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高校二年生・一学期

第二章  高校二年生・一学期

 あっ、という間に春休みが終わり、僕は二年生に進級した。クラスは2ーB。あと一年、

生田と同じクラスという残念なお知らせは置いておいて、日田先輩はあと半年余りで引退

という事になる。新入部員獲得や文化祭の中心は、当然僕達新二年生だな。でも、正直僕

はどちらにも身が入りそうになかった。山下さんの一件が、ずっと胸の中に澱の様に蟠っ

ていたんだ。それを解消する(あるいはそれから目を逸らす)ために、僕は休み中にある

プロジェクトを立ち上げていた。それは

「二足歩行シミュレータ?四足の次は二足か?」

生田が少々呆れ気味に言う。

「まぁ、今度のはソフトオンリーだけれどね」

「とか言ってて、そのうち動くの作りだすんじゃねぇのか、あれみたいに」

言いつつ陳列台の方を指さす。そこには二月に作製した四足歩行ロボットが二台並んで置

かれていた。

「実際に作製するとなったら、もっと大きくなると思うな」

「え、どれくらい?」

「仮想的に今考えているのは、まぁ等身大くらいかな」

「そんなに?俺は三十センチくらいの玩具を想像したけど」

「はは、そんなに小型化するのは難しいよ。何しろ可能な限り人間と同じ歩き方をする二

足歩行ロボットだからね」

「それは…かなり難しそうね」

日田先輩も少々驚いている様だ。確かに、それはそうだろうな。

「覚悟はしてます」

「結構な金額になりそうね」

「とりあえずはあくまでシミュレータですから。パソコンは新しく調達しなければならな

いかも知れませんが、ソフトは殆どかからないと」

「そう。もう作成に掛かっているの?」

「休み中にシミュレートする仮想のハードウェアとシミュレータ自体の仕様を固めて、ち

ょこちょことプログラミングし始めたところですね」

「それで付き合い悪かったのか」

生田が言っているのは、春休み中にあった様々な遊びのお誘い(花見だ、カラオケだ、買

い物だという)の多くを断り、あるいは途中で切り上げた件の事だ。

「音楽部の定期演奏会の時も、それで早めに切り上げたのね?」

日田先輩の声には呆れが混じっていた。はい、その通りです。すみませんでした。定期演

奏会は音楽部が春、夏、冬の各休み中に一~二回学校や公民館等で無料で行っているもの

で、先輩の手がけるアドベンチャーゲームの音楽を担当して貰える事になったので、打ち

合わせがてら部員全員で出掛けたんだ。

「いやー、音楽のイメージは先輩がよく判ってらっしゃるでしょうから、調整はして頂け

るかな、と」

「確かに、そうだったわね」

小さく頷く。

「ところで、それいつ頃仕上がるんだ?」

生田が怪訝げに訊いてくる。

「んー、あと二ヶ月半、てところかな。実際に制御プログラムを組み込む時に、また色々

と考えなきゃならないし」

「私の作業はその次?」

「早く素材が上がってくるなら、並行して少しずつでも作業は進めてゆくつもりですけれ

ど」

「そうかいそうかい。ところでだ」

生田が不機嫌そうに大きな声で割って入る。

「俺のプロジェクトは、どうなるんだ?」

ここでのプロジェクトとは、生田がシナリオ執筆した美少女ゲーム(十八禁もどき)の事

なんだ。

「ま、とりあえず文化祭後、かな」

「って、半年も待たせるのか!」

生田と僕の遣り取りを、訝しげに眺めていた日田先輩が

「何のプロジェクト?」

と、当然ながらも、突っ込まれたら何とも答え辛い質問を投下なさった。

「いや、まぁ、個人的なものを槙奈君に依頼してまして」

あからさまに挙動不審な生田と、頬を幾分朱に染め、俯き加減の安高さん(前から二人の

遣り取りは耳にしているからね)を見較べ、どうせ碌でもないものだろうと見当を付けた

のだろうね

「そう」

と日田先輩は深追いを避けた。

「まぁ、そういう訳で、スケジュールは了承頂けますか?」

「了承します。そのシミュレータも展示予定なの?」

「そのレベルにまで仕上がったら、としか今は」

まぁ、未知の領域もあるし、確約は無理だった。

「そう。では、活動報告に予定として一応記載しておきます」

各部は各学期終了毎に活動報告書を纏め生徒会に提出する義務がある。具体的にどの部員

がどの様な活動に携わったか、といった事も記述される(これが例えば野球部とかならレ

ギュラー名と補欠名、何の大会でどこまで勝ち進んだか、等)。それはともかく、これで

僕の二足歩行シミュレータ開発プロジェクトには、部からのお墨付きが頂けた訳だ。

 その日の帰り道、川口元郷駅ホームに降りた僕と安高さんは、それまでの沈黙を保った

まま出口へと歩いていた。

「…ねぇ?」

沈黙を破ったのは安高さんだった。

「何?」

努めて明るく問い返す僕。

「夏休みにでも、カナに会いに行こうか?」

突然こんな提案をしてきた。内心うわっ、と僕は思った。

「え?急に何でそんな…」

「剛君、無理してるよね?カナと遠く離れて」

うん、やっぱり判るよね。確かに山下さんと会えなくなって落ち込んでいる部分はあると

思う。でも、何より僕を悩ませているのは、彼女の最後の、引っ掛かりを残すあの言葉な

んだ。明確な返答を貰えなかった事で、妙な期待でも膨らんでいる?でもそれなら、もし、

会いに行ったら、あの言葉の意味を確認出来ちゃうよね?それって、結構怖いな。でも、

そうしなければこのもやもやは解消出来ないし…

「剛君、胸に何か抱えている時に凄い事するよね。城崎きざき君との賭けの時だって

…」

「城崎?ああ、テストの点数を賭けた時の」

城崎というのは中二の時のクラスメイトで嫌な奴だった。これが一方的なら、反りが合わ

なかった。自慢したがりで、確かに成績は良かったんだけれど。嫌みたらしい点でも、僕

のみならず周囲の少なからぬ反感を買っていたっけ。で、どういう流れだったかテストの

結果で賭けをする羽目になって、勝者の権利としてどういう訳か安高さんと一回遊ぶ、と

いうのを城崎が提示してきて。これまたどういう訳か安高さんもそれを了承して。で、結

果としては僕の惜敗だったと。

「待ち合わせ場所に剛君達がやって来た時の、城崎君の怒り様ったら」

なぜか頬を紅潮させながら、そう言って小さく笑う。そうなんだ、負けてもやもやしてい

た僕は、クラスメイトを何人か誘って(みな城崎に反感を持っていた)安高さんから聞い

た待ち合わせ場所に押しかけ、『二人きりで』っていう条件が無かった事を理由に引っ掻

き回してやったんだ。

「うん、それが目的だったし」

僕も笑う。

「だから、ね?カナに会いに行こう?」

笑みを納め、再びそこへ話を持ってゆく。僕は返答に窮してしまった。もやもや解消の為

には会うべきか。でも、会って好ましからざる結果が判明してしまったら…

「…うん…考えとく…」

ようやく口に出来たのは、そんな無意味な言葉だった。


 彼女達は焦燥していた。スポンサーからの催促の使者が頻繁に訪れては、成果を一刻も

早く提示するよう迫ってきていたのであった。彼らはある事情から、公共通信システムの

使用には極めて慎重であった。肝要な点は通信網を通さない、止むを得ず使用する場合に

は高強度の暗号化を施す、等の規則を徹底していたのであった。重要な物は、たとえそれ

が通信で事足りようとも人の手を介し受け渡す、それが彼らの流儀であった。だから、彼

女達も使者にそれらのメディアとバインダを手渡したのである。遠隔操作型の自走式銃座

(装軌式)試作機を基とした設計図のCADデータ、制御プログラム、組み立て・運用マ

ニュアル一式を。しかし、それは結果的にスポンサーのお気には召さなかった。現場での

運用面に、多々難点があったのである。しかし、それは彼女達も試作機作製の段階で重々

承知の事であった。だからこそ、焦燥していたのである。


 二足歩行シミュレータ作成の件を公表してから数日後の夜、僕はリビングで応接セット

のソファに腰掛け姉が風呂から上がるのを待っていた。陽気も良くなってきて、あんまり

風呂上がりに姉と会いたくはないんだけれど。その理由は…

「んー、いいお湯だったぁー」

気の抜けた様な声と共に姉が入ってくる。その格好はほぼ全裸。ほぼ、というのは首に掛

けたタオルで辛うじて胸が隠れていて、パンティも履いているから。まぁ、タオルの方は

ちょっと動く度に胸の頂がチラ見えするんだけれど。これだから風呂上がりは…

「今日も剛君は遅いのぉ?」

パジャマ姿でない僕を見て、少し眉根に皺を寄せる。戦闘モードOFF時の弛んだ表情に

は不釣り合いだね。

「うん、新プロジェクトの調子が上がってきて」

「あんまり夜更かしは感心しないわぁ。あと半年もすればぁ、嫌でもしなくちゃならない

日々が続く様になるのよぉ?」

ソファの、僕のすぐ隣に腰を下ろす。毛先の水気をタオルで拭くと右の胸が丸見えになる

けれど、全く気にする様子もないんだ。

「…実は、支出をお願いしたいんだけど」

「何を買うのぉ?って、何でこっちを向いて話さないのぉ?」

それは姉さんが無神経だからだよ、とは言わず、心持ち顔を姉の方へ向ける。

「最新のパソコンを一台。メモリも出来るだけ速くて大容量のにしたいんだ」

「今あるのじゃ駄目なのぉ?」

「うん。ハードウェアのシミュレーションに、今のじゃアクチュエータの動作遅延が大き

くなりそうで」

「ハードウェアって、何のぉ?」

「二足歩行ロボットだけど」

「…ええ!?」

姉の手が止まる。ん?何かいま、目の色が変わった様な。戦闘モードONになった?

「それって、どういう物?」

やっぱり口調も変わっているし。身を乗り出し気味にこちらに向き直った、その真剣な表

情がちょっと怖い。

「いや、そんなたいした物じゃなくて…」

「どういう物?」

語気が少し強まる。やっぱり怖い。

「うんと、まぁ、出来るだけ人間に近い歩行をする様な物が出来ればなぁ、とか」

ごまかし笑いを添えつつ。しかし、姉は和む事もなく、少し考え込む様にしながら。

「…かなりハードルが高いわね」

「うん、そうだろうね。だから良いんだけれど」

「そう。そのチャレンジ精神や良し!」

実際にはそんな御大層な動機じゃないんだけれど、まぁいいや。って、抱きつかないで!

「まぁねっ」

両肩を押し返して引き離す。姉は少し拗ねた様な表情をした。

「うぅ…判ったわ、支出してあげる。出来るだけ高性能が良いわよね。四十万ぐらい?」

「そんなに高価なのは…」

「どうせならグラフィックボードでもメモリでもストレージでも贅沢にいかないと。必要

なら増額しても良いわよ?」

何か、姉が異様に乗り気なんだけれど。それこそ僕以上に。

「はは、そんなに大盤振る舞いしてくれるなら、お言葉に甘えようかな」

姉の動きを警戒して引き気味に答える。

「そうしなさい!ところでシミュレータだけなの?ハードは作製しないの?」

意気込んで訊ねてくる。顔が近いよ!さっきの一騒動でタオルも落ちちゃって胸が丸出し

だし!

