ♪くれなずーんでも♪まーだまだきえないけせないがーるずすたー♪」

 女児の歌唱を下手くそなどと評するのは無粋にも程があるが、まぁ下手で、しかし楽しい気持ちは存分に伝わってくる元気一杯さ。貧困だろうが何だろうが、子どもたちに元気があるのはいい事だな、とアキラはほっこりして微笑み、その様を見たランコからは気色悪がられた。

「だーんすうぃずびっぐばーん♪ばーにんぐ♪ば~にん♬ばーんっばーんっばーにんはー!」

 女児たちが一小節歌い終えた時、どこからか拍手が響いた。それと同時に周囲がざわつき始める。

「フフッ。今のはヒロインクラスの〝ダンスウィズビッグバン〟よね。とっても上手かったわ」

 三人の女が現れた。まだ若い。少女か?と問われればそうでもないが、まだ若い女に違いない。しかし三人から感じるのは若さよりも威圧。特に真ん中で乾いた拍手をしていた女。タイトスカートの警官風の恰好で、女児たちを見つめる目はどこか冷たい印象があった。

「でも少し間違ってたわね。最後はバーニングマイハート!って締めるのよ」

「知ってるよ~。でもでもさ、ばーんって繰り返した方がかっこいいよ。ねぇー」

 そう言った女児に応じて、連れの四人も仲睦まじく「ねーっ」と返す。そしてポリス風の女から笑みが失せた。

「アレンジを加えたわけね。ヒロインクラスの許可を得ずに。勝手に自分たちのオリジナルを練り込んだ。そうか……」

 女の冷淡な表情に凄みが増していく。そんな事は気づかずに女児たちはまた歌い始めようとしたが、

「すっ、すみません!うちの子が勝手にこんなっ。どうかお許しをっ」

 近くにいたのか、歌っていた女児の母親がすっ飛んで来るや否や、子どもの口を塞いで土下座を始めた。

「あなたが母親ね。その子、見たところまだ八歳児程度で、罪を問うのも酷な話か」

「で、では?」

「あぁ。この子は更生施設に連れていって、更生プログラムを受けてもらうわ」

「そんな⁉」

「仕方がないだろうさ。ヒロインクラスの歌をただ歌っているだけだったら、微笑ましいで終わるが、アレンジを勝手に加えて、尚且つそっちの方がカッコイイと言う。これは見過ごせないわね。それにそんな哀しむ話でもないと思うわ。プログラムの成果次第では、この子も将来もしかしたらヒロインクラスの構成員になることだって、夢のまた夢のまた夢のまた夢の話じゃな」

「さっきから聞いてれば、エラソーにさ。とてもって程じゃないけど、すごいムカついちゃうわね」

 一切震えることはなく、冷静な声。しかし、確実に怒りが込められた口調。

 許しを請う女児の母と、それを見下ろす高圧的な女の間に、ランコが割って入った。隣にいて、そんな素振りを感じなかったアキラは少し驚き、彼女に視線を向ける。ムカついちゃうというわりには涼しい顔のランコと、冷淡ながらも憤りを感じる瞳をした女が、しばしの間、対峙を続ける。

「お前……私が誰だか分かっているのか?」

「多分だけど、コスプレイヤーでしょ。上層の暇人どもがコスプレ大会かなんかやってて、いやー私たちポリスファッション超似合ってるわぁ、とか勝手に盛り上がって、何かそれっぽい事しちゃおーよってな流れで、無抵抗な子どもを相手にイキがっちゃう。ヤクザ映画を見た帰りの三下チンピラテンションってやつ?」

「ははぁーん?」

 女は目を見開いて、冷酷な笑みを見せた。そして即座に飛び出し式の警棒を取り出し、ランコの顎先に向ける。

「ポリスクラスのリーダー、この姫井《ヒメイ》メイを前にして、素晴らしく滑らかな舌を持ってるわね」

「ポリスクラス?あぁー、はいはい。ヒロインクラスの使いパシリね」

「……」

 女、姫井メイはもはや何も言わず、警棒を振りかざした。が、彼女の手はそこで制止された。

「おいおい。勘弁してくれよ。女と女のどつき合いなんて悪趣味なもんを見せるなよ」

 メイの手首を掴み、暴力を制止したのはアキラ。カッコイイ介入の仕方だな、と勝手に思っていたが、

「こ、この男、男の分際でリーダーに触れただと?」

「ゴミ漁りの余韻のあるその手で!」

 横二人の女から、即座に組伏されるのだった。そのアキラを、キッチンの三角コーナーを見つめるような目で見下ろすメイは、手首を入念に拭きながら口を開く。

「お前は何?」

「っ、……おぉ?アイドル志望の田舎者だよ」

「アイドル志望?男のお前が?……そうか、それは気の毒な脳みそだ」

 メイは携帯電話を取り出し、何やら報告を始めて、それが終わると、そういえばあの女児や母親は?と思い周囲を見るも、影も形も無かった。

「なるほどね。あの子たちを逃がすために気を引いたというわけ?」

「別に。エラソーなあんたらに凄いムカついただけよ。とてもって程じゃないけど」

「そうか。強気ね。名前は?」

「純恋ランコでっす」

「覚悟はできてると思うからさ……」

 メイはそう言うと、二人の部下に目配せをして、アキラを立ち上がらせた。そして素早く、二人に手錠をかける。早業だった。

「じゃ、連行するわ。逃げ出せるとか思わないでね」

「うん。まぁ何とかして逃げ出そうとは思っちゃうけど」

 不敵にそう言い放ったランコに、メイはもう何も言わず、手配していた護送車が到着すると、二人を押し込めた。



 護送車の中で、貧乏ゆすりが止まらないアキラに対して、足組をして震え一つ起こしていないランコの余裕振り。堂に入っている。

「な、なぁよ?俺たちはこれからどうなんの?」

「ポリスクラスに連行されたんだから、収容所送りでしょーね」

「その、ポリスクラスってのは何だ?」

「ヒロインクラスの下部組織よ。治安維持隊ってやつ。表現活動禁止法を破ってる輩や、ヒロインクラスに楯突こうなんて輩を取り締まってんの」

「あぁ。オマワリさんね。え?ってことは俺、逮捕されちゃってんの?」

「うん。でもまぁいいんじゃない?法律なんてものは破る為にあるって言うでしょ?」

 そんな文句は聞いたことが無い。これまで何の罪も無く生きてきたつもりのアキラにとって、突然の逮捕、連行という事態は、もはやどん底の底を掘り返した土中のようなもので、人生の埋葬だった。

「そう蒼い顔しててもしょーがないよ。これからよ、これから」

「お前は何でそんな余裕なんだよ?お前だって収容所送りだろ?」

「余裕っていうかさ、ちょっと楽しみになってきちゃっててね。アキラが言ってたでしょ?何をしたいのか分からないなら、何かやってみればいいって。んで、さっそく体制に楯突いてみたってわけ」

 涼しげで爽やかなランコの表情に一瞬見惚れたが、アキラは頭を振る・

「いや、俺が言ったのは、こういうんじゃなくて、もっとこう夢とか希望とかへの努力というか……」

 アキラが全てを言い終えない内に、護送車が止まり、荷台が開かれ「降りろ」の指示。それに従い、降りてみたならば、視界に映るハイソサエティ。アキラ憧れの円ビル、そして空に掛ける梯子の如きアストロタワー。国民的アイドル、いや国家アイドル、ヒロインクラスの総本山である。

「純恋ランコ。お前は私と一緒に来てもらう。そっちの男は頼んだわよ」

 メイはランコの横に着き、二人の部下はアキラの両脇を固めて、二人は離れさせた。

「お、おい。二人とも収容所じゃないのか?別々なのかよ?」

「お前にはとりあえず精神鑑定を受けさせて、それからよ。こっちの純恋ランコは、別口で用件ができてね」

「あたしに用件?一体何用?」

「さぁね。上からのお達しよ」

 アキラとランコは離れ離れ。不安と不満に顔を歪ませるアキラに、ランコは微笑んだ。

「まぁ、大丈夫よアキラ。遥か彼方の地方の山からやって来たんだから、収容所くらいどうって事ないでしょ?」

「……そうか。え?そうかな?そりゃなんか」

 違うだろ。そう言い終えるよりも前に、ランコはメイに連れられ、背中は遠くなっていた。



 円ビル。アストロタワーを中心としてその周囲を円状に第一から第十二まで、時計並びで高層ビルが並ぶ、名称そのまま時計を模して分かり易いビル群。その第一ビルと第十二ビルとの間に大きな門がある。

 ところでその円ビル周辺を、さっきから何人もの少女たちが右往左往していて、その表情は緊張感漲っていたり、脱力しきっていたり、涙ぐんでいたりと様々。

「この子らは何なの?受験の合格発表でもやってんの?」

「似たようなものだな。今日はヒロインクラスの構成員オーディションをやってるのよ」

「へぇー。みんなアイドルになりたいのねぇ」

「お前はなりたくはないの?まぁ汚水が清流に混ざるわけにはいかないか」

「清流に汚水を流し込みたいとは思っちゃうけどね」

 蔑んだ笑みに対する不敵な笑み。そうなれば何を言っても不毛であり、メイは口を噤んだ。(ドブ水に一石投じても汚水が跳ねて汚いだけね)

(黙っちゃってさー。オホホ。あたしの勝ちよね)

 無言で対立する二人となった。


 五分ほど歩いた。アイドル志望の少女たちの姿は失せ、場は〝聖域〟へと。

 アストロタワーの直下。タワー入り口で、一人の少女が腕組みをして立っている。レッスン着だろうか。パーカーにジャージというラフな出で立ちだが、みすぼらしさなど微塵も無く、上流階級の汗流しかというもの。ショートカットのスポーティな少女が二人を迎えた。

「ご苦労様ね、メイ」

「あぁ。まったくね、メメ。ヒロインたちの申し出を断るわけにはいかないもんよ」

「そーいうことよね。んで、その子が純恋ランコ、ね。私の事は知ってる?」

「いや全然」

「ふふーん?ま、いいわ。ゴミ溜めに名前を売っても仕方ないもんね。私は來生《キスギ》メメ。ヒロインクラスのメインメンバーよ」

 メメは握手など求めずに腕組みをしたままで、余裕綽々な笑みを浮かべてランコを見る。

「へぇ。あんたがメメで、こっちのがメイ……。多分そのうち呼び間違えちゃうよね」

 ランコの余裕も崩れなかった。不遜な態度を戒めようとしたのか、メイの顔が強張ったが、メメは笑った。快活に。

「アッハハッ。いいね。その強気。いいと思うよ。活きがいいってやつ。そんな跳ねっ返りだからここへ来てもらったのよね。ってなわけでメイ。こっからは私たちヒロインクラスに預けてもらうからさ」

「分かってるわよ。でも、噛みつかれないよう、気を付けなよ」

「ハハンッ、聞き入れるまでも無い忠告ね」

 そう言うとメメは、ランコに掛けられていた手錠を外し、タワーの内部へと連れ込んでいった。


 ガラス張りのエレベーターが、ぐんぐん上昇していく。ランコはルーム内から、興味津々といった感じに、どんどん離れていく下界をじっくり見下ろしている。

「いやー、凄いもんだね。あたしの住んでるスラムどころか、都市全体がゴミ箱みたい。アハッ、このまま宇宙にでも連れてってくれんの?」

「そうね。いずれそうなるでしょうね」

 メメは冗談ではなく、真顔でそう返す。

「超かっこいいね。銀河系アイドルとかってさぁ」

「余裕綽々だね。」

「まぁ緊張するような場面でもないし。っていうか、あたしをこれからどうしちゃうつもりよ?」

「知ってるかもしれないけど、今日はヒロインクラスの構成員オーディションをやってんのよ。あんたにはこれからそれを受けてもらうわ」

「は?」

 ランコはさすがに固まった。ヒロインクラスの下部組織に楯突いた結果、ヒロインクラスのオーディションを受ける羽目になるとは完全に想定外。実際は物事の想定自体を全くしていなかったのだが。

「しかも、いきなり最終選考からの参加よ?こんな超好待遇聞いたことないわ」

「何でそんな流れになっちゃうのよ?」

「さぁ?それは私も知らないわ。私も上からの指示で動いてるんだし。ただ確実に分かるのは……」

 メメは上昇を続けるエレベータールーム内で、更にその上を見上げた。天を仰ごうと。

「永遠のアイドル、永久のヒロイン、我真エイリの意志によるもの。きっとあんたに何か感じるものがあるんでしょうよ。うん。それは何となく私でも分かるわ。見た感じ、ゴミ置き場から這い出てきたネズミ風情だけど、光るものはあるわね。光るっていうか、燃えるっていうか。少なくとも不燃物じゃなくて、可燃物っていうか」

「何言ってんの?」

「ま、とにかくそんな反抗的なところもさ、新鮮でね。これまで中々出てこなかったのよ。年頃の少女の反逆者っていうのはさ。小汚いオッサンが酒飲んで酔った勢いで、天上に唾を吐きかけるなんてことはあってもね。今日オーディションを受けてる子たちもそうなんだけど、少女たちは皆、ヒロインクラスを崇拝してる。それはいいんだけど、それだけじゃヒロインにはなれないのよ」

「んじゃー、あたしにはその資質があっちゃうわけ?」

「それはさて……」

 エレベーターの上昇速度は緩くなり、四十五階で止まった。

「それはここから一歩出た瞬間から分かる事になるわ。心の準備はいいかな?」

「……ま、テキトーに」

 そんな脱力した返事を受けて、メメは開閉ボタンを押した。

「それじゃあ、選考スタート!」


 一瞬、眩い光が視界を奪い去った。反射的に目を閉じて、瞼の向こうに光を感じなくなるまで待つ。

 そして、目を開けた瞬間。

「あなたが今回、新規にヒロインクラスに加入され方ですね!」

「お名前を!」

「歳は⁉」

 マイクを持ち、カメラを抱えた男たちが大挙して押し寄せてきた!焚かれたフラッシュがまた眩くて不愉快。

「????」

 いったい何事なのか、理解できずに首を傾げるランコの眼前に、次々とマイクが突き付けられる。

「どういった経緯で?」

「尊敬するメンバーは⁉」

 どうやらこれは囲み取材だという事は理解できた。だがなぜ今、自分がそれを受けているのかは……

「さぁ?いったい何なのあんたらは。あんたらの大好きなアイドルさんは、そっちに」

 きっとメメに対する取材だろうと勘繰り、さっきまで彼女がいた前方を指さすが、そこには誰もいない。

 いや、周りを見渡せば他の少女たちもいない。周りにいるのは報道陣のみ。

「う~ん。まぁいいや。で、質問は何だっけ?順番にね」

 考えても仕方ないとしたランコの気持ちの切り替えは早かった。

「お名前は?」「歳!」「経緯は⁉」

 皆同時に声を発して、順番もくそも無い。興奮のあまりに唾をまき散らす彼ら。

「だぁーっ、もう、やっかましいわ!」

 そう吐き捨て、ランコはとりあえず目の前にいた男からマイクを取り上げ、そのまま男の口へと突っ込んで黙らせる。

「名前は純恋ランコで、歳は十六。エラソーな女にムカついたらここへ連行されたわ。以上!」

「あ、あと尊敬するメンバ」

「誰がいるのか知らないし」

 きっぱりと言い切ったランコは、まだごちゃごちゃと騒いでいる取材陣を押しのけて、とりあえず前へと突き進んだ。


 長い廊下を歩いている。どこにもドアは無く、ただひたすら長い廊下。どこへ行こうにも、真っ直ぐ歩くほかない。

(どこかへ行かされてるって感じで、こーいうのはムカつくわね)

