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高校一年・三学期

ロボットもの、とは言いますが、合体、変形等は行いません。あと何年かすれば戦場に現れるかも知れない様な、そんなロボットです。

※物語を読まれる方へ

この物語には、二足歩行型のロボットが登場します。

が、

それは

・全高一・五メートル程しかありません

・当然人は搭乗しません

・変形、合体等のギミックはありません

・飛行はもちろん、ジャンプも出来ません

・操作者の精神状態でパワーアップする、などという事はありません

しかし

・誠に不本意ながら、武器搭載型は登場します

なお、一部読者の中に実際の事件を連想される方も居られるかも知れませんが

・当方ではその真偽について一切コメント致しません

以上、予めご了承下さいますよう、御願い致します


作者代理



プロローグ

 昔から、機械いじりが好きだった、と思う。幾つぐらいからか、あまり詳細には覚えていないな。ただ一つ言えるのは、それはきっと父親の影響なんだという事。おぼろげな記憶の中では、未だ若い父親が机に向かって何かをいじっている。それは恐らくデジタルな部品を多数組み合わせたものだ。もちろん当時四、五歳くらいの僕に、それらが何と呼ばれ、どんな機能を持つのか判る筈もなかったけれど。ただ、LEDが規則的に点滅したり、様々な電子音が鳴ったりするのが、ただ単に面白かったのだろう。そんな、僕の遊び場でもあったそこは、自宅の一軒家、そのガレージを改造した作業場だった。父親の立ち上げた株式会社マキナテック、その記念すべき創業の地。まぁ、あいにくと近くにリンゴ畑は無いけれど。

 ああ、一つ注意しておくけれど、マキナテックのマキナはラテン語の機械の事ではなくて、父親の、つまり僕の姓から来ているんだ。僕の名は槙奈まきな 剛史つよし、埼玉県立川口里高等学校に通う、運動も勉強もまずまず(ただし苦手教科は結構有り)、取り立てて特徴のない高校生、っていうところ。趣味は、最初にも言った通り機械いじり、特に電子工作、それにプログラミング。パソコン上で動作するちょっとしたアプリケーションプログラムの作成はもちろん、作ろうとしている機械が比較的単純なものならともかく、ある程度複雑な機能を実現するにもプログラミングの知識は不可欠だしね。僕専用のパソコンには、パソコン向けの他に様々なCPU、OS向けのクロス環境がインストールしてあるんだ。と、自己紹介はこの辺まで。細かい事はおいおい、ね。

 さて、日本には『後悔先に立たず』っていう諺があるけれど、生きていれば誰だって同じ経験をすると思う。あらゆる物事のあらゆる結末に満足出来る人間なんて、いないんじゃないかな?だから、変えようのない過去を思って誰もが同じ様に煩悶して、でも、誰もが同じ結論に到る筈なんだ。そう、『諦める』ということ。タイムマシンでも発明されない限り、後悔なんて無意味だよね。そんな事、誰でも判っていると思う。でも…それでも後悔するのがきっと人間なんだ。こんなこと、若輩の僕が言うべきじゃないかもしれないけれど。でも、それを痛感してきたのだから勘弁してほしいな。それが僕のこれからの人生にどんな影を落とすのか。考えてみたら怖いな。人によっては思い描いていた道から大きく逸脱してしまう事もあるのだろうし…僕もそうなってしまうのかな…もっとも僕の場合、他人からすればそれほどの事か、と思われても仕方がないのかも。確かに衝撃的な結末ではあっても、たいていは青春の甘酸っぱい一ページで通り過ぎてしまう様な。でも、僕にはそれが出来なかった。嘆き悲しみ、煩悶し、自問自答を繰り返して。そして、だから、カナ・システムを作ったんだ。



第一章 高校一年生・三学期

 ベッドサイドで目覚まし時計のデジタル音が鳴り響く、その出鼻を挫く様に天辺の停止ボタンを押す。でもスヌーズ機能があるから、このままでは三十秒後にもっと騒々しく鳴り出してしまう。すぐに裏の停止ボタンを押す。これで時計は押し黙ってくれる。白黒の暗い液晶画面のデジタル表示は六時。家を出るまで二時間近く余裕があるけれど、色々と朝のお勤めがあるんだ。と、ここで改めて自己紹介を。僕は槙奈 剛史。埼玉県立川口里高等学校に通う、章題にある通りの今は高校一年生。まぁ、一年中起床はこんな感じかな。

 パジャマから、下はデニム、上は着古したチェックのネルシャツに着替える。これが部屋着。両袖を上腕まで腕捲りすると、そのまま防寒対策としてスリーピースのベスト(父のお古なんだ)を着る。冬休み明け間もない一月中旬、快晴の月曜日、室内の空気は手足の指が悴むほど冷え冷えとしている。だから出来ればやりたくないのだけれど、換気のために窓を小さく開けた。強くはないけれど冷たい風が吹き込んできた。勉強机の上から腕時計を取り上げ胸ポケットに入れると、両手を擦り合わせつつ部屋を後にした。階段を下りて浴室に向かう。

 脱衣場に設置された洗濯機の蓋を開く。横の棚にはタオルや手拭い、歯磨き粉や洗濯洗剤等が整然と置かれている。その一番下に洗濯籠が一つ。それには二人分の洗濯物が放り込まれていた。この家に暮らす僕と姉の二人分だ。一日おきに洗濯をしているけれど、この籠一つで大抵は済んでしまう。特別な物(手洗いの必要なもの)等は各自でやる事になっているしね。姉の名は多喜たき、二十六歳の社会人(独身)で、マキナテックの現代表取締役社長をやっている。と、ここまでで疑問を感じた人もいると思う、君の両親はどうしたの、と。

 両親は三年近く前に事故死したんだ。突然、二人とも僕達を残して幽世かくりよの住人となってしまった。ちなみに僕と姉に血の繋がりはなくて。姉は継母の連れ子なんだ。僕達二人が初めて出会ったとき僕は五歳、姉は十四歳だった。当時会社が業績良好のため近所に所在地を移したばかりで、いつも留守がちの両親の代わりに、姉が親の役をしてくれた。食事、洗濯、掃除はもちろん、お風呂にも入れてくれた。小三になる年までの四年あまり、姉は僕の体を洗ってくれた。僕も大人らしく成長してゆく姉の裸体を目にしてきた。いま思えば、これが良くなかったのかも。

 洗濯籠と洗濯洗剤を手に浴室に向かう。浴槽の横のラックからプラスチック製の洗面器を二つ、バケツを一つ取り上げる。それぞれにシャワーと一体型のカランから適当に水を入れる。バケツには洗剤の箱から計量スプーン一杯分掬い入れると、よくかき混ぜた。洗濯籠から洗濯物を選り分け、靴下、下着類は各洗面器に、襟付きの上衣ワイシャツとかねはバケツに襟を漬けて簡単に擦り洗い(カフスの付いているものは袖も)をするとそのまま全て漬けてしまう。軽く揉み洗いのあと、二つの洗面器も軽く手洗いして濁り水を捨て、簡単に絞る。それを洗面器の一つに入れると、洗面器を重ねバケツの上に被せた。洗濯籠とバケツを両手に持って洗濯機の前に戻った。この下準備は姉から教えられたんだ。洗濯籠と洗面器の洗濯物を洗濯機へ。残ったバケツの洗濯物投入前に水を入れるけれど、それには長いホース付きのポンプを使い浴槽から汲み上げる。棚から取り上げてポンプを浴槽、ホースのノズルを洗濯機にセット。ポンプからコードで繋がれた電源部のタイマーを少し回し、それが切れると洗濯物が浸りきるより少なめの水が溜まった。ノズルを抜き、ポンプを浴槽から引き上げホースの水を抜くと浴室に置く。最後にいよいよバケツの中身を丸ごと投入して準備完了。洗濯機の蓋を閉めるとスタートボタンをポン!ホースを巻いてポンプを棚に片付け、浴槽の栓を抜いた。浴槽の残り湯を洗濯に使う利点は二つあって、一つはもちろん節水、あともう一つは、特に今日の様な寒い日に痛感するけれど、水温がまだ高くて水仕事が楽なこと。悴んだ指に心地良いんだ。と、それはともかく。ラックから浴槽用洗剤を取り出し、水が抜けるのを待って洗剤を内側に吹き付ける。スポンジで軽く擦るとシャワーで内側から外側へ軽くのばし、泡だらけの状態で少し待つ。シャワーで泡を流すと、浴槽はピカピカになった。栓をして、浴槽の蓋を軽く洗うと浴槽の上に被せる。後は先ほど使った洗面器とバケツをスポンジで洗い流し、タイルの壁と床を水洗いして掃除は完了。ここまでが洗濯のワンセットになっている。洗濯機が回っている間に、次は朝食の用意をしないと。そのままダイニングキッチンへ向かう。まぁ、偉そうに言っても料理なんて大して出来ないけれどね。朝ぐらいしかしないし。