「あぁ…いや、僕の考える通り動作するかもまだ判らないし。それを確認する為のシミュ

レータなんだから」

生田と同じ様な事を言うよな。まぁ、当然なのかな。

「そうか…そうよね。ええ、判ったわ、お金は明日にでも用意しておきます。自分で納得

いく物を購入して」

ようやく姉は身を引いてくれた。落ちたタオルを拾い、リビングを出て行く。次の休日に

はアキバだな。

 さてと、この辺で僕が作成中の二足歩行シミュレータについて少し詳しく触れておくと

しようか。これを一言で表現するなら、『二足歩行ロボットをシミュレートするパソコン

用アプリケーション』という事になるかな。つまり仮想の二足歩行ロボットをソフトウェ

アとして実現して、それを制御するプログラムをシミュレータ上で動作させ、その結果を

3DCGのロボットとして表示させる、という事をするプログラムなんだけれど。ロボッ

トの制御プログラムは、ロボットの仕様に従って二足歩行出来る様に各アクチュエータに

指示を出し、各種センサ等から上がる情報を基に指示内容を変更したり、別の指示を出す

といった制御を行う。と、非常に簡単に言えばこういう事をする。まぁ、CGに関しては

DirectXの様なライブラリを使用するからそれほど大変でもないけれど。より大き

な問題は、制御プログラムのシミュレーション機能なんだ。制御プログラムはCやC++

(というコンピュータ言語ね)で記述され、コンパイル、リンクによって実行ファイルが

生成される。シミュレータ内にはこの実行ファイルを動作させる為の、謂わばソフトウェ

アのパソコンが構築されていて、シミュレータはこのソフトウェアパソコンから出力され

る指示に従い仮想ロボットを駆動させ、指示に対する応答やセンサからの情報(ダミーだ

けれどね)等を入力してやる。こう書くと、何か酷く複雑に聞こえるかな?実際に結構複

雑だけれどね。あ、あと注意すべき点が一つ。制御プログラムはソフトウェアパソコン上

でしか動作しないんだ。このソフトウェアパソコンに搭載される(と想定される)CPU

やOS等は、パソコンのものとは違う。これは両者で必要とされる機能や性能等に差異が

ある事等によるのだけれど、制御プログラムの実行ファイルを生成するソフトウェア群の

動作環境(ハードウェア、ソフトウェア合わせて)と、生成された実行ファイルの動作環

境が違う、今回の様な事をクロス環境なんて言うんだ(プロローグで少し触れたね)。

 次は、仮想二足歩行ロボットの構造について。ロボットは上半身部と下半身部に二分さ

れていて、二足歩行だから一応人型はしている。ただ、当面は二足歩行出来る事が主眼だ

から、上半身部は殆ど可動しない。ただ、ロボットの心臓部と頭脳である電源と三つの制

御モジュール(各々がソフトウェアパソコンに該当する)が格納される。更に重心を偏向

させる為の仕組みも組み込まれている。これは四足歩行ロボットにも組み込まれていた物

があったけれど、二足歩行の場合、接地脚は常に一本だから支持三角形というものは存在

しない。そのため一方の脚が遊脚(踏み出す脚)となったとき重りをもう一方の接地脚の

方向へ動かし、重心が偏向する様に制御する必要があるんだ。これがなかなかに難しそう

で、遊脚と接地脚の切り替わりに応じて迅速に動作する必要がある。もちろん遊脚も接地

脚も同時に動作している。脚は、大まかに言えば大腿部、大腿部付け根、膝関節のステッ

ピングモータと、接地時の衝撃吸収及び接地確認を目的とする足首部付け根の空圧シリン

ダ(押出単動型)、これらを支持、連結するフレーム(構造材とも言う)と電力線や信号

線、エアチューブ等々から構成される。脚の他にも駆動部分はあって、先に出た重心偏向

のためのスライドモータ(回転運動を線形運動に変換するモータ)、上半身部を回転(と

いっても左右六十度程だけれど)させるモータ、後は、股関節部にも左右の脚部をシーソ

ー状に上下動させる為の支持部を駆動するモータがある。これは大腿部付け根のモータと

連動して(まあ広く言えば下半身部や重心偏向機構等は全て連動するけれど、特に関連性

が強く)動作する。なぜこんな機構が必要なのか?一言で言ってしまうなら『直立姿勢に

おける自由度の縮退の回避』という事だけれども、まぁ詳細はおいおい、という事で。こ

のほかにロボット制御のため要所に設置されるセンサ類があるけれど、その話も後で必要

に応じて、ね。


 僕はシミュレータの作業に没頭していった。もはや僕を止められる者は無かった。帰宅

後はもちろん、部活中も部室のパソコンでコーディングをし、新人部員勧誘週間(各部活

動の体験入部や演説会等が行われる)も、余り記憶に残らない程だったな。そんな調子だ

ったから、一人でも新入部員があったのは意外に思えたんだ。要するに、安高さん達が頑

張ってくれたって事で。

「一年D組、蒲池かまち 忠一ちゅういちです!」

入口近く、直立したまま野太い声で威勢良く自己紹介した新入部員は、明らかに場違いな

存在だった。身長は高いとは言えないけれど、筋肉で横に太い。がに股なのは柔道をやっ

ていたんだろう。柔道部があるのに、何でここに居るんだろう?

「音楽部の蒲池先輩の弟さんで、腰を痛めて柔道を辞めたって」

怪訝げな僕の正面から、安高さんがそう小声で補足してくれた。どうやら連れてきたのは

安高さんらしいね。

「部長の日田 莉菜です。三年生です」

「二年の生田 将吾だ、よろしく」

「同じく槙奈 剛史だ。生田君とはクラスメイトだ。歓迎するよ」

「改めて、二年生の安高 美久です」

これで一通りの自己紹介は済んだ訳で。ん?なんだか蒲池が注視してくるんだけれど。し

かも表情からして好意的なものじゃない。ほぼ初対面(記憶にないけれど、体験入部の時

に顔を合わせているかも知れないし)の筈だけれど。何かやらかしていたかな?

「ところで、蒲池君はどんな活動をしたいのかしら?」

蒲池に着席を促し、彼が腰を落ち着けたところで日田先輩が訊ねる。まさか柔道がしたい、

とか言い出さないよな?

「ここでは電気仕掛けの玩具を作っているそうで。自分も模型作りは得意だったので、そ

ういった物を手掛けたいと思いました!」

陳列台をチラリと見遣る。玩具ねぇ…まぁ、確かに実用性はないかも知れないけれど…そ

れにしても声が大き過ぎるよ。

「元気が良いのは結構だけれど、ここは運動系の部活ではないから。もう少し声を落とし

ても大丈夫よ?」

「はぁ、すいませんでした!」

勢いは変わらず、心持ち音量は絞ってくれた。

「電子工作は部活動の一部だけれど。他に文学をコンピュータゲーム化して展示する様な

事をしています。興味があるのなら、後で見てみると良いわ」

言って、日田先輩は大テーブル上のデスクトップパソコンを指さした。僕がいま作業中の

物だった。

「あ、それいま使用中です」

「そう。それなら少しだけでも見せてあげて」

「判りました」

ん?何か、蒲池が嫌そうな顔をした様な…

「さてと。自己紹介の済んだところで、それぞれの作業に戻るとしましょう。槙奈君は、

蒲池君の面倒もちゃんと見てあげてね?」

しっかりと釘を刺された。最近はけっこう一心不乱、っていう感じでシミュレータ以外の

事には無関心だったからね。それでも一応、先輩の作業の方にも目を配っている、振りは

していたんだけれど。

「…はい」

言ってパソコンの方へ移動する。蒲池も隣に腰掛ける。以後、三十分余り僕は『運命の道

』の説明をしつつ、むっつりと不機嫌そうな顔でただ頷くばかりのこの後輩に、怒りより

もただひたすら気疲れを覚え続けたのでした、と。

 ああ、一つ補足情報を。僕は学校のパソコンでプログラムを組んでいる(コーディング

)けれど、シミュレータを動作させるのはあくまで自宅のパソコンでなんだ。主に自宅で

作成したソフトウェアの詳細な設計書(直にコーディング出来るくらいの)を元に、テキ

ストエディタでプログラムを書いてゆく(言語はC++にしている)。それをコンパイラ

にかけて、文法チェックを行う(大きなプログラムの一部でしかないから色々とエラーが

出るけれど、それらと文法ミスのエラーは区別する)。エラーが出れば修正し、文法エラ

ーの無くなった時点でテキストファイルをUSBメモリに移し、自宅のパソコン(新調し

たて!)にコピーして本番のコンパイルを行う。エラーが出れば修正するけれど、まだま

だ動作チェックまでは行けない。家で設計書を作成し翌日の部活でコーディング、という

のがこのところのルーティンになっているんだ。何で設計書を作成するのかと言えば、ソ

フトウェア自体が大規模になってそれを構成するパーツ(オブジェクト指向ならクラス数

とか)が多くなり、頭の中だけで構成等を考えるのが難しい、というのが大きいね。もっ

とも姉の会社の様に商業ベースの場合には、規模の大小に関わらず様々な仕様書、設計書

を一式揃えなくちゃならないけれど。まぁ、それはともかく、僕は傷心をひとまず脇に置

いておけるだけの忙しさに満足していた。姉には早く寝ろ、と日に一度は言われていたけ

れど。


 四月が飛ぶ様に去り、ゴールデンウィークももう最終日、つまり子供の日になった。一

日中自分のプロジェクトに没頭していられる日々が続くという、この貴重な期間の一日を、

僕は部員達と過ごす事になった。様々な遊びのお誘いを断り続けた結果、「これを断った

ら絶交だ!」とか、「気分を変えるのも必要だよ、ね?」とかいう脅迫やら哀願やらに抗

しきれず、池袋まで出る事に合意したんだ。姉に話したら、「それは良いわぁ。友達は大

切にねぇ」と、たっぷり軍資金を出してくれたんだ。

「部員間の親睦を深める為にも、今日は楽しみましょう」

私服姿の日田先輩が(まぁ、みんな私服だけれど)ふくろうの石像前で一同に言った。午

前十時の池袋駅は、結構な人通りだね。

「まずは、どこへ行きますか?」

安高さんが訊ねる。

「実は観たいと思っていた映画があるのだけれど、付き合ってくれるかしら?」

誰にも異存はなかった。一行は移動を開始したんだ。

 映画館は、東武系のビルに入っている小さめのシネコンだった。日田先輩が観たがって

いたのはアメリカの青春映画だった。それは公開館数の少ない(川口やさいたまのシネコ

ンでもやっていない)映画で、一番近かったのがここだったと。

「今からだと、午後になるわね」

上映時間を確認した日田先輩が、一同を振り返った。先輩が携帯電話で検索して見当をつ

けていた回が、もう一杯になっていたんだ。

「とりあえず、チケットは買っておきましょうか。一列でとれると思うけれど」

僕達に異存はない。今日は学外で部員達が交歓を持つのが目的なんだ。うちの様なインド

ア部(運動部はもちろん、音楽部の様に演奏会等学外で部活動を行う様なものでない、と

いう意味で)には、合宿の様なものはない。別に必要もないと思うけれど、新入部員歓迎

の意味も込めて、まだ少人数で融通の利くうちに部内の結束を固める様な事をしましょう、

と部長の発案で集まったのだから。もっとも、まだ、は当面続く事になりそうだけれど。

 チケットを購入し、入場までの時間をどう潰すか、という話になって、駅東口近くの大

きな書店に寄る事になったんだ。各々本を購入するなり立ち読みするなりして、十一時三

十分迄に一階のレジカウンタ横に集合、という事でビル内に散る。僕は工学書関連のフロ

アへ行こうとエスカレータに乗って、ん?と振り返った。いつもなら、声を掛けなくても

付いてくる安高さんの姿が無いんだ。エスカレータの下へ目を向けたら、蒲池と談笑して

いる姿がちら、と見えた。へぇ、いつの間にか随分親しくなってたんだなぁ。もっとも、

彼を連れてきたのは安高さんか。

 ここに来るときよくお世話になるコンピュータ関連の六階は、今日はパスして七階の工

学関連へ。目的のフロアで、本棚の間をうろつきモータやシリンダの解説書を探す。今ま

で作製してきた機械とは規模がかなり違うので(ロボットの実体がある訳ではないけれど、

実際の装置やセンサに準じた仕様を実現出来なければシミュレータの意味がないしね)、

今までのやり方で良いのか判らずに確認の必要な部分があったんだ。そうして適当な本を

見つけ、エスカレータ脇に並んだ椅子の一つに腰掛けると本を開く。この手の本は高価だ

けれど、やっぱり支出枠があって今月はまだ余裕だった。買うつもりでぱらぱらと拾い読

みしていると、傍らに立つ人影。

「やっぱり、ここにいた」

何階に行くとも言わなかったのに、安高さんはやってきたんだ。

「六階も覗いてみたの?」

何度かここには二人で来ているから、各階の構成はお互い知っている。

「うん、ちょっと」

微笑んでみせる。ところで、安高さん一人なのかな?蒲池の姿が見えないけれど。

「蒲池は?」

「ん?何で?」

小首を傾げる安高さん。

「いや、下で話してたからさ。一緒に行動してたんじゃないの?」

そう言うと、安高さんは心なしか顔を曇らせ視線を逸らした。

「…見てたんだ?」

?視線を逸らしたまま、呟く調子で言う安高さん。見られてまずい事だったのかな?

