三 先生の学生
久世は、四人を研究室へ案内した。
鴨田の部屋ではない。
久世自身の部屋だった。
壁一面に本が詰まり、窓際には段ボール箱が積まれている。机の上には、白川村の地形図が広げてあった。
「内ヶ島伝説の報告書、読みました」
久世は言った。
「面白かったです。先生らしい、ひどく慎重な書き方でした」
「褒めているのですか」
「昔は、もっと乱暴でしたよ」
「学生の前です」
「私も学生でした」
久世は真壁と三輪を見た。
「鴨田先生は、いい先生ですか」
真壁はすぐに答えなかった。
三輪が言った。
「知識はあります」
「ほかには」
「不適切な質問をします」
「君たち、付き合ってるのかね、と?」
二人が黙った。
鴨田の顔が硬くなった。
久世は笑った。
「変わっていない」
「なぜ知っているんです」
真壁が訊いた。
「私も言われましたから」
「一緒にいた女子学生は?」
三輪が訊いた。
久世の笑みが消えた。
「水城文です」
「今は?」
「知りません」
「同じゼミだったのに?」
「卒業後は連絡を取っていません」
鴨田が言った。
「水城君は、卒業していない」
久世が鴨田を見た。
「覚えているんですか」
「名前を聞けば」
「便利ですね」
「何が言いたい」
久世は机の抽斗を開け、一冊の薄い冊子を取り出した。
表紙に、
帰雲山麓採訪記録
とある。
著者名はなかった。
所属だけが印刷されている。
K大学人文学部民俗文化学科
「先生が書いた報告書です」
「公表していない」
「だから、私が公表します」
「やめなさい」
鴨田の声が低くなった。
久世は冊子を机へ置いた。
「先生は、いつもそうでした」
「何が」
「最初に見つける。名前をつける。誰より興奮する。なのに、最後のところで全部投げる」
「慎重な検討を」
「違う」
久世は遮った。
「怖くなるんです。自分が間違っていたと記録に残るのが」
鴨田の目が細くなった。
「君は、私の心理分析をするために教員になったのか」
「先生を追い越すためです」
久世は即答した。
その言葉には、若い頃から何度も心の中で練習した硬さがあった。
「私は先生の研究を引き継ぎました。学位論文も、就職も、今の研究室も、その延長にあります。先生が捨てたものを拾って、ここまで来た」
「私の研究ではありません」
「では、誰のです」
久世は冊子を開いた。
最初のページには、鴨田の筆跡があった。
仮称「内ヶ島伝説」。
伝承の初出は確認できず。
語り手は当該伝承の存在を否定する一方、否定の形式において内容を共有している。
「あなたの字です」
久世が言った。
「あなたの仮説です」
「仮説だから、公表しなかった」
「公表しなかったから、誰にも検証されなかった」
「検証できる状態ではなかった」
「そうやって、いつも対象を守っているつもりになる」
久世は立ち上がった。
「でも先生が守ったのは、対象じゃない。自分です」
部屋の外で、チャイムが鳴った。
大学の授業開始を告げる音だった。
鴨田は冊子を閉じた。
「研究室を見ます」
「三〇七号室ですね」
「鍵は」
「先生の職員証で開きますよ」
久世は窓の外を見た。
「今も、先生の部屋ですから」