 冷蔵庫を開けて卵を二つ、それと昨晩の残りのコンビニ惣菜。食パンの袋も一緒に取り出す。袋から二枚取り出すと、電子レンジのトレイに乗せ扉を閉めてタイマーをセット。ボタン一つ押すだけだけれどね。パンが焼き上がる前に目玉焼きを作っておく。フライパンを熱してごま油(姉はこれが好きなんだ)を少なめにしき、馴染ませて卵を落とす。ベーコンがあれば良かったけれど、切らしている様で残念。姉に言っておこう。それでも香ばしい臭いが鼻をくすぐる。二人とも半熟が好きだから、手早く火を止めフライ返しで二つに分ける。その間にトーストは出来ているから皿やカップ、フォークや箸を二人分用意する。皿にトーストを一枚ずつ載せ、テーブルに運ぶとフライパンから目玉焼きを一つずつトーストの上に敷く。シンクでフライパンに水を張り、冷蔵庫から牛乳を取り出すとテーブルに置いたまま姉を起こしに行く。季節柄、少しの間なら牛乳を出しっ放しにしても問題はないからね。

 二階への階段を上がると廊下の左右に二つずつ、部屋が並んでいる。正面向かって右側手前が僕の部屋、その対面が姉の部屋なんだ。扉を何度かノックして。

「姉さーん、起きてる?」

声を掛けるけれど反応なし。レバーハンドルのドアノブを下げて扉を開ける。と、室内が一望できる。思わず嘆息した僕だった。窓際の机に突っ伏して、姉は眠っていたんだ。

「姉さん、起きてよ」

肩を軽く揺らすと、ん、と小さく可愛い呻き声を漏らし目を覚ます。

「ああぁ、ごう君お早うぅ」

軽く伸びをする姉。

「帰って来たなら、ちゃんと寝ればいいのに。体を壊したらどうするの?」

うちは基本的にクーラーは使わないんだ。暑さ寒さは衣服と扇風機や小さな電熱ヒーターで乗り切る事にしていて、夏場の猛暑日なんか極短時間だけクーラーを使う。いま姉はサウナスーツ(ダイエット用にかなり前に購入したもの)を着ていて(フードも被っている)、お風呂に入っても湯冷めとかはしないと思うけれど。

「いやぁー、経理のチェックをしてたらつい眠っちゃったぁー。同じ数字でもぉ、こういうのはねぇー」

横に積まれたバインダを軽く叩く。姉は有名大学の理系学部を優秀な成績で卒業した。それも僕の父の影響なんだって。姉も実父とは幼い頃に別れて、殆ど記憶が無いんだそうで。以降、その実母が僕の父と再婚するまで、女手一つで育てられたそうで。まぁ、二人とも傍から見たら不幸、っていう事になるのかな。あまり実感はないけれど。僕も実母の記憶は無いに等しくて、父も、少なくとも僕の前で実母の事を嘆いたりはしなかったし。継母も、本当によくしてくれたと思うし、文句があるとすれば、何でこんなに早く死んじゃったのか、って事かな…あ、ちょっと視界が翳んできた、まずい。

「んんー、どうしたのぉ?」

サウナスーツを脱いだ姉が、その傍らに立ち尽したまま目元を拭う僕を不思議そうに見る。

「うん?いや、欠伸が…」

ごまかしてオーバーに欠伸をしてみせる。それでも恥ずかしくて足早に部屋を出て行こうとした。

「そうー?…あぁ、これも洗濯お願いねぇ」

億劫そうにパジャマの上のボタンを外していた姉は。呼び止められて戸口で立ち止まり振り返った僕に、さして頓着する様子もなくパジャマを投げてよこした。姉は上半身裸だった。形の良い、大きめの胸を隠す気なぞ更々無い様子で下も脱ぎ始める。下も履いてないだろう事は判っていた。何故って?ベッドの上に、上下揃いの下着が置いてあったから。手洗いの必要だろう、高級そうな黒の。

「もう洗濯は終わりだよ。着ないなら出しとくよ」

姉から顔を逸らしつつ、少し怒った様に答えた。これだから困るんだよ。幼稚園や小学校の頃から僕が成長してないとでも思ってるのかね。下を渡される前に退散しないと。

「えぇ?下も持って行ってよぉー」

「自分で持って行きなよ!」

後ろ手に扉を閉め一息つくと、また一階に下りてゆく。脱衣所へパジャマを持って行くと、洗濯機は止まっていた。パジャマを肩に掛け洗濯機を開けると籠に中身を取り込む。空になった洗濯機にとりあえずパジャマを入れておく。胸ポケットから取り出して左手首に巻いた腕時計を見ると七時少し前。まだ余裕はあるな。洗濯籠を持ってまた二階に上がる。

 二階の廊下を真っ直ぐ行くとベランダに出る扉。ネルシャツの袖を元に戻し開けると、冷たい風が吹き込んでくる。出来る限り小さく扉を開けて潜る。洗濯物を解しつつ手早く干してゆく。物干し竿に掛けたハンガーにはワイシャツやランニングを。ワイシャツは広げて叩いておく。そうやって洗濯物は十分余りで干し終えた。今日は早めに乾きそう。籠を手にベランダを後にする。今日は一般ゴミの日だから、自分の部屋に立ち寄る。ゴミ袋を広げ(僕の部屋に置いてあるんだ)、自分と姉の部屋にあるゴミ箱の中身を袋にぶちまける。あとはリビングとダイニング、更にもう一カ所のゴミ箱を回収するだけ。袋の口を開けたまま階段を下りる。

 ダイニングに行くと、スーツ姿の姉が食事を始めていた。寝起きの可愛げのある表情はどこへやら。化粧もすませて戦闘モードON、一流の企業戦士、っていうところ。テレビは点けていない。見ている時間がないからね。

「今日は遅くなるの?」

ゴミを回収し終えてキッチンで手を洗いながら訊く。ゴミ袋は玄関に置いた。

「そうね、お風呂は沸かして入っちゃって。昼食には帰ってくるつもりだけれど、用意してなかったら自分でね」

「戻って来るなら、ベーコンをお願いします」

「了解」

パックのポテトサラダを口に運びつつ答えてくる。会社は徒歩で通える距離にあって、昼食に戻ってくるときに夕食分(と翌日の朝食、昼食分)を買ってくる。僕も結構遅くなるから、料理も余り出来ないし。

「買ってくるなら何か食べたいものある?」

着席していただきます、を小さく呟くとパックのわかめサラダを小皿に取り、トーストと目玉焼きを囓る。

「どうせ選択肢は限られているでしょう?」

テーブルを一瞥し、小さく嘆息する。

「何なら唐揚げでも買ってこようか?おでんとか」

「いいわよ。温め直すのも何だし」

後は黙々と食事は進んでいった。

 食事が済んで後片付けをしていると、出勤の支度を終えた姉がダイニングの扉を開け顔を出した。

「火の元と戸締まりはお願いね」

「うん。あ、ゴミ出してくれる?」

キッチンから顔を出すと、「判った」と、一つ微笑みを返して扉を閉める。まだ七時四十分、八時少し前には会社に着くだろう。就業時間には少し早いけれど、掃除やメールチェックとか、色々やる事があるんだってさ。

 洗い物を済ませ姉の『お願い』を叶えた頃、チャイムが鳴った。壁掛け時計に目をやる。八時十五分前、いつもの時間だね。コンソールに小走りに近寄る。ボタンを押すと、門柱のインターフォンに接続されたカメラモニタに、ショートカットの可愛らしい少女の顔が映し出された。

「お早う、まる」

「お早う。もう出られる?」

スピーカー越しに、柔らかな声で返答してくる少女の名は安高あたか 美久みく。僕と同じ川口里高校に通う高校一年生。近所のいわゆる幼馴染み。まるという渾名の由来は…まぁ、面白くないから割愛、という事で。ちなみに通学時間はドアトゥドアで三十五分というところ。

「五分待って」

ボタンを再び押して切るとダイニングを後にした。

 玄関扉の鍵を掛け、ノブを数度回して閉まっているのを確認する。

「お待たせ」

まるは…ああ、いや、安高さんは小さく頷き歩き出した。後ろを僕が追う。そのまま二人は歩き続ける。僕達は電車通学で、駅(埼玉高速鉄道の川口元郷)までは徒歩で十分ぐらい。電車は二駅で待ち時間も見込んで最大十分。東京メトロ南北線直通の地下駅だから、上り下りが面倒だね。駅を出て学校までゆっくり歩いても十五分。携帯電話を見ても特に遅延の情報はないから、充分間に合うはず。

