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火を聴く器  作者: katari
21/24

21 火と郷との行末にて

火の間には臨時の上座が設けられていた。

上座には、まだ小さき男の子、和土やまとが座していて、

その前に高見たかみ清澄きよすみ羽流うるが居並んだ。


居心地の悪さに、和土がそっとささやく。

「高見様……」

高見は、静かに言葉を返す。

「和土様。下の者にその呼び方はいけません。堂々となされよ」

「しかし……」

清澄が、やわらかく笑んで言う。

「問題ござらん。じきに慣れまする」

羽流が、続ける。

「しかり。我らが和土様をお支えしますゆえ」


和土は、少しうつむきながらも、声を出した。

「おたのみ……よろしく頼む」

「ははっ」

三人が、和土に平伏する。

その様子を見た成通なりみちは、そっと息をついた。

(まあ、何とかなりそうかな)


そのとき、ざわめきが走った。

火の間の空気が、わずかに揺れる。


久玖里くくりが、火の間に現れた。


その歩みは静かで、されど確かだった。

火の間の地面には、四つ郷の印と語りの印が刻まれている。


北側――三つ巴勾玉の火印

南側――丸に流水の水印

東側――人形に蔓草の土印

西側――鍵穴に渦巻きと羽根の風印


火の間の中央には、据えられた炉――火座ひざでは、大きな火が焚かれていた。

炎は静かに揺れ、語りの芯を照らす。

その向こう、奥壁には朱で描かれた五重の同心円が浮かび、

火の記憶を呼び起こしていた。


火座の前には、大きな水盆――水座みざが置かれている。

東西の奥壁の一部がくり抜かれ、外の水路から水が引かれていた。

西に設けられた竹の樋を通じて、絶えず清らかな水が水盆へと注がれている。

水盆の周囲には溝が掘られ、東の奥壁から外へと水が流れ出ていた。

語りは、流れを止めず、澄みを保つ。


東には、根深から新たにもたらされた見事な土器――土座どざ

その腹には人形が描かれ、渦巻きと蔓草が施されていた。

土座の前には、さまざまな模様が描かれた土器片が所狭しと並べられている。

語りは、記憶を埋め、根を張る。


西には、大きなカネ――風座ふざが吊り下げられていた。

その胴には、鍵形の縁取りの中に、渦巻きと羽根の模様が描かれていた。

風座の前には、いくつもの鈴と、多種多様な鳥の羽が置かれている。

語りは、音を運び、舞い広がる。


火、水、土、風―― 四つの記憶が、語りの座として静かに息づいていた。

その前に、久玖里が座す。

瞑想の中で、語りの灯を整えていた。


儀礼の刻が訪れた。


風那ふうなが、風座の前に立ち、カネを鳴らす。

その音は、鍵形の縁を震わせ、渦巻きと羽根の模様を揺らした。


沙耶さやが、水盆の水をすくい、ばらまき、合掌する。

水は空気に溶け、語りの澄みを呼び起こした。


久玖里が、座より立ち上がる。

衣の裾が揺れ、瞳が朱に染まり始める。

舞が始まる。


久玖里が大きく身体を揺らしながら次々と語る。

「火の記憶よ。語り部、火巫ひみの明羽あけはを、今ここに――語りをはじめよ」

「水の記憶よ。語り部、水実みみの涼木すずきを、今ここに――語りをつなげ」

「土の記憶よ。語り部、葦里あしりの土音つちねを、今ここに――語りをしずめよ」


そして、目線を風那に送る。

風那はうなずき、静かに言葉を紡ぐ。

十森ともりの風那ふうなが語る。風の記憶よ――語りを、はこべ」


その刹那――


奥壁の五重の同心円が、赤光を帯びた。

炎の揺れが壁を染め、明羽が現れる。

「燃え尽きることのない火の記憶よ。  いまここに、語りの芯を示せ」

北側の火印が、朱に輝いた。

三つ巴勾玉が、語りの中心を照らす。


ついで、水盆から青光が流れた。

水面が静かに揺れ、涼木が姿を見せる。

「絶えず巡る水の記憶よ。  いまここに、語りの澄みを示せ」

南側の水印が、蒼に輝いた。

丸に流水が、語りの清らかさを映す。


さらに、土器から黒光が揺れた。

土の重みが空気を包み、土音が現れる。

「静かに眠る土の記憶よ。  いまここに、語りの根を示せ」

東側の土印が、玄に輝いた。

人形と蔓草が、語りの根を支える。


そして――

カネから緑光が溢れた。

鈴が鳴り、羽が舞い、風那の瞳が碧に染まる。

「運び響かせる風の記憶よ。  いまここに、語りの広がりを示せ」

