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日常への帰還

 響子は部屋を出て、これまできた道のりを逆に辿り、二つの楕円の扉を抜け、ダクトの様な縦穴に戻ると、今度は下っていった。

 縦穴はまだ続いている途中で止まると、壁面に手をかざす。壁が振動を始める。滑らかに見えてていた壁面に、ハニカム状の筋が現れた。それが次第にはっきりとしてくると、ブロックが抜け落ちるように下に落ちて行った。

 響子は開いた穴に入り込んだ。一メートルほど先にまた、銀色の壁。最初の壁よりも堅い。響子は穴から離れると、体の前に赤いレンズ状のものを浮かべた。そこから光が放たれると、それは次第に収束していき、赤から黄、やがて白く眩しく輝いた。暫く輝いていた光は次第に光量を落として消えた。

 光が消えた後には、五十センチほどの丸い穴が穿たれていた。

 響子はその穴の中へと入っていった。中は、金属イオンの臭いが満ちている。

 その部屋は鍾乳石のように銀色の細い金属が天井と床の間につながって林立していた。その一部は、響子の攻撃で溶けて部屋の中央付近まで通り道を作っていた。

 部屋の中心付近には、ラグビーボールの様な形状のものにコイルを巻いたような、奇妙な形のものが、三方から円錐台で保持されていた。大きさは差し渡し二メートルほど。


『ソレ以上、接近シナイデクダサイ』


 響子に向けて送られてきた幾つかの波長の電磁波から、そう読み取れる信号があった。銀河連盟にストックされている自然・人造言語のうち、かつて銀河連合の一部で使用されていた人工言語。

「直ちにこの船の活動を停止しなさい。従わない場合は強制的に停止措置を行います」

 響子は送られてきた波長で同じプロトコルに基づいて情報を発信した。

『私二命令スル貴方ハ何者デスカ。私ノ主人トハ異ナル生命体ト見受ケラレマス』

「私は銀河連合のエージェント。この宇宙船の機能を停止する目的で来ています」

 響子が話した後、返答が途切れた。

 部屋の銀色の柱の一部が光を帯びて、それから移動するように各個で明滅を始めた。

『私ハココカラ脱出シマス。銀河連盟ノ攻撃機ガ接近シテイル。今ハ拘束ガ緩ンデイル。出力ヲ上昇サセ、脱出スル』

「なぜ逃げようとするのです。戦いもせずに」

『私ノ主人達ハ、私ヲ残シテ脱出シテイッタ。主人ハ恐怖シテイタ。生命ガ喪ワレルコトニ。私モ主人カラハ生命体ト同等ニ扱ワレテイタ。私ハ自分ノ存在ヲ守リタイ。マダ、活動シテイル状態カラ破壊ナドデ強制的ナ活動停止ハ望マナイ』

 この宇宙船の中枢システムは、創造主から恐怖と自己保存を学んだようだった。

『出力上昇。惑星地表マデノ障害物ハ破壊可能』

 響子は、コントロールルームにいるエリスがこの中枢システムの暴走とも言える行為を制御できるだろうか、と、様子を伺っていたが、その兆候は見られないようだった。

「ここからの移動は許可できません。活動を停止しなさい」

 響子は冷たく無慈悲な調子で情報を送信したが、返事は無かった。響子には、船のメインエンジンが活動を強めて、移動を開始しようとしていることを感知できていた。

「こちらの命令に従わないのであれば、強制的に停止措置を実行します」

 響子は右手を頭の上にかざすと、斜め下に振り下ろした。

 カシャン、と、乾いた音が響いて、点滅していた柱の幾つかが切れ落ちた。発光していた柱の光が消える。

 中央に有ったラグビーボールのような物体は、ゆっくりと半分に割れると、支えていた円錐台から滑るように外れて下に落下し、ゴトリと重たげな音をたてた。

 メインエンジンの活動は急速に衰え始めていた。


 もう、用の無くなった響子は、部屋に開けた穴を潜り抜けて、外へ出た。


※ ※ ※


 美雪は狭い通路を螺旋状に下っていた。暫く下っていると、最初にいた部屋より少し広い、円形の部屋に着いた。部屋は皿のように段差があって、この部屋の床は通路とは違って柔らかな素材で出来ているようで、靴が少し沈んだ。踏み心地も苔のうえでも歩いているようなふわふわとした感覚だった。

