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妻よ、お前は誰の子を産んだんだ――DNA鑑定が暴いた七年間の嘘  作者: ledled


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第1話:亀裂

六月の現場は、日が落ちても熱が残る。コンクリートが昼間に吸い込んだ熱を、夜になってもじわじわと吐き出す。建設会社「丸井建工」の現場監督として働く俺、桧山渉は、額の汗を拭いながら今日最後の安全確認を終えた。


三十四歳。妻と二人の子供を持つ、ごく普通の男だ。


仕事は好きだ。現場が好きだ。コンクリートが固まって、鉄骨が組み上がって、形のないものが少しずつ形になっていく——その過程に、俺はいつも小さな充実感を覚える。帰り道に缶コーヒーを一本買って、少しだけ立ち止まって飲む。それが今の俺にとっての、ささやかな贅沢だった。


家に帰ると、長男の颯太が玄関まで走ってきた。五歳になったばかりの颯太は、とにかくよく動く。靴下片方だけで「パパ!」と抱きついてくる。俺は作業着のまま、その体を受け止めた。


「颯太、靴下は?」

「あっちに置いてきた!」

「あっちって、どこだよ」


笑いながら颯太を抱き上げて、リビングへ向かう。次男の航は、ソファで眠っていた。二歳のくせに、颯太の騒ぐ声でも起きない。豪快な弟だ。


「澪は?」


キッチンを見ると、夕飯の準備途中で止まっていた。鍋の火は消えていて、まな板の上には切りかけの野菜がある。


「ママ、まだ帰ってないよ」


颯太がそう言って、また走っていく。


俺は時計を見た。午後八時。澪が帰っていないのは、この二ヶ月で十数回目だ。最初は週に一度だったのが、最近は週三になっていた。


理由は決まっていた。「女友達と食事」か「ヨガ教室が長引いた」か、どちらかだ。最初は気にしていなかった。子育ての気晴らしくらいあっていい。そう思っていた。


だが、最近の澪は、少しだけ違った。


スマホを肌身離さず持つようになった。以前は充電しながらキッチンに置きっぱなしにしていたのに、今はトイレに行くときも持っていく。俺が近くに来ると、画面をさりげなく裏向けにする。


気のせいかもしれない。そう思うたびに、胸のどこかで「でも」という声がした。


子供たちに夕飯を食べさせながら、俺はニュースを眺めていた。颯太はきれいに皿を空にして「おかわり!」と元気よく言う。航は途中で眠くなって、ほとんど食べずに俺の膝でうとうとし始めた。


二人を寝かしつけてから、俺はソファに座ってビールを一本開けた。


澪から連絡はない。


「遅くなります」のひと言があれば、そこまで気にならない。だが今日もない。この二ヶ月、遅くなる日ほど連絡がなかった。俺から送ると「ごめん、気づかなかった」と返ってくる。


気づかなかった。毎回同じ言葉。


俺はビールを一口飲んで、スマホをテーブルに置いた。


澪が帰ってきたのは、午後十時過ぎだった。


「ただいまー」


声は明るかった。疲れているはずなのに、どこか浮いている。以前から思っていたことを、今夜また感じた。家にいる時の澪は、どこか上の空だ。俺の話を聞いているようで、聞いていない。目が、俺ではなくどこか遠いところを見ている。


「遅かったな」


俺が声をかけると、澪は「うん、ちょっとね」と曖昧に笑った。それ以上は説明しない。


「ご飯、温めようか」

「ありがとう。でも、食べてきたから大丈夫」


そう言って、澪はスマホを見ながら洗面所へ消えた。俺はソファから動かずに、その背中を見ていた。


----


その夜から三日後のことだった。


土曜日の午後、澪が「颯太と公園行ってくる」と出かけた。航はちょうど昼寝中だった。俺は家に残って、洗濯物を畳んでいた。


リビングのテーブルに、澪のスマホが置いてあった。


珍しい、と思った。澪がスマホを置いて出かけたのは、久しぶりだ。急いでいたのかもしれない。


俺は洗濯物を畳み続けた。スマホに目を向けないようにしていた。関係ない。見る理由もない。俺は澪を信頼している。


それでも、視界の端にあり続けるスマホが、気になった。


颯太の笑い声が、窓の外から聞こえた。澪の声も続く。二人はまだ公園にいる。


俺は洗濯物を全部畳んでから、スマホの前に立った。


見るつもりはなかった。ただ、手が動いた。画面をタップすると、ロックがかかっていなかった。


MINEの通知が三件、画面に出ていた。


差出人の名前は「江﨑」。


俺はそのまま固まった。知らない名前だ。男の名前だ。


通知に表示されている一部のメッセージが目に入った。


「今夜も楽しかった。またすぐ会いたい」


それだけで、分かってしまった。


指が震えた。画面を閉じようとした。でも、できなかった。MINEを開いた。そこにあったのは、俺が想像した以上のものだった。


「澪、昨日の場所よかったな。また行こうよ」

「うん、私も楽しかった。ねえ、次はいつ会える?」

「月曜の夜、どう?」

「行く行く。楽しみ。会いたいな」


絵文字が並んでいた。ハートマーク。笑顔。そういうものが、無数に。


俺と澪のトーク画面には、最後にやり取りしたのが三週間前だった。


「帰り遅くなる」「了解」。それだけ。


俺はスマホを元の場所に戻した。正確に同じ角度に。同じ位置に。そして、航が眠っている子供部屋に行って、ドアを閉めた。航の寝顔を見つめながら、呼吸だけを繰り返した。


怒鳴りたかった。泣きたかった。走り出したかった。


でも、それは全部できなかった。子供が隣で眠っているから。颯太がもうすぐ帰ってくるから。


俺は布団の端を握って、ただ座っていた。


澪が浮気をしているかもしれない。


その考えが頭の中で何度も回った。かもしれない、ではなく、おそらくそうだ。あの会話は、俺がどう都合よく解釈しようとしても、友達とのものじゃない。


それでも、俺の中のどこかが「待て」と言っていた。


もしかして、勘違いかもしれない。親戚かもしれない。仕事の関係かもしれない。


馬鹿だ、と思った。見てしまった言葉は消えないのに、それでも「違うかもしれない」にしがみつこうとしている自分が。


玄関のドアが開く音がした。颯太の「ただいまー!」という声。澪の「おかえり、航は?」と問いかける声。


俺は子供部屋から出て、普通の顔をした。


「昼寝してる」

「そっか。颯太、手洗ってきて」

「はーい!」


澪は何も気づいていないように見えた。俺も、何も気づいていないように見せた。


その日の夜、布団の中で俺は一睡もできなかった。天井を見つめながら、隣で眠る澪の呼吸を聞いていた。穏やかな呼吸だ。何も変わらない。何も罪悪感を持っていないような、静かな寝息。


俺は目を閉じた。


今すぐ問い詰めたかった。でも、もし「違う」と言われたら? 俺は謝ることになる。夫婦の間に、もっと大きな亀裂が入る。


もし「そうだ」と言われたら?


答えが出るのが、恐かった。


だから、俺はまだ動かなかった。ただ、夜の中に横たわって、壊れかけている何かを、必死に両手で押さえていた。


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