163イアン・マキューアン『恋するアダム』
粗筋の重要なところにはあまり触れていないのでそのままお読み頂いても、実際の本読んだときに突っかかるようなこともないと思います。
残暑も流石に落ち着いてきて、普段歩くのが嫌いわたしでも、ちょっと出かけるのには、気が向くままに散歩してみることもある。
栞と二人して住宅街の裏手にある山というほどでもないけれど、山道が整理されていて、雑木林というか森というか、そういう所の中腹にある四阿でランチボックスを開けて、栞が作ってきたサンドウィッチをただひたすらに黙々とモクモク頬張っていた。
「うまいうまい、サンドウィッチうまし!」
そう言いながら午後ティーゴブゴブと飲んでいたら栞は呆れたように「天高く馬肥ゆる秋かな」とぼそりと呟いているのを聞き逃さなかったが聞かなかったふりをした。
食後、指をぺろぺろしていると「お行儀が悪い」と怒られて使い捨てのおしぼりを出してくれた。
「やあサンドウィッチに染みこんだ栞汁無駄にしたくなくてさぁ」等と軽口を叩くと「セクハラですよ!」と抗議された。
わたしは「まあまあ、緑と風が気持ちいいのに喧嘩することもないでしょう」と、あさっての方向に論点をずらしたら、栞も「まあそうかも知れませんね」といって頷いた。
ランチボックスを片付けている時になんとなく「文化女中機だっけ? なんかのSFに出てきたヤツ」というと「ああ、あれは『夏への扉』に出てくくるメイド・ロボットみたいなヤツですね。新訳だと「お掃除ガール」とかいう名前にされてて昔のファンがずっこけたなんて話ありますね」と返してきた。
「AIも最近凄い発展しているでしょ? 早くメイド・ロボットとか執事ロボットとかできて人類のために働いてクレイかなあ」
そんなことを妊婦のように膨らんだ腹をさすりながら、気持ちよい空気に眠気を誘われつつもぼんやりと呟いた。
「メイドにしろ執事にしろ、ちょっとしたお金持ちじゃ買えないぐらい高いはずですよ。車より高いでしょうね」
「んま! 夢のないことをいう……」
「カズオ・イシグロの『クララとお日様』というノーベル賞受賞後一発目の作品がAFとよばれる人工親友が出てくる話で、アレに出てくる人工親友は普通の人に変える価格だったみたいですけれど、実際の所は出始めは目玉の飛び出る価格でしょうねえ」
と、返してくる。
「夢がない! 夢がないなあ栞クン! 普段本ばっかり読んでいるんだからもっとこう……夢のある未来を語ってよ……」
「そうですねえ……」と考え込みながら虚空に視線を漂わせて、形のいい顎に細くて白い指をトントンと宛てながら、うーんと唸ると「イアン・マキューアン『恋するアダム』ですよ」と唐突に呟いた。
「なにそれ? 恋愛小説?」
「恋愛小説とはいえるかも知れませんね。SFといえばSFなのかな?」
「へーどんなの? 近未来ロボットが街を闊歩する狂った時代へようこそみたいな?」
「逆です逆。フォークランド紛争前夜のイギリスが舞台です。この世界ではエニグマを解読した天才数学者のアラン・チューリングが生きていて、インターネットや人工知能が発達していて、ミレニアム検証問題で今でも未解決のP≠NP問題がチューリングによって解決されていて、そうした問題の解決方法やロボット技術コンピュータ技術などの基本特許を全てフリーでオープン・ソースとして全て無料で公開されており今よりよっぽど技術的に発達していた世界なんですね。主な変更点は二つ、チューリングが生きていることと、イギリスがフォークランド紛争で負けたことですね。そういう世界観です」
「へー有り得たはずの世界……みたいな?」
「そうですね、そう思っていただければ間違いないかと思います」
「四〇年ぐらい前の未来の話みたいな?」
「そんな感じですかね。主人公のチャーリーは色々山っ気を出して事業を失敗させ続けていて貧乏の君にある時に、母親の遺産が転がり込んできて、その虎の子のお金で十二体作られたアダムと十三体作られたイヴという初めて実用化されたといわれるアンドロイドを買ってしまいます。その価格当時の価格で八六〇〇〇ポンド……!」
「そんなに……っていくらなの?」
「現代の日本円でおおよそ千六百万らしいです」
「たっか! たっけ! その日暮らしなのにそんなの買っちゃったの!?」
