第50話【闇は終わらずリンクする】
鋭時達が強盗団を壊滅させてから数日後、
ステ=イション旧市街区を歩く2つの人影があった。
「ここも変わってないな……」
「そういえば蔵田君はここら辺で生まれ育ったんだったかな?」
夕日に照らされたステ=イション旧市街区を見回しながら歩く黒いスーツを着た蔵田の呟きに、3台の警備ロボットに囲まれて隣を歩く真鞍が顎の髭を撫でながら尋ねる。
「ええ……父が署長に就任した時に副署長を務めてた相曽実ミサヲの母が凍鴉楼に連れて来たそうです。当時凍鴉楼に住んでた母も父に出逢ったと聞いてます」
「じゃあ、今から行く所には蔵田君のお袋さんが?」
懐かしむように微笑む蔵田の話を聞き終えた真鞍は、心持ち緊張した様子で聞き返す。
「いえ、母は相曽実ミサヲや依施間チセリの母達と一緒に別の居住区でのんびりと暮らしてますよ。自分の母は例外ですが、娘が繁殖可能となった場合には母か娘のどちらかが別の居住区に移るのはジゅう人の習性みたいなものですから」
「そういえば、お嬢ちゃんもパートナーを探す旅をしていたって言ってたよね?」
曖昧な笑みを浮かべて頭を掻いた蔵田がジゅう人の奇妙な風習の説明をすると、ひと月以上前の出来事を思い出した真鞍は確認するように聞き返した。
「榧璃乃シアラですか……IDカードに記載された居住区入出履歴を見る限りでは本当の事でしょうが、ロジネル型の居住区から来た燈川鋭時に出逢えたのは僥倖としか言い様が無いですね」
「燈川君の体に呪いが掛けられてなかったら今頃はお嬢ちゃん達も苦労してないと考えると、少々複雑だけどね」
前方の安全を確認しながらスーツの内ポケットから携帯端末を取り出した蔵田の報告に対し、真鞍は頷きながらも難しい表情を浮かべる。
「いえ、何と言えば……燈川鋭時に呪いが無ければステ=イションに来れなかったでしょう。どこでも繁殖出来る魔力を持つのがタイプサキュバスですから」
「ん? ドクの話だと、国内にいるタイプサキュバスはお嬢ちゃんだけって話じゃなかったか? 何で蔵田君が詳しいんだね?」
複雑な表情で静かに首を横に振った蔵田が話題に上がったジゅう人の特徴を説明すると、真鞍は蔵田の説明に違和感を覚えて理由を尋ねた。
「言われてみれば……どう説明すれば? ジゅう人というのは人間のA因子を始め様々な生物の出す波動を見る……というか感じる事が出来ますが、ジゅう人同士の場合は種別ごとの波動が見える訳です」
思わぬ質問に首を傾げた蔵田は順を追って説明するために、自分達の持つ特異な感覚器官について説明する。
「そういえば講習で似たような説明を聞いたな……確かジゅう人は互いの顔を見て種別を見分けるんだったかな?」
「はい。厳密に言えば波動が見えるのは頭部ですから、極端に言えば後頭部を見ただけでも種別の判別が出来ます。それで各種別の波動を見ると同時に脳内に種別の簡単な特徴が頭に流れ込んでくるんです」
署長就任時の出来事を思い出すべく上を向いた真鞍が頷いてから確認するように尋ね、そのまま頷きを返した蔵田は自分の身に起きる感覚を出来る限り噛み砕いて真鞍に説明した。
「まるで波動に解説が付いてるみたいだね……」
「そうですね……波動が見えた時にぼんやり頭の中に浮かぶ感覚ですが、他にいい例えが思い付きません……」
説明を聞き終えて呆れと感心が混じったかのような表情で頷く真鞍に蔵田が再度説明を試みるが、断念して静かに首を横に振る。
「無理しなくていいよ、だいたい理解したから。後の細かい事は専門家の仕事なんだし、今は簡単な共通認識があるだけで大丈夫だ」
