その39
三十九
荷物をまとめた私は、白玉楼の主従に別れを告げて、酒井こと八雲紫とともに冥界からの出口へと向かった。本来の正面玄関たる幽明結界ではなく、幻想郷の無縁塚へと通じる道だという。
「きみが作ったのか?」
「いつのまにかできていたのよ。それをたまたまわたしが見つけただけ」
どこまで本当なのかは分からないが、とにかくこの死者の世界から抜け出せるならばそれでよしとしよう。
相変わらず周囲は生気が感じられない情景が続いていたが、やがていつのまにか周りに木々が増えてきて薄暗くなってきた。
「なんだか、かえってこの世界の奥に向かっていってる感じだな」
「いかにも出口ですっていうようなところじゃ、風情がないでしょ?」
そういう問題だろうか。
と、向かっている方向に光のあたっている草地が見えてきた。まるでトンネルの出口のようだった。
「…………」
まあ、ここは何も言わずに進んでいこう。とにかく出られればいい。
出口はさらに左右に拡がり、ついに空が見え、彼岸花が咲き乱れる草原となった。
一条の風が頬を撫でた。それは間違いなく、秋の匂いがする風だった。生きている者たちの世界……。
「出たんだな?」
「ええ。ここは例の無縁塚よ」
「そうか……ここが」
境界の交差する、幻想郷随一の危険区域。だが、見た感じではただの穏やかな草原に見える。彼岸花の赤い色はやや眼にきつい感じもするが。
「実際に塚があるのはもうすこし西のほうだけれどね。ここらへん一帯はそう呼ばれているわ。東に行くと再思の道というのがあって、そこを進めば魔法の森に入ることになるわね」
「例の『穴』が開いたという事件もこのあたりかい?」
「それはもうすこし北の方。でもまあ、正確な位置はたいして重要ではないわ。境界というのはそんなにはっきりと線引きできるようなものじゃないしね。むしろ重要なのは……境界を引き寄せる取っ掛かりになるものよ。『支点』と言ってもいい」
「境界の支点……」
「あなたの人形の核になっている宝石もその一種ね。広い意味で言えば、あなた自身、境界を操っている、と言えなくもないわ。自分の魂の境界を、憑依というかたちで人形に引き寄せているんだから」
「なるほどな」
しかし、こればかりは自分でもよく分かっているわけではない……制御は前に較べればできるようになったのかもしれないが。
「ところで……永遠亭、すぐ行くの?」
「時間が切迫しているというわけでもないが」
昨日が彼岸の入りだから、中日は明後日だ。
「どこか寄る所があるのかい」
「ちょっと歩きながら話をしたいの。幻想郷の中を歩いて移動するってことはわたしはあんまりしないんだけどね……ここは誰も来ない場所だし。すこしだけ、時間をもらえない?」
白玉楼では話せなかったことがあるということか。
「いいよ」
なるべく草が低いところを選びながら、私たちは森の方へ向かって歩きはじめた。
「あなたには、現状維持という選択肢もあるのよ?」
「……私に人間とは違う時間を生きてみたらどうか、ということか?」
「そうよ」
やはり、この話題は避けられないか。
「けっこう考えたよ。時間はたくさんあったからね。これは皮肉ではないよ。ただ、私は身体の状態を自分で確かめたわけじゃない……確かめたら、自分の心が変わるかもしれない。で、確かめないことに決めた」
「……そうしないと、『なかったこと』にできないから?」
「もちろん、それもある。でも、もっと大きな理由は純粋な恐怖さ。もし、自分の身体に不死者としての能力があるって分かったら……理性が保てるかどうか分からないと思った」
「…………」
「妹紅は不死という宿命を受け入れているように見える。でも、当初はどうだったか。筆舌に尽くしがたい苦しみが彼女を襲ったと思うよ。でも私が想像できるのはあくまでも抽象的なことだ。当事者にしか絶対に分からないたぐいの苦しみだろう」
「じゃあ、あなたは本来のヒトとしての……死すべき者としての運命を受け入れているの?」
「正直、それも分からない。ただ、『他者を無に帰すための不死』なんて迷惑きわまりないだろう?」
「え……なに、それ。自分でそう思ったの?」
「七色の羽根をもつ女の子にそう言われたんだよ。あのお人形は『他者を生かすための死』だったが、いまのあなたは『他者を無に帰すための不死』だと」
「……!」