「ああ、まる。今日の昼食だけど」

「作ってきたよ?」

「そうか…いつもありがとうな」

「うん」

高校に進学してからは、たいてい安高さんが昼食を用意してくれていた。

「中身は何?」

「うん…それはお昼のお楽しみ」

ちらり、振り返る。微笑をたたえた横顔は、しかしすぐに前を向く。

「…私も、少し手伝った」

「そっか、朝早くから立派だな」

「そんな…剛君も同じ」

「ま、うちは親が居ないから、何でも自分達でやらないと」

軽く笑い声をたてる。しかし、安高さんは俯きがちに肩を落としてしまった。

「…ごめん、そんなつもりで…」

黙り込んでしまう。初め、何の事か判らなかったけれど。

「ああ…いや、そんなんじゃない…いや、こっちこそ、何か悪かったよ」

彼女は僕の両親に話題が及んだ事を気にしていたんだと気付いた。そういうつもりじゃないのになぁ。ここは空気を変えないと。

「あぁ、ところでさ、女子陸の方はどう?」

どうやらうまくいった様で、顔を上げ首を巡らす。

「…短距離?」

「そうそう。次のインハイは結構いい線いけそうなんだろ?」

うちの高校は運動部の活動は活発だと思うけれど、これと言って強い部がないんだ。

「そうね…カナなら、結構いけると思う」

カナというのは同級生の女子陸上部短距離のエースで、フルネームは山下やました 華名かな。安高さんのクラスメイト。ちなみに僕は別のクラス。安高さんとは廊下で弁当の受け渡しをしている(食堂は混むし、一緒に食べる場所が無いんだ)。と、それはともかく。僕らの学校では、何か問題でもない限り一年生と二年生は同じクラスメイトで、例えば僕はいま1ーBだから四月からは2ーBになる。同様に安高さんと山下さんは2ーCになるわけだ。

「まるだって、女子陸に入ってたらそうだったんじゃないか?」

こう見えて、安高さんは結構なアスリートなんだ。幼稚園の頃から駆けっこで勝てた記憶がないし。逆上がりでも何でもすぐにこなせる様になっていた。だから、中学に入った時も陸上部員として他校の山下さんと短距離走でライバル状態だった。それで、同じ高校に進学しても女子陸上部で活躍すると思っていたら、暫くは僕と同じ帰宅部だったんだ。今は同じ部に所属している。

「ううん、私じゃ無理。カナには届かない」

女子陸上部に入らなかったのはこのせいかな?話しているうちに駅に着いた(十分ほど更に歩けばJR川口駅に着く)。エスカレータを下り、改札を通って更にエスカレータで下りるとホームに到着。間もなく鳩ヶ谷行きの電車が来た。降りるのは鳩ヶ谷駅だから、浦和美園行きを待たなくていいのは利点かな。電車に乗って二駅目、十分と掛からずに鳩ヶ谷駅に到着。改札を通り地上に出て、西口から第二産業道路へ向かって歩く。他愛のない会話をしながら(昨日見たテレビの事とか、今日の天気とか)、第二産業道路を北上し一つ目の交差点を左折すると、間もなく入口が見えてくる。その頃には通学する学生達で道はかなり賑わっている。HRまであと十分以上ある。余裕、余裕。

「ようお二人さん、朝からイベントシーン全開か!?」

元気一杯で僕の肩を一つどやし、一人の男子学生が話し掛けてくる。なかなかのイケメンだけれど、ある理由からそれを活用していないこのクラスメイトは生田いくた 将吾しょうご。その『ある理由』とは

「ったく、毎朝毎朝攻略ルート変える度に通るからスキップ連打する様なイベント見せつけてくれるよな」

「何だよそれ。一緒に通学する相手が欲しいなら、声掛ければ幾らでも見つかるだろ?」

「いやいや、あいにくと3Dはお呼びじゃないんでね。俺には真生まおお姉様が居れば充分なのさ。あ、いやでも此葉このはちゃんの妹属性も捨て難いか!?いやいやさらさのあの豊かな胸も…いえいえお姉様もなかなかの持ち主でいらっしゃいます!」

何か脳が熱暴走を始めたらしい。譫言みたいに口にしている人名は、『トゥルーハート2』とかいう美少女ゲームに出てくる女性キャラクタらしい。僕からすれば、ただの画像データや音声データに過剰な感情移入をするのは理解し難い現象だけれど。

「お前さぁ、少しはTPOを弁えたら?」

周囲の女子が思い切り引いてるぞ!ニコニコしてるのは安高さんくらいのものだ。

「だから3Dなんて構わないって」

「僕達が構うんだって」

「そんなに3Dがいいのか?俺があれだけ美麗なキャラ画をたくさん描いてやったのに!?」

おいおい、僕を二次元萌えにするつもりだったのか?だいたいあれは…

「あれか?あれをどうしろと?」

「もちろんギャルゲーに載せるのさ!前に作ってたろ?あのシステムを改造して」

「それはいいけど、それをどうするんだ?まさか、文化祭で展示しろと?」

「もちろん!」

「馬鹿か!あんな完全アウトなもの展示できるか!リコ先生が失神するぞ!おまけに日田先輩の軽蔑の眼差しまで貰ったら立ち直れない!」

「だから3Dなんて無視しろって!俺がお前の知らない甘美な世界に連れてってやるからさ!もちろんシナリオも書…」

「美久!」

背後から掛けられたその声を耳にしたとたん、僕は生田の口を塞いでいた。駆け足の足音が近付いてくる。小さく手を振る同級生が、僕の横を駆け抜けた。

「カナ!」

振り返った安高さんも小さく手を振り返す。二人は肩を並べ、話しながら歩き出した。校門を潜る。僕は、山下さんの横顔を暫し見詰めていた。彼女は僕の、そう、憧れのひと。快活で、その笑顔は眩しすぎる。現状としては、情けなくも碌に口を利く事さえ出来ない有様で。

「んん、んんんっ、おい、いい加減にしろ!」

僕の手を振り解き解放された生田が肩を大きく上下させつつ噛み付いてくるけれど、そんなのは意にも介さない。あのままあんな話を山下さんに聞かせてたまるか!僕は声を落として言った。

「とにかく!あれは駄目だ!個人で楽しむならともかく」

「え?個人的になら作ってくれるのか?」

「別に良いけどさ。自分でデータ作成して、自分でシナリオ記述して、それで楽しめるのか?」

「もちのロンよ!自分のツボのシチュエーションで自分の思う通りに話が進むんだぜ、最高じゃん!?」

「しっ!声がでかい!」

思わず生田の頭を叩く。

「何すんだよ!」

頭をさすりつつ、睨み付けてくる。

「これ以上巻き添えはご免なんだよ!」

「そうかよ…で、どうなん?作ってくれんの?」

僕は一つ嘆息した。

「春休みまでに必要なものは揃えといてくれよ。データフォーマットとかは教えるから。後でUSBメモリを渡す」

「了解!」

満面の笑みを浮かべる。よく判らないけれど、生田の事をよく知らない女子なら、この笑顔一つでオチるんじゃないだろうか?僕は高校からの付き合いだから中学校の頃は知らないけれど、案外プレイボーイだったとかね。まぁ、今の有様からはとうてい想像出来ないけれど、これも高校デビューっていうものの一種なのかな?と、そんな事を考えながら、また山下さんへ視線を戻したら。

「なぁ、お前さぁ」

「あん?」

生田へ顔を向けると、少し眉根に皺を寄せているのが見えた。

「お前、けっこう恵まれてるって話、しなかったっけ?」

「?…ああ、僕がゲーム内の主人公みたいだっていう?」

「覚えてたか。その通り!」

生田に言わせれば、僕は美少女ゲームの主人公の様なのだとか。

「可愛い幼馴染みに美人のお姉さん、これで素直なお兄ちゃん大好きぃ、の妹が揃ったら、2D世界じゃ無敵だぜ!」

「悪いけど、よく判らないよ。それって僕が羨ましいってことか?なんだかんだ言って、女子と付き合いたいんじゃないのか?」

「おいおい!お前は何度言っても判んねぇなぁ!2Dと3Dは全くの別物なんだよ!2D世界は俺を幻滅させたりしないぜ!」

肩をばんばんやられながら、僕は鬱陶しさと同時に、今の言葉への引っ掛かりを感じたんだ。

「幻滅って、お前現実の女子に幻滅した事あるのか?」

言ったとたん、生田の表情が凍りついた。動きが止まる。

「……図星だったか?」

まずい事を訊いたかな?こんな生田初めて見た。けれど。

「…はは!だからお前は判ってないのさ!俺にとっちゃ3Dなんて攻略は簡単なんだ。この俺様にはな!」

髪を撫でつけ、親指を立て格好を付けてみせる。こんな事するのも初めて見た。まぁ、普通に考えればその通りなのだろうイケメンである事は確かだけれど、少なくとも校内ではイタい男だっていう事は知れ渡っているしなぁ。

