第12話【陽影臥器】
鋭時のIDカードに記載された謎の資格【陽影臥器】
それを知ったミサヲは突然大声を上げた。
「ちょっとミサちゃん、いきなりどうしたんですかっ!?」
「いきなり大声出して悪かったよシアラ、鋭時がそんなの持ってるなんて思ってもいなかったんだ」
突然の大声に驚いて耳を押さえたシアラに理由を尋ねられたミサヲは、シアラの柔らかい金色の髪を優しく撫でながら謝罪する。
「ミサヲさんは、その……【陽影臥器】が何か知ってるのか?」
「ええっと、何だったかな? 何かすげーの、って事だけは覚えてるんだけどさ」
気を取り直して質問して来た鋭時に具体的な内容を忘れたミサヲが思い出そうと頭を捻っていると、向かいに座る蔵田が大きくため息をついた。
「はぁ……何をどうしたら忘れるんだ……【陽影臥器】とはステ=イションの偉業者、シショクの12人の別名ですよ姉さ……相曾実ミサヲ」
「おお、そうだった。ついうっかり忘れてたぜ、わっはっは」
豪快に笑って誤魔化すミサヲの横で、鋭時が顎に手を当てて考え込む。
「別名……? じゃあ、資格と言うより称号と言った感じなのか?」
「資格欄に記載する別名という意味なら称号と呼べなくもないかな? シショクの12人はステ=イションの創設者だった訳だから持ってる権限も書き切れない程にあっただろうし、ひとつに纏めたんだろうね」
「ほえー……教授ってそんなに凄い人だったんですかっ! わたし、もっと教授の事を知りたくなりましたっ!」
「ステ=イションにとって鋭時はシショクの12人と同じって訳かい? いったい鋭時は何者なんだい?」
鋭時の疑問に答えるようにドクが説明すると、シアラとミサヲが興味深く鋭時を見詰めて来た。
「俺が知りたいくらいだよ。全然思い出せないし……何かの間違いじゃないか?」
椅子ひとつ挟んだ隣から送られて来る熱い視線に耐え切れず、鋭時は真鞍の方へ顔を向けて話を振る。
「うーん……僕もそう思うけど、だーくめさんがミスするとも思えないんだよね。蔵田君はどう思う?」
「自分もそう思いDMCCCへ問い合わせました。ご覧ください」
真鞍に意見を求められた蔵田は、タブレット端末の画面を真鞍に向けた。
【お問い合わせのIDカードは規定に則った審査を経て発行しました。審査基準は機密事項に当たりますので、お答えできません】
「手違いではないと? では、燈川君はシショクの12人のひとりなのかい?」
タブレットに映し出されたメッセージを読み終えた真鞍が首を傾げると、鋭時は肩をすくめて首を振る。
「まさかそんな事……今までの話を聞いた限りだと、シショクの12人はだいたい200年も前の人間だろ? どう考えてもあり得ないだろ……」
「ふむ……とはいえシショクの12人は記録に残ってる数名以外は人数から何から謎に包まれてる。鋭時君が無関係と決めつけるのは早計かもね」
呆れた様子で首を横に振る鋭時に部屋の一同が黙って頷き同意しそうになるが、顎に手を当てて考えていたドクが結論の先送りを提案した。
「いやいや人数って……名前の通り12人じゃないのか?」
「闇の中の公王や個別に集まった士みたいに、名前と人数が一致してない組織は【大異変】の前では珍しくなかったんだ」
顔の前で手を振り苦笑する鋭時にドクが得意気に解説すると、ミサヲが大袈裟にため息をつく。
「まーたドクのヘンテコ知識のお披露目かい、【大異変】前の記録って何ていうか眉唾なんだよね~」
「仕方ないだろミサヲさん。【大異変】前の常識は今の時代と大きく違っていて、見つかった記録が事実か創作かを調べるだけで数年掛かる事もあるんだよ。その中には、太陽のシンボルと愛の歌を嫌う人類の敵の記録みたいに、いまだに実在説と創作説で割れてるものまである始末だ」
「なんだいそりゃ? で、ドクはそれ、どっちだと思ってるんだい?」
肩をすくめるドクに呆れたミサヲだが、謎の生物に興味を示すとニヤリと笑って聞き返した。