「チラッ、とだけど。何かまずかったの?」

少し困惑気味の僕の言葉を聞いていた安高さんは、やがて小さく嘆息すると何か振り払う

様に小さく首を振った。視線を戻す。

「何でもないの。部活動の話だけ」

再び微笑む。よく判らないけれど、たいした事じゃないのだろう。

「そうなんだ?」

「そう」

言いつつ僕の隣に腰掛け、他愛のない話をしているうちに十一時を幾らか過ぎていた。そ

ろそろ一階に下りないと。レジカウンタは一階にしかないからかなり混雑するんだ。僕達

は席を立ち、下りエスカレータに乗った。

 書店を出ると、一行は近くのハンバーガーショップに入った。混んではいたけれど、テ

ーブルを確保出来た。少し早めの昼食を囲みながら、日田先輩からこれから観る映画につ

いて聞いた。何でもヒロインは脳腫瘍で余命幾ばくもなくて、主人公の少年とは潜り込ん

だ赤の他人の葬儀で知り合って、という話らしい。どこかで聞いた様な感じもするけれど、

こういうのが先輩の好みなのかな?

 上映時間の三十分前には店を出た。地下通路を通って西口に出る。映画館入口に到着す

るまで十五分余り、入場開始まで五分余りあった。スクリーン入口前には結構な人数の列

が出来ている。恐らく公開館数の関係で集中する、っていう事もあるんだろうな。列に並

んで間もなく入場開始となった。中段の真ん中付近という好ポジションで、五人並んで座

る。広告に注意事項、やがて照明が落ちて予告編、録画禁止の、ある意味ポップな警告に

続いて本編は始まった。興味の薄かった映画でも、始まると胸が躍るものだね。結局のと

ころ、今日は来て正解だったかな。

 場内が明るくなり、周囲が騒がしくなり始める。僕はハンカチをズボンのポケットに戻

しつつ立ち上がった。それとなく一同を見回す。みな、多少の差こそあれ目元が煌めいて

いる。生田や蒲池はどうでもいいけれど、日田先輩の涙なんて望んでもそうそうお目にか

かれないし(これで二度目?)、ある意味ラッキー?安高さんは、まぁ、付き合いも長い

しね。そんな感じで、色々な意味で良かった。何というか、罠が仕掛けてあると判ってい

るのに引っかかった感じ?セレモニーホールでのヒロインの葬儀(告別式みたいなもの?

)で彼女について語るため登壇した主人公が、思い出を紐解くうちに幸せそうに微笑むラ

ストシーンで遂に決壊してしまった。両親を失ったとき、あんな風に笑えなかったよなぁ、

などと思わず自分の事に引き付けてしまう。何しろ突然の事だったし、仕方がなかったん

だろうけれど。スクリーンを出ると既に四時過ぎ。ふと催して、声を掛けるとトイレに向

かう。小用を足していると、隣に蒲池が立った。

「映画、どうだった?」

軽い調子で訊ねるけれど無言。うーん、何か、この新入部員とは意思の疎通がはかばかし

くないな。会話を諦めてチャックを上げていると

「…槙奈先輩は、安高先輩の幼馴染みですよね?」

脈絡のない質問返しの返答に、僕は一瞬固まった。

「うん?そうだけれど…」

「そうですか…」

その場に立ち尽す僕を尻目に、用を足し終え便器を離れた蒲池は、背中越しに言い放った。

「俺、安高先輩のこと好きですから。付き合いたいと思ってます」

その言葉の意味を解釈出来るまでタイムラグがあった。要は蒲池は安高さんにコクるつも

りなんだ。あるいはもう既に?そこまで解釈出来て、次に疑問が浮かぶ。何で、僕に言う

の、そんなこと?結局、新たなもやもやを抱えたまま、一緒に帰る安高さんに事実を確認

する事も出来ず、そもそもそんなこと確認すべきなのかも判らないまま、ぎこちない空気

の中で帰宅したんだ。


 彼女達は兵器開発を続行していた。度重なる議論と検討、試作を経、一つの結論に達し

つつあった。全高は一・二メートル、人間の上半身(隻腕の)に戦車の車体を合体させた

様な、懐かしのロボットアニメ(新作も制作されているが)に登場する主人公メカの一形

態の様であった(もちろん彼女達はそのことを意識してはいなかったのであるが)。組み

込まれたジャイロセンサにより、車体の傾斜に関わらず上半身の姿勢を維持する機構を持

つ。カメラやセンサ類を頭部に当る部分に集中配置し、左腕に当るアーム先端に搭載した

銃器にはレーザーサイトが付加されカメラでその照射位置を確認しつつ射撃を行う。しか

し、これも決定打とはならない事が、試験を重ねる上で明白になってきた。まずは車体部

分の大きさ。上半身部分搭載のため当初よりかなり大型化した結果、少々狭い通路の曲が

り角等で立ち往生する様になってしまった。また、左右のバランスの悪さによる、一定の

射撃姿勢時の命中率低下等も頭の痛い問題であった。アームは真上から真下まで百八十度

回転する。そのアームをある範囲の角度で固定し射撃を行うと、その反動で車体が大きく

振動するため集弾率グルーピングが極端に低下する。右腕側にも固定の釣り合い重り

を内蔵しているが、それがかえって共振の様な現象を引き起こすらしい、という結論に到

った。その現象はまた、ときに車体の破損を招き稼働率の低下につながる。これは、右側

の釣り合い重りの位置や重さを変更するだけで完全に解消出来る問題ではなかった(要は

アームの角度を変更すればまた発生する、という事である)。ならば左右対称として問題

を解消しよう、という議論の流れとなるのは自明の理であった。


 頭が真っ白になる様な衝撃。それは、六月上旬の夜のニュース番組によってもたらされ

たんだ。

『…この事故によって、静岡県在住の山下孝造さん四十七才、山下華名さん十六才が、頭

などを強く打ち死亡しました…』

その、淡々としたアナウンサーの声に、姉の手作りのおかずへ伸ばした手を止めテレビへ

顔を向けた僕の目に飛び込んできたのは、見覚えのある名前のテロップだった。

「何ぃ?知り合いぃ?」

珍しく早めに帰宅し、一緒に夕食を食べていた姉の心配そうな声も上の空で。いつまでそ

うしていたのか、チャイムの音に我に返る。予感がして、出ようとしていた姉を制止し立

つと、玄関へ出て扉を開けた。予感通り、安高さんだった。

「剛君…カナが…」

僕を認め玄関先に小走りに来ると、泣き腫らした目で僕を見詰めてくる。

「…テレビで観た…あちらに電話は?」

安高さんは引っ越し先の電話番号も聞いていた。

「してみた…三時間くらい前の事で、かなり混乱してて…」

語尾は聞き取れないくらい細く、遂に声を上げ泣きながら僕の胸に縋り付いてくる。僕は

といえば、頭を撫で家に招き入れる事くらいしか出来なかった。本当は僕も泣きたいくら

いだったけれど、安高さんが居てくれたお陰でそうせずに済んだんだと思う。

 安高さんが落ち着くまで、姉の淹れたお茶を挟んで無音の時間が続いた。やがて、誰と

もなくお茶碗を手に取り啜り始める。

「…ところでさ、どういう状況だったの?」

「?テレビで観たんじゃないの?」

「いや、名前が出て気付いたくらいで」

「そっか…」

お茶碗を置き、安高さんは自分が知る限りの事を教えてくれた。

 今日の午後四時頃、インターハイの決勝に出場した山下華名は、父親孝造の運転する自

家用車で帰路を急いでいた。と、対向車線の長距離バスが車線をはみ出し、孝造は回避し

ようとハンドルを切り電柱に激突、更に後続のトラックに横から激突された、というのが

概要。事故の発端である長距離バスの車線オーバーは運転手の居眠りが原因だった。その

バスの方は、車線オーバー直後に近くの乗客が二人がかりでハンドルとブレーキを操作し、

幸いにも死傷者ゼロだったという。しかし、その幸運は山下親子にまでは及ばなかった、

という事なんだ。

 話を聞きながら、以前の似た様な事故を僕は思い出していた。その時にはかなりの死傷

者が出た筈だ。未だに改善されていないのか、あるいは喉元過ぎれば、でまた箍が弛んで

きているのか!?とにかく今度も死者が出てしまった。しかも、それは僕や安高さんの顔

見知り、どころか大切に想う人なんだ!そのバスの運営会社はきっと経営危機に陥るだろ

うけれど、同情の余地などないね!!

 結局、山下さんの葬儀には参列しなかった。死を確認する事に心が耐えられないと思っ

たから。参列した安高さんからも、葬儀の話を一切聞こうとはしなかった。僕の事を慮っ

てか、安高さんも自分から話し出そうとはしなかった。それがとてもありがたかったね。

 それにしても、改めて考え直してみれば自分でも不思議なんだ。いつもただ眺めていた

だけの、碌に話をした事もない僕が、山下さんの死にこれ程までに周章狼狽しているなん

て。傍から見たら馬鹿みたいかな?でも僕のそれには理由があって、その理由は、恐らく

判っている。きっと彼女の最後の言葉だろうな。

「ありがとう、嬉しい。でもね…」

なぜここで言葉を切ったのだろう。「ごめんなさい」でも「お友達で」でも、結論を出し

てくれていたならこんなもやもやはなかった筈なんだ。もとより否定的な反応は覚悟して

いたのだし。彼女の優しさがそれを言わさせなかった?あるいは、他に言いたい事があっ

た?でも、今となってはそれを確認する術もない。彼女は、僕の両親の住まう場所に旅立

ったのだから(このさい宗教はなに、とかは勘弁して!)。そんな風に考えると、今にも

絶望感に発狂しそうな気がして怖い。そしてこの恐怖は、ある意味懐かしい。その両親が

旅立った時に味わったんだ。でも、僕には姉が居た。立派に喪主を務めたあと、二人きり

になって喪服姿の姉は詰め襟の学生服姿の僕を胸に抱きしめてくれた。僕が声を上げて泣

きじゃくるのを、黙って許してくれたんだ。自分だってきっと泣きたかったろうに、少な

くとも僕の前で涙を流したりはしなかった。そしてこの直後、一年と少し勤務していた大

手家電メーカーを退職し、マキナテック経営者の地位を継承した。姉は、そうやって僕の

事を救ってくれたんだ。でも、今後はそうはいかない。僕はもう高校二年生だ。しかも、

姉とは無関係な人物の死だ。でも、だったらどうやって救われるのだろうか、僕は?やは

り時の力を借りて、忘却に身を委ねるしかない?だとすれば、どれくらい?何年?両親の

ケースだと、三年経ってもまだ無理だな。もっとかかる?いや、年月の長さの問題より、

もっと重大な事が。その年月、僕は何をして過ごせばいい?砂の城の様に今にも崩れ果て

そうな心を抱えて、どうやって生き続ければいいのだろう?

 その答えは目の前にあった。二足歩行シミュレータ。その制御プログラムはほぼ完成し

て、シミュレータとして動作するところまで来ていた(まだデバッグも不充分で、異常ル

ートの作り込みも手つかずに近い状態ではあったけれど)。僕は、これを次のステージに

上げる決意をした。姉や生田の言っていたハードウェアの作製と、そのハードウェア上で

の制御プログラムの動作確認。その為には、まだシミュレータ上での作り込みが必要な事

は判っていた。それと、ハードウェア作製の為の勉強も必要になる。うん、頭痛がするく

らいやるべき事はあったんだ。


 彼女達は、新型の改修に躍起となっていた。隻腕だった上半身は両腕を備え、より人の

フォルムに近くなった。しかしそれと引き替えに、下半身は片腕追加による重量増加とそ

れに伴うバランス調整のけっか横幅の増加を招き、更に狭隘な場所での機動性が低下した

のであった。彼女達は、より小型で融通性のある下半身を求め、苦悩の日々を更に重ねる

事となった。


 決意の日から更に数日後、六月中旬の高温多湿、不快な空気の支配するリビングで、僕

はまた姉に支出のお願いをする事になった。

「そう…遂に作製する気になったのね?」

毎年恒例の事ながら、姉は首から掛けたタオル一枚だけの全裸だ。春から更に露出度アッ

プ!本当に、困るんだけれどね。僕のそんな迷惑そうな顔なぞどこ吹く風と、ソファの、

僕の隣に腰掛け、滲み出てくる首筋の汗を拭いつつ、ペットボトルのミネラルウォーター

を飲む。苦悩を悟られないよう、努めて明るく僕が一件を口にしたとたん、姉は即座に戦

闘モードONに切り替わったんだ。

「まぁね。今度のは、今まで作ってきたのと、比較にならないくらい複雑で大規模だから、

どれくらいかかるか判らないけれどね」

どれくらいかかるか、っていうのは費用も時間も、という意味。本当に、自分一人でやろ

うとすればどれくらいかかるか予想出来なかった。

「その事なのだけれど、ハードの作製自体は、私達に任せてくれないかしら?」

マキナテックにはソフトウェアとハードウェア、両方の設計・開発部門があって、それら

に所属する社員達は大半が姉の会社員時代の同僚や大学時代の友人、後輩だったりするそ

うで。会社の事はよく判らないけれど、両親の死を境に人員の大規模な出入りがあったら

しいんだ。と、それはともかく。

「いや、これは僕の趣味でやりたいんだけれど…」

そうでなければ意味がないよね。

「それはそうよね。でもね、実はもう設計に入っているのよ」

「え?僕が言い出さなくてもやるつもりだったの?」

「勝手にご免なさいね。実は剛君の仕様書を基に、細々とハードの検討を進めてきていた

の」

頷きながらそう説明する姉。だから顔が近いって!タオルは落ちてるわ、座ったままこっ

ちへ向き直るから、まずい下草まで見えてるし!目を逸らさざるを得ないよ!!