「破滅型なんですね、ボロアパートの上の階にはミランダという女子大生がいて暫くした後に十歳も年上のチャーリーと恋仲になります。アダムは見た目は浦東に人間と変わらず、心臓も動くし、体温はあるし、皿洗いからおしゃべりの相手まで何でも出来るしという感じの触れ込みで大々的に販売されていきました。件のチューリングもバラバラにして調べるために購入したというのが後々にかかってきますがそこら辺はネタバレになので飛ばしましょう」
「んま! わたしが読むこと前提にされている気がする!」
「面白いので、是非読むですよ!」
「しょうがないなぁーもっと読みたくなる情報よこして……」
「このアダムとイヴですが、そういう目的のものではないにしろ性器もちゃんと作り込んであって、体内にためれた水をもちいて動かすことも可能ですあと、夜になるとおしっこもします、ここらへは作り手の何かそういうこだわりっぽいです」
「えってぃー!」
「まああるとき事故が起きるんですが、チャーリーはアンドロイドに彼女を寝取られた最初の人類という称号を受けざるを得なくなります」
「えーとつまりそれは……」
「そういうことです」
栞あっさりと言ってのけた。
「まあそれでチャーリーも悶々として行くわけですが、アダムに掴みかかろうとした時に腕取られてポキッと骨がいっちゃいます」
「分かった! 廃棄処分になるのを恐れて逃げ出すアンドロイドと人間の熾烈なこうぼ……」
「違います。誰にも訴え出ません。チャーリーはアダムをより人間に近づけるためにイギリスの街をあちこち連れ回します。そしてある時のことですが、チャーリーがなんとか食べていくための仕事にしている株式の取引でアダムが後ろから覗いていて、もうちょい待ってから売った方がいいよとかなんとかアドバイスするんですね。そのうちアダムに五〇ポンド預けて株式売買させたら最初は失敗したものの次の日からは倍々ゲームでお金が増えていき贅沢な生活が出来るようになります。川向かいの高級住宅地に家を買う契約をしたり、おんぼろ車を自動操縦カーにしたり、ミランダと結婚したり、この間に知り合った不遇な子供を養子に迎えようという所までトントン拍子で話が進んでいきます」
「うらやましー。千六百万円って実は滅茶苦茶お得なのでは?」
「まあそこにもどんでん返しがあるから物語は深みを増すんですが、販売されたアンドロイド達が次々と自分の境遇に絶望して自らの機能を壊していき自殺するという事件が起こります。だけどチャーリーのアダムにはそういった兆候がない。そしてチューリングが出てきて話の聞き取りをするわけですが話は意外な方向に進んでいき……といったところで読んでください!」
「まあいいけどさぁーよむけどさぁー今は本の話よりこの心地よい木漏れ日と風に身を任せてだらだらしようよー」
「いいじゃないですか。今日なんか絶好の読書日和じゃないですか! 普段読み切れない分厚い本とか、逆に外でさらっと読める文庫とか持ってこないのは逆に失礼ですよ!」
何に対して失礼なのかはよく分からなかったけれど、どうあっても本を読ませたいらしい。思い込みなのかも知れないけれどそういう何か圧を感じる……!
「はぁーなんか脳味噌に本を放り込むだけで読んだことになる機械出来ないかなあ」
「アダムも夜間の充電中はインターネットで世界中の文学を乱読しているそうですよ」
「何それ! うらやましい!」
「情報を得るだけが読書じゃないですよ。アダムの場合俳句とかに凝り出したりするんで我々よりよっぽど知的営利をしているのかも知れないですが……」
「うーん便利なのも善し悪しだねぇ。うらやましいけれど」
栞は腕を組んで鼻から息をフンスと吐き出すと「まあわたしもちょっとうらやましいと感じなくはないですが……!」といった。
「詩織もそう思ってんじゃん!」
「私は色々と検討した上でですね……!」
秋の空の木漏れ日の下、きゃいのきゃいのと二人してふざけあっていた。
アンドロイドが実用化するまで生きてられるかあとボンヤリ思い、介護用アンドロイドに囲まれて詩織と同じ老人ホームに住んでいるところを想像してフフフと笑うと、栞が「何を笑ってるんですか?」と笑いながら聞かれたので「秘密!」といってやった。
と、言うわけでイアン・マキューアンのSF的作品ですが、色々と人とそれ以外の生き物。
さらにはテクノロジーが発達した結果どうなるかなどの問題がちりばめられています。
やや長めですがサスペンス的な展開もあり楽しめる一冊だと思います。
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ではまたなるべくまた近いうちに、では!