22 火と想との遺産にて
静かな森に囲まれた水守市根深村。
湿地が多く、粘土質の土に恵まれたこの土地では、古くから土器づくりが盛んだった。
今では全国から陶芸家が集まり、“芸術村”として知られている。
その中心にある根深遺跡資料館。
茅葺屋根の小さな建物の中、会議室には五人の研究者が集まっていた。
入り口近くで、苦笑しながらお茶の準備をしているのは、
根深村出身の学芸員・葦里承太。
縄文時代を専門とし、東京の大学で学んだのち、
祖父の記憶に導かれてこの地へ戻ってきた青年である。
「これは、語りの火だ。記憶の器だ。神話的構造を持つ文献だ!」
声を荒げているのは、東京の大学で先史学と宗教学を教える教授・北条繋吾。
承太の指導教官でもある彼は、翻刻した資料に目を輝かせていた。
その隣では、羽根郷古墳資料館の学芸員・十森冴子が、困ったように眉を寄せている。
古墳時代の専門家として、神代を綴った文献が見つかったと聞き、
同じ水守市に属していて、根深村の西にある羽根村から駆けつけたが、
今目の前で興奮する教授にやや圧倒されていた。
「先生、十森さんが困っていますよ」
承太が静かに声をかけると、教授は一瞬だけ我に返り、咳払いをして座り直した。
その様子を静かに見守っていたのは、東京の古書店・灯文堂の店主、日見啓司。
彼は厳重なアタッシュケースの中から、恭しく古文書を取り出して机に置き、口を開いた。
「真峯命御縁記」
そう記された表書きを皆で見入る。
「これを見つけたとき、鳥肌が立ちました」
店主は根深の北にそびえる霊峰・火嶺の村出身で、昨年母を亡くし、
誰も住まなくなった実家の蔵を整理していた折に見つけた書だった。
「いやあ、灯台下暗しとはこのことですね。まさか実家に古代文書があるとは。
実物をご覧になって、いかがですか、天城先生?」
根深遺跡資料館の館長・天城道章は、丁寧に書を広げ、
じっくりと目を通しながら静かに言った。
羽根村の南に隣接する水守市天城町出身で、文献資料学と古代仏教史を専門とする。
十森冴子とは親戚関係でもある。
「確かに、貴重な文献資料ですね。
四つ郷のことが記されていて、出てくる寺院も現存しています。
“道信”は初めて見る名ですが……
道昭は仏教伝来期の重要な高僧ですし、行基の師としても知られています。
時代的に矛盾はありません。冴子さんどうです?」
冴子が口を開いた。
「道章伯父さん、この度は貴重な機会をありがとうございます。
確かに、このころのヤマト王権の支配の様子が分かり、国家形成期を考える非常に貴重な資料ですね。
仏教伝来以後ですが、本文では役所名はなく筑前とのみ、注に太宰府とありますね……
であるならば太宰府成立直前とすると、7世紀後半のことでしょうか?
火巫高見命というのは、おそらく当時火嶺一帯を治めていた豪族、火巫氏ですね」
冴子はちらっと日見を見やると、店主は嬉しそうに言った。
「やはりそうですか、十森先生。
いやあ、この断片でここまで分析なさるとは、素晴らしい方ですな」
冴子は少し話すぎたかと軽く赤面する。
店主は喜びを隠さず続ける。
「火巫氏の歴史を追いかけてきた私としては、感無量です。
当家にあったということは、やはり我が家は火巫の裔ということですかな。
嬉しいですな。はっはっはっ」
教授が承太の顔を見ながら言った。
「この写したという葦里朝臣 典連というのは、葦里君に関係あるのではないかね?」
承太は苦笑して答えた。
「いや先生、根深村には葦里はいっぱいいますから」
その言葉に、場が少し和んだ。
皆が熟覧し終わったのを見計らって、
店主が、丁寧に「真峯命御縁記」をアタッシュケースに収める。
承太は湯呑を配りながら、ふと翻刻資料に目を落とした。
墨の跡が、語りの模様のように揺れて見えた。
「……語りの器、ですか。
まるでこの場に集まった我々のことを指しているみたいですね」
小さく呟いた言葉に、場が静かに反応する。
館長が静かに頷いた。
「確かに。知られざる記録がこうして私たちの目の前に現れた。
我々が語る役目を授かったのですかな」
「語りをつなげる……」
冴子が声に出した時、急に窓から強い風が吹いた。
「風が強いですな。閉めますね」
あわてて、店主が窓を閉める。
風は一瞬、紙の端を揺らし、語りの気配を残して去った。
沈黙の中、教授・北条繋吾がうつむきながら思考に沈んでいた。
やがて、顔を上げ、身を乗り出す。
「語る……器……模様!」
その声は、風の残響のように響いた。
「十森さん。確か羽根郷遺跡には奇妙な土器片がありましたよね?」
冴子が頷く。
「ええ、鍵穴形の内部に、渦巻文と羽状文が満たされた用途不明の土製品があります」
承太が話を引き取る。
「ああ、古墳時代のものなのに、
縄文土器のような模様があるといわれて、一度拝見させていただきましたね。
確かこのような模様でしたか……」
承太が紙に渦巻きを書き始めると、どこからか土の匂いが立ち込めてきた。
館長が首を傾げる。
「妙な匂いがしてきたな。今日は草刈りは頼んでないはずだが……
焚き火の匂いか」
窓の外では、作業員が落ち葉を燃やしていた。
その火が一瞬、炎を高く上げる。
消火用のバケツに張られた水面に、小さな波紋が広がった。
語りは、今、再び動き出そうとしていた。




