1.筑波ホビークラブ
筑波山南麓に位置する神郡地区の一角にある筑波ホビークラブではいつものように長閑な時間が流れていた。この日は天気も良く、窓から望める筑波山の姿は雄大で、見上げる人を包み込むように迫っていた。
受付の中で神尾洋介はマスクを付けたまま大あくびをしながら朝刊に目を通していた。小野村愛の通っている大学は試験も終わりそろそろ夏休みが始まる時期であった。愛は朝のうちから筑波ホビークラブに顔を出していて、洋介のために淹れたアメリカンコーヒーをお盆に載せてキッチンから受付の中に入ってきた。
「洋介さん、相変わらず緊張感がないような表情をされていますけど、大丈夫ですか? 今日だけではなく、明日は海の日で連休なので、会員の方たちが沢山来られますよ。コーヒーを飲んで気合いを入れてくださいね」
愛は喋りながら洋介が読んでいた新聞の端を少し持ち上げてテーブルの上にカップを置いた。
「ああ、有難う。会員の方のお顔を見れば自然と気合いが入りますから大丈夫ですよ」
「あらっ、そうですか。それなら私や源三郎小父様は助かりますけど」
「またまた厳しいお言葉。愛ちゃんには敵いませんね」
笑いながらそんな会話をしていた時、受付の電話が鳴った。愛が受話器を取り、少し話した後、洋介の方を向いて告げた。
「洋介さん、古徳真由美さんという方からお電話ですよ」
電話の主が女性の声だったので、愛は若干の訝りを表情に出して告げた。
「ああ、高校の時の同級生ですよ」
洋介の言葉に愛はまだ不安そうに受話器を渡した。
「お待たせしました、神尾です。スズメバチの事件の時にはお世話になりました。古徳さんのお蔭で事件を解決することができたんです。本当に有難うございました」
「お役に立てたのなら嬉しいわ。相変わらずお元気そうね」
「ええ、元気だけが取り柄みたいなものですから」
「ところでね、今日は神尾君にお願いがあるのよ」
「お世話になった古徳さんからのご依頼ですから、僕でできることなら何でも致しますよ」
「それは有難いわ。実は、私の友達の弟さんのことなんだけどね。ある事件に巻き込まれたみたいで困っているのよ。『神尾君は名探偵だ』って聞いたことがあるんで、『何とかしてしてくれるかもしれない』って思ったものだから、電話したのよ」
『事件』という言葉を聞いて洋介の目は突然キラキラし始めた。
「名探偵なんかじゃなくて、ちょっとだけ刑事さんのお手伝いをしているだけですけど。それはさておき、その事件のこと詳しく聞かせてくれませんか?」
少し離れた場所でそれとなく聞き耳を立てていた愛も『事件』という言葉に異様な反応を示した。
「有難う。実はね、私の中学生の頃から親しくしている友達に中山美佐子さんという人がいるの。その弟さんの桜井雄峰君が警察から疑われているのよ」
「その桜井雄峰さんはいったいどんな事件に巻き込まれたんですか?」
「雄峰君は実家から少し離れた所にある車の販売会社で働いているの。少し前に、昔の日本の民俗学研究者である白鷺結子さんという女性と知り合いになったらしいの。それで、時々その人の研究の手助けをしていたのよ」
「親切な人なんだね」
「雄峰君はね、調査や論文の執筆で疲れた白鷺さんを励ますために、手作りのケーキを白鷺さんが泊まっていたホテルに届けたんだって。そしたら、それを食べた後、白鷺さんが酷い中毒になってしまったの。警察では『雄峰君が作ったケーキが原因で中毒したのではないか』って疑っているみたいなのよ」
「なるほどね。もっと詳しく事件のことが知りたいけど、ご本人から事情を訊くことはできるのかな?」
「逮捕されているわけではないから、神尾君さえ了解してくれるなら、雄峰君がそちらに伺って詳細な話をすることは可能だと思うわ」
「できるなら是非そうしていただきたいね」
「有難う。早速雄峰君に連絡してそちらに行ってもらうようにするわ。神尾君の都合はいつならいいの?」
「まあ、基本的にはいつでもいいんだけれど、土日祝日はこのクラブに来る会員さんが多いので、平日の方がいいね。平日でも夜は少しは忙しくなるから、可能であれば平日の昼間がこちらとしては好都合ではあるんだけど、そうじゃない時間帯でも何とかなるよ」
「有難う。雄峰君にホビークラブの電話番号を教えて、彼から連絡を取るように言っておくわ。よろしくお願いします」
古徳真由美はホッとしたような声でお礼を言った。
古徳から電話があった二日後の午後一時頃、筑波ホビークラブにやってきた桜井雄峰は、日中の外気温の高さだけでは説明できないくらいの大汗をかいていた。簡単な挨拶を交わした後、雄峰は汗を拭きながら事件について話し始めた。愛はコーヒーを淹れて訪問者と洋介に出した後、二人から少し離れた場所に椅子を持っていって座った。話の内容次第では洋介がホビークラブの仕事に集中しなくなってしまう可能性があるため、愛としてもしっかりと把握しておく必要があった。
二〇二一年六月初め、桜井雄峰は係長から強い言葉で叱責された。雄峰の先月の新車販売台数実績はゼロであり、今月も売れる見通しが全くたっていなかったのだ。こんな惨めな状況は、入社三年目にして初めてのことであった。
この会社に就職した最初の一年間はノルマを設定される事もなく、どちらかと言えば快適な生活を享受することができた。二年目にはノルマが設定されたが、それ程厳しいものではなく、少しばかり気拙い思いをしながらも親戚や知り合いに頼んで何とか達成できていた。ところが、三年目に入るとベテラン販売員扱いされ、厳しいノルマが設定された。親戚や知り合い筋でお願いできる人はもう一人も残っていなかったので、全く知らない人に毎月何台もの車を買ってもらわなければならなくなった。
