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その40


     四十



 魔法の森のアリスの家の前に特徴のある人影が現れた。


「よう」


「魔理沙……」


 ノックに答えて入口の扉を開けたアリスはすこし驚いたような顔をする。


「時間あるか?」


「ええ、いいわよ。どうぞ」


「ここでいい。用件を伝えに来ただけだ。実は今日、神社でちょっとしたイベントがある」


「……なにか集まりがあるの?」


「いや。ただ、今日はあいつが来てからちょうど一年目なんだ」


「あいつって……」


 アリスはそこでまつげの長い眼を見開く。


「まさか、チビさん?」


「ああ。まあ、わたしもついこないだまで知らなかったんだけどな、正確な日付は。彼岸の中日にあたるんだ、今日は。分かるか、彼岸って」


「春分と秋分の前後に先祖の魂を想い、慰める風習があるのは知っているわ」


「そうだ。あの世を意味する言葉でもある。彼岸の中日にはあの世とこの世がいちばん近づくと言われてるんだ。幻想郷的にいえば、まあ、境界が薄くなるという意味かもしれないな」


「…………」


「ま、神社と直接関係があるわけじゃない。ただ、あいつのことを思い出すにはふさわしい日だと思う」


「霊夢が言いだしたの? そのイベントって」


「……実は、ある人に頼まれたのさ。今日の夕方、霊夢の側についていて欲しい。そこで起きることを見届けて欲しいってな」


「ある人?」


「ちなみに、そいつとは幽明結界で会ったんだ」


 アリスは息を呑む。


「幽明結界って……あの亡霊のいるところの?」


「そうだ。まさにあの世とこの世の境界だな」


 それから魔理沙はふふっと笑う。


「何言ってるのか、分からないだろ? 正直、わたしも分からないんだ。自分が何をすればいいのかも分からない。わたしの中ではっきりしてるのは、行かないと絶対に後悔するってことさ……だから、チビの魂をあの人形につないだお前にも、知らせておくべきだと思ったんだ。来るか来ないかは自分で決めてくれ。あ、パチュリーにも同じ事を伝えてあるからな」


 それじゃ、と言って魔理沙は帽子をかぶり直し、箒に乗って飛び去っていった。


「博麗神社、秋分の日の逢魔が時……か」


 アリスはつぶやく。


「黄泉がえりには、ふさわしい時と場所ね」



     ☆★



 永遠亭の門の柱に背をもたれさせて患者たちの戻りを待っていた妹紅は、永琳が自分のほうに歩み寄ってくるのに気づいた。


「なんだ、珍しいな。あんたが出てくるとは。どうかしたか?」


「今日来た人たちの診察は全部終わったから、あとは薬の受け渡しが残っているだけよ。ちょっとあなたに伝えたいことがあって。とはいっても立ち話になってしまうけれど」


「それはかまわないが。この中に招き入れられる立場じゃないからな」


 すると永琳は、すこし声の調子を落として言った。


「……今日、輝夜が九藤さんの件であなたと話をしたいと言っている」


「なんだと?!」


 妹紅の顔色が変わる。


「落ち着いて。あなたがこの数ヶ月、彼の消息をたずねて幻想郷中を探索して回っていたことはわたしもよく知っている。ただ、この件については、いろいろな事情がからんでいるの。輝夜はその原因の一端が自分にある、と。それをあなたに直接話したいと言っているの。今日の日没前に、無縁塚に来てほしいと言っていた」


