176フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストゥラ』
明日投稿するが大分引っ張ってしまいました。
予定より大分短い内容になってしまいましたがよしなに。
「栞、ソフトクリーム売ってるけど食べる?」
「いいですねぇ! 食べましょう!」
春休みも後半に差し掛かった新年度初めての日、近所の大型スーパーのフードコートに、さくら味のソフトクリームが売っているのを見掛けて思わず食べなければいけないという使命を覚えたのである。
「さくら味なんてあるんですねえ……桜色が綺麗ですねぇ……桜餅みたいな味なんでしょうか?」
「桜餅って大道寺と建長寺みたいな名前のヤツがあったよね? どっちがお餅でどっちがペラペラのヤツだったかよく分からない……」
「どれだけうろ覚えなんですか……道明寺が餅米で長命寺が小麦粉のクレープみたいなヤツですよ。私は薄く延ばしているから長い長命寺みたいな覚え方していますね」
「なにそれー変な覚え方! でも覚えやすいかも……」
そんなことをいいながら二人並んで座ると、さくら味のソフトクリームを舌ですくい取った。
鼻の中に桜の花の香りが広がる。
「鼻だけに……」とぽつりと呟き一人でプッと吹き出したら、栞がドロリとした視線を絡めてきて「上手くないですらね……ソフトクリームは美味しいですけど」といったので「すわ読心術か!」というと「詩織さんの考えることは手に取るように分かりますよ!」といった。
「あちゃーわたしのこころは丸裸かあー」
というと、栞は「詩織さんはわかりやす過ぎるんですよ」といって、ペロリと桜色のソフトクリームをまたひとなめした。
「秘密隠せないなあー」といってまたペロリと、やや大胆にひとなめすると、桜色の花の塔はゆっくりと傾ぎボタリとテーブルの上におちた。
「あっ」と栞が叫ぶと同時にわたしは「神は死んだ! 死にまくった!」と慟哭した。
「まあまあ詩織さん。日興のソフトクリームマシン使っている所なら一回までは交換してくれる可能性ありますから……期待しましょう……」
そう言われるままに店頭に戻りあれこれ説明していると、最初渋い顔をされたが店長さんが出てきて交換してくれた。
今度はソフトクリームを倒さないように、お上品とは言いがたいけれど万全を期し、舌でコーンの奥にソフトクリーム部分を押し込むとサクサク食べ始めた。
「よかったですね交換して貰えて……」
「ありがとう栞のおかげだよ」
「店長さんに感謝してください」
「でもさっきは本当に神は死んだと思ったね、死にまくりだよ! まったくもう……!」
「この場合神というのはイエス・キリストの事なので一度しか死なないから死にまくりではないですよ……あの人三日後とかに蘇りますけれども」
「何だっけ神は死んだ! って……ああーあれだ! 『ツァラトゥストゥラはかく語りき』だ! 私でも知ってるヤツ! あと深淵を覗いている時深淵もまた自分を見つめているとかの人」
「深淵云々は『善悪の彼岸』ですけれど神が死んでしまったところから始まるのは『ツァラトゥストゥラはかく語りき』であってますね。最も『ツァラトゥストゥラはかく語りき』ってタイトルはリヒャルト・シュトラウスの交響詩のタイトルでしか使われなくて、今はもっぱら『ツァラトゥストゥラはこう語った』とか単に『ツァラトゥストゥラ』というタイトルで出版されていますね」
「なにそれ、こう語ったより、かく語りきの方がカッコイイのに……」
「まあ翻訳者のカラーですよね。昔は厳格な賢者みたいなイメージだったのが、最近だと楽しいおじさんみたいな風に捉え直されているという感じみたいですよ」
「栞センセはもちろん読んでらっしゃるのですよね?」
「はい。割と最近読みました」
「『ツァラトゥストゥラ』って哲学書でしょ? そんなん読んで分かるの?」
「うーん解説すると大変学成るのですが……」
「いいよ聞くよ、聞きますよ!」
「えーでは……」
といってコホンと一息つくとつらつらと語り出す。
「そもそもツァラトゥストゥラって誰か知ってます?」
「えーとゾロアスター教だったかの開祖だっけ?」
「おーよしよしよく出来ました!」
栞が頭をなでなでしてくれるので嬉しくって「でへへ」といいながらほんのり桜色に染まった唾液を垂れ流した。
「原語ではザラツシュトラというんですが、一般的にはゾロアスターで通ってますね。世界宗教で古代世界の半分がゾロアスター教だったともいわれていたりするんですが謎に満ちた宗教ですね。それのドイツ語読みがツァラトゥストゥラです。舌かみそうですね」
と、全然舌をかみそうもなくすらすらとツァラトゥストゥラという単語を口から放つ。
唾液垂れ流しているわたしが馬鹿みたいじゃない……!
