158ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
特にネタバレとかは無いですが、解釈があっているかどうかは分からないので眉唾でお願いいたします。
「栞さんや」
「なんですか藪から棒に」
「読書していると脳味噌が活性化してなんとかホルモンがドバドバ出て頭がよくなったりリラックスできたりすると聞きました」
「なんかのテレビで見たんですね……」
「はい……まあそれはそれとしてわたしも、栞ほどじゃないけれど文学少女名乗ってもいいかななんて思い始めているんですよ」
「私は別に文学少女とというわけでは……」
「あります」
「……そうですか」
「んでね、文学少女賢そうじゃん。だから薄くて読んですぐに速攻で頭よくなりそうな本紹介して」
「んま! 藪から棒に頭の悪そうなことを!」
「だってクラスの男子が、お前図書室にしょっちゅう寄っている割には知性を感じないとかいってくるんですよ、速攻ボコにしてコンクリ詰めてどこか深いところに沈めてやりたくなるじゃない!」
「その考え方がもう頭悪そうですよ!」
わたしは口元で栞の手を両手でガシッと掴みつぶらかな曇りなき眼で、彼女の目をじっと見据えると「お願い栞!」と直裁に頼んだ。
「……もうしょうがないなあ詩織さんは……」
と、ぷつぷつといいながらも一冊のぺらい本を取り出した。
「ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』です、本体部分は一三〇ページもないですよ」
「てつがくぅー!? あのソクラテスとかプラトンとかのてつがくぅー!? 人間に読みきれる物なの!?」
「まあまあパラパラ開いてみてみてくださいよ」
「うーん哲学って人間にはまだ早い学問なんじゃないの? ってか何の役に立つ学問なの……」
「そういうこと人文系の人の前でいうと命取りになるので、あまり深く考えないように」
「はい……ってか細切れの一口メモみたいなのが延々と付いているけれど、これが本文なの?」
「それが本文です。読むだけならばと前置きしておくと三時間もかからないで読めますよ」
「へぇーいいじゃんいいじゃん! こう言うのを待っていたんですよわたしは! サンキュー栞センセ!」
で、暫く読んでみたところでわたしはふと、鬼門に思った……。
「栞や」
「なんです?」
「さっきから読み進んではいるけれどサッパリ意味が分からない。あと変な数学の記号みたいなのが出てくる! 読み方からして分からない! 栞はこんなの本当に理解できたの!?」
栞はにやーりと笑うと「私も所々しか分かっていないし正しいのかどうかさえ判断つきません」とかなんとか言ってきた。
「そんなんじゃ意味ないよぉー」
「まあ普通はよく分かるなんとかシリーズとかから読み始めるべき何でしょうけれど、薄い本をお望みだったので原液でお渡ししました」
「世の中にはこれ理解している人がいるって事でしょ? 何その人? 本当に人間!?」
「まあ私もあんまり理解できてないんですけれど、たとえ話で解説してみませうか」
「お願いいたしやす」
「ヴィトゲンシュタインは一八八九年にオーストリアはウィーンでうまれました。この年生まれた有名人というと哲学者のマルティン・ハイデガーがいますね。学校の同学年にはあのヒトラーもいました」
「ヒトラーってアドルフの?」
「はい。まあ実際は自分は凡人だと常々いっていたヴィトゲンシュタインは飛び級して上のクラスにいて、自分は他の馬鹿ばかりの連中と違って煌めいていたとかいってたヒトラーは留年してしたの学年にいたので、顔合わせたことがあるんじゃないかな程度の繋がりだったそうですがまあおいておきましょう」
「ヒトラー……」
「ヴィトゲンシュタイン家は父のカールが鉄鋼業で一代で財を成してヨーロッパ屈指の莫大な富を持っていたんですが九人兄妹の末っ子で、それぞれ子供達は家庭教師をつけられて帝王学みたいなものをビシバシたたき込まれていました。三人いた兄たちは第一次世界大戦の時の部隊の退却の責任を取ってピストル自殺したりゲイだったのを苦にしてバーで服毒自殺したり、ピアニストとして成功したけれど第一次大戦で手を吹っ飛ばされてしまったりしたそうです。この人については片腕のピアニストとして復活するんですが、第一次大戦で同じ目に遭ったピアニストって結構いたようでラヴェルとか結構大御所作曲家も片手のためのピアノ作品集なんかのこしてますね。ついでにルートヴィヒも諸説あるものの限りなく黒に近いゲイだったそうです」
「人生勝ち組のハズなのに呪われた一族過ぎる……」
「ヴィトゲンシュタインは最初は工学を学んでいてプロペラの設計の仕事をしていたりしたのですが、兄妹達の不幸や自身も第一次大戦で死ぬ瀬戸際に追い込まれたことを理由に哲学や論理学に目覚めます。そして色々と周りの偉大な先生達に恵まれて大学の正教授にもなるんですが、父の死後受け継いだ莫大な遺産を人にくれてやってしまって、自分は質素な家に住み田舎の小学校教師になります。そこで神は存在しないとか、事実のみが全てとか自分の思想を小学生に教えて変人扱いされるんですが、本人にとっては子供達とふれあえたのがよかったようで、恩師に、前まではとても落ち込んで死にそうだったのに、今は生きる希望がありますという訳です。ただ暴力事件を起こしたと訴えられて無実にはなるんですが小学校はやめてしまいます」
「はらんばんじょー」