「ありがとうございます、真鞍署長。自分も出来る限り答えられるようにします。では行きましょう」
気遣うように軽く頷いた真鞍に微笑みを向けられて自信を取り戻した蔵田は足を止めて敬礼し、目的地までの道案内をするべく前に出て歩き出した。
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「ここで良かったかな?」
奥にある工場区画を囲みながら遥か高くにそびえ立つ塀を背に建つ奇妙な形状の木造高層建築物、凍鴉楼を目の前にした真鞍が躊躇いがちに蔵田に尋ねる。
「ええ、この凍鴉楼の1階にある全自動食堂マキナが指定の場所です」
懐かしそうに見上げていた蔵田は携帯端末を取り出してから真鞍の質問に答え、躊躇する事無く木造部分の土台となっている白いビルの自動ドアに近付いた。
「ここで大事な話があるんだ、お前達は外で待てってくれないか?」
「カシコマリマシタ、真鞍署長」
先にビルの中へと入った蔵田を見送った真鞍が護衛として着いて来た3台の警備ロボットに待機を命じると、全ての警備ロボットが素直に命令を聞き入れてビルの外壁に張り出した木造建築の土台付近まで移動する。
(ドクから聞いた通りだ、まさか本当に僕から離れてくれるとはね……)
「お待たせ蔵田君、それじゃ行こうか」
常に護衛として貼り付いていたロボット達の変化に驚き呆れた真鞍はビルの自動ドアを抜け、待機していた蔵田に声を掛けてから目的地へと向かった。
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「お待ちしていました真鞍署長、マスターが店内でお待ちです」
「なるほど……ドクも随分と大胆な手を使ったもんだ」
凍鴉楼の廊下に佇んでいたレーコさんが真鞍達の到着を感知すると同時に全自動食堂マキナの入口を塞ぐ【本日貸し切り】と表示された立体映像に手を差し伸べ、しばらく顎髭に手を当てながら立体映像を眺めていた真鞍は今しがた自分の入って来た凍鴉楼の入口へと目を向けてから感心するように頷く。
「真鞍署長、本日はドクター・マリノライトの招待と聞きましたが……賞金の礼に食事会を開きたいとかで」
「あのドクが意味も無くこんな事しないよ。ここまでお膳立てしてんだし、詳しい事は中で話そうか?」
真鞍の反応に疑問を持った蔵田が顔を近付けて小声で確認すると、真鞍は呆れた様子で首を横に振ってから贈り物を待ちわびる子供のような笑みを浮かべつつ立体映像に塞がれた店の中へと足を踏み入れた。
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「いらっしゃい。おや? ミノリくん久しぶりだね。こちらが署長さんかい?」
「どうも初めまして。ステ=イション外周署の署長をしてる真鞍畦三です。本日はよろしくお願いします」
店に入って来た蔵田に優しく微笑み掛けてから隣の真鞍に目を向けた割烹着姿のマキナに、真鞍は軽く頭を下げながら自己紹介をする。
「ようこそ全自動食堂マキナへ、店長の璧崎ナズナでございます。気軽にマキナとお呼びくださいな」
「分かりました、マキナさん。それでドクはどこですかな?」
大雑把だが優しく包み込むようにお辞儀を返したマキナが照れ笑いを浮かべつつ簡単に自己紹介し、真鞍は了承して微笑んでから近くのテーブルを見回した。
「ドクなら奥で待ってますよ、他のみんなも揃ってるはずです」
「他の……いったい誰を呼んだんですか! マキナ……さん」
狐のような尻尾を小さく振りながら店の奥へと手を差し伸べたマキナに、蔵田は驚いた様子で事情を聞き返すも途中で口ごもる。