「輝夜はいまここにはいないのか?」


「ええ。他にも話をつけるところがあるといって出かけているわ」


 永琳はまっすぐに妹紅を見つめて言う。


「悪いけれど、あと数時間だけ辛抱して。そして、必ず無縁塚に行ってあげて。日没前にね」


「……分かった」


 妹紅は永琳の眼差しからある種の決意のようなものを感じ取って短く返事をする。


「必ず行く」



     **********



 部屋の中に、空間の亀裂が現れた。ちょうど人間の背の高さぐらいの、縦の亀裂だ。


「……迎えが来たようです」


 私は阿求さんに告げ、頭を下げた。


「お世話になりました。あなたには最後まで迷惑ばかりかけました」


 なにしろほぼ二日間のあいだ、この離れに寝泊まりしていたのだ。八雲紫という空間バイパスの使い手があってこその方法だったが、とりあえず私の存在を隠蔽するにはちょうど良かった。


「いいえ……それより、最後なんて言わないで下さい。またお会いできるのですから」


 果たして、九藤雅樹として再会できるのかどうか? そこはなんとも分からないところだ。しかし、いまここでそれを言っても意味は無い。


「そうですね。今度はお酒でもご一緒しましょう」


 もう一度会釈をして、私は靴を片手に亀裂の中に入る。何しろ、この部屋の外は、土の上のはずだ……。


 私が亀裂に足を踏み込んだ次の瞬間、そこは山の中の路上。バスの停留所の前だった。


 そして、そのそばには現代的な恰好の八雲紫……むしろこの姿なら酒井縁といったほうがふさわしいのか。


「……あなたも、幻想郷の住人らしくなってきたものね。子供を飲酒に誘うなんて」


 彼女の姿を見ると、ごくありふれた感じのグレーのセーターにジーンズという恰好だった。派手な金髪を無視しておけば、どこぞの大学生がハイキングに来ましたという風に見えなくもない。


「阿求さんは子供じゃないだろう。まあ、背格好は中学生ぐらいに見えるが……ところで、ここからまたあそこまで登るのか?」


「そろそろ結界が不安定になりはじめているのよ。だからあの近くへの移動は慎重にしたほうがいいの」


「そうか……まあ、当然そうあるべきだな」


 ここまできてトラブルがあっては元も子もない。チャンスは一度だけなのだ。


 私たちは舗装された道路を横切り、神社の登り口へと向かった。


「……霊夢に会っておかなくて、良かったの?」


「まあ、そのあたりもいろいろ考えたんだが……気が変わるのが恐ろしくてね。なにしろ、いままでの自分というものの連続性を保てるかどうかの瀬戸際だからな」


「あなたという『記憶の流れ』にとっては死に等しい状況もあり得ると?」


「可能性はなくはないだろう。『彼』が出現すれば。まあ、結局は『彼』が何者なのかにもよるがね」


「その割には冷静なのね」


「どうかな。本当は逃げ出したいのかもしれないさ」


 山の林の中へと入ってゆく。ここも道を作ったほうが良さそうだが、こちら側の神社は下手に人に知られるのは問題があるのだろう。


「ただ、幻想郷も変化に対しては抵抗するだろうと思うんだよ。だとしたら、いびつな変化をもとに戻す力ぐらいは働くんじゃないかと思うのさ。人の体の治癒力のようにね……」


