第20話 私の温室に春が来る
北辺へ戻った朝、白冠系試験株はちょうど満開だった。
白い花弁の縁に、薄い銀が差している。王家紋章花の系譜を確かに継ぎながら、北辺の冷えをくぐったせいか、王都の花より少しだけ芯が強く見えた。
中央棟には町の人たちが集まり、グレタがいつもより大きな声で通路整理をし、ハンネスが誇らしげに温度日誌を掲げている。私も朝から何度も台帳へ書き込んだ。
『真正株北辺試験株 初開花。播種記録照合済み。共同管理開始』
その一行を書いた時、ようやく本当に終わった気がした。いや、終わりではなく始まりだろうか。
昼には、王都から正式書状が届いた。北辺温室は王家紋章花の共同試験栽培地として認定され、管理責任者は私、補佐責任者は北辺侯家温室番頭グレタ。ハンネスまで見習い主任に昇格して、本人が一番ひっくり返っていた。
「そんな肩書、土より重いです」
「じゃあ、土に負けないくらい働きなさい」
笑いが起こる。
夕方、人が引けたあと、レオンハルトが中央棟へ入ってきた。手には新しい木札が一枚ある。
「管理責任者の札だ」
受け取ると、よく乾いた木肌にこう彫られていた。
『北辺侯家温室管理官 エルザ・ブルーメ』
胸が熱くなる。王都では『補佐』とか『係』とか、誰かの後ろに付く名ばかりだった。けれどこの札は、ちゃんと私の仕事を私の名で示している。
「ありがとうございます」
「礼は、まだ早い」
そう言って彼はもう一つ、小さな包みを差し出した。中には、母の花名札を模した銀の栞が入っている。裏には白冠系試験株の交配番号が細く刻まれていた。
「君は、記録を守って終わりではないだろう」
「ええ」
「なら、これから先の頁も一緒に書いてくれないか」
遠回しなのに、彼にしては十分すぎるほどはっきりした言葉だった。
私は少しだけ笑って、栞を胸へ当てた。
「条件があります」
「聞こう」
「毎朝、最初の蕾を私に見せてください」
彼の目元がわずかに和らぐ。
「それくらいなら」
春の終わりの光が、ガラス越しに温室を満たしていた。私は新しい木札を入口へ掛ける。風が吹き、花が揺れる。
もう、誰かの花壇へ戻るつもりはない。
ここが、私の温室だ。