「ま、お前がこちらに来ないのは仕方ないとしてだ。だったらなぁ、もう少し…いや、まぁ、俺にはどうでもいい事だけどさ。あんまよそ見ばっかしてると、そのうち本当に痛い目見るぞ」

溜息混じりに肩を揺すってくる。

「え?」

慌てて足下を見遣る。別に躓きそうな物はないな。周辺に目を彷徨わせていると、目の端に生田が呆れた様に首を捻っているのが見えた。

「何だよ?」

「お前、マジか?」

「いや、だから何なんだよ?」

「…もういい。遅刻するぞ」

僕を押す様に歩調を早める生田。僕は訳も判らずそれに従った。

 まぁ、生田の事はともかく山下さんの事だ。安高さんから聞いたところによると、彼女は今、母親と弟の三人暮らしとのこと。父親はもう四年近くも静岡の方に単身赴任状態だという。当初の予定から随分伸びたのだそうで。弟は今年小学校だとか。今年の四月には父親も戻ってこれそうな話も出ていたとか。それまで山下さんは朝だけでも弟の面倒を見つつ母親を手伝うため、朝練は休んでいるのだそうで。その代わり、帰宅後暗いなか自主練に励んでいるという、誠に頭の下がる頑張りようで短距離エースという現在の地位をキープしているのでした、と。父親が早く帰ってくる事を陰ながら願ってやみません。


 さて、一日の授業をそつなくこなし放課後の教室内。クラスメイトの七割方は早々と教室を出て行く。中でも急いでいる連中はほぼ間違いなく運動部だね。あとは文化部か、何かの委員か、あるいは何か用事のある(見たいテレビがあるとか)帰宅部。まだ教室にいる僕と生田は、といえば。

「…」

後ろ扉の戸口で、安高さんが手を振る。話しながら歩いて来たのだろう山下さんは、こちらをチラ見し何事か言うと廊下を歩み去った。どういう訳か、安高さんの頬が紅潮してゆくのが判った。

「行こうぜ」

生田を促し安高さんと合流する。

「お待たせ」

今更だけれど頬を両手で隠す様にしながら、僕達を見比べ小さく言う。三人は歩き出した。

 二階の連絡通路を渡り学科棟へ。こちらには化学室や音楽室、視聴覚室等のほか文化部の部室がある。運動部は体育館に附属するもののほかグラウンド横に長屋状の建物がある。と、それはともかく。

「失礼します」

一階の一室に三人は足を踏み入れた。教室の三分の一程度の広さがあるその部屋こそ、我らが『クラウドの深淵をのぞクラブ』部室である!って、なに力んでるんだか。

「相変わらず、三人仲良しね」

部室奥の窓際に置かれた長テーブルの向かって右側に腰掛け、心地よい陽光のもとテーブル上に本を開いていた女子学生が、落ち着いた声で返してくる。この人は日田ひた 莉菜りな。二年の先輩で現部長。その容姿は眼鏡美少女の典型例と言っていいんじゃないかな。沈着冷静、怜悧な眼差し。生田にも言っていたけれど、侮蔑を込めた表情でこの眼差しを向けられたら心が保たない。僕はドMじゃないんだ!

「先輩、それ洋書ですか?」

訊ねてみると、本に目を落としつつ小さく首を振る。肩まで伸びる軽くウェーブした黒髪が揺れた。

「翻訳物よ」

日田先輩の背後には、壁際一杯のスチール棚がある。その奥側には英語表記の背表紙の本と、同程度の冊数のバインダノートが整然と並べられている。これらは彼女と、彼女の先輩達が積み重ねてきた部活動記録の一部なのだ。

 日田先輩は元々別のクラブの所属だった。その名を『海外文学部』。その名の通り、海外文学(当然英米の)を部員達が思い思いに和訳し(ギャル語調とか)、文化祭で朗読、作家の展示等をしていた、らしい。僕はその活動内容を見た事がないんだ。そして今後見る事も恐らくない。つまり『海外文学部』はもう無くて、その部室を今はこの『クラウドの深淵をのぞクラブ』が使っている。いったん『海外文学部』を廃部にしたあと、先輩はこの部にそのままスライドする形で現部長に就任した。

「文化祭の展示用のですか?」

「そうね…参考ぐらいにはしたいけれど、基本はオリジナルね」

部室の中央、長テーブルを四つ合わせた大テーブルに三人は着いた。荷物をテーブル上に置く。ここで軽く部室内のレイアウトを概観しておくと。さっき言った通り奥の窓際に長テーブル。その上には小型のインクジェットプリンタが一台とスキャナ一台。右側壁際のスチール棚にある洋書やバインダノートは奥のほんの一部で、あとは生と使用済みのDVDーRWやプリンタ用紙、コンピュータ関連書籍、プリンタのインク等のほか、電子工作用のパーツ(抵抗とかコンデンサ、あるいは歯車やねじ等)、アクチュエータ類(モータとか空圧シリンダ等の駆動装置)、銅線や半田、工具類等々を納めたケースが整理されて並んでいる。これら工作の為の諸々は、殆ど僕が持ち込んだもの(この手の物には、姉が特別支出枠を設けてくれている)。中央の大テーブルには、二台のデスクトップパソコン(少々型が古いけれど)と、無線LAN用のハブ。パソコンとプリンタ、スキャナ用ね。左側壁際には長テーブルを横に二つ繋いだ細長い展示台の上に、これまでの部活動の成果である僕の作った機械達(とは言ってもさして複雑な物ではないけれど)。活動開始から三ヶ月と経っていないけれど、まずまずの成果といえるかな。そして、二年生の文化祭には(日田先輩にとっては最後の花道の文化祭か)日田先輩シナリオ執筆のアドベンチャーゲーム(?)が、これに加わる事になる。僕達の高校は部活動に関してうるさくて(って、他の学校は知らないけれどね)、活動実態の満足にない部活は強制的に廃止されてしまう。幽霊部員というのも許されない。だから部活動の実績というか、そういうものを気にせざるを得ないんだ。まぁ、いいけど。

「絵は俺のでいいんですかね?」

「ええ、お願いするわ…ただし」

生田の軽い調子の問いに、日田先輩は本に視線を落とした格好のまま、瞳だけを生田に向けて。

「節度は忘れずに。露出度の高過ぎるものは遠慮願うわ」

「はは…心得ました」

引きつった笑みを浮かべる生田。そんなに心配なら、いっそ季節を冬に、あるいは舞台を北国にすればいいのでは、なんて思った。

「音楽はどうしますかね?」

出来る限りゲームとしての体裁は調えてあげたいけれど、残念ながら部員の中に音楽的素養豊かな者は居ないし。仕方ないから僕が適当にコンピュータで作ろうか、と思っていたのだけれど。

「…それなら、心当たりがある」

向かいの席からそういう声が上がった。安高さんだった(どういう訳か、いつも僕の正面に着席するんだ)。生田と日田先輩は少し驚いた様子だけれど、僕は、ああ、そうなんだ、位にしか思わなかった。

「え、ほんと?」

「…蒲池かまち先輩に相談すれば、たぶん」

「C組の蒲池さん?音楽部の?」

一つ小さく頷く安高さん。日田先輩も納得した様に頷き返す。音楽部というのは室内管弦楽団に近い性質の部で、外見は地味でも、文化祭時に音楽室で開催される演奏会では常にチケット完売する、けっこう人気の高い部だとか(ご父兄方に受けが良いのだろうね)。

「よくそんなところとコネクションあるよなぁ」

生田は心底感心した様だ。そうなんだ、昔から安高さんは色々な人と知り合いになる特技があった。

「よく、音楽関係の書籍とか、楽譜とか探しているから」

「ああ、図書委員が取り持つ縁てか?」

そう、安高さんは図書委員で、週の半分余りは昼休みや放課後図書室に詰めていたりする。

「もしお願いできるなら、ぜひそうして欲しいわ。音楽部の演奏は私も好きよ」

微笑みながら日田先輩も賛意を示す。

「でも、お願いするにしても、何か見返りが必要ですよね?まさかタダ、っていうわけにも」

と。

「それは私に任せてくれないかしら?」

僕の問いに答えたのは、静かに扉を開き微笑みと共に入ってきた女性。クリーム色のスーツに身を包んだ、まだ若々しい(本当は三十路だけれど)その女性こそ、我らがクラブ顧問の樫井かしい 里子さとこ先生(愛称リコ)である、と、少し大仰な紹介かな?