 あの虹色の翼の子は、『欠けているから、いびつなまでに強い』と言った。だったら、欠けたものを取り戻すしかない。


「そういえば、あの子、名前はなんていったっけな……」


「……なに? また女の子の話?」


「いや、あの虹色の羽根をつけてた子さ……人形を壊したという。あの子の名前はなんていうんだったかと」


「フランドール・スカーレットよ……名前がどうかしたの?」


「名前を憶えておいてくれと言われたんだ。なんでだったか、忘れたけどな」


「あなたって、女の子と仲良くするのがお上手よね……実際、見くびってたわ」


 話をするうちに、うらぶれた神社の建物が見えてきた。


「日の入りまであと一時間くらい……後戻りするならいまのうちよ?」


「不思議と足は前に進んでいくよ」


 私は思わず苦笑してしまう。


「身体と精神っていうのは……案外同期していないもんだな」


 精神だけならとっくに逃げ出していたかもしれない。



     **********



 西の空が次第に薄く赤みを増していく中、博麗神社の母屋の縁側に、霊夢と魔理沙が並んで座っていた。


「わたし、実は最近になって、去年の今頃自分が何をしていたのかっていうことを思い出してきたの」


 霊夢の言葉に、魔理沙はぎょっとしたように顔を向ける。


「去年の今頃って……」


「そう。チビが来た頃のこと。もっと言えば、あの人が来る直前の日のことね。わたしはあの日の夕方、神社の拝殿の前にいたの。なんでかっていうとね……あの日は」


 と、そこで霊夢が言葉を切り、前庭の木々の向こうに現れた人影に視線を向けた。


「いらっしゃい。珍しいわね、あなたがここに来るなんて。肝試しのお誘い以来?」


 すると、木陰からひとりの少女が姿を現して、ふたりに笑みを向けつつ歩み寄ってきた。


 くすんだグレーのロングワンピースに身を包み、短いつばの着いた帽子の下からは重さを感じさせるような黒髪が長く伸びている。


「輝夜か……?」


 魔理沙は眼を二、三度しばたたかせる。


「霊夢、あなたにお知らせしたいことがあって来ました」


 輝夜はさらに歩み寄ってきて、縁側に並ぶふたりの目の前まできた。


「今日の日没直前に、九藤さんがここに来ると言っています」


「!」


 魔理沙が縁側から転げ落ちそうになる。


「お……おい、輝夜、いまなんて言った?」


 すると、魔理沙の隣に座ってお茶をすすっていた霊夢が代わりに答える。


「九藤さんがここに来るんだって」


「霊夢! お前、知ってたのか、それを?」


「知ってるわけないでしょう」


 霊夢はあっさりとした口調で言う。


「でも、もし帰ってくるならそれも不思議じゃないわ。今日は彼岸の中日。此岸と彼岸がもっとも近づく日。死者たちの魂がこの世に帰って来る日ですもの」


「それじゃまるで、もう九藤さんが死んでるみたいじゃないか!」


「冗談よ。あの人は死んでいない……死んでいるはずがないわ。そうよね、輝夜」


「その通りです。ただ、いまは彼は此岸と彼岸の間にいるとも言えますね」


「そう……あなたも知ってたのね。そんな気はしたわ」


「おいおいおい! ふたりともわたしにも分かるように話をしろよ!」


「そういえば、さきほど面白そうな話をしかけていましたね。『彼』が来る直前の日に、拝殿の前にいたと」


「ええ。実はあの日も、彼岸の中日だったのよ」


 霊夢はそう言うと、輝夜にどうぞ、というように空いている側の隣を軽く手のひらで叩いた。


 失礼、という風に会釈をして輝夜は霊夢の隣に腰を下ろす。霊夢をはさんでその両側に魔理沙と輝夜が並んで座る形になる。


 霊夢は話を続ける。


「幻想郷の結界は春分と秋分にはその力がふだんよりも幾分弱まる傾向があるの。そして、それは昼と夜の境目にあたる日の出と日の入りにさらに著しくなる。だから、そのときだけは用心のために少し『結び目』を押さえておく必要がある。そのために、わたしは拝殿の前に立って、日の入りの時間を待っていた……そして、そのあとに『何か』が起きた。ただ、気がついた時にはもう日が沈んでいた。だから、たぶんほんのわずかな間のことだけ、頭のなかから抜け落ちてる」


「…………」「…………」


「わたしはそのあとここに……母屋に戻って、ほとんどぼんやりしたまま食事を取って、早々に床に就いた。そして翌朝、眼が覚めたら頭のなかに心がふたつあった。わたしの心と、正体不明の心と。つまり、『憑かれた』のは前の日で……気がついたのが翌朝だった、というのが正しいようね」


