16 火と憶との融合にて
高見たちは館に戻っていた。
物見の報せによれば、ヤマト軍は森の奥まで逃げ込んだという。
すぐには動けぬであろう。
だが、問題もあった。
火嶺は、草地のみが焼けるように統制して火攻めを行った。
しかし、逃げ込んだヤマト兵の火が移ったのか、森の一部が焼け始めているらしい。
広間で、高見、清澄、羽流が顔を突き合わせていた。
「まずいな……」
高見がつぶやく。
「戦果としては上出来ですが、森は我らに必要なものです」
羽流がうなずく。
「このような時に、涼木がいれば……」
清澄が、暗い目をして言う。 高見も羽流も、かける言葉がなかった。
そのとき――
簾が、さっと上がる。
「父上。わたしが、水の記憶を呼びましょう」
「久玖里、何を……?」
訝しがる高見の方ではなく、久玖里は清澄を見て言う。
「清澄様。ご安心なさいませ。涼木様は、今もここにおります」
久玖里は、自分の胸に手をあて、静かに語りかけた。
「父上」
「……うむ。だれかある」
「はっ、ここに」
「広場に座を用意せよ」
「はっ」
火嶺の広場。
中心に久玖里が立ち、高見たちがそれを取り巻く。
火嶺の者だけでなく、水守や羽根の兵たちも集まっていた。
大きく焚かれた火。
地面には、五重の同心円。
火嶺の者には見慣れたものである。
だが、久玖里は火の前に、大きな水盆を置かせた。
久玖里が動き出す。
いつものように回転を始めるが、その動きは、いつもとは違った。
単なる円ではなく、波打つように動く。
その足運びによって、地面の同心円が、波の模様に取り囲まれていく。
ふいに、火柱が上がる。
久玖里の瞳が、朱に染まる。
「水の記憶よ。我と語れ」
その瞬間――
静かだった水盆の水面が、波立ち始める。
突如、水柱となって立ち上がる。
「我に応えよ。とくと、雨を降らせよ」
水柱は、遥か空へと伸びていく。
そのとき、暗雲が立ち込めた。
雨が、降った。
誰もが、あっけに取られていた。
一番驚いたのは、清澄だった。
「水が……水が久玖里殿に応えている。
語りは、失われてなかったのか……涼木……」
清澄の目に、一筋の涙が流れる。
突如の激しい雨が、森の火を消した。
水守の語りは、火をまとい、再び蘇った。
ごく短時間で森の火が鎮まり、
雨が上がった後も、広場の人々のざわめきは収まらなかった。
そのとき、伝令が高見のもとに駆け寄る。
「高見様。正門に僧が一人、現れました」
「僧?……もしや」
高見たちは、正門へと急ぐ。
そこに立っていたのは、道信だった。
「ご無沙汰しております、高見様」
「道信様……」
久玖里がつぶやく。
「久玖里様。無事に戻られたのですね」
「ひとまず中へ」
高見は短く言い、踵を返す。
道信は、久玖里の横に並び、ささやく。
「語りの器を、完成されたのですね」
久玖里は、目を見開く。
「道信様も、何か得られたようですね」
道信は、静かに合掌して応える。
「仏の導きです」
館、謁見の間。
「それで、道信殿。何用で火嶺に?」
「高見様。お忘れですか? もちろん、御寺の建立のことですよ」
「ふん……」
「羽流様も、お元気そうで。羽根の寺の建立は順調でしょうか」
高見が、羽流を軽く睨む。
羽流は、それを受け流すように微笑む。
「ええ。成通殿の尽力で、良き寺となりましょう」
清澄が道信に声をかける。
「道信殿」
「清澄様、ご無沙汰しております」
「すこし、変わられたか?」
清澄がするどき目で道信をみる。
「水煙菩薩様にも、またお会いしとうございますね」
「そうですか。いつでも歓迎いたします」
道信に気をそらされ、清澄は視線を外す。
道信が、懐から包みを取り出す。
「高見様」
「なにか?」
「これを」
何だと思いながら高見が受け取る。
それは、根深の土器の欠片だった。
「これは……」
「陽里様が、持たせてくださいました」
「陽里が……火と土の語り……」
「ご存じで」
二人のやり取りを見ていた久玖里が、静かに声をかける。
「父上」
「うむ」
久玖里が、土器片を手に包み込み、つぶやく。
「これで揃った」
一瞬、久玖里の瞳が朱に染まった。
語りの器にともった灯を、道信は逃さず見つめていた。
館の最奥――
火の間。
岩壁に囲まれた半地下の小空間。
中央の火座で、炎が静かに揺れていた。
久玖里は、火座に座る。
前には水盆。
腰には、風の印を刻んだ鈴。
胸には、小さな孔を開け紐で吊るした根深の土器片。
高見、清澄、羽流、道信が、静かに見守っていた。
久玖里が右手を火に向け、左手を回す。
火の向こう、奥壁に描かれた朱の五重同心円が、赤い光を放つ。
次に、左手を水盆に向け、右手を波のように揺らす。
水面が波立ち、やがて渦を巻く。
久玖里はゆっくりと立ち上がり、鈴を鳴らしながら回る。
火の間に、不思議と風が巻き起こり、火が強くなる。
最後に、胸元の土器片に両手を添え、目を閉じる。
風に、土の匂いが混じり始める。
そして、久玖里は低くつぶやく。
「語りの器、久玖里がかしこみ申す。
火よ、水よ、風よ、土よ。
我に語れ、記憶をここに」
久玖里の瞳が、朱に染まる。
ゆるやかに舞い始める。
その動きに合わせ、久玖里の身体から四種の光が放たれ、
筋となって空間に残る。
火の揺を示す朱
水の流を示す蒼
風の渦を示す碧
土の堅を示す玄
舞が描く光の軌跡は、まるで記憶たちが語り合うようだった。
久玖里は、にこやかに微笑みながら舞い続ける。
「火は語りをはじめ、水は語りをつなぐ。
風が語りをはこび、土が語りをしずめる。
我は、語りの器。この地に、記憶を刻まん」
誰もが息を呑み、言葉を失っていた。
やがて、地面に四つの印が刻まれていく。
三つ巴勾玉の火印
丸に流水の水印
鍵穴に渦巻きと羽根の風印
人形に蔓草の土印
久玖里は、ゆっくりと舞を止めた。
光が消え、火座の火も、いつの間にか静かに消えていた。
奥壁の五重の同心円だけが、赤く光を残していた。
そのとき――
一人の女性が、赤い光の中に浮かび上がる。
先代の火の語り部、明羽であった。
「お祖母様……」
「さすがは、我が孫、久玖里。 このあとは、分かるな」
「はい」
明羽は満足げにうなずき、すっと姿を消す。
火の間は、闇に包まれた。
その静寂の中、誰もがはっと気づく。
道信が、合掌しながらつぶやいた。
「語りとは……ここまでのものなのか。
間に立つために私ができることは何か……」
久玖里は、静かに前を向いた。
「火嶺に、語りの座が完成しました。
私はその器として、これを守り抜きます」
その声は、火の間の闇に、確かな灯をともした。




