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3.調査への協力

 翌朝も結子はハンバーガーショップにやって来た。あたかも古くからの知り合いであるかのような顔をして雄峰が座っているテーブルの向かい側にトレイを持ってきて座った。

「お早うございます」

 雄峰は嬉しそうに挨拶した。

「お早う。桜井さんはこの辺で育ったんでしょ?」

「ええ、そうです。今は会社への通勤を考えてこの近くに住んでいますけれど、生まれ育ったのは筑波山の近くです」

「それは良かった! ところで桜井さんのお休みって、何曜日?」

「まあ、一応火曜日ということになっていますけど……」

「一応? ああ、そうか。定休日にはなっていてもお客から要望があれば働かなくちゃいけないのね。車の販売担当者って、大変なんだね」

「はい、その通りなんです。しかも、今月も私はノルマ達成まで程遠いものですから、上司の目がきつくなってきているんです」

「そうなんだ。じゃ、無理かな?」

「無理って、何がですか?」

「昨日ちょっと話したけど、私、『歌垣』の研究をしているの。それで今は筑波山周辺の調査に入っているのよ。私はこの辺りの地理とか詳しくないじゃない。できればあなたに案内してもらおうかと思ったのよ」

「結子さんのご依頼とあれば、喜んでご案内しますよ。上司には、この間店舗に来られたお客様だと言えば文句なんて言うわけがありませんから」

「そう、それじゃ、お願いしようかしら」


「どこに行きたいのですか?」

「『かがい』が行われていた場所に行きたいの。先ずはその候補地と言われている『夫女之原(ぶじょがはら)』と『夫女(ぶじょが)(いし)』のある場所に行きたいと思っているの」

「ああ、それだったら知っていますよ。『筑波ふれあいの里』のことです。今はつくば市が運営している宿泊やキャンプができる施設になっています」

「あと、『かがい』の舞台であったという説もある『飯名(いいな)神社』にも行ってみたいの。それから『()萩津(はきつ)遺跡』というところがあってね。その遺跡は臼井地区の中にあるという情報があるんだけど」

「飯名神社は何となく分かりますが、『裳萩津遺跡』については、聞いたことがありません。でも、臼井地区だったら、番地が分かれば行くことが可能かもしれません」

「番地はここらしいの」

 結子は、ポケットから折りたたんだメモを取り出し、雄峰に示した。

「ネットかナビで検索すれば何とかなりそうですね」

「そう、助かるわ。じゃ、今度の火曜日にお願いね」

「今度の火曜日というと、六月十五日、明後日じゃないですか。待ち合わせ場所と時間はどうしましょうか?」

「場所はここでいいわ。時間も早い方がいいから、この時間にしましょう。どうせあなたはここで朝食を食べるんでしょう」

「あはは、お見通しですね。それでは、明後日の朝にお会いしましょう。あっ、そうそう。念のため結子さんの連絡先を教えておいていただけないでしょうか? 私の都合がつかなくなった時には結子さんに連絡しなくてはならないので」

 雄峰は笑顔で依頼した。

「確かにそうよね。じゃあ、私の電話番号、教えておくわね」

 そう言うと、結子はスマホの電話番号を雄峰に告げた。

 雄峰はスマホを取り出し、それをインプットしてからスマホを結子の方を向けて頼んだ。

「あのー、結子さんの写真を一枚撮らせていただいてもいいですか?」

「私は写真を撮られるのが嫌いなの。ご免ね」

 雄峰がしぶしぶスマホをポケットに戻すと、結子は嬉しそうにハンバーガーショップを後にした。雄峰はどうしても結子の姿を自分の記憶以外の確かなものとして手元に持っていたかったので、車に向かって歩いていく結子の姿をこっそりとスマホに残した。


 雄峰は定休日が来るのがこれほど待ち遠しかったことは入社以来初めてであった。会社に入ったばかりの頃は、休日は普通の会社員と同じように、定休日は一日中自分の自由な時間として使えるものと思っていたが、現実はそうはならないことが直ぐに分かった。自動車販売店の休日は基本的に平日なので、一般的な勤労者は仕事をしている。その感覚で顧客は販売員に接触してくるので、何らかの依頼が必ず来るのであった。その他にも、新車の販売契約が上手くできれば車庫証明を警察署へ取りに行ったり、車検準備の為に陸運局へ行ったりして、完全な休日になったためしはほとんどなかった。

「今度の火曜日は絶対に仕事をしないぞ」

 雄峰は気合が入っていた。


 六月十五日の朝、雄峰の朝食が済むのを見計らったように、結子がコーヒーショップに入って来た。この日は、スタイリッシュな服装ではなく野外での調査を考えた活動的なウエアを纏っていた。いつものようにコーヒーだけを注文し、トレイを使わずに紙コップを右手で掴んで雄峰の所にやって来た。