「興味あるから、とか言って持ち出して、そんな事してたんだ…」

「我が社としても、そろそろただの下請けや試作から脱却したいのよ。その為に判り易い

看板となるものが必要、という話は前々から社内で出ていてね」

「で、その看板を二足歩行ロボットにしたい?」

真剣な表情で頷く姉。

「…これが看板なんかになるのかな?まだまだ考えなきゃならない事は、それこそ色々あ

るだろうし」

「今出来る事で良いのよ。それがほんの僅かでも衆目を集めれば、それは次に繋がるのだ

から」

「でもさ…ただの趣味で始めた事だよ?途中で飽きて、放り出してたらどうしたの?」

「その時はこちらで引き取っていたわ。もちろん剛君がそんな事をするとは思っていなか

ったけれど」

参ったな。答えは全て用意されているよ。でも、この提案は決して悪くはないのかな。自

分一人の力では、現状ゴールは遙か彼方に霞んで見えない。それはむしろ歓迎すべき事な

のかも知れないけれど、このまま突き進んでけっか自分がゴールに向かっているのかも判

らないまま、投げ出したくても強迫観念的な義務感から続行せざるを得ないとか、そんな

苦行の様な状態に陥るのもそれは違うと思う。ならいっそう、マイルストーンになる様な

具体的な物をひとまず作り、あとは思いつくままそれを改造してゆく、というのも有りだ

ろうな。

「…敵わないな、姉さんには」

「了解?」

「了解」

力強く頷く。姉は満面の笑みを浮かべた。

「正直なところ、ドキュメントを読みながら驚いたわ。趣味レベルの仮想ロボットの仕様

なんて、もっと適当で良さそうなものなのに、よくあそこまで詳細に詰め切ったわね。全

て実装されているんでしょう?」

「まぁね。適当な動作じゃ、シミュレータにならないだろうし」

「さすがは我が弟だわ!」

姉は僕の頭を胸に掻き抱いた。胸の谷間、しっとりした肌の感触と、ほんのりと鼻腔をく

すぐる体臭とボディソープの香りに、意識がくらっ、とする。

「あなたは私の誇りよ!どんな事でもしてあげる!」

「だったら、まず離して!」

姉の両腕を掴んで開かせ、さっと身を引く。姉は口を尖らせた。

「もぅ…とにかく、剛君の作った制御プログラムで稼働する二足歩行ロボットの作製プロ

ジェクトにGOサインを出して良いのね?」

「もちろん」

「そうなると、剛君の机も用意しないとね」

「え?」

「だってそうでしょう?あなたの作ったソフトを載せるのよ?会社での作業が多くなる筈

だわ」

なるほどね。ハードウェアと一緒に開発してゆくんだから、そうしなければ非効率か。

「判ったよ。そうすると、部活動も時間を調節しないと駄目かな?」

「そうね。平日は二日から三日、こちらに欲しいわ」

「休日は大丈夫?」

「うーん。休出手当とかあるから、土日のいずれかぐらいね」

このプロジェクトは、まだスポンサーのいないマキナテックの持ち出し資金で行うから、

人件費も余りかけられないのだろうね。

「判った。部長には話しておくよ」

「大丈夫なの?」

「判ってくれると思う。今抱えている作業もきちんとするし」

「そう。なら、そちらはお願いね。あとは…そうね、プロジェクトのキックオフもしない

と」

「キックオフ?」

「まぁ、日本語だと発足式ね。普通はお酒の席だけれど、剛君もいるからジュースも用意

しないと。出るわよね?」

「うん」

答えると、満足そうに何度も頷く。姉の頭の中では、プロジェクトのスケジュールが着々

と組み上げられているのだろう。ミネラルウォーターに口を付け立ち上がる。だから、こ

っち向いたまま立たないで!ペットボトルの蓋を閉め口を拭う。

「細かい事はその都度で良いわね?それではお休みなさい」

タオルを首に掛け直し、リビングを出て行く姉。扉の閉まる音を聞いて、僕は小さく嘆息

したんだ。

 翌日、僕は日田先輩に話をした。先輩はあっさり了承してくれた。これも部活動の延長

線上、という事にしてくれるのだ。これで翌週から週三日は放課後直帰となった。今週の

残り数日は、出来る限り日田先輩の作業を進める事にした。

 翌週から、僕はマキナテックのハードウェア設計部門に出入りする様になった。月曜日、

放課後すぐに帰宅した僕は、私服に着替え夕食を済ませると戸締まりをし、シミュレータ

や制御プログラム等を納めたメディアや筆記具を入れた鞄を持って会社に向かった。あと

何年かすれば、これが日常になるのかな?今は一日おきの『出勤』を楽しむとしようか。

歩いて二十分とかからずマキナテックに着いた。マキナテックは地上四階建ての、少々狭

めのオフィスビルを丸ごと賃借している。ビル手前の駐車場には、業務車用だろうバンや、

通勤用だろうバイクや自転車が停めてある。その横を擦り抜け正面玄関を潜る。入って正

面の階段を二階へ上がった。このビルにはエレベータは無いんだ。

 『ハードウェア設計』のプレートが貼り付けられた扉を開くと室内が一望出来た。外見

よりは広く感じるな。ほぼ正面には十四個の事務机が七つずつ向かい合わせに並ぶ。右側

手前の隅には給湯室とトイレ、それに隠れる様にマルチコピー機と、その奥にXーYプロ

ッタ(設計図等を出力する装置)、印刷機能付きホワイトボードが置かれている。左側に

は整然とバインダ、フォルダ等を納めたキャビネット、ロッカーが並ぶ。机の上には二十

五型以上はあるだろうディスプレイとキーボードにマウス、パソコン本体は足下だろうね。

『設計』とは書いてあるけれど、部屋の奥には工作用の作業台がある。壁際には、パーツ

や工具が入っているのだろう箱や籠を収めたスチール棚が作業台を囲む。作業台の横や上

にはテスター等電子機器も見える。ここで二足歩行ロボットが作製されるんだろうね(実

際には外注したパーツの組み立てとかが主かな?)。

「ああ、来たわね」

男女二人と話をしていた姉が、戸口に立つ僕に声を掛けてくる。男女も、こちらに顔を向

けた。男性の方は見知った顔だったけれど、女性の方は知らなかった。

「今晩は。お久し振りです。そちらは初めまして、ですよね?」

「ああ、久し振りだね」

「今晩は。初めまして」

三人に近付きながら挨拶すると、それぞれ挨拶を返してきた。

長部おさべ君は何年ぶりかしらね。こちらは永峰ながみね 亜美あみさん。

入社二年目の我が社のハード部門ホープよ」

「そんな、社長」

恥ずかしげに永峰さんは視線を落とした。ぽっちゃりとした、可愛らしい人だな。

「最後に顔を合わせたのは、ご両親の葬儀の時だったかな?」

長部さんが話し掛けてくる。フルネームは長部おさべ 涼介りょうすけ、さぞかし

モテただろう背の高い、すらっとしたハンサム。姉の元恋人、というか、まだ続いている

のかな(大学時代にはたまに家で見かけたけれど、いつの間にか途絶えていたっけ)?確

か長部さんが初めて家に来たのは、姉達が二回生の時だったと思う(もちろん僕が家で初

めて会ったのは、っていう意味だけれど)。当時から長部さんはいかにも大人の男性、っ

ていう感じで、姉もいい人捕まえたなぁ、なんて感じたりもした。いや、実際、姉の夫に

なったら何て呼べばいいのか、なんて考えていたりもしたなぁ(お兄さん?涼介さん?)。

それが、いつの間にか疎遠になっていたんだ。マキナテックに入社した事を知ったのもこ

こ一年くらいの事で、両親の葬儀以降再会の機会もなかった。

「もう随分と遅くなってしまって申し訳ないですけれど、その節はどうもお世話になりま

した」

あの頃は一杯一杯できちんと出来た記憶がないから、ここで改めてお礼をしておかないと。

「ありがとう。こちらこそご無沙汰してしまったね」

「長部君にはハード作製のリーダーを務めてもらうわ。永峰さんはそのサポート」

「宜しく頼むよ」

「お願いします」

軽い会釈と深いお辞儀。僕も

「こちらこそ、宜しくお願いします」

お辞儀を返した。

「実は社長も含めて三人で侃々諤々やり合ってね。六割方設計は完了しているんだ」

「そこまで進んでいたんですか…」

みんな優秀なんだなぁ。

「もう夕食から残業組も帰ってくるから紹介するわ」

姉の言うそばから、階段を上がってくる足音と話し声が聞こえてくる。扉が開かれると、

三人の男達が入ってきた。

「残業ご苦労様。新プロジェクトのキーストーンを紹介するわ」

姉に促されて、立ち上がった僕は自己紹介した。

 そのあと三階のソフトウェア開発部門で、残業していた四名程に自己紹介した。二階で

もそうだったけれど、何というか、やっぱり興味が薄い様だね。おざなりの挨拶一つで直

ぐ仕事に戻るっていう。まぁ、新入社員とかいう訳じゃなくて、あくまで部外者だしね。

 結局、この日は長部さんのパソコンにシミュレータと制御プログラムをインストールし

て、シミュレータを一通り説明しただけで終わった。シミュレータを動かすには十二分な

スペックのパソコンだったんだ。

「これ、本当に一人で作成したんですか!?」

グラフィックウィンドウの中で歩くブリキの玩具の様な二足歩行ロボットを見ながら、永

峰さんが驚きの声を上げた。

「グラフィックライブラリとかは使用していますけれどね」

「歩き方とかは変えられるのかい?」

「シミュレータですから」

言いながらメインウィンドウの『停止』ボタンをクリックしてロボットを停止させる。プ

ルダウンメニューから歩行速度を変える。デフォルトは『5』、時速五キロだけれど、『

6』を選択する。『開始』ボタンをクリックすると、再びロボットが歩き出す。