「お?」

 ぼやきそうなランコの前に、ようやくドアが現れた。シンプルで鍵穴も無い鉄扉。それを開いた先に……

「ランコちゃーん‼」

「ランコ様、こっち見てぇ!」

「いやぁ!超カッコイイ!」

「サイン!サイン!」

「オェェェェェェッ」

 場所は何故か地下駐車場。そしてそこに群がる熱狂の坩堝の若者たち。一瞬たりともランコの挙動を見逃しまいと、見開かれた目。興奮につき叫び声をあげ、さらに過剰になれば嘔吐する少年までいる始末。

 彼らは彼女らは瞬く間に、ランコを取り囲み、握手を求める手やサイン色紙を突き出してくる。

「はいはいはいはいはい、オッケーオッケー。あとほら、ゲロ袋」

 投げやりに差し出された手にそれぞれ軽く触れ、サイン色紙は受け取って脇に抱え、ゲロ袋と称して、近くにいた少女の手提げ鞄をひったくり、嘔吐中の少年に手渡す。

 そして、

「それじゃーね」

 と、そのままランコは足早に去って行った。


 地上出入口に見える光に向かい、ランコは歩く。地下駐車場に、そこ以外に向かうべき場所は無かった。

(ってか、そもそもエレベーターであれだけ高い所に行ってたのに、なんで地下にいるのよ、あたし)

「まぁいーけど」

 晴れない疑問に頭を抱えていても仕方がない。今はただ光差す方へ。

 やがて光は拡散し、ランコを包む。次なる光景は……


 ゴオォォォォォォォォォォォォォォォ‼

 轟音。台風でもやって来たのかとも思えたその音は、正に空気を震わせる大歓声。

 七色のレーザーライトが客席を照らせば、そこに見える数万人の観客たち。

 観客がいて、歓声を上げるのならば、この場に間違いなくあるのがステージ。

「……⁉」

 自分の足元が突如発光し始め、ランコは身構えた。強化ガラスが張り巡らされた床下からの照明。今、自分が立っている場所こそが、ステージなのだとランコは知った。

 そして、周囲には華やかな少女たち。お揃いのカラフルなステージ衣装を着込んだ彼女たち。皆一様に、満面の笑み。背後から重厚な打ち込みサウンドが弾き出されたのならば、彼女たちは活動を始める。そう、アイドル活動!

 アップテンポなリズムに合わせてステップを踏み、体全体の挙動は実に速やか。尚且つ整然とした動きを保ち、その動きはますます激しくなる。それに合わせて、歓声も増し、ステージ上でも客席でも汗が飛び散る。

(……)

 その熱狂の最中、ステージ上のランコは腰に手を当てて、ピクリとも動かない。理解不能な現状で、自分がすべき事など何一つ無いな、とステージ上で醒めていた。


 ガールズレディ ステップバイステップ

 砕け散るまで駆け抜けた 砕け散っても駆け続け

 ガールズアサルト レディコマンド

 みんないつかは星になって 星になったら会いに来て


  どこか勢い任せな歌を唄いながら、ボルテージを上げるアイドルたちと観客たち。そこには確かに一体感というものがあって、ランコはもちろんその輪から外れていた。


 さて曲を終えたアイドルたちは、一人の少女を中心にして、ステージ上に集結する。その数は二十名。

『みんなー!今日は素晴らしいお知らせがあるよ!』

 第一声を上げた少女。栗毛のセミロングで、二重瞼が映える明るい表情。スレンダーで引き締まったヘソ周りを惜しみなく晒して、そこから下はスパッツ仕込みのスカートスタイル。華やかながらもアグレッシブな印象の彼女。

『今日ここで、私たちヒロインクラスの新メンバーを紹介したいの!みんな、いいかな⁉』

 承認を示す大歓声に彼女は満足し、そして振り向いて、ランコに視線を向けてウィンクした。

『じゃ、こっちだよ!ランコ!』

(……は?)

 ヒロインクラスの新メンバーを紹介するという流れで、自分の名が呼ばれた。ステージ上の二十人のアイドルと、客席の数万の視線がすべからく自分に向けられている。

(オーディションを受けさせられて、確かまだその途中だったよね)

 知らぬ間に合格していました、などという事があるだろうか。

(そういえば、さっきの報道陣共やファンっぽい奴等も……)

『アッハ、緊張してるみたいね!じゃあみんなで呼んであげようよ!……ラーンコ!』

「ラーンコ!」

「ラーンコ!」

「ラーンコ!」

「ランコー!」

 数万のランココール。それはまるで逃げ道を塞ぐ壁のようなもの。

 しかしながら、ランコはこの場から逃げようなどとは思っていなかった。ただゆっくりと足を踏み出し、マイクを手渡されて堂々とした佇まいで、ステージの真ん中に立った。

『えー、どうやら何故か、あんたらはあたしの名前を知ってるみたいだから、自己紹介はしないわね』

 コールが止んだ客席は、電源を切ったかの様に見事な無反応だった。静寂の中、マイクはランコの溜息をはっきりと拾う。

『はぁ……というわけで、次の曲〝便槽の魔女〟』

「は⁉」

 自己紹介もせず勝手に進行を初め、尚且つ誰も知らない曲を口走ったランコに、栗毛の少女は呆気にとられた表情を見せて……



 ブザーが鳴った。それと同時に視界は暗転し、ステージも観客もアイドルたちも消え去った。

「……ここは?」

 ランコは、何やらだだっ広いフロアにいた。そこは暗室。ブザーはまだ鳴り止まない。

 ブザーが止むのと、カーテンが開くのは同時だった。日の光が差し込む。太陽が近いのか、熱を強く感じさせる光。

 そしてその光を背に、少女が二人立っていた。

 一人は來生メメ。もう一人は、さっきステージで華やいでいた栗毛の少女。

 二人はにこやかな表情で、ランコの下へと歩み寄ってきた。

「どうだったかな?バーチャルアイドル体験は?」

 メメが何やら自慢げに問う。

「バーチャルアイドル体験?って、あぁ、さっきまでの……」

「そう、このシミュレーションフロアで、あなたにアイドル活動の一端を経験してもらい、そこでの対応をモニタリングしてたというわけよ」

「さっきまでの体験が、全部シミュレーションだったってこと?マジで?すごいな……けど、まぁそりゃそうか。現実離れしすぎてるしね」

 ランコのそんな冷静な反応を見て、二人は満足そうな笑みを見せる。

「いいわね、君。さっきのステージシミュレーションの締めもそうだったけど、肝が据わってるというか」

 栗毛の少女が、親しげにランコの肩に手を乗せる。

「そんな君だから、合格よ」

「……合格?あたしが?」

 アイドルオーディションに受かりました。アイドル志望の少女ならば、溢れる涙を止められず、口を押えてむせび泣くこの現状。

 しかし、ランコはただ首を傾げる。

「合格……と言われても、アイドル志望ってわけでもないし、っていうか何で?」

「理由の話?そうねぇ……。確かに君の対応は、ファンやマスコミに対してぶっきらぼうだったし、ステージの上では一瞬たりとも動こうとしなかった。ま、アイドル的とは言い難いわね」

 後ろで頷いていたメメが、話の続きを述べる。

「だからこそ……よ。他の子たちは、趣旨を理解して、アイドルっぽく受け答えしたり、ステージ上では、ダンスをして見せたわ」

 メメは、懐からリモコンを取り出し、壁に取り付けられたモニターに向けてボタンを押す。

 十台のモニターに、それぞれ映像が映し出されている。それらは、シミュレーション中の少女たち。

 ただ戸惑い、目を泳がせている者もいれば、ぎこちないながらもダンスをする者たち、唄う者たちもいた。

「みんな頑張ってるでしょ?でもね、アイドル以外の者たちには、一切の表現活動が禁止されてるのよ?なんでアイドルでもないこの子たちが、歌ったり踊ったりしてるのかな?もっと言えば、何で歌えたり踊れたりできるのかな?あれ?この子ら、隠れて似非アイドル活動でもしてたんじゃないの?……というわけ」

「あーはいはい。つまり、あの子らはオーディション合格どころか、無法者だというわけなのね」

「そう。このオーディションは、違法者をおびき寄せるという意味合いもあってね。それでもってあの子たちは、収容所行き」

「んで、何もできなかったあたしが合格ってわけ?」

「いや……違うわ」

 栗毛の少女が、じっとランコの瞳を見つめる。

「ただ何もしないだけだったら、特にペナルティの無い不合格。でも、君は堂々としていた。怯まなかった。最後に五万人の観客を前にしても、その態度は変わらなかった。私たちヒロインクラスが欲しい人材はアイドルじゃないわ。アイドルになれる者。その重要な条件の一つは、〝怯まない〟ことなのよ。その気持ちの強さをもってすれば、いざ頂点に立った時、足元を恐れずに済む」

「怯まない……強い心ねぇ」

「そうよ。ダンスだの歌だのそういう技術は、これから身に着ければいい。そして、君はその資格を得たの。さぁ……」

 そう言うと、栗毛の少女は右手を差し出した。

「私は、清風《セイフウ》アイラ。ヒロインクラスのセンターを務めている者よ。私やこのメメと一緒に、アイドルとして世界に君臨しましょ」

「アイドル……君臨」

 アイラが求める握手に、ランコは両手を腰に当てたままで、応じようとはしない。そんな態度を見かねたのか、メメはやや表情を歪める。

「ちょっとちょっと、怯まないのはいいとして、握手くらいしなさいよ。私たちが認めてあげてんのよ。他でもない、ヒロインクラスがね」

(認めてあげてます……ねぇ)

 ランコは、腰から手を放し……今度はその手を頭の後ろで組んだ。

「ごめんね。まともな環境で育ってないもんで、握手の仕方が分からないのよねー」

 明らかに挑発的な態度だった。

「こいつ……」

 さすがに憤慨するメメは、ランコに詰め寄ろうとしたが、アイラに制止される。

「別にいいわよメメ。そう、いい感じじゃない?今までにいないタイプでさ」

 そう言って、差し出していた右手をランコの肩に乗せる。

「これから、契約書にサインをしてもらって、正式に私たちの構成員になる。君のその不遜な態度に、私は超期待してるわよ……〝純恋ランコ〟ちゃん」

 含みを持たせてランコのフルネームを呼び、微笑むアイラ。

 そしてそのまま踵を返しメメを引き連れて去ろうとしたが、一度振り向いた。

「ところで、さっきのシミュレーションで最後に言ってた、〝便槽の魔女〟って何なの?」

「あぁ、あれはきっとあんたらに捧げる曲よ」

 ランコは、醒めた顔でそう返すのだった。



「うむ。君が、今回のオーディションに合格した純恋ランコさんだね」

 係員から案内された別室に入ると、そこに三人の中年男がいて、じろじろとランコを見ている。

 ランコは着席を促される前に椅子に座り、足を組む。

「……純恋、か。君はもしかして、純恋レーコの娘さんかね?」

「さぁ?ご想像にお任せで」

 なるほど、恐らく四十~五十代であろう目の前の三人。その世代には、純恋レーコの名前は知れ渡っているのだろう。

「そうか。では勝手にそうだと決めつけさせてもらおう。まぁ、そこは重要なとこでもないしな」

「君が一体何者だろうが、あのヒロインたちが選んだメンバーだ。我々が口を挟む権利は無い。我々は、ただ言われたとおりの手続きを踏むだけさ」

「というわけで、この契約書にサインを……」

 差し出された一枚の契約書を受け取り、ランコは目を凝らして見つめる。

(……うん?)

