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第33話 爆音の亡者

 歴史の結び目を解きほぐし、あの無邪気なエゴイズムがもたらした強欲のユートピアを乗り越えた後、僕の視界は柔らかな青い光に包まれ、二〇三〇年の、静かで美しい環境改善済みの世界へと戻っていた。


 肺に流れ込んできたのは、あのねっとりとした原油の臭いでも、有機溶剤の不快な刺激臭でもない、極めてクリーンで澄み切った大気だった。


 二〇三〇年、夏。

 そこは、僕が水没死を遂げた、あのコンビニの駐車場だった。だが、目の前に広がる光景は、僕の知るあの地獄とは完全に異なっていた。街の随所に環境インフラが作動しており、肌を撫でる風は涼しく心地よい。道路を走る車はすべて、一切の排気音を立てないスマートな『電子制御型電気自動車(EV)』へと完全に統一されていた。


「やった……。戻ってきたんだ。僕が生きられる世界へ」

 僕は安堵の涙をこぼした。僕が繋いできた「良心の法」が、ついにこの世界を完璧なサステナブル社会へと導いたのだ。


 その時、僕のポケットの中で、青い光を湛えたスマートデバイスが小さく震えた。画面を覗き込むと、そこにはネオンカラーの虚飾を脱ぎ捨てた、どこかスマートでキュートな一人のアバターの少女が映し出されていた。


 彼女は長い睫毛を揺らし、すまなそうな表情で僕を見つめると、静かに口を開いた。

「……はじめまして、でいいのかな。蓮くん。私は星野百愛(ほしの・もあ)。ううん、あの世界で消滅した『もあ』の魂の残骸が、あなたのデバイスに取り込まれて生まれ変わった姿よ」


 驚く僕を前に、百愛は消え入るような声で、これまでの自身の過ちを語り始めた。


「私、ただみんなとキラキラして、カワイイって言われたくて、本当にバカなことばかりしちゃった……。たくさんの自然を汚して、生き物たちを苦しめて、本当にごめんなさい。……でもね、蓮くん。この完璧にクリーン一辺倒に改変された世界を見ていると、なんだか息が詰まりそうなの。無駄がなくて、規則正しくて、だけどかつての私が愛したような、人間の個性が爆発する『カワイイ』の居場所がどこにもない、退屈な世界。だからお願い。地球環境の維持と、みんなの心がときめく『カワイイ』を両立させる道を、もう一度私と一緒に探してほしいの。あなたの相棒(ナビ)にしてくれる?」


 かつての傲慢さを削ぎ落とし、だけど自己表現への熱意だけを純粋に残した彼女の願い。僕は頷き、画面の彼女へ向けて微笑んだ。

「ああ、喜んで。今度こそ一緒に、本当の正解を――」


 ――僕がそう言いかけた、まさにその一瞬だった。

 びりびりと、世界が激しく震えた。


 突如としてデバイスの画面に真っ赤な走査線が走り、凄絶なエラー音が吹き荒れた。それと同時に、僕の目の前にあったクリーンな未来の景色が、激しいグリッチノイズと共に物理的に上書きされていく。道路を静かに走っていた電子制御EVの車体がドロドロと溶けるようにモーフィングし、代わりに、強烈なガソリン臭と、バリバリと鼓膜を裂くような爆音を轟かせる、古臭い内燃機関の車へと黒煙を帯びながらリアルタイムで書き換わっていく。


「な、なんだ!? 何が起きているんだ!」

 驚愕する僕の前で、デバイスの中の百愛が、かつての強い口調を取り戻して叫んだ。

「蓮くん、大変! 脳みそまでガソリンで沸騰してそうな男が、自動車の歴史をめちゃくちゃにしに飛んだよ!」


『――緊急事態。新たな時間改変者の発生を検知。

 対象:冴島(さえじま) 轟(ごう)。

 動機:世界が完璧なクリーンEVへ書き換わったことに激怒。自分の経営するカスタムショップの旧車、および自身が命を賭けてきた『燃料を燃やす排気炎と爆音』の全能感を取り戻すため、黒い悪魔のデバイスを起動』


