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その44



     四十四



 すでに昼と夜の境界は過ぎ、闇が静かに神社とその周りを包み始めていた。


 その闇の中で、いまだに輝いているものがあった。


 親指の先ほどの大きさの宝石。青いその輝きは鬼火のように静かではあるが、その内に秘められた力を見るものに感じさせた。


 その宝石を嵌めこまれた木彫りの人形は墨を塗ったように黒くなり、空中に静止していた。


 両側には霊夢と、そしていつの間にか境界を通り抜けた九藤の姿があった。ふたりで焚き火を囲んでいるかのような姿だった。


 そして彼らを囲んでいるのは……無縁塚から引き上げてきた面々、さらに騒ぎを知ってやってきた者たち。まるでこれから大宴会でも始まるのかというような数だった。


「要するにどういう状態なんだ……?」


 魔理沙の問いに、紫は厳しい表情で答える。


「怨霊のたぐいの浄化はすべて終わったはずよ。それなのに憑依が解けていないのには何か理由がある……そこにとどまろうとしている双方の意志が働いているとしか思えない」


「紫……お前、この中の様子を探るとかできないのか、境界を操る力で? この依代の内と外を繋ぐとか……そういうことができるはずじゃないのか」


「その場合問題になるのは、どこが内側でどこが外側なのか、ということなのよ。宝石の物理的な境界を操作しても意味は無い……あなたが求めていることのイメージは、たとえばここにいる誰かの魂とこの依代の中をつなぐということかもしれないけれど、それはきわめて危険なことよ。下手をして混じりあってしまったら、取り返しがつかない」


「だが、ふたりとも目覚めてくれない。呼びかけたり、刺激したり、いままでいろいろやってきたが反応はない。このままじゃ、それこそふたりとも魂の抜けた人形みたいになっちまうんじゃないか?」


 魔理沙は周りの者たちに呼びかける。


「なあ……何か方法がないか? 誰でもいい、何でもいい。思いついたことがあれば、言ってくれ!」


 すると、霊夢の側に立っていた萃香が言う。


「いちばん手っ取り早いのは、依代を壊すことだよ。依代が無くなれば、そこに憑いていた魂は元の身体に戻らざるを得ないだろ?」


 すると紫が、あっさりとした口調で言う。


「それじゃ、試してみて。鬼のあなたの力でなら、壊せないものではないでしょう……理屈ではね」


「おう」


 萃香が前に進み出て腕を伸ばし、人形に触れようとしたその瞬間、宝石が白い光が放った。


「ぐっ!」


 萃香は悲鳴をこらえたような呻きを洩らす。


 周りの者たちはほとんど反射的に、その光から後退った。


 萃香はそれでも歯を食いしばり、必死の表情で人形をつかむ。黒ずんだ人形はぼろぼろと灰のように崩れて落ちてゆくが、宝石の輝きはそのまま衰えない。


「ぐ……うぅ……」


 横から霊夢と九藤の間に割り込むような位置で、萃香は輝く宝石自体を左右の掌ではさみつけようとする。だが、まるで見えない力に跳ね返されているかのように、掌は白い輝点に近づくことができない。


 そのうちに、萃香の手から煙のようなものが立ち上ってきた。


 周りの者たちからどよめきが洩れる。


 紫がつぶやくように言う。


「あまり無理をしないほうがいいわ。その石から放たれる力は、妖怪にとっては毒以上のものよ。それは妖怪の精神そのものに作用する……あの瘴気の塊を一瞬にして祓い清めるほどの力だもの」