 長々しい文章を、適当に読み流すつもりだったランコは、その文面の短さに意表を突かれた。


 ―私、純恋ランコは、アイドルになるにあたり、一個人としての幸せを一切放棄し、

 永遠にアイドルとして存在することをここに誓い、契約するものとします。


 ただそれだけだった。

「なーに?これ」

「アイドル永続宣言だ。自分は生涯、他者にとっての憧れ、崇拝対象であり続けるという、意思表明。……と」

 男は何か思い出したようで、鞄から封筒を取り出した。

「君にはこれを手渡すよう言われてたな」

「これは?」

「さぁ?我々も中身は知らない。上からのお達しさ。契約書を交わした後に、その中身を君の手で破棄せよ、ってね」

 とにかくランコは封筒を受け取り、直ぐにその場で中身を確認した。

「……ハッ」

 笑った。決して愉快な感情から出た笑いではない。乾いた笑いというもの。封筒から取り出したのは、一枚の写真。被写体は、純恋レーコ。まだ若い、今の自分と変わらないくらいの歳の母のピンナップ。

 ランコは、なるほどといった具合に、乾いた声で笑っていたが、やがて笑みを失せさせ、腰を上げた。

「おや、どうしたんだね?」

「……」

 言葉は返さなかった。無表情な男たちを見下ろすランコもまた無表情。

 しかし、目が見開かれていた。意を決したように、真っ直ぐな瞳。

 そして、ランコは男たちの前に、契約書をかざして……


 ④


 何というか、無機質。だだっ広いアストロタワーのフロアは、ゴミ一つ無く、壁にも染み一つ無い。廊下を歩いていてもそれは同じ。

 人気は無い。まるで管制都市の象徴のようにそびえ立っているタワーだが、ランコが見る限り、いったいどんな機能を擁しているのか、皆目見当もつかなかった。

 一点の汚れの無い、圧倒的な象徴、そして人々が見上げる対象。

(なるほど……これがアイドルってわけね)

 この施設の存在意義に関して、何やら納得して、その対象を鼻で笑った。


 出口付近のロビーに差し掛かると、いくらか人の姿があった。少女たち。華やいで、軽やかなお喋りをし、その容姿は麗しくあり、可愛らしくあり……。アイドルたちだった。

「手続きは終わったみたいね、ランコちゃん」

 アイドルたちなど気に掛けずに、真っ直ぐタワーから出るつもりだったランコを、背後からアイラが呼び止めた。

「ちょうどいい機会だから、みんなにも紹介しようと思って、ここで待ってたのよ」

 そう言ってアイラは手を叩き、アイドルたちに呼び寄せる。

 お喋りしていた少女たちはぴたりと口を止め、アイラの指示のもと、ランコの前に立ち並んだ。まるで、行く手を塞ぐ壁の如く。

 少女たちに笑みは無い。しかしながら特別悪意も無く、どうやら新入りらしい、見た目に華やかさの無い、スラムの少女を観察している。

「この子が、今回オーディションを合格して、私たちの仲間になる、純恋ランコちゃん。すごく肝の据わった子でさぁ。面白い子だよ」

 アイラがそう紹介すると、少女たちはランコに興味が湧いたようで、観察の視線はより強くなる。

「……アハ」

 ランコはふと笑った。その笑みにこそ、悪意があった。

「そうね、自己紹介しとかなきゃね。あたしは純恋ランコ……」

 ランコはおもむろに、ズボンのポケットに手を突っ込み、何か掌に包んで取り出した。

 そしてアイドルたちの眼前で、手を開く。

「みんなの敵よ」

 掌から舞い落ちる紙切れ。細切れになったそれは、契約書だった。

「……あんた」

 ざわつきの中、一歩踏み出したのはメメ。憤りに沿い、笑みを浮かべるランコの胸倉を掴む。

「これはいったい何のつもり?」

「分かりやすいでしょ?契約破棄ってやつ。付き合ってらんないでしょ、あんなの、そしてこんなの」

「あんたねぇっ」

 嘲笑を浮かべるランコに、感極まって張り手をしそうにもなるメメだったが、その手はアイラによって止められた。

「落ち着きなよ、メメ。……ランコちゃん、私たちの敵っていうのはどういうこと?」

「言葉通りだよ。元々、あたしはヒロインクラス目指してここにやって来たわけじゃなくて、連行されたんだしね。でも、今日ここに来て良かったと思うわ。心からね」

 ランコはメメを視界から外し、アイラをじっと見つめる。

「やりたいことを見つけちゃった」

「へぇ?それは何?」

「アイドルを、あんたらヒロインクラスを、この場から引き摺り下ろしてやるの。生まれて初めての、あたしの夢と希望。テンション上がっちゃうわ」

 夢と希望を語る、野心に満ちた不敵な笑み。ランコの敵対宣言を受けたアイドルたちは、

「フッ……アハハッ」

 メメが噴出したのを切っ掛けに、皆愉快そうに笑い声を上げるのだった。

「ランコだっけ?あんた、いいギャグ持ってるじゃない。私たちを?ここから?引き摺り下ろすぅ?その為に、合格を蹴ったの?アッハハ、超カッコイイわこの子」

「でしょ?最高だと思う」

 嘲笑に囲まれて尚、ランコは不敵な態度を崩さない。皆はそれで醒めて、不愉快な表情を浮かべる。

「……どうしてか、聞いてもいいかな?」

 ただ一人、笑い声を上げなかったアイラは、実に神妙な顔でランコに問う。

「なんだかね、気に入らないのよ、あんたらがさ。でかい面して、支配者気取りでさ。元々ムカついちゃいたけど、それが今日、感極まっちゃってさ」

「それで、私たちに敵対するっていうけど、何をするつもりかしら?」

「そーだね。あたしなりのアイドル活動を始めてみるつもり」

「表現活動の禁止……。つまりあなたはそれを破るわけ?」

「もちろん。よくよく考えてみたら、あたしたち五層のスラムの住人は、法とやらの恩恵は一切受けていないし、それどころか法があたしたちを弾き出したんだから、それを守ってやる義理は無いのよね」

「無法者になるという事ね。そんな宣言を、堂々とされて、ここから出られると思う?」

 ランコは囲まれていた。二十人のアイドルの輪。敵を一切排除する。彼女たちの顔に浮かんだその意志。それは、かつてアイドル殲滅宣言をした我真エイリの意のままに。

「ふっ、ふふ~ん」

 尚も、ランコは余裕で周囲をぐるりと見渡して、

「まず、今日この場から逃げることが……夢への第一歩!」

 そう言い放ったランコは、少しの助走をつけて跳躍し、一人のアイドルの肩を踏み台にして、さらに跳び、いとも容易く輪を脱した。

「というわけで、首を洗って待っててね」

 そう言い残し、ランコは脱兎の如く駆け出したのだった。


 少しの間、呆気にとられていたのか、固まっていたアイドルたちだったが、ランコの姿が消えるとすぐに我に返る。

「ま、待ちなさいよ!みんな、逃がしちゃダメだからね!セキュリティーも呼ん」

「放っておいていいよ」

 取り乱すメメたちを、アイラが冷静に制御する。

「あの子が、私たちに敵対するなら、それもいいでしょ。途中で摘発されて潰されるか、もしそうならなくても、私たちが直々にあの子の夢と希望とやらを潰せばいい。それだけの話だからさ」

 アイラは淡々とそう言って、一人フロアの奥へと消えていった。



 どうやら追手は来ていないらしい。そうと分かれば、ランコの駆ける足はその速度を緩め、かわりに弾み始める。逃げ足はゴキゲンなステップへと。

「およ?」

 今日護送車から降ろされた場所へ差し掛かると、見知った男が陽炎のように揺らめきながら歩み寄ってくる。

「クソがよぉ……」

 アキラは何やら全身泥まみれで疲労困憊しており、顔を歪ませ毒づいている。

「どうしたのよ?肥溜めにでも落ちたの?」

「落ちるかっ。こりゃ強制労働だ。クソッ、あいつら、出るあてのない地下資源を延々と掘らせやがって」

「あぁ、不毛労働を課せられてたのね。精神鑑定はどうだったのよ?」

「正常に決まってんだろ。でも、正常なおかげで、収容所送りだ。安心して労働させられるなってよ」

「ん?それで今ここにいるって事は?脱走してきちゃったの?」

「まぁよ。ハハッ。昼飯のサラダに添えられていたマヨネーズを尻に塗りたくって、それを舐めようとしてみせたら、みんな俺の頭が狂ったと思って大騒ぎになって、その隙を突いたってわけ。狂ったふりをしてみせたのよ」

 狂った〝ふり〟とは言っているが、それを実行する時点で幾らか狂っているのでは?とランコは思ったが、今はアキラのその行動に賛辞を贈りたい気持ちもあった。

「しかしクソッ、何なんだこの東京って所はよ。俺が愛し憧れたヒロインクラスがこんなにしちまってんのかよ。俺はいったい何に焦がれてここまでやって来たんだ?このムカつき・・・・・・」

「……フフンッ。いいねそのムカつき」

 ここでようやくアキラは、ランコの上機嫌さに気が付いた。

「なんか機嫌が良さげだけど、お前は何があったんだ?」

「あたし?そうねー。ハハッ。夢を見つけちゃったかな。ま、帰ってからゆっくりと話しましょ。今後の事とかね」

 夢を見つけた少女の笑みは、不敵ながらも輝いていた。


 ⑤


 時刻的には、暮れなずんでいるはずの夕刻。しかし都市最下層のスラムは、鮮やかな落陽からは見捨てられ、早くも夜が訪れている。

 日雇い労働を終えた者たちが背を丸めながら、安酒と安飯を求めて行き来するトラッシュロード。その道の真ん中を、ランコは堂々と胸を張って歩く。 

 BAR・ピュアラヴ。家に帰り着いたランコとアキラだが、入口を開ける前に、二人して一度立ち止まる。

「さぁてと。ママは何て言うかな?」

「いや、俺はまずお前がこれから何を言うのか知らんしよ」

「あぁそっか。じゃあ、アキラには先に言っとこうかな……」

 その時、BARのドアが開いた。

「あら、帰ってたのねランコ」

 置き看板を出そうとしていたレーコがちょうど出てきて、ランコは口を閉じた。

「そんな所でぼけーっと立ってないで早く入んなよ」

 そう促されるのであれば、拒否する理由も無く、言いかけた言葉はそのままに、ランコは家に入り、アキラは首を傾げながらそれに続くしかなかった。


 さて何から話そうかと、ランコは椅子に座って、今日のオーディションの顛末を頭の中で纏めている。

「……なんかさ、今日お宅の娘さんが連行されていったわよ、って何度もご近所さんから聞かされたんだけど?」

「えっ?」

 話を切り出そうとした矢先に不意を突かれ、出鼻は挫かれる。

「さてさてこれからどうしようかと思ってたら、帰って来て一安心ってとこだけどさ。で?どうしたの?帰ってきたってことは、連行されたってのは何かの間違い?」

「いやー。間違いじゃないのよ。ポリスクラスに連行されたのは本当よ」

 返事を聞いたレーコの顔は引きつった。

「よく……一日も経たずに収容所から帰って来られたわね」

「収容所には行かなかったもん。んーとね、その代りヒロインクラスのオーディションを受けさせられちゃったわ」

「「は?」」

 レーコはもちろんアキラも初耳で、二人は口を半開きにして目を合わせる。

「うん……。流れがよく分かんないけど、それで、結果は?」

「合格しちゃった」

「おぉっ‼マジかよ!スゲェなお前!」

 アキラの純粋な驚きに、ランコは軽く笑った。

「そして、辞退したわ。その場でさ」

「はぁっ⁉マジかよ!な、何考えてんだお前⁉」

 さっきよりも更に驚いて見せるアキラを、ランコは鼻で笑った。

 そして、視線はアキラではなく、レーコへ向ける。母は、眉をひそめる。

「ヒロインクラス……。古巣を悪く言うのもなんだけど、今となっちゃ忌々しい存在ね。でも、その構成員っていうのは、この東京じゃ最上級の地位よ。それに合格って事は、上層での生活と生涯の安泰を約束されるようなもの。それを辞退しちゃうのはどうして?」

 母レーコの眼差しがいつになく真剣なことに、ランコは気が付いている。母が真剣に向き合うのならば、娘も誤魔化しは許されない。そんな気概で口を開く。

「……だって、あたしが本気でやりたいことが分かっちゃったからさ」

「ランコが、本気でやりたい事?」

「うん。あたし、アイドルになるわ」

 アイドル宣言。ランコの瞳はギラついている。いつも、どこか虚ろさのあった娘の瞳に、強固な意志を感じるレーコ。母はしばし黙って、娘と目を合わせ続ける。

「いや、オイオイ。そのアイドルになれたってのに、辞退したって話だろ?」

 割って入ったアキラの無粋さは、むしろ必要だったのかもしれない。

「そーよ。ヒロインクラスってアイドルにはならない。絶対に。でも、そうじゃないアイドルになるのよ。絶対にね」

「でも、連中以外のアイドル活動は法律違反なんだろ?」

「そ。だから、法律を破るのよ。簡単な話じゃない」

「あー、なーるほ……ど?」

 言葉で聞くと簡単。しかし、その実行は茨の道であり修羅の道。規律社会を無法者として生きるという宣言を、いとも容易く口にする危うい少女に、アキラは渋い顔をする。

 それは、母であるレーコも当然同じ。

「……これからアウトローになります、なんて言う娘の背を押す母親はいないわよ」

「そりゃあそうだよね。でも、ママは、その昔アナーキーだったんじゃないの?」

「昔は……ね。でも今はただの母親よ。娘の健全な成長を願う、ただのママ。健全と言える環境じゃないのは、そうなんだけど」

「でも、ママは昔から、あたしに自由に生きなさいって言ってたよね」

 その返しを予想していたとはいえ、レーコは困ったように目を伏せる。だが、口許は僅かに笑った。

「そうね。確かにそう言った。そして、そう言った以上は、あんたの自由を奪う権利は私には無い。でもランコ、ヒロインクラスの打倒を目指すって、どうやって成し遂げるつもりよ?」

「まずは、仲間を何人か集めようと思うわ」

「仲間って……あてはあるの?」

「まぁね。連中に対抗できそうな、連中とは正反対な子たち……。アイドルから見れば、カスみたいな子たち。そんな子たちなら、あてはある」

 カスをかき集めて、後光の差すような神聖な者たちに挑もうという、スラムドリームを語るランコ。廃材を集めてスペースロケット制作を試みるに等しい行為。やはり危ういが、揺るぎ無い意志を、目のぎらつきで語る。

「分かったわ……。でもランコ、半端な自由は許されないわよ。半端な抵抗活動で、自由を語って、いとも容易くその芽を摘まれるような、かつての私みたいなことは、ね」

「……」

 自虐的な、自嘲的な母の言葉に、ランコは言葉を返さず、無言で少し頷いて、自分の部屋へと去って行った。



「はぁ……ハハッ。はぁ~ぁ」

 ランコが去った後、レーコは動揺を隠せずに、苦笑いと落胆でぐったりとしていた。そして、ヤケ酒とばかりに、ウィスキーをストレートでぐいと飲む。

「ねぇ、アキラくん。アイドルの条件って何?」

「えっ?それを俺に聞くんすか?ランコじゃなくて」

「そ。二十年前のアイドルの定義を聞かせてよ」

「そー……っすねぇ。まぁ当たり前に顔が良くて、華やかで、見ているだけで時間が過ぎるのを忘れるような……。夢を見させてくれるような、明日に希望を与えてくれるような感じ。あぁそうそう。あと、ファンを裏切らない。これ重要」

 レーコは懐かしそうに頷いている。

「そうだよねぇ。そうだったわ。そして、思うに今もそれは殆ど変ってないのよね。でも一つ。君が言った重要な一点が逆転しちゃってるのよ」

「逆転?」

「えぇ。ファンは決してアイドルを裏切ってはならない。自分たちがお前らを夢中にさせてやってんだから、お前ら絶対に裏切るなよ、って構図なわけよ」

「じゃあもし、ファンであることを辞めたら?」

「そうなるとそいつは、他に夢中になるものが無くなってしまう。だからこその娯楽の規制と表現活動の禁止というわけ。こんなスラムで酒に溺れるしか楽しみが無くなっちゃうのよ」

