第三十九話 セメリゥア・メクリミア
「貴方がゲンですね。初めまして、ガウトーラ・メクリミアの妻、セメリゥア・メクリミアです。今日から貴方の母となります」
背筋の伸びた綺麗な立ち姿で、切れ長の目をさらに細めながら美しい顔立ちの女性がそう元に言い放つ。
栗色のサラサラとした長い髪の毛は首の後ろで一纏めにされ、風に靡いている。
グリーに連れられて馬車でたどり着いたメクリミア家の玄関ホールで、出迎えのために待っていたであろう女性から開口一番に元はそう言われた。
意別の間を退出してから三日、ラポニア語と基本的な魔法言語を習得した元たち日本から召喚された三人は、それぞれが養子縁組された事を聞かされた。
ガウトア公国に提出された三人それぞれの出生や出身地はでっち上げられたデタラメな物となっており、大陸東方の出身とされた。
ファウトア神聖連邦がある大陸西方では金髪や赤髪などの人種が多いが、東方では黒髪黒目の人種が多いらしい。
元達三人は日本人なので、当たり前だが黒髪黒目だ。
校則でも頭髪の脱色は禁止されていたので、召喚された生徒達は殆どが黒髪黒目。
中には校則を破って茶髪や金髪に脱色していた者もいたが。
ともあれ、元達三人は偽証された書類によって保証された身元によって、三大公家の養子となった。
元が養子に入ったのはメクリミア家。
ガウトア立憲公国現元首のガウトーラ・メクリミアが当主を務めている。
つまりグリーの実家だ。
元は目の前の麗人に頭を下げながら、自己紹介をする。
「は、初めまして。荒木元です」
元は決して女性に対して苦手意識などはないのだが、馴染みのない西洋の顔立ちをした美人に対して辿々しく言葉を吐き出した。
元の実家は女系家族で、祖父以外は祖母に母、姉二人という女性に囲まれた環境で育った。
柔和な顔立ちをした母は子供である元から見ても美人と言えただろう。
しかし目の前のセメリゥアは普段接することのない西洋の顔立ちと、柔和とは言い難い冷たさを感じさせる目付きをしている。
母とは対照的な硬さを持つ女性に対して、元はどう接すればいいのか分からず緊張していた。
「アラキ・ゲン? ではアラキと呼んだほうがいいのでしょうか。ゲンは家名ですよね? 」
セメリゥアはゲンに視線を合わせながらそう尋ねた。
元は初め何を言われているのか分からず答えに詰まったが、暫く考えてセメリゥアが言いたい事を理解した。
地球の西洋と同じく、ファウトア神聖連邦周辺では名前が先に、家名が後に来る。
日本とは苗字と名前が逆になるのだ。
グリーは初期の段階でその事について分かっていたのか、違和感なく名前で呼んできていたので気づかなかった事だ。
セメリゥアは自身の常識に則って、名前について聞いているのである。
「いえ、荒木が家名になります。こちらのせか…国とは、名前と家名の並びが逆になります。荒木が家名で、元が名前です」
こちらの世界、と元は言いそうになりながら、国と訂正して伝える。
ガウトーラなどの国の上層部や、グリーのように直接元達と関わった一部の人々は、元達が召喚されたことを知っている。
しかし、その他の国の運営に関わらない人々はそのことを知る事はない。
ガウトーラの妻であるセメリゥアも、元が異世界から召喚された者である事は知らされていなかった。
ガウトーラから元達三人は、異世界から召喚された事は事情を知る者達以外には他言しないよう、言い渡されていた。
「そうですか、東方では家名が先なのですね。それで納得出来ました。ゲン、貴方が今後名乗る名前ですが、これからはゲン・メクリミア・アラキと名乗りなさい。貴方の家名を残す事は、当主がお決めになられた事。貴方は今後、両家の家名を背負う事になります。家名に恥じる事の無い行いを心掛けなさい」
名前について納得したセメリゥアは、元に対して淡々と告げる。
家名とは、時に地位を表す。
この国で言えば、家名によって貴族の位がある程度わかる。
ある程度、と言うのは、主筋である本家以外の分家が存在しているからだ。
分家であっても本家と同じ家名を名乗る事は少ないが、位が高くない貴族の分家や、一般市民などは本家と同じ家名を名乗ることが多い。
しかし、貴族の家名は主筋のみが名乗っている事が殆どだ。
分家した者達は新たに自分の家名を名乗っている。
これは国の法がそうなっている訳ではなく、昔から続く因習と言えるだろう。
家名によって地位の高さを認識する事は、そこに格差が生まれると言う事だ。
民主国家を目指しているガウトア立憲公国としては、家名による地位の格差は無くさねばならない課題である。
貴族位が残っている現状では、すぐにどうにかできる問題でも無いのだが。
ともあれ、現在のガウトア立憲公国での貴族の家名には、地位を表すことに付随してそれ相応の振る舞いと責任が付いてくる。
セメリゥアが元に対して家名に恥じない行いを、と言ったのにはそう言った意味合いが込められている。
要約すると、メクリミア家として相応しい振る舞いをしろ、である。
「は、はい。努力します… 」
セメリゥアの言いたい事を理解した元は素直に頷きながらも、隣にいるグリーをチラリと盗み見た。
元がこの世界に来てから最も長く一緒にいて、よく知っている貴族。
メクリミア家の一員であるグリーを見習えば良いのだろうかと元は考えた。
ぶっきらぼうな態度とあまり真面目では無い性格を鑑みるに、恐らく間違っているだろうと元は思い至り、小さく溜息を吐いた。
「この屋敷は公都に建てられた別宅なので、それほど大きくはありませんが貴方の部屋は用意しました。貴方は旅の一座に所属していたと聞きましたから、今までの暮らしとの違いに戸惑う事もあるかと思います。分からない事は家の者達に聞きなさい」
そう言ってセメリゥアは後ろに控える執事やメイド達を指し示した。
旅の一座出身とは、でっち上げられた出自の設定だ。
東方の人々が西洋に来る事はあまり無い。
元達の見た目が黒髪黒目なので東洋出身としたが、ではなぜ東洋人がファウトア神聖連邦のある西洋まで来ていたのか。
そのつじつま合わせのための設定である。
元達三人は親元を離れ、一座で芸をしながら旅を続けて来たと言う事になっていた。
別宅に勤める人々の纏め役であろう老執事が一歩前に出て、元に向かって恭しく頭を下げる。
「ゲン様、執事長を務めておりますクルトで御座います。ご入用の際は何なりと申しつけ下さいませ」
「よ、よろしくお願いします… 」
様付けで呼ばれる事など生まれて一度も無かった経験に、元は狼狽えながらなんとか返事をする。
グリーから貴族になると言われた時から想像していた事だが、目の前で年上の人物が自分に対して頭を下げている光景は元にとって違和感しかない。
グリーに貴族なんてものになる事に対して抗議をしてみたが、国が決めた事が覆る事は無かった。
結局「慣れろ」の一言で切って捨てられたのはつい先日の事だ。
「表でいつまでも話しているものではありませんね。クルト、ゲンを部屋まで案内しなさい。後で採寸の者を向かわせますから、部屋で待っていなさい」
「採寸…?」
「服が必要でしょう? 学院のための制服も仕立てなければなりません。メクリミア家の者に既製品を着せるわけにも行きませんからね」
どうやらオーダーメイドで服を作るらしい事を元はセメリゥアの言葉から理解した。
今まで服に頓着したことがない元としては、オーダーメイドで服を作ることなどなかった。
貴族ってのは大変なんだなぁと、何処か他人事のように元は感じていた。
とりあえず少ない荷物を降ろして落ち着きたかった元は、クルトの案内で部屋へと向かうのだった。
屋敷に入っていった元を見送ったセメリゥアが、ポツリと言葉を零す。
「可愛いらしいわ… 」
セメリゥアと共に玄関前に留まっていたグリーが、セメリゥアの言葉を聞いて嘆息する。
「母上、ゲンは成人している一人の男です。本人の前で可愛いなどと仰られないで下さいね」
「あら、グリーデン。まだいたのね。仕事はいいのですか? 」
「戻りますよ。ゲンの魔法適性検査と血晶水の用意もありますから」
元に対していた時とは雰囲気を変え、グリーに対して砕けた態度で接するセメリゥア。
元に対しては硬さのあった態度はどこへ行ったのか、纏っている雰囲気が柔らかくなっている。
グリーは二度目の溜息を吐きながら、母の悪い癖が出たなと言葉にせずに頭に思い浮かべる。
セメリゥアは目付きが鋭い事が理由で、初対面の人間には冷たい印象を与える。
しかし本来のセメリゥアは子煩悩で寛容な人物だ。
新たにメクリミア家の一員になった元に対して、母として格好付けた態度を取っていただけだ。
変に聡い元の事だ、すぐに母親の化けの皮は剥がれるだろうとグリーは思った。
「明日また元を迎えに来ますから、よろしくお願いします。私は仕事に戻りますので」
グリーはセメリゥアにそう言って、メクリミア家へ来た時に乗って来た馬車へと乗り込み、仕事場へと戻って行った。
「メリー、ラムダ服飾店から人が来たらゲンの部屋へ通してちょうだい。東洋の服装がどういったものかは分からないので、ゲンの希望があるのならば何着かは希望通りに。着慣れた服装も欲しがるかもしれませんからね。生活に関しての希望はクルトが聞いてくれていると助かるのだけど。それから… 」
セメリゥアは初孫が生まれた時のように浮かれた様子で側に控える従者たちに指示を出しながら家の中へと入っていく。
見た目が若いセメリゥアだが、ガウトーラの妻である。
実際は五十過ぎの、孫を持つおばあちゃんだ。
新しくできた子供であるゲンが、実子ではないとはいえ可愛くて仕方がないようだ。
周りにいる従者たちもそれが分かっているのか、苦笑をこらえている様子だ。
「楽しみだわぁ… 」
セメリゥアの言葉を最後に、メクリミア家の玄関の扉が閉じられる。
こうして元の公都での生活が始まるのだった。
元の都合など御構い無しに。
どうにも遅筆で申し訳ありません
気長にお付き合いしていただけるとありがたいです