14 火と和との衝突にて
「ヤマトが来たか」
櫓の上から、高見はすばやく部下に郷の門を閉じるよう指示を飛ばす。
そして、清澄と羽流に向き直る。
「お主らは郷へ戻れ」
「すぐに軍を率いて駆けつけよう」
「同じく」
清澄の言葉に羽流がうなずき、二人は館の裏手から郷を抜け出していった。
館に戻った高見は、すばやく甲冑を身につけ、郷の入り口へと急ぐ。
「者ども、戦じゃ!」
「おうっ!」
火嶺郷の門前に、ヤマト軍が姿を現す。
門は固く閉ざされ、脇の物見櫓から高見が睥睨する。
軍勢の中から、一騎が前に出る。
「葛城清人である。おとなしく降伏せよ」
高見は、声を張り上げて返す。
「この火巫高見命の郷と知っての狼藉か!
今なら見逃そう、とくと去ね!」
清人は、冷たい笑みを浮かべ、手を挙げる。
付き従う兵が弓をつがえ、門へと放つ。
火嶺兵が盾を構えて防ぎ、高見が叫ぶ。
「横をつけ!」
突如、清人たちの横から矢が降ってくる。
裏手から先回りして潜んでいた火嶺兵二十による奇襲だった。
清人は舌打ちする。
「ちっ……ひとまず引け。挨拶にすぎん」
ヤマト軍は、森の中へと引いていった。
高見は、兵に命じる。
「追うな!……かがり火を準備せよ」
その夜、火嶺郷の周囲には、火の印である三つ巴の旗がいくつも並び、
多くのかがり火が焚かれた。
五十の火嶺兵が郷を厳重に守り、
さらに、鍵穴に渦巻きと羽根があしらわれた、風の印をつけた騎馬兵二十が巡回に加わっていた。
館では、高見と羽流が向き合っていた。
「羽流殿、助かった」
「我が騎馬の勇は、ヤマトにも轟いています。
おいそれと攻めては来ないでしょう」
「清澄殿にも、郷へ帰られるのに羽根の馬をお貸ししました。
いまごろは、水守を出立しているでしょう」
「明日には軍は揃うか」
「水守の弓隊は怖いですからねえ。
清澄殿はきっと、自慢するために大勢連れてきますよ」
羽流は、高見の不安を消し飛ばそうとしていた。
それに気づきながらも、高見は照れ隠しに鼻を鳴らす。
「ふん」
戦の気配が漂う夜が更けていった。
森の中では、清人が苛立ちを隠せずにいた。
(兵が足りぬ……。まさか羽根が火嶺につくとは。
よもや水守もか……どうするか)
当初の計画では、一度森に退いてから、
守りの薄い側面に火矢を放ち、混乱に乗じて館へ突入するつもりだった。
高見との一騎打ち――それならば負ける気はしなかった。
だが、状況は変わった。
「申し上げます」
「なんだ」
「筑前より援軍が到着しました。将の方が、謁見を望んでおります」
「ちっ……案内せよ」
やがて、森の仮営に一人の男が現れる。
黒地に白の縁取りを施した軍装。背筋は伸び、声は静かに響いた。
「志賀造忠彦命と申します。
真峯様より遣わされました。清人様、何か申し開きはありますか」
清人は、わずかに顎を上げて言う。
「ヤマトの御ため、火嶺を攻めたに過ぎん」
忠彦は、苦笑した。
「さすがに、それでは通りませんな。
ただ、真峯様より清人様へ、書を預かっております」
巻物を差し出す。
清人が開くと、そこには――
必勝
ただ、二文字。
清人は、しばしその文字を見つめた。
手が、わずかに震えていた。
「……機は我にあり」
忠彦は、静かに頭を下げる。
「忠彦以下、五百。
清人様の指示に従います」
森に、火と戦の気配が満ちていく。
そのころ、久玖里は羽根にいた。
丘の上、風の座。
火嶺の方角に、わずかに煙が立ちのぼっていた。
久玖里は、焚かれたかがり火の前で、静かに回っていた。
左手をゆるやかに回しながら、つぶやく。
「風の記憶よ、我が声に応えよ」
ぱちり。
かがり火が爆ぜる。
だが、久玖里の瞳は黒のまま。
ただ、風が吹くだけだった。
久玖里は動作を止め、座り込む。
「あせってはなりませぬ」
風那が、静かに声をかける。
「しかし、今にもヤマトが火嶺に……」
