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[R-15:本編完結済]ステ=イション祟紡侖(すいぼうろん)~異界の住民が地球に転移してから200年、人間は希少生物になってました~  作者: しるべ雅キ
間違いだらけの理想郷

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第13話【捨てられる男のパラドックス】

記憶喪失の治療を受けるために鋭時(えいじ)達は病院へと来たが、

当直医を務めるタイプ猫又の少女スズナは、鋭時(えいじ)の顔を見た途端に豹変した。

「と、とにかく顔を隠さないと」

「ダメですよ、教授っ。一度覚醒したら、もう教授の魅力を隠せませんから」

「魅力じゃなくてA因子な、そういやドクもそんな事言ってたな」

 突然雰囲気の変わったスズナを見た鋭時(えいじ)が慌ててフードを被り直そうとするが、シアラの指摘で手を止める。


(詳しい症状も聞かずに迂闊な事を……あの外套はドクの発明でしたのね。まさかこんな形で覚醒するなんて……)

 シアラと会話する鋭時(えいじ)の顔に目立った外傷が無いと気付いたスズナは鋭時(えいじ)の被る外套が顔ではなくA因子を隠すためのものと理解し、ようやく自分の身体の変化の理由に気付いた。


「はぁ……はぁ、ぐっ……はっ……はぁ……」

 近くの机に手を置いたスズナは、火照る身体を押さえつけんとばかりに荒く息を吐きながらも涎が滴り落ちないように口の中に溜まった唾液を押し込むようにして飲み込む。

(覚醒したジゅう人の分泌する汗や唾液には自分を覚醒させた相手にのみ作用する興奮物質が含まれるようになる。こんなものを自分自身に取り込んで落ち着くはずなんて無いし、ただじゃ済まない……まだ変化の無い内に急がないと……)

 医学生時代に習ったジゅう人の身体構造を思い出しながら、スズナはA因子によって半覚醒状態になった自身の身体を分析しつつ状況の整理を始めた。


(思えば今夜のわたくしは、最初から冷静さを欠いていたわね……)

 病院の受付を兼ねる警備ロボットからミサヲが人間の患者を連れて来たと聞いたスズナは最初こそ小躍りして喜んだが、最年長の医師による診察を要望していると警備ロボットから聞いて患者が診察室に入る前から小さな不満を募らせていた。

 幼い頃から姉のように慕っていたミサヲに避けられたと感じたスズナは診察室にミサヲが遅れて来た事も相まって溜まった不満を爆発させて説明役として付き添う人造幽霊の発言を禁止してしまい、詳しい容体を聞く事無く目の前の患者が外套で隠している顔に大怪我を負っていると早合点してしまったのだ。


(N因子は単体のジゅう人にしか効果が出ないけれど、A因子は複数のジゅう人に対して効果が出て来る。ジゅう人のパートナーが付き添ってる時点で患者の人間にA因子が無いなんてありえませんのに……)

 続けて医学生時代に習った人間とジゅう人の違いを思い出したスズナは、患者の傍に寄り添うタイプサキュバスの少女へ目を向ける。

 今までスズナが担当して来たジゅう人同士の夫婦の場合、夫の持つN因子は妻にのみ向けられるものであったため未覚醒のスズナには全く影響が無かった。

 しかし人間の持つA因子はスズナにも影響を及ぼす可能性が高いためにミサヲも人造幽霊も、そして患者の人間自身も気遣っていたのだとスズナは痛感した。


(それなのに、どうしてわたくしは鋭時(えいじ)様にあんな失礼な事を……っ!)

 覚醒までの経緯を思い返して落ち着きを取り戻したスズナだが、同時に覚醒する直前まで敵意を剥き出しにした患者、鋭時(えいじ)にどのような感情を持っていたのかさえ忘れて甘く切ない気持ちに満ちている自分に気付き愕然とする。

「ダメ……いま覚醒したら……わたくし……患者さんを……」

 鋭時(えいじ)を意識した途端に自身の胸から溢れ出そうになる感情を抑えられなくなったスズナは、自分を落ち着かせるように目を閉じて猫のような耳を立てた。


(この胸の想いが興奮作用によるものなら、ジゅう人が常時発している鎮静音波を聞いて覚醒を遅らせることが……)

 全てのジゅう人は常時全身から興奮を抑制して精神を鎮静化させて生物の性欲を減衰させる魔術的な音波を発し続けている……医学生時代の講義内容を思い出したスズナは周囲のジゅう人の鎮静音波を探すが、それよりも先に鋭時(えいじ)の心音を拾ってしまう。

 早鐘を打つような心臓の鼓動にしばらく耳を傾けていたスズナだが、どこからか聞こえて来た微かな衣擦れの音をきっかけにして一点に集中した血流が布地を迫り上げるさまを想像して更なる興奮に襲われてしまい猫のような2本の尻尾が真上にピンっと立ってしまった。


「にゃぁん、しっぽ立っちゃらめぇ……回るの早すぎるにゃぁ……」

「おいおいスズナ、まだこんなガキっぽいの穿いてるのかよ」

「あ、ネコちゃんっ! 教授っ、かわいいネコちゃんですよっ!」

「わ、ちょっと待て!? 今すぐ後ろ向く! それまでこっち向けないでくれ!」

 白衣ごとスカートを持ち上げる2本の尻尾を押さえようとスズナは慌てて両手を後ろに回すが、下着が見えていると気付いてさらに慌てる。

「ふみゃぁ!? 見ちゃやだぁ……普段はもっとおとにゃの……みゃあぁっ!?」

「な、なあ先生、大丈夫……なのか? さすがにそっちを見る訳にもいかないし、誰か呼んでこようか?」

 慌てて立ち上がり後ろを向いた鋭時(えいじ)が背後の様子が全く分からないままスズナに声を掛けると、スズナは興奮して大声を上げた。


「うみゃっ!? 来にゃいでぇ!」

 下着を見られた事で繫殖に使用する器官まで意識が向くと同時に声を掛けて来た鋭時(えいじ)を繁殖に必要なパートナーのオスとして強く再認識したスズナは、そそり立つ2本の尻尾の先端から付け根を思い付く限りの下品な仕草で目の前にいるオスへと見せ付けながら覚えている中で最も下品極まりない言葉でオスの欲望を挑発したい衝動が湧き上がり、体をよじって押さえ付けるように必死に抗う。

「わりい、しばらくここを離れるよ」

 スズナの内なる葛藤を知る由も無い鋭時(えいじ)は自分の存在が状況を悪化させていると判断して出口に向かい、スズナは慌てて手を伸ばす。

「にゃっ……行っちゃやぁにゃ……ひゃうっ!?」

 呼び止めようと声を上げたスズナは、甘えるような自分の声に驚いて思わず口を手で押さえた。


「にゃんで……こんにゃ声に……ふみゃぁん」

「そういう可愛いところを見ると昔を思い出すなぁ、スズナ」

「からかわにゃいでくだしゃい、みしゃお姉しゃま……みゃあっ!? にゃんで、こんにゃ声に……」

 さらに力が抜け呂律が回らず猫撫で声のような甘えた声に変わって行くスズナの様子を聞きながら、鋭時(えいじ)は考え込み始める。

「さすがにこれは普通じゃないだろ……ミサヲさんは逆に楽しんじゃってるし……他にジゅう人に詳しい人は……レーコさん、急いでドクを呼んでくれないか?」

 頼れる人物がひとりしか浮かばなかった鋭時(えいじ)が無表情のままで佇むように浮かぶレーコさんに声を掛けると、スズナから発言禁止を言い渡されていたレーコさんは無言で頷いて診察室の壁をすり抜けて行った。


「はぁはぁ……覚醒しちゃらめぇ……わたくしまだ役割がぁ……にゃあぁぁ!? 来にゃいでぇぇ……」

 鋭時(えいじ)がレーコさんを使いに出してからも生来の真面目さ故か覚醒が進行する前に医師としての役割を果たすべく意識を集中させるスズナだが、あられもない自分の姿を見ないように気を使って後ろを向いた患者、鋭時(えいじ)の背中が視界に入った瞬間に飛び掛かってから組み伏せて耳や首筋に舌を這わせてから唇で噛むように挟みたい衝動に駆られながら弱々しく声を上げて抵抗を続ける。

「これドクが来るまで持つのかよ……っていうかこれが本来の覚醒なのか……? とんでもねーな……待てよ? なら何でシアラは……こうなりゃイチかバチかだ」

 時折背後から伝わって来る肉食獣のような気配に体をこわばらせ、時折聞こえて来る涙声に心を痛めつつスズナの急激な変化について考えていた鋭時(えいじ)は条件が同じはずのシアラが落ち着いた様子に気付き、覚悟を決めてシアラの方を向いた。


「シアラ、先生を元に戻せないか? 出来るのなら何でも言う事聞くから頼むよ」

「本当に何でも聞いてくれるんですかっ、教授っ!? でしたらここはフレンチで手を打ちましょうっ!」

 なるべくスズナが視界に入らないように気を使いながら慎重に顔を向けて頼んで来た鋭時(えいじ)に、シアラは輝かせるように目を見開いて舌なめずりしながら快諾する。

(どんな無茶言ってくるかと思ったけど、色気より食い気とか可愛いところもあるじゃねーか)

「分かった、フルコースでも何でも好きにしろ」

「おまかせくださいっ!」

 シアラの出して来た条件に肩透かしを食らいつつも安堵した鋭時(えいじ)が承諾すると、堂々と胸を張って答えたシアラは覚醒に抗い続けるスズナに近付いた。


「ミサちゃん、スズにゃんを治しますから押さえてくれませんかっ」

「任せろシアラ。ほらスズナ、おとなしくしてろよ~」

 鋭時(えいじ)の視線が万一スズナに向いても体で遮る事が出来るような位置まで移動したシアラに声を掛けられたミサヲは、素早くスズナの背後に回り込んで抱き上げる。

「ふ、ふみゃあぁ!? みしゃお姉しゃまぁ……」

「昔はよくこうやって抱っこしてやってたよな。今助けてやるから、もう少しだけ我慢するんだぞ」

 最初こそ驚きの声を上げたスズナだが全てのジゅう人が微かに発する鎮静音波をミサヲの身体から拾って僅かに落ち着きを取り戻し、それを見たミサヲはスズナの耳と頭を軽く撫でてからシアラの前に立たせた。


「ところでシアラ、スズナを落ち着かせる手はあるのか?」

「まだ半覚醒ならわたしの結界魔法で何とか出来るはずですっ」

 スズナの肩を押さえつつ心配そうな顔付きで尋ねるミサヲにシアラは腰に付けたネコのぬいぐるみに組み込まれた収納術式から取り出した結界を操る小さな日傘、メモリーズホイールを小さな筆の形に変えて答えるが、スズナの腹に視線を向けて難しい顔をする。

「ですけど……結界を正確に張るためには、おへそを目印にする必要があります。スズにゃんも汗とかでびっしょりですし、これ一度全部脱がせましょうっ」

「よし分かった。スズナ、荷物はいつもの場所に置いてるんだよな? 着替えなら後で持って来てやるから、まずは両手を上げてくれ。ほれ、バンザイだ」

 シアラの説明を聞いたミサヲは提案をすぐさま聞き入れ、スズナの白衣を手早く脱がしてから両手を上げさせた。


「にゃ、にゃぁ!? もう子供じゃないですよぉ、みしゃお姉しゃまぁ」

「遠慮すんなよ、小さい頃よくこうして風呂に入れてやってただろ」

「いや待て、さすがに色々と待て。(おれ)は部屋を出るから、それからにしてくれ」

 手を上げながら恥ずかしそうに振り向いたスズナの背中にミサヲが手を当てると同時にスズナの体を包むワンピース服が少しずつ緩み出し始め、驚き慌てた鋭時(えいじ)は診察室の出口へと向かう。

「まってぇ……(にゃお)すまでかんじゃしゃんは出にゃいでぇ……」

「落ち着けよスズナ、シアラがスズナを治したら戻って来るんだから」

 背中を向けた鋭時(えいじ)をスズナが弱々しい声を上げて呼び止めるが、再度背中に飛び掛かりたい衝動に襲われて脚のバネを無意識に溜めた瞬間にミサヲが肩を掴んだ。


「ひゃうっ!?」

「なーに可愛い声出してるんだ、そんなんじゃ鋭時(えいじ)の治療ができないだろ。まずはスズナの身体を治さないとな」

 突然肩を掴まれたスズナが驚いて声を上げると、ミサヲはスズナの耳と頭を軽く撫でて説得する。

「えーじしゃまぁ……わたくしが(にゃお)ったら必ず戻って来てくだしゃいね……」

「あ……ああ、先生が元に戻ったら必ず治療をお願いする。ミサヲさん、シアラ、後は頼んだよ」

 服をはだけて甘えるかのように上目遣いで懇願して来たスズナに、鋭時(えいじ)は出来る限りの優しい笑みをぎこちなく作って返してからシアラ達に声を掛ける。

「おまかせください、教授っ! さあスズにゃん、早く脱いで治しましょうね~」

「だから(おれ)が出るまで待てって!」

 鋭時(えいじ)の声を聞いて奮起したシアラが手早くスズナの服を脱がせ始め、鋭時(えいじ)は急ぎ慌てて逃げるように診察室を後にした。



「スズにゃんのお肌スベスベですね~、結界筆がよく走りますよ~」

「ふみゃあぁん……来ちゃらめぇ、ほとばしっちゃぅ……」

「このまま結界を張ると決壊しちゃいますねぇ……ミサちゃん、近くに容器になるものはありませんか?」

「とりあえず、そこの棚に入ってた洗面器でいいか?」



「あいつら何してんだよ……っていうか防音機能とか無いのか……?」

 診察室の向かいの壁に寄り掛かった鋭時(えいじ)が拒絶回避の予備動作を続けて無意識に緊張していた身体をほぐしつつ診察室の中から聞こえて来た声や物音に呆れ果ててぼやいていると、病院の入口から2つの影が入って来た。


「やあ鋭時(えいじ)君、何やら大変な事になってるみたいだね」

「急いで来てもらったのに悪いなドク、今はシアラが先生を元に戻してる最中だ」

 診察室の前まで走って来たドクに気付いた鋭時(えいじ)が居心地悪そうに頭を掻きながらレーコさんを使いに出した後のあらましを説明し、ドクは息を整えながら頷く。

「話を聞く限りだとシアラさんに頼んで正解だったかな? 覚醒を結界で押さえるなんてボクには出来ない芸当だよ。どんな術式か興味はあるけど、流石に見に行く訳にはいかないよね?」

「当然だ。先生は(おれ)のせいで苦しんでるんだ、これ以上迷惑掛けたくない」

 Tダイバースコープを起動しながら遠慮がちに聞いてきたドクに、鋭時(えいじ)は呆れてため息をつきながら釘を刺した。


「分かってるよ、ボクだって最低限の分別はあるつもりだ。それに治療も大詰めのようだからね」

 真剣な顔付きに戻ったドクが頷きながら診察室のドアを指差すと、再び部屋の中から声が聞こえてくる。

「ひぐぅ!? そこらめぇ!……おへや(にゃ)でにゃいでぇ……」

「我慢してくださいっ! ここを結界で直接包まないと効果ありませんからっ」

「らめぇえ! ほとばしりゅぅぅう! うなぁああ!」

 獣の雄叫びのようなスズナの絶叫と共にタタタタンと勢い良くトタン屋根を叩く雨のような音が響いた後、診察室からは何も聞こえなくなった。


「な、何が……起きたんだ? まだ、入ったらマズいよな……」

 突然静まり返った診察室の前で鋭時(えいじ)がしばらく戸惑っていると、シアラがドアを少し開けて顔を出して来た。


「ちょっとよろしいですか、教授っ?」

「どうしたシアラ、もう終わったのか?」

 ひとまず安堵してから中の様子を聞いた鋭時(えいじ)に、シアラは少し(うつむ)いてから満面の笑みを浮かべる。

「あと少しですっ。それで教授っ、いちごとうさちゃんどっちがいいですかっ?」

「何の話だよ……? どっちでもいいから早く先生を戻してやってくれ……」

「おまかせですねっ、わかりましたっ! では、もう少々お待ちくださいっ!」

 唐突な質問に困惑した鋭時(えいじ)が額に手を当てて疲れたような声を返すと、シアラは明るく弾むような声で答えてからドアを閉めた。


「いったい何だったんだ……?」

「さあ? あと少しだと言ってたし、もうしばらく待つしかないね」

 小さな嵐が過ぎ去ったような静けさの中で鋭時(えいじ)とドクが閉まった診察室のドアをしばらく呆然と眺めていると、再度ドアが開いてシアラが静かに顔を出す。

「どうしたシアラ、まだ何かあるのか?」

「えー……っと、結界はどうにか張り終わりましたっ。あとは教授に仕上げを……とりあえず入っていただけますか?」

「ん……? 何だかよく分からんが、入っていいのか?」

 遠慮がちに話すシアラを不審に思いながらも診察室のドアに手を掛けた鋭時(えいじ)に、ドクが後ろから声を掛けて来た。


「シアラさん、ボクとレーコさんも着いて行っていいかな?」

「そうだな……ドクの知恵に頼る場面もあるかもしれないし、(おれ)からも頼むよ」

「確かにそうですねぇ……マーくんとレーコさんも来てくださいっ」

 ドクからの要望を快諾したシアラの案内に従って鋭時(えいじ)達が診察室に入ると、白いブラウスと赤いチェック柄のハイウェストスカートに着替えて白衣の穴から尻尾を通し直したスズナが床に座り込んで膝をついたミサヲの腕を掴んでいた。


「ごめんにゃさい、みしゃお姉しゃま! 約束を守れにゃくて……こんにゃ粗相をしてしまって……」

「過ぎた事は気にすんな、もう体は大丈夫なんだろ? 鋭時(えいじ)も戻って来たんだし、スズナの出番だぜ」

 腕にしがみ付いてみーみーと泣きじゃくるスズナを包むように優しく抱きしめるミサヲが鋭時(えいじ)の入室を確認すると、スズナの耳と頭を優しく撫でて元気付ける。

「はい……わたくしはもう大丈夫です……」

「誰にも迷惑かけないはずだったのに、どうして(おれ)は……!!」

 両手で涙を拭いながら力なく微笑むスズナの姿を見て(うつむ)いた鋭時(えいじ)は、固く握った拳を自分の額に打ち付けた。


「そんな風にして自分を責めないでください!」

「これから治してもらうってのに、すまない……先生の方が辛かったよな」

 医者の前で自傷にも等しい行動を取ったと気付いた鋭時(えいじ)が苦笑しながら謝ると、スズナは静かに首を横に振り満面の笑みを浮かべる。

「そんにゃ事ありません! わたくし、えーじしゃまに出逢えて幸せですから!」

「え? あ、ああ……それはどうも……」

 好意に満ちたスズナの視線に慌てた鋭時(えいじ)は、顔を逸らして頭を下げながら曖昧な返答しか出来なかった。


「な、なあシアラ、先生は(おれ)を見る前に戻ってないようだが……?」

 覚醒状態が継続しているスズナを見て戸惑いながら小声で質問して来た鋭時(えいじ)に、シアラは両方の手のひらを前に出しながら首を大きく横に振る。

「出逢いを無かった事にするような恐ろしい魔法や術式なんて、この世のどこにもありませんよっ」

「ボクの知る限りでも時を遡る能力なんて無いからね、一度覚醒したら未覚醒には戻らないよ」

「もう元に戻せないのかよ……じゃあシアラは先生に何をしたんだ?」

「よくぞ聞いていただきましたっ! それでは教授っ、ご説明しましょうっ!」

 ドクの補足説明を聞いて大きく肩を落とした鋭時(えいじ)が力なく質問すると、スズナの隣に移動したシアラがメモリーズホイールを指示棒の形に変えながら自身の背後にスクリーン型の結界を出現させた。


「では始めますねっ! スズにゃんの心は小さなコップみたいなもので、コップの中に教授の魅力……」

「A因子な」

 結界のスクリーンに猫耳の突き出た少女のシルエットの上にコップの絵を重ねて映し出した横に「魅力」と書かれた水差しの絵を映し出して説明を始めようとしたシアラに、鋭時(えいじ)が疲れた顔で指摘する。

「そうでしたっ……教授のA因子を水のように注ぐとすぐに溢れてしまいますっ。つまり完全覚醒ですねっ」

 鋭時(えいじ)の方を向いて愛想笑いを浮かべたシアラは、慌てて「A因子」と書き換えた水差しの絵を動かしてコップに溢れる直前まで水を模した絵を入れる。


「なるほどねぇ……あたしは親父の顔を見て育ったから人間にも慣れてはいたけどスズナの親はどっちもジゅう人だし、スズナが産まれた頃にはもうあたしの親父もいなくなってたから上物の人間はスズナにとって刺激が強すぎたのか」

「ジゅう人の覚醒って、そこまで個人差があるものなのか……」

 自分の胸を押し上げながら腕を組んで頷きながら納得するミサヲの言葉を聞いた鋭時(えいじ)も呟きながら考え込むが、シアラは構わず説明を続ける。

「でもコップを大きなバスタブの中に入れれば、バスタブが溢れるまでは完全覚醒しませんっ。それと同じように、スズにゃんのお腹の奥に特製結界を張って覚醒を遅らせましたっ」

「ふむ……バスタブって事は、結界には繁殖本能を分散する作用があるのかな?」

 コップの絵に重ねたバスタブの絵を見て興味深そうに頷いたドクが質問すると、シアラは指示棒に変えたメモリーズホイールをドクに向けた。


「そうですっ! マーくんの言葉を借りるなら、ほぼ99に近付いてた覚醒具合を20くらいにまで薄める感じですねっ」

「コップから溢れる水を別の容器で受け止める事は出来ても、コップに入った水を無くす事は出来ない……だから覚醒を無かった事には出来ない……参ったな……」

 ドクとシアラのやり取りを聞きつつスズナに施された結界について理解しようと考え込んで呟いた鋭時(えいじ)に気付いたシアラは、覗き込むように鋭時(えいじ)に顔を近付ける。

「さすがは教授っ、その通りですっ! ちなみにスズにゃんの結界制御用の紋様はわたしの【証】とお揃いにしましたよっ、見てみますかっ?」

「見せなくていい! いや、先生も手を放して……マジ勘弁して……」

 嬉々として着物の裾をたくし上げようとするシアラと恥じらいながらスカートの横に手を当てて何かを外そうとするスズナに気付いた鋭時(えいじ)が手のひらを向けながら止めると、手を止めたスズナは片手を白衣の袖に沈めながら口元に添えて恥じらうように鋭時(えいじ)を見上げた。


「えーじしゃま、わたくしの事は先生ではなくスズにゃと……ふみゃぁあ……」

「分かりましたスズナさん、詳しく説明しますから改めて治療をお願いします」

 言葉の途中で呂律が回らなくなり慌てて口を塞いだスズナに、鋭時(えいじ)はぎこちなく微笑みながら再度治療を頼んで頭を下げる。

鋭時(えいじ)君は記憶喪失なんだ。この中で最も詳しく状況を説明できるのはレーコさんなんだけど、発言許可貰えるかな?」

「わ、分かったわよ。レーコさんの発言を許可しますから、えーじしゃまの病状を詳しく聞かせてちょうだい」

「分かりました、それではご説明いたします」

 鋭時(えいじ)の横で悪戯っぽく笑うドクの言葉にスズナは顔を赤らめながら椅子に座り、レーコさんの発言を許可して説明を聞き始めた。



「いよいよ教授とフレンチですかぁ、楽しみですねっ」

「ステ=イションに来たばかりで店なんて知らないし、それにこんな時間だと店も開いてないだろ……」

 診察室の隅でシアラが嬉しさを隠さずに小躍りしていると、レーコさんの説明が終わるまで待っていた鋭時(えいじ)が小声で呆れる。

「最初は舌を堪能しますけど、次はどこにしましょう? 教授のおくちとフレンチしてから秘蔵の術式のフルコース、考えただけでもワクワクしますっ!」

「おーいシアラさん、もしかしなくてもフレンチってお食事じゃないんだね……」

 鋭時(えいじ)の苦言に聞く耳持たずに願望と妄想を口に出し連ねて照れたり喜んだりするシアラを見て、鋭時(えいじ)は力なく肩を落とした。



「えーじしゃ……コホン……燈川(ひかわ)さん、診察の準備が出来ました。どうぞこちらにお掛けください」

「わかりました、お願いします。あと呼び方は好きにしてもらっていいですよ」

 甘えるような声を途中で止めて威厳のある態度を装おうとするスズナに、鋭時(えいじ)は苦笑しながらも極力優しい笑みを浮かべる努力をしてスズナの前の椅子に座る。

「そんにゃ声で優しくされたら耳が幸せ過ぎ……いえ、今はひとりの医者ですので後ほど……と、とにかく治療を始めましょう」

 緩んだ頬を両手で押さえて幸福の絶頂に達しそうな表情を浮かべたスズナだが、すぐに表情を引き締めて首に掛けていた聴診器を手に取った。


「聴診器?」

「はい、この聴診器には病状や健康状態等を把握する術式が組み込んであります。ひと口に記憶喪失と言っても原因は外傷性から精神性まで様々です。まずは原因を突き止め、それから使う治癒術式を決めます」

 訝しむ鋭時(えいじ)に慣れた様子で説明したスズナは、術式を組み込んだ聴診器を鋭時(えいじ)の頭に向けて術式を発動する。

「【生体解析(イグザミネーション)】……これは結界? 結界が記憶を封じてますの?」

「結界の解除ならわたしに任せてくださいっ!」

「待ってください! この結界は外から破れません!」

 術式による解析を終えて結界術式に覆われている鋭時(えいじ)の頭部に驚愕するスズナの横でシアラがメモリーズホイールを日傘の形に戻しながら意識を集中し始めるが、スズナは大声を上げてそれを止めた。


「ほえ? そんなに強力な結界なんですか?」

「いえ……結界自体は単純な構成ですけど例えるなら内側に閂を掛けたボロ小屋のようなもので、外から強引に扉をこじ開ければ小屋ごと崩れてしまいます」

 突然の大声に驚いて手を止めたシアラが振り向いて聞き返すと、スズナは身振り手振りを交えて鋭時(えいじ)の頭に施された結界の概要を説明する。

「それってつまり……?」

「えーじしゃまが自然に思い出す分には問題ありませんが、外側から魔力で結界に干渉すれば精神や人格に影響が及んで最悪廃人になってしまいます」

「そ、そんなあ……」

 当初は問題点を把握できなかったシアラだが、スズナの分析内容を聞いて事態を理解すると愕然として肩を落とした。


「やはりそうか、そいつはロジネル型居住区の国民に使われる【忘却結界(メモリーブロック)】だね。国民を別の居住区に放逐する忘却刑に使うものだが、それなら手はあるはずだよ」

「はい、結界維持のために術を掛けられた本人の保有魔力の20%を最優先で回す設定ですから、えーじしゃまの残存魔力が結界を維持できなくなる20%未満まで減少すれば自動的に消えます」

 結界の特徴を聞いたドクが術式名を思い出して頷くと、スズナも頷いて解決策を提示する。

「つまり教授の魔力が無くなれば、教授の記憶が戻るんですねっ!」

「簡単なようで案外難しいな……どこでどの術式を無駄打ちすれば効率よく安全に魔力を消費できるか考えないと……」

「そんなの簡単ですっ!【魔力贈与(トランスファーマジック)】の魔力移動設定を逆方向に書き換えれば、すぐに終わりますっ!」

 鋭時(えいじ)の魔力が減れば記憶を封じる結界が消えると知ったシアラが必死に考え込む鋭時(えいじ)を尻目に嬉々として術式の書き換えを始めようとすると、鋭時(えいじ)の胸に聴診器をかざして【生体解析(イグザミネーション)】を使ったスズナが怯えるように震えながら大声を上げた。


「そんにゃ……こんにゃ事……えーじしゃまの心臓に分子分解術式が組み込まれてます! 結界が解けると発動する仕組みです!」

「なんだって!? シアラ、一時中断だ! スズナさん詳しく教えてくれ」

 大声に驚いた鋭時(えいじ)がシアラを止めながら聞き返すと、スズナは突然頭を下げる。

「夜明けにえーじしゃまの胸に抱かれる妄想をしてたら心音を聞きたくなって……ごめんにゃさい、公私混同してしまって……」

「その……見つけた経緯じゃなくて、どういう術式かを知りたいんだけど……」

「え……はい! この術は【忘却結界(メモリーブロック)】に回す分を除いた魔力が無くなると同時に発動して、えーじしゃまを消してしまい……ます……どうしてこんにゃ……」

 苦笑する鋭時(えいじ)にスズナが解析した術式の説明を始めるが、途中で言葉を詰まらせ大粒の涙を流して泣き崩れ出した。


「また女の子を泣かせちまった……いったい(おれ)はどんなロクデナシなんだよ……」

「忘却刑なんて呼んでるけど実態は体のいい口減らしだよ、その証拠に鋭時(えいじ)君には前科が無かった。奴等は言い掛かりも同然で正しくないと決め付けた国民に術式を使って、労働力として人手不足の居住区に送り込んで使い回すんだ……でもまさかここまでするとはね……」

 自分への憤りを抑えきれない鋭時(えいじ)にドクが【忘却結界(メモリーブロック)】の使用実態を呆れながら説明すると、壁に寄り掛かって様子を見ていたミサヲがため息をつく。

「理解できないねぇ、どうして人間はこんな事するんだい?」

「人間は安いんだよ……ロボットやゴーレムを揃えるよりも遥かにね。でも国民、それも労働者を疎かにすればどんな国でも衰退するだけだというのに、奴等はいつまで経ってもそれに気付かない……」

 ミサヲの疑問にドクが忌々し気に答え、しばしの沈黙が部屋を支配した。


「ひどいです……一歩遅ければわたくしとシアラちゃんの目の前でえーじしゃまは跡形も無く……それでも解除術式を使わずに解ける【忘却結界(メモリーブロック)】と違って、術者に無断でこの術式を解除する事は……法律で……」

 重苦しい空気の中でスズナが涙を流しながら途切れ途切れに口を開くと、鋭時(えいじ)が居心地悪そうに頭を掻いて口を開く。

「理由はどうあれこの術式に関しては(おれ)の責任だ、見つけてくれたスズナさんにはむしろ感謝してるよ。結界の得意なシアラに声を掛けられてなかったら……ドクにこの外套を借りなかったら……ミサヲさんに病院を紹介してもらわなかったら……診てくれたのがスズナさんじゃ無かったら……終わる可能性を上げればきりがない中でよく生き延びたもんだよ……」

「確かに何ひとつ欠けても鋭時(えいじ)君の身体は消滅していた、どうやらここは鋭時(えいじ)君が生き延びる世界線だったみたいだね」

 鋭時(えいじ)に同意するように頷いたドクは、肩をすくめてから再度口を開いた。


鋭時(えいじ)君は人間から捨てられたも同然だけど、産廃と違って所有権は本人にある。キミ自身は心臓の術式をどうしたい?」

(おれ)はシアラやスズナさんに迷惑を掛けちまってる……今のこの(おれ)に心臓の術式を外す資格があるのかどうか……」

 鋭時(えいじ)が顔を沈めながら自嘲気味に自問すると、ドクは再度肩をすくめる。

「ボクは人間性なんてものを理解できないから客観的な尺度でしか測れないけど、文字の読み書きや四則演算が出来て当然の居住区で生活するのに必要充分な能力を持ち、人の目が無くても犯罪に走らなかった遵法意識と道徳観念を持つ鋭時(えいじ)君は、心臓の術式を解除する権利は充分にあると思うよ」

「そうですよっ、教授っ! こんなひどい呪いは絶対にわたしが解きますっ!」

 ドクの話を聞いて無言で考え込む鋭時(えいじ)に、シアラは鼻息荒く胸を張った。


「呪い? そうです! こんにゃ理不尽で一方的な術式にゃら呪いも同然、呪いに該当する術式にゃら医師の権限でも解除出来ます!」

「もちろん、あたしも手伝うぜ。文句は無いよな、鋭時(えいじ)?」

「ここまで来たら断る理由も無いな……よろしく頼むよ」

 シアラの言葉を聞いて術式の解除をする糸口を見つけたスズナと、いつの間にかスズナの横に立っていたミサヲから詰め寄られた鋭時(えいじ)は困惑しながら了承するが、その表情は幾分か和らいだものとなっていた。

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