15 災い転じて告白へ
急に廊下が慌ただしくなった。
「看護師さん、何があったんだ?」
「ヒロシくんの容態が急変して、これから緊急手術するの」
途端に剛田が青ざめる。
「な、なんだって……」
弾かれたみたいに立ち上がり、ふらふら廊下まで出た。
出た直後、彼はビクッと肩を震わせる。
「……ヒロシッ!」
ひと声叫んで剛田が全力で走り出す。俺とこはるは急いであとを追った。
廊下に出たら、搬送用ストレッチャーに乗せられて、手術室に向かうヒロシがいた。剛田はストレッチャーと並んで進みながら、ヒロシに語り掛ける。
「ヒロシッ!がんばれ、オレがついてるぞ!」
「……うん」
「手術のあいだずっと応援してるからな!」
「あり……がと……」
「きみ、邪魔だからどきなさい」
「すいません!」
医者に注意され、剛田は素直に引き下がる。
ヒロシが医者と看護師たちに囲まれながら手術室に消えた。剛田は扉の前で立ち尽くす。
俺は剛田に合流すると、彼の肩に触れた。
「剛田、病室に戻ろう」
「剛田くん、いまの私たちにできることは何もないわ」
剛田は答えなかった。視線は手術室に据えたまま、後ずさる。
壁に背中をつけるくらいの所で立ち止まり、ズボンを脱いだ。
最初から上半身は裸だったから、いまの彼は下着のパンツ一枚の状態だ。そのパンツにしてもボディビル用の布の少ない奴だ。いつもあれ履いてるのか。
「お、おい剛田、なにやってんだ……」
「あんな子供が病気で苦しんで、辛い手術を何度も受けてよう。これで治らなかったら、あいつの人生なんなんだよ」
すでに剛田は泣いていた。流れる涙もそのままに彼は言う。
「オレがヒロシを助ける」
「助けるって、どうやって?」
「ポージングで助ける」
剛田は両腕を高く掲げ、力こぶを天に突き上げるように曲げた。盛り上がった上腕が肩の丸みと重なり、体全体がひと回り大きく見えた。
「ダブルバイセップス!」
ポーズ名を絶叫した次の瞬間、手術室から看護師が顔を出した。
「手術中です!静かにしなさいっ!」
「すいませんっ!」
これで病室に戻ってくれるだろう。
そう思ったけど違っていた。剛田は口パクでポージングを再開した。
……サイドチェストッ!!……
……モスト・マシュクラーッ!!!……
真面目な表情で、涙は途切れることなく、口を大きく開いた口パクで、ヒロシに届けとばかりに剛田のポージングはつづく。
俺はどうしていいか分からなくなって、救いを求めるようにこはるを見た。すると彼女は指で剛田の頭上を示した。
いつの間にか、剛田の頭上を市松人形が浮遊していた。
人形から黒い煙がにじみ出て、それは剛田の前に溜まってゆく。
剛田には見えていない。でも俺とこはるの目には映っていた。溜まった煙は徐々に人の形を成してゆく。顔の輪郭を構成した部分から、横並びの赤色がふたつ光る。
たぶんこれが市松人形に込められた呪いの正体なんだ。
呪いが姿を現したってことは、ふつう考えて何か悪いことをする前触れだ。
「こはる、ヤバい状況だと思うんだが」
「いいえ良く見て、呪いが変容してる」
改めて見ると、黒い煙が色を薄めていた。やがて中から現れたのは、見目麗しき和服の女性だった。
彼女は両手を前に突き出すと、手のひらを大きく広げた。直後、そこから温かな光が生じて、瞬く間に広がってゆく。
避ける間もなく、光が俺を突き抜けた。すぐ自分を見下ろして怪我がないか確認した。特に異常はなかった。それどころか寝不足のモヤモヤが吹き飛んでいた。
もしかして俺……元気になってる?
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
夕暮れで真っ赤に染まる空の下。
俺とこはるは病院の屋上にいて、並んで手すりから眼下を眺めていた。
病院の前の公道や駐車場は車で混雑していた。奇跡の退院者たちがぞくぞく家路についているんだ。美しい和服美女から発せられた光は、癒しの力だった。
毒は転じて薬にもなる。
人を恨んで死んだ魂は、呪いとなって人々に不幸を振りまいた。
ところが剛田の献身を目の当たりにして考えを改めた。呪いが転じて加護となった。ヒロシの手術は無事に成功した。それだけにとどまらず、病院にいたすべての患者の怪我と病気が完治した。
「俺、剛田がボディビルのポージングしてるの見て、何やってんだって思った。でもそのおかげで市松人形の呪いも解けた。そしてヒロシや他の患者たちも治った」
「あのポージングは祈りだったんじゃないかな」
「ボディビルのポージングが……祈り?」
「ええ、巫女が舞うように、神主が祝詞を奏上するように、剛田くんはサイドチェストを神に奉納したのよ。本来祈りに形はないわ。あるのは真摯な思いだけ」
その思いに市松人形が答えた。いまやあの人形は呪いではなく、幸福をもたらす神的な存在となった。これまで人を呪いつづけてた分、反転したときのパワーは半端なく、結果、病院の患者みんなを治してしまった。
「あ、もうすぐ夜になっちゃう。門限あるから帰らないと」
こはるが階段室へと歩きはじめる。
夕焼けで真っ赤に染まる屋上には、俺とこはるのふたりきり。
「……こはる」
「なあに?」
こはるは立ち止まり、振り返って俺を見た。
俺はこはるの前に歩み寄る。
「こはるには俺が見えてるか?」
こはるは不思議そうに首をひねった。それから笑顔になった。
「ええ、ナオくんが私を見えてるくらいには」
「俺、こはるが見えなくなるのが悲しい」
「そのときは、巨大化して手を振ってあげる」
「……ふふっ」
思わず緩んだ頬をキッと引き締めて、俺はこはるを見た。
「俺、こはるが好きだ」
こはるは、これが告白の瞬間なのだと察したようで、緊張と恥ずかしさが込み上げて来たらしい。それでもスカートをギュッと握り、真っ赤になった顔で懸命に俺を見る。
「俺とつき合ってほしい」
こはるはゆっくり息を吸って、はっきりと答えてくれた。
「はいっ」
俺はホッと胸をなでおろす。
「ありがとう」
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
深々と頭を下げる。
なんかちょっと重い言葉な気がするけど、とにかく今を喜ぼう。
「じゃあ帰るか」
俺が階段室に向かって歩きはじめると、今度はこはるが「……ナオくん」と声をかけて来た。
振り返ると、こはるは戸惑いながらも俺に向かって手を伸ばしている。
その意味するところを理解して、俺はこはるの手を握る。
そうして、ふたり並んで歩きはじめる。
かくして、白石直人と大山こはるは恋人同士となった。
妖怪と妖怪ハンターのカップルが誕生したんだ。
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