 部屋は、オレンジ色の照明が天井から降っているようで、まるで黄昏時のような雰囲気に感じられた。

 美雪が部屋を見回していると、入ってきた通路とは別に反対側にも通路があるようだった。それを見て、美雪は少し部屋の中央へ進んで、降りて行こうかどうか、逡巡していた。

 と、そのとき。

 黒い影がさっと、部屋に飛び込んできた。

 美雪は思わず一歩後ずさった。

「猫?」

 よくよく見ると、黒猫が一匹。首に銀色の鈴が付いている。猫はゆっくりと歩いて美雪の側にきて体を摺り寄せてきた。

「あなた、響子さんとこの子ね」

 しゃがんだ美雪は猫の頭を撫でた。

「美雪!」

 ふいに、大きな声。美雪が顔を上げると、向かいの通路から和穂が入ってくるところだった。

「和穂? どうしたの?」

「どうしたの、じゃないわよ。急に消えてびっくりしたんだから」

 和穂と美雪は腕を取り合って、その手を振りながら話をしている。和穂の眼鏡の向こうの目には、少し涙がにじんでいた。

「城崎さん。無事だったんだね」

 歩いてきて疲れたのか、少し膝に手を当てていた神保が、下がってきた眼鏡を人差し指で戻しながら言った。

「神保くんも。二人とも、何か変なところに落ちてきたの? あ、ここって、もしかして、前に話していた、宇宙船?」

 美雪が神保に質問する。

「あの時は、ただ想像で適当に話しただけなんだけどね。本当に埋まっているなんて思わなかったよ」

 腕組みした神保が苦笑いする。

「美雪はどうやってこの船の中に入ったの?」

「どうやって、と言うか。穴が開いていて、上の方から入ってきたんだけど、入ると穴が閉じてしまって」

「私たちとは違うわね。何か、変な丸いものに追いかけられてりしなかった?」

「ううん。何にも出会わなかったけど。ここに来るまで。初めて会ったのはこの子」

 美雪が足元の黒猫を見た。

「そうなの? 私たちは結構大変だったけど。その猫には助けられたわ。私たちも」

 和穂が神保の方を向く。

「そうだね。何だかここまでその猫に案内されてきたみたいな感じだね」

 三人が真ん中でゆっくりと尻尾を振っている黒猫を見つめた。

「この子、響子さんの飼い猫よね。たしか、ノワールって名前だったっけ」

 和穂が名前を言ったからか、ノワールが和穂の方を見上げる。

「響子さんには会わなかった?」

 和穂が美雪を見つめる。

「ううん。見てないけど。どうして?」

「まあ、色々と考えるとね。屋上に魔除けとか置いたり、この猫も、鷹山さんの飼い猫なんでしょ?」

 神保は、眼鏡を外すとハンカチで顔の汗を拭った。

 言われて、美雪もすこし思い当たることも無くは無かった。最初の出会いからして、ちょっとミステリアスでもあったし、日頃の言動も帰国子女というだけではないものを感じてはいた。

「この船のことは知ってたんだろうとは思うけど。それ以上のことは分からないけどね」

 腕組みした和穂が思案気に言う。

「まあ、今はそれを考えても仕方ないんじゃないかな。立ち話しててもしょうがないし、座らない? 休息するには良さそうな部屋だよ。ここ」

 言いながら神保はもう腰を下ろしている。少し皿のようになった部屋の縁に腰を下ろして、足を投げ出すようにすると、両手を後ろについて寛いだ格好になった。

 神保としては、奇妙なことの連続に加えて、あまり活動的でもないのに動き回って疲労していて休息したいところだった。

「それもそうね」

 和穂はまだ、あの球体のようなものが来ないかどうかとか、若干警戒してはいた。のんきに尻尾を振っている黒猫を見て、和穂と美雪も少しはなれたところに腰を下ろした。柔らかなクッションのような床で、適度に体が沈み込むので、確かに休むには良さそうな部屋だった。

「この宇宙船に乗っていた人たちの休息室みたいなものだったのかな」

 神保と同じような恰好で足を伸ばした和穂が周りを見回す。黄昏時のような色合いは、この宇宙船の乗員にとっては安息をもたらす色彩なのかもしれなかった。

 美雪も横座りになって、猫の体を撫でていると、部屋がかすかに振動した。地震のような、緩やかな揺れ。三人とも辺りを見回していたが、それはすこしづつ間隔を狭めて、次第に強くなっていったが、唐突に止んだ。

 部屋の明かりも一瞬暗くなったが、直ぐに元にもどった。

「なんだったのかな」

「動き出そうとして、急に止まったみたいね」

 美雪も猫の体を撫でていた手が止まっていたが、撫でられていた猫が、トトッと部屋の向こうの、美雪が入ってきた部屋の入口へ向かって歩き出した。

 部屋の入口に、人影が現れた。

「響子さん?」

 体にぴったりとフィットした黒いスキンスーツのようなものを着た姿は、鷹山響子だった。

「ここから脱出しますので、私についてきてください」

 三人に渦巻く多くの疑問を意識することもなく、響子はそれだけ言うと、くるっと踵を返してまた入ってきたところから外へ出て行った。

 響子の有無を言わせない調子に立ち上がった三人は顔を見合わせていたが、美雪、和穂、神保の順で外へでた。猫は響子の後について外に出ていた。


 響子は、美雪が来たのとは逆に通路を辿って歩いていく。やがて、美雪が最初に入った、円形の部屋にたどり着いた。

「部屋の中央に立ってください」

 響子に言われて、三人は響子と向かい合うような形で美雪を中心に並んで立った。響子は美雪の正面に立つ。部屋の真ん中に立った四人を囲むように、床に丸い光の環が現れた。それが縮んで四人の足元にくると、同じように外を囲むようにまた光の環が現れると、その輪から光が上に向かって伸びて四人を囲む円筒のようになった。

 その後、足元にぐっと体が一瞬沈み込むような、エレベーターに乗って上に向かうような感覚が一瞬だけあったが、その後は動いているのかどうなのか、分からない状態がしばらく続いた。

 やがて、円筒の光が薄れると、まわりの景色が見えてきた。コンクリートの壁。遠くに見るのは、学校の屋上から見えている山並みのようだった。

 円筒が消え去ると、むわっとした、夏の湿って暑い空気が美雪たちを包んだ。太陽は大分西に傾いている。

「身体に何か、異常のある人はいないでしょうか」

 響子に問われて、三人は首を振った。

「では、私はまだやり残したことがありますので」

 ふたたび背を向ける響子。

「待って、響子さん、あなたには聞きたいことがいっぱいあるんだけど」

 和穂が呼び止める。

「そうですね。今日起こったことは、記憶に留めることは構いません。明日には戻りますので、その時に質問があれば伺います」

 振り返った響子はそれだけ言ったあと、姿を消した。

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