「あ、先生、何か当てでもあるんですか?」

「まぁね。とにかく、その点は気にせず話を進めてもらって構わないわ」

「いつから居たんだ?」

生田の小さな呟きに

「ん?なに、生田君?」

先生の、妙に凄味のある笑顔が怖い。

「いいえ、何でもありませんっ!」

スッと笑顔を収めたリコ先生は、大テーブルの下座に着くと一同を見回した。さっきとは別種の笑顔を浮かべて。

「この『クラウドの深淵をのぞクラブ』創部から三ヶ月余り、貴方達は本当によく精力的に活動を続けているわ。顧問として、非常に誇らしい限りね。たとえ一部ではあっても、『海外文学部』の体裁も残す事が出来た。これ以上に何かを望むのは、きっと強欲グリードの罪ね」

英語教師らしく七つの大罪と来ましたか。

「そんなぁ、褒め過ぎですよぉ」

鼻の頭を掻く生田に、微笑みは絶やさず、しかし目は笑わずに

「生田君は、もう少し色欲ラストを抑えましょうね。女生徒達が恐がってるわよ」

「いや、3Dには手は出さないですって」

「…お願い、ね?」

ん?一瞬、先生の瞳に危険なものが宿った気がしたけれど。生田もそれに気付いた様で

「…はい」

表情が強張る。さっきといい今といい、リコ先生は普段おっとり型なのに、ほんの時折何というか、殺気?みたいなものを漲らせるんだよね。

「さて、とりあえずは今学期の活動予定について説明して貰おうかしら?」

日田先輩に視線を向けると、頷き返し先輩も机上のノートを手に大テーブルにやってくる。始業式の日から数日間、詰めていた内容を今日初めて説明するんだ。日田先輩が口を開き、部活動は始まった。

 さてここで、『海外文学部』と『クラウドの深淵をのぞクラブ』の関連について、もう少し詳細に説明しておくかな。時は昨年の九月末まで遡るんだ。

 文化部の多くは、文化祭の終わる九月末頃に三年生が引退(コンサートやコンクールの類が有る様なものは別として)、という事になる、らしいね。僕は自分の感性にしっくりくる部活動が無くて(何か偉そうな物言いかな)、帰宅部を通していたので実感が無いんだ。と、それはともかく、三年生が引退した結果『海外文学部』は日田先輩一人が部員、という状況になってしまった。さっき言った通り、うちの学校は部活動の管理が厳しい。部員一人でも廃止の可能性が高いのに、一年後には部員〇となって、それなりに活動歴の長いクラブが確実に廃部という事になる。もちろん先輩や当時の三年生、同部顧問だったリコ先生達は新入部員獲得に尽力したらしいけれど、ただでさえ本離れとか言われている昨今、まして海外文学を自分で翻訳しようなんて奇特な一年生はおらず、図書館で顔馴染みのリコ先生の相談(というか愚痴)を聞いた安高さんが、僕に話を持ってきたんだ。安高さんとしては入部する気になっていた様だけれど(だったら先に入部届を出しておけば良かったろうに)、僕はさっき言った理由で帰宅部だった、という事は、『海外文学部』も感性が合わなかったという訳で。幾ら渋っても尚も推してくるので、日頃のお世話への感謝もあって無碍にも出来ず、とりあえず一つ条件を出す事にした。つまり「僕はコンピュータ技術関連をターゲットにした部活動が行いたいので、部活動内容をそういう風にしてくれるなら」という、今から思えばお前何様?みたいなもので。まぁ、当然と言うべきか、日田先輩は拒否したんだ。本来なら、はいこれで話はおしまい、と、なるところだったけれど。諦めの悪い女子が約二名、居たんだな。安高さんとリコ先生だ。二人はそれぞれ僕と日田先輩の歩み寄りの説得を続けた。僕も少々面倒になってきていたんだな、更に一つの提案をした。「僕の興味と『海外文学部』の内容の折り合う点として、何か小説をアドベンチャーゲーム風にしてみれば良いのではないか?」と。これが呑まれなければ、今度こそ話はお仕舞いだった。

 もちろん、結果的にこの提案は了承された。僕は日田先輩にゲーム(?)化すべき作品の提示を求め、出てきたのがO・ヘンリの『運命の道』だった。

 主人公のダヴィド・ミニョは羊の番人である事に飽きたらず、詩人として名をなすため故郷のヴェノアを後にする。やがて丁字路にぶつかり、彼は三つの選択をする。

一つは、左へ向かう。

一つは、右へ向かう。

一つは、その場に留まる。

いずれも銃による死、という運命を主人公に与えるけれど、もちろん、それぞれのシチュエーションは異なる。要するに、分岐点一つのアドベンチャーゲーム(ただし全てバッドエンド)という事だね。

 僕は、キャラクタ画の担当を探した。いや、実際にはもう当てがあったんだ。そう生田だ。彼は美術部に入ったものの、本道の油絵なんぞそっちのけで、パステルやマーカーでかなり際どい美少女イラストばかり描いていたために追放され、当時暇を持て余していた。僕は「新しい部に来れば、部の予算で好きなゲームが出来る(かも)」と彼を勧誘し、主人公をはじめとする男達や、極めて露出度の低い女性達のキャラクタ画を描かせた(本人は随分不満たらたらだったけれど、出来上りは良好だったな)。その作業と並行して、僕はゲームのシステムと、テキストデータの作成を行っていた。もっとも、ゲームのシステム自体は趣味でC++やJava(というコンピュータ言語ね)で作成していたGUIのプログラムが流用出来たし(それらの開発環境は自宅に完備されている)、小説自体もそれほど長いものではなかったから、テキストデータ作成もそう大変ではなかった。ゲーム画面の背景も、序盤の酒場や街中、田舎道や西洋建物の内部等はフリーの素材を使った。一部プログラムの手直しや上がってきたキャラクタ画の搭載など含め、作業は二週間ほどで完了したんだ。

 最初、日田先輩はさしたる興味も示さなかった。ディスプレイ上にウィンドウが開かれると『運命の道』と、黒地に白抜き文字のスタート画面が表示され、エンターキーを押すと最初の酒場のシーンになる。エンターキーを押しては少しずつ物語を読み進め、遂に現れたゲーム唯一の選択肢で最初『左の道』を選び、テキストを読み進め、時にキャラクタ同士の会話シーンも眺めて先頭に戻る。音楽や効果音等は殆ど載っていない(時間的に厳しかったんだ)ために、何とも味気ないシーンが続き、遂に最後の『本道』に辿り着いた。実は、このストーリーにだけ、ある音を入れてあった。主人公は読書家のブリル氏に詩を見せ、氏は彼に窓の外を見るよう促す。そこに鴉の鳴き声を入れた。あともう一カ所、ブリル氏に「詩人は諦める様に」と諭され銃を手に入れ自宅に戻った主人公が、詩をストーブにくべる時にも。日田先輩の目が潤みだした。最後までテキストを読み終え、眼鏡を外し目元を拭った先輩は、一言だけ呟いた。

「新しい、部の名称を考えなければね」

先輩の同意が得られた瞬間だった。

 名称は、結局のところ僕が適当に提示したものがそのまま通ってしまった。『海外文学部』の廃部届と『クラウドの深淵をのぞクラブ』の創部願いが同時に受理され、部室を始め成果物もほぼそのまま引き継ぐ形で新しい部が誕生した。部長には日田先輩が就任し、僕と安高さん、生田が加わり部員は四人となった。外見は変わっても、実質『海外文学部』は残ったんだ(顧問もそのまま)。

 部活動を終え、校門を出た時には六時近くになっていた。僕と安高さんは朝来た道を、部活動の事などを中心に話しながら逆に辿り、六時半過ぎには彼女の家の前で別れた。うちには明りがない。姉はまた今日も遅くなりそう。玄関の扉を開け電灯を点ける。三和土にはサンダルが一つ。靴を脱いで上がり自分の部屋へ。鞄を置き朝と同じ部屋着に着替えると、脱いだワイシャツを手にまずは浴室へ向かう。ワイシャツを籠に入れると風呂を沸かし(スイッチポン!だけれどね)、ダイニングへ。冷蔵庫を開けると、お、手作りのシーザーサラダ、それにハムとチーズのサンドウイッチ!昼に作っておいてくれたんだ!ありがたや、と心の中で唱えつつテーブルの上に置きラップを剥がす。他にコンビニのマカロニサラダ、キュウリの漬け物など。頂きます、と小さく呟き一人の夕食にする。黙々と静かに食事を終えると、残り物を冷蔵庫に仕舞ったり、食器をキッチンに持っていったりして(洗うのは姉がやってくれる)、いったん自分の部屋に戻った。一休みするとお風呂の沸いた頃合いを見計らい、替えの下着を持って脱衣所へ。