「そりゃあ鋭時くんやシアラちゃんだよ、もちろんミサヲちゃんやチセリちゃんも来てるよ。それよりミノリくん、昔みたいに母さんって呼んでもいいんだよ?」
「あれは……子供の頃の話ですから……」
「そうでもないさ。ミサヲちゃんも他のみんなも母さんって呼んでくれるんだし、ミノリくんのお母さんからも頼まれたんだから、ミノリくんも大切な子供だよ」
質問に答えながら優しく微笑み掛けるマキナに蔵田は尚も顔を沈めて口ごもり、マキナは膝を少し屈めて下から覗き込むようにして蔵田に微笑み掛けた。
「いえ、でも自分は……」
「ん? 蔵田君のお母さんからって事は、こちらのマキナさんも相曽実君の?」
マキナの視線から逃れるように静かに首を横に振る蔵田の横から、真鞍が心持ち大きな声で疑問を口にする。
「おや、署長さんは宜洋さんをご存じなのかい?」
「相曽実君とは同期でした。どうも彼がご迷惑を掛けたみたいで……」
「そんな迷惑だなんて思っちゃいないさ、宜洋さんから授かった命を迷惑だなんて言う母親はひとりだっていやしないよ……」
狐のような耳をピンと立てて目を見開いたマキナに対して真鞍が頭を下げようとするが、手招きするように手を振って制止したマキナは懐かしむように腹へと手を当てながら目を細めて呟いた。
「これは失礼しました。確かに僕も蔵田君には助けられてばかりだね、みなさんで立派に育てられたんでしょうな」
「いきなり何を言うんですか、真鞍署長!? 自分は、まだそんな……」
背筋を伸ばして真剣な表情で敬礼した真鞍が上げた手でそのまま頭を掻きながら感心するような笑みを浮かべ、蔵田は思わず大声を上げてから再度口ごもる。
「ホント、立派になったもんだよ。さあ、いつまでもこんな所で立ち話をしててもしょうがないし、奥へどうぞ。ミノリくんは署長さんを案内しとくれよ」
「分かりました。真鞍署長、こちらです」
「ありがとう、蔵田君。ではマキナさん、またあとで」
「はい、どうぞごゆっくり」
感慨深く目を細めたマキナに案内を促されて店の奥に移動を始めた蔵田と、軽く手を振ってから後を着いて行った真鞍をマキナは笑顔で見送った。
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「やっとおいでなすったか。おーいミノリ、こっちだ」
「そんな大声出さなくても聞こえてるよ、姉さ……相曽実ミサヲ」
横に並べた2台のテーブルを囲む一団の中からミサヲが軽く手を振りながら声を掛け、テーブルに近付いた蔵田は途中で言葉を詰まらせながら苦言を呈する。
「何だよ、固いな~。姉さんって呼んでもいいんだぜ、ミノリ?」
「ここには遊びに来たんじゃない、真鞍署長の護衛としてだ」
「いいじゃないか蔵田君、せっかくの姉弟なんだし仲良くしないと」
からかうように笑うミサヲの言葉を蔵田は毅然とした態度で否定するが、横から真鞍が労うような笑顔で肩の力を抜くように促した。
「真鞍署長、そういう訳には……」
「初めまして真鞍署長、本日は凍鴉楼までお越しいただきありがとうございます。私はシショクの12人がひとり、ドクター・グラスソルエより代々この凍鴉楼の管理を仰せつかった依施間家の家長、依施間チセリと申します」
気楽な態度の真鞍に反論しようとした蔵田を遮るようにミサヲの隣に座っていたチセリが立ち上がり、真鞍に挨拶をしてから丁寧な仕草でお辞儀をする。
「こりゃご丁寧にどうも、署長の真鞍畦三です。そうか、貴女が蔵田君の話してた妹さんだね」
「はい、いつも兄がお世話になっています。本日はごゆっくりしてくださいませ」
「依施間チセリがいるなら安心か……今日の件は何も聞いてなかったぞ」