「もちろん、生き物は他の生き物を殺しながら生きる。人間だって例外じゃない。それどころか人間同士で殺し合う。殺さなくても、それに近いダメージを与えて、他者を踏みつけながら生きなきゃならないこともある。だが、不死っていうのは始末におえない。それも、いちばん面倒なのは『不死になりたての人間』さ。きみが私を文字通り幻想郷から『隔離』したのは、当然だよ」
金色の前髪のすき間の向こうで、彼女の眼が辛そうに下をむく。
「紅魔の妹さんと接触してたとはね……気づいたのは、そのせいね?」
「聞いたその場ではもっと抽象的な意味かと思ったんだが、考えているうちにそのままの事実なんだと思い当たった。幻想郷縁起には、彼女はあらゆるものを破壊する焦点を制御する能力があると書いてあったからね。相手が不死者かどうかも当然分かるわけだ」
「…………」
「ま、そんなわけで、私がこの幻想郷に存在するためには、現状維持じゃ駄目なんだ」
すると、また拗ねた顔のようになった。
「本当は、もっと強い理由があるんじゃない? 肝腎なことは言わないのね」
「前も言ったかもしれないが……たいてい言葉じゃ肝腎なことは伝えられないんだよ。ごくたまに、呪文のように力を持つこともあるけどね」
「分かってるけど、ね」
そう言うと、彼女はおもむろに腕を上げ、空中の空隙の中に手を突っ込んだ。肘から先が見えなくなる。
「……何をしてるんだ?」
「ちょっとしゃべり過ぎたから、喉が渇いたの」
そして、いったいどこと『接続』していたのか想像もつかないが、銀色の缶を二つ取り出して、片方を私に向かって投げてよこした。
受け取って見ると、銘柄に憶えがあった。プラムリキュールのジンジャーエール割り。
「これは……昔、きみがよく飲んでたやつだな。美味しいのに、誰も賛成してくれないって嘆いてた」
「あら、憶えてた?」
私はプルトップを引いて開けてから、その独特の香りでふと気づく。
「たしかその話がきっかけで、初めてきみに名前を聞かれたんじゃなかったかな」
「……そうだっけ」
「そうだよ」
「その記憶力をもっと別の方面に活用すべきだったわね……」
「かもしれないな」
私たちは軽く缶を差し上げ、懐かしい味をしばし共有した。
「さあて……この先からは、また八雲さんだから。そこのところはよろしくね」」
そう言うと、彼女は空間に亀裂をつくって開いた。
「どうぞ。永遠亭の正面玄関につないだわ」
☆★
永遠亭の奥座敷で座卓をはさんで対座した八意先生と輝夜さんは、ふたりとも私たちの出現に関してはわりと冷静だった。覚悟をしていた、ということかもしれない。
「ここだけの話、私は実はついさっきまで冥界にいました。理由はだいたいお察しかと思いますが」
「……なるほど、隔離していただいてたんですね」
八意先生は、八雲紫に視線を向ける。
「前に、稗田阿求さんが見えられて、去年起きたことについて話を聞かせて欲しいと言われてたんですが、そのあたりとも関係が?」
「阿求さんが調査されていたことは、私の方に資料として届いています。そこは後ほど説明します」
私は八意先生の先をうながす視線にうなずいて言葉を継ぐ。
「この件については、あの人形に入っていた魂がどこから訪れた何者かということを明らかにすることが、すべての鍵だと思っています。そのためには、去年の秋……ちょうど一年前に、彼がこの幻想郷に出現したときに何が起きたのかを検証したい。阿求さんからの情報も頭にはありますが、もう一度直に話をうかがってよろしいですか」
「……分かりました。わたしたちが知っている範囲のことはすべてお話します」
「私が知りたいのは、私自身があの外界側の神社を例の人形を携えて行った時、何が起きたのかということです。ちょうど日没時だったと思います。おそらく、あのときに人形は結界を越えて幻想郷に入った。そして、そのとき輝夜さんは妹紅と戦っていた……」
「そう、それもかなり激しい戦いをしていたと思う」
と輝夜姫。
「わたしたちの場合、スペルカードルールなんて関係ないから。ただ、いつもと違っていたのは、竹林から離れて、無縁塚に近い方へ移動していたことかしら。そして、そのときのことは、途中から記憶がない。戦ってる最中のことは忘れてるとかあやふやだとかそういうのは普通なんだけど……いまから思い返すと、あやふやというより、切り落としたように途切れている感じね」
「そして、戦いが終わったあと、八意先生はあの人形を現場で見つけた……」
「ええ」
先生はうなずく。