 ガレージと脱衣所の出入口は並んでいる。風呂上がり、少し熱気を冷ましてから部屋着を着て脱衣所を出る。脱衣所の電灯を消すと、扉の磨りガラスから漏れていた明りが無くなり廊下は小玉電球一つの暗さになるけれど、迷うことなくガレージの扉を開け電灯のスイッチを入れる。少々チラつく蛍光灯に、十二畳敷きほどのコンクリート打ちっ放しの室内が照らし出された。長方形の長辺の壁は両方ともスチール棚で殆ど見えず、出入口すぐ横の短辺にあたる壁の前には事務机が二つ並ぶ。その上にはデスクトップパソコンやそのモニタ、ノートパソコンにマルチプリンタ等が置かれている。中央には大きな作業台。奥のシャッターは下ろされ、その前には透明の収納ボックスが積まれている。ここが株式会社マキナテック創業の地にして、今の僕の基地。部室にある機械類や日田先輩に作ったアドベンチャーゲーム(?)はここで生まれたんだ。デスクトップパソコン正面のオフィスチェア(父が使用していたもの)に腰掛けパソコンに電源投入、起動するのを待つ間ぼんやりと周囲を眺める。ここにいると、時折両親が突然入ってくる様な気がする(実母は殆ど記憶にないから継母の方ね)。そんな時は、そんな事は有り得ないと自分に言い聞かせつつそっと目元を拭うんだ。三年近く経っても悲しみが消える事はないし、この先何年経とうと恐らく同じだろうな。でも、薄れはするんだろう。実際それは、二人の死を知った時の事を思い返せば実感できる。結局のところは時間にしか解決出来ない問題、というところなんだろう。では、その時間を、悲しみが薄れるまでどうやって過ごせばいいのかな?姉には、マキナテックを継承、発展させるという大きな課題、目的があった。では僕は?後から考えると、ただ単に無気力になっていただけじゃないかな。中学時代も一時期『工作部』の活動に集中してはみても結局乗り切れなくて、高校入学当初の帰宅部時代もさっきはあんな風に言っていたけれど、半分はこちらが理由だった気もする。そんな状況を変えてくれた(少なくともそのきっかけをくれた)安高さんには心新たに感謝を。と、それはともかく。

 今日はやる事があってガレージに来たんだ(やる事が無くてもここでネットを徘徊していたりするけれどね)。リコ先生が表計算ソフトで試験結果を管理するのに四苦八苦しているのを知った(愚痴られた)ので、その手間を軽減するアプリケーションを作成する約束をしたんだ。画面レイアウト、インタフェース等は考えてある(部活動中に考えておいたんだ)。

 ウィンドウを上下に二分割し、上半分には試験全体の情報(クラス、試験種別、実施年月日、担当者、試験科目等々)、下半分には生徒毎の成績を一件ずつ、それぞれ入力できる様になっている。成績入力部分には出席番号、氏名、点数の入力項目と、『表示』『登録』二つのボタン。入力を終え『登録』ボタンをクリックすると、入力項目はメモリ上の記憶領域に取り込まれる。メニューバーには『ファイル』と『編集』、『ファイル』をクリックすると『セーブ』『ロード』『終了』、『編集』では『削除』のメニュー項目が表示される。ソフト起動時には、上下共に入力項目部分は空白状態だ。成績情報を入力して登録するさい、成績データは出席番号順に整列される。一通り入力し終えたら、『セーブ』を選べば表計算ソフトで利用可能なテキストファイルに編集し、試験毎に識別可能な名称(『2B中間英語_YYMMDD』など)を付けて保存する。そのファイルを表計算ソフトで開けば、印刷なり修正なりは容易な筈だ。もしこのファイルをこのアプリケーションでロードした場合、当然入力項目にはそのファイルの内容(生徒のデータには、一番出席番号の若い生徒の情報)が表示される。他の生徒の情報を表示、修正したければ、出席番号を修正して『表示』ボタンを押せばいい。ちなみにファイルセーブ/ロード時にはファイル操作ウィンドウが表示されるので、好きなフォルダにアクセスが可能になっている。もし生徒の情報を削除したければ、『編集』の『削除』をクリックすれば表示中の生徒の情報は削除される(表示情報は、次に来る出席番号の生徒のものになる)。そのままファイルに上書きセーブすれば、削除された生徒の情報は失われる(上書きOKか訊いてくるので、『はい』ボタンをクリックすればいい)。と、ここまでは真面目に説明してみました、ふぅ。

 固めた機能や操作方法に従いプログラムを組んでゆく。この程度のプログラムなら特に仕様書は作成しなくても大丈夫。試験仕様(このプログラム自体の動作を確認する為のね)も、通り一遍の操作のほかエラー処理(例えば出席番号とか点数とか、数字以外入力不可の項目にアルファベットを入力したらどうなる、とか)を幾つかメモ書き程度に。あとは色々と弄って見つけた不具合を修正してゆくくらい。その作業に熱中していると、小さく姉の声が聞こえた。壁の時計を見ればもう十時半近く。かれこれ三時間近くも作業をしていた事になるね。

「まだ起きてるの?」

出入口から顔だけ覗かせながら、少し呆れた調子で訊ねてくる。

「もうちょっと。今日中に片付けたいんだ」

「そう。まぁ、剛君の事だから大丈夫だと思うけれど、ほどほどにね」

「うん。お風呂入っちゃえば?」

扉を閉めかけた姉へそう声を掛けると。

「はーい。なんなら一緒に入る、昔みたいに?」

「入らないよ。もう入ったし」

「なんだ」

今度こそ完全に扉が閉められる。まったく、十六にもなるのに一緒に入ろうなんて。


 翌朝は洗濯はないけれど、起床時刻は変わらない。昨日出ていた宿題を軽くこなし、七時少し過ぎには朝食の用意にはいる。といって、こちらも昨日と代わり映えは無し。せめて今日はホットミルクにしよう。キッチンでヤカンに牛乳を沸かしている間に、姉がダイニングに入ってきた。

「お早う」

もう戦闘モードONの姉は、テーブルに着くとキュウリの漬け物のパックを開けた。

「はい、熱いよ」

ヤカンを手にテーブルへ。マグカップにたっぷり注ぐ。ヤカンを鍋敷きに置くと、僕もテーブルに着く。

「いただきます」

二人とも小さく呟いて、食事は始まった。

 八時十五分前に安高さんが来る時には、通学準備を全て調え玄関先にいた。学校前の道で生田に遭遇するかと思ったけれど、会わずにすんだ。生田は逆方向(東川口)から来るから、ちょっとした擦れ違いで会わない事も多いけれど。

「今日はラッキーかな?」

呟くと

「生田君が悲しむよ?」

安高さんが笑顔で返してくる。

「いいのいいの、あいつは二次元の友達さえいれば良いんだから。ほんと毎朝あの調子じゃ、僕まで同類と思われて困るよ」

「もう思われてるかも?」

「ええ!?それは勘弁してよ!」

笑い声をたてながら、僕達は校門を潜った。すぐに山下さんと生田が追い付いてきて、僕はやはり山下さんの横顔に見とれる事になった。

 放課後、部室に鞄を下ろすと間もなくリコ先生もやって来た。携帯してきたノートパソコンは私物で、それに僕製のアプリケーションを入れるという事で。学校のパソコンにはウィルス対策もあって特定のソフトしか入れられないので、私物のノートパソコンを持参したそうで。でも、成績等の個人データの入ったパソコンは持ち帰れないので、学校内でしか使えないという、何とも面倒臭い事で。

「元データが出来れば、あとは学校のパソコンで印刷するから」

一通り使用法を説明したあとこのパソコンをLANに繋ぐのか、と訊いたらこういう説明があった。

「でも、これで作成したデータを入れても良いんですか?まぁ、ただのCSVファイルですけれど」

「CSVファイル?」

「はい。まぁ、ただのテキストファイルです。HTMLファイルみたいに」

「そうなの…」

「まぁ、印刷する時には罫線とか書式とか調節して下さいね」

「え?それをしなくちゃいけないの?」

「それくらいはして下さい。せめて罫線くらいは」

「なんだぁ」

「じゃあ、このプログラムはフォルダごと削除しますか」

「ちょっと待って!怒らなくても」

フォルダをクリックしてDeleteキーを押そうとした僕の右手を先生が止める。

「多少の苦労は厭わずにしましょうよ」

「了解…どっちが先生なのかしら」

小さく嘆息する。三十路でも可愛らしい一面を時折覗かせる先生なんだ。

「なんなら、HTMLファイルも生成出来る様にしましょうか?印刷するだけなら、それで充分だと思いますけれど」

「簡単に出来るの?」

「まぁ、ファイルセーブ時の編集機能と生成のチェックボックス追加くらいとして、大して掛からないと思います」

「本当?それならぜひお願いしたいわ」

「了解」

こうして機能追加は決まったのでした、と。


 彼女達は、長時間有効な方式を検討していた。何に対してか?掃討任務のため派遣された軍隊に対してであった。兵力というものが員数を揃える事であるならば、彼女達(を含むある種の集団)は劣勢に立たされざるを得ないのであった。それを補い、あらゆる地域で戦闘を展開可能な兵器の開発。扱い易く小回りのきく、コンパクトで生産性が高く可能な限り廉価な陸上兵器の開発を彼女達はスポンサードされ行っていた。遠隔操作され様々な地形、状況で歩兵を支援、先導可能なものを求められていたが、議論は満足な結果に到ってはいなかった。装輪式と装軌式の両方で試作機を作成し検討を進めていたが、いずれにも欠点があった。地面の凹凸により搭載した火器の射線が激しく振動し、発射時の反動も加わり命中率が低い。小型の車体では踏破可能な遮蔽物も多くはなく(火器自体の重量に加え、弾薬や火器制御、その他遠隔操作関連の装置類等を搭載しているため重心が高くなり、踏破時に転倒し易くなる)、車高も低ければ射界も狭くなってしまう。では車体を重く、大型にすれば良いのか?それでは運搬や秘匿に支障を来す(ここで明言しよう。使用者はテロリストなのだ)。では車体と火器類を分離して一メートルほど上方に配置し、射界を広く、また車体の振動、姿勢の影響を極力排除し安定的な射撃を可能とする機構を搭載すれば良いのではないか?しかしそれでは余計に重心の問題が大きくなり踏破性能が…その様な議論の袋小路に、彼女達は嵌り込んでいた。