 レーコは自嘲的に、グラスをかざして口に運ぶ。

「絶対の存在を強いる唯一アイドルへの抵抗……か。何でこう似ちゃうかな。親子ってのはさ」

「でも、ランコはレーコさんに似てることを誇りに思ってますよ、きっと」

「そんな素晴らしいもんじゃないんだけどさ。一個人の女としても、母としてもね」

「そ、そんな事ないですよ。っていうか、そんなこと言わんでください」

 一ファンとして、レーコの嘆きは辛いもの。レーコはすまなさそうな、やるせない顔を見せている。

「娘が法を破ることを黙認しちゃってるわけよ。そりゃまぁクソみたいな法だけどさ。でも……そうね」

 酔いが回っているのか、やたらと言葉遣いが悪いレーコ。ウィスキーを飲み干して、椅子に背もたれて、天井を見つめる。

「天辺取って、有頂天で傲慢なアイドルにクソを投げつけるような……そんな子が現れるのを、やっぱり私は期待してたのよね。そして、それが自分の娘だったら……。不安の中に僅かな高揚感があるのは正直なところ。自由を語るだけの半端な女が、母親になって、娘の行く末にかつての夢を見る。はぁ……ハハッ、最低」

「……」

 正直、レーコの心情を察するには、アキラは鈍すぎるし、人生経験も浅い。何か、気休めの言葉を言おうとも思ったが、結局何も思いつかない。

「ごめんね、アキラくん。愚痴みたいなこと言っちゃって。で、君はどうする?もう少しここに住んで、日銭を貯めて故郷に帰る?東京を脱出するのも一苦労だけどさ」

「……いや。俺は俺で、今のヒロインクラスのやり方にムカついてるんですよ。いきなり強制労働させやがってさ。だから、俺はランコを支援してやりたいと思います。あいつが、ヒロインクラスに目にもの見せてやるっていうんなら、俺もそれが見たいですし。それに、田舎に帰って、都会は怖い所だったとか言って回るのはカッコ悪いっすからね」

「そっか。じゃあ悪いけど、ランコをよろしくね。役に立てない私の代わりに……さ」

「……はいっ」

 この時、アキラは心底嬉しかった。酔っているとはいえ、かつての憧れのアイドルに、頼りにされている。これだけでも、アイドル目指して上京して、心から良かったと思える。更に大げさに、生まれて良かったとすら思った。

 そんな自分がちょろい男だとは思わないようにした。


 ⑥


 スラムに雨が降る。通りでは、シャワー代りだとばかりに体を洗う浮浪者多数。詰まった側溝からゴミを伴い溢れ出る汚水。当然漂う臭気の中、アキラとランコは傘もささずに歩いている。

「スカウトに行くって、どこに向かってんだ?」

「パッと思い浮かんだ子たちがいてさ。まず一人目は、このスラムの更に地下にいるのよ」

 層状都市の最下層の更に地下。要するにどん底。そんな所にアイドルに相応しい人材がいるものか、と疑念を抱くアキラを他所に、ランコは早い足取りで突き進む。


 そして、とある路地裏に踏み入ると、そこにあった小さなドアの前で足を止めた。

「何だこりゃ?また随分怪しげな……」

 アキラがそう言ったのは、ドアに掛かれた模様を見たから。

 血のような濃い紅さで描かれた逆五芒星。悪魔的にも山羊を描いたその紋様。雨に濡れて怪しさ増し増し。

「この先に秘密結社でもあんのか?」

「結社?アハッ、そんな立派なもんじゃないよ。ただの悪魔ごっこでしょ」

 そう言って軽く笑い、ランコは魔の門を開いた。ドアノブが手垢塗れでべとべとなのが気色悪かった。


 扉を開けるとすぐに、下へと延びる階段に続いていた。湿気に満ちてかび臭く、いかにもといった感じで、所々に火が灯った蝋燭が置かれてある。冷気も漂い、邪な空気を感じ取るアキラは、一人心拍数を上げている。

「……」

「なーに緊張しちゃってるのよ?こんなもんはただのハッタリだよ。別に悪の親玉に会いに行くわけじゃないんだからさ」

「じゃあどんな奴に会いに行ってんだ?」

「そう……ね。何だろ?友達?じゃないわね。仲良くなかったし。小学校の時一緒のクラスだった変わり者よ。自分が悪魔だと信じて疑わないって感じのね」

「あぁ、そりゃ変わり者だな。相当な」

「でっしょ?あたしがいっつもからかうもんだから、向こうもキレてあたしを呪ったりしてさ。あたしも何度も階段から落ちたり、金縛りにあったり、突然意識を失ったりしてさ。アハッ、超懐かしいっ」

「はぁ……」

 アキラは、それは笑いながら話せる思い出なのか?と一人心で呟いた。

「ま、久しぶりだから、今はどんな風になってるのやら……」

 二人の前に、再び扉が現れた。やはり描かれている逆五芒星。きっとこの先は魔の巣窟。

 そんな場所へと、ランコは鼻歌交じりに入って行った。



 蝋燭によって作り出された薄明りの空間。お香の、というよりはただの線香の香りが漂っている。

 言ってみれば、規模の小さいライブハウスやクラブといったものだが、盛り場らしい活気というものはまるで無い。

 しかしながら、暗さに慣れた目をよくよく凝らせば人は幾らか居るようだった。ある者は壁に背もたれ、ある者は床に座り込み、またある者はただひたすら立ち尽くしている。共通して言えることは、総じて虚ろ。

 そして、空間には音が鳴り響いていた。

「っく……そ。やかましいな」

 そんなアキラの呟きは誰にも聞かれず、その音に埋もれる。

 それは一言でいうなれば雑音。安っぽいスピーカーから響くのは、ギターの音だかセミの鳴き声だかよく分からない、低音を欠いたシャリシャリ音。それが耳に刻み付けるように、速い刻みで延々と鳴っている。一言で要約しなくても雑音だった。

 一応ステージらしきものはあるが、演奏者は居らず、この音はきっと録音を垂れ流しているに過ぎないもの。

 そして、雑音の合間に時折呻き声のようなものが聞こえる。それも含めて、まぁ結局雑音なのだが、その声の主はステージの上に立っていた。

「な、何だありゃ?」

「はは……相変わらずだったわあいつ」

 声の主に衝撃を受けるアキラと呆れるランコ。

 ステージの上に立っていたのは一人の……少女?首から下は黒ビキニ。首から上は……山羊だった。

 雄々しい角が生えた黒山羊の頭。体は華奢な感じの少女。そのちぐはぐさに、アキラは笑えばいいのか、気の毒に思えばいいのか混乱する。

「おい。まさかあれが、お前がスカウトしたい相手なのか?」

「そ。美沙《ミサ》ハデス。見ての通りの悪魔主義者。いいでしょ?あんなもん、これまでのアイドルにはいないでしょ?」

「そりゃいねーよっ。ってか、いなくていーよ」

「フフンっ。そう思われるからこそ、あたしには必要ってわけ」

 そう言って、ランコは得意そうに笑った。

 いつが曲の終わりだったのか分からなかったが、どうやら一曲終えたようで、拍手一つない静寂なフロアを置き去りにして、ハデスは無言で舞台袖へと引っ込んだ。

 それを見たアキラとランコは、彼女の許へと向かった。



 楽屋というものは無い。美沙ハデスは舞台袖にある小さな階段にちょこんと座っていた。

「……!」

 山羊の頭がピクリと動いた。目の前にランコとアキラの二人が立っている。

「おっ久しぶり~ね。ハデス」

「……」

 無視というわけではないだろう。山羊は明らかにランコを見ている。

「三年?四年振り?さすがにあんたの趣味も変化したかなとか思ったけど、相変わらず悪魔大好きっ子で安心しちゃう」

「……変わらないわ、あたしは。永遠にね」

 声はくぐもっているが、まだあどけない少女の声であることは分かる。

 そしてハデスは、ゆっくりと山羊の頭を取り外した。

「あら、こりゃ可愛い」

 思わずアキラはそんなことを口走ってしまう。ハデスの顔は、思ったよりもずっと少女。艶のある真っ黒なストレートボブな髪。ぱっちりとした目。美白というよりは蒼白の類な顔色であり、不健康な美少女と言ってよかった。

 そんな彼女は、アキラから可愛いと評されたことに、たいそう不満な様子。

「……ねぇランコ。そっちの、つまんなそうな男は何?」

「アキラっていって、アイドル目指して、山から降りてきたその日にスラム入りした、あたしのママのストーカー」

「へぇ?意外と面白いんだ」

「面白くねぇよ⁉」

「そんな事より、ハデス。さっきのあんたのオンステージは何をしてたの?」

 返しはすぐには無い。ハデスはランコとアキラを見定めるように、じっと見つめている。

「小学校を出た後、悪魔主義者を募って一旗揚げるとか言ってたけど、この事なの?スラムの地下に潜む新興宗教団体なんて噂は耳にしてたけどさ」

「フン。あんたに何を言う必要があるの?あたしを馬鹿にしてたあんたに」

「……そうよね。まず、謝るわ。小さかったとはいえ、あんたを余計にからかってたのは確かだし。……ごめんね」

「えっ?えぇ」

 予想に反したランコの謝罪。その言葉にあまり重みは感じなかったが、特別皮肉や嫌味というものも感じなかった。

「他人から虚仮にされるってのが、心底不愉快だと最近知ってさ。あたしも反省しちゃってるのよ」

「ははん。少しは成長したってわけね。まぁいいわ。教えてあげる。あたしの悪魔的活動を」

 ハデスは年頃らしい少女的な笑みを浮かべて、腰を上げた。

「あたし、美沙ハデスは、今のこの世にただ一人生まれ落ちた悪魔として、背負った使命がある」

「うん?」

「肉体的にも精神的にも悪魔である存在はあたし一人。でも、かつて神々との戦いに敗れ去った悪魔たちの魂は散り散りになり、人間の魂と混ざり合う事で、その存在を微かでも維持しているの。あたしは、そんな人々の心の片隅に眠る悪魔の記憶を覚醒させ、再び神々と戦うべく……」

 やたらと目をギラつかせて語るハデスを前に、着いていけないアキラと、着いていこうとしないランコ。それでも耳を傾けはしていたが……

「やーべぇッ!」

 ハウス入口のドアが勢いよく開かれて、血相を変えた労働者風の男が飛び入った。

「おまっ、オマワリどもがおしよしょしッ」

 何を言っているのか分からなかったが、何が起きたのかはすぐに分かった。

 男は、背後から押し寄せてきた警官隊によって押し倒された。ポリスクラスの検めであった。


「ふーむ。何やら物騒な雰囲気だが、お前たち、ここで何をしている?」

 警官隊の先頭に立つのは、一人の女。強気というより威圧的な態度で、警棒を振りながら、薄暗い空間を、ライトで照らしながら見渡している。

 そんな彼女に、舞台袖から目を覗かせているアキラとランコは見覚えがある。

「あ。あいつは確かこの前の」

「姫井メイだっけ?多分」

 ところで、メイの問いかけに対する返答は何も無かった、さっきまでハデスのパフォーマンスを観ていた者たちは皆、今一様に床の上に寝そべり、目を閉じている。

「おい、連中どうしたんだよ?」

「こんな時の為に、打合せしているのよ。いざという時は寝たふりが一番だってね」

「ふーん?じゃ、あんたはどうすんの?」

「……」


「おーい!そろそろ何か答えなよ!」

 言いながらメイたちは、警棒で男たちの頭を小突いている。

「これだけの大声と、頭叩かれても起きないなんてのは、いくらなんでも不自然でしょうよ?」

 当たり前だが、寝たふりで誤魔化せる限界などすぐにやって来る。それでも尚、何も答えないのなら、強制連行も辞さないメイたちの挙動。しかし、

「みんな、ゆっくり眠っているんだから、騒がないでほしいもんよね」

 ステージの上に、ハデスが困った顔して登場。メイはじろりと睨み、にやりと笑う。

「眠ってる……ねぇ」

「そう。ここは労働者たちの休憩所よ。日々の労働に疲れ果てた人たちの憩いの場なのよ。あんたらみたいな、上層の高給取りには理解不能な空間だろうけどね」

「ふん。で、お前は?労働者って顔でも歳でもないよね?」

「あたしは、この空間の提供者よ。ここはあたしのお家なの」

 メイは訝しんで、ハデスの全身を見つめる。黒ビキニの少女の全身。魅惑的なボディというわけでもないが……

「ストリップでもしていたんじゃないのか?」

「……下衆な女は下衆な発想をするもんだよね」

 その返しを受けて、メイは即、警棒をハデスの顎に突きつける。

「なかなか達者な口ぶりね。じゃあまた質問をさせてもらうけど、ここで何をしていた?」

「労働者たちに、眠りの提供を」

「客を集めたパフォーマンスは?」

「……していないわ」

「ヒロインクラスに対する抵抗活動は?」

「考えても無いことよ」

「あなたが敬愛する者は?」

「ヒロインクラス。……我真エイリ」

 一切目を反らさず、全部の質問に答えたハデス。メイはそれを鼻で笑った。

「フフンッ。分かったわ。あなたには、抵抗や反抗の意志は無い。薄汚いけれど、善良な都民である、と。ならば、睡眠の時間を邪魔して悪かったわね。では、これからも惰眠を貪ってちょうだい……」

 明らかに嘲りを含んだ物言い。警官隊は、摘発すべきまでもないと判断し、踵を返し去っていく。


「……ふぅ」

 疲れた様子で舞台袖に戻ったハデスは、力なく腰を下ろす。

「なんだかさぁ。超ガッカリしちゃうんだけど、あんた」

 ランコが山羊頭を手にとって弄りながら、そう吐き捨てた。

「ガッカリ……ですって?」

「そーよ。悪魔の魂を覚醒とか言っちゃってイキがってたけど、いざオマワリを前にすると、そんな事一言も言いやしないよね。挙句の果てには我真エイリを敬愛してるとか言っちゃうし」

「……何が言いたいのよ、ランコ」

「もう言ったじゃない。ガッカリだって」

「このッ」

 ハデスは感情的にランコの胸倉を掴んだが、返す言葉は無かった。

「悪魔がどうだ、とかは俺にはさっぱりだけど」

 横に立っているだけだったアキラが二人の間に割って入る。ランコの性格上、ハデスの現在の精神上、二人の会話はきっと会話にならず、見たくもないキャットファイトが始まっても困るというもの。