「ボクの専門外だから関わる気は無いよ。発生源とされる場所が地図から消えてる以上、どちらとも言えないからね」
「どっちつかずとか相変わらず野暮な男だね~。だいたい、あんたの専門分野ってなんなんだい?」
再度肩をすくめたドクに、ミサヲが呆れ顔で噛み付くように質問を浴びせる。
「専門は発明、興味あるのはジゅう人本来の文化かな? ジゅう人と人間が初めて接触した街、ステ=イションに来たのもそれが目的さ。ボクが知る限りジゅう人の独自の風習なんて、服に穴を開けるくらいだからね」
「本来の文化?」
凄むミサヲにドクがやや誇らしげに答えると、今度は鋭時が首を捻って呟いた。
「【大異変】の時にこちらの世界に飛ばされたジゅう人は、その時の転移の影響で全員が元居た世界の記憶を全て失ったとされて、ジゅう人が住んでた世界に関する記録は、文化や言語に至るまで何も残ってないんだ」
「でもよ……互いの種別を見分けてタイプで呼び合ったりしてるじゃないか?」
楽しそうに説明をしたドクに鋭時がシアラとミサヲのやり取りを思い出しながら質問すると、ドクはさらに楽しそうに説明を続ける。
「タイプというのは、こちらの世界の架空生物の特徴に無理矢理当て嵌めたもの。言わばジラフが麒麟と名乗るようなものだけど、肝心のジラフに該当するジゅう人独自の言語が見つからないのが現状だ」
「そういや前にもそんな事言ってたねえ。あたしは生まれも育ちもステ=イションだけど、ご先祖が元居た世界なんて気にした事も無いぜ?」
「そういえば、わたしもご先祖の住んでた世界なんて考えた事無いですねぇ……」
「ドクター・マリノライト。異なる世界の文化や風習などを持ち込めば、こちらの世界の人間に多大な負担を強いてしまう事になります。万一見付かったとしても、取り扱いは慎重に頼みますよ」
ドクの考えに興味を持てない様子のミサヲとシアラが各々の考えを口にすると、蔵田も神妙な顔付きでドクに釘を刺した。
「分かってますよ、蔵田さん。ジゅう人は転移して来た第一世代からして、全員が正式な手続による帰化を終えるまでメディアにもマイノリティーと呼ばせなかったほど生真面目な民族性。仮に覚えていたとしても、こちらの人間に押し付ける事はしなかっただろうし、ボクもそれに倣うのは約束しますよ」
「でも、別の世界の技術がどんなものかは、ちょっと興味あるな……」
「確かに僕も興味あるな、蔵田君達ジゅう人の助けになるものがあれば出来るだけ取り入れたいね」
ドクが微笑みながら約束した文化の不可侵を聞いた鋭時と真鞍が各々残念そうに呟くと、蔵田が驚き呆れた表情を浮かべてから小さくため息をつく。
「燈川鋭時ならまだしも、真鞍署長までそのような……」
「四方を海に囲まれた島国だからこそですよ蔵田さん。島国というのは伝統的に、外部から来た新しいものは受け入れるけど悪いものは排除する文化。【大異変】によって発見された魔法が術式に改良されたように、異世界から転移して来た本物の難民の文化も、ここなら奇麗に溶け合い良い物が出来上がったと思いますよ」
「だからこそですドクター・マリノライト、我々の先祖を受け入れてくれたように文化もいきなり排除しないでしょう。だからこそ慎重に、とお願いしてるのです」
「何にせよ、見付かるまではどうしようもできない話だねぇ」
鋭時と真鞍を安心しきった目で見るドクと、そのドクに必死な顔つきで反論する蔵田を見たミサヲが呆れた様子で口を挟む。
「確かにミサヲさんの言う通りだ。別の世界からの知識なら新しい発明のヒントになると思ったけど、何も手掛かりが見付かってないのは事実だから当分は鋭時君のフォローに専念するよ」
ミサヲの至極単純な状況判断に、ドクが苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「ところでミサヲさん、この【陽影臥器】って資格で掃除屋になれるのか?」