慌てて挨拶を返した真鞍に対して柔らかい物腰で応対するチセリの存在に安堵のため息をついた蔵田は、そのまま小声でチセリに問い質した。
「ええ、兄様から何も聞かれませんでしたから。それに本日の食事会はドクターが調整しましたので」
「聞かなかったって……連絡は燈川鋭時の進捗確認だから仕方ないか……」
軽く頭を下げたチセリが口元に手を当てて悪戯じみた笑みを返し、蔵田は小さくため息をつきながらも事情を理解して渋々頷く。
「色々と話したい事もございましょう、まずはお掛けくださいませ」
「ああ、そうさせてもらおう。蔵田君もまずは座ろうか?」
再度柔らかい物腰でお辞儀したチセリが狼のような尻尾をゆっくり揺らしながら空いた席へと手を差し伸べ、真鞍は快く頷いてから蔵田に微笑み掛けた。
「申し訳ないけど、席の方は鋭時君を中心に殆ど決まってるんだ。ヒラネさんには移動してもらったから、2人はボクとミサヲさんの間に座ってくれないか?」
「分かったドク。蔵田君はお姉さんの隣がいいだろうから、僕はこちらに座らせてもらうよ」
テーブルの縦列にひとつだけ置かれた椅子に座ったドクが向かいに座った鋭時に手を指し向けてから自分の右隣に当たる横列に2つ並んだ椅子を指し示し、事情を理解して快く頷いた真鞍は左側の椅子に座る。
「失礼するぞ相曽実ミサヲ、それにしても覚醒した方がこれだけとは……」
「あはは……ドクにA因子を隠す装置を作ってもらったんだけど、その前に何人か覚醒させちまってさ……何か申し訳ない」
静かに椅子を引いて真鞍とミサヲの間に座った蔵田が周囲を見回してから複雑な表情で呟き、鋭時は複雑な笑みを浮かべながら気まずそうに頭を掻いた。
「こちらこそご不便をかけて申し訳ない。燈川鋭時の素性は署でも捜査中ですが、手掛かりが全く……」
「辛気臭え話はそこまでだ、ミノリ。鋭時は立派に掃除屋してるし、記憶も順調に戻してる……たぶんな」
慌てて頭を下げた蔵田が始めた捜査状況の説明をミサヲが遮り、そのまま信頼の眼差しを鋭時に向ける。
「ミサちゃんの言うとーりっ! 教授はわたし達が守りますから、ノリくんは安心してくださいっ!」
「そいつは頼もしいな、お嬢ちゃん。みんなも燈川君の事はよろしく頼んだぞ」
鋭時の左隣に当たる席に座ったシアラがミサヲに同意するように鼻息荒く頷いてから胸を張り、蔵田が口を開くよりも先に真鞍が微笑みながら大きく頷いた。
「任せてよ、署長のおじさん。それと、出来ればKBR-Y17を何台か融通してほしいかな?」
「ははっ、随分と面白い事を言う坊やだ。だがな、警備ロボットを民間に流すには複雑な手続きや審査が必要なんだ。すぐには返事出来ないよ」
鋭時から見て右から2番目に座ったヒカルがシアラに続いて頷きつつ悪戯じみた笑みを浮かべ、真鞍は上機嫌で笑ってから諭すような眼差しに変わって微笑む。
「真鞍署長、奈守浪ヒカルは女性ですよ」
「おっと、こいつは失礼した。気を悪くしたなら申し訳ない」
横から蔵田が遠慮がちに耳打ちし、真鞍は気まずそうに頭を掻いてからヒカルに頭を下げた。
「別に気にしてないよ、おじさん。こんな格好してるんだからオスと間違えるのは普通だし、そろそろ別の服に変えようと思ってるんだ」
「ヒカルがおしゃれに興味を持つにゃんて珍しいわね、服を選ぶにゃらわたくしも手伝うわよ?」
気にする様子も無く両手を頭の後ろで組んで微笑んだヒカルが白いサロペットを両手で摘み、左隣に座っていたスズナがピクッと猫のような耳を動かしてから肩にかかった銀色の髪を掬うように払いながら声を掛ける。