「さっきより、速くなったかな?」

長部さんが、呟く様に言った。

「歩調が変わっているのが判りますか?」

「歩幅は変わっていないんだね?」

「下半身全体としてはそうです。」

「それは、歩調の変化に合わせて各アクチュエータの制御パラメタ値を変えてある、とい

う事ですよね?」

永峰さんの質問(というより確認)に黙って頷く。メインウィンドウの『制御パラメタ』

ボタンをクリックし、制御パラメタ管理ウィンドウを開く。

「各アクチュエータの制御パラメタ値やタイマ値は全て、このウィンドウで管理します」

ウィンドウには、ロボット中の各可動部分(大腿部や膝関節等)のアクチュエータ毎の制

御パラメタ値や制御タイマ値が表示されていた。その値は、今動作中の速度でのものだ。

「この値は試行錯誤の末に決定したもので、ハードに載せる時にはまた変更の必要がある

とは思いますが」

「その値を適当に変更したら、どうなるんですか?」

永峰さんの質問には答えぬまま、僕はロボットを停止させ、遊脚として纏められた膝関節

の制御タイマの一つを書き換えた(表示された値をそのまま上書きするだけで良いんだ)。

そして再び開始させる。停止で直立姿勢にリセットされたロボットが再び右脚から踏み出

す。が、さっきと違って下腿部が動き始めるのが遅い。膝関節部のモータへの『動け』と

いう指示を送るタイミングを少し遅くしたんだ。するとどうなるか?右脚が踏み出された

まま足首二つ分くらい地面を離れている時に、並行していた左脚の動作が終了し右脚へと

重心が傾けられた。ロボットは転倒しそうになり、途中で停まって上に被る様に『エラー

発生』の文字が大きく表示された。

「つまり、こうなりますね」

永峰さんを一瞥し言う。

「はぁ、なるほど」

消え入りそうな声で、永峰さんが答える。

「つまりは、全体の調整が必要という事だね」

「そうですね。もしうっかり書き換えてしまったら、『ロード』ボタンを押して下さい。

修正した値を登録したければ『セーブ』ボタンを」

制御パラメタ管理ウィンドウの右下隅にあるボタンをマウスポインタで示す。

「これって、ハードのテストツールに流用出来そうですよね」

永峰さんのリターンマッチ。僕もそう思う。

「そうですね」

「…ところで、この制御プログラムには名前が付いているのかい?」

「ああ、それは聞いていなかったわね」

今まで黙ってシミュレータを見詰めていた姉が、長部さんに同意した。僕は少し困ってし

まった。考えていたのは恥ずかしいものだったんだ。

「…まぁ、ありますけれど」

「どんなもの?」

「…カナ・システム、です」

この名前はもちろん山下さんから取ったものだったけれど…

「仮名システム?日本語入力システムと何の関係が?」

姉の勘違いももっともで。まぁ、本来なら本当の意味を説明すべきところだろうけれど、

それを明らかにするのは恥ずかしかった。だから、適当に捏造する事にしたんだ。

「えーと、下らない言葉遊びというか。最初は特に名前とかは考えていなかったんですけ

れど、友達に何か付けた方が良いと言われて。でも思いつかなくて、とりあえず漢字で仮

かめいシステムとしておいたんですよ。そうしたら、友達が仮名かなと読みま

して。それで、そのままカナ・システムと呼んでいます」

我ながらつまらない説明だと思うけれど。

「なるほど。なかなか洒落ているわね。でも、我が社のハードに載せるにはちょっと、ね

姉は納得してくれた。

「それは、そうでしょうね」

「もし、このシステムを商品展開する事になったら、正式名称が必要ね」

「その可能性はありますか?」

永峰さんの問いに、姉は小首を傾げつつ答えた。

「判らないわ。でも、今から考えておいても問題はないでしょう?」

「それは、そうかも」

「とりあえず、カナ・システムというのはコードネームという事にしておきましょう。そ

こで。実は、考えていた名前があったのよ。もちろん良い名前が付いていたら、そちらで

良かったのだけれど」

一同を見回し、最後に僕を見詰める。

「僕は、それでも良いですけれど」

三人に向けて同意する。

「そう。それなら私の考えた正式名称を言うわね。マキナ・ウォーカー・システム、略称

MWSムウス、というのはどうかしら?」

「MWS、ですか…格好良いですねぇ」

永峰さんが賛同する。長部さんも静かに頷いた。

「僕も良いと思います」

賛意を示すと、姉は満足げに頷いた。

「では、プロジェクト計画書にはこの名前を記載します。今日はとりあえず顔合わせとい

う事で、キックオフは週末にしましょう」

頷く一同。この日はこれで帰宅、という事になった。


 彼女達は、最後の難題を解決すべく一つの結論に達した。先の試作機はスポンサー側で

作製、テストされた結果、まずまずの評価を得る事が出来た。ひとまずは彼女達の首は繋

がった。しかし、スポンサーは一つの条件を付けてきたのであった。曰く、防御兵器とし

てより使い易くする事。拠点とする建物や施設(要塞化した廃坑等も含む)への侵入者の

迎撃を考慮した場合、試作機では運用上の困難がある、というのであった。もっとも、そ

れは彼女達も織り込み済みの問題点であり、それ故に更なる検討を続けていたのであった。

そして、二足歩行式が最適である、という結論に到ったのであった。しかし、それは同時

にそれまでの下半身が持っていた安定性や速度、構造の簡便さ等と、それまでのハードウ

ェア、ソフトウェア資産の蓄積の半分以上を放棄する、という事であった。つまり、本プ

ロジェクトの道程を半分余り引き返し、時間や資材、資金等の再投入、ノウハウの再構築

等をせねばならないという、極めてリスキーな結論であった。が、彼女達にはそのリスク

を取る以外の選択肢はなかったのである。


 「槙奈くーん、ちょっと良い?」

廊下でリコ先生に呼び止められた。七月中旬、期末試験が終わり、夏休み間近の日の放課

後だった。

「はい?」

立ち止まり振り返った僕に、リコ先生は足早に近付いてくる。

「捕まって良かったわ。これから部活でしょう?」

「そうですが?」

今日は顔を出す日だった。

「実は日田さんからお願いされていたの。二足歩行ロボットって、あなたのお姉さんの経

営する会社で作製されているのよね?それを、夏休みに入ってから部員達で見学出来ない

かしら?」

日田先輩が?何でわざわざ先生を通して?って、学外の部活動だから当然か。

「判りました。姉に訊いてみます」

「お願いね。出来れば明日中にでも返答が欲しいわ」

「判りました」

「それじゃあ」

片手を上げつつ足早に去ってゆく先生。それを暫く見送り、僕も再び歩き出した。

 姉は見学の件を快諾してくれた。「良い宣伝になるかも」って、部員相手にその効果は

疑問だけれど、とにかく義理は果たせそうだな。見学の日時は、平日より土日の方がよい

(他の社員もいるんだし、邪魔にならないよう気配りしないと)という事で、夏休み最初

の土曜日午後から、という事になった。

 見学当日、僕と安高さんは川口元郷駅改札で部長達を迎える事になっていた。昼下がり

とはいえ外は暑いけれど、地下は涼しい風が吹いてくる。午後二時半頃、最初に姿を見せ

たのは夏服姿の日田先輩だった。今日はみな制服だ。

「私が一番乗り?」

「はい。生田のやつ、東川口の癖に先輩より遅いなんて」

日田先輩の最寄り駅はJR埼京線の南与野駅で、生田と同じ東川口で乗り換えるけれど、

四十分近く余計に掛かるそうで。それなのに昼食を済ませてこの時間で来られるなんて!

頭が下がる思いだね。

「もうすぐ来ると思うけれど。蒲池君は新井宿だから、あんがいと一緒に来るかも知れな

いわね」

果たして、日田先輩の言う通りになった。午後三時近く、蒲池を従える様に生田が改札を

潜る。

「悪い、ちょっと遅かったか?」

さして悪びれる風もなく生田が言う。

「おいおい、日田先輩より遅いってどういう事だ?」

僕も口調こそ呆れ気味に、しかし笑顔で返す。

「遅くなったのは俺のせいで、生田先輩の責任じゃありません」

蒲池が弁護する様に言う。あれ、という事は、二人は偶然同じ電車に乗り合わせた訳では

ないと?いつの間に、そんな関係性を築いていた?相も変わらず、僕を見る目はきつめな

のに。さっきの口ぶりからすると、日田先輩に訊けば判るかな?

「それくらいで良いでしょう?それでは槙奈君、道案内をお願いね」

一つ頷くと僕は先頭をきって歩き出した。

 会社にはMWSプロジェクトチーム以外にも休出している技術者が何人かいた。クーラ

ーの効いたハードウェア設計部門の扉を開けると、長部さんと永峰さんはもちろん、室内

にいた全員が顔を上げて愛想良く挨拶してくれた。それは何も部員達が来ているから、と

いう訳ではなくて、ここ最近の傾向だったんだ。

 プロジェクト外の技術者達にとってスポンサーもないMWSプロジェクトは、自分達の

収益を食い潰すお荷物という感覚があったんだろうね。だから、僕が判らないところ等を

訊ねたりした時も、露骨に社長の弟だから仕方なく、という感じで一応応じてくれている

様だった。でも、日毎に少しずつ形を成し始めたプロジェクトに、技術者として興味が湧

いてきたのだろう、笑顔で応じて貰える様にまでなって、人によっては本業の合間にプロ

ジェクトを手伝ってくれる様になっていたんだ。それは、僕にしても嬉しくなる様な流れ

だった。実は、今日休出している人の中にも、休出手当返上(タイムカードを押さない)