「いきなり何を言い出すんだ!? 鋭時の役割はそんなんじゃないだろ!」
会話がひと段落するまでIDカードを何度も裏返していた鋭時の唐突な質問に、ミサヲは驚いて大声を上げる。
「そんなに大声出さないでくれよ、ミサヲさん。俺だって何の訓練も無しになれるとは思ってないし……」
「そういう問題じゃないんだよ! あーもう……どう言やいいんだい!?」
「ふむ……鋭時君の事情からして人と関わらない仕事を聞いて来ると思ったけど、まさか一足飛びに掃除屋を選ぶとはね。いやはや、こりゃ予想を上回る傑作だ」
言葉を選びながら弁解を試みる鋭時の声を遮るような大声を出しながらも言葉が続かないミサヲが頭を掻いていると、横から見ていたドクが堪らず笑い出した。
「そう笑うなよ、ドク。俺ひとりなら稼ぎは少なくても構わないけどさ……」
恥ずかしそうに頬を指で掻く鋭時に、ドクは肩をすくめて謝罪する。
「これは失敬。確かに独り身なら消費も減るから、収入が少なくてもいいだろう。でもそれでは経済が停滞して淀むようになるから、ジゅう人はもちろん人間の利益にも反する。尤も淀ませるのは違法じゃないから咎める手段も無いし、それ以前に今のキミはひとりに戻れないけどね」
「ひとりじゃないのは分かってるつもりだ、だから稼ぎの大きそうな仕事が何かを考えたのさ。それでドク、掃除屋になるにはどうすればいいんだ?」
「掃除屋に資格なんていらないよ、ZKにこちら側の文化は理解できないからね。全ては実力の世界、力が無ければ命を落とすシンプルなルールだ」
シアラの方へ何度も視線を向けながら質問をする鋭時にドクが厳しい現実を軽い口調で答えると、シアラがミサヲの膝から身を乗り出すようにして大声を上げた。
「そんなの教授が危険じゃないですかっ!」
「シアラさんの言う通り、鋭時君が危険を冒してまで掃除屋になる必要は無いよ。ステ=イションで店でも開くのならボクは接客用ロボットでも何でも必要なものは提供するつもりだ。【陽影臥器】の資格ならば、自律労働者所有許可制限法の所有要項も充分満たしてる筈だからね」
「お気遣い感謝するけど、さすがに身に覚えのない資格を使う訳には行かないよ。それに【遺跡】でZKと戦った時の俺は考えが充実してた……掃除屋になれば何か思い出せるかも、と考えたんだ……」
ステ=イションでの生活支援を申し出たドクに手のひらを向けて断った鋭時は、そのまま自身の考えを伝えた。
「遊び半分じゃないのは、よく分かった。けど、鋭時が掃除屋になるのはやっぱり反対だ」
「自分も、燈川鋭時を悪性怪生物駆除業務に従事させるのは反対です」
鋭時の考えを聞いて納得しながらも首を横に振ったミサヲに続き、蔵田も頷いて同意した。
「悪性怪生物? それってZKの事か?」
「そうです。正式名称は旧都市群占拠型悪性怪生物ですが、警察を始め官公庁では悪性怪生物と呼んでいます」
蔵田の言葉に引っ掛かりを感じて返した鋭時の質問に蔵田が事務的に答えると、ドクが引き継ぐように説明を続ける。
「現場で駆除を担当する掃除屋は異界の潜兵、さらに縮めてZKと呼んでるんだ。警察とかに文書を提出する時は正式名称で記載するけどね」
「そんなルールもあるのか……もっと情報を集めないといけないな……」
立場によって駆除対象の呼称に差異があると知った鋭時は、顎に手を当てて考え込み始めた。
「どうしても鋭時君が掃除屋になりたいと言うのなら適性があるか試験をしよう。合格すれば、ボクが知ってる限りの情報と技術を提供するよ」
「おいドク、いきなり何言い出すんだ!?」
掃除屋になる方法を模索する鋭時にドクが試験を持ちかけると、ミサヲが驚いて大声を上げる。
「落ち着いてミサヲさん。ここでボク達が突き放しても鋭時君なら独学で掃除屋を始めるだろうし、ここは一度実力を測って早目に結論を出した方がいいよ。試験は実戦に則した厳しいものにするから、素質が無ければまず受からないよ」