「お早う。今日はよろしくね」

「お早うございます。こちらこそよろしくお願いします」

「さて、今日はどこから案内してくれるの?」

「そうですね、先ずは場所がはっきりしている『夫女之原』と『夫女ケ石』のある『筑波ふれあいの里』に行ってみようかと思っているのですが、結子さんの車はどうしましょうか?」

「ああ、大丈夫。今日は車を置いてきたから」

「分かりました。それでは私の車で行きましょう」

 結子がコーヒーを飲み干した後、二人揃って出口に向かって歩いた。雄峰が何気なく横を向くと先日の黒縁の眼鏡を掛けた長髪の男がこちらをチラチラ見ているのが目に入った。雄峰はドキッとしたが、敢えて無視するように振舞って出口のドアを開け、結子を先に出してから小走りで自分の車に行き、助手席のドアを開けた。


 走り出すと直ぐに雄峰が助手席に座った結子に質問した。

「裕子さんは『歌垣』のどういう所に興味があるのですか?」

「そうね、『歌垣』についてある程度説明しておいた方が良さそうね。そうすれば、私をどこに連れて行けば良いかが分かってもらえるかもね」

「是非お願いします」

 結子は少しの間どう話すかを考えていたようであったが、雄峰の横顔を見ながら話し始めた。


「『歌垣』はね、古代の日本だけじゃなく、中国や東南アジアにも存在していたらしいの。そこで行われていた『歌垣』ではね、春先の作物の種を撒く前の祝祭日の夜に若い男女が集まり、みんなの前で男と女が一対一で『求愛歌』の掛け合いを行なって恋愛の対象となる異性を見つけていたようなの。音数が三、五、七などを用いていたり、決められた旋律があったり、即興で次々と歌を掛け合っていかなければならなかったり、相手の気を引かなければならなかったりしたので、技量と教養を必要としたようなの。

 古代日本における『歌垣』は、春や秋の特定の日時と場所に老若男女が集まって、皆で飲んだり食べたりしながら歌を掛け合って恋愛関係になっていたようね。『歌垣』の語源は『歌を掛け合う』ことからきているみたい。つくばを含めた東国の言い方である『かがい』も同じようなことに由来すると考えられていて、漢字はでこう書くのよ」

 結子はメモ用紙にきれいな字で『嬥歌』と書いて雄峰の顔の横に翳した。ちょうど赤信号で車を止めた雄峰はメモを見てから頷いて直ぐに前方に視線を戻した。

「このイベントは、春の種蒔き前と秋の収穫後に行なわれることが多かったようね。農繁期は忙しくてそれどころではなかったのでしょう。場所は、山や海や川、そして(いち)などだったようなの。筑波山だけでなく、日本の各地で開催されていたのよ」

「そうなんですか。海や川でもやっていたんですね。筑波山みたいな山の麓が主な開催場所だったわけではなかったんだ」

「それでね、私の研究テーマなんだけど、実際に各地で『歌垣』が行われていた場所をしっかりと突き止めて、それらの実態を比較検討して、開催地方による特徴や違いを明らかにすることなのよ。筑波山で『歌垣』、つまり『かがい』が行われていたと考えられている場所はいくつか候補地があって、まだ完全には特定されていないことになっているの。これから行く『夫女石』のある『夫女之原』はその有力候補地なの。今回の私の調査の最も重要な目的は、開催場所を特定することなのよ」

「よく分かりました。今日この調査が終わったら実家に行って祖父母にも訊いてみます」

「そう、それは有り難いわ。よろしくね」


 雄峰の車は東大(ひがしおお)(どお)りを北上し、西大通(にしおおどお)りと合流して国道四〇八号線となってからも北に向かった。国道一二五号線と交差する地点に差し掛かった時、雄峰が口を開いた。

「この先も真っすぐに進みますが、十年ほど前までは一度右に曲がって国道一二五号線に入り、少し走って左に曲がってしばらく走ってから筑波山神社の方向に行く道に入るしかなかったんです。でも新しくすんなり行ける道路が出来たので、筑波山に行くのがだいぶ楽になったんですよ」

 車はその新しい道である県道十四号線を進みT字路となっている交差点を右折して県道二一四号線に入り、そのまま直進して筑波山へと続く県道四二号線に入った。この道はそれまでの道路とは異なり、しばらく進むとつづら折りの登り勾配となった。一所懸命運転している雄峰を見て、結子が言った。

