177ホルヘ・ルイス・ボルヘス『シェイクスピアの記憶』
5月のイベントで出す本を作っていたらほぼ一ヶ月放置してしまいました、申し訳ありません…….
ボルヘスの最後の短編集です。
薄くてすぐ読める良い本なので興味がある方は是非……。
「今度のテストが今ひとつ分からない部分がある……」
「どうしました? 私に分かることなら教えて差し上げますが……」
「うーん。どこが分からないというか何が分からないのか分からないっていう、なんかボンヤリとした不安なんだよね……」
「そんな芥川龍之介みたいなこといわれてもどこが分からないのかが分からないとなると、私も協力できませんよ!」
「うーん! 栞の記憶をわたしに移植してくれれば解決するのに! 栞の記憶売ってよ一万円ぐらい出すからさあー。恥ずかしいあんな記憶こんな記憶も含めてお願い!」
「んま! 何を言っているんですか! ちゃんと復習して分からないところ見直すのが先決なのと違いますか?」
「人は時によって、正論に傷つくことがある……」
「正論って認めているなら馬鹿なこといってないで勉強しましょう!」
「でもさあ、記憶を売ったりすることできたらいいよね……いいお小遣い稼ぎになりそう……」
栞はため息をついていう。
「昔から記憶を売り買いする話はありますけれど、大体バッドエンドになってますよ。今でも中国とか韓国では、いい夢見た時にその夢を売り買いするなんて事もあるみたいですが……」
「なんかこう上手いこと特定の記憶だけ貰うこと出来ない? 勉強とえっちな記憶だけとかさあ!」
「んでえっちな記憶渡さないといけないんですか……まあ記憶はお金には換えられないほどの価値があるとボルヘスもいってますが……」
「ボルヘス? ああ、大分前になんかオススメされて読んだ記憶がある……盲目のおじいさんだっけ?」
栞はちょっと感心したような表情を浮かべると「意外と覚えていましたね! 偉いですよ!」
「でしょー? でへへ頭なでて」
「おーよしよし……これで授業の内容も思い出してくれればいいんですが……」
栞は時々無粋なことをいうのでそれについては無視せざるを得ない……。
「で、ボルヘスがどうしたって?」
「ボルヘスは自分は作家であるより読者でいたいといっていた程の読書好きだったのですが五十代で盲目になってしまいます。そのため本を読む時は母親や、近所の子供に朗読を頼んで貰っていたんですね。なので記憶ということに凄い固執していて、記憶を題材にした作品を多く残しています」
「ふーん。それで記憶を売り買いする話みたいなのが出てくるんだ」
「うーん。記憶の売買というのとはちょっと違うんですが、ボルヘスの最後の短編集に『シェイクスピアの記憶』というのがあるんですね。本当に最後だったかどうかは進行中のプロジェクトもあったため分からないそうなんですが、二〇二三年の三月末に妻のマリア・コダマが亡くなってしまったためもう永遠に謎となってしまいましたが最後に本の形になったのは短編集の『シェイクスピアの記憶』だそうです」
「はあーややこしいんだねそこら辺」
「ややこしいですねぇ。収録されている短編は二十ページ前後の作品が四つだけで全部合わせても九十ページぐらいしかないんですね。その中でも「パラケルススの薔薇」という作品は国書刊行会から九〇年代に「バベルの図書館」というシリーズで纏まって出されています。その後国書刊行会四十周年記念の時に大量のシリーズを纏めて分厚い本にし直した「新編バベルの図書館」というシリーズで発行されています。こちらは手元にあるんですが分厚くて私も読み切れていません……」
「栞でも読めてない本ってあるんだ……」
「それはもういっぱいありますよ! 分厚い本は気合い入れて読まないといけないですしね……」
「で、その「シェイクスピアの記憶」っていうのはどういう話なの?」
「ボルヘスは生涯小説作品は短編というか掌編小説しか書いてこなかったのでご自分で読んで貰いたいところですがまあいいでしょう。ある時ボルヘス自身がモデルとなっている英米文学の先生が、シェイクスピア研究の打ち上げの際に同僚から「シェイクスピアの記憶は欲しくないか?」といわれるんですね。その人自身も戦場で瀕死の重傷を負った兵士から受け取ったという話なんですが、この世には途方もない価値があって金銭で売り買いできないものがあるというんです。それがシェイクスピアの記憶だというわけなんですね。シェイクスピアの記憶を受け取る覚悟が出来たら譲り受けると、決めただけでシェイクスピアの生涯にまつわる記憶が譲られ、譲った方は次第に記憶が薄れていき、譲られた方はふとした瞬間に記憶が思い出されるという仕組みになっています。しかしその記憶は自分の記憶と綯い交ぜになり段々重荷になってきたので手放すというところで話は終わります……」