西側の風印が、碧に輝いた。

鍵穴と渦巻きが、語りの道を開く。


火の揺を示すしゅ

水の流を示すそう

風の渦を示すへき

土の堅を示すげん


四つの光が、久玖里へと集う。

洞の空気が静かに震えた。

語りの座が開かれた。


土音の、土の重みをまとった声が響く。

「この度は、苦労をかけました。

語りの座……見事に整えられました。

根深ねぶかは、語りの根。民の足元に息づく記憶の地。

どうか、この地をよろしくお願いします。

語りは、土に埋もれても、決して朽ちることはありません」

久玖里は、深くうなずいた。その瞳に、土音の影が静かに映る。


つづいて、涼木が語る。

その声は、水面の揺れのように、澄み渡っていた。

「やはり、久玖里様が語りの器に。

語りは、澄んだ者にこそ宿るもの。

その采配、見事でした。

流れを止めず、巡らせることが語りのつながり、お忘れなきよう」

久玖里は、静かに目を閉じた。

涼木の言葉が、水のように胸に染み渡る。


最後に、明羽が声を放つ。

その声は力強く、あたたかいものだった。

「よくやった、久玖里。

灯を絶やさず、語りを守ったその意志。

それこそが、火巫の誇りだ。

これからは、お前が語りの芯だ。

語りは、お前の声で、何度でも灯る」


四つの光が、久玖里の胸元へと集い、ひときわ強く輝いた。

そして、静かに消えた。


久玖里は、静かにつぶやいた。

「――確かに、語りを受け継いだ」


その声は、

火座の炎に溶け、

水座の澄みに染み、

土座の重みに沈み、

風座の響きに乗った。


「お疲れ様でした」

風那が短く、けれど確かに、久玖里を労った。

その言葉は、鈴の音のように静かに響いた。


洞の水盆が、ひとしずく揺れた。

白い筋が、外へと流れ出す。

語りの灯が、民の方へと向かっていった。

火の揺れ、水の流れ、風の渦、土の堅―― 四つの記憶が、語りの器から外へと広がっていく。


語りは、守られた。

そして、新たにつながった。

灯は、絶えず巡る。

語りは、何度でも灯る。


その晩、火嶺では宴が催された。

館の屋外では、ヤマトの者も四つ郷の者も、境なく騒いでいた。

火の灯を囲み、酒と笑いが交差する。

その様子を、成通は静かな笑みとともに見守っていた。


高見が近づき、声をかける。

「このたびは、助かり申した」

「私は道を示しただけです。これからが大変ですよ」

「確かにな。されど、続くことが大事なのだ。礼をいう」

高見は、手招きする清澄の方へと移動していった。

その背に、火嶺の誇りが揺れていた。


残された成通に、忠彦ただひこが近づく。

「成通殿、見事でした」

「いえ、私は使者を務めたまで」

「されど私はお咎めもなく、正直助かり申した」

「あれは清人きよひと様のせいでしょう」

忠彦は、眉をぴくりと動かし、ニッと笑った。

「しかり……さあ、飲み明かしましょうぞ」

「はいはい」

成通はにこやかに応じ、二人は、館の中へと戻っていく。

騒ぎの輪の中へ、火嶺の灯の中へ。


館の外では、久玖里と道信どうしんが静かに佇んでいた。

宴の喧騒が遠くに響く中、火嶺の夜は静かに深まっていく。

二人は、言葉を交わす。

「語りは、つながりましたな」

「ええ。灯は、守られました」


静かな風が吹く。

「それで、久玖里様はこれから――」

「語りを、広げます。

火嶺に、根深に、そして民へ。

語りは、灯だけではなく、風にも乗るものですから」


道信は、うなずいた。 そして、掌を合わせ、静かに唱える。

我聞如是がもんにょぜ……一切衆生悉有仏性いっさいしゅじょうしつうぶっしょう……」


久玖里は、目を閉じて応えた。

「語りも、あらゆるものの中にあるものです。

私は、これからもその声を聞き続けます。

土に埋もれた声も、風に流れた声も、すべて」


道信は、力強く久玖里を見つめる。

「それでは、私はそれを記しましょう。

語りを、仏に乗せて――後世へと伝えましょう」


久玖里は、静かにうなずいた。


四つ郷にかつてあった語りは、形を変えながらも、記憶を守り、声をつなげた。

そして、語りは久玖里へ、和土へ、民へと渡されていく。

灯は絶えず巡る。 語りは、何度でも灯る。


ここに、古の語りはひとたび結ばれた。

そして、次なる時代へと、静かに息を継ぐ。

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