「流石に車屋さんね。運転は確かに上手ね」

「有難うございます。運転が下手だと商売になりませんからね」

 雄峰は嬉しそうに応えた。

 そのうち赤い大鳥居が見えてきた。この鳥居をくぐって上に進むと筑波山神社に行けるのであるが、大鳥居の手前を右方向に進み、ほぼ平坦になった道を走った。この道はロープウエイの駅があるつつじヶ丘に繋がっているが、途中にある温泉で右折した。途端に道幅が狭くて急な下り坂になった。ちょっと進んでから左折して数百メートル走ると『筑波ふれあいの里』の駐車場に辿り着いた。

「昨日、インターネットでここのこと調べたんです。この駐車場が一番広いんですが、この他にも小さな駐車場が二ヶ所あって、一つは『夫女ケ石』に近い所にあるようなんですけど、そこに行きますか?」

「いいえ、ここでいいわ。『夫女之原』全体の雰囲気も見ておきたいし」

「分かりました」

 そう応えると雄峰はまだそれほど車が停まっていない駐車場の端に自分の車を停めた。バッグを手にした雄峰は、カメラを持って先に車を降りた結子の後を歩いた。


 『筑波ふれあいの里』は、筑波山の南斜面にあり、一帯は小高い高原のような感じがした。結子は『夫女之原』の名称から広い原っぱを想像していたようであったが、木がかなり生えており、林と呼んだ方が良さそうであった。それでも、木々の隙間から男体山と女体山の二つの峰ばかりでなく、麓の景色もよく見えた。ぶらぶらと本館らしき建物の方向に歩いていくと、少し開けた場所に虫麻呂が『かがい』について赤裸々に表現した歌が万葉仮名で石碑に刻まれていた。結子は近寄って大きな石碑を何度も頷きながら見入っていた。

「万葉仮名が読めない人にとってはただの漢字の羅列に過ぎないでしょうけど、意味が分かれば、顔が赤くなるような内容ね」

「私は万葉仮名は読めませんけど、結子さんから書いてある意味を聞いていましたから、字面(じづら)を追えば何となく意味がつかめるのでドキドキします」

 結子は雄峰の目を見ながら微笑んだ。

 石碑の傍に『夫女ケ石』があるのかと思って周辺を探してみたが、近くにはありそうもなかった。雄峰は昨夜検索した時にプリントアウトしておいた『ふれあいの里』のマップを広げて『夫女ケ石』の位置を確認した。

「結子さん、ここより少し下に、ローラー滑り台とキャンプ場があって、『夫女ケ石』はそれらの近くにあるようです。歩いて行ってみましょう」

「ああ、そうなんだ。ちょっと待ってね、この石碑と『夫女之原』の雰囲気の写真を何枚か撮るから」

 結子の気が済むまで写真を撮るのを待ってから二人は細い道を下っていった。


しばらく歩くと、木立の中に大きな石が二つ見えてきた。

「あっ、あれじゃないですか」

 雄峰は指を差しながら結子に教えた。

 まばらに生えている木立の中に目指す二つの石はひっそりと姿を見せてくれた。石の前の木の何本かは切り株だけになっていて、『夫女ケ石』が見やすくなっていた。

「こんなに斜めになっている場所にあるのね。私は平らな場所にあるものとイメージしていたのに……」

「ほんとにそうですね。そもそも、『夫女之原』っていうから、この辺り一帯が平らな原っぱだと思ってしまいますよね」

 雄峰は結子の意見に同意してそう応えた。二つの石の左手に、『夫女ケ石』の説明板が立てられていた。結子はしばらくの間それを読んでいたが、雄峰の方を向いて訊いた。

「前半は現代の言葉で書かれているから桜井さんにも分かるでしょ?」

「はい。これらの石は陰陽石とも言われていて、男女が並んでいるような形から『夫女ケ石』と名付けられたんですね。また、古代にこの辺り一帯で『かがい』が行われていたと伝えられているとかなり断定するような表現で書かれていますね」

「そうね。後半は古文で書かれているからちょっと分かり難いかもしれないわね。意味はこんな感じかな。当時のこの辺りは草原で、山の上の方からも二つの石が見えたようね。両方の石の上に桜の木が生えていてそれぞれの枝が交わっていたので、こんな非情な木や石までも、『陰と陽とは離れられない』という道理を表していて、その姿は男体山と女体山の姿のようだと受け取られた、と書いてあるわ」

「なるほど、そういうことが書かれているんですね。しかし、現在は『夫女ケ石』の周辺は雑木林になっているし、石の上には桜の木も生えていないので、昔の雰囲気とは随分異なっているんですね」

「まあ、現在の雰囲気も『かがい』を行うにはなかなかいいんじゃない? 二人きりになった場合に隠れる場所があって」

「確かにそうですね」

 そう応えてから雄峰は頬を赤らめた。結子はそんな雄峰には構うことなく、『夫女ケ石』やその周りの風景を何枚も写真に収めた。


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