「ありがたい話だけど遠慮しとくよ、スズナお姉ちゃん。鋭時お兄ちゃんに見せる服だったら後少しで完成するし、ぼくが今まで発明した中でも最高傑作になるのは保証するから次に店に行く時を楽しみに待っててね」
「いや待て、色々と待て。発明って、どういう事だよ……」
「えーじしゃまの言う通りよ、ヒカル。どんにゃ服を着るつもりなのよ!?」
両手を頭の後ろで組んで悪戯じみた笑みを浮かべるヒカルに慌てた鋭時が思わず聞き返し、スズナも2本の猫のような尻尾の毛を威嚇するように逆立ててヒカルに問い質した。
「スズナお姉ちゃん落ち着いてよ、装置の動作状況は完璧なんだからさ。ここまで信用が無いなんて、ちょっと心外だな……ぴゃう!?」
「そりゃ日頃の行いが行いだからな。またヒカルの発明で迷惑が掛かりそうなら、アタシが全力で王子様を守るから安心していいぜ」
思わぬ剣幕を見せるスズナを制止しようと手のひらを向けながら不満を漏らしたヒカルが突然奇妙な声を上げ、右隣からスライム体の手で兎のようなヒカルの耳を掴んだセイハが自分の親指を立てながら自信に満ちた笑みを鋭時に向ける。
「ワタシも協力するから、えーじ君もスズナちゃんも安心してね」
「ははっ……何とも頼もしいな……」
セイハの右隣に座るヒラネもまた柔らかくも決意に満ちた微笑みを向け、鋭時は居心地悪そうに頭を掻きながら照れ笑いを浮かべるしかなかった。
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「どうやら料理が来たみたいだね。今夜はボクの奢りだから追加の注文があったら遠慮なく言ってよ、もちろん酒もね」
「ドクも随分気が利くじゃねえか、とことん飲ませてもらうぜ! マキナ母さん、あるだけの酒を持って来てくれ!」
テーブルに近付いて来た配膳ワゴン型ロボットに気付いたドクが食事会の趣旨を説明し、ミサヲは配膳ロボットの後ろから来たマキナに上機嫌で声を掛ける。
「あまり飲みすぎるんじゃないよ、ミサヲちゃん。それにしたって随分と羽振りがいいじゃないか、ドク。いったい、どういう風の吹き回しだい?」
「強盗団に掛けられた賞金が入ったからね、それで日頃お世話になってるみんなに感謝したいと思ったんだ」
呆れながらも優しい笑顔を浮かべながら冥酒樽灘の瓶と桝をミサヲの前に置いたマキナが興味深そうにドクに尋ねると、ドクはLab13の中から厚みのある封筒を取り出しながら理由を説明した。
「立派なもんだねえ、でもうちの店で良かったのかい? いいお店なら他にあっただろう?」
「栄養価と安全性の高いステ=イション製の食材よりも贅沢な食事なんてボクには思い付かないし、ここは前からお気に入りの店だからね」
感心して頷きながらも頬に手を当てて困惑した表情を浮かべたマキナに、ドクは涼しい顔で肩をすくめてから目を細めて懐かしむように店内を見回す。
「そういえば初めてここに来た時も似たような事を言ってたわね、確か名前も味もあの頃のままだって」
「へえ……ドクとマキナ母さんって、そんなに古い付き合いだったのかい?」
釣られて店内を見回したマキナが懐かしそうに思い出し笑いを浮かべ、桝に酒を注ぎ終えたミサヲが興味深そうな表情でマキナに尋ねた。
「いや、マキナさんとはステ=イションに来た3年前に初めて知り合ったよ。でも同じ店を残しておいてもらった事には感謝してるんだ」
「どういう事だい、同じ店って?」
静かに首を横に振ってから照れ臭そうに鼻の頭を指で掻くドクに、ミサヲは首を捻って聞き返す。
「別に難しい話じゃないさ、凍鴉楼が出来た時からここには全自動食堂マキナって店があったんだよ」