「その試験受けるぜドク、俺が思い付く記憶の手掛かりは掃除屋だけだからな」
ミサヲを宥めるドクに鋭時が試験を受ける意思を表明すると、シアラがミサヲの膝から乗り出して来た。
「でしたら教授っ、まずは病院に行きましょうっ!」
「確かに、鋭時君の記憶が治癒術式で戻れば、試験する理由も無くなるか……」
「さすがはシアラだ、今すぐ病院に行こうぜ!」
唐突なシアラの提案に対してドクが納得しながら呟くと、ミサヲも同意しながらシアラを強く抱きしめる。
「わぷっ!? むぎゅー……」
「おいドク、何でこんな単純な方法に気付かなかったんだよ」
「最初に【破威石】の換金をしたかったんだよ。それにここでの聞き取りも早めに済ませたかったし、何より病院に行くにはもう遅い時間だ」
顔を胸の谷間に挟まれもがくシアラを気にせず問い質して来たミサヲに、ドクは苦笑しながら先に警察を選んだ理由を説明する。
「鋭時も疲れてるだろうから明日でもいいけど、それじゃあ、おあずけを食ってるシアラが可哀そうだぜ。それにあたしの行きつけなら鋭時を診ても大丈夫だ」
「ふむ……ではまず病院で鋭時君を診てもらい、それでも進展が無ければ掃除屋の試験を受ける。それでいいかな?」
ドクの選択に納得しながらも現状取り得る選択肢をミサヲが提案すると、ドクはしばらく考えてから今後の方針を固めて鋭時に伝えた。
「俺は構わない。誰にも迷惑かけずに記憶を戻せるなら、それに越した事は無い」
鋭時がドクの提案を快く受け入れると、ようやくミサヲの胸から脱したシアラも声を弾ませる。
「わたしも賛成ですっ! 教授のおちん……お体は何よりも大事ですからっ!」
「ツッコまねーぞ……」
「はいっ! 記憶が戻ったら、たくさんお願いしますねっ!」
「あのなあ……」
満面の笑みを向けて来るシアラに、鋭時は力なく肩を落とすしかなかった。
「真鞍署長、蔵田さん、そういう訳なので、ボク達はこれでお暇しますね」
「お待ちください。燈川鋭時と榧璃乃シアラの宿泊先がまだ……」
ドクが立ち上がり軽くお辞儀すると、蔵田が慌てて呼び止めながら立ち上がる。
「それなら今夜はあたしの所に泊まってもらうよ、下手に動き回るよりは安全だ。シアラはそれでいいかい?」
躊躇いがちに確認事項を切り出した蔵田を見兼ねたミサヲがシアラを抱えたまま立ち上がり、宿泊先の提供を申し出た。
「わたしもミサちゃんと一緒にいたいんですけどぉ、やっぱりここは教授に決めてもらいましょうっ」
「だから何で……まあ他に行くアテ無いし、迷惑にならないならお言葉に甘えてもいいですか?」
ミサヲの提案にシアラが満面の笑みを浮かべながら答えて鋭時に顔を向けると、鋭時は視線を避けながら軽くため息をついてミサヲの提案に同意する。
「もちろん大歓迎だ! いつまでもいてくれて構わないぜ!」
「うわわっ……むぐぅ」
「決まりだね、しばらくボクも付き合う事になった訳だし何かあればそちらに連絡しますよ。今日は遅くまでありがとうございました」
「ああ、お疲れさん。またよろしく頼むよ、ドク」
シアラを抱きしめながら喜ぶミサヲを見たドクが肩で小さく笑ってから軽く頭を下げ、気さくに挨拶を返した真鞍に見送られて一行は会議室から出て行った。
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「ボクはまだ野暮用が残ってるから先に病院へ行ってもらえないか? すまないがレーコさん、鋭時君達について行ってくれないか?」
「かしこまりました、マスター」
会議室を後にした一行が換金所へとつながる扉の前で待機していたレーコさんと合流すると、ドクはレーコさんに病院へ同行するよう頼んでから踵を返す。
「煙草か……程ほどにしとけよ」
「こういう時に合法薬物を使うのは交友だけは健全な証拠だよ。それにエスカレーションも済んだ頃だろうからね」
