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火を聴く器  作者: katari
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3 火と水との断絶にて

清人きよひと一行が水守みずもりを発って、北へと旅立ってから三日が過ぎた。

清澄きよすみが耳にした話では、筑紫の地にヤマトの新たな拠点を築いている最中だという。


「ヤマトの拠点か……油断できぬな」

肩をすくめながら、清澄は水源寺すいげんじへと向かっていた。

今日は別の客が訪れており、その挨拶に出向くところだった。

珍しい客に、何を語るべきか――清澄は思案していた。


水源寺の裏庭。

そこには、自然に穿たれた窪み――水座みざと呼ばれる泉があり、

そこから湧き出す水が、細く白い筋となって庭を流れていた。


水座の深さがつくる青の世界と、水の道が描く白の世界。

それこそが、水守の本来の姿であった。


その庭の奥、小さなお堂の中に、ひとり静かに佇む影があった。

久玖里くくりである。


「久玖里殿。大きくなられたな」

お堂に足を踏み入れながら、清澄が声をかける。


「ご無沙汰しております、清澄様」

水面を見つめていた久玖里が、静かに振り返る。


高見たかみ殿は息災か?」

「おかげさまで。父からの書状をお持ちしました」


「ふむ、確かに。返事は……」

「不躾ながら、お待ちできればと」

清澄が切り上げようとするのを察してか、久玖里はさらに深く頭を下げた。


「……まあ、そうであろうな。すまぬが、一日いただけるか?」

「お願い申し上げます」

「では、ゆるりと過ごされよ」


久玖里がこの地に来た理由など、痛いほど分かっていた。

清澄は苦笑しながら短く言葉を交わし、お堂を後にした。


足音が遠ざかり、久玖里がゆっくりと顔を上げる。

視線の先には、館へと向かう清澄の背中と、彼に声をかけるひとりの女性の姿があった。


遠目にもかかわらず、女性は久玖里の視線に気づき、ぱっと駆けてくる。

やがて、その姿がはっきりと見えた。まだ距離があるというのに、声が届く。


「久玖里様! ご無沙汰しております!」

そんなに慌てずとも――

そう思いながらも、自然と笑みが浮かぶ。久玖里は小さく手を振った。


駆け寄ってきたのは、水実みみの沙耶比賣さやひめ

清澄の娘にして、ヤマトより「沙耶」の名を賜った、水守の姫である。


「ご無沙汰しております、沙耶様」

軽く興奮した面持ちで手を取る沙耶に、久玖里は微笑みを返す。


「お元気でしたか? 火の語り部を継がれた時以来ですね」

沙耶はなおも高揚した声で言葉を継いだ。

だが、久玖里の表情がふと翳る。声を落として、問う。


「……涼木すずき様は、いかがされましたか?」

「……母上は……」

沙耶の顔から、さっと熱が引いた。


「水へと、お還りに……」

「それでは、水の語り部はもう……」


「ええ。母上が、最後です。私には……継がれていません」


久玖里の目が、水座へと向く。そこには、何の気配もなかった。

自分が火の語り部となったことで、水とのつながりが薄れたのか――そう思っていた。

だが、そうではなかった。


「……語りが、途絶えたか」


その言葉は、誰に向けたものでもなく、

水の底に沈んだ記憶を探るように、静かに落ちていった。


「……久玖里様。……久玖里様なら、もしかして――」


思い詰めた顔で、沙耶が掠れた声を絞り出す。

その目には、祈りにも似た切実さが宿っていた。


久玖里は、静かに首を振る。

「わかりません。いま、水座へ意識を向けましたが……何も感じませんでした」

「それでも……水へとお還りになられた母上は、きっと……」

沙耶の声が震える。


申し訳なさそうに答えた久玖里に、沙耶は再び手を取り、乞うように言った。

「どうか……」


久玖里は、沙耶の目を見つめる。

その強い訴えに、わずかに息を吐き、頷いた。


「……分かりました。期待はなさらぬよう。火を――お借りできますか?」


「ありがとうございます!」

沙耶はぱっと顔を輝かせると、お堂の外へ声をかけた。


「誰か、火をここへ!」

「はっ。しばしお待ちを」


外から返事が届く。 その間、久玖里は沙耶に問いかけた。

「沙耶様は、なぜ継がれなかったのですか? 水の語り部を」


沙耶は、少しだけ目を伏せてから、静かに答えた。

「私は、生まれたときから仏に帰依しております」


「まことに……」

「仏が、すべてを救ってくださるのです。 今ある悲しみも、仏の慈悲に包まれております」


その言葉は、信仰の確信というよりも、

自らに言い聞かせるような響きを帯びていた。


久玖里は、何も言わず、ただ火の到着を待った。

水座の静けさが、ふたりの間に深く流れていた。

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