「ランコがガッカリしたってのはまぁ分かるぜ。悪魔主義ってのはそりゃもうかなり反社会的だよな。でも、さっきのお前は容易く社会に屈しちまった」

「あたしが……屈した?」

「まぁよ。オマワリたち相手に大立ち回りをしろなんてのも無茶な話だけど。せめて言葉での反撃は欲しかった……だろ?」

 アキラに視線を向けられたランコは、さっぱりとした感じで「さぁね」とだけ返した。

「それに、こいつだけじゃなく、客たちも期待してるんじゃないのかよ?わざわざこんな怪しげなもんを見に来る連中だ。社会に弾かれた連中さ。そいつらが好きなお前が、あっさり社会に屈するのは、そりゃやっぱりガッカリだ。そして、誰よりもガッカリしてるのはお前自身だろ?」

 言い終えると、アキラは何故か舞台に続く小階段を上り始めた。その途中で一度振り向き、

「一歩踏み出すってのは結構勇気がいるもんで、しかもその勇気を振り絞っても空振りに終わる可能性も高い。俺が素晴らしい程にいい例だ。でも、踏み出した事への後悔は無い。踏み出さなけりゃ、一生くそ田舎で後悔しながら生きてるだろうよ」

「……」

 奥歯を噛み締め、黙っているハデス。心の何かが震えている。それを感じて、アキラはランコに向けて、

「おいランコ、俺が体を張ってやるからよ。だから、お前は俺に夢を見せてくれよ」

 そう言い残し、舞台袖の階段を上り終えた。


 警官たちの背。姫井メイも背を向けて、今まさに出ていかんとするところ……

「おい、待てよオマワリども!」

 ステージ上から聞こえた反抗的な声。メイは誰よりも早く振り返った。

「!……お前。そうか、ここに居たのか」

 彼女は、警官隊を呼び戻し、ずかずかとステージまで近寄り、一気にその上へ跳び上がる。

「昨日、一人現場から脱走した者がいた。まぁ何の役にも立たないカスだったとのことで、ゴミ溜めに身を沈めているのなら、それでいいだろうと思ってたが」

「おいおい。役に立たないのは、あの労働そのものだろ。何が出てくるわけでもない場所を、意味も無く穴掘りさせやがってよ」

「ほーう。随分と反抗的じゃないか。この私をポリスクラスの姫井メイと知ってるというのにね」

「それがどうしたってんだ?アイドル崩れのお飾り一日署長ってなところだろ?」

「はぁ?我真エイリ様より、都内の不法行為の摘発を一任された治安維持部隊、ポリスクラスのリーダーよ。それをお飾りだと.……」

 どうやら相当にメイの反感を買ったらしく、警棒がアキラの顎を押し上げていく。

「それにしてもお前、突然飛び出してきて何のつもり?もう少し大人しくしてれば、無事にやり過ごせたのにね」

「……ムカついてるんだよ。俺がそうやってこそこそとしなきゃいけねー状況とか、やたら偉そうな態度のお前らとか、世の中の天辺とってるつもりの、お前らの上の連中だとかよ」

「ふ……ふふっ、フフフフ。はちきれんばかりの不敬っぷり。凄い……凄い興奮するわ」

 メイは興奮に身を震わせて、不気味な笑みを浮かべている。不敬な者を相手取る事に、喜びを覚えるという不敬。その背徳感を楽しめる彼女。

「この私に面と向かって、そう言い放つという事は、反逆の意志バリバリというわけだ。いいだろう。これからお前を再び連行して、一週間かけて拷問付の取り調べを受けさせて、しかる後に永久強制労働の刑に……」

「叩き潰す……だろ?」

 気分を高揚させて喋るメイを遮り、アキラは彼女の背後に視線を向けた。

 そこに、ちょこんとハデスが立っていた。その手に黒山羊の頭を抱えて。

「あん?どうした?お前はさっき……」

 スッと、ハデスは山羊を頭に装着した。そして、メイを押しのけて、マイクスタンドを掴んだ。

『そうね。そうよ。意味が無いわ。権力に屈するサタニスト。悪かった……お前たち。だからこれから……』

 体を横たえていた観客たちが、よろよろと体を起こし始める。濁り切った瞳が、濁ったままにギラつき始めている。

 そしてハデスは大きく息を吸い込んで、

『……セイッタァーン‼』

 咆哮した。


 山羊の口から黒煙が発し、安物スピーカーから大音量で雑音が弾き出される。ノれるリズムもくそも無いが、労働者たちはノリにノッて酒瓶を警官隊ポリスクラスにぶつけ始めて暴れだす。ノイズ+ダンス=ライオット!

「こ、こいつら。おい皆!一斉摘発だ!情け容赦は一切無用!装備しろ!」

 メイは、突然の暴動発生に面食らいつつも命令を下し、自分も含め、ガスマスクを装着させる。

 そして続けざまに催涙ガスを放出させる。黒煙と催涙ガスが混ざり合い、視界不良もさることながら、呼吸も困難なこの空間。その中で、暴行と破壊の音がノイズに乗って更なるノイズとなる。その合間を、訳の分からない呻き声が縫う。

 小規模ながらも混沌。それを生み出した者へ称賛の叫びが響く。

「ハーデス!」

「ハーデス‼」

「ハァー!デ!ッス‼」

 気合の入った雄叫びと、掲げられた握り拳。

「やかましいぞ!この、排水溝に詰まったネズミの死体どもが!」

 メイや隊員たちは嫌悪と憤怒いっぱいに、ハデス崇拝者たちを警棒でどつき回し、床や壁に組伏していく。


 視界は未だに晴れない。しかしながらもうかなりの数の無法者たちを摘発したという実感はある。

 だが、

「おい、あの山羊頭と脱走者は⁉」

 肝心の二人が見当たらない。もはやこの空間に立っている者は自分たち以外にはいない。

「ばははハッハハハア。馬ァ鹿が。ハデスもうすでにここを去って行ったんだよ」

 床に這う男が、涙と鼻水に塗れた顔面を上向きにして、見上げながらも見下している。メイは当然、その顔を踏みしめる。

「ほう。じゃあお前たちは主に見捨てられたというわけか。これから惨めで無慈悲な収容所生活を強いられるお前たちを」

「ふふ、構わんな。近い将来、俺たちは解放されるんだ。魔なる者の鉄槌を、思う存分味わうがいいよ、アイドルどもめが」

 淀みながらも希望に満ちた目。メイの舌打ちが聞こえたならば、笑い声を上げるのだった。



 手提げ袋を肩に掛け、早歩きのハデスに率いられ、アキラとランコは暗がりを進む。

 三人は入ってきた場所からあの場を脱したわけではなく、舞台袖の壁の裏にある隠し通路を使ったのだった。

「お前のファンたちはよかったのか?」

「……いいわけがない。でも、あたしがあの場で摘発されるってのも、いいはずがない」

 ハデスの腕を引き、この隠し通路へ放り込んだのは、彼女の崇拝者の男たち。ハデスはその行為の意義を知る。

「だから、あたしはどうあっても、ヒロインクラスを壊滅させなきゃいけなくなったというわけ」

「なるほど。そんなわけで、覚悟が決まっちゃうわけだね。さっきのガッカリを取り消したげる」

 ランコがそう言ったのを耳にして、ハデスは足を止めて、睨みつける。

「あんたの思惑通りとでも?」

「……いーえ。あたしの想定以上よ。あたしは、あんたの言葉が欲しかっただけ。あたしと一緒にアイドルをする、って言葉がね。でも、あんたは行為で自分の意志を示した。だーから、もう言葉はいいや」

「……あんたとアイドル?そんな事するつもりないけど?」

「それならそれでいーよ。さっきハデスは言ったよね。ヒロインクラスを壊滅させるって。じゃあ一緒にやりましょ、って話」

「ふ~ん……。あの無気力だったランコがねぇ」

 ハデスは何故かじとりとアキラを見る。

「この人に影響されたってわけ?」

「あ?俺に?そりゃ無いよ。何かやってみろとは言ったが、こいつがそれでやったのは、ポリスクラスに突っかかって連行されたくらいだ」

「まぁーね。でもこれからは突っかかるんじゃなく、もっと深く突っ込んでやろうっての。それがあたしのスラムドリーム」

 そう言って、ランコは満面の笑みを浮かべた。



 マンホールの蓋を開け、ようやく地下から脱出。雨は止んでいたが、辺りはすっかりと暗い。太陽は落ちていた。

「う~んと、ここらは……ハハッ、ドブ谷ね」

 あたりを見渡し、ランコは何故か快活に笑う。アキラも同じように周囲を見渡してみたが、その景色に、少女を喜ばせるものは何も無い。

 賑やかではある。しかしその賑やかさに華やかさというものは一切無い。耳に入るのは、酒焼けして、しわがれた声。きっと聴力に異常があるに違いない、声量の調整を知らないような大きな笑い声。時折罵り合い。破壊音。

 目に映るものといえば、軒を連ねる酒屋に酒屋に酒屋に酒屋。それぞれの合間に、酔い人はゲロを吐き、立小便をし、そのすぐ横では酒瓶枕にゴミを纏って寝る酔い人。

 はっきり言って滅茶苦茶で、街そのものが痰壺みたいなものである。

「うぅ……臭ぇ。おいランコ、何でそんなに楽しそうなんだお前?」

「いやぁ、別に楽しくはないよ。ただ、出てきた場所が目的地だったから嬉しくってさ」

「目的地?ここが……と」

 この痰壺街にいったい何の目的が?と訝しむアキラだったが、少しばかり横に立つハデスに注視した。どうにも気になってしまうもので。

「なに?」

「いや。お前そんなカッコでいいのか?」

 ハデスの恰好は羊頭こそ袋に収納しているが、黒ビキニはそのままだった。夏の海辺ならどうという事も無いが、こんな場末も末も末なところで、十代の少女がビキニ姿というのは大分危ういというもの。

「あたしはいつもこんなカッコよ。ま、でもちょっと冷えてきたし……」

 そう言ってハデスは、袋の中から大きな黒い布を取り出して、それをマントのようにして羽織った。

「……それでオーケーなのか?」

「何言ってんのよアキラ。あんただって、上京した日に殆ど同じカッコしてたじゃない」

「あぁそういえばそう……いや、そうなのか?そうだな、うん」

 当のハデス本人が何一つ気にしていないようなので、自分が気にしても仕方がないという結論に、アキラは納得する。

「まーそれに、悪魔を称する女を襲って変な病気貰いたくないでしょ、男連中も」

「ハァ⁉ゴミ漁りプロに言われたくないわよ。あんたが持ってる雑菌バイ菌の方がよっぽど脅威よ!」

 何やかんやと罵り合いを始める少女二人、アキラはため息をつきながら着いていった。


「んで、ここに何の目的があるって?」

 口喧嘩の合間に、先ほど聞きそびれた重要事項を問う。

「そりゃースカウトよ。うってつけっぽい子がこのスラム随一の飲み屋街、ドブ谷にいるのよ」

 ドブだの痰壺だの、そんな所にアイドルの原石が……胆石ならともかく。とはいえ、きっとランコの思い描いているアイドル像と、自分が抱いているアイドル像に、相当な差異があると推測するアキラは、疑問を抱くのを止めた。

「かつて……もうずっと前の話だけどね。ここに五憎六腐ってバンドがいたのよ。世代的にはママより少し上かな?まだ表現活動の禁止が緩かった頃ね」

「ゴゾーロップ?」

「うん。そりゃもう滅茶苦茶で、一応楽器を持って演奏を始めるけど、二十分後には楽器はジョッキに変わって、とりあえず飲んで飲んで、叫んで吐いて、また飲んでみたいな活動だったらしくてさ」

「うん……そりゃ表現活動になってないんじゃ?」

「まァフラストレーションの爆発ってのかな?正式メンバーが誰かも把握できてなくて、その場にいた客をとりあえずメンバーにしておくってパターンが多かったらしいわ。ひどい時は野良猫が二匹ステージにいたとか」

「ハッ、ハハハッ。でも、そんな連中も、やっぱりヒロインクラスに摘発されて?」

「いーや。五憎六腐は自滅よ。どいつもこいつも嘘みたいに酒ばっかり飲むもんだから、当たり前にアル中になって、体を崩して引退したり死んだりとかでね。そんな感じで仕切屋も消えてしまって……。誰もが納得する自然消滅ね。でも結構ガッカリしてた人は多かったらしいんだ。頭を空っぽにして騒げる場が無くなった、ってさ」

 アルコール街道のど真ん中で、ふとランコは足を止めた。

「飲む為に生き、生きる為に飲む。死ぬまで飲んで、死んでも飲んで、辿り着けば三途の酒場」

 ランコが読み上げたのは、目の前にある店の看板に書かれた文句だった。

「ッ、ランコ、あんたまさかあの人を?」

 ハデスはここで何かを察したのか、あからさまに嫌悪感を露わにする。

「うんっ。悪魔のあんたがそんなに拒否反応を見せるって事は、あの人やっぱりハードコアだね。それはつまり、最適ってわけで」

 自分の狙いに狂い無し。そう確信したランコは、勢いよく店の引き戸を開けたのだった。



 引き戸を開けた先。げらげらと笑い声が飛び交う賑やかさで……というわけではなかった。むしろ、引き戸を閉めれば笑い声は遠くなり、外よりは幾らか静かですらある。

 そんな店内のカウンター席に、一人の女が座っている。楽そうなジャージ姿で、肩まで伸びた髪の毛を手櫛している彼女は、一人でありながら寂しそうではなく、ボロボロなテレビを見ながら、ケタケタ笑いながらビールを飲んでいる。