「なーにワケわかんないこと言ってんだか、いいから早く済ませてこいよ」
Lab13からマルボロとジッポライターを取り出しながら喫煙室に向かって歩くドクを、ミサヲは呆れながら見送った。
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「蔵田君もお疲れ様。もう遅いし、きりのいい所で帰っていいよ」
「了解しました」
鋭時達を見送った真鞍は、タブレット端末を操作する蔵田を労いながら会議室を後にする。
「署長、ドチラヘ行クノデスカ?」
「喫煙室だ、護衛は入口まででいいぞ」
署長室とは違う方向へと歩き出した真鞍に気付いた円筒形の警備ロボットが呼び止め、真鞍は行き先を告げてから歩き出す。
「カシコマリマシタ」
(もっともこいつらの目的は護衛ではなく監視だろうがな)
律義に受け答えた機械の護衛に真鞍は心の中で毒づき、喫煙室へ向かった。
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「なんで俺が最初に病院を選択肢から外したのか、やっと理解したぜ……」
警察署を後にしてミサヲに案内されるままに高層建造物群を抜けた坂の上にある簡素な造りの病院へと辿り着いた鋭時は、【ステ=イション共済病院】と書かれた看板の下に大きく産婦人科と書かれているのを見て小さくため息をつく。
【大異変】により発見された魔法が治癒術式として実用化、市販化された時代に病院を訪れるのは重傷や難病など高度な治癒術式を必要とする場合か出産を控えているかのどちらかであり、鋭時には敷居の高い場所であったのだ。
「どうしました教授っ? これからたくさんお世話になるところですよっ?」
「ついでに下見って訳か……しっかりしてるよ……」
期待に満ち満ちた笑顔を向けて来るシアラに、鋭時は再度大きなため息をついて頭を掻きながら病院の入口へ向かう。
「あ、待ってくださいよ~、教授ぅ~」
「ひとりで先に行くなって! 慎重なようで案外せっかちなんだな、鋭時は……」
「あのミサヲさん、私も中まで同行してよろしいでしょう?」
シアラとミサヲが慌てて鋭時を追いかけようとすると、レーコさんが遠慮がちに声を掛ける。
「もちろんだ。ここにいる中で一番説明が上手いのはレーコさんだからな、頼りにしてるぜ」
「では同行いたしますね、よろしくお願いします」
快く同行を許可したミサヲにレーコさんは微笑みの表情を映し出してお辞儀をし、静かに移動を開始した。
▼
「これが病院……まずはどうすりゃいいんだ……?」
入口の自動ドアを抜けた鋭時がどことなく懐かしさを感じさせる古風な佇まいの受付ロビーを見回しながらゆっくり進むと、奥から機械音声が近付いて来た。
「コンバンハ、ゴ用件ヲ伺イマス」
「うお!? 警備ロボ……? こんな所にもいるのかよ……」
警察署にいたものと違う白い塗装をされた高さ1m程の円筒形の警備ロボットの案内音声に鋭時が大袈裟に驚いて固まっていると、後から来たミサヲがゆっくりと白い警備ロボットに近付いて話し掛ける。
「連れを診てほしいんだが、ちょいと訳ありでね……今ここにいる最年長の医者に診てもらいたんだ。詳しくはあたし達が説明するから付き添いの許可も頼むぜ」
「カシコマリマシタ、少々オ待チクダサイ」
慣れた様子でミサヲが病院に来た目的を簡単に説明すると、白い警備ロボットは鋭時のIDカードが入った箇所にしばらくカメラを向けてから受付ロビーの奥へと続く廊下に消えて行った。
「助かったぜミサヲさん、でも何であんな事を?」
「この病院は最年少の医者だけが独り身の若い女なんだ、そいつ以外になら鋭時を診てもらっても問題ないはずだ」
「確かに……診てもらう医者にまで気が回らなかったな……ありが……」
病院を全く知らなかった鋭時がミサヲの気遣いに感心しつつ感謝しようすると、突然ミサヲはシアラを抱き上げて近くのロビーソファーに腰掛けた。