「がああっ!」


 ついに萃香は、二人の間から転がるように離れた。腕が焼けただれているかのように変形し、煙を上げている。


「いくら鬼と言えども『力』そのものを相手に伝えられないんじゃ、どうしようもないわけね……」


 側で見ていた幽香はため息をつく。


「これじゃ、わたしの出番はなさそうね」


「直接力を加えるのではなく、間接的な方法をとったらどうなんだ?」


 妹紅が前に出てきて言った。服が借り物の上に、髪が解かれたままになっていて、別人のような外見だった。


「たとえば、高温の炎を浴びせてみるとか……わたしは石を融かす炎も出すことができるぞ」


「大丈夫? 無縁塚から移動して来たばかりでしょう?」


 紫の言葉に、妹紅は苦笑を浮かべる。


「ここまできて、気遣いは無用だ。あんたにはたっぷり言いたいことはあるが、いまはそれどころじゃないからな」


「……試してみる価値はあるとは思うわ。やってみて」


 妹紅は精神を集中し、口の中で何事かを唱えつつ、青い光に戻った宝石に向かって、左右の腕を伸ばして、それぞれの手の人差し指を突き出した。その指の延長線が交差するあたりに青白い小さな炎が生まれ、それが宝石と重なる。


 たちまち宝石がさきほどと同じような白い閃光を放ち始める。宝石がはめ込まれた金色の輪はやがて赤熱し、融け落ちていった。だが、宝石は一向にその形を変えようとしはしない。


 妹紅の額に汗が滲む。だが、空中の宝石はそのままだった。


 その背後、少し離れた位置に立つふたりの人影がひそひそと囁き合っている。


「あの輪は銅製だし、光の色の感じだと三千度近く出ている」


「ふうん……で、それでも融けないというのは、理屈としてはどうなの?」


「科学の範囲ではありえない。サファイアは酸化アルミニウムだから、融点は二千度ぐらい。融けないのはおかしい」


「なるほどね。力づくでは壊せないということか」


「でも、他に手がないわけじゃない」


「どんな?」


 そこで、ざわめきが起きる。


 妹紅が、力尽きて膝をついてしまったのだ。全身から汗が出て、息が荒くなっている。


「これは無理だ……まるで炎の熱が届いていない。強力な結界が張られているかのようだ」


「駄目か……」


 魔理沙の顔に焦りが浮かぶ。


「どうすりゃいいんだ」


 と、別のざわめきが起き、何人かの人物が魔理沙の前に出てきた。


 八坂神奈子だった。諏訪子と早苗も同伴している。


「今着いた所でね……だいたい話は聞いた。それが……問題の依代か」


 神奈子は青い輝点をみて言う。


「わたしの感じでは、そこには人ならぬ者の魂がいる。博麗の巫女とそちらの男、彼らとは別の、もうひとつの魂だ……その魂の存在故に憑依が解けないのだろう」


「!……チビか?」


「おそらくはな。そこで提案だが」


 神奈子は傍らの早苗の肩に手をおいて言う。早苗はすこし緊張しているようだった。


「この早苗も、神を降ろす者としての資質は持っている。その依代に宿る者の声を伝えることぐらいはできるかもしれない」


「そうか……それなら、中の様子が分かるわけだな?」


 勢い込む魔理沙を、神奈子は手で制する。


「……ただ、正直、どの程度のことができるわからない。だから、皆で早苗の力を信じてやって欲しい。いわば信仰だ。早苗自身、神でもあるから、その威徳はそれを信じる者によって高まる。人間でも妖怪でもいい。この場限りでいい。この子が依代と一体となって、中の者の心を伝えてくれると信じて欲しい」


「分かった! わたしは信じるぜ」


 早苗に向かって魔理沙は祈願するように手を合わせる。


「お前の力は必ずこの中にいるチビの声を聞かせてくれる!」


「わたしも」


 隣に立っていたアリスもその姿に習う。


 レミリアも手を組む。


「……願いをかなえてくれるというのなら、信じましょう」


 妖怪たちの反応はまちまちだったが、チビを知っている者たちのほとんどはこの即席の祈りの行為に参加した。その中には、騒ぎの内容もよく分からないうちに来てしまった氷精チルノや、九藤が姿を消して以来、神社の近くで霊夢を見守っていたイヅナの姿もあった。


