その45
四十五
神社の母屋の前庭はちょっとした宴会場と化していた。
いったいどこからもってきたのか、洋風のテーブルと椅子が並べられ、酒と料理が持ち込まれていた。
「まあどうぞ一献。これもなにかのご縁」
「はあ……きょ、恐縮です」
早苗さんは緊張した顔つきでレミリア嬢から杯に酒を受ける。
「恐縮する必要なんてないわ。あなたのおかげで、チビの最後の言葉が聞けたわけだし。みんなあなたに感謝していると思うわよ、口には出さないけど」
レミリア嬢はそう言うと、私にも陶製の瓶を向ける。
「先生もどうぞ」
「ありがとうございます……しかし、あなたに先生と呼ばれるのは何かこう、軽い緊張を感じます」
「いや、霊夢が使ってたから試しに使ってみてるんだけど。なかなか適度な距離感があっていいわねこれも。妖怪って、固有の名前を呼んだり呼ばれたりって、なかなかこれで抵抗があるものなのよ」
「意外と繊細なのね、吸血鬼って」
幽香さんは笑みをたたえながら、平然と言う。するとレミリア嬢も笑顔で返す。
「花の女王様ほど、豪胆ではないのよ」
人間二人に、妖怪二人。その妖怪がそれぞれ強力そうなので、人間側としてはかなり緊張を強いられる。それというのも、ついさきほどまで同席していた八雲紫と妹紅が空中でスペルカード戦を始めてしまったからだ。
閃光が明滅し、何かが破裂するような音が連続して聞こえる。
レミリア嬢は空を見上げる。
「意外とふたりともがんばってるわね。けっこう本気でやっているみたい」
境界の妖怪と不死人の戦いというのはカードとしてはなかなかのものであるらしく、ギャラリーも増えているようだ。
「景気付けの花火の一種だとでも思えばいいのよ」
幽香さんは自分で陶製の瓶を取り上げ、杯に注ぐ。
「あの不死人だって、これぐらいやらなきゃ腹の虫が収まらないんじゃない? じぶんだけつんぼ桟敷だったという感じでしょうからね」
レミリア嬢が髪を軽くかきあげる。深みのある銀色の髪に、開け放たれた母屋の茶の間からのランプの黄色い光が映えている。
「正直に言うと、拍子抜けという感じがしなくもないわ。チビが去ったことにそれほど強い衝撃を受けていないわたし自身に、ね。いまのこの気分は……王が崩御したその日のうちに王太子が即位したような、そんな感じかしらね」
「なるほど……」
大仰な例えかもしれないが、しかし言いたいことは分かるような気がする。
「でも、オリジナルである九藤さんは無事なわけですし……わたしは正直、ほっとしています」
「それが普通の人間の反応よね」
早苗さんの言葉にレミリア嬢はうなずき、そして私の顔を見る。
「でも先生は無事に冥界からの帰還を果たして、あなたの分身との関係も清算されたというのに、浮かない顔をしているのね」
「そうですか?」
「『しのぶれど色に出にけり』という言葉があるけれど、あなたとチビの最大の違いはやっぱりその表情よね……でも、去り際に言っていたじゃないの、すべての始まりは彼、つまりあなたからなんだと。チビという存在が生まれたのも、あなたという人があってのことよ」
「しかし……そのチビ霊夢も実は私自身だったと思うと、ひどく複雑な気分です」
九藤雅樹としての記憶を取り戻した状態での『彼』の記憶はいまの私の中にも残っている。だから……記憶の重なりという意味では、『彼』の人格の一部が自分の中に残っているような気がする。
「せっかく戻ってきたのに、わりとあっさり別れてしまったという気もするし。まるで、自分の出番はここまでだというように。でも、それは逆に私自身の……九藤雅樹としての意志だったじゃないのかとも思うと」
「まあ、あとは自分で直に確かめてみることよ」
とレミリア嬢は私の肩をぽんと叩く。
「あなたのもう一つの人格が、霊夢にとってはどの程度の存在だったかということを」
「……お嬢様。料理の追加をもって参りました」
例のメイドさんがいきなり目の前に現れる。
「ああ、お疲れ様。こっちにも適当によこして、あとはそこらへんの連中に振舞ってあげてちょうだい」
「かしこまりました」」
入れ替わりに、ふたりの女性……というよりはやはり少女に近い人物がやってきた。
「こんばんは、九藤さん」
肩ぐらいまでの金髪の少女の方は、穏やかな笑みえをうかべて挨拶する。
「こうしてお目にかかるのは初めてですね。アリス・マーガトロイドです」
「ああ、あなたが……私の人形を面倒を見てくださったかたですか。魔理沙から聞いています」
「こちらは、パチュリー・ノーレッジ。彼女にも、いろいろと協力してもらいました」
「はじめまして」
まるで寝間着のように見える服を着けた紫色の髪の小柄な少女は、ぽそっとした声で挨拶をする。
「わたしたちは、なるべくあなたと関わらないようにしていたが……あなたは結局自力で能力を得て、至るべきところへと至った。敬服し、そして感謝する」
「ははあ……」
「つまりですね」
アリスさんが解説するように言う。
「わたしたちはチビさんの活動に魔法使いとして関与していたので、あなたに直接関わると、術者としての能力開発を手助けすることになってしまって……おそらく、それは『行き過ぎ』になってしまうと彼女は言っていたんです。ただ、あなたがそうした能力を努力の末に得たことで今回のような幸福な結末が得られたと。そういう感じでしょう?」