「何せ今夜はシアラにとって大事な記念日だ、しばらく鋭時を独り占めしても罰は当たらないだろ?」
「わわっ!? いきなり持ち上げないでくださいよぉ~……でも、これから教授と大切な時間を過ごせるんですから、教授が治るまでならいいですよっ」
「やっぱりシアラは天使だぜぇ! 今夜はたっぷり楽しめよ!」
「はぁ……気が利くと思ったらそういう事か……」
突然ミサヲに抱き上げられたシアラが驚きながらも嬉しそうに微笑む様子を見た鋭時は、自身の置かれた状況を改めて理解してからミサヲ達から少し離れた場所に座って小さくため息をつく。
「どうしました教授っ?」
「何でもないよ、嬉しそうで何よりだ……こっちは実感がないままに話が進んで、まな板に載せられる鯉の心境だけどな」
困惑と諦めの表情を浮かべた鋭時が肩をすくめると、シアラはミサヲの膝の上で胸に両手を当てながら微笑み掛ける。
「ご安心ください教授っ! 今はまだぺったんこですけど、結界魔法を応用すればミサちゃんと同じくらいまでなら膨らみますからっ!」
「おーいシアラさん、そういう意味じゃ無いんだけどね……」
「オ待タセシマシタ燈川サン、診察室ヘゴ案内シマス」
乾いた笑いを浮かべた鋭時が苦言を呈そうとした途端、ロビーに戻って来た白い警備ロボットが鋭時を呼び出した。
「このタイミングで……まあいい、まずはここで記憶が戻るかどうかだ……」
「あたし達も着いて行っていいだろ? 鋭時だけじゃあ不安だし」
「ハイ、先生ノ方カラモ付キ添イノ許可ガ出テイマス」
「よし分かった。シアラ、レーコさん、行こうぜ」
鋭時を呼びに来たロボットに同行の許可を確認したミサヲがシアラを降ろすと、シアラはすぐさま鋭時の隣に駆け寄りスーツの袖を掴む。
「ミサちゃん分かりましたっ! さあ教授っ、今度こそ記憶を戻しましょうっ!」
「分かったから引っ張るなよ、フードが取れるだろ……」
「鋭時さん、シアラさん、お待ちください。私も行きますから」
「やれやれ……医者が診れば治ったも同然とは言え、ちょっと浮かれすぎだぞ~」
シアラに引き摺られるように診察室へと向かう鋭時をレーコさんが慌てる表情を映しながら追いかけると、ミサヲも呆れながら後を着いて行った。
▼
「ドウゾ、コチラデス」
「失礼しまーす。えーっと、もしかしてこの女の子が先生?」
警備ロボットが案内した診察室のドアを鋭時が静かに開けた視線の先には肩まで伸びた柔らかそうな銀髪に包まれた頭からは猫のような耳が2本突き出し、白衣の下から覗く水玉模様のワンピースの服からは猫のような尻尾が2本伸びたシアラと同じくらいの背丈の少女が椅子に座る姿があった。
「そうよ? わたくしが医者では不満かしら?」
「気を悪くしたのなら謝るよ、申し訳ない。記憶が無いせいか、ジゅう人にはまだ慣れてなくてね……」
「教授っ、こちらのお医者さんはタイプ猫又ですねっ。年齢も、わたしとだいたい同じくらいですよっ」
不機嫌な表情で聞き返して来た医師の少女に対して鋭時は気まずそうに謝るが、後ろから来たシアラの言葉で少女の表情はますます怪訝なものとなる。
「教授? どこかで教鞭を?」
「いや、これはシアラの付けたあだ名みたいなもんで……」
「詳しくは私が説明しますね」
「ドクの人造幽霊? わたくしが発言の許可を出したのはミサヲ姉さまだけよ! あなたは黙ってて」
少女に睨まれ口ごもる鋭時に代わってレーコさんが話をしようとすると、少女の表情は険しさを一段と増してレーコさんの発言を停止した。
「もう終わったか? さすがにまだか。って、何でスズナがいるんだよ……」
少し遅れて診察室に入ってきたミサヲが冗談交じりに声を掛けて来たが、椅子に座ったまま鋭時達を睨み付ける少女を見た途端に思わず額に手を当てて天を仰ぐ。
「今夜の当直はわたくしだけですから、ミサヲ姉さま」
スズナと呼ばれた少女はミサヲを睨み付け、苛立ちを隠さず猫の耳をピクピクと動かしながら答える。
