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その32



    三十二



 闇夜の帳に囲まれた紅魔館の門前を、ただならぬ緊迫した空気が包んでいた。


「もちろん、わたしには妹様をお止めするつもりはないのですが」


 門番の紅美鈴は慎重な口調で、空中に浮かぶ少女に言葉をかける。


「せめて、行き先をお伺いしておければと思いまして……」


 美鈴の後方には、パチュリーが静かな表情で立っていた。さらに、その周囲にはメイド妖精たちが集まっていて、固唾を飲んでこのやりとりを見守っている。


「行き先は、場所じゃありません。魂の在り処という意味では、場所かもしれないけど。たぶん今回はヒトです。そのヒトが何者か確かめてくるだけ。確かめた上でどうするかは……」


 フランドール・スカーレットはその瞳を動かして、その焦点をパチュリーの視線に合わせる。


「そのあとで考えます。ただ、何も破壊しないし、殺戮もしない。そこのところは約束します」


 パチュリーは無言のまま、フランの顔を見ている。


「だから心配しないで、美鈴。それから、もしお姉さまが帰ってきたら必ず伝えてください。探しに来ると行き違いになるから、お待ちになっていて下さいって」


「……かしこまりました」


「悪いですね、気を使わせちゃって」


 フランドール・スカーレットはそう言うと、七色の羽根を闇の中に煌めかせながら、一気に上空へと駆けていった。


 美鈴は、パチュリーを振り返る。


「これで、いいんですか?」


「最低限の約束はしてくれたから。レミィにはわたしが説明する」


 パチュリーはフランが消えた空の彼方を見上げた。


「たぶん、あの子にはあの子の、果たすべき役回りがあるから」



     **********



「あら、ちょっとまずいわね」


 空中を移動中、私を抱えているレミリア嬢がつぶやく。


「どうかしましたか?」


 私はなるべく下を見ないようにしつつ言う。


「ちょっとねえ……途中だけど、降りるわね」


「はい」


 せっかくだから空中散歩を楽しんでいただきましょうなどと言われて、迂回気味のコースを来ていたこともあって、できればすぐにでも地上に降りたい気分だったので、私はほっとした。


 ゆっくりと視界に地面が拡がってゆき、川沿いの道へと私たちは降り立った。位置的にはもう里からそれほど離れていないようだ。


 と、そこで空中に小さな影が浮かんでいることに気がついた。その影は私たちより少し遅れるかたちで降下してきて、やがて同じ路上へと着地した。


「良い夜ですね、お姉さま」


「そうね、フラン」


「……妹さんですか」


 月明かりに照らされたその姿は、レミリア嬢と同じぐらいの背格好で、背中に変わった形の翼を拡げていた。それは吸血鬼の翼というよりも、人工的な飾り物のように見えた。「ええ。せっかくだからこの方にご挨拶なさい、フラン」


「はじめまして。わたしはフランドール・スカーレットと申します」


 少女は華奢な腕を拡げ、スカートの両裾を軽く持ち上げてお辞儀をした。


「九藤雅樹といいます」


「まさかお姉さまとご一緒とはね。お姉さまとは前からお知り合いでしたか?」


「そうですね。とはいっても、道端ですこしお話をさせていた程度ですが」


「ところでフラン、いちおう訊いておくけれど……」


 レミリア嬢が話に入ってくる。


「あなた、どうしてここまで? わたしが出かけていると誰かに聞いたの?」


「いいえ。ただ、憶えのある魂の気配を感じ取ったから……それが本当に、わたしの知っているものかどうかを確かめに来たんです」


「そう……」


 レミリア嬢は息を吐く。


「それで、どうだったの?」


「もちろん、『一致』しました」


 妹さんは微笑んだ。その笑みにはすこし苦いものが含まれているように私は感じた。


「この方こそ、あの人形に入っていた魂の原本、つまりオリジナルです」



     **********



「いなかっただと? どういうことだ」


 永遠亭の門前で、妹紅は永琳に詰め寄った。


「わたしが到着した時には、もう現場には誰もいなかったのよ。周辺の様子も確かめたけれど、妖怪も人間もいなかった」


 永琳は気まずそうに言う。


「いちばん近くにいたてゐの部下の報告だと、誰かと一緒にその場を離れたっていうことらしいけれど……どうも要領を得ないのよ。言葉が不完全だしね」


「しかし、勝負が決着したという知らせを受けてから向こうに着くまで、そんなに時間はかからなかっただろう? だとしたら、先生が自力で帰ったとしても、里に戻る途中だったはずだ」


「一緒に戻った誰かというのが問題ね。てゐに調べさせているし、状況はそのうち分かるとは思うけれど……あなたも心配なら里に戻って九藤さんの消息を確かめるのがいいと思うわ。案外、家に戻っているかもしれないわよ」


「……分かった」


 妹紅は不承不承という表情でうなずいた。


「もし先生のことで何か分かったら知らせてくれよ。わたしは慧音のところにいる」


「ええ。使いに手紙でも持たせるわ」


 永琳が自室の近くに戻ってくると、廊下に輝夜が立っていた。


「結局どうだったの?」


「状況はあまりよくない……もしかしたら彼は怪我を負ったかもしれないし、そうしたら、その場で起こったことを相手の妖怪に見られたかも」


「彼自身も、それを知った?」


「……あるいは」


「彼が『そう』だということは間違いないのね?」


「彼の血液には老廃物に相当する成分がほとんどなかった。つまり、細胞が死んでいない。生き物として本来あるべき変化が止まっているということでもあるの」


「…………」


「場合によっては、必要な措置をとろうと思っているわ」


「思いつめてはだめよ、永琳。それに、わたしたちはもう特別な存在ではないのだから」


 輝夜は永琳の肩に手を置く。


「自分ひとりですべて背負うのはもうやめてね」



     **********



「私はこの世界でチビ霊夢と呼ばれていた魂の器になっていた人形を作った者なんだよ。そして周りの人の話では、その魂とは、私はずいぶん似通ったところがあるらしいんだ」


「……それはそうでしょうね」


 フランドール嬢の視線は、私にまっすぐに向けられていた。


「なぜなら、あなたこそが本物だからです。わたしは前に、あのお人形さんの魂をスカスカの偽物だと言ったんですが、あなたの魂は、ヒトの魂としての本来の姿をしています。あなたこそがあの魂のオリジナルです」