営業課ではこの日、朝早くからミーティングが行なわれた。皆一応マスクは着けているもの狭い会議室に隙間なく座っていて、新型コロナウイルス感染症への対策などどこ吹く風の勢いであった。前月の新車販売台数などのノルマの達成具合を報告しあった後、恒例のキャンペーンの各自目標数値と意気込みの確認が行なわれた。会議の雰囲気は、ノルマの達成だけが重要視され、顧客志向や新型コロナウイルス禍での新たな営業スタイルなどの重要なキーワードが登場する隙間も見出せない状況であった。店長と副店長は自分たちが上層部から背負わされた数字をクリアするためだけの激しい言葉を社員たちに浴びせていた。
「こんな会議をしたって売り上げなんて伸びやしないのに。沢山の時間を使い、顧客も望んでいない古いやり方の営業方法が続けられているんだよな。これでいいのだろうか」
雄峰の番が来ると、それなりの数字を挙げ達成するよう頑張る旨を伝え、何とかその場をやり過ごした。他の販売担当者たちの威勢の良いプレゼンテーションをぼんやり聞いているうちにいつの間にか会議は終わっていた。終了と同時に雄峰は係長から怒ったような声で呼び付けられていたのだった。
二〇一九年十二月に中国湖北省武漢市で爆発的に感染が広がった新型コロナウイルス感染症は、その後あっという間に全世界に拡大し、二〇二〇年六月には世界での総症例数は七百万人を超え、死者数は四十万人に上ったと報じられた。
日本では、二〇二〇年一月十六日に武漢市から帰国した人に初の感染が確認され、その後、武漢からの日本人帰国者などに感染が散見されるようになった。二月五日、横浜港に停泊していたクルーズ船で集団感染が確認され、水際対策として全乗客乗員が船室隔離された。全員に対しPCR検査が実施され、最終的には七百名近くが陽性と判定される事態となったため、全ての人の下船が完了できたのは三月に入ってからであった。
二月中旬以降、屋形船、ライブハウス、スポーツジムなどでクラスター感染が報告されるようになり、一般の人たちも新たな得体の知れないウイルス感染症に脅威を覚えるようになった。三月下旬以降、日本の新規感染者数は指数関数的に増加し始め、週末の外出の自粛要請、水際対策の強化などの対策が取られたものの収まる気配はなく、四月上旬には七都府県において緊急事態宣言が発令され、不要不急の移動や外出の自粛が求められた。さらに四月半ばには対象地域が全都道府県に拡大された。
新型コロナウイルス感染拡大は、国民の生活に大きな影響を与え続けることになった。
マスクや消毒用のアルコールなど、最初のうちはドラッグストアなどに行っても入手するのが困難であったが、次第に普通に購入できるようになった。飲食店、スーパーマーケット、各種販売店やスポーツジム等でも安心して来店してもらえる環境づくりを進め始め、少しずつではあったが一般の人たちも新型コロナウイルスへの対応をそれなりに行えるようになっていった。
自動車販売現場も例外ではなく、二〇二〇年半ばには新車月別販売台数が、前年の半分近くまで減少してしまった。この状況はその年の九月まで続き、販売現場は苦境に立たされた。しかし、二〇二〇年十月に入ると車の販売は回復し始め、それ以降新車販売台数は感染拡大前の水準に戻ってきた。
桜井雄峰が勤務する販売店でもメーカー直営ディーラーを見習って、店舗入り口に消毒液を設置することから始め、感染防止の対面用ビニールシートの設置、テーブルや椅子などの除菌の励行、一定時間毎の換気、商談テーブルへのパーティションの設置、キッズスペースの撤去、各種スペースでのテーブルとイスの間引きなど、あまり頭を使わなくてもできることは何とか行なった。しかし、メーカー直営ディーラーのような先進的な販売店で取り組み始めた、社内間コミュニケーションや事務領域でのデジタル化、オンラインビデオ通話を使っての新車の商談など新たな営業スタイルへの取り組みを行なう気配は目にすることはなかった。
雄峰は少し前に係長に『オンライン化』について提案してみたのであるが、頭から否定された挙句、顧客への訪問回数をもっと増やすように求められる有様であった。
この販売会社は、特定の自動車メーカーと特約店契約を結んでいる販売会社ではなく、メーカーとは契約を結んでいない販売会社であったので、単一のメーカーに縛られることなく、複数メーカーの車種を取り扱えるというメリットはあるものの、メーカーからの支援を受けることができないため、コロナ禍のような大きな変換期には対応が大幅に遅れてしまうことが多かった。その大きな原因は、社長をはじめとする経営陣の新たなテクノロジーに対する苦手意識から来ていた。デジタルに詳しい人が採用され、会社のためを思っての提案を行なったとしてもそれが実行に移された試しはなく、どんなに技術力がある逸材を採用してみても会社には定着しないのであった。
雄峰は会社から車で十五分くらい離れたところにあるアパートで一人住まいしていた。販売店の従業員の中では下から数えた方がずっと早い立場であった雄峰は、ノルマは厳しく掛けられていたにも拘わらず毎朝先輩社員たちよりも早くから出社して、入社歴の浅い社員と手分けしていくつかの雑用をこなさなければならなかった。
先ず、ショールームの清掃とトイレ掃除を行ない、さらに試乗車を洗車機に入れて洗い、きれいに拭き上げる。朝のルーティン作業を何とか終わらせると先輩社員たちも出社してきて朝礼が始まる。ラジオ体操をして社訓を唱和させられる。そして店長の講話があり、最後に前日新車を売った販売員が紹介される。皆が拍手で称えてからようやく通常の業務が始まるのだ。




