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敵視政策停止

 戦後四年。


 大滝王国では、奇妙な変化が静かに広がっていた。


 市場ではオーストリン製の陶器が売られ始めている。


 共同管理地域では、両国語を話す子供が珍しくなくなった。


 国境街道では、大滝人とオーストリン人の商隊が同じ宿に泊まる。


 かつてなら考えられない光景だった。


 だが同時に。


 憎悪はまだ消えていない。


 酒場では今でも「オーストリン野郎」という言葉が飛ぶ。


 地方では復讐を訴える貴族もいる。


 戦争は終わっても、“敵意”は人間の中に残り続ける。


 成尾――アレクト六世は、それを理解していた。


 だから彼は次に、“言葉”へ手を付け始めた。


     ◇


 王宮大会議室。


 文官、神官、教育官僚、新聞社代表が集められている。


 卓上に置かれた新法案。


 その題名を見た瞬間、空気が張り詰めた。


 ――新聞法改正案。


 成尾は静かに口を開く。


「敵視扇動表現を制限する」


 ざわり、と室内が揺れる。


「具体的には」


 法務官が慎重に尋ねた。


「敵国民を“魔族”“劣等種”“害獣”などと呼ぶ表現を禁止する」


 一瞬、沈黙。


 そして。


「言論統制ですか!?」


 新聞社代表が立ち上がった。


「表現の自由への介入ですぞ!」


「感情を押さえ込めるとでも!?」


 他の官僚たちもざわつく。


 成尾は冷静だった。


「感情は禁止できない」


「だが、“制度として憎悪を増幅すること”は止められる」


 彼は新聞の束を机に投げた。


 そこには扇情的な見出しが並んでいる。


 “獣どもを根絶やしにせよ”


 “劣等民族に慈悲不要”


 “敵国人に人権なし”


 会議室が静まった。


「こういう言葉は便利なんだ」


 成尾は静かに言う。


「相手を“人間じゃないもの”に変えられるから」


 それが戦争の第一歩だった。


 敵を人間と思わなくなる。


 すると、何をしてもよくなる。


 虐殺。


 略奪。


 拷問。


 全部、“害獣駆除”になる。


「戦争中は必要だったのでは?」


 神官が低く言う。


「兵の士気維持には、敵意も必要です」


「知ってる」


 成尾は頷いた。


「でも、戦争が終わった後まで続けると、国家が壊れる」


 彼は資料を開いた。


 そこには、戦後も敵視教育を続けた地域の暴動記録が並んでいる。


 子供同士の襲撃。


 市場での私刑。


 国境商隊への放火。


 憎悪は、戦争が終わっても自動では止まらない。


 むしろ、平時に行き場を失って暴走する。


「だから、敵視政策を止める」


 成尾は断言した。


     ◇


 最も反発が大きかったのは、教育改革だった。


 王立教育院。


 巨大な黒板には、新しい歴史教科書案が貼り出されている。


 そこには、以前まで必ず書かれていた文章が消えていた。


 “邪悪なるオーストリン”。


 “野蛮な侵略民族”。


 “神に呪われた敵国”。


 代わりに、新しい文章が書かれている。


 ――戦争は起きた。


 ――多くの人が死んだ。


 ――だが、相手側にも家族と生活があった。


 教育官たちは困惑していた。


「……これだけですか?」


「善悪を書かないのですか?」


 成尾は頷く。


「完全善悪教育をやめる」


 ざわめき。


「ですが、我々は正義だったのでは?」


 若い教師が言う。


「侵略された側です!」


「そうだな」


 成尾は答える。


「でも、“だから相手は悪魔だ”とはならない」


「……」


「人間は、自分を正義だと思いながら戦争する」


 それはどの国も同じだった。


 誰も“自分たちは悪だ”と思って戦わない。


 皆、自分の恐怖と正義を抱えて戦う。


「善悪だけで教えると、人間は思考停止する」


 成尾は黒板を見ながら言った。


「“悪だから殺していい”って発想になる」


「でも現実はもっと汚い」


「恐怖も」


「誤解も」


「資源争いも」


「報復も」


「全部混ざって戦争になる」


 教師たちは黙って聞いていた。


     ◇


 数ヶ月後。


 地方学校で、新しい歴史授業が始まった。


 教室には、大滝人とオーストリン系移民の子供が混ざっている。


 教師は静かに語った。


「戦争では、多くの人が死にました」


 子供たちは静かに聞いている。


「皆さんの祖父母の中にも、戦争を経験した人がいます」


 黒板には、両国の戦死者数が並んでいた。


「でも、覚えておいてください」


 教師は少し間を置く。


「向こう側にも、“家へ帰りたかった人”がいました」


 教室は静まり返った。


 一人の少年が手を挙げる。


「じゃあ、なんで戦争したの?」


 教師は困ったように笑った。


「それを考えるために、歴史を学ぶんです」


     ◇


 その夜。


 成尾は報告書を読んでいた。


 教育改革への反発は強い。


 特に戦争未亡人や退役軍人団体からは、“敵への配慮が過ぎる”という声が上がっている。


 リゼットが静かに言った。


「理解されませんね」


「すぐにはな」


 成尾は頷く。


「人間は、憎む方が楽だから」


 敵を悪魔化すると、世界は単純になる。


 自分は善。


 相手は悪。


 すると、苦しまずに済む。


 だが、その単純化こそが次の戦争を作る。


「“相手も人間だった”って認識はな」


 成尾は窓の外を見る。


「実は、かなり苦しいんだ」


 敵にも家族がいた。


 恐怖があった。


 守りたいものがあった。


 それを認めると、“殺した側”の心にも傷が残る。


 だから多くの国家は、敵を怪物に変える。


 その方が楽だからだ。


「でも、それをやり続けると」


 成尾は静かに呟く。


「いつか、本当に人間を人間と思えなくなる」


     ◇


 数年後。


 国境地帯のある学校で、奇妙な作文が提出された。


 題名は。


 “ぼくのおじいちゃんと、友達のおじいちゃん”。


 大滝軍兵士だった祖父。


 オーストリン軍兵士だった祖父。


 二人とも戦場で死にかけた。


 でも、戦争が終わった後、同じ市場でパンを買っていた。


 そんな内容だった。


 教師はその作文を読んで、しばらく動けなかった。


 かつてなら絶対に生まれなかった文章だった。


     ◇


 その報告を受けた夜。


 成尾は静かに目を閉じた。


 憎悪は消えない。


 完全な和解など存在しない。


 それでも。


 “相手も人間だった”という認識だけは、残さなければならない。


 なぜなら。


 人類が最も残酷になるのは。


 敵を、“人間ではない何か”に変えた時だからだ。


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