「なるほど……つまり今日こそが、『彼』が来てちょうど一年目にあたる日というわけですね」


 すると魔理沙が気持ちをおさえかねたように言う。


「それで輝夜、九藤さんはいまどこにいるんだ?」


「いまは待機中です。でも、安全な場所にいますからそのあたりはご安心を」


「……いったい、これから何をしようっていうんだ?」


「わたしは無縁塚に行きます。そこに妹紅がいるので」


「!」


 魔理沙は、はっとしたような表情になる。


「まさか、前にあそこでやったあれをもう一度、やろうっていうのか? 妹紅と」


「そう……あのときはわたしと妹紅との戦いでは何も起きなかった。そして、あなたと幽香の戦いで『それ』は起きた。そのことをふまえて、もう一度やってみるのです」


「じゃあ、九藤さんがここに来るっていうのは……」


「そうです。『向こう側』から彼は入ってきます」


 輝夜はうなずいた。


「去年と同じように、彼の作った人形を携えて」


 魔理沙は、静かな表情のままの霊夢の横顔を見つめる。


「霊夢、いいのか? これって要するに……同じことがもう一度起きるかもしれないってことなんだぞ?」


「……分かってる。でも、何が起きてもかまわないわ。わたしだって、あの人ほどじゃなくても多少は『変化』を経験してきたんだもの」


 霊夢は、落ち着いた口調で言う。


「それでは、わたしは無縁塚に向かいます」


 輝夜はゆったりと立ち上がり、ふたりに会釈をすると、空中に浮き上がり、黒髪を後ろになびかせながら西に向かって飛び去った。


「それじゃそろそろわたしも行くわ。帰って来るなら迎えに行かなきゃね」


「霊夢……」


「だいじょうぶよ、魔理沙」


 霊夢は縁側から降り立って大きく伸びをしてから、笑顔で振り返る。


「世界がどう変わっても、わたしはわたしだから」



     **********



 あいかわらずこちら側の神社は寂れている印象だった。拝殿はいくぶん傾きかけていて、すこし衝撃が加われば屋根瓦が落ちてきそうな風情だった。周辺も煤けていて、人が来ていた形跡がかけらも感じられない。


 それでも、周りの風景は秋らしい華やぎを見せてはいた。が、日が傾くにつれて、その華やぎはある種の哀愁の色を帯びて次第に長く伸びる影の群の中へと吸い込まれてゆく。


「しかし、考えてみると、あっという間に時間が経っていたという感じだ」


 私は朱色から青の間でグラデーションの色合いを変化させながら明るさを失ってゆく空を見上げた。


「正月にここにきみと一緒に来たときからもう九ヶ月以上だからね」


「そうね……まあそのうち半分近くは冥界にいてもらったわけだけど」


 八雲紫は苦笑を浮かべ、私を見た。


「後悔していない? わたしと関わったこと」


「分からない、というのが正直なところだね。自分が本当は何を望んでいるのか、きみは分かるかい?」


「……わたし自身は分かっていると考えているわ。たぶんそういう『自分のわからなさ加減』というのはヒトならではのものじゃないかしら。あるいは、ヒトであることの良さ、と言ってもいいでしょう」


「肉体という枷があるからこその『わからなさ』かもしれないな。まあ、とりあえず自分が賭けたサイコロの目ぐらいはきちんと憶えておくよ。賭けた理由は分からなくてもね」


「そろそろ無縁塚で始まる頃ね……」


 彼女は薄暗くなり始めた空を見上げる。


「時が至れば、あの鳥居の下が『開く』はずよ。そして、向こう側には霊夢がいる……」


「分かった」


 私はうなずき、手にした木彫りの人形を見た。これが果たしてどう働くか。


「その人形自体は別物だけれど、その本質は変わらない……条件としては同じはずよ」


「そうだな。境界条件は同じというわけだ。果たして同じ解が出るかどうかは分からないが……自分なりの答えを出してみるよ。それじゃ、またあとで」


「ええ」


 私は鳥居の下に歩み寄って、その時が来るのを待った。



その41につづく

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