「火嶺には羽根の騎馬兵が向かいました。心配ご無用です」
「しかし……」
「あなたの役目を果たしなさい」
風那の言葉に、明羽の影が重なった。
久玖里はハッとして、気持ちを落ち着かせる。
すっと立ち上がり、息を整える。
今度は、風の音を聞きながら、手をかがり火に向けて回転する。
「火よ、語れ。風の記憶を。
我が身を通して、記憶を聴かされよ」
風那が、久玖里の動作に合わせて鈴を鳴らしながら舞う。
その音に呼応するように、一筋の風が久玖里へと吹きつける。
その瞬間――
かがり火が大きくなり、爆ぜた。
風が、久玖里を取り巻く。
渦のように、語りの器を包み込む。
風那は、その姿に目を見開いた。
(私でも、ここまでのことは……久玖里様の力とは一体)
久玖里は、風とたわむれるように、くるくると踊り続ける。
その瞳は、朱に染まりつつあった。
火嶺の戦の気配に呼応するように、風の語りが目覚めていた。
明け方。
森より、火嶺に向かって大軍が押し寄せていた。
草地を踏みしめる音が、夜の静けさを破る。
対するは、火嶺・水守・羽根の連合軍。
夜明け前に、水守勢五十がひそかに火嶺に入っていた。
門前に整然と並ぶ、
丸に流水文をあしらった水の印を携えた兵たちの姿を見て、羽流がつぶやく。
「さすがに壮観ですな」
高見は、面白くないなと思いながらも、清澄に向かって口を開く。
「此度は礼をいう」
清澄は、少し居心地悪そうに応える。
「火嶺が落ちれば、明日は我が身ですから」
羽流が二人に知らせる。
「羽根も残り三十の騎馬兵が到着し、先発と合わせて五十。
門の西に二十、東に三十を布陣させています」
陽が上り、辺りがすっかり明るくなった頃。
正門前。
左右に羽根の騎馬兵、正面に水守の弓兵。
火嶺の防衛は、万全の布陣を整えていた。
「おや、見えましたな。はは、これは大軍だ」
清澄がカラッと笑う。
ただ、その目は鋭く、遠くの草地に広がるヤマト軍を捉えていた。
「水守の弓は一味ちがいますぞ。とくとご覧あれ。……よし、放て!」
高見は、まだ早いと感じた。
されど、弓兵たちは流れるような動作で、一斉に矢を放つ。
予想以上に距離が伸びる。
進軍していたヤマト軍に矢が届き、陣形が揺らぐ。
「さすがは水守の弓。あれほど遠くまで届くとは」
羽流が素直に感嘆する。
一方、ヤマト陣営。
「敵方の矢が激しく、前進かないません」
「小癪な……」
清人が吐き捨てる。
前進できずにいるヤマト軍。
やがて、門前に展開していた羽根の騎馬が動き出し、ヤマト軍を包み込もうとしていた。
「このまま騎馬に挟まれるとまずいですぞ。
少し距離を取りましょう」
忠彦が進言する。
ヤマト軍が、わずかに後退する。
「むう。もうすぐに騎馬で潰せたものを」
「向こうに手練れがおるようですな……
どうやら、水守の弓の距離感をつかまれてしまったようだ」
対峙する両軍。
草地に緊張が満ちる。
高見が、にやりと笑う。
「清澄殿、羽流殿。そなたらだけに活躍はさせぬわ」
高見が目で合図する。
横に控えていた者が、火の旗印を手に取り、それを振る。
そのとき――
ヤマト軍の西側から、風が吹いた。 突如として、熱が伝わる。
火嶺五十の歩兵による火攻めだった。
草地に仕込まれていた油が燃え上がり、風に乗って炎が広がる。
「なに……!」
「ひとまず体制を立て直しましょう。
負けたわけではありません」
「くそ……全軍、下がれ!」
清人の軍は、炎に押されるように森へと退いていった。
櫓の上から、草原を見下ろす高見が、冷ややかに言う。
「我らの火、とくと味わえ」
引いていくヤマト軍を追いかけるように、炎が延びる。
高見は、ホッと表情を崩した。
「一度目は、何とかなったか……しかし」
そのつぶやきに、清澄も羽流も無表情で戦場を見つめていた。
火嶺とヤマトの対立は、まだ始まりに過ぎなかった。