で手伝ってくれる人がいたりする。今やマキナテックの社運を賭けたプロジェクト、とい

っても過言じゃない雰囲気があったんだ。

 長部さん達は、奥の作業台の横にいた。そこには姉もいて、僕達の到着を待っていた。

僕を先頭に一同が近付いてゆく。姉が立って出迎えた。

「いらっしゃい。社長の槙奈多喜、剛史の姉です。今日一日、プロジェクト見学を楽しん

でね」

一日、といってもあと二時間くらいしかないけれどね。

「本日はご迷惑をおかけします」

日田先輩が大人の挨拶をすると、僕以外の一同が頭を下げる。

「こんな機会はそうそう無いでしょうから、勉強、と言っては何ですけれど、学べる物が

あれば学んでいってね」

そう言い残し、姉はその場を離れた。僕を除く部の面々は用意されていたパイプ椅子に腰

掛けた。

「さて、と。剛史君のご学友の皆さん、これが現在開発中の二足歩行ロボット試作機、M

WSー001です!」

長部さんは永峰さんと共に立ち上がると、背後で除幕式を待つ銅像の様に風呂敷を被せら

れた装置の両端に立ち、そう言って二人して風呂敷を取り払った。ちょっと芝居がかり過

ぎだよ。この趣向は僕も知らされていなかったんだ。

 そこに現れたのは、シルバーに輝く銅像だった。え、表現がおかしい?何で銅像がシル

バー?でも、形状は正しく銅像だったんだ。二足歩行ロボットは全高一・五メートルほど。

その下半身は、長方形の金属製の枠組みで中空に十センチ程浮いている。その枠組みの上

に出ている上半身が、まるで銅像の様に見えたんだ。ロボットからは何本ものケーブル類

が出ていて、作業台上の電子機器やロボットの構成部品等に繋がっている。

「なんか、凄いな…」

生田が感慨深げに呟いた。みな同様な感想を抱いていた様だった。

「今はハードウェアの基本動作試験が終わって、制御プログラムの運用試験に入るところ

なんだ」

僕の説明に、生田をはじめ一同はぽかんとしている。ちょっと用語とか耳慣れないかな。

「…つまり、そいつに制御プログラムは入ってないのか?」

生田の問いに首を振りつつ

「いや、入っているよ。ただ、今まではハードウェアの動作を検証する為にデバッグモー

ドを使用していたんだ」

「デバッグモード?」

「そう。つまり…」

口で説明するより実際に見てもらう為に、オフィスチェアに腰掛け作業台上のノートパソ

コンに向き直る。マウスで一つのウィンドウを呼び出した。それは、シミュレータの制御

パラメタ管理ウィンドウによく似ていた。ただ、脚部の各アクチュエータの分類は、シミ

ュレータの様に『遊脚』『接地脚』というカテゴライズではなくて、『右脚』『左脚』と

いう風になっている。遊脚、接地脚は交互に入れ替わり、それぞれが独自の動作をしてい

る為にシミュレータではこうなっているけれど、デバッグモードでは動作チェックの為に

左右を個別に動作させる必要があるからね。さて、『左脚』カテゴリの『大腿部』ステッ

ピングモータの制御タイマ値を『0』にして、横の『開始』ボタンをクリック。ノートパ

ソコンはイーサネットで作業台上にある、金属製の長方形の箱に挿さったボードに繋がっ

ていた。その箱は、簡単に言えばデスクトップパソコンの拡張ポート部分をそっくり抜き

出した様な物で、キャビネットなんて呼んでいる。そこに挿さったボードのうち三枚は、

シミュレータのところで説明した制御モジュール。名前は上半身制御、重心制御、そして

下半身制御。ノートパソコンに繋がった重心制御モジュールのボード正面(キャビネット

の開いた面から見えている部分ね)のLEDが点滅する。すると、左脚の大腿部が滑らか

に回転しキックをする。生田や蒲池は小さく歓声を上げた。

「こういう風に、可動部分を別々に動作させられる訳です」

皆に向かって、そう説明した。

「もちろん大腿部だけではなくて…」

今度は左脚の膝関節部を即座に曲げるようノートパソコンを操作すると、やはり滑らかに

ロボットの左脚は膝蹴りを繰り出した状態になる。

「こうやって細かな動作テストをしてきた訳です」

言いつつ『リセット』ボタンをクリック。書き換えた数値が元に戻り、左脚も直立姿勢に

戻る。

「その、目盛りは何?」

安高さんが膝関節に貼られたシールを指さす。円形の半径三センチ程の白いシールには、

円周に黒色の目盛りと、ところどころ赤色の数字が振ってあった。それは膝だけでなく大

腿部にも貼ってあった。

「これは指定通りに可動部が動作したかを確認する為の物です」

一同に視線を送りつつ説明した。みな一様に頷いてみせる。

「なぁ、その『股関節』っていうのも、動くのか?」

デバッグモードのウィンドウ上部に一つ、カテゴライズされている制御パラメタを指さし

生田が訊ねてくる。

「ああこれ?これも…」

先程と同様に制御タイマ値を書き換え、『開始』ボタンをクリック。右脚が三センチ程上

がり、同時に左脚が三センチ程下がる。

「こういう風に動く」

「何でそんな仕組みがいるんだ?両足だけで良いんじゃないのか?」

「ところがまぁ、このロボットは直立姿勢から歩き始めるからね」

「?それがどうしたんだ?」

「つまり、簡単に言えば膝関節の『自由度の縮退』を回避する為なんだ」

予想通り、一同ポカン。背後で社員達の小さな笑い声。こちらをチラ見していたんだろう。

「…説明をお願い出来るかしら?」

眼鏡を掛け直した日田先輩にもちろん、と頷き返し、僕は口を開いた。

「ここで言う自由度は、簡単に言えば関節の曲がり方の種類の数です。例えば肩なら…」

立ち上がる。右腕を、体の横でぶらぶらさせる。

「まず一つ」

次に体の前でぶらぶら。

「二つ目」

次は肘を九十度曲げ(判り易くする為にね)、上腕を軸とした九十度回転。

「これで三つ目。つまり、肩関節の自由度は三、という事になります」

生田が復習する様に右腕を動かす。僕は着席し、ロボットを指さしつつ説明を続けた。

「さて、今度は脚部の自由度について説明しますと、大腿部は前後の一つ、膝関節も前後

の一つ、という事になりますね。まぁ、前後といっても膝には制限がありますが。それは

ともかく、脚部全体としては二自由度がある、という事になります。しかし、直立姿勢で

は脚部は前後にしか動かせません。一本の棒状になっていますから、上下には動きません

ね。これでは脚部の自由度は一、という事になってしまいます。つまり一自由度縮退した、

という事です。こういう姿勢の事を『特異姿勢』と言います」

「つまり、股関節部分で上下動させる事によって、自由度の辻褄を合わせる、という事?

さすが日田先輩、呑み込みが早い。

「そうです。この機構によって直立姿勢からのスムーズな歩行が可能になります」

余り細かい話をしても今以上に『?』マークを増やすだけだろうし、この程度で済まそう。

「色々考えて作ってるんだなぁ」

生田がしげしげとMWSー001を眺めながら呟いた。

「もちろん。さてと、他に何か質問は?」

再び『リセット』ボタンでロボットを元の姿勢に戻すと一同を見回しつつ訊ねる。一同も

周囲を窺いつつ、質問は出なかった。それから暫くは、マキナテックのこと、長部さん達

の個人的なこと等の雑談に華が咲いた。

「さて、槙奈君の活動状況が確認出来て大変有意義な見学でした。完成を楽しみにしてい

ます。私達はこの辺で失礼させて頂きましょうか」

壁掛け時計を見遣り、別れの挨拶を口にした日田先輩が立ち上がると、他の部員達もそれ

に倣う。僕も立ち上がり

「では、姉に別れの挨拶を」

一同は四階の社長室へ向かった。まぁ、部屋の一角を間仕切りしたものだけれど。

 軽く今日の感想等で談笑したあと、日田先輩は切り出した。

「ところで、文化祭にあのロボットを展示する事は可能でしょうか?」

単刀直入な申し出に、姉は少々困った様な表情を浮かべた。

「ええ、それは…」

「実物が困難であれば、動画でも静止画でも結構なのですが。部活動の一環として認識し

ておりますので、何らかの活動記録となるものが必要なのです」

「それであれば、何か用意出来ると思いますよ」

笑顔で応じる姉。

「そうですか。不躾な申し出を承諾頂いて、ありがとうございます」

頭を下げる先輩。大人だなぁ。それから間もなく姉に見学への感謝と別れの挨拶を済ませ

帰宅する部員達を駅へ送るのを、僕は安高さんに任せ会社に残って作業に入った。

「なかなか楽しそうな部活動じゃないか?」

ディスプレイ上で僕の作成した試験仕様書をチェックしつつ、長部さんが隣席の僕に話し

掛けてきた。

「まぁ、そうですね」

僕は試験仕様書を作成しつつ軽く答えた。永峰さんは、僕の隣で上半身部の設計図をCA

Dで修正している。電源を搭載出来る様にしているんだ。

「そうかい…ところで、君の本命はどちらなんだい?」

「え?」

何を言っているのか判らなかった。

「…ああ、もう付き合っているのかな?」

これでようやく質問の意味が判った。長部さんの大きな勘違いに。

「…あの、ただの先輩と幼馴染みですけれど」

横目でこちらを見てくる。何か、呆れられている?

「そうかい…君は…君は、多喜についてはどう思う?」

ん?何でここで姉が出てくる?

「姉ですか?立派な人だと思います。こうして両親の会社を引き継いで、順調に経営して

いますし」

「そうだね…では、一私人としてはどうだい?一人の女性としては?」

「一人の女性として?うーん、余り考えた事がありません。恋人の長部さんの方が、よく

判るのではないですか?」

言って、ふと、永峰さんの方からマウスのクリック音が途絶えている事に気付いた。チラ

見すると、視線はディスプレイに向けたまま聞き耳を立てている様だ。

「もう、恋人じゃないよ。別れて四年半近くになるかな」

「四年半って、卒業間際くらいですか?」

「ああ」

長部さんが、遠くを見る様にディスプレイから視線を外す。

「何か、喧嘩でも?」

姉が浮気とかするとも思えないし。失礼だけれど、原因は長部さんの方にあるんじゃない

かな?

「いいや。ただ、私の方から別れを切り出した」

「…何か不満でも?」

「別に。清い交際も悪くはなかったしね」

「ええ?」

「私と彼女の間に性交渉はないよ。多分まだヴァージンじゃないのかな」

うわ、生々しい内容になってきた!姉のそういう話題は避けたいな。

「えーと、そこに問題がなかったなら、なぜ?」

そこで、再び長部さんは僕を見た。今度はこちらに顔を向けて。その表情は怒っている様

な、悲しんでいる様な、複雑なものだった。

「彼女には、とても大切な人がいたんだ。そして、私がどんな努力をしても、その人に向

けられるより、もっと多くの愛情を彼女から得る事は出来ない、と悟ってしまった。だか

らさ」

長嘆息し、再び顔をディスプレイに向ける。姉が浮気をしていた?ちょっと信じられない

な。これ以後、長部さんは沈黙を守り、僕も『大切な人』について訊ねる事は出来なかっ

た。あとはただ黙々と作業を進めていったんだ。

 それから一週間余り後の八月初旬、いよいよMWS試作機は実際に地上を歩く所まで漕

ぎ着けた。一階の受付兼倉庫(受付には四階直通の内線電話が置いてあり、間仕切りの向

こうが倉庫になっている)に、関係者が集合していた。倉庫は、八月のじっとしていてさ

え汗の吹き出す暑気の上に、人々の期待に満ちた熱気が加わり灼熱の巷と化していた(っ

て、大袈裟な)。長部さんと僕とで六十キロ余りの試作機を階段で汗だくになりつつ下ろ

す。階段の幅の関係で、三人以上では無理なんだ。

 受付横の扉から試作機が姿を現すと、小さな拍手が起こった。そこには十名近い男女が

立ち並んでいた。皆さん様々な形でMWSプロジェクトに協力して下さった方々なんだ。

そして今は試験を見守る観測者として集合して頂いている訳で。

「そこにお願いしまーす」

三脚にビデオカメラをセットしながら、永峰さんが試作機を置く場所を指さす。コンクリ

ートの床のそこには、ガムテープで試験開始位置の目印が。彼女が設定したんだろうね。

そういう作業に加えて、彼女は先に歩行試験に必要な機材を下ろしていたんだ。ビデオカ

メラは記念撮影用、ではなくて、動作確認用なんだ。動作に不自然なところがあったとき、

画像をスローで見たりして問題点を確認する為に使用される。僕達は、試作機にキャスタ

ー付きの立方体の金属枠を取り付けた。転倒防止のため最初はこれを付けて歩行させる。

動作に問題が無さそうなら、次は外して本格的な試験に入るんだ。金属枠を取り付けられ

た試作機は、補助具に捕まって歩行の練習をする赤ん坊の様だった(実際大した違いはな

いのだけれど)。あるいは、中空に浮いた金属枠が長めのスカートの様に、かな?