 ある意味では勇気づけられる言葉のはずだが、なんだか複雑な気分だ。


「きみには魂の姿というものが視えるのかい?」


「わたしに視えるのは、物事が形を成すための力が集まっている焦点です。わかりやすく言えば『急所』ということですかね。本来、生きているヒトの魂の焦点は見えにくいんです。魂の形は常に変化していますから。でも、あの人形に宿っていた魂はそうではなかったですね。ヒトの魂というよりは、ある特別な想いの欠片。もしくはある部分だけの複製。そういう感じでしたね……ただ」


「ただ?」


「あなたの魂はオリジナルですけれども、欠けている部分があります。欠けているがゆえに、不完全です。ところが、不完全であるがゆえに、いびつなまでに強力です。あのお人形さんは『他者を生かすための死』だったのですが、いまのあなたは『他者を無に帰すための不死』です」


「他者を無に帰すための不死……」


「そうです。強い魂の空白、特異点を抱えているがゆえに、あなたにとって、あなた以外のすべては同じなのです。何もかも同じ、それはエントロピーの極限、死を越えた無の世界です!」


 何者かに憑かれたような口調。だが、私はそこに狂気は感じなかった。むしろ、彼女はありのままに想いを伝えてくれている。そう思った。


「だが、私はいま……あることに執着している。自分がしなければならないことがあると感じている。これは、自分以外のすべては同じ、というきみの言い分と矛盾していないか?」


「あなたはヒトとしての形を取り戻すため、自分の空白を埋めようとしているのです。それが、成し遂げられるかどうかは、あなた次第でしょう……」


 まるで神託を告げる巫女のようだ、と思った。


「……きみは、どうしてここまで来てくれたんだい。何を感じて、私の居場所に辿り着いたんだい?」


「わたしが殺した魂と同じ響きの魂の気配を感じたから、というところでしょうか。吸血鬼の感覚というのは、なかなか便利なんです、こういうときには」


 虹の翼の少女は、かすかに口元に笑みを浮かべた。


「わたしは破壊するしか能がない存在です。ですから、わたしがあなたにしてあげられることは破壊しかありません。だから、もし完膚なきまでに破壊したいものがあったら、わたしの名前を呼んで下さい、『来たれ、フランドール・スカーレット』と。幻想郷の中ぐらいなら、どこでも聞こえますから」


「なぜそんな言質を私に与えるのかな?」


「借りを返す相手がほかにいないんです。だから、迷惑かもしれませんが、あなたにその権利を持っていて欲しいんです」


 そして、少女は視線を私の傍らに立っていたレミリア嬢に移した。


「わたしが言いたかったことはこれで全部です、お姉さま。勝手に屋敷を出てきた罰は、いくらでも受けますが……」


「いい覚悟ね、と言いたいところだけど、別に罰なんか与える理由はないわ。先に戻っていなさい、フラン。わたしはこの人を人里まで送ってあげなきゃならないから」


 フランドール嬢は素直にうなずくと、ふたたび私にお辞儀をしてから空中へと飛び立ち、闇の中へと姿を消した。


 里の入り口の橋の近くまで私を送ってくれたレミリア嬢は、いくぶんからかいを含んだ口調で言う。


「あなたにとっては、ちょっとした冒険だったようだけれど、その代わりあっという間に着いたでしょ」


「そうですね……ありがとうございました」


 私は思わず苦笑いを浮かべてしまった。これまでたいていのことは受け入れることができていたが、自分が高いところを飛ぶというのはかなり現実離れした感じがする。


 不思議なものだ。こうして吸血鬼のお嬢さんと言葉を交わしているほうがよほど幻想的だろうに。


 と、レミリア嬢は真面目な顔つきになる。


「さっきのフランの話は、あなたにとってはわけの分からないものだったかもしれないけれど……まあ、でたらめを言っていたわけでもないと思うから、容赦してね」


「とんでもない。いろいろと参考になりました」


 あの言葉はかなり示唆的なものを含んでいた。現在の私自身の状況についても……。


「九藤さん……この先、何か面倒なことが起きたときは、わたしを頼ってくれてもかまわないから。この川沿いにずっと西の方に行けば湖があって、その西岸にわたしの屋敷があるわ」


「……とるに足らない人間の私に、どうしてそこまでおっしゃってくれるんですか?」


「あなたの知らないもうひとりのあなたは、わたしにとってはけっこう大切な人だったのよ、実は」


「ははあ……」


 人形というのは人外の皆さんにモテるものなのだろうか。


「まあ、あなたにとって見知らぬ他人に似ているから好意を向けられるというのも、あまり嬉しいものではないでしょうね……でも、わたしとしては自ら困難を引き寄せるあなた自身にもそこそこ感じるものはあるわよ。そして、おそらくこれからあなたはとるに足らない存在ではなくなる。否が応でもね」


「予言もなさるんですか?」


「残念ながら、これは予言ではないのよ。まあ、そのうち分かるわ。それじゃ」


 銀髪の吸血鬼の少女は羽根を小さく羽ばたかせながらふわりと浮き上がり、そっと手を上げて私に別れを告げると、背を向けて空中の闇へと溶けていった。



その33につづく

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