「三〇の時に山に入り、そこで一〇年間すごし山奥の洞窟の中である朝目覚めた時太陽を目にして太陽から人間は多くの贈り物を貰っているが、自分もこの山で蓄えた知恵を人々に配りたい、太陽は海に沈む、自分は太陽の真似をして沈まねばならい。それは人々の言葉を借りれば没落するということだ……という所から始まります」
「没落するために出て行くって凄いね……神はまだ死なないの?」
「なんでそんなに神を殺したがるんですか……まあ次の話で山を下りる途中に森の聖者に会うんですが、そこで神をたたえる聖者にあい、去り際に、なんてことだあの森の聖者は神が死んだことをまだ知らないのだ! と心の中で自分に語りかけるんですね。ここで初めて神は死んだというワードが出てくるわけです」
「神は死んだってどういう意味なの?」
「この世の全てが無価値になってしまったという意味ですかね。それまで最高の価値を持っていた神がいなくなってしまったわけですから、祈ることも神に感謝することも全ては意味がなくなるということ……」
「なんで神様死んでしまうん……」
「ニーチェの父親はプロテスタントの牧師の家系で、ニーチェ自身もボン大学の神学部に進学します。しかし古典文献学に鞍替えをしてそこで天才現ると持ち上げられるんですね。そして二四歳の若さでバーゼル大学の教授に迎えられるんですが、このとき『悲劇の誕生』という本を上梓するのですが、あの音楽家のワーグナーなどのニーチェの仲間は絶賛するんですが、アカデミズムからは完全に無視され、学会を追放されたような状況に陥ってしまいます。そして近代市民社会やキリスト教をかなり先鋭的に批判するようになって、その思想は後世に大きな影響を与えるのですが、当時は冷ややかな目で見られるのですね。そしてその考えを突き詰めて聖書批判にたどり着き神、つまりキリストは死んでしまったという考え方に至るわけです。そしてその考えを「ドイツ語で書かれた最も深遠なる書」「人類への最大の贈り物」とぶち上げて発行するんですが、売れ行きは芳しくなく、一部から四部まである内、第四部は四十部だけ自費出版したということです」
「ダメじゃん!」
「でも今でも読まれているということは、その後ちゃんと評価されたということですからね。学会から追放されたニーチェは保養地でルー・サロメというロシア人女流作家といい仲になるんですが、結局つかず離れずで結婚には至らなかったんですね。ここら辺もその後の彼の人生に大きな影響を与えているワケですね。この『ツァラトゥストゥラ』を理解する上で重要なキーワードが「超人」や「永劫回帰」という考えなんですが、永劫回帰とは輪廻転生のように同じ人生が何度でも繰り返し続くという考えです。どんなに酷いことも無限に繰り返す。これに耐えられるのか? というのが永劫回帰のキモで、そんな無意味でつらい人生の中にも楽しかったことがある。それも含めて受け入れることが出来れば人はその人生にイエスといった事になるワケなんですね。そして超人とはその無意味な人生の中で自分の意思でもって行動することが出来ればそれは「超人」であり、全ての人は超人を目指すべきだとツァラトゥストゥラは説いて回るわけです」
「なんか分かるような分からないような……」
「比較的分かりやすい本なのでいきなり『ツァラトゥストゥラ』から読み始めても分かりやすいですし、解説書も充実しているからそちらを先に読んでもいいですし、アプローチは人それぞれじゃないですかね?」
「そうなのぉ?」
「そうなんですぅー」
「で、ニーチェは死んでから評価されたの?」
「残念ながらそうなんです。ただ膨大な遺稿が残っていて晩年発狂して精神病院で亡くなったニーチェですが、妹さんがいてこの人がニーチェを広めたんですね」
「妹いいヤツじゃん! グッジョブじゃん!」
「それがニーチェ本人が不在なのをいいことに、遺稿に自分の思想を書き足したり、色々と余計な注釈付けたり、かなり好き勝手やってしまっていて、ニーチェ研究はこの妹の付け足した余計な文章を剥がすことから始まり、原テクストにあたるところから始まるのですね、全く迷惑な一面が大きすぎました」
「そうなのぉ……」
「そうなんですぅ……まあだから詩織さんも悪い事があってもいいことがある。そこにフォーカスすれば毎日のつらい生活も肯定することができるんです。例えばソフトクリームを落としてこの世の全てを否定したくなる詩織さんがいますよね」
「いや、そこまででは……」
「いますよね」
「はい……」
「しかしその後ソフトクリームをもう一度手に入れることが出来るという事があればその嬉しさにより自分の人生の全てを肯定することが出来るんですよ。それが永劫回帰と超人思想なんですね。神なき世の人生は荒波に揉まれる人生です。そこで自己を確立する事で超人になることが出来るんです。この『ツァラトゥストゥラ』は聖書のパロディーなのでいちいちイベントが聖書を当てこすっていたりするんですがまあそれはいつか一緒に聖書読んでみて確かめることにしましょう……」
「えーでもわたしの人生そんなにつらくないよ。だってほら栞がいるじゃん!」
「んま!」
「何度生まれかわっても栞のいてくれる人生ならわたしはつらくないよ? ソフトクリームはつらかったけどさ」
そう言って笑うと、栞は顔を桜色に染めて頭の天辺から湯気を出し始めた。
「……まあ私も詩織さんがいれば……その……」
「何よ! ちゃんといってくれないと分からないー!」
「とにかく『ツァラトゥストゥラ』読んでみてください! 哲学書とはいっても分かりやすい楽しい話として描かれているので読んでて退屈するということはないはずです!」
「えー本当にぃ?」
「本当です! はい、家に今から本取りに行きましょう!」
栞は顔を伏せたままわたしの手を取り、ずるずると引っ張り出す。
わたしは苦笑いしながら栞なりの照れ隠しなんだなと思って、あははと笑いながらついて行った。
お待ち頂いた皆様には大変申し訳ありませんでした。
体調崩していたりちょっと忙しかったりが重なってしまい遅れに遅れた上に大分短い内容になってしまいました、正直申し訳ない。
次はもそっと早く投稿したいと思います。
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ではまた近いうちに!