 二月に入って例の、男子のステータスを決定付けると言って過言ではない(毎年様々な喜悲劇を各地で引き起こす)魔のバレンタインデーを生き延びた(チョコを貰えない訳ではなくて、ただホワイトデーも含めた姉と安高さんとの遣り取りは、一種の儀式と呼べるものだし。ああ、日田先輩は虚礼廃止論者だそうで、義理チョコとかは無かったな)二月中旬のある日、僕は我が部にある機械達を持ち込んでいた。それらは実は一月下旬から設計を始めていたもので。

「これは、四足歩行ロボット?」

目の前の、大テーブルに二体並べられたそれを、リコ先生は興味深げに見ていた。その通り。機械と骨組み、基板剥き出しのそれらは、全長三十センチ、全幅四十センチ(脚部含む)、全高二十センチほどの空圧シリンダ使用の四足歩行ロボットだった。長方形の金属製胴体の四隅から突き出した全長十センチほどの金属製脚部の先端には、小型のシングルロッドの複動型(つまりロッドの出し入れの制御可能な)空圧シリンダ。それは脚部の先端とスプリングで繋がれ、一センチほど伸び縮みする。脚部の付け根には小型のステッピングモータ(回転角度、回転スピード等を自由に制御出来るモータね)。胴体には制御基板と、空圧シリンダ駆動用のこれも小型のエアコンプレッサ、そこから伸びる四本の細いチューブ(途中電磁弁を介して八本になる)、電源部、等々。二体とも、ほぼ同じレイアウト、外見だった。ただ、片方にはほぼ中央に横長直方体の機械が付加されている。

「これ、何だ?」

指さしながらの生田の問いに、僕は笑みを浮かべた。

「それは動かしてみてのお楽しみ」

四足歩行ロボットを二つ、大テーブルの下座側に持ってゆく。上座側を向いてほぼ同じ位置に並べ、スイッチを入れた。

「おお!」

生田が声を上げる。他の面々も興味深げにその光景を眺めていた。スイッチONのとたん、二体の空圧シリンダが全て一センチほどロッドを伸ばし、胴体が浮き上がる。そのうち一つが引き込まれ、脚部が前方に七十度ほど回転する。停止すると再びシリンダのロッドが押し出され接地、この手順を全ての脚が完了すると、胴体を突き出す様に脚部が回転する。以後、これの繰り返し。脚部モータと空圧シリンダ、エアコンプレッサの駆動音、あとは忙しないエアチューブの電磁弁の切り替え音。

「なんか、速くねぇなぁ」

「まぁね。スピード重視で設計した訳じゃないから。手元の空圧シリンダの使い途を考えていたら、ね」

「ところで、何で二体作ったんだ?」

テーブルの上を一生懸命歩くロボットを見較べつつ、生田が不思議そうに訊ねてくる。

「見て判らない?」

「ああ…何か、動きが違う?」

「それはそうだ。何の動きが違う?」

「ああ…足の、動く順番?」

「その通り!」

僕はロボットの脚部を指さしながら説明を始めた。

「こっちは最初、右側の後ろ脚、前脚、左側の後ろ脚、前脚、っていう風に動作する。ところが、こっちは右側の後ろ脚、前脚、左側の前脚、後ろ脚っていう風に動作する様になっているんだ。そうすると、何が違うと思う?」

「いや、そんな事言われても」

生田をはじめ、皆一様に困惑した表情を浮かべている。

「うん。簡単に言えば重心制御が変わってくるんだ」

「重心制御って?」

「うん、だからさ」

僕は歩き続けているロボットを指さしながら、説明を続ける。

「こっちは片方の後ろ脚から動き出して、反対側に移っても後ろ脚から動き出す。これは犬とか馬とかの歩きの状態と同じなんだ。こうすると支持三角形から重心が外れないんだよ」

胴体の上で手早く三角形を中空に描く。そして、今度はもう一方を指さし

「でも、こっちは違って、支持三角形から重心が出てしまうタイミングがある。だから、この中央にある重りで重心を傾けてあげるんだよ。もちろんタイミングを計ってね」

二体のスイッチを切ると、部室内には静寂が降りてきた。ついでに沈黙も。

「どうです?」

感想を求めても、一同は困惑した様に互いの顔をチラ見するだけで。

「…あー、何か凄いのは、判る、気がするな。しかし」

生田は言葉に詰まってしまう。

「申し訳ないけれど、槙奈君の説明が良く理解出来なかったわ」

日田先輩が額に右手を当てつつ曰う。うーん、難しかったかな?

「そうですか…それじゃあ、まず基本的なところから」

鞄を開き、レポート用紙を取り出す。一枚目に簡単な炬燵(布団無しの)の上面図を描いた。

「炬燵には、四本の足がありますよね?で、今みたいに寒くなると物置から引っ張り出してきて足が足りないとか、そういう話になる。でも、工夫次第で理論的には足りない足の代わりに何か置くとかしなくても、何とか使えますね」

「何だそれ?」

「足一本足りないだけなら、まぁ二本以上では無理ですけれど、三本の足が形作る三角形内に重りを置けばいい。まぁ、実際には布団とか載せてちょっと引っ張ったりすれば転倒する危険性が高いでしょうが」

炬燵の足を一本塗り潰し、残る三本の足を頂点とする三角形を描くと塗り潰した足の、対角の足の上に蜜柑を盛った籠を描く。

「四足歩行ロボットも、歩行中は同様の状態な訳で。一本の脚が上がっている、これを遊脚ゆうきゃくね、他の脚は地面に着いている、これが接地脚せっちきゃく、そういう状態を常に保ちつつ、遊脚を順次変えつつ前進するんです。その時、機体の重心がこの三角形の外に出たら、つまり、この籠が塗り潰した足の方へ偏ったら、機体は倒れてしまいます」

縦にしたレポート用紙をめくり、上から順に四つ、横向きにロボットの胴体の略図を描く。用紙右側に進行方向の矢印を付けた。

「まずは右側の後ろ脚、前脚、左側の後ろ脚、前脚という風に動かす方ですけれど」

それぞれの略図の脚を描き足し、胴体の中心に小さめの円と、接地脚を頂点とする三角形を示す。

「少々いい加減かも知れませんが、円で示した重心が常に三角形の中にありますよね?では、次は右側後ろ脚、前脚、左側前脚、後ろ脚の順を」

次の用紙にさっきと同様に略図を描く。

「今度は三角形の中に円がない瞬間がありますよね?つまり、このままでは機体は左後方に傾いてしまう訳です。そこでこちらには重心部分に重りを吊り下げた振子を設け、重心が三角形から外れないよう振子を傾ける訳です。さっき言っていたのはこういう事で」

「そう」

日田先輩も一応納得してくれた様で小さく頷く。他の面々も同様。

「それを、文化祭に展示するの?」

リコ先生がロボットを見較べつつ訊ねてくる。

「そのつもりですが?」

「そう…だったら、今の説明もちゃんとパネル展示なり何なりしてね」

「はい」

こうして、我が『クラウドの深淵をのぞクラブ』の活動の成果が追加されたのでした。

 この辺で唐突だけれど、僕が山下さんに心惹かれたエピソードについて、ちょっと恥ずかしいけれど触れておきたいと思う。と言っても、正直劇的なものじゃないんだ。ただ僕の方が見詰めていただけで。あれ、何か気色悪いかな?まぁ、それはともかく。