「見つけた時、ちょっと奇妙に思ったのは、汚れ一つついてなくて、なにかその直前までは別の空間にあったんじゃないかって思えるような感じだったということね。それで……なんとなく不吉な予感がした。だから、これは持っていないほうがいい。でも、放置しておくのも良くない気がする……それで、紅魔館の主人に預かってもらおうと思ったわけ。あそこなら、最悪何が起きても対処できるだろうと」
「要は怪しいものだから押し付けちゃったってことよね」
輝夜さんは苦笑する。
「そのあとで、『彼』の提案で実験をしてみたとも聞いていますが」
「同じことを同じ場所でやってみたらどうなるかっていう話になってね。そのときは結局、わたしと妹紅の戦いでは何も起きなかったんだけど。ところが、その近くで始まった魔理沙となんだっけ……花の妖怪」
「風見幽香さんですね」
「そうそう。その幽香との戦いで、おかしなことが起きたのよ。わたしはそれを見たのは途中からだったけど、空中に穴があいたような感じになって……周りに集まっていた瘴気ごと、あのチビさんが消えてしまったの」
「輝夜さんは、そういった現象にそれ以前に出会ったことは?」
「ないわ。わたしの記憶にないということだけれどもね」
「…………」
「もちろん、あなたが考えていることは分かるわよ。去年、あなたの人形が初めてここに現れたそのときに、あの穴ができたかもしれないわよね……ただ、仮にそうだったとしても、わたしは何も憶えていない」
「紫さんの話だと……その穴は近くにあるものを何もかも引き込んでしまうような作用があったそうですが、もし仮にそういうものに囚われたとして、あなた自身ならどういった対処をすると思いますか?」
「そこよね」
輝夜さんは微笑む。
「たぶん、わたしがそのとき何かしたんだろうとは思っていたの。もちろん、妹紅がという線も考えられるけれどね……ただ、その結果起きたこと、というのを考えると、犯人はわたしじゃないかと思う。けっこう焦ったかもしれないし」
「というと?」
「あの穴は、入ってしまうと簡単に出られそうもない感じがしたから。どういう仕組みでできたにしろ、出口のない穴……つまりは袋小路の入口のような。しかも、とんでもない瘴気の塊が一緒だったし……あんなところに囚われたら、たとえ不老不死でもどうにかなりそうだったもの。出られなかったら地獄より悪いわ」
「あなたの力でその状況を脱するとしたら、どんな方法があり得るでしょうね」
「わたしの能力は、時間を停めておくか、他者には分からない短い一瞬をつなぎあわせて別の時間の流れを作ることぐらいね。でも、別の時間の流れを使ったところで、あの穴から抜け出ることはできないように思うけど」
そこで、これまで沈黙していた八雲紫が輝夜さんに訊ねる。。
「たとえば、瘴気を抜きとるためにその分岐した時間を活用するといったことはできません?」
「うーん……どうかしら。まあできなくはないかもしれないけれど、そのためには、瘴気をかき集めてその『か細い時間の流れ』の中に引き入れなきゃならないし……そうなると、瘴気をその一瞬に誘導するための餌みたいなものが必要になるでしょうね。それを、そのときのわたしが用意できたかどうか……」
「仮に過去に分岐した時間があったとして、それはいまのあなたには認識できない?」
「時間が合流していればその時間に何をしていたかは分かるけれど……だから、分岐があったかどうかもいまのわたしには分からない」
「なるほどね……」
八雲紫はうなずくと、私の顔を見て話を先に進めるようにうながした。
「では、これは八意先生にも合わせて伺いたいのですが、私があなたがたに似た状態……つまり不死らしいということについて」
一瞬の緊張が、先生の眼元に現れる。
「その原因に心当たりは?」
「それが……」
八意先生は眉を寄せ、沈痛な表情で言う。
「いまここに至ってもその原因については、解き明かすことはできていません。たとえ輝夜がなにかしたのだとしても……それが何だったのか見当をつけられない状態です」
私はできるだけ穏やかに聞こえるように言う。
「……今回の件は、さまざまな条件が重なりあって起きたことだと考えています。ですから、輝夜さんだけがこの状況の原因だとは思っていません。いずれにしても、その場で何が起きたかについては、別の手段で検証するしかありません」
そして、すこし緊張しつつ頭を下げた。
「そこで、おふたりにお願いがあります」
その40につづく