「MWSー001、歩行試験開始します!」

長部さんが一同に向かい呼ばわると、試作機のスイッチを入れる。パソコン用の燃料電池

より電力供給を受けた重心制御モジュールに接続されたハードディスクから重心制御モジ

ュールの制御プログラムがロードされ、それが他の制御モジュールの制御プログラムを拡

張メモリに置き、各制御モジュールへロードの指示を出す。指示された制御モジュールは

拡張メモリ上の制御プログラムをロードし、ロードされた制御プログラムは各種データの

初期値設定や各アクチュエータの初期化等初期処理を行い、指示メッセージの受信を待つ。

各制御モジュール間や制御モジュールとアクチュエータ間(より正確に言えばアクチュエ

ータのコントローラ間)で遣り取りする、ロボットを制御する為のデータを一括して制御

メッセージと呼んでいるんだ。それには幾つかのカテゴリがあって、ロボットの挙動を指

示するのが指示メッセージだね。ロボットの動作の大本となる指示メッセージは重心制御

モジュールから発せられる。例えば、重心制御モジュールから「時速五キロで歩け」とい

う指示メッセージを受信した下半身制御モジュールは、それを実現するため右脚、左脚の

大腿部や膝関節(股関節部も)のモータに、タイミングを計りながら「どれくらいのスピ

ードで何度回転しろ」という様な指示メッセージを送信する。そして、動作状況を確認し

ながら「右脚を動かしたよ」、「左脚を動かしたよ」といった応答メッセージを重心制御

モジュールに返す。あるいはどこかで異常を検出すればエラーメッセージとして報告する。

それらにより重心制御モジュールは重心を偏向させる指示メッセージを出す等の受信メッ

セージに対応した処理を行う。単純化して言えば、ロボット内部ではこういう見えない遣

り取りが絶えず行われているんだ。けれど、それらが全く人の目に見えないのでは、問題

があったとしても検証のしようがないから試験にならない訳で。そこで、制御モジュール

間等で遣り取りされた制御メッセージやプログラムのバグによるハードウェア異常のデー

タ、プログラムの特定位置に埋め込んだ文字列等を保存しておく機能があって、それはL

ANで接続されたノートパソコンで自由にセーブ、閲覧する事が出来る。また、そのノー

トパソコンからロボットへの動作開始/停止の指示も出せる様になっているんだ。ついで

に説明してしまうと、今はハードディスクから制御プログラムをロードしているけれど、

将来もし一定の機能を盛り込んで試験が完了したら、メジャープロダクト番号を与えてR

OMに書き込み、各制御モジュールの基板に搭載される事になるんだ。まぁ、それはとり

あえず置くとして。

「MWSー001歩行試験、歩行モードパターン一」

言いつつ、試作機横に置かれたテーブル上のノートパソコン(もちろん試作機と接続され

ている)に向かった長部さんが呼ばわる。その横に腰を下ろし、ノートパソコンの傍らの

試験仕様書とディスプレイ上の入力情報の内容を見較べ、ミスのない事を確認した僕が頷

くと、『開始』ボタンがクリックされた。MWSー001は、静まり返った倉庫内に機械

音を響かせ歩き出した。暫くして、割れんばかりの拍手が沸き起こる。

「今日は赤ん坊が歩き出した記念日だな!」

観測者の誰かが言った。同感だね!永峰さんが手を挙げると『停止』ボタンがクリックさ

れ、試作機は停止した。

「これ、どうですか?」

三脚からカメラを外し永峰さんが持ってくる。三人でモニタを見詰め、スローにした画像

で動作をチェックする。

「うん、大丈夫そうだね」

「良いのではないですか」

長部さんと僕が頷くと、永峰さんは喜色満面で戻っていった。僕は長部さんと補助具を持

って試作機を元の位置に戻し(バックする機能も実現しないと)、次の試験の準備に移る。

歩行速度を上げて試作機を歩かせ映像のチェック。問題無さそうだったので、今度は補助

具を外し本格的な歩行試験に入った。

 基本的な歩行試験は、まず問題なく終了した。次は、このシステムの目玉となる機能に

関する試験だった。メジャーが持ち出され、試作機の足下からある距離のところに新たに

ガムテープで印が付けられる。そこにコンクリートブロックが横に三つ置かれた。試作機

に、このブロックを跨ぎ越させる試験なんだ。ここで、その仕組みについて簡単に説明を。

 人が道を歩いていて、障害物に気付いた時どうするだろう。恐らくは、大きく四つの対

処法が考えられるだろう(軽そうな物なら退けて進む、という事もあるだろうけれど、こ

こではあくまで歩行の選択に限定するね)。まず一つ目、歩いたまま跨ぎ越す。歩幅や足

揚げの高さ等調節はする必要があるだろうけれど。二つ目、歩いたまま障害物の上に乗り、

降りる。三つ目、障害物手前で立ち止まり、体勢を整え跨ぎ越す、あるいは乗って降りる。

四つ目、回避する。これらを人は様々な状況を勘案して使い分けている。試作機も同様な

事が出来るのだけれど、残念ながら対応している対処法は二つだけ、三つ目と四つ目。試

作機には、腰部前方に超音波センサが搭載されていて、前方四十センチ程を常にスキャン

している。もしそれが障害物を検出すれば、前方十五センチ程で直立姿勢となって立ち止

まり、スキャン情報から跨ぎ越せるか否かを判定し可能ならば跨ぎ越す。このとき、通常

の歩行モードから跨ぎモードに移行し、歩行とは異なる制御を行う必要があるんだ。もし

不可能と判定すれば、現状では停止してしまう。ターンさせる機能は組み込まれているけ

れど、左右どちらへ行けばいいかを判定する為の仕組みとか、まだ考えなければいけない

部分があって。長部さんと僕は、ゴール地点の両横に陣取った。試作機が体勢を崩したと

き支える為に。この試験で補助具は使えないからね。永峰さんがノートパソコンを操作し、

カメラは観測者の一人に任せた。

「MWSー001歩行試験、跨ぎモードパターン一」

永峰さんが呼ばわり、試作機は歩き出した。ここまでは良し。やがて障害物の検知可能な

距離に達する。試作機は立ち止まり、直立姿勢から歩行時より高く右脚を揚げブロックを

跨いだ。体が右へ大きく揺れて飛び出そうとしたけれど、右脚接地後無事体勢を維持し、

左脚がブロックを超え直立姿勢になり、再び歩行を開始する。拍手が沸き起こる。ひとま

ずは成功、かな。でも重心偏向と左脚(試作機の場合、アクション開始は必ず右脚から、

という風になっている)の動作のタイミングを調整しないと。やっぱりシミュレータと完

全に同じ、という訳にはいかないな。

 このあとも何パターンかの試験を行い、けっか歩行動作のある欠陥が明らかになった。

実は、僕はその欠陥に前から気付いていたんだ。だからその試験パターンを盛り込んで、

皆で解決法を考えて貰おうとしたんだ。それはソフトだけでは解決しきれないものだった

から。


 彼女達には、海外に協力者がいた。より正確には、身分を偽りスポンサードしている、

極東の島国にある工業製品の製造会社(の一部社員)であった。諜報活動対策の緩いその

島国は、彼女達にとって比較的活動の容易な場所であった。彼女達は、自らが悪戦苦闘す

る傍ら、その協力者にも解決方法の提示を求めたのである。自ら大きなリスクを負担する

覚悟を決めながらも、彼女達に残された時間は無尽蔵ではなく、切り札を温存する余裕は

無かったのであった。


 姉のその提案に、正直僕は賛同しかねていたんだ。MWSー001初の歩行試験が概ね

成功裏に終わった翌日の、夜のリビングだった。

「それって、まだ早くないかな?」

渋面を作ってみせる僕に、姉は相変わらずの無頓着さと共に

「あら、そうかしら?」

と、これもまた相変わらずの近さで小首を傾げた。姉は歩行試験で撮影した映像を、動画

投稿サイトに投稿しようと言うんだ。

「だって、問題が一つ、明らかになった訳だし」

「でも、最低限の動作は確認出来たのよね?それに、問題がそれだけとは限らないわよね

?」

「それは、そうだけれど…」

「何も今すぐ製品化、と言っている訳ではないのよ?これはあくまでマキナテックのプロ

モーションで、たとえ製品化に名乗りをあげて下さるところがあったとしても、当面は共

同研究、開発という事で、それにご不満ならご縁が無かった、で良いのよ?」

参ったね、僕には姉を論破する事なんて生涯出来そうにないな。

「…うん、姉さんがそう言うなら、良いかな」

ここは賛成せざるを得ないだろうね。ただ一つ、気に掛かるのは

「ところで、うまく話が進んだとして、僕の立場はどうなるの?」

今までの様に、謂わば身内だけではなくなるからね。姉は極上の笑顔を見せながら、囁く

様に言った。

「今と変わらないわ。剛君が望まない限り表に出る必要はないの。会社で開発を続けて。

交渉や打ち合わせは全て大人がするから」

まぁ、ただの高校生が開発に参加してる、なんて知られたら信頼問題かもね。

「それを聞いて安心したよ。今まで通りでね」

「もちろんよ。剛君はMWSの生みの親なんだから」

笑顔を交わす。と不意に、姉の顔がより近付いてきた。え?動く隙も与えず、姉の唇が…

「MWSの更なる発展を祈って、ね」

立ち上がり去ってゆく。呆然としていた僕は、やがて姉の唇が触れた額に右手を当ててい

た。こんな事されたのいつ振りだろう?小学校の頃までは、たまにされていた記憶がある

けれど…暫くそうしていた僕も、やがて立ち上がるとリビングを出る。今日はもう寝て、

この胸の動悸を納めないと。


 その映像は、彼女達にとって正しく福音であった。世界に向け公開されたそれを発見し

たのは島国の協力者であった。その僅か五分余りの映像に見入りながら、彼女達は自らの

抱えるリスクの解消が間近に迫った事を実感していた。しかし、その為には彼女達自らが

現地に赴く必要があり、そして迅速な行動こそ彼女達の真骨頂であった。


 動画投稿サイトの影響力は、僕の予想以上だった。掲載されてから一週間と経たないお

盆休み直前マキナテックに、映像にあるマシンに関して詳細な話を聞きたい、というEメ

ールが届いたんだ。

「ここまでの素早い反応は正直驚きだわ!」

マキナテック三階のソフトウェア開発部門でSEさんに相談をしていた僕に、四階から駆

け下りてきた姉が呼ばわりつつ僕に抱きついてきた。手にしたEメールのプリントアウト

を僕も読んでみる。堅苦しいビジネス文書の最後に送信元の会社名がある。

「新日精密機工株式会社?」

耳慣れない会社名だった。

「検索してみたらホームページがあったわ。どうやらFA(ファクトリーオートメーショ

ン)関連の開発、製造を手掛けているらしいわね」

文面には、「工場施設内における新型資材搬送方式の検討」なんてあるけれど、今一つ想

像出来ないな。要は二足歩行式のフォークリフトの様なもの?