「あたしは娘が独立したのを機にこの店を買ったんだけどね、本名にもマキナって入ってるし、みんなにも馴染みの深い店だから全部このまま引き継いだって訳さ。それより早くお食べ、せっかくの料理が冷めちまうよ」
「分かったぜ、マキナ母さん。ミサ姉、飲み物の方はもう注ぎ終わったぜ」
涼しい顔で肩をすくめて簡単に理由を説明したドクに続いて店を入手した経緯を説明したマキナがテーブルに並べられたいくつもの大皿に手を差し伸べると、よく通る声で返事をしたセイハがスライム体の手で複数の瓶を持ったまま自分の親指を立てて誇らし気に微笑んだ。
「いつも助かるぜ、セイハ。飲み物は全員行き渡ったな? それではドクの奢りに感謝して」
信頼と感謝の眼差しをセイハに向けたミサヲが酒を入れた自分の桝を手に取り、テーブルを囲む出席者が飲み物を手にした事を確認してから掛け声と共に桝を顔の高さまで上げる。
「「かんぱーい!」」
ミサヲの声に合わせて出席者全員が飲み物を顔の高さまで持ち上げてから乾杯の声をあげ、そのまま同時に飲み物を口に運んで一瞬の沈黙がテーブルを支配した。
「はい教授っ、たくさん食べてくださいねっ!」
乾杯を終えてすぐにジュースの入ったグラスをテーブルに置いたシアラが大皿に盛られた料理を手早く取り皿に取り、満面の笑みを浮かべて鋭時へと差し出す。
「ああ、ありがとう。何か、いつも悪いな……」
「そんな事ありませんっ、教授の記憶を探すのも体力が必要じゃないですかっ! もちろん記憶が戻った時の約束も忘れないでくださいねっ!」
ふた口ほど飲んだビールの入ったグラスをテーブルに置いた鋭時が感謝しつつも複雑な笑みを浮かべながら取り皿を受け取ると、シアラは優しい雰囲気で首を横に振ってから期待に満ちた眼差しを鋭時に向けて大きく頷いた。
「ははっ、記憶が戻ったら俺を好きにしていい約束だったな……先の事は考えても仕方ないし実感も湧かないけど、まずはいただくか」
先の見えない約束に乾いた笑いを浮かべつつ小さくため息をついた鋭時は手元の小皿に酢と醤油を入れてからラー油を垂らして箸を手にし、取り皿から焼き餃子を取って小皿に付けてから口へと運び入れる。
仄かな辛みと酸味が混じった醤油の風味が口に広がった直後に皮の焼かれた面の香ばしさと蒸された面の柔らかさの異なる歯ごたえを同時に楽しんだ鋭時は、噛み締めるたびに溢れ出てて来る白菜の水分が混じった豚ひき肉の肉汁に纏わり付いた脂っこさをビールの苦みと炭酸で洗い流した。
(こいつはビールが進むな……今日はペースを落とさないといけないのに……)
残りの餃子も勢いよくビールで流し込んだ鋭時は、半分以上減ったグラスを見て自制を誓いつつ取り皿の隅に盛られた白身魚のカルパッチョを取って口へと運ぶ。
(刺身とカルパッチョのいいとこ取りだ、これもビールが進んじまう……)
口に広がる仄かな酸味と醤油の風味により和風の味付けがされてると気付いた鋭時は、柔らかな歯ごたえの切り身を噛み締めるたびに広がる旨味と混じる醤油ベースのソースの風味を楽しみながらグラスに入ったビールを飲み干した。
「はいどうぞっ、教授っ! 他に食べたいものはありますかっ?」
「ありがとう、シアラ。料理の方は取り皿の分が終わってから考えるよ」
ビール瓶を手にしたシアラが空になった鋭時のグラスにビールを注いで微笑み、礼を述べながらも複雑な表情を返した鋭時は取り皿の端と端を渡すように置かれた串カツにソースをかけてから手に取る。
「わかりましたっ! 何かあったら声を掛けてくださいねっ、教授っ!」
「ああ、よろしく頼むよ」
(これも美味い……不本意だが、いざとなりゃ治癒術式がある! 今日はとことん楽しむか!)
