39 国王との約束
39 国王との約束
それからの3日間、遠征の報償で休暇になっている間、ウィリアムはほとんどの時間をベッドの傍ですごしていた。時折ガーゼで口元に水分を流し入れ、タオルで顔を拭いたり、髪を梳いたりした。
3日目の午後、珍しくクレアが訪ねて来た。
「ウィリアム様、先ほど陛下からお呼び出しがあると、文官の方がお見えでした。私とウィリアム様宛ですのよ。」
差し出された手紙には、確かに二人の名前が記されていた。翌日、侍女たちにジュディスを任せると、ウィリアムはクレアと共に王宮に向かった。
「今日は私的な話だ。肩の力を抜いてくれ。」
謁見の間ではなく、執務室に通された二人に、国王は穏やかに告げた。護衛を所払いして身を乗り出すと、思いもよらないことを話し出したのだ。
「実はな、ジュディス嬢と密約をしていたことがあるのだ。貴族としての暮らしも爵位も彼の者は欲していなかった。ただ、染色の仕事をし、穏やかに暮らしたいというのが、当人の願いだった。職業爵を持っていれば、バカにされることもないし、収入にも大きく影響すると言ったんだがな。今までに散々バカにされてきたから、今更だと言うのだ。それに、爵位をもらう前から、実力で十分に収益を上げている。もし報償をと考えてくれるなら、穏やかな暮らしができるように配慮してほしいと言ってきた。ふふ。領地や肩書を欲しがる貴族の多い中で、なんとも興味深い。」
その時のことを思い出したのか、国王は表情を緩めて笑みさえ浮かべていた。
「まぁ、陛下に向かって、ジュディスがそんなことを?申し訳ございません。」
「ははは。勘違いするな。私はその考え方に甚く興味を持ったのだ。最近の貴族たちの浅慮には辟易していたのでな。」
クレアの心配を一蹴すると、国王は、改まった表情になって続けた。
「しかし、ジュディス嬢の魔力については、国としても見過ごすことができぬ。この国に何か起こった時には力を貸してくれるよう頼んでいた。そんな折にターラントの魔物騒動が起こったのだ。そこで、我が国の第一王女がターラントに嫁いでいることを盾に、ターラントから救助要請が来たときには、力を貸してほしいと頼んだ。我ながらいやらしい言い方だった。だが、己の力をまだ信じられないと言いつつ、断らずにいてくれたのだが…。実際には、ジュディス嬢の方からターラントへの渡航許可を申し出てくれたのだ。もちろん聖女としてではなく、自分の持つ治癒魔法でけが人を助けたいとのことだったが。その時、聖女の力を他国で発揮してしまったら、国外からも狙われてしまうと忠告した。すると、ジュディス嬢は、思わぬことを言い出したのだ。もしも、窮地に追いやられた自分が、聖女の力と言われるような力を発揮して、他国に知れ渡ってしまったなら、自分を殺してほしいとな。」
「え…。ジュディス嬢が、そんなことを?」
それまで静かに聞いていたウィリアムが、いきなり立ち上がった。国王は、そんな婚約者を座らせると続けた。
「本当に殺すなどありえない。聖女は国の宝だ。つまり、表向きは力を使い果たして亡くなったことにして、双子の妹として、今まで通りの暮らしを続けたいというのだ。そうなれば、爵位は返上でき、今までの仕事は続けられる。そなたたちとの暮らしを続けることも可能になるということだ。わずらわしい事情聴取も、本人が亡くなっているとなれば、お役御免だ。まぁ、そなたたち騎士団がある程度は把握しているだろうから、問題ないだろう。ジュディス嬢が目覚めたら今回の討伐の報償を相談しようと思っていたのだが、どうせ受け取ってはくれまい?よって、大切な家族を亡くした者への謝罪として毎年一定額を届けることとする。そうしないと、貴族たちも黙っていないだろうしな。
それから、今回のターラントにおける魔物の発生については、南の隣国レヴィンスが関与していることが分かった。その件については、まず当事国の2国が話し合うべきことだ。我々は関与しないこととなった。
ああ、それともう一つ、ターラントに出発する前に、サファイアのネックレスを預かっている。こちらを返しておこう。」
「いいえ。それは、ジュディスが目覚めた後に、本人に渡してやってください。」
ジュディスはきっと目を覚ます。これは、クレアにとって一つの願掛けでもあった。国王はその意図を汲み取り、「早く受け取りに来いと伝えてくれ。」と告げた。二人は深々と頭を下げ、王宮を後にした。
それから数日後、ジュディスは意識を取り戻した。しかし、意外なことに聖女として発揮した力については、全く覚えていなかった。ウィリアムが国王との約束について確かめると、確かにそんな約束をしたというので、すぐさまジュディスの葬儀を行う準備を始めた。使用人たちには緘口令が敷かれ、葬儀は家族だけでしめやかに行われた。そして、後日、王宮にそのことが伝えられ、「ネモフィラの聖女」が戦いの末亡くなったと大々的に伝えられることとなった。
「ウィル!そろそろ出掛けないと間に合わないわよ。私も仕事が溜まってるからそろそろ出掛けるわ。」
「ああ、ジュリー、待ってくれ。忘れ物だ!」
「え?何?」
振り向くジュディスに、ウィリアムは軽く口づける。あの討伐以来、ウィリアムは積極的になった。同じ時間を過ごせることが、どれほど貴重な事かを思い知らされたのだ。二人は微笑み合うと、それぞれの仕事場に向かった。
ジュディスが染色作業をしていると、バタバタと走ってきたエミーが飛び込んで来た。
「ジュ、ジュリー様!! トレイシーさんが帰ってきました!またパン屋を始めるそうです!」
「そうなの? 嬉しいわ!チャドには悪いけど、パンだけは、ね!」
作業場の中に笑い声が響いた。
その頃、国王は、ジュディスのその後の生活について報告を聞いていた。目の前にいるのは、王族の護衛の任を賜る影だ。
「例の復活の魔法については、しっかり定着しております。しかし、まさか本当に聖女の力についての記憶がなくなっているとは思いませんでした。」
「そうか、ご苦労。」
国王の返事と共に、影はすっとその姿を消した。ジュディスがターラントに行くと聞いた時から、この影を傍に置き、命を落とすことの無いよう守らせていたのだ。その影には、もう一つ任務が与えられていた。ジュディスが聖女の力を使い、魔力が下がっているときに、ネモフィラの術の封印と再起の際の合図を刻み込ませるという事だ。任務は無事成功し、ジュディスを聖女として狙わせない対策は取られた。
「ふふ。一から出直すとは言っていたが、本当に記憶を失くしてしまうとは思わなかったな。ネモフィラの聖女か。その力を使わせないようにするのが、私の腕の見せ所だな。」
国王は、美しくも愛らしいネモフィラの花が刺繍されたポケットチーフを手に取って呟くと、胸ポケットにそっと収めた。
おしまい。
長らくお付き合いいただきました「ネモフィラの聖女などと言われていますが、あくまで私は『一・般・人』ですから!」は、今回が最終話となります。
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