だから、忘れることにした
選択は、案外あっさり来る。
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もっと悩むと思っていた。
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もっと時間があると思っていた。
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でも現実は違った。
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「……時間、もうない」
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少女が言う。
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静かに。
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焦りはない。
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ただ事実を伝えるみたいに。
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周りを見る。
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色は、ほとんど抜けていた。
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空も。
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街も。
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人も。
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全部が薄い。
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まるで、世界そのものが消えかけているみたいだった。
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「このままだと」
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少女が続ける。
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「また同じになる」
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分かっている。
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説明されなくても。
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もう十分に。
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理解している。
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繰り返す。
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出会って。
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好きになって。
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そして。
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忘れる。
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中途半端なまま。
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終わる。
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それを。
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何度も。
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何度も。
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繰り返してきた。
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「……じゃあ、どうすればいい」
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聞く。
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分かっているくせに。
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それでも、聞く。
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答えを。
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ちゃんと自分の中に落とすために。
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少女は、少しだけ間を置いて。
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それから言った。
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「ここで、ちゃんと終わらせる」
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静かに。
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はっきりと。
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「そのために必要なのが」
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一拍。
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「“忘れること”」
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やっぱり、それだった。
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最初から。
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ずっと。
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そこに戻る。
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「……俺が?」
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「うん」
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頷く。
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迷いなく。
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「今ここで、私との記憶を全部なくす」
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簡単に言う。
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簡単に。
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でもそれは。
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全然簡単じゃない。
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むしろ。
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最悪に近い選択だ。
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「それで終わるのか」
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確認する。
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最後に。
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「うん」
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短い返事。
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「ちゃんと終わる」
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続ける。
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「もう繰り返さない」
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その言葉は。
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確かに。
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救いだった。
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でも同時に。
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完全な終わりでもあった。
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「……そっか」
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それだけ言う。
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それ以上、言葉が出なかった。
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沈黙が落ちる。
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静かな。
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でも重い沈黙。
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その中で。
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少女が、小さく笑った。
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「ねえ」
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呼ばれる。
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「最後に一個だけ、お願いしていい?」
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「……何だよ」
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聞く。
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もう拒否する理由はなかった。
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「ちゃんと、こっち見て」
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言われる。
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ゆっくりと。
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顔を上げる。
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少女を見る。
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まっすぐに。
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その顔は。
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最初に会った時と同じで。
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でも少しだけ違っていた。
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少しだけ。
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大人びて見えた。
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「ありがとう」
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少女が言う。
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小さく。
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でも、はっきりと。
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「また、付き合ってくれて」
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——。
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その言葉が。
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胸に刺さる。
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じわっと。
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遅れて効いてくる。
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「……ああ」
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それしか言えなかった。
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本当は、もっと色々言いたかった。
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聞きたいこともあった。
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でも。
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全部どうでもよくなるくらい。
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その一言で、満たされてしまった。
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「じゃあ」
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少女が、一歩近づく。
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距離が縮まる。
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手が伸びる。
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俺の方へ。
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「いくね」
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軽く言う。
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いつも通りみたいに。
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その手が。
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触れる。
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額に。
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ほんの少しだけ。
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冷たい感触。
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その瞬間。
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何かが、ほどけていく。
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記憶が。
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感情が。
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時間が。
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全部。
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ゆっくりと。
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静かに。
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消えていく。
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最後に見えたのは。
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少女の笑顔だった。
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泣いているのかどうかは、
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分からなかった。
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たぶん。
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分からないままでいいんだと思う。
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そして——
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全部、消えた。
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目を開ける。
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空が青い。
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風が少し強い。
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どうでもいいくらい平和で。
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見慣れた日常。
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知らないはずの違和感も、
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もうない。
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ただ一つ。
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目の前に、誰かがいる。
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見覚えはない。
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記憶にもない。
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でも。
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その人は、少しだけ困ったように笑って。
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それから。
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小さく頭を下げた。
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「——はじめまして」
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そう言った。
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その声を聞いて。
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なぜか。
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ほんの少しだけ。
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胸がざわついた。
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理由は分からない。
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分からないままでいい。
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たぶん。
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それでいい。
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これは、出会いの物語だ。
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そして。
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ちゃんと終わった、
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別れの物語だ。




