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ガチャガチャと食器を洗いつつ台所を片付ける。時計がないため詳しくは解らないが、先程鐘が鳴ったため今の時間は午後2時といったところだろう。
街の大きな広場や通りに行けば1時間毎で区切られている時計が設置されている。時間になると大きな鐘の音が鳴るため、住民たちは時間の流れをそれで把握して動いていた。
分や秒等の細かい時間を気にするものは貴族や大きな商人くらいしかいないため、細かい時間が解る時計など平民は持っていない。
自分が使った食器を布巾で拭き水気を取ると、それらを1つづつアイテムボックスへとしまっていく。最後にスプーンをアイテムボックスにしまい終えた後、カツミヤはコンロの上に乗っている余った料理に視線を向けた。
(小分けするよりこのままの方が良いかも)
冷たい、とまではいかないが冷えてしまった鍋の取っ手を両手でしっかりと掴む。そのままぐいと持ち上げると、カツミヤは鍋のまま残った料理をアイテムボックス内へとしまい込んだ。
カツミヤが歩いているのは昼間だと言うのにどこか薄暗い雰囲気のある一本の通りだ。そこは街の東に位置している場所で、カツミヤの家から数分といったところ。
スラム街とまでは言えないが危険なことに変わりはなく、カツミヤを心配していたカーライルがここに居ればすぐさまカツミヤを抱えてでも移動しただろう。
「まだいるなぁ……」
家の周囲の地理を確認しようと歩いていると、いつの間にか背後を付けられている事に気付く。そろそろ一度家に帰ろうかと思っているのだが、この状況で家に帰るのは流石に無いなと解っている。
何時までも宛なく歩いていたところで解決しないだろうと、被っているフードを深く被り直す。やや俯きがちに下げた顔は周囲にカツミヤの口許を見せない。
「探索」
ボソリと小さく呟くと脳内に浮かぶ黄色の光点。それはカツミヤの後方で3つほど集中しており後を着いてきていた。
やはり。
後を付けられていることはこれで確定した。人数も解ったがこれからどう対処しようか。
このまま一度街の中央へと移動し相手が諦めるのを待つか、それとも飛行の魔法で一気に距離を離して相手を撒くか。いっそのこと相手の目的を知るために自分から近付くべきなのか。
今まで背後を付けられたことなど無いためカツミヤにはどれが正解なのかさっぱり解らなかった。
(うーん、ここは一度逃げた方が良いのかな……)
「おい、そこのお前!」
カツミヤが呑気に対処法を考えていると、背後から声が掛かる。
周囲には自分しか居らず、付けられていたのだから自分に声を掛けたのは明白。カツミヤは歩いていた足を止め、深くフードを被ったままゆっくりと声の方向へと振り返った。
「それ以上動くな。怪しい動きをするとどうなるか解るな」
聞こえてくる声は男のもの。しかしそれは男性というよりもっと幼い、少年の声だ。
警戒してカツミヤに近付いて来る三人の人影。距離が縮まるとその姿がはっきりと見える。
リーダー格なのだろう一人の少年はカツミヤよりも数センチ低い身長で、手には一本のナイフが握られていた。刃先はカツミヤに向けられており、動こうものならすぐに刺してやると言わんばかりの握り方だ。
その彼よりも僅かに背の低い少年の二人は、逃がさない為なのかカツミヤを囲むように移動している。
三人共に共通しているのは嫌に細い体格だということ。おそらくスラム街で生きている少年達なのだろう。
「その荷物を寄越せ。足元に置くんだ」
何日も食べていないのだろう、頬は痩け肉のない顔は目付きが鋭い。
魔法を使えるカツミヤに何の能力もない、栄養失調で痩せた少年達がナイフ一本で勝てる筈がない。
カツミヤは彼等と自分の力量を正しく理解すると、自らの首を左右に振り少年の要求を拒否した。
「この荷物は渡せない」
「っ、いいから寄越せ!!」
外出の際、依頼をこなす時、いつも肩から提げている鞄はカツミヤのアイテムボックスを誤魔化すために必要な物だ。鞄自体は何の変哲もないただの鞄だが、ただ肩から提げているだけではなく色々な荷物を入れているため、そう簡単に渡すことは出来ない。
少年は自分と背格好のあまり変わらないカツミヤが要求を拒否した事に驚くも、すぐに気持ちを切り替え行動を起こした。
握っていたナイフを躊躇なく前に突出す様子は既に人を刺したことがあるのだろう。カツミヤはその突きが体に届く前に素早く魔法を唱えた。
「防御盾!!」
「くそ、こいつ魔法使いか! お前等退くぞっ!」
パキンと高い音をたてて少年のナイフが何かに弾かれた。それはカツミヤの魔力で作られた盾。うっすらと半透明の障害物がカツミヤと少年の間を仕切っている。
リーダー格の少年は瞬時にカツミヤがただの一般人ではないと気付くと、仲間の二人に声を掛けてその場から逃げ出した。
「……ふぅ」
逃げた少年達を追っても仕方がないだろう。カツミヤは魔法の盾を解除し一息付く。ふと自分の手を見てみると、その手が微かに震えていた。
冷静に対処すれば負けることはない。仮にナイフを防ぎ損ね少々怪我をしたところで、カツミヤは回復魔法も使えるのだから余裕があった。
「怖かった、なぁ……」
余裕があった筈だった。
震える手をぎゅっと握り締め、その震えを無理矢理押し殺す。現代の日本で暮らしていた一般人が人からの害意に慣れている筈がない。ゲームだった頃のプレイヤーや魔物とは違う敵意にカツミヤは恐ろしさを抱いた。
死んでしまえばそこで終わり。ゲームではない今、実際の魔物を相手にするときとは違う生々しさがそこにある。
もしかすると貧困に苦しんでいるであろう少年達に、可哀想だと鞄を渡した方が良かったのかもしれない。例えそれが一時凌ぎだろうと偽善であろうと、確かに彼等は一日でも暮らしが楽になるのだから。
(でもそれじゃあ何の解決にもならない)
周囲に人の気配は全くない。また別の人に目を付けられる前に帰ろうと、カツミヤは急ぎ足でその場を移動し自宅に向けて歩き始めた。