第一部 五月 1
第一部 五月
その一
マチコさまの言い付けはいつも唐突である。
用向きによっては夜中の二時とか朝の五時とかということもある。
今回は天地小巻ちゃんのアルバムを聴きながらおやつをたのしんでいるときだった。
だからあわてて目ざまし時計を探したり、みていた夢の流れで、そもそも存在しない妻を、
「レネーちゃん」
と呼んでしまうこともなかったのである。
「まあ、あがってください。どうぞどうぞ」
ぼくは落ち着いて使者の吉野さんに応対した。
吉野さんが使者としてこの部屋にやってきたのは二度目である。
前回のときはマチコさまの屋敷で顔を合わせたことはあったけれどもおしゃべりしたことはなかったので、
「ええ、本日はお日柄も良く……」
あたりからはじめたのだった。
それでも「舞香さん」というお名前や好きなお菓子なども要所要所でお聞きした。で、そのさいに知ったのだが、吉野さんはいわゆる〝あがり症〟らしいのである。
吉野さんはこのあいだあれだけ親交をあたためたにもかかわらず、やはり最初のときのようにガチガチに緊張していた。
「マチコさまからですか?」
ぼくは、
「ほほほ、本日は、お、お、お日柄も良く……」
以降なにもいえない彼女にたいし、ティッシュでつくった〝ネコジャラシ〟で耳のあたりを軽くくすぐる。
「キャオ!」
すると、その刺激に反応して、手に持っていた茶封筒をようやくこちらに差し出してきた。この対処法は前回発見したのである。
マチコさまは携帯でマコンドーナの部下に指示を出しているし、メールみたいなことも無難にこなせる。しかしぼくへの依頼はこのように茶封筒を経由してよこしてくるのだ。理由は謎である。
先日親交をあたためたさい、吉野さんは、
「マママ、マチコさまに、こここ、講演をたのまれたんです」
といっていた。
ぼくは紅茶を出しながら、まずそのことをきいてみる。
マチコさまが奉仕活動の一環として運営している「改善大学校」で何度かぼくも臨時講師や講演をしたことがある。だから吉野さんは、
「おおお、お受けすることにしたんですけど、ど、ど、どういうふうにすれば……」
とさっそく助言をもとめてきた。
「演目はなんですか?」
「恥ずかしがりやさん学部の生徒に向けて、わたし自身のあがり症エピソードを語ってほしいとおっしゃっていました」
「じゃあ、あとで、予行演習みたいなことでもやろうか」
吉野さんはそれをかんがえると緊張して砂糖もカップに入れられなかった。
ぼくは再度ネコジャラシでもって吉野さんをはげます。
「キャオキャオ」
茶封筒には手紙と「ファミスタ招待券」というチケットが入っていた。
吉野さんのスプーンをくるくるしてあげたのちにまず手紙を読む。
案の定奉仕活動の依頼が記されてあった。
マチコさまが「英光おじいちゃん」と呼んでいる財産家の翁への奉仕であった。
ファミスタのほうは招待券の有無に関係なく定期的におこなうことになっている。
「くわしいことは、そのときにきけばいいな」
ぼくはかわいく首をかしげてポーズを決めた。
さて、講演の予行演習である。
とりあえずコタツのうえに吉野さんを立たせて、
「パチパチパチ」
などと声に出しながら拍手をしてあげる。仮の壇上である。
吉野さんはやはりただガタガタとふるえているだけだった。こちらがはやし立てても、
「チュチュンガチュン、チュチュンガチュン」
と最高潮に達した緊張状態の効用でよくわからない音頭を踊りだすくらいであった。
「あ、あのう、倉間さんのお店に『講演を大成功させる方法』というような本はありませんか?」
「どうだろう、たぶんないと思うよ」
いま吉野さんがいった「お店」というのは、ぼくがこぢんまりとやっている古書店のことである。
ちなみにこちらは三年まえに他界した祖父が老後の道楽および晩年の誇大妄想の一環としてはじめた店なのである。
母屋の裏にあるこの古書店の二階にはお手伝いさんという名目で祖父に十年ほど寄り添っていたお玉さんという初老の婦人が現在も継続してお住みになっている。
二代目を襲名した当初はぼくもこの二階で寝起きしていた。しかし義姉より、
「お玉さんと変なことにならないうちに、もどってきたほうがいいわよ」
というような助言を受けたので、現在はやはり実家の近隣にある〈倉間荘〉というアパートにひとりで暮らしているのである。
吉野さんの問いに先のようにこたえたのは、本の買い取りを現在はしていないからである。
そもそも先代の方針で、創業時よりかなり通好みのものしか取り扱っていないのだ。
祖父も店にもちこんでくる本はほとんどつっぱねていた。仕入れのほうはもっぱら自分自身で地道にこつこつ探す、という方法をとっていたのである。
仕入れは孫のぼくもときどき同行していた。温泉旅館に泊まれるからである。
この長旅はぜんたい的には退屈であった。しかしいろいろ収穫もあったのである。
収穫は本ではなく人である。この仕入れの同行により、三原民吾さんや「愛子ちゃん一座」と面識をもったのだ。
現在の愛子ちゃん一座は〈三途の川〉という健康センターの専属になっている。
経営状態が悪化していた〈三途の川〉をこういう興行によって好転させたのは、わたくし倉間薫の功績、ということにマコンドーナ界隈ではなっている。じっさいはただ一座を紹介しただけなのだが、ぜんたいとしては〝しめしめ〟な状況なので、ぼくもこの評価を放置しているのである。
吉野さんはいつごろからか、コタツのうえでマネキン化していた。だからぼくは、ティッシュを一枚引き抜いて、あたらしいネコジャラシをつくった。




