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155石川宗生『ホテル・アルカディア』

というわけで比較的近刊本をネタにしてみました。

とりあえず深くないように触れてはないので未読の方が読まれても大丈夫だとは思います。

「暑い……暑いじゃないか……」


 夏休みに入って、今日は図書室閉めるぞの一言で空調ガンガン効かせても文句の言われない図書室から閉め出され、栞とたまにやってくる公園の人工の小川に足をつけてちゃぷちゃぷやりながら木陰でなんとか涼をとっていた。


「あんまり暑い暑いいわないでください、今日三十七度もあるらしいですよ……」


 どうにもこうにも快く吹く風が一様に生暖かいボイラー室からの風のように感じるのは、単純に気温が高いという、理屈通りの理由だったようだ。


「今日は外で勉強するの諦めてどこか涼しいところに移動しようよ……」


「そうですね、たまには冷房ない所で体を慣れさせようなんて言い出してはみたものの、流石にこれは暑すぎていけません。体壊してしまいます……」


 そういって温まった人工の小川から足を出すとタオルでふきふきしながらどこへ移動するかという話になった。


「私の家でも詩織さんのお宅でも、何なら久しぶりに喫茶店でもいいですけれどどうしましょう?」


 わたしは栞の白くて細い脚に脱ぎたての黒ストッキングがシュルシュルと覆っていくのをガン見しながら心ここにあらずといった感じで「どうしようかねぇ」と気のない返事をした。


「持ち合わせに余裕があれば喫茶店にします?」


「んーピンチというほどでもないけれど、そろそろ月末だから節約したいな」


 と、いいながらスマホをぐりぐりみていたら「今日は一年で一番暑くなる『大暑』の日です」なんてやっている。

 道理で暑いはずだと栞と天に向かって唾を吐きながら文句を垂れ流しに垂れ流していた。


「たまには私の家じゃなくて詩織さんのお宅にいってみたいですね」


 栞がそういうので、わたしが好きな女がわたしの部屋に一人で来るぜゲヒヒと思ったけれど、破滅的に部屋がきちゃないのを思い出して「ごめん。人類が立ち入っていい部屋じゃない」といって泣く泣く断った。


「じゃあ私の家ですかね。いつもコーヒーなのも何ですから気分を変えてアイスティーでも飲みながら体が冷えるまで待ってから課題しましょうか」


 と、すばらしい提案をしてくれる。


「体が冷えるまでの間はなにする?」


「詩織さんにお勧めの本ありますですよ」


「まあ栞のいうことだからそんなこったろうとは思ったけれど……まあいいや、この暑さから逃げ出すためには何だって読みますよ……」


「んまっ!」


 道すがら栞がオススメの本について語り出す。


「今回お薦めするのは比較的最近の本ですよ! 石川宗生『ホテル・アルカディア』です!」


 そう言いながら鞄から分厚い本を取り出した。


「んまーお厚いこと!」


「何言ってるんですか三百五十ページもないですし、掌編メインの枠物語ですから、割と中身スカスカとはいいませんけれど、字でギッチリって事もないですから詩織さんでも一日あればふつーに読み終わっちゃいますよ」


「ほんとぉー?」


「ほんとぉー!」


 ハードカバーの単行本だった。

 なんか幾何学的な図案に色々な文字や広告のような絵がコラージュされている。


「いやーん。オシャンティーな装丁!」


「ちょっと読みたくなってきたでしょう?」


「ちょっと読みたくなってきました」


「すごーく簡単にあらすじを説明すると、アルカディアというホテルの支配人の娘、プルデンシアが大学を途中で抜け出して、一切口をきかなくなり、その内ホテルの離れのコテージから一歩も出なくなってしまった所で、ホテルのプログラムで、一人最長半年間芸術を志す人が滞在できるプログラムがあり、その制度で集まった七人の芸術家達が、コテージの近くでそれぞれが考えた面白い話をして、プルