第三十八話 意別の間
元達がシュレリアに着いてから三日後の午前。
元首官邸にてガウトーラが書類に目を通していると、執務室の扉がノックされる音が部屋に響く。
ガウトーラが顔を上げ扉に声をかける。
「入れ」
入室してきたのはスーツをピッシリと着こなした若い男、官邸勤めの職員の一人だ。
「サウマーレ公爵閣下、チェレサ老閣下、両名お越しになりました」
「チェレサ老?マウニアでは無く、ゲニア様がおいでになったのか? 」
本日の話し合いで呼んだのは、ガウトーラ以外の三大公の二人。
そのうちの一人が現大公では無く、隠居した前チェレサ大公のゲニアだと言う。
悠々自適な生活を送っているはずの隠居老人が、なぜ今日の会合に顔を出したのかガウトーラは疑問に思った。
「ゲニア様は今日の話し合いの内容をご存知なのか…? 」
ガウトーラは思った事を口に出してしまう。
考えても答えは出ないと思い至り、二人を無為に待たせるのも悪いので、考えに耽りながらも執務室を後にした。
以前、元達を通した応接室に足を踏み入れたガウトーラは、ソファに座る二人を確認すると口を開く。
「お待たせした、サウマーレ公、ゲニア様」
ガウトーラは向かい合ってソファに座っている二人とは別の、上座のソファに腰掛ける。
ガウトーラから向かって左に座っているのがサウマーレ公爵であるガイウス。
鍛え上げられた体つきはスーツの上からでも分かるほどに隆起している。
短い髪型に精悍な顔つきの男だ。
サウマーレ公爵の対面、ガウトーラから向かって右に座っているのが前チェレサ公爵であるゲニア老。
シワの刻まれた顔には未だ衰えることのない覇気が窺え、白髪の長い髪は背後に流している。
魔術師が好んで着るローブをゆったりと羽織っている。
「いや、我々も今来たところだ。ゲニア様が御出でになるとは思っていなかったがな」
背筋の伸びた座り姿勢でガイウスが答える。
「ガウトもガイウスも息災のようじゃな。なに、今回の話し合いは養子についてだと聞いてな。マウニアには無理を言って儂が来たんじゃよ」
マウニアとは現チェレサ公爵家当主の名前。
ゲニアの息子に当たる。
「わざわざお越しになる程の事では無いと思いますが。召喚された者たちの能力はハッキリとは分かっていませんし、今の段階だと誰でも同じようなものです。何か気に掛かる者がおられますか? 」
ガウトーラは他の大公に、グリーからの報告にあった三人の力の事は報告している。
魔法とは別の力を持つ者や、この世界とは異なる体系の魔法を使う者。
三人の中に気に掛かる能力持ちでも居たのかと思ったのだ。
「知っての通り儂の家系は魔術師を多く輩出しておる。儂もその一人だしの。じゃから異世界の魔法というものには大変興味がある。と言うのが建前じゃ」
ガウトーラとガイウスの二人を見て、ゲニアは一旦言葉を切る。
建前と言う以上、本音が他にあると言う事だ。
二人はゲニアの真意が何かと興味を注がれ、視線を強くして次の言葉を待つ。
二人の視線を受け止めて、ゲニアは神妙に口を開いた。
「儂、孫娘が欲しかったのよ」
至極真面目な顔をして、ゲニアは二人にそう言ったのだった。
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元達が公都シュレリアに着いてから十日程経った昼下がり、元首官邸の二階にある部屋から元、柏木、荒岩の三名が体をふらつかせながら出てくる。
顔には極度の疲労が窺え、心ここに在らずと言った状態だ。
「お、終わった… 」
元は壁に体を預けながらそう言うと、ズルズルと床にヘタリ込む。
柏木は壁に手をつき顔を俯かせ、荒岩は壁を背に座り込む。
三人が動きたくないと言った風に脱力していると、部屋から男が一人出てくる。
綺麗なオールバックの髪型をした、柔和そうな四十代程の男だ。
スーツを乱れなく来こなした男の顔には、疲労などは窺えない。
「だらしないですねぇ。体が疲れている訳ではないでしょうに」
微笑を貼り付けたような顔から辛辣な言葉を三人に投げかけた男は、やれやれと頭を振っている。
「不眠不休で二ヶ月も頭使ったらこうなりますよ… 」
胡乱な目を男に向けて、だらしないと言った事に元が反論する。
元の意見に賛成なのか、柏木も無言で男に目を向ける。
「ふむ。初めて意別の間を使ったのならこんなものですかね。普段はこんなに長期間使う事も無いですしね」
だらしないと言った直後に普段は長期間使わないと言う。
初めて魔法を体感した元としては、唖然としてしまう。
クルセリアの人々にとって当たり前の事だと思ったから耐えられていた一面もあったと言うのに、目の前で否定されてしまった。
うまく回らない思考で、このおっさん嫌いだわ、っと元は思った。
男が口にした意別の間。
元達三人がシュレリアに来てから早々に入れられた、人工的な〝異界″。
扉を隔てて、外と中では体感する時間の進み方が違っている。
部屋の中で感じる時間は、外に比べて五倍から六倍遅くなる。
体から意識が切り離され、肉体的な苦痛や生理現象を感じる事もなくなる。
この意別の間で元達は、実時間で十日間、体感時間で二ヶ月近くを過ごした。
何をしていたか。
それは元が男と話せた事から分かる通り、この世界の言語を学んでいた。
現達と共に出て来た男は、ガウトア立憲公国が所属するファウトア神聖連邦並びに、その周辺諸国で普及している言語を教えた教師役の男だ。
寝る事も食事も排泄もする必要のない部屋で、体感時間二ヶ月もの間ひたすら言語を叩き込まれた。
初めは疎通の魔道具を通して、単語と文章構成を叩き込まれ、その後はひたすら発音の練習。
会話がある程度成立し始めると、次は文字。
連邦周辺で使われている文字は表音文字で、音に当てはめて覚えていった。
意別の間は意識がむき出しの状態だからか、知識を覚えやすい環境ではあった。
しかし新しい言語と文字を無理やり脳に叩き込まれる感覚は、三人の精神を磨耗していった。
連邦周辺で使われている言語はラポニア語と言われ、かつて連邦がある大陸の三分の一を占めるラポニア帝国で使われていた言語だと言う。
このラポニア語をある程度覚えた後、元達三人は魔法言語の基礎も叩き込まれた。
短時間で二つの言葉を覚えなければならなかった三人は精神的な疲れが溜まり、意別の間を出た途端に脱力してしまったと言う訳だ。
「お疲れのようですし、今日のところは客間で休んでいなさい。私は閣下に報告して来ますから」
そう言って男は踵を返し、三人を廊下に置いて歩いて行ってしまった。
意別の間での体感時間と実時間との時間差による疲れに慣れて来た頃、三人はフラフラとしながらも立ち上がる。
「取り敢えず客間に行って休むか… 」
元がそう言って歩き出す。
男とは逆方向に暫く歩いてから後ろに振り返り、元は二人に問うた。
「…客間ってどっちだっけ? 」
問われた二人は顔を見合わせ、元に向かって首を振る。
三人ともが体感時間で二ヶ月前に一度案内された客間の場所を覚えていなかった。
一方、元達と別れた男はガウトーラの執務室前まで来て扉を叩く。
中から声がかかるのを待って入室した。
「失礼します、閣下。三人への言語教育、滞りなく終了いたしました」
男の報告を聞きガウトーラが顔を上げる。
元達三人と同じように意別の間に十日間いたと言うのに、男の顔に疲れは窺えない。
目を通していた書類を傍らに置き、ガウトーラは執務机から立ち上がり、呼び鈴を鳴らす。
「そうか、ご苦労だった。丁度一服しようかと思っていた所だ。シャレも報告ついでに付き合え」
執務机から離れソファに移動しながらガウトーラが男を茶に誘う。
呼び鈴を聞きつけた秘書に二人分のお茶を頼み、シャレと呼んだ男に対面のソファを勧めながら自らもソファへと腰掛ける。
シャレが座るのを確認すると、ガウトーラは報告を促した。
「予想より早かったな。三人ともこの短時間で言語の習得を? 」
「はい。三人が元々いた世界では、勉学をする事が当たり前の世界のようで。母国以外の言葉を覚える行為自体に慣れがあったので助かりました」
「そうか。我が国もそうだが、全ての民が勉学に励めるような環境にないからな、この世界は。あの者達の世界は随分と習熟しているな」
「そのようで。我が国が目指している国の形に近いのかもしれません」
「なんにせよ、言葉が通じるようになったのならば良い。魔法言語については? 」
「そちらに関しても基礎はほぼ、と言った所までは。教師役としましては、実に楽をさせて頂きましたよ。ラポニア語と違って我々からしたら魔法言語はめんどくさい言葉ですが、彼らの母国語と文章構成が同じだとか」
「基礎ができているなら学園に通っても問題はなさそうだな。新学期が始まるまでまだ二ヶ月ある。それまでの教育は各公爵家でやれば問題ないだろう」
ガウトーラとシャレはその後もこの十日間で決まった事やこれからの事など、三人についての話し合いを暫く続けた。
話題の三人が官邸内で迷子になっている事を知らないまま。