「そういえばもう夜中か……でもひとりで当直なんて、いい加減な事するな~」
「先日までこの病院で担当していた最後の一組が出産を終えましたし、急患なんてわたくしの治癒術式ですぐに治りますから」
頭を掻きながら呆れ返るミサヲに対してスズナが自信に満ちた様子で胸を張って答えていると、後ろに下がっていたシアラがミサヲに小声で話し掛けた。
「こちらのお医者さんは、ミサちゃんのお知り合いなんですかっ?」
「ああ、こいつは博沢スズナ。さっき話した最年少の医者だ」
「でもミサちゃんは最年長のお医者さんを頼みましたよね?」
目の前のスズナがミサヲの避けたがっていた医者と知ったシアラが不思議そうに小首を傾げると、鋭時も振り向いてから小声で話す。
「簡単な話だろ。この病院にいる医者がひとりだけなんだから、AIは現場にいるその人を最年長だと判断するだけだ」
「そこまでは気が回らなかったな、すまん。あたしからも話すから、鋭時は絶対にそのフードを取るなよ」
「元よりそのつもりだ」
鋭時の分析を聞いて額に手を当てながら項垂れたミサヲがすぐに気を取り直して真剣な顔付きで頷くと、鋭時も頷いて外套のフードを深く被り直した。
「先ほどから何をこそこそ話してますの?」
背中を向けて話す鋭時達に気付いたスズナが苛立ちを紛らわすようにスカートの中から伸びる2本の尻尾をパタパタ払いながら声を掛けると、ミサヲがゆっくりと振り向きながらぎこちなく微笑む。
「何でもない、こっちの話だ。それよりスズナ、尻尾は穴に通さないとスカートが大変な事になるって教わっただろ?」
「誤魔化さないで下さいミサヲ姉さま、尻尾が立つような出逢いなんてこの街には無いんですから。タイプサキュバスが連れてる人間も期待外れでしたし……」
「あなたねえっ! 教授がどれだけ気を使って……」
「落ち着けよシアラ、ここで先生と喧嘩したら治るもんも治らないだろ」
退屈と失望を混ぜたような目で鋭時を一瞥してから聞こえよがしにため息をつくスズナを見たシアラが腹を立てるが、鋭時が冷静に宥める。
「でも教授っ……」
「悪いな、シアラ。今は堪えてくれねえか? スズナも後で事情を話すから、今は何も聞かずに鋭時を治してやってくれねえか?」
尚も腹の虫が収まらない様子のシアラを宥めたミサヲに真正面から鋭時の治療を頼まれたスズナは、渋々頷いてから鋭時に顔を向けた。
「分かりましたミサヲ姉さま。では燈川さん、まずはその外套をお脱ぎください」
「いや、その……顔を見せると先生に迷惑が……」
両手でフードを掴んで口ごもる鋭時に、スズナは苛立ちを滲ませたまま微笑む。
「わたくし、患者さんがどんな状態であろうと正面から向き合うと決めてますの。燈川さんの顔がどんなに酷くても気にしませんから」
「だからそういう意味じゃなくて……」
「なあスズナ、どうしても鋭時の顔を見ないと治療できないのか?」
言葉に詰まる鋭時を見兼ねたミサヲが助け舟を出すが、スズナは首を横に振る。
「ええ、これだけはミサヲ姉さまの頼みであっても曲げられませんの。医者と言う役割に対するわたくしの信念ですから」
「信念か……スズナはこうも真面目なんだし、鋭時の顔を見てもたぶん大丈夫だ。ドクにはあたしから言っとくから、鋭時はそのフード取ってくれねーか?」
「ミサヲさんがそこまで言うなら……他に手は無いみたいだからな……」
役割に実直なスズナの態度に理解を示したミサヲの頼みを受けた鋭時が観念して外套のフードを取った瞬間スズナの猫の耳がピンと立ち、ザワザワと言う音と共に猫の耳に生えた毛が一斉に逆立ち始めた。
「ふみゃ?……にゃにこれ……ましゃかこれがA因子……?……人間がこんにゃにしゅごいにゃんて……らめぇ、ほとばしっちゃぅ……」
(あ、これダメなパターンだ……)
思わず席を立ち上がって後ずさりしながら震え声で悶えるスズナを見た鋭時は、自身の取った選択を即座に後悔した。