「へー変わった話だね」
「これはボルヘスにとっての文学的遺言だともいわれていますが、他の三編も繰り返しボルヘスが使い続けてきたモチーフが現れています」
「なるほど……」
「と、いうわけで本文は百ページもないんで読んでみてください。一時間半もあれば読み終わりますよ!」
「うーん。そのぐらいで読み終わるなら読んでみてもいいかも……」
「まあその前に勉強があるわけですが……」
「その記憶は消しておきたかった……」
栞は鼻を膨らませて「んま!」と声を上げると「人の勉強した記憶でテスト乗り切ろうとしていた人が何を言っているんですか!」と呆れた様子で突っ込んできた。
「分かりました、分かりましたってば! ちゃんと勉強するから手伝ってよ!」
栞は息をはきながら「ちゃんと勉強する前提ならいくらでもお付き合いしますよ」といってくれた。
「でもさあ。はるか昔に死んだ人の記憶を相続するのってちょっと面白いね。その人の伝記とか資料なしで書けちゃうじゃん!」
栞は笑いながら「その話も出てくるのですが、本人に文才がないといくら死んだ本人の記憶があってもろくな物が書けないそうですよ!」そういって手のひらをひらひらと振った。
「なんだ。ボルヘスは最初からこちらのことお見通しだったんだね」
「そりゃあ私だって考えつく話ですもの。ボルヘスが当然考えていないわけないじゃないですか。ボルヘスはアルゼンチンでペロン政権の時に嫌がらせを受けるわけですが、ペロンが国外逃亡した間は、ペロン政権に批判的だったとして真逆のいい対応を受けるんですね。それがアルゼンチン最大の図書館の館長という仕事だったのですがこの頃視力を完全に失い始めて、本に囲まれているのに読むことが出来ないと嘆いているんですね。その後ペロンがアルゼンチンに戻り政権を再び奪取するんですが大統領就任後十ヶ月で亡くなってしまい、政治的に全くの素人だった妻が大統領になります。その後軍事クーデターによってペロン政権は完全に無くなるのですが、今度は極端な赤狩りを主導する軍事政権になり、ボルヘスもその余波を受けます。ペロン政権を倒したということで軍事クーデターを賞賛していたボルヘスも次第に抗議の声を上げますがアルゼンチンの人々からは冷ややかに見られてしまいます。そのごピノチェトから勲章を受けたことによりノーベル賞を取ることは永遠になくなってしまったといわれていますが、そんなことより心の安寧を求めて度々外国を訪問します。日本にも来ているんですよ!」
「へー日本に来ているなんて知らなかった」
「眼は色を微かに識別する事ができるだけの状態だったそうで奈良では仏像に触れてその形を捉えようとしたりしていますね。ちょっと意外じゃないですか?」
「確かに意外かも……」
「そしてボルヘスは自分の最後の住処としてアルゼンチンではなくジュネーブを選ぶんですが、ここら辺ボルヘスを自慢に思いつつもどこか気に食わないと思っているらしいブエノスアイレスっ子にまた気に食わない点残してしまったそうですね」
「ボルヘスも身動き取りづらそうで窮屈だったんだなあー」
「そんなこんなで八六年の生涯をジュネーブに移り住んでまもなく終えるわけですが、その二ヶ月前に日系アルゼンチン人のマリア・コダマと結婚しているんですよね最後の最後で孤独ではなかったようです。因みにコダマさんも八六で亡くなっていますね」
「ちょっとは幸せだったのかな……」
「幸せだったと思いますよ……では勉強終わったらご褒美に『シェイクスピアの記憶』をお貸ししますよ! 内容が気になってもうどうしようもないでしょう!?」
「えー……うーん、あハイ……」
「不満そうですね……」
「テストが終わったらどこか遊びに行く方がいいかなって……」
「んま! こんな面白い本読まないなんて損ですよ!」
「いや、本は読むからどこかに遊びに行こうよ……!」
「仕方ないですね……場所は詩織さんが決めてくれていいですよ、だから本読みましょう!」
「ふあい」
そして栞から勉強を教えて貰い万全の体制でテストを受けたところ、テストの結果はそこそこよかった……。
やっぱり記憶だけ貸して貰うのが楽だよなと思ってしまったがそれを言うと栞に怒られるので黙っていた……。
色々とありまして更新大分遅れてしまいました。
本作るのって大変ですね、何度やっても慣れない……。
そんなこんなで『シェイクスピアの記憶』ですがボルヘスがよくモチーフにしていたものがどっさりと出て来るのでボルヘス好きにはオススメです。
ご興味もたれましたら是非読んでください。
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今度こそは早い目に次の話しに行きたいですね……ゆっくりすぎる更新ですがよろしくお願いいたします。