「まあそのあとイギリスに渡って大学の教員になって、ナチス・ドイツのオーストリア併合を目にしてイギリスに帰化するんですが、この『論理哲学論考』はそれよりかなり前の二十九歳の時に書かれています。この本によって哲学は事実上全ての問題が解決し、自分は以後の哲学者になったといって、哲学を破壊したという訳ですね。これは「語りえぬ事については沈黙しなくてはならない」という訳なんでよ。これは岩波の古い翻訳なんでちょっと力が入りすぎているらしくて最新の翻訳だと「語ることが出来ないことについては、沈黙するしかない」というわけです。これがこの本のエッセンスでそれまでの哲学って神の存在や究極の真理とは何かという事について語るのが哲学の大きなテーマではあったのですが、これが「語りえぬもの」なんですね。ヴィトゲンシュタインは言葉の厳密性についてよりクリアにすることを哲学者の仕事として何度も上げていた通りに言葉の厳密性を浮き立たせたのですが、その言葉では語りえぬものがババーンといるというわけですね。だからそんなものは語り得ないので哲学はもうおしまい……なるわけです」
「うーん何か分かってきた気がするかも……」
「でもまあみんなが納得し始めた頃になってちゃぶ台返ししているんですよね」
「どゆこと?」
「例えば「もいやーんぬ」という言葉があったとしますよね」
「はい、もいゃーんぬありました」
「『論理哲学論考』では意味のないものとされたわけですが、これを私が怒りながら「もいゃーんぬ」といったとしますよね? すると「もいゃーんぬ」ってどんな意味だと思います?」
「可愛い……じゃなかったなんか怒っている言葉だと思う」
「私が爆笑しながら「もいゃーんぬ」といったとしたらそれはまた違った意味になりますよね? 状況に応じて意味のない言葉が意味がある、これを言語ゲームといいます。ヴィトゲンシュタインはよくある見方によって別な絵に見える絵を使って説明しました」
栞はメモ帳にふにゃふにゃのせんでなんか不気味な生き物を描いた。
「はい。これは兎でしょうか、アヒルでしょうか?」
「あーはいはい。確かにどっちにでも見える」
「ではここにカメの絵を描き足してみますね」
「あーウサギとカメになった!」
「連想されるものによって正しい答えが得られるわけです。この言語ゲームから語りえぬものを追うのではなく、純粋に言語を探求するようになるんです。これを言語論的転回といいます」
「はえー面白い方向にぶっ飛んでいくのね」
「まあ今まで言葉が誤っているのではなくて意味のない言葉として語れないものを捨てて破壊してきたわけですが、これによって哲学はもうおしまいとしたのが、あとからひっくり返ったので当時はかなりビックリされたようですね。言葉の意味を考え続けることは生きることを考え続けるのと同じ事だったようです。父親のカールは舌癌で亡くなっているのですが、自殺して半減した兄妹達も年を取ってから癌の魔の手にかかり、ルートヴィヒも最後は癌で亡くなっています。最後の言葉は「皆さんに伝えてください。私は素晴らしい人生を送った、と」だったそうです……」
「波瀾万丈が過ぎる……」
「生の問題を人はその消失という形で気がつくという言葉があります。お悩みがあって悶々として解決せねばと思い込むより、端からそんなことはなかったと忘れてしまうことによって問題は消え去るというのですね、だから詩織さんもクラスの男子の言葉なんて忘れてしまえばいいんですよ!」
「なるほど! もう『論理哲学論考』は完全に理解した! 完璧! わたし賢い! クラスの男子が馬鹿!」
「まだ何にも理解してませんよ! しかも周りを下げて自分を上げるのってヒトラーがやってたっていったばかりじゃないですか!」
「おうふ……」
「まあ正直私も解説書の類い読んで理解した気になっているだけで論理記号とかは訳分からないので参考までにそういう考え方があるよ程度にしておいてください!」
「はぁ……哲学ってムズカシイ……」
「まあこの本が飛び抜けてムズカシイと思いますよ。哲学三大難書といわれる『純粋理性批判』『現象学』『存在と時間』で今ハイデガーの『存在と時間』ちょっと囓り始めましたけれどこっちは何度も読めば少しずつ理解できる手応えあるけれど『論理哲学論考』は未だにサッパリでしたし……あ、折角だから……」
「お断りします」
「まだ何も言ってないじゃないですか……」
栞が口を尖らせて不満そうに呟く。
「その三大難しい本一緒に攻略しようとか言い出すつもりだったんでしょ?」
栞は口元に人差し指を当てて天井に視線を投げやると「語り合えないものについては沈黙するしかない」と呟いた。
わたしにはまだ哲学は早すぎるようだなあとおもい、知性とか本多少は読んでいるから賢いガールになっているかとも思ったがあまりそんなこともなかったようだ。
わたしはため息をつき「軽いエンタメならお付き合いしますよー」といった。
栞は目を輝かせて「うーん何を選ぶか迷いますね!」とあまりにも変わり身が早かったので思わず二人して顔を見合わせて笑い合ってしまった。
暑い八月ももう終わる。
九月も残暑が厳しいのだろうか?
そんな先のこと偉い人が天気観測してない限り語り得ないなあと思った。
ショーペンハウアーの『読書について』依頼の二度目の哲学書ですが、上手くかみ砕けているかどうかは分からないので、頭のいい人は適当に突っ込んでください。
へーへーへーっていいながら見てます。
そもそも大学の専攻生理学だったしなんで哲学書とか読んでるんだろう自分……とは成っていますが世の中わからないもんです。
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では今度こそまた近いうちに!