満面の笑みを浮かべて頷いたシアラに出来る限りの優しい微笑みを作って返した鋭時は手にした串カツを齧り、サクサクした歯ごたえの衣と共に広がったソースの風味と肉の旨味に満足して目を閉じてからビールの入ったグラスを手に取った。
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「相変わらずいい飲みっぷりだな、鋭時。それにしてもステ=イションに住んでる人間が勢揃いとは圧巻だね」
「何を仰っているのです、ミサヲお嬢様? ステ=イションに住んでいる人間は、旦那様と真鞍署長のお二方しかいらっしゃらないではありませんか?」
串に刺さった肉と玉ねぎを口に入れるたびにビールで流し込む鋭時を満足そうに眺めてからテーブルを見回して頷くミサヲに対し、アイスティーの入ったグラスをテーブルに置いたチセリが不思議そうに聞き返す。
「あー……それもそうか。でもせっかくなんだし、少しくらい豪勢な言い方しても罰は当たんないだろ?」
「確かに罰は当たらないでしょうけど、他に何か隠していませんか?」
正体を隠しているドクを人間として数えたミサヲが迂闊な言動を誤魔化すために大袈裟な笑みを浮かべながら酒の入った桝に口を付けるが、チセリは呆れた様子で頷いてから本心を推理するかのように眼鏡の蔓に手を当ててミサヲに聞き返した。
「そ……そんな事は無いぜ……」
「ところで真鞍署長、捜査の方は何か進展はありましたか?」
寸でのところで酒を吹き出しそうになったミサヲの言葉に割り込む形で、ドクが真鞍に声を掛ける。
「おいおいドク。今回の目的は見当が付いてたが、今ここで話していいのかい?」
「ここにいる方々は皆、鋭時君と何らかの形で関わってる協力者です。聞かれても問題無いというよりは、寧ろ積極的に聞いて欲しい方々ですよ」
唐突な質問にビールの入ったグラスを片手に串焼きを食べる手の止まった真鞍がテーブルを見回して遠慮がちに聞き返すが、ドクは真剣な眼差しで出席者の事情を説明してから静かに深く頷いた。
「そうか……とりあえず燈川君の素性はまだ何も出てないよ。それと別に強盗団の方だが、裏で糸を引いてたのは十善教と踏んでる。まだ確信は持てないがね」
「十善教……やはり、その名が出て来ましたか」
観念しながらも複雑な表情をした真鞍が静かに首を横に振ってから確信に満ちた表情で頷き、顎に手を当てて頷いていたドクは予測していたかのように呟く。
「ああ。確信が持てるまでは黙っていたかったんだけど、あの強盗団にいたタイプサイクロプスからそれなりに情報は引き出せたよ」
「じゅうぜんきょう? 話の腰を折って悪いけど、教えてくれないか? 何か思い出せるかもしれないんだ」
肩の荷が下りたかのような晴れやかな表情で肩をすくめた真鞍の話を聞き終えた鋭時は、ドクの方を向いて新たに知った言葉の意味を遠慮がちに質問した。
「もちろんだ、鋭時君にも関係するかもしれない話だからね。十善教と言うのは【大異変】の後にどこからともなく興った宗教なんだが、信仰の対象がZKなのが厄介なんだ。宗教を隠れ蓑にして構成員を犯罪に使ってるって噂や、攫った人間を生贄としてZKに捧げてるなんて噂まである」
鋭時の質問を待ち構えていたかのように快く頷いたドクは、平静を装いながらも怒気を押し隠した口調で説明する。
「ZKを信仰するなんて正気かよ!?」
「【大異変】の影響で今までの生活が壊され価値観も覆されて、心の折れた人間も少なくなかったんだ。奴等の付け入る隙も多くあったんだろう」
あまりにも常識とかけ離れた内容に鋭時が思わず大声を上げて聞き返し、静かに首を横に振ってからドクは小さくため息をついて十善教の手口を推測した。
「確かに誰だって心の拠り所は必要か……ジゅう人達もそうやって?」
「恐らく居住区を出たジゅう人が狙われたんだろう。本来ステ=イション型に住むジゅう人に十善教が入り込む余地は無いのさ、奴等の本拠地とされる運勢楽堂はロジネル型にあるからね」
腕を組み大きく頷いてからしばらく考え込んだ鋭時の質問に対し、ドクは静かに頷きつつも苦々しい表情で決して交わる事の無い両者の綻びを説明する。