「そう。そういう感じ」
パチュリーさんはこくりとうなずく。
「あなたのおかげで救われた者はたくさんいる。ここで、あえて名前は出さないけれど」
ふと見ると、レミリア嬢はすこし眼を伏せて、沈黙している。
「……そうなんですか? まあ、あまりくわしく訊ねないほうがいいんでしょうね」
なんとなく、そういう気がした。
「ちなみにですね、魔法使いのおふたかた」
幽香さんが笑顔で言う。
「この殿方に、人形操作術のちょっとしたコツを伝授したのは他ならぬこのわたくし、風見幽香でしてよ」
「…………」「…………」
アリスさんとパチュリーさんは、なんとも言いようのない顔で私と幽香さんを見る。
早苗さんはあっけにとられたような顔で私を見ている。
「そのおかげで、わたしはこの人と戦う権利を持っているのよ」
「待って下さい」
私はあわてて幽香さんに言う。
「あの依代のサファイアはもうありませんし……私には人形を操作してどうこうという力はないです」
「甘いわね。依代ひとつのあるなしでで能力が出たり引っ込んだりしないわよ」
幽香さんはにっこりと微笑む。
「わたしはあなたと戦いたくて、あなたの能力開発を手伝ったんだから、落とし前はつけてもらうわ」
「でもねえ、お花の女王様」
レミリア嬢が、軽い調子で口を挟む。
「あのチビの能力は、考えてみるとこの九藤先生の能力が下地になっていたわけでしょう。とすれば、その落とし前はすでについているんじゃない? あなた、去年わが紅魔館で戦っていたじゃない、チビと」
「あれは……あのときはあのときの約束があったから」
「違うわよ」
レミリア嬢はにやりとして、口元から牙をのぞかせる。
「あれは、あなたが魔理沙と無縁塚で暴れまくったあとに、チビが自分で言い出したのよ。一回は戦わないとおさまりがつかないだろうって思ったんじゃないの? だから、約束は果たされたも同然よ」
「むぅ……だけど」
「気持ちは分かるわよ。チビもやけにあっさりしてたからねえ。名残を惜しむでもなく……でも、言ってた通り、消えたわけじゃないんだから。変化しただけよ。ヒトは妖怪よりも、常に変化し続けている。チビの登場も、退場も、この九藤先生の帰還も……。その変化の一環よ。わたしたちはそのあたりを楽しませてもらえばいいんじゃない?」
「それなら、わたしはこの人の成長に期待するわ。もちろん、霊夢のさらなる成長にも」
「わたしはむしろ二世に期待かな……強烈な浄化の力と自在な霊撃。さぞや強い……」
「レミィ、後ろ」
「え?」
パチュリーさんの声にレミリア嬢は振り向いて、「あ」と短く音を発する。
「あんたたち、ずいぶん勝手なことを言ってるじゃないの……人のことを馬鹿にするのも程があるわよ」
そこには魔理沙と八意先生、そして霊夢がいた。
心なしか、頬を赤くしている。怒っている……?
「まあまあまあ。それよりもみなさん、重要なお知らせです」
八意先生は私に向かって言う。
「血液検査の結果が出ました。血中には通常の成分がすべて出ています。九藤さん、もうあなたは不死人ではありません。普通の人間です」
「ああ……そうですか」
私は思わず薄い反応をしてしまった。今の今まで、採血をされたことも、その結果を得るために彼女たちが永遠亭に行っていたことも忘れていたからだ。
「そうですかじゃないわよ!」
霊夢は両手で私の襟首をつかまえ、引っ張り上げた。ほとんど必然的に私は立ち上がることになった。
「ぐっ……!」
「あなたは! そのために! 何ヶ月も! 冥界に行ってる羽目になっていたんでしょうが! わたしはその間……その間……」
腕を突き上げるようにされ、私は首をのけぞらせた。
吊し上げ、というのはまさにこういう状態を指しているのではないか。首を締め付ける痛みから逃れるために、私はほとんど爪先立ちになっていた。
「霊夢、霊夢、おいっ! それじゃ息ができない! 九藤さんが死んじゃうぞ!」
魔理沙の必死な声が聞こえていたそのとき、急にすとんと首周りから力が抜けた。
私はようやくかかとを降ろし、目の前の少女を見る。
私のシャツを両手でつかんだまま、霊夢は声を殺して、泣いていた。
私はおそるおそる片手を彼女の頭の上においた。
「……悪かった。私が悪かったよ」
「そうよ……」
すると、レミリア嬢が私にハンカチを手渡しながらささやいた。
『さっきの答えは、もう出てるんじゃないの?』
そして、彼女は席を立って私たちから離れていった。他の面々も、私にうなずきかけて席を立つ。
私は、とりあえず霊夢を椅子に座らせ、ハンカチを渡した。
彼女は涙を拭き終えると、息を深く吐いた。
「……ごめんなさい」
「いや、私こそ」
何を言えばいいのか、よく分からなかった。
が、何を言ってもいいか、とも思った。
「また、きみに会えて良かった」
「本当に……そう思うの?」
「ああ。これからはもっときみに会える機会を増やしたいよ。そのための参道だからね」
「……神様に会いに行くためだって、言ってたじゃないですか」
「私が会いに行くと、神様はいつもいたよ」
私は自分が笑顔になっているのを、感じた。
「黒い髪の女の子と一緒にね」
その46につづく