 彼らの祈りを映し出したように、早苗の全身が次第に薄い金色の光に包まれ始めた。早苗は霊夢と九藤の間で静止している宝石に近づき、それを両手で包み込むようにした。


 早苗は眼を閉じ、両手をゆっくりと胸に引き寄せていった。


 守矢の二神と紫は、その様子を凝視し続ける。


 宝石はさほど反応することもなく、早苗の手と胸の中に収まっていった。


 そして……。


「どうして!」


 その場が一瞬凍りつく。


 その声は、早苗の声ではなかった。


「どうして、あなたが消えなきゃならないのよ!」


 霊夢の口が動いていた。


 すると、眼を閉じたまま早苗がそれに答えた。


「……私は消えてしまうわけじゃない。私はもともと九藤雅樹の一部なんだからね。ただ、チビ霊夢としての自分を意識することはなくなるというだけだ。そして、きみの中にも私は残る。いわば私は、きみと彼の間にまたがって存在している。それはこれからも同じなんだ」


「でも、先生とあなたの記憶はつながっているんでしょう? 一度過去に戻ったとはいっても、それは先生にとってはひとつづきの記憶のはずじゃない?」


「それは身体を持たない私の魂としての記憶だ。身体をもつ九藤雅樹としての記憶に重ね合わせることはできないんだよ」


「そんな……」


「私は九藤雅樹の一部としてではなく、チビ霊夢として存在をまっとうした。自分が何者かも分かったし、自分の役割も終えた。だから、ここでお別れして、九藤雅樹とは異なる存在として、きみの心に残りたいんだ」


「……あなたの役割ってなんだったの?」


「そうだな。きみが博麗の巫女であることとは何も関係はない、たまたま出会ったわたしみたいな者が、きみの近くにいることもできると……それをきみ自身に感じてもらえたんじゃないかと思っているよ」


「そうよ……でも、たまたまじゃない。あなたが来たのは、先生が……九藤さんが人形をもって来てくれたからなんだから」


「そうだ」


 早苗は微笑む。


「それに気づいてくれて良かった。すべての始まりは彼からなんだ。まあ、彼も私に対してはいろいろと思うことはあったかもしれないが……もっと自信を持って欲しい。そう伝えてくれ」


「うん……」


「それじゃ、私を解き放ってくれる天使を呼ぼう……フランドール・スカーレット!」


 レミリアがぎょっとしたような顔で早苗を見つめる。


「私は博麗神社にいる。ここに来てくれ!」


 周りがざわめきだす。


 と、霊夢が言う。


「……そう。あの子に送ってもらうのね」


「ああ。この前は可哀想なことをしたからね。今度は、私からきちんとお願いして、送ってもらう」


 それからほとんど間もなく、唸るような響きが聞こえてきたかと思うと、木々の葉を舞い散らせながら、七色の羽根を背に光らせた少女が舞い降りてきた。


 その姿を見るのは初めての者も多かった。なにしろ、紅魔館の悪魔の妹といえば、滅多に外に出てきたことがないのだ。


 まるで死者を迎えに来た天使のように空中に浮かんだまま、フランは早苗の手の内で光を放ち始めたモノに視線を向けて言う。


「わたしの名を呼んだのは、『あなた』ですね」


 早苗は空中のフランには視線を向けずに、答える。


「フラン……この依代の宝石をきみの力で破壊してくれ。そして私を還る場所へと導いてくれ」


「承知しました。あなたの望みを叶えられることを、わたしは誇りに思います」


「霊夢、ありがとう。そして、人形に宿ったささやかな魂を受け容れてくれた幻想郷の皆さん、ありがとう。私は幸せだった」


「チビ……!」


 霊夢の眼が、開く。


 早苗の身体ががくりと膝から崩れ落ち、その手の中から光り輝く宝石が浮き上がった。


 その宝石を見つめ、フランは右手を握り締める。


『いつかどこかで、また……』


 その場にいたすべての者が聞いたその言葉と同時に、小さな花が開くように、青い光が柔らかく散った。


 そして、重なりあうように九藤と霊夢は倒れた。



その45につづく

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