「そうなのか……でもよ、【大異変】でこっちの世界に転移したジゅう人には何も記憶が無かったんだろ? 何が心の拠り所になったんだ?」
「第一世代はシショクの12人ですが、第二世代以降は統或襍譚でございますね、ドクター?」
複雑な表情で静かに頷いた鋭時が同時に脳裏に浮かんだ疑問を尋ねると、ドクが口を開くより早くチセリが自らの推理を披露する形で質問をした。
「流石はチセリさんだ、ボクの出る幕は無くなったかな?」
「いえ。統或襍譚については修行をしていた頃の南方の魔法使いに関する記述しか存じ上げませんので、ドクターの方で説明していただけませんでしょうか?」
右耳に当てた手を止めてから頭に回して軽く掻いたドクに、チセリは自分の調査不足を正直に明かしながら説明の再開を依頼する。
「ああ、そういう事か。ボクも流石に全部は知らないけど、南方の魔法使い以外でひとつ興味深いのは統或襍譚の端々に記された最弱の者の人気が高かったそうだ」
「最弱!? 人気があるなら最強じゃないのか?」
納得して頷きつつTダイバースコープを起動したドクが特徴的なひとりの人物を紹介すると、桝の中の酒を飲み干したミサヲが興味を持って聞き返した。
「橋を軽々と持ち上げたとか接触した自動車が大破したなど、記録を見る限りでは最強としか言えないんだけど、常に高みを目指す為に自ら最弱を名乗ったらしい。本当の理由は不明だけど、最弱の者の名前を名字に取り入れたジゅう人もいる程に尊敬されてたのは事実だ」
「へえ、随分と面白い話じゃねえか。何て名前なんだ?」
Tダイバースコープに表示された記述を何度も確認してジゅう人との関係までを纏めたドクの説明に、今度はセイハが酒瓶を手に取りながら質問する。
「残念ながら記録は入念に抹消されてるんだ、何者かの意思で消されたようにね。名字に取り入れた文字も、誰が使ってるどの名字なのか今は知る術が無いんだよ」
「それはちょっと穏やかな話じゃないわね……」
静かに首を横に振って説明の打ち止めをしたドクが涼しい顔で肩をすくめると、セイハの隣に座ったヒラネが大皿からサンドイッチをひとつ取り皿へと載せながら複雑な笑みを浮かべた。
「分からないものは仕方ないさ。いずれ統或襍譚も鋭時君の助けになるだろうし、解明されてる部分だけでも合間を見て説明しよう。寧ろ喫緊の課題は十善教だ」
「ドクがそこまで言うなんて、そんなに危険な集団なのか?」
再度涼しい顔で肩をすくめてから話題の優先順位を決めたドクに、鋭時は神妙な顔付きで聞き返す。
「ああ。理由までは分からないけど十善教が鋭時君の命を狙ったのは事実だし、もしかしたら鋭時君の素性に関わる事かもしれない」
「本当ですかっ!? じゃあ十善教を調べれば教授の事もわかるんですねっ?」
鋭時に合わせて神妙な顔付きで頷きを返したドクが強盗団の無力化へと向かった時の出来事を持ち出しながら新たな手掛かりを示唆すると、鋭時が口を開くよりも早くシアラが身を乗り出した。
「落ち着いてくれないかな、シアラさん? まだ推測の段階で、詳しく調べるにも警察の協力が不可欠なんだ」
「おーいシアラさん、俺達だけじゃ限界あるだろ? まず落ち着こうぜ?」
テーブルの上に乗り上がらんばかりに迫ろうとするシアラに両手のひらを向けて抑えたドクに続き、鋭時も自分の額に手を当てながら静かに諭す。
「分かった、僕の方でも調べてみよう。だからお嬢ちゃんも安心してくれ」
「クマさん本当ですかっ!? よろしくお願いしますっ! 手掛かりが見付かった時はお任せくださいねっ、教授っ!」
ドクと鋭時の説得に応えるかのように真鞍が調査の協力を約束すると、シアラは満面の笑みを返してから椅子に座り直して微笑みながら鋭時を見詰めた。
「話が付いたんなら今日はたくさん飲んで食べてくれよ、署長さん!」
「そうだよ、おじさん! こういう話はおじさん達が頼りなんだから!」
「ちょっとヒカル! 署長さんに失礼な口を利かないの!」
「ははっ、君達は……お手柔らかに頼むよ……」
大きく頷きながら酒瓶を突き出して来たミサヲや大皿をそのまま勧めるヒカルに真鞍は複雑な笑みを返し、新たな手掛かりにより仕切り直した食事会はいつまでも盛り上がりを見せ続けていた。