「……ん?ンン⁉」

 彼女は、ランコたちに気が付くと、ビールを口に含んだままたいそう驚き、そしてたいそう喜んでいるのか、さっきよりも更に増して上機嫌な表情で腰を上げた。

 そして、口に含んだビールを呑み込んで、

「ラーンコぉ!ちょーひっさしぶりね!」

 酒臭さを存分にまき散らしながら、ランコにハグをした。

「うーん。久しぶり。そして相変わらずの酒臭さだね、ライムちゃん」

「そりゃあんた、あたしが酒臭くなくて、何の臭いを発しろと?おりょ?おりょりょ?そっちにおわしますは、悪魔の落とし子のハデスちゃんじゃなくって?」

「え、えぇ……久しぶりね」

「いやーん。相変わらず可愛いわぁ。あんまり成長してなくって、あたし超嬉しいっ」

 そんな感じで超上機嫌なライムに頬ずりされるライムの目は虚ろ。苦手意識を隠そうともしていない。

「んッふふ~……ん?あら?そっちの、イケてると見せかけて、実は大してイケてないメンはどなた?」

 一瞬でも褒められたかと思った自分を恨めしく思いながら、アキラは自己紹介。ただ名前を告げるだけ。

「はぁーい。よろしくねアキラちゃん!じゃ、とりあえず飲んで飲んで」

「へ?あ、いやちょっと」

 ライムは自分が飲みかけていたビールを手に取り、アキラの口元へと運ぶ。

「お、俺は未成年なもんでっ」

「だーいじょうぶっ。お酒は二十歳になってから。はい、こう言っておけば、後はオッケーってなもんよ」

「そんな馬鹿なっ、ブハッ」

 成す術も無く、アキラはジョッキに残った、生温いビールを口に注ぎ込まれるのだった。


「……で、おいランコ、この人は?」

 自分の酒の弱さを初めて知りながら、ぼんやりする思考で、アキラは問う。

「さっき、五憎六腐の話をしたでしょ。そのバンドを仕切ってたのが、仁夫妻っていう、この店のオーナー夫婦でね。この人はその二人の娘さんの仁《ジン》ライムちゃん。あたしとハデスの小学校の時の先輩ね」

「ど~うも。よろしーくっ」

 なおも上機嫌で、こんどは焼酎グラス片手のライム。

「この店、って。店として機能してんのか?これだけの飲み屋街なのに客はいないみたいだけど」

「そりゃいないわよ。だって、この人が客に出す酒まで飲み始めるもんだから、ここに来ても自分の酒が飲めないって知れ渡っててね。おまけにこの超ハイテンションに付き合わされるのよ?ただただ疲れ果てるだけよ」

 正に疲れ果てた様子で、ハデスが語る。

「うひひっ。相変わらず毒を吐き散らすわねハデスちゃん。ヴェノンストライク‼効いちゃうわぁ」

 ライムはそう言ってまたハデスを引き寄せ頬ずりを始める。ハデスは必死に抵抗はしているのだが、酔い人の加減を忘れた力には抗えていなかった。

「えーと、じゃあ親御さんたちは?」

「そりゃもう、とっくに死んでるわよ。母さんは肝硬変で、父さんは酔っ払って肥溜めに落ちて溺れ死んだとか」

 ハデスを解放し、ライムはぐいと焼酎を飲む。

「死ぬまで飲む。その言葉に嘘偽りなく、ね」

「じゃあ、あんた自身もそのつもりで?」

「そら当然。おっと、早死にするつもりはないわ。あたしは父さんと母さんの願いを叶えるべく、飲んで生き、死ぬまで飲む。ただし生き続ける事前提でね。その為に、飲酒の英才教育を受けてきたんだから」

 飲酒の英才教育。ライムは饒舌に、酔い人にしては滑舌も良くそれを語る。

 赤子の時分。哺乳瓶の授乳口や離乳食にごく僅かなアルコール成分を含め、徐々に度数を上げていく。五歳の頃にはコークハイに馴染ませ、小学校に持っていく水筒にはビールと水割りを日替わりで入れ、とにかく常飲。料理に使用されたアルコールの分量を、匂いで判断でき始めたのが九歳。十歳を超えてから、とにかく飲んで飲んで飲みまくり、ゲロを吐くまでの限界を知り、その限界を日に日に伸ばして、ここ数年はもう吐くことは無い。

 語りの最初に言っていた、羊水の代わりに洋酒に浸けられていた、というのは嘘だという事にしておくアキラたち。


「そう、オーヴァー・アルコホリック・ライムとは……あたしの事よ!」

 語り終えてから数秒の間を置き、ランコが拍手を始めたのでアキラも続き、ハデスも呆れながらも、また頬ずりされては適わんと、拍手した。

「今や、アルコールは血肉となり、あたしの生命の源にもなっていることを実感してるわ。父や母の願いは成就したの。涙ものね」

 どの部分に感激したらいいのか分からないアキラは、とりあえず普遍的な事を聞いてみる。

「えと……、そんな飲んだくれの毎日で、どうやって生活を?酒代とか飯代とか」

「おっと、シンプルながらいい質問!それはねぇ……」

 ライムが語りかけた時、幾分乱暴に店の引き戸が開く音が響いた。

「うぉーい、ライムよぉ。今日こそ究極の酒とやらを飲ましてもらうからよぅ」

「おぉうよ。飲めば、その場で昇天にいたる程の快感と、至上の幸福感を得られるとかよ」

「おめぇーの父ちゃんたちの代から噂されてた一杯を……今日こそよぉ」

 いい酔い加減の中年男三人が登場。喋る度に唾を撒き散らして、目は見開かれる興奮の度合い。

 アキラたちはあからさまに嫌悪して、店の隅へと避難するも、ライムは待ってましたとばかりに、ときめいていた。

「もーちろんッ。準備はいつでもオーケーよ。そっちは?いつもの如く、お金は要らないけど、ちゃんと酒の肴は持ってきてるぅ?」

 男たちは「そらよ」と言い、各々が手にしていた袋を投げ渡す。中身は食料品。それをきちんと確認して、ライムはにっこりと笑う。

「じゃ、あたしに勝てたら、エクストリームなアルコール体験をさせてあげるって事で……んしょっと」

 ライムはカウンターの奥から、ウィスキーの瓶を四本持ち運び、三人の男たちが座るテーブルに置き、自分は対面に座った。

「アルコール濃度は八十と、まぁぼちぼちだけど、これをあたしを含んだ四人で飲んで、ゲボした人が脱落。最後まで残った人が至上のエクストリーム体験をできる。毎回の事だけど、これでいい?」

「あたりめぇよ。今日の為に酒を慣らしてきたんだ」

「吐いたゲロを胃に戻す技も身につけてなぁ」

「今日こそはってやつさな」

 それぞれが自信に満ちた顔をして、勝負を承諾。

「ちなみに、吐く時は店の外でね。ここで吐いたら罰金よ。じゃーいざ、いや、その前にこれを言わなきゃね。よい子はマネしないで……じゃなくて、アルコールの過剰摂取は人体に様々な影響を及ぼし、命を落とす危険性もあります。決してマネをしないでください……と。それじゃ、開始ぃ!」


 果たして、店先には三つの、体内で生成され口から排出されたシチューやらもんじゃ焼きが広がっていた。

 そして店内には、二本目のウィスキーを楽しげに飲むライムの姿。

「というわけで、あたしの勝利ね。食糧問題はこうやって解決するものよ」

 と言い、男たちが持ってきた袋の中から肉の缶詰を自慢げに見せる。

「あぁ……はい。なるほど。でも、連中が言ってた究極の酒っていったい?」

「ん?あぁ、ハハッ。そんなもん無いわよ」

 あっけらかんと、ライムはそんな事を言う。

「あれは父さんたちがやってた商法でね。どうせ酒の量を競い合って負けるはずがないって自負があるから、そんな文句で客を釣って勝負料としてお金をいただいてたのよ。まぁ、今のあたしがお金をせしめてたんじゃ、ちょっと怪しまれそうだから、酒の肴を持ってきてねって事にしてるのよ。それに、結構な量の酒を飲ましてるんだから、むしろ慈善的よね。なははーっ」

 食料を要領よくゲットし、気分は増々上々といった具合のライム。このスラムで、こんなにも満ち足りた人間はいまい。


「あら?……ねぇライムちゃん、テレビ見てみなよ」

「んん~?」

 間断無く喋り続けるライムを、ふとランコがテレビに注視させた。やはり満面の笑みで、テレビ画面を見つめたライムだったが、一瞬で真顔になった。

 番組はニュース。テロップに書き出されたものは…

 〝密造酒の摘発強化を〟

『数年前より、五層のスラムで、国が認可していない酒類が流通しているのでは?との疑惑がありましたが、先頃調査した結果、明らかに認可された工場では製造されていないものが多々あると判明し、政府はこれからポリスクラスにその出所を探るべく、更なる調査を依頼するとの発表がなされました』

「……」

 ニュースを聞き終えたライムは、すっかりと口を閉ざしてしまった。

「あらま。ライムさん、これはまずいんじゃないのかな?」

 これまでの仕返しとばかりに、ハデスは悪意を込めてそんな事を言ったが、ライムの耳には届いていなかった。

「このニュースがまずいってことは、この方お酒を密造してらっしゃる?」

「うん……。まぁ酒好きが高じて酒を造るってのは、納得する流れだけど、純粋な法律違反で、でもやっぱりお酒が好きだから造りたいっていうのは、法律を超えた愛とでも言っちゃいたいわ」

「まぁとにかく、密造してると」

「イエス。とは言っても、五憎六腐の人たちから受け継いだものだけどさ」

 途中、うな垂れたライムが「そう」と呟き、話を続ける。

「上から不要とされ廃棄された酒じゃなく、自分たちの酒を自分たちで造るという、DIY精神よ。法律なんてクソ喰らえってなもんでさ。製造場所はスラムの地下に分散させてあるけど……くっそ、あのポリスクラスなんて連中が介入したら、権力をフルに活用させられて、どこもかしこもシラミ潰しか。こんなこともあろうかと、ラベルは認可の降りてる商品のやつを使用してるけど…‥‥」

「連中、疑わしきは罰せよだから、あんなニュースが流れた時点で、もう摘発は免れられないと思っちゃうわ。敢えて報道に流すのは、摘発終了までの流れを見込んだうえでの予告編みたいなもんね」

「だよ……ねぇ。あ~あ、ははぁ。こんな時こそ、記憶を無くすまで飲みたいけど、記憶が無くならない体質なのよね、あたし」

 一応笑ってはいるが、さっきまでと比べると、何と弱弱しい事か。

 そして、このタイミングを、ランコは最適と見て、彼女の肩に手を乗せた。

「だったらライムちゃん。それをさせてる連中を、潰しちゃえばいいのよ」

「へ?」

「どうせこんなのは、ヒロインクラス、我真エイリの差し金でしょ。自分たちが認めるものしか認めないという、あの傲慢な連中よ。あいつらを叩き潰せば、万事解決ってさ」

「あぁ……うん。うんっ」

 どうやら、活力が漲り始めているライム。青ざめていた顔面に、生気が戻っていく。

「それにさ。あたしらが、あいつら相手に騒動起こし始めたとしたらさ、多分密造酒の摘発を遅らせることもできると思うし」

「そぉっか~。うん!そりゃいいね!」

 いとも容易く乗り気になったライムは、椅子から立ち上がり、ランコの肩を両手で叩く。

「んでさっ。あたしは何をすんのよ?」

「あたしやハデスと一緒に、アンチヒロインのアイドル活動をしちゃうのよ」

「アイドル!うははっ。いーねいーね!あぁ、これイケてると思う!アルコホリックアイドル!最っ高に馴染む響きじゃないの!いいわっ。その話、ライム乗っかりまっす!」

 というわけで、スムーズにというか勢いよく、仁ライムが仲間になりました。


 ⑦


「どう?この二人。美沙ハデスと、仁ライム。アンチヒロインの旗を上げるにはピッタリでしょ?」

 ランコは二人を連れて、BAR・ピュアラヴへと戻り、レーコにお披露目している。得意げな笑みを浮かべる娘に対し、レーコは、いかにもう~ん、と言っているような困惑した表情で、二人の顔を交互に何度も見ている。

「そーうねぇ。まぁランコ、あんたも含めてだけど、みんなロクな教育を受けてませんって感じで、確かにそれはアンチヒロイン的だけど……」

 二人とも一瞬、ムッとしたが、確かにロクに教育を受けていないので、直ぐに納得した。

「ねぇアキラくん、君はどう思う?」

「そうっすね……。アンチの部分では大合格って感じで、二人とも顔立ちもいいと思いますし……ただ」

 そう言いながら、アキラは場所を移動し、三人全員の前に立つ。

「こう三人まとめて眺めてみると、ヤンキーとオカルトマニアとアル中の親睦会みたいな雰囲気で」

「はぁ?ヤンキー?別にあたしはグレてないけど?そりゃ、こんなスラムに住んでるんだし、気に入らない奴ともめたりはしちゃうけどさ」

「オカルトマニアって何よ?もっとどっぷり浸かってるわよ。オカルトそのものよ」

「あたしはアル中を超えたと言ったでしょっ」

 三人の言い分を聞くにつけ、自分が抱いた印象に何一つ間違いがない事を知るアキラ。

 しかしそんな事は分かりきっている。

「いや、この際それはいいとして。あと一人、もうちょい正統派な子がいた方がいいんじゃないか?」

「正統派?正統派って何よ?」

 若干突っかかるように、ランコが口を尖らせて問う。

「そりゃお前、正統派な美少女だよ。スレた所は無く、オカルトを怖がったり、酒なんて飲んだことありませんってな感じの、軽やかな美少女」

「アッハハー。アキラちゃんアホねぇ。それは空想上の生物なのよん」

「呆れるわ。そんな薄っぺらい女を必要とするなんてね」

 そんな二人の嘲笑と侮蔑は、特に何のダメージにもならないが、しかしアキラ自身も自分の返答に納得していないらしく、まだ頭を抱えている。

 そんな折、

「お待ちかね!」

「うん……⁉」

 突如、勢いのある大声が響いて、店のドアが勢いよく開いたのに、ぞの場にいた全員が驚き、顔を上げた。

「ふっ。うふふふふ」

 女の声が不敵に笑っている。すわ、ポリスクラスか?と身構えるランコたちだが、現れたのはただ一人の女だった。

「話は大体聞かせてもらったわ。そしてよーく理解した」

 女は店内に踏み入り、照明の下に立った。

「あら?あんた」

 レーコが、女の正体に気が付き、

「……おぉ?まさかあなたは」

 何故かアキラも続いて、それを知った。

 その女。清らかな白いブラウスを着て、タイトなデニムを履きこなし、薄ブラウンの軽やかな巻き髪で、ぱっちりした瞳の少女……というよりは、女。少女だった女。化粧気は存分に。