 あれは昨年の五月下旬の事だった。当時はまだ帰宅部だった僕は、その日は一人で下校していた。安高さんは図書委員の用事で遅くなるのが判っていたから、先に帰るという暗黙の了解があって。そうして一人で校庭の横を歩きながら何気なくトラックの一隅を見遣ると、そこに山下さんはいた。最初はただ単に、見知った顔だから目が止まっただけだと思うけれど、すぐに目は釘付けになってしまったんだ。五十メートルダッシュの順番を待つ間、スタート姿勢のチェックを繰り返している彼女。いざダッシュのポジションに着くと、彼女は他のどの部員より軽々と走り抜ける。僕には持ち得ない輝きを放つその存在が、その額に浮かぶ汗さえもが煌めいて見えたんだ。何本もダッシュを繰り返すその姿に暫し魅入られたのち、夢から醒めた様に僕はその場を離れた。今思えば、この時から甘酸っぱい夢の世界に足を踏み入れていたんだろう。まぁ、現実は酸っぱい、ヘタレた有様だったけれど。

 入学当初から安高さんと山下さんは顔見知りで、朝、通学路で顔を合わせ談笑する山下さんを不思議に思っていたんだ。陸上部に限らず、運動部で朝練のあるのは普通なのに何でこの時間に通学して、しかもエースなんだろうと。その事情を知るのはもう少し後だったけれど、彼女が短距離走のエースでいられる理由は直に目撃出来た。六月中旬の事だった。

 安高さんと下校して、家に着いてから宿題のノートを忘れた事に気付いた。提出は翌日で、その日のうちに取りに行かないといけなかった。家を出た時には五時半を回っていて、行って帰ってくる頃には七時近くなっているだろうと予想出来た。時期的にまだ明るさの残る時間ではあったんだ。

 学校の正門はまだ開いていて、校庭の横を通り掛かると女子陸上部はまだ何人か残って練習をしているのが見えた。その中の一人が山下さんだった。部員達と言葉を交わし、自分のスタイルを煮詰めてゆく。そのストイックさ!別に彼女に限った訳ではないのだろうけれど、僕には際だって見えたんだ。そうして暫し留まっていた足をようやく再び動かして教室へ向かい、ノートを見つけて校庭へ戻ってくるまでの十分に満たない間に陸上部員は彼女だけになっていた。茜色の残照のなか、汗みずくになりながら自分の練習を黙々とこなす山下さんに、後から思えば声を掛けるチャンスだったのかも。一応安高さんという接点もあって、不可能ではなかった筈なんだ。でも、その時の僕にはそのまま帰宅して風呂を沸かし、食事を済ませる事の方が重要だったんだから、我ながら情けないったらないよね。結局、その後もなかなかまともに話せないままだった事の原因は、ここにあったのかも。まぁ、たとえ声を掛けていたとしても、碌に会話が続かなくて山下さんの邪魔になっただけ、っていう可能性が高かったかな?要はチキンハート、っていう事か、悲しい。まぁ、それはともかく、そうしてそのまま何の進展もなく時は流れて、学年末試験を気にし始めるころ、その話は持ち上がったんだ。

 まさしく青天の霹靂、晴れた日の雷鳴。三月初旬のその日、部室で疾風怒濤の如くその情報は僕の脳裏を駆け抜けたんだ。

「え?山下さん、引っ越すの?」

自分でも、かなり間の抜けた声だったのは判った。

「お父さんの単身赴任が三年延びたらしくて。弟さんも四月で小学校だから、それならいっそ静岡へ引っ越そうか、っていう話になったって」

僕の様子があまりに無様だったんだろうね、安高さんは気遣わしげに話してくれた。

「そう…そう、なんだ」

全く自分でも信じられないくらいの落胆ぶりだった。碌に口も利けていなかった癖に、とか言われると辛いけれど、人の心なんてそんなものじゃないかな?ほんの些細な事で人に好意や嫌悪を抱いたりとか。とにかく、自分でも予想外なほどの衝撃だったんだ。

「それで、終業式の後でお別れ会をしようって」

「女子陸上部で?」

「うん。でも、私も呼ばれてるし…剛君も参加する?」

「いいの?」

「…多分」

小さく頷く安高さん。本当に?でも、どう接すれば…

「おいおい、絶好のチャンス到来ってか!?」

隣の生田が肩を組んできた。鬱陶しいなぁ。更には耳元で囁いてくる。

「コクッちゃえよ。憧れの遠距離恋愛が叶うかもだぜ?」

「憧れた事なんて無いって。だいたいいきなりそんな事したら引かれるだろ?」

「告白なんてのは大体がいきなりなもんじゃね?ま、たとえ引かれたって、そんときゃ甘酸っぱい思い出の一ページにすりゃ良いだけだろ、な?また会うかどうかも判らないんだしさ」

そりゃ、校内で気まずい思いせずには済むだろうけれどさ。

「玉砕したらしたで、いっそ清々しいぜ?それで気持ちをリセットしたら、案外あっさり新しい恋が見つかるかも知れないしな」

言って何故か向かいの安高さんへ視線を送る。その意味がよく判らなかったんだろう、キョトンとしている安高さん。

「そうかなぁ?」

確かに、そういうものかな。「ご免なさい」なら、それはそれで当然の事だろうし。

「…どうする?」

安高さんの声が、少し震えていた。見れば、心なしか悲しげな表情にも思える。やっぱり僕以上に山下さんとの別れは辛いだろうね。

「うん…じゃあ、お願いしようかな」

「…判った」

それきり安高さんは口を噤んだ。沈黙を通していた日田先輩が僕を見て、小さく嘆息した。

 まぁ、当初の予想通り、かな。思いっきり、浮きまくってまーす。ここはJR川口駅近くのカラオケボックス。山下さんの周辺には、女子陸上部部員やクラスメイトなど十数人。その中にはもちろん安高さんの姿もあって。とにかくそこには男子一名、つまり僕だけ。盛んにチラ見されては笑い声が上がる。これが針の筵ってやつ?頼みの綱の安高さんも、こちらをチラチラ見ながらも、山下さんへ僕の話を振りかねている。誰かがマイクを握った時も、女子達の盛り上がりについて行けない。結局逃げ出した。情けないったら。

 男子トイレの入口近くでもうそろそろ帰ろうかと(安高さんは残して。歩いても帰れる距離だしね)携帯電話片手に思案していた僕は、廊下をやってくる足音に気付いて壁から上体を離した。もしお別れ会の面々だったらトイレから戻るふりをしようと思って。果たして曲がり角をやって来たのは、誰あろう山下さんだった。

「あ…お手洗いはこっち?」

僕の姿を認めて少し驚いた様な声を出すと、咄嗟に続けて訊ねてくる。それは判った上で来たんだと思うけれど。

「あ、うん。男子の隣」

僕も馬鹿みたいに、言わずもがなの返答をする。全く、何をしているのやら。

「そう…ありがとう」

小さく頷いて、僕の横を通り過ぎようとする。おい自分、何をボサッとしている!願ってもない二人きりのシチュエーションだぞ!

「あ、あの、山下さん」

上ずった声の僕の呼び掛けに、山下さんは、ん?と言いたげに振り返った。

「その、実は…あ、余り親しくもないのに、今日は安高さんの友人っていう事でお邪魔しちゃって」

「ううん。ミクからは君のこと色々聞いてるから。ホント、楽しそうに話すから羨ましいくらい」

ニッコリと笑い掛けてくれる。ああ、眩しすぎるよ。そうか、安高さん良い仕事してくれてたんだ、感謝!

「そうなんだ…実は、その、山下さんに言いたい事があって」

「何?」

「うん、ええと、これが多分最後で…実は、山下さんが好きです!」

もうどうなってもいい。言うべき事は言ってしまったんだ。山下さんは驚いた。当然だよね。ところが。彼女は直ぐに微笑んでくれた。それは、その場を取り繕う様なものじゃなくて(少なくとも僕はそう受け取った)。

「ありがとう、嬉しい。でもね…」

更に何か言い掛けて、思い直した様に小さく首を横に振ると踵を返した。歩み去る彼女の後ろ姿を、僕はただ黙って見送るしかなかった。その時の表情はどんなだっただろう?きっと間抜けなものだったに違いないな。僕は彼女の言葉の意味を計りかねていたから。ただ一つ、間違いなかったのは、僕は山下さんの彼氏にはなれなかった、っていう事で。友達にすらなれなかったかも知れなくて。急激にいたたまれなさが湧き上がってきて、僕は逃げる様にカラオケボックスを後にしたんだ。部屋へとって返し鞄を掴むと、おざなりな「さようなら」一つ残し、安高さんには一言も声を掛けずに飛び出した。山下さんとの別れの時を邪魔したくない、なんて格好良い理由じゃなくて、ただ何があったか直接訊かれるのが怖かったんだ。だから後で携帯電話を掛けたら、彼女は怒ってはいなくて、むしろ心配されてやはり一人だけ帰った理由を訊かれても返答に窮してしまい(電話越しにでも駄目だった)、たどたどしく嘘の『格好良い』理由を説明しなければならないのが辛かったんだ。


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