「それで、どうするの?」

「もちろん受けたわ。明日MWSの説明に行くの。詳細な話はお盆休み明けでしょうね」

「どうなんだろう、これ。向こうはどんな物を想定しているのかな?」

「それは明日判るわ。結果報告はするから」

僕の頭を優しく撫で、姉は部屋を後にした。うまくいけば良いんだけれど、と心中で、僕

は一人ごちた。

 翌日、姉と長部さんは帰社するなり僕と永峰さんを四階へ呼んだ。今日の打ち合わせ内

容を報告する為に。

「どうやら、あちらが企図しているのはクレーンの代替、という事らしいわ」

姉が簡潔に打ち合わせの内容を口にした。

「工場等の施設内で細長い鋼材の様な、パレットに乗らずフォークリフトで扱えない物は

天井クレーン等で吊り上げて移動させたりするけれど、そういうクレーン等は後付けでの

設置が難しかったり、ランニングコストも結構掛かるんですって。そこで、地上で機動的

にそういう資材を所定の位置に移動させられる様なシステムを検討していた所へ、あの映

像が目にとまったそうよ」

「ふぅん。でも、それならキャタピラの様な物でも良いんじゃないかな?」

「私もそう思って訊ねてみたわ。どうやら工場の床にある様々な段差などを乗り越えるの

に、キャタピラ等では大きな振動が発生して資材を落としてしまったりしかねないから、

という事ね」

「そっか」

映画で見た、戦車が地面の凹凸に合わせ、激しく振動する様を思い浮かべる。

「まぁ、それを回避する方法はあるけれど、システムが高価になってしまう為に他の方法

も検討していたそうね」

まぁ、言い分は納得出来るな。ただ、そういった利点と見なされる部分を、MWSが満た

しているかどうか…

「あちらはかなり共同研究、開発に乗り気な様子ね。ゆくゆくは国際的な潮流にしていき

たいとか。外国の技術者も出席していたから、本気なのでしょうね」

「外国の?」

「ええ。どうやら業務提携している海外の会社から派遣されているらしくて。男女一名ず

つだったかしら?質問をしてくるのは女性の方だけだったけれど。けっこう日本語が上手

くて助かったわ」

「ふぅん。そんなに大きな会社じゃないみたいなのにね」

「生き残りの為ではないの?うちもこの案件が軌道に乗れば、海外進出のチャンス到来よ

?」

おどけた口調で姉が言う。けれど、結構本気なんだろうな。

「だと、良いですねぇ」

永峰さんがこくこくと頷く。

「さて、今日の話はこんなところかしら?そぅ、なら、今日は帰ったら?」

長部さんへ顔を向けて確認後、今度は僕に顔を向けて言った。マキナテックは明後日から

お盆休みに入る。槙奈家と安高さんは海へ二泊三日の旅行に出掛ける事になっていて、明

日はその買い物の予定だったんだ。

「それでは、お先に失礼します」

言って立ち上がり、社長室を後にする。社長室に並んで同じ間仕切りの会議室の扉が三つ

並んで見える。後は総務や経理の事務机やキャビネット、ロッカー等が整然と並んでいる。

全員帰宅したのか人影はない。壁掛け時計は八時になろうとしているんだから当然か。静

かな室内を歩いて扉を開ける。階段も静かで、四階以外には誰も居ないんじゃないかと思

えるくらいだね。実際には階下の扉の磨りガラスから明りが漏れているけれど。一応扉を

開け帰宅の挨拶をする。そうして三階、二階と下りていって、誰も居ないだろうとは思い

つつ、一階の倉庫も覗こうと受付の間仕切りの扉を開けた。と、非常口の表示灯一つ光る

ばかりの、闇に包まれた倉庫の奥で物音がしたんだ。微かに、扉の閉じる様な音。非常口

の方から、というか今僕が開けた扉のほか倉庫にはそれしか扉はない筈で。

「?誰か居ますか?」

声を掛けてみるけれど返答は無し。気のせいかな?特に深く考える事もなくそこを後にす

る。この時には、翌日の買い物の事で頭が占められていたんだ。


 彼ら(彼女達の実力部隊)は、協力者の助力を得て首尾良くターゲットへの侵入に成功

したのであった。ターゲットの代表との接触後、彼女の指示によりターゲットを監視して

いた彼らであったが、人気の絶える時を見出せずにいたのであった。それがお盆休みに入

ったある日、待望の無人となる時が来たのである。さて、問題無く侵入に成功した彼らで

はあったが、協力者も知らぬ警報装置の作動により必要とするものを全て持ち出す事は叶

わなかった。しかしながら、その目的の半分以上は達成し得たと言える。なぜなら、試作

機の入手に成功したからである。


 僕達の旅行は最悪の幕切れを迎えた。真夜中、マキナテックに侵入者があったと警備会

社からの連絡が入り、半日余り予定を切り上げて帰宅したんだ。そして今、僕はリビング

で一人、パジャマ姿で姉の帰りを待っている。時刻はもうすぐ夜の九時。姉は現場検証に

立ち会ったり警備会社から状況を聞いたりと、気の重くなる事に忙殺された一日を送って

いた。やがて、疲れを滲ませた足音が近付いてきて扉が開いた。

「ふぅ、参ったわ…」

ソファの僕の隣に腰掛ける。旅行先から戻ると、着替えもそこそこに対応に追われていた

んだ。背もたれにだらしなく上体を預け、ぐったりとしても仕方がないよね。

「どうなってたの?」

訊ねると、億劫そうに上体を起こし、頭に右手を当てる。

「余り荒らされた様子は無かったわ。何か、お金以外の目当ての物を集中して探していた

様ね」

「それは、何?」

訊ねても、暫く姉は沈鬱な面持ちで返答を躊躇していた。

「…恐らく、MWS関連。誰が見ても、そう思うでしょうね。MWSー001が、無くな

っていたから」

「…え?」

その言葉が、直ぐには理解出来なくて馬鹿みたいな声が出た。そして、次には声もなくソ

ファからずり落ちる。いや、ギャグじゃないから、って判るか。

「大丈夫!?しっかりして!」

よっぽど僕の様子がどうかしていたんだろう、立ち上がった姉が僕を抱え上げる様にして

座り直させてくれた。それでも、暫く僕は硬直していた。何も考えられなかった。

「他に、設計図とソースコードのバックアップを盗み出そうとしてロッカーの警報装置を

作動させた様ね。バインダの方は何冊か無くなっていたわ」

「…侵入してから、警報を鳴らした?」

ぼんやりと聞きながらも、その点が気になった。

「そう。一階の非常口の警報装置に細工がされていて、侵入されたわ。一階にあったMW

Sー001も盗まれてしまった。その点だけ見ると、会社の警備システムを熟知している

者の犯行と思えるけれど」

「警備会社か、社員の犯行?」

「そうは思いたくないけれど、第一、そうすると警報を鳴らしてしまったのが腑に落ちな

いわ」

「その警報装置って?」

「最近導入したものよ。メディアバックアップしてあるロッカーを、警報解除せずに開け

ようとすると作動するの。解除の方法は開発要員全員が知っている筈だけれど」

「…とすると、侵入したのは…」

「少し前に退職した元社員、という所かしらね」

「そんな人が、なぜMWSを?」

「さぁ?同業他社に再就職して、産業スパイの真似事でもしたのかしら?」

「あの動画投稿サイトを見て?」

何気ないその一言に、姉がぴくり、震える。試験映像の投稿を主張した、その呵責の念を

感じたのかな。ソファを降り、頭を床に押しつけて

「…ごめんなさい。私があんな提案をしなければ。本当に…」

姉の土下座なんて初めて見た。全く似合わないよ。

「…でも、賛成したのは僕だよ。こんな事になるなんて、誰も思ってなかったし」

これ以上、姉の切なげな謝罪の言葉など聞きたくなかった。姉の上体を起こさせる。この

一件で姉に責任があるとすれば、それは僕も同じだよね?だから、僕に謝る必要なんて無

いんだ。

「大変だったでしょう?お風呂に入ったら?」

部屋に引き上げる為に僕は立ち上がった。目を拭いながら、無言で姉は頷くばかりだった。


 実のところ、ターゲットへの侵入直前に彼女達の計画は大幅な変更を余儀なくされる事

が判明していた。東南アジアより彼女達を迎えに来る筈の船が台風の接近で難破し、航行

不能となったのであった。代わりの船を探し、島国まで回航させるには最低でも一ヶ月、

という話であった。いつまでもここに留まる事は出来ないと、内部からは試作機を放棄し

即時帰還すべき、という意見も出たが、彼女はそれを頑として受け付けなかった。兵器に

採用しようとしているソフトウェアが稼働している、謂わばリファレンスマシンの存在が

どれほど開発期間短縮に貢献するかを力説したのであった。リーダーである彼女の主張に、

一応の同意を示す彼らの中に、それでもなお燻り続ける即時帰還論を封殺するため、彼女

はある行動に出た。協力者と共に試作機の情報をベースとした兵器の開発を短期間で行っ

てみせ、リファレンスマシンの存在意義を納得させようと試みたのであった。それは協力

者にとっても有意義な試みであった。何しろ新しい技術に関するノウハウの蓄積が、短期

間で行えるのであるから。


 試作機が奪われたのは、まだ最悪とは言えなかった。真の最悪は、その数日後に訪れた

んだ。

「立ち、消え、っていうこと?」

呆然と、僕は呟いた。苦渋に満ちた表情で、姉が小さく頷く。

「あちらとしては、提携会社からの資金拠出がない限り、この話は無かった事にするしか

ない、というのよ」

姉の言葉の大半を、僕は聞いていなかった。頭がHALTしてしまった様だった。

「もう一度製作し直すというのは…」

完全に沈黙してしまった僕を気遣ってか、ソファの右隣に腰掛けた永峰さんが弱々しく正

面の姉に問い掛けた。それは、回答が判りきった上での、それでも一縷の望みをかけての

事だったろうね。けれど姉の返答は予想通りだったんだ。

「残念だけれど、無理ね」

「ですが、設計図もソフトも有るのですし…」

きっぱりと首を横に振る姉に、尚も食い下がろうとするけれど。

「既に、このプロジェクトには二百万近く、自己資金を投入しているの。我が社が大企業

なら端金なのでしょうけれど、そうではないわ」

姉のその一言を最後に、社長室内は重苦しい沈黙に包まれた。姉の隣で沈黙を守り続けて

いた長部さんも、口惜しげに唇を歪めている。つまり、このプロジェクトに次は無いんだ

な、と何の感慨もなく結論づけた。それならば。三人の表情を見較べながら、僕は全く別

の事を考え始めた。文化祭の事を。あと一ヶ月もすれば文化祭の準備が始まるんだ。日田

先輩のプロジェクトはどうなっていたかな。テキストはどこまで上がっていたかな?生田

のグラフィックは?まるで憑き物でも落ちる様に、MWSの事が遠ざかってゆく。僕は無

言で立ち上がった。扉へと向かう。

「何、トイレ?」

姉が問うてくるのに、首を巡らし

「家へ帰る。僕がここにいる理由はもう無いから」

誰も引き留めはしなかった。僕は、きっと酔っ払いが帰宅する時ってこんな感じなんだろ

うな、と思う様な無意識状態で帰宅した。

 明りを点けず、暗い自室内でベッドに身を投げる。暗闇を見詰めているうちに、ぼんや

りとした意識が晴れてくる。そして、僕は泣き出した。タオルケットに顔を埋めて。自分

でも、なぜ泣いているのかよく判らないんだ。もちろん客観的な理由は有るにしても、そ

れを考えながら泣いた訳ではないし。でも、人間の脳の活動は大部分が無意識領域のもの

だと言うし、その理由が作用していても意識は出来ないのかな?それはともかく、ここで

理由について少し触れておくと。もちろん一つはMWSー001が失われ、プロジェクト

が続行不能となった事。それともう一つ。MWSの存在が、僕にとって予想以上に大きく

なっていたという事。僕がMWSの前身となるカナ・システム作成を思い立ったのは、山

下さんに関する(それこそ絶望的な)思いから目を逸らすためだった。結果的に、その目

的は十二分に達成された。しかし、MWSが失われ、その存在の大きさを思い知らされる

と同時に、目を逸らしてきた事実が『牙』を剥いて襲い掛かってきたんだ。

「お前は思い人の事を忘れようとしていた薄情者だ!」

その『牙』は、MWSの存在が大きければ大きいほど鋭く、深く、僕の心に突き刺さった。

「しかし、仕方がないのではないか?遠くに去った人の事を想い悲しみ続ける事が、どれ

ほど高尚な事だというのか?」

そんな反論は、きっと無意味なんだろうね。相手は自分自身の心、あるいは無意識なんだ。

理性など歯牙にも掛けない。その内面的な自傷行為に僕は震え戦き、全てを投げ出してし

まいたくなった。ああ、生きたまま、この心だけどこかに置き去りに出来ないだろうか?

もしそれが無理だというのなら、いっそ!なんて、この時、僕はこんなにもカオスだった

んだ。余りにも短い間に余りにも多くの出来事が有りすぎたんだ。もうすぐ十七才という

少年の僕には、心の整理を付ける事は酷だったんだろう。それでもひとしきり泣いたら心

が幾分軽くなって、涙で濡れてしまったタオルケットと汗でべとつく体をどうにかしよう、

という考えが浮かんで立ち上がり、タオルケット片手にのろのろと一階へ下りていったん

だ。

 ここで、他の部員達がどう夏休みを過ごしていたか、少し触れておこうと思う。何でこ

こで触れるのかって?ここから先は、鬱々としたとてもそういう話の出来る様な状態じゃ

ないから。

 さて、まずは日田先輩。進学希望の先輩は、当然ながら勉強三昧の日々だったとか。進

学塾の夏期合宿に参加していたそうで。来年の事を思うと、ただでさえ鬱状態なのに、ブ

ラックアウトしそう。

 生田は毎年夏と冬に有明の方で(東京のね)開催される、由緒あるお祭りに参加してい

たと。三日間で数十万人を集め、企業も名前を前面に押し出して参加しているとか。実は、

生田がせっついていたゲームも、このお祭りに出展するつもりでいたと言われて、悪い事

をしたな、と少し反省したんだ(結局冬の方に出すつもりらしいけれど)。一体どんなお

祭りなんだろう?

 安高さんについては、この後で触れるつもり。今とりあえず言えるのは、本当にご迷惑

おかけしました。それだけ。

 蒲池については……まぁ、いいか。なにやら生田の手伝いをさせられていた様だけれど。

うん、どうでもいい、という事で。以上。


 その島国の技術者達はなかなかに優秀であった。プロジェクトの性格上、参画を許され

た者はごく少人数であったが、彼女達の作業が急ピッチで捗ったのは彼らの助力に負うと

ころ大であった。ベースとなる実物や設計図等があるとはいえ、彼女達が企図していた物

からすればそれは不完全であり、かつ不適格な点があった。そもそもが兵器搭載必須の彼

女達の要求仕様に適合するべく開発された物ではないのだ、それは当然の事ではあった。

しかし、試作機の設計は彼女達の技術的蓄積のあるハードウェア、ソフトウェア(いずれ

も主に上半身部)に親和性の高いものであり、改造点としては兵器マウントの機構追加や

重量増加に伴うアクチュエータ、電源部の強化、無線遠隔操作システムの追加等、比較的

小規模なものに留まりそうであった。作業の進行と共に、彼女への即時帰還の要求は収束

していった。しかし、彼女の行為は好都合な事態のみならず、危機をも招来したのであっ

た。それこそ正しく即時帰還の主張者達が危惧していたものであった。島国の警察当局が、

彼女達の行動に気付いたのである。


 八月半ば、僕は十七才になった。ささやかでもケーキや料理を用意してくれた姉や安高

さんには悪いけれど、何の感慨も湧いては来なかった。二ヶ月前、誕生日直前の山下さん

の年齢は、永遠に『享年十六才』となった。彼女は変わらぬ少女のまま、しかし決して触

れる事も、言葉を交わす事も出来ない存在となったんだ。MWSまでも失いながら、僕は

このまま年を重ねていくんだろうか、いや、いけるんだろうか?どちらの代わりにもなり

うる様なものは、今のところ全く思いつかない。これから先も、見つけられる自信がない。

虚脱感、無力感に打ちのめされて、ただ蒸し暑い室内でだらだらと汗をかいているだけの

生き物、それが僕だった。傍から見ればみっともないとしか言い様のない姿だね。そんな

僕の事を気遣って、二人は優しく、厳しく、色々な言葉を掛けてくれたりした。けれど、

僕にはその優しさが疎ましく、やるべき事が判っていながら(少なくとも文化祭の準備は

進めなければ。生田はともかく、日田先輩に迷惑を掛ける訳にはいかない。テキストデー

タ等を作成して貰っているのに、それを載せるプログラムが無いのでは無意味だろう?)、

動き出さずにただ無為に残りの夏休みを過ごした。ガレージに居ても、パソコンも弄らず

椅子に座ったままぼんやりと何時間も天井を見ていたりした。宿題は七月中に済ませてい

たし、どうしても行かなければならない所も無くて。洗濯等の日課をこなし、後は気付け

ば日が暮れているといった、そういった毎日。気力を振り絞ろうという努力もしない。こ

んな事は、僕の短い人生経験の中で初めてだった(幸か不幸か、というか幸運な事に、酷

く落ち込む様な事があっても、これまでは立ち直れてきたんだ)。このまま行けば、不登

校になってしまう可能性さえあったんだ。


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