「エンジンが雄叫びをあげねえと走る意味がねえ!」と叫びながら、黒い閃光と共に過去へと跳躍していく男のデータが映し出されていた。


「燃料を燃やす快感のために、また世界を壊そうとしているのか……っ!」


 僕はデバイスを強く握り締めた。画面の中の百愛が、強い意志の宿る瞳で僕をまっすぐに見つめる。

「行くよ、蓮くん! あの爆音男の強欲を絶対に止めよう!」

「ああ、行こう! 誰にも、この綺麗な空を二度と汚させはしない!」


『――カウンター・トレース、対象の座標をロック。

 時系列:一九〇〇年代。目的地:アメリカ合衆国・ニューヨーク。自動車黎明期へと跳躍します』


 僕の身体が、今度は信じるべき相棒のぬくもりを纏った青い光の中に包まれていく。ガソリンの黒煙を吹き上げる轟の暴虐を止めるため、僕たちの新たな歴史修正の旅が、今、激しい号砲と共に幕を開けた。


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【解説】

第4部開幕:失われた「爆音」を取り戻そうとする敵との戦い


・環境改善率100%を達成した蓮くんの前に立ちはだかるのは、これまでの「物欲」や「虚栄心」とは一線を画す、人間の「本能的な快感(排気炎と爆音)」への強烈なエゴを持つ男・冴島轟です。彼が黒いデバイスを手に自動車の黎明期へ飛んだことで、完璧だったクリーン未来が失われていきます。


・画面の中で起動した、AIアバターの星野百愛。彼女が過去の行いを反省しつつ、「クリーン一辺倒の退屈な世界には居場所がない」と吐露します。環境と表現の自由をどう両立させるかというテーマを提示しました。彼女が蓮くんと手を取り合って追跡を開始するプロセスは、これまでの孤独な戦いから「共同修正」へと物語が進化していきます。


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【第33話:設定・パラメーター】

現在の環境・人間性改善率(轟の改変直後):

• 【環境負荷:+10%(グリッチノイズによるリアルタイムのガソリン車上書きにより悪化)/ 人間の本能的快感への執着:90%】


歴史の書き換え内容(世界線のリセットと轟の時間跳躍):

• 第3部までの修正によって「電子制御型EV」と気候管理インフラが定着した完璧なクリーン未来(改善率100%)に到達。しかし、自身の生き甲斐である「旧車の燃料を燃やす排気炎と爆音」を奪われたカスタムショップ経営者・冴島轟(さえじま・ごう)がその現状に激怒。


• 轟が黒い悪魔のデバイスと共鳴したことで、自動車および大型物流インフラの歴史を根底から書き換えるための時間跳躍を敢行。「エンジンが雄叫びをあげねえと走る意味がねえ!」という強烈なエゴと共に対象の座標(一九〇〇年代・自動車黎明期のアメリカ・ニューヨーク)へと跳び、クリーンな未来を黒煙とガソリン臭で物理的に上書きし始めた。


相棒「星野百愛(ナビゲーター)」の同行志願:

• 蓮の青いデバイスの底で、第3部で消滅した「もあ」の魂の残骸から再構成された高度ナビゲーションAIアバター「星野百愛」が起動。


• 自身の過去の過ちを深く反省した上で、「クリーン一辺倒の一律に改変された世界は、人間の個性が爆発する『カワイイ』の居場所がどこにもなくて息が詰まる」と吐露。地球環境の維持とみんなの心がときめく「カワイイ」を両立させる道を探るため、蓮の相棒(ナビゲーター)として同行を志願し、共に『改変者逆探知(カウンター・トレース)』による追跡を開始する。


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