11
食後、珍しく新君がお茶にしようと言った。我が家では食後にお茶を飲む習慣はない。
冷えた麦茶を片手に新君と向かい合う。
「由奈さん、僕、家に一旦戻ろうと思う」
「えっ…急にどうしたの?」
私が家事ばかりやらせるから、ついに嫌になったのだろうか。
「このままじゃいけないと思って。転職しようと思ってる。今の会社、前にも話した通り吸血鬼の会社なんだけど、僕の家が経営している会社で、コネ入社なんだ。ちゃんと実績を出せれば良かったんだろうけど、コネ入社の上に半人前かよって無言の圧力が辛くて、仕事も大したこと任せてもらえなくて」
「そっか…でも吸血しないと家に帰れないんじゃ…」
「うん。だから家を出ようと思う。転職もして、独り立ちしたい」
おお!吸血できない、会社でも馬鹿にされる、とぐずぐず泣いていた新君がこんなに立派に…!
って茶化してる場合じゃないか。
でも新君の顔はどこかすっきりしていて、前向きに頑張ろうとしていることが窺えた。
「あと、その…ちゃんと責任を取りたいな、と」
責任?
私はよく分からなくて首を傾げた。
「この前、由奈さんを襲っちゃったでしょ…キスとか、しちゃったし…だから、その、責任を」
「なっ何言ってるの!?」
未遂だったしキスくらいで責任取るとか…普通責任を取るって言ったら子供が出来ちゃった時でしょうが!
「責任を取るほどのことはしてないでしょ!そんなことしなくて良いよ」
「ごめん、責任を取るなんて嘘だ。いや、嘘じゃないけど、その、建前って言うか…あー。その」
新君は視線を彷徨わせながら何やらもごもごと口の中で言うと、よし、と言って私と目を合わせた。
「由奈さん、好きです。僕と付き合ってください」
「………!」
まっすぐな告白に、私は頭が真っ白になった。
こんな風に告白されたことなんてないから、どうすれば良いのか戸惑う。
えーと、えっと、この場合イエスかノーで答えればいいのだろうか?
私がまごついているのを見て、新君はしゅんとした表情でごめん、と言った。
「こんなヒモ状態の男に言われても困るよね」
「ち、違っ!ちょっとびっくりしただけで…うん。その、私も新君のこと好きだよ」
「本当!?」
「うん」
新君の顔がパアァっと明るくなる。
「ありがとう!」
こうして私はちょっとした非日常もといヒモ男改め、彼氏を手に入れた。
とはいえ付き合うことになったからといって、いきなり何が変わるわけでもない。お互いの心持ちが変わったくらいだ。新君はご機嫌でお風呂の準備をしに行った。
いつも通りお風呂に入って、エアコンの効いた部屋でスマホをいじる。でも未だに心臓がドキドキしていて全く手につかなかった。
恋人ってどうすれば良いんだろう?今まで通りにしてれば良い?今までってどうしてたっけ?
そうこうしているうちに、同じくお風呂から出てきた新君が隣に座った。ち、近い…。
「由奈さん」
名前を呼ばれて顔を上げる。
「あの、ちゃんとやり直したいんだけど」
「何を?」
「キス」
キッ…キスね。そういえば新君が正気を失ってる時にしちゃったんだっけ。
でも改まってしたいと言われると恥ずかしいというか。新君と視線が合わせられない。
「えっと…良いよ」
「由奈さん、こっち見て」
そろそろと顔を上げると、思ったより近くに新君の顔があった。
うわ、こうして見ると新君の顔って整ってるな…。彫が深くて日本人っぽくなくて、個々のパーツも肌も綺麗で…。
新君の片手が頬に添えられ、もう片方の手は腰に回される。
「由奈さん、好きだよ」
あああああ、そんな至近距離で囁かないで…!耐性ないから!
新君の顔が近づいてくる。
私はえいやと目を瞑った。
ふに、と触れるだけのキスをして、新君は離れていった。
うう、今、顔真っ赤な自信あるよ…!
「可愛い」
新君が甘い笑顔で言って、私を抱きしめた。私はただ無言でカチコチに固まっていた。
「そんなに固くならなくても、今日はキスしかしないから安心して」
用意もないしね、と新君が言った。
よ、用意って!
私がますます固まると、上からクスクスと笑う声がした。
「もう!笑わないでよ!」
「ごめんごめん、あんまりにも可愛くて。ね、もう1回キスして良い?」
「…何回でもご自由にどうぞ!」
私は新君の背に手を回して、ぎゅっと抱きしめ返した。
翌日の土曜日、新君は来た時同様、スマホ1つで実家に帰っていった。私が買い与えたものは、また使うかもしれないので置いて行ってもらった。
新君のいない部屋は、なんだかガランとして寂しい。新君が来て1ヶ月も経っていないのに、こんなに寂しいなんて。
私は1つため息をついて、テレビの前に座った。
それから1ヶ月、新君とは会っていない。もちろん連絡は取りあっているけれど、新君は会社を辞める準備、転職活動、引っ越し準備、誠さんの説得などで忙しくしているのだ。
そんな日曜日、ようやく少し時間が取れたということで、新君が会いに来た。
「いらっしゃい」
「お邪魔します」
お帰りとただいまじゃないことに少しむずむずしながら、新君を家にあげる。
お茶と菓子を出して、この1ヶ月の話をお互いにする。といっても私は代わり映えのない毎日を送っているので、主に新君の話を聞くことになった。
「ねぇ新君、処女の血は吸えたの?」
新君がむせた。新君、よくむせるなぁ。
「まだ…っていうか、僕がどこの誰とも知れない女性の血を吸っても気にならないの…?」
「気になるに決まってるじゃん。だから聞いたの」
「…血はいずれ吸いたいと思ってる。でも吸いたい相手は1人だけだよ。吸わないと手も出せない」
新君の熱い視線を受けて、私は視線をうろうろと彷徨わせた。
「落ち着いたら、吸わせてくれる?」
「………うん」
血を吸われた後のことを考えて、私は頬が熱くなるのを感じた。
新君はいつの間に私を翻弄できるようになったのだろう。今では歳相応の落ち着きさえ感じられる。
優しくてちょっとヘタレな新君も好きだったけど、でもこんな新君も好きかも。
血を吸えない吸血鬼は、もうすぐ血を吸えるようになるのだろう。私はそんな予感を胸に抱いて目の前の吸血鬼を見た。
最後までお読みいただきありがとうございました。