「久しぶりじゃない?モモヨ」

「やっぱそうっすよね。春乃《ハルノ》モモヨさんだ!」

 レーコが久しぶりと言い、アキラがその存在を知る、春乃モモヨなる女。彼女はご満悦な笑みを浮かべて、一同を眺め見る。

「お久しぶり、レーコさん。十年以上振りよね?」

 そう言ってモモヨはレーコに歩み寄り、親しみのこもった笑みを見せ、レーコもまた笑みを返した。


「ねぇ、あのモモヨって人は誰なの?何でアキラが知ってんの?」

 ランコが、アキラにそっと聞く。

「あの人は、ヒロインクラスの最年少メンバー、といっても俺の馴染みあるヒロインクラスの話だから、ここで言うところの、二十年前の最年少メンバーで、春乃モモヨさんってんだ」

 二人の会話が耳に入ったのかそうでないのかは分からないが、モモヨはランコを見て微笑んだ後、歩み寄ってくる。

「へぇ~、ランコちゃんこんなに大きくなったんだ?まぁ覚えてなくて当然だけど、ランコちゃんが生まれたばっかりの時に、たまに会ってたのよね。今いくつ?」

「十六ですけど」

「十六!そっか~、私とそんなに変わらないんだね」

「は?」

 奥で、レーコが一人溜め息をついた。

「ったく……。モモヨ、あんたこそ今いくつよ?」

「ふっ、うふふっ。その質問の答えは……彼にしてもらおうかしら!」

 そう言って、何やら自信に満ちているモモヨは何故かアキラを指さした。

「そこの冴えない少年!私は何歳でしょーかっ?」

「えっ?あれが二十年前だとして、確か今は三十二歳……」

「ん?二十三?そっかー、そう見えちゃうか!」

「いや、三十……」

「あ?」

 唐突に笑みが失せて、睨みを効かせるモモヨ。アキラは視線を逸らし、レーコに救いを求めた。

「そっちのアキラくんには、年齢詐称は通用しないわよ。あんたが、二十年前に十二歳だったって知ってるしね。あんたは、別に老け込んじゃいないけど、驚異的な若々しさってわけでもないんだからね。少し若く見える三十二歳っていうのがピッタリな感じなんだから、自重しなさいよ」

 どうやら、まだ不満が残るようで、口を尖らせているモモヨだが、軽いため息をついて、

「はいはい。じゃあ二十九歳でいいですよーだ」

 と、妥協した。あまりにもどうでもいい見栄だったので、レーコもアキラも、もう何も言葉はかけないでおいた。


「でも、アキラくんだっけ?珍しわね。君くらいの若い人で、私が昔ヒロインクラスの最年少メンバーだって知ってるとか」

「そりゃー、少し前の俺にとっちゃ、まだあなたは十二歳の最年少メンバーでしたからね」

 あなたは十二歳と聞き、またも上機嫌な笑みを浮かべるモモヨ。しかし、アキラの出身と情報規制の話を聞くにつけ、直ぐに笑みは失せた。

「でも、モモヨ。あんた、私が抜けた後もしばらくヒロインクラスにいたよね?」

「えぇ。三年くらい前までいたわ。アイドルであることが、私の使命なので」

「そういや、ちっこい頃からそんなこと言ってたわね。辞めた理由は、やっぱりエイリに対する反発?」

 モモヨは腕を組んで、神妙な表情を浮かべた。

「う~ん。いや、エイリ姐さんへの反発というよりか……。ズレ、かな。私が描いていたアイドル像と、いつのまにか大きくズレちゃってることに気が付いてさ。そうなると、もうヒロインクラスにはいられない。それに、下の連中たちの空気も、なんか私に合わなくて」

「ハハッ。そりゃあんたが歳をとったからよ。若い子に着いていけないってやつよ」

 ぐぬぬ、と何か言い返そうにも言葉が見つからないモモヨは、悔しそうに口を噤んだ。


 モモヨの昔話には殆ど関心の無い、若い世代の少女三人。店の隅でハデスは山羊頭の毛繕いをし、ライムは酒を楽しんでいる。

 ただ、ランコは話に進展が欲しかった。

「で、モモヨさんはどうしてここに来たの?」

「ん?……あぁそうだった。いや、ここに来た理由は、単純にレーコさんと久しぶりに飲もうかなと思っただけなんだけどね。どうにも面白い話をしてたじゃない?ランコちゃんたちがさ」

 ハデスとライムが、ピクリと反応し、顔を向けた。

「何でも、アンチヒロインの旗を上げるとか?そっちの子らと一緒に、活動を開始するとか?その中に、あと一人正統派な美少女が欲しいとか!」

 これ見よがしにテンションを上げていくモモヨが、何か言ってほしそうに、アキラを見つめている。

「はぁ、まぁ確かにそう言いましたけど」

「最高のタイミングよね、ホント。運命的!やっぱりそれこそが私の使命!」

 何やら、期待を煽られるアキラは、色めき立つ。

「という事は、モモヨさんっ」

「うんっ」

「誰か、そんな正統派美少女に心当たりが?」

「……あ?」

 モモヨはスッと手を伸ばし、アキラの頬を摘み上げる。

「痛ったたっ。何すかっ?」

「今、君の目の前にはどんな人がいる?」

「え?元アイドルの……かつて最年少だった」

「ん?なーに?」

 頬を引っ張る手に力が更に加わる。何としてでも望みの言葉を言わせようとするモモヨだったが、その後ろ頭を、レーコから軽く叩かれた。

「自分の口で、ちゃんと言いなよ。私こそが正統派の美少女だってさ。もちろん無理があるけどさ。特に少女の部分で」

「……ふんっ」

 不貞腐れて、アキラを解放したモモヨは、ランコ、ハデス、ライムと並ぶ位置に立ち、それとなしに、アキラとレーコにアピールする。


「……」

 アキラとレーコは、改めて目の前に並ぶ四人を眺め見る。

 ヤンキー娘に、オカルトマニアとアル中。そこに、自分を二十代だと言い張る三十代が加わり……

「これはいよいよ……残念な感じになってきたわね」

 苦笑いを堪え切れないレーコがそう零す隣で、アキラは痛む頬を撫でながら、少し考え込む。

 そして、何やら疑念が晴れたように顔を上げた。

「いや、もしかしたらこれで……これがいいのかもしれない」

「え?そりゃ無いんじゃないの?あまりにもヒップじゃないわ」

「だからですよ。あまりにもヒップじゃないから、これは……イケるかも」

 そんなアキラの反応を見て、ランコは満足そうに笑った。

「やっぱ、アキラは分かってるね。そうよ、ママ。あたしたちはアンチヒロイン。ヒロインクラスを潰すには、連中とあらゆる面で違ってなきゃさ」

 にっこり笑顔で、人差し指を立てて気分上々。その横で、ハデスはあまり興味無さげに、ビキニ衣装の位置を直し、ライムは机に頬杖をついて、うとうとし始めている。モモヨは、コンパクトミラーを見ながら、ほうれい線を消すべく顔面をマッサージ中。アイドル性は皆無。

「……と、まぁ、アイドル的には間違いでしかないけど、間違ったままで突き進んで、辿り着く先ってのも面白いかも、と思うんですよ」

「なるほどね。でも、ヒロインクラスは甘くないわよ。あいつらは、間違いを見つければ、直ちに修正にかかる。そしていつの間にか、自分の懐に取り込んでしまう。そうでなければ、排除のみ……。その二択を払い除ける自信はあるの?ランコ」

 母からの、若干厳しい問い詰めだったが、ランコは視線を逸らさない。

「奴らに目にもの見せてやるの。あたしたちが……絶対にね」

 ランコが口にした〝絶対〟の二文字。その揺るぎの無さを確信し、レーコは他の者たちに問いかける。

「美沙ハデスちゃん。あなたはどうして、アンチヒロインに?」

「魔なる者として。人々の魂に宿る、悪魔を押さえつけるヒロインクラスを駆逐する。そして、しかる後に、囚われた眷属を、地獄の最下層コキュートスより解放し、来るべき神々との再戦へ」

「はいはいオーケー。じゃ、ライムちゃんは?」

「ん~……ん?あぁ、あたしはほら、お酒なので、アルコール……うん、サイコー」

「そうね、サイコーだと思う。モモヨは……まぁいいわ」

「えっ?何で?聞いてよっ?」

「いや、大体分かるし。それこそが私の使命とか言っちゃうんでしょ?」

「そう!それこそが私の」

「はい。オーケーです。……はぁ」

 レーコは疑念たっぷりに、アキラを見つめた。

「う……ん。イケると思い……ます」

 アキラの語調は大分弱くなったが、ランコ、ハデス、ライム、モモヨの四人を、アンチヒロイングループの旗揚げメンバーとして認めることとした。


 ⑧


 パッパパパラッパッパ~ファファファファンファン(イェッ!)

 サンザンサンサンレイニードロップキマッチャウ~♪

 景色の開けたテラスに、実に能天気な音楽が流れ、そんな感じのステップで少女二人が、ふわふわ登場。

「はいは~い。今朝もお馴染み、お天気チェックのお時間でぇ~す。担当もお馴染み、橙《ダイダイ》ヒナミと~?」

「イェーッ!大鳥居(オオトリイ)キクでーす!もっちろんパワード・バイ・ヒロインクラス!それって知ってる?」

「知ってる~!」

「当ったり前!」

 とにかくハイテンション。朝一番の景気づけととばかりに、弾けた二人。

 朝のニュース番組のお天気コーナーを任せられているアイドル二人は、今日の予報が書かれた紙を手にしてはいるが、それを当たり前のように無視して、アイドル活動の近況報告を続けている。そんな彼女たちを、スタッフは急かすことはできない。

「ハイッ。ってなわけでして、やっぱり輝き続ける私たちヒロインクラス!」

「そんな私たちの輝きに、今日のお日様は勝てるかな~?」

 ヒナミとキクは、原稿を見るでなく、空を見上げた。

「晴れですね!いい感じに」

「もしかしたら、曇って雨も降るかもしれないけど、今は晴れてマース!」

 それで予報?は終わった。誰一人文句は出なかった。だが、ヒナミは「あぁそうだ」と何か思い出した。

「ちょっと大事なお知らせがありまーす」

「そうだったね。えーと、先日の雨量が多くて、四層より上の貯水量が過剰になり、本日放水を行いまっす」

「という事なので~。下層に汚水が降り注ぐので、五層の貧宿やドブ谷に住んでる人はあんまり出歩かない方がいいよ~。気をつけてねっ」

「でわでわさてさて、皆さんお待ちかね。愛されるべき私たちに宛てたお便り紹介コーナーのお時間だよ……ん?」

 充実感に満ちていた二人の笑みが、固まった。

「な、何これ?」

 突如、あたりが白い霧に包まれ始めた。いや、霧というよりは煙。実際煙たい。

「ちょ、ちょちょっと、なぁに?火事?」

「スタッフちゃん?どうかし……ぎゃッ⁉」

 ヒナミとキクは言葉を失う。二人は、白煙の中に得体の知れぬ者の姿を見たのだ。


 黒い山羊の頭が動いている。その口から、煙が吐き出されている。

「ひゃあっ」

 突然の異形登場に、ヒナミとキクは腰を抜かす。

 そして山羊頭、ハデスはそんな二人の驚愕を、じっくり眺めつつ、カメラの前に立った。

「人間どもよ……。我が予報、いや予言を聞くがいい。今日から先、永劫の未来へ向け、暗黒の時代が再び到来するだろう。晴れていようが雨が降ろうが、お前たちの心に宿る邪心が湧き立ち、魔なる者が立ち上がる。そして人々……お前もお前もお前も死ぬのだ!」

 決まった……。そんな事を思っているのはハデス一人だが、実際その予言はカメラを通じ、お茶の間に届けられてしまった。

「……ハッ。ちょっと、あんた何をしてんのよ!」

「変な被り物してさ!スタッフちゃんたち、さっさと排除を」

 ここでようやく我を取り戻したヒナミとキクは、急いでスタッフに指示を出す。

「……」

 しかし無反応。スタッフたちの姿は見えるが、動きが無い。誰も彼も、気怠そうにぐったりとしていて……

「はぁーい。こっちはこっちで楽しんでマース。ってかあんたら酒弱いわね~」

 ライムが、スタッフ全員にストレートのウォッカを(無理矢理)振る舞い、全員既に泥酔状態。

「っく、いったい何をして⁉」

 ヒナミとキクの前に、また新たに二人の女が立ちはだかる。腕組みをしたランコと、腰に手を当てて、意地の悪い笑みを浮かべたモモヨ。

「久しぶりねぇ。大して可愛くない後輩たち」

「あ、あなたはモモヨさん⁉」

「脱落者が何を企んで……!」

「にっひひー。そりゃもうバカウケ間違いなしの企画よんっ」

 満面の笑みを浮かべているモモヨは、懐からロープを取り出し、ヒナミとキクを拘束したのだった。


「えーと、何だっけ?お便り紹介のコーナーを始めちゃうわ」

 完全に撮影現場を乗っ取ったランコたち。何やらまだまだぶつぶつと悪魔主義の演説を続けるハデス。酒瓶片手にカメラを弄るライム。ランコとモモヨは、縛りつけたヒナミとキクの前に立ち、先ほどのコーナーを勝手に引き継いだ。

「えー、なになに?ヒナミちゃん。毎朝お天気チェックありがとう。たとえ雨でもヒナミちゃんの元気いっぱいな笑顔を見ると、僕の心はいつだって晴れ上がります。それにしても、ヒナミちゃん。最近綺麗になったな、と感じるんですが、何かいいことありました?……と」

 ランコは、後ろを振り向いて、縛り上げた二人を見つめる。

「ねぇモモヨさん。ヒナミちゃんてのはどっちの子?」

「ヒナミンはね、右側の、グラマラスと見せかけて、実はボッテリしてるってだけの子」

 モモヨの紹介に、怒りに震えるヒナミは、塞がれた口でもがきながら、抗議の意思を示す。そして無視をされる。

「うん。ヒナミちゃんは、最近別居中の旦那との離婚が成立し、同時に恋人との間に赤ちゃんができちゃったそうなの。それで幸せいっぱいで綺麗なっちゃったってわけ。元気なお子さんが生まれるといいですね~。えーとお次は」

「⁉」

 勝手に不貞をでっち上げられ、当然憤慨するヒナミだが、何事にもならない。

「うーん、と。キクさんへ質問です。キクさんは運動神経抜群で、そこらの男子よりもずっと足も速いし、スタミナもありますよね?僕は、運動音痴で百メートル走っただけですぐ息が切れます。何かいいトレーニング方法があったら教えてください……と」

 今度は、キクをじっと眺めるランコ。その隣でモモヨは解説する。

「キックスは。ほら、ヒナミンと違って、胸板がストーンとしてて、胸板が正に板で」

 確かにその通りなので、

「うん。あれはきっと男ね。運動神経のいい男子。そんな逞しさを感じちゃう」

「……っそ、こらぁ!何を勝手に!誰が男ですって⁉」

 もがきながら、何とか口を解放させたキクが声を張り上げたが、やはり何事にもならなかった。

「お遊びはここらに辺にしちゃって……。ほらっハデス、いつまで悪魔ごっこやってるのよ?ライムちゃんも、カメラ固定してこっちに来てね」

 ランコ。ハデス。ライム。モモヨ。その四人が、カメラの前に立ち尽くす。

 そして、ランコが一歩踏み出して、

「言いたいことはただ一つ……。あたしたちは〝オニユリ〟。覚悟しなよ!」



「あーらら」

「はわわわ……、こ、こいつら何をしでかしてくれてんの⁉」

 テレビで、ランコたちの乱入生放送を見ていたアキラはたいそう取り乱し、レーコは冷静に呆れていた。

「あら?てっきりアキラくんのアイデアだと思ったんだけど?プロデューサーさんでしょ?」

「そりゃ、確かにプロデュースを引き受けて、というか押し付けられはしましたけど」


 それは、ランコ、ハデス、ライム、モモヨの四人が揃った晩の話。

 アイドル要素皆無な四人を、どうやって反逆のアイドルとして成り立たせるかという話題において……

『やっぱ、ここはレーコさんの指導があるべきなんじゃないすかね?』

 うってつけの人材だと、アキラは期待の眼差しをレーコに向けるが、

『やらないわよ。アイドルにはもう関わらないし、関わる資格も無い。私は、ただ元アイドルとして、ランコの母親として、この子らを見届けるだけの傍観者。そもそもランコの言うような、反逆の志ってもんがもう無いのよ』

 その後アキラが、何度も、『しかし』や『でも』と言っても、レーコは首を縦に振らなかった。そんな母に対して、ランコも『ママには見届けてほしいだけ』としか言わなかった。

『んじゃあ……』

 と、次にアキラが視線を向けたのは、やはり経験者かつ、四人の中で抜けた年長者であるモモヨなのだが。

『は?嫌ぁーよ。何で私が裏方しなきゃなんないのよ。スポットライトに求められる私がさ』

 これはもう問答の必要無く、モモヨにプロデュースの気持ちがない事は明白で、そもそもその技能も無いであろうことも分かる。

 そんな流れで、プロデューサーの役割がアキラに回ってくることは、極々自然な流れだった。


「それで、アキラくんあの子たちに、どんな指示を出したの?」

「いや、指示っていうか、まず世間に存在を知られなきゃ意味が無いとは言いましたよ。インパクトが大事だとも。そしたらあいつら、分かったわ、とか即答しくさって、その場は解散で、今朝のあの有様ですよ」

「……うん、まぁでも、成功は成功なんじゃない?世間にこれ以上に無いインパクトで、存在を知らしめたでしょーしね」

 それは確かにその通りだが、とアキラは頭を抱えるしかない。

「とにかく。滅茶苦茶だとしても、もう動き出してしまったんだから、半端は許されないわよ。あんな登場をしてしまったからには、もう行くところまで行くしかない」

 レーコは、うな垂れているアキラの肩を叩く。

「っすよね。腹を括って田舎を出たんだ。失うもんは何も無い。と、思い込んでやるしかない……か」

 アキラは半ば無理矢理に、気持ちを上向きにさせ、顔を上げた。

「しかし、〝オニユリ〟ってユニット名は何なんすかね?」

 その問いに、レーコは苦笑いを浮かべた。

「あぁ、あれ、オニユリ……ね。私がヒロインクラスを辞めた後にやってたバンドの名前よ。表舞台に出ることは無かったけどさ。ったく、あの子もあんなもの、どこで知ったのやら」

「オニユリって、花ですよね?何か意味が?」

「オニユリの花言葉は……〝嫌悪〟」

「あぁ……ハハッ。なるほど」

 アキラは十分に納得した。


 ⑨


 円ビルの一角にあるダンススタジオ。その休憩室に、可憐なる絶対アイドル、ヒロインクラスのメンバーたちが、押し黙ってテレビのモニターを眺めている。今はもうどうという事も無い、〝階層お散歩ぶらり五分〟などという長閑な番組が映っているのだが、少女たちの頭には、先刻の乱入生放送の映像が焼き付いたまま。

「やってくれたわね。あの、ランコとかいう子」

 來生メメが、忌々しそうに舌打ちをした。

「はてさて。アイラ、どうする?あの子ら。放っておいても、メイたち、ポリスクラスが直ぐにでも摘発するだろーけどさ」

 ソファーにふんぞり返っているメメが、部屋の最後方で腕組みをしているアイラに、顔だけを向ける。

「……どうだかね。あの純恋ランコって子は、摘発されたくらいじゃ折れないわよ。収容所に入れても、どうせすぐに脱走するのがオチ」

「へぇ~。やたら高く買ってんのね」

「そりゃそうよ。だって、私がヒロインクラスのメンバーとして認めたのよ。そしてそれを容易くふいにしてしまう子。それだけでも大したものだと思うわ」

 メメは、「あっは、納得」などと少し笑った。

「ポリスクラスは通常勤務で十分。純恋ランコたちは心の根っこから折れてもらう。それをやらなきゃならないのは、私たちヒロインクラス……だよね?みんな」

 その呼びかけに、部屋にいた者たちは立ち上がり「ハイッ」と声を大にして返す。

 メメもまた最後にゆっくりと立ち上がり、体ごとアイラに向き合う。

「やっぱ、そうこなくっちゃさ。マイナーであることの意味、その無意味さをあの子らに教えてあげないとね」

「そういう事。彼女たちの失墜を、全力でサポートしましょ」



 メンバーたちの士気を上げたアイラは、冷静な足取りで休憩室から出て、その足をアストロタワーの上層へと向けた。

 高く、高く上がっていくエレベーター内で、アイラは背筋を真っ直ぐに伸ばし、表情は神妙。そしてエレベーターが止まり、扉が開く前に、一度呼吸を整えた。


 広い空間がある。明りの無い真暗な空間。物は無く、人の気配も全く無い。そんな場所で、アイラは口を開いた。

「今朝の生放送の件……既にご存知でしょうが、報告に参りました」

 まるで、というか完全に独り言の体だが、数秒の静寂の後、姿を見せぬ者の声がアイラに届けられた。

『報告は無用よ。純恋ランコ……か。レーコの娘ね』

「はい。エイリさん。事の発端は、彼女がオーディション合格をふいにした時に、身柄を抑えなかったことにあります。どうか、その責任を、この私に負わせてはくれませんでしょうか?」

『責任なんて負う必要は無いよ。そもそもそんなもの、あなたも感じてないでしょ?アイラ。レーコの娘の、このレスポンスを想定して、一度あの子を解き放った。でしょ?』

「……恐れ入ります。ヒロインクラスの絶対力をより知らしめる絶好の機会になると思いまして」

『そう。それでいいわ。反発を抑えることで、絶対性はより強固になる。でも、それは反発を抑えられればの話だけどね』

「はい。それは当然の結果の話です」

『素敵な強気ね。しかし、あの純恋ランコという子。中々に尖ってるわよ。それに他のメンツも癖が強そうだし、モモヨまでいる始末。油断はしないことね』

「はい……徹底的に。それでは失礼します」

 そして、アイラは一人頭を垂れた後、強気な笑みを姿の無い我真エイリに捧げ、暗黒空間を出るのだった。



 正午前。BARピュア・ラヴに、得意げな笑みを浮かべて帰ってきたランコたち四人。一仕事終えた充実感に満ちたその顔を、アキラは苦々しそうに見つめる。

「どーだった?アキラ。バッチリ、あたしたちの存在を知らしめちゃったと思うけど」

「どうもうこうもねぇよ。突然あんな無茶しやがって」

「無茶しなきゃ意味が無いでしょ?」

 ランコは自分の行為の正しさを信じて疑わない。そんな様子を見て、アキラも観念した。

「……まぁ、いいよ。お前の言う事も一理ある。確かにインパクトは絶大だったしよ」

「でっしょ?安心してよアキラ。ちゃんと、PRODUCED・BY・明川アキラってあの場にいた人たちに伝えてきたらさ」

「んなっ」

 これで自分は騒動の黒幕として、ヒロインクラスの面々に知れ渡る。アキラは自身の退路が断たれたことを知り、もう空虚に笑うしかなかった。


「それより、これからあたしたちは何をするの?」

 とりあえず四人それぞれ椅子に座って、思い思いにくつろいでいたところ、ハデスがそんな根本的な疑問を口にした。

「そりゃもちろんビールを飲むわよん。ねー、レーコさん。ビールをおくんなましよ」

「あぁ、この消費期限が半年前に切れてるやつならタダで上げるわ」

「アッハハー。オッケーっすよ。全然イケちゃう」

 そう言って、投げ渡された缶ビールを、上機嫌に飲み始めたライム。

「はいはい。ライムさんはそれでいいとして、ランコは何か考えてるわけ?派手に登場したはいいけど、これから先は?」

 そう問われてまず「そうねぇ」と言うあたり、ランコが特に何も考えていない事をハデスは知る。

「やる気はあっても、無計画ならしょうもないわ」

 ハデスのやれやれ感を受けて、ランコはムッとする。

「じゃ、ハデス。あんたは何がしたいの?」

「あたし?そんなの決まってるでしょ?悪魔主義の拡大よ」

「そうだよね。あんたはそうに決まってる。それじゃライムちゃ」

「ビアー!」

「うん。そうでした。んでモモヨさんは?」

「ステージ復帰!人目に付くことで、人はいつまでも若くいられるんだしね」

「うん……じゃあ、つまりそういう事だよ、ハデス」

 したり顔で問題解決を告げるランコに、ハデスは首を傾げる。

「どういう事よ?」

「それぞれが好きな事を好き勝手にやっちゃえばいいって事。ただし四人集まってね」

「……つまり何も考えてない、と。思わせぶりな感じで、ぼかして言ってるけどさ」

「イエース。それってつまり表現活動の自由ってこと」

 ランコは何の負い目も無くそう言い放ち、胸を張っている。ハデスの懐疑的な視線には全く気を向けていない。

「いや、ちょい待てよ。そりゃなんか違うだろ」

 アキラは懐疑的になるよりも、即座にランコを否定した。

「今朝お前らがやったことは、確かにインパクト抜群だったけどよ。これから先も同じ事をするってんなら、そりゃお前、ただの嫌がらせだよ。表現活動ってもんじゃねーよ」

 ランコはきょとんとして、首を傾げる。

「さっき、お前はハデスたちに何をしたいか聞いてたけど、じゃあお前は何がしたい?」

「言ったような気もするけど、ヒロインクラスに、目にもの見せてやりたい、と」

「そうだったよな。確かに今朝の一件で、連中は面食らったとは思う。でも、どうって事はないな。蠅が四匹飛び交ってたってだけだ」

「「「蠅ぇ?」」」

「ふむ蠅王」

 蠅と言われて、ランコ、ライム、モモヨの三人は不快感を露わにする。ハデスは独自の解釈のもと満足しているが、放置しておく。

「そんな程度のもんは、すぐ忘れられちまうぞ。同じ嫌がらせをずっと続けてても、鬱陶しがられるだけで、あいつらを天辺から引きずり下ろすなんて、夢のまた夢の話だ」

「……そっか。あたしは、連中のプログラムをその都度潰していけば、いずれ全部を潰せるとかって思ってたけど」

 ランコの単純にして無茶な計画に、アキラは立ち眩む。

「そんなアホな事するよりはよ、支持者を増やしてみろよ。人を惹きつけてみせろよ。そうすりゃ、完全に大衆の支持を得ているヒロインクラスに対抗できる。もしかしたらその大衆の一部を掻っ攫うなんてこともできるかもよ。そうなった時、お前は連中に目にもの見せることができる……だろ?」

「……うん」

 ランコは、素直にアキラの言葉に耳を傾けている。それはハデスも、モモヨも、ビールを飲みながらのライムも同じ。後方では、レーコもじっとアキラを見つめている。

「いずれそれを成す為には、パフォーマンス、表現活動ってのがやっぱ重要だ。んで、アンチヒロインのアイドル宣言をしたからには、自ら衆目に晒されての活動をしなきゃな、となってくるんだよ」

 言いたいことを言い終えた満足感のもと、アキラは椅子に腰を下ろす。皆は静まり返って何を想うか……。

「えーと、だからその表現活動を、どうすんの?ってあたしは聞いてるんだけど。ランコが予想以上に何も考えてないもんだから、話が無駄に逸れちゃったけどさ」

「えっ?そう……だな。そうだった。ほら、やっぱそう、歌とかダンスとか?」

 あからさまに歯切れが悪くなったアキラに、ハデスはため息を贈った。


「ったくさ、こんなところでグダグダそんな話をしてても意味ないでしょ?」

 モモヨがしびれを切らしたように立ち上がった。

「ダンスや歌のテクが無いとかってさ、そんなもんはどうにでもなるのよ。私たちはまだ若い!何でもできるってもんよね」

 〝私〟たちが若いかどうかはともかく、モモヨの言葉には説得力以上に、勢いがあった。

「まぁ確かに、楽器でもあればバンド形態で、曲でも作れそうなもんだけど、今は楽器は回収されてるからね。でも大丈夫!」

 そう言ってモモヨは、懐からメモリースティックを一本取り出した。

「ここに、私がヒロインクラスを抜けた時にパクってきた、連中の未発表音源が入ってる。これをイジって、私たちのものにする。どう?私はこれっきゃないと思うけど?」

 アキラとランコは顔を向け合い、頷き合う。ハデスはもう口を挟まない。ライムも酔いながらも、じっとりとモモヨを見据えている。

「おぉ、そんなすごい物が……なら、それしかない……っすよね。とにかく、そこから始めるしかない」

 アキラの意気込みを聞き、ハデスは提案する。

「だったら、地下にあるあたしの秘密スタジオで、安物の機材でよかったら、その音源を再生できるし、ある程度イジることもできるわ」

「練習する場所がいるんならさぁ~。あたしの秘密の酒倉を使ってもいーよ。っていうか、あたし的にはそうしてほしいし。あたし、常に酒と在らんことを……だからさ」

 歪ながらも、ゆっくりでありながらも、何か動き始めた。ランコはそれを感じ取っている。

「他の誰かを惹きつける……かぁ」





 

 

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