「病老死苦」の意味と始祖様の過去
「そうだ。馬育よ。その背中の病老死苦には、どのような意味を込めた」
と私は尋ねた。
喜羅羅は、クスクス笑い、馬育は真っ赤な顔をしている。
「何かマズいことでも聞いたか?」
と私は尋ねた。
「いえ」
と馬育は言った。
喜羅羅は、げらげら笑い、馬育は真っ赤な顔で黙っている。
「本人は答えづらいので、俺が答えます。
このつなぎの刺繍は、名人にお願いしたそうなんですが、その時、手元に紙がなくて、口頭で伝えたそうなんです。
本人は、夜露死苦を漢字でと言ったそうなんですが、その名人は、少し耳が遠かったのか、それともコイツの発音が悪かったのか、病老死苦って刺繍されてしまったそうなんです」
と天使は言った。
「なに……、それで怒らなかったのか?」
と私は尋ねた。
「名人が確認してくれって言ったんだけど、俺は一度信用した人間を疑うような真似はしない。そのまま着せてもらうぜって言ったんです」
と馬育は頭をかいた。
「それでどうなった」
と私は尋ねた。
「そして半年くらいしたときに、姉貴に病老死苦ってどういう意味って聞かれて、はじめて気が付いて」
と馬育は言った。
「お前にも配下や敵対者はいるだろう。誰にも指摘されなかったのか?」
と私は尋ねた。
「はぁ。それが誰も気が付かなくて、それで配下全員が、背中に病老死苦って入れたんです」
と馬育は顔を抑えた。
「なるほどな。上手く収まったと」
と私は尋ねた。
「まぁそうですが、俺の黒歴史です。俺は黒歴史を背負っているんです」
と馬育は言った。
私は間違いを恥と感じている子孫に何か言ってやりたくなった。
「ではこう考えろ。病老死苦とは、病い、老い、死、苦しみのこと。
こういう者を人は見て見ぬ振りをする。
しかし、俺は違う。病老死苦という恐怖に目を閉ざさず、見てやる。
そしてその重みを背中に背負って、自由に生きてやる。
そういう意味だと」
と私は答えた。
「始祖ちゃんカッコいい。惚れちゃう」
と喜羅羅は私に抱きついた。
「ありがとうございます。心に刻み込みます」
と馬育は拳を握りしめ、涙を流している。
なんかよくわからないが、理解してくれたようだ。
よかった。
馬育は背筋を伸ばし、背中の刺繍に触れた。
その目は少し腫れてはいたが、すがすがしいものだった。
(ごんごんごん)
ノックの音がする。
天使が扉を開けると、そこには真っ青な顔をしたドボルザークがいた。
「どうしたんすか?」
と天使は尋ねた。
「始祖様大変です。使い魔の蝙蝠達が、反旗を翻しました」
とドボルザークは言った。
蝙蝠達が反旗を翻す?
蝙蝠達とは血の盟約があったはず。
いったいどういうことだ。
「さっきのだよ。蝙蝠使い魔協会でクーデターが起きて、会長が殺されたってやつ」
と喜羅羅は言った。
「そうです。それで会長が殺され、反吸血鬼派のリーダーがトップになり、我々に反旗を翻したのです」
とドボルザークは言った。
これは拙いな。
私は思った。
我々と蝙蝠は血の盟約がある。
我々は蝙蝠を使い魔として使役する。
蝙蝠たちは私たちを主として敬い、
自分達の能力を私たちに提供する。
つまり我々の能力の一部は彼らに依存するのだ。
彼らは単なる下僕ではない。
我々の能力の一部なのだ。
しかしオカシイ。
蝙蝠の神はこのことを知っているのか?
そう思った瞬間。
空間がねじ曲がった。
……
「ふふふふふ。どうやら私に用があるようだね」
と蝙蝠の神だ。
「蝙蝠たちが我々に反旗を翻したそうです。一体なぜ?」
と私は言った。
「一体なぜ?それは君も知っているだろう。いや最近知ったばかりかな」
と蝙蝠の神は笑った。
「待遇を改善しろと……。そう受け取ればよろしいですか?」
と私は尋ねた。
「君は利口だね。600年前、自分が愛した男に殺されたのが、不思議なくらいだ」
と蝙蝠の神は言った。
神の言葉は私の胸に突き刺さる。
そう私はあの時、
愛した男に殺された。
……
600年前、
私はとある国の侯爵令嬢を眷属にした。
その侯爵令嬢の婚約者が彼だった。
彼の名はグリフと言った。
私は彼に心が惹かれた。
別に同性が好きだったわけではない。
ただ彼に無性に心が引かれた。
そして彼もそれは同じだった。
逢瀬を重ねるうち、
彼は彼の婚約者を眷属にしたことを知った。
彼は俺もお前の眷属にしろと求めた。
しかし私は拒んだ。
それが愛なのか、
何なのかはわからない。
でも私は彼を眷属にしたくはなかった。
そして嫉妬に狂った彼に私は殺された。
私は死を恐れていたが、
彼に対しては抵抗すらしなかった。
……
「クーデターのリーダーと話はできますか?」
と私は尋ねた。
「あぁ出来るとも、ただ君とは無関係の間柄ではないよ。ふふふ」
と蝙蝠の神は笑った。
「誰なんですか?」
と私は尋ねた。
「それは私の口からは言えない。じゃあ送るよ」
と蝙蝠の神は言った。
私の身体は空に舞い、
どこかへ吸い込まれていった。
気が付くと、
俺は見覚えのある男の腕の中にいた。
グリフ……?
「グリフなのか?」
と私は尋ねた。
「ひさしぶりだね」
とグリフは笑った。
その笑顔に、
心が安らぎ、
そして締め付けられた。
「君がリーダーなのか?」
と私は尋ねた。
「そうだよ。それより再会を祝わないかい?」
とグリフは言った。
「あぁ600年ぶりの友との再会だ」
と私は答えた。
「友……。僕は君にとって友だったのかい?」
とグリフは寂しそうに言った。
私は戸惑った。
どう答えれば正解だ。
本心を告げるべきか。
それとも立場を重んずるべきか。
流れに身を任せよう。
「君は友であり、そして私は君を愛してしまった。
そしてまた今微妙な立場として再会した。
私はどう答えれば正解なのか。
わからない」
と私は答えた。
「ふふふふふ。君は正直だね。僕も同じだよ。君は友であり、そして僕も君を愛してしまった。
そしてまた今微妙な立場で再会。僕もどう答えればいいかわからないのだよ」
とグリフは、私をそっと抱き寄せた。
全身の力が抜けていく。
殺された晩。
彼は血まみれの私を今のように抱き寄せた。
「これからどうしていくのが正解なのだろう」
と私は尋ねた。
「それはゆっくりと考えればいいさ」
とグリフは優しく耳元でささやいた。
END
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は完結していますが、
反響があれば続編を書く可能性があります。
ブックマークしておくと、もし更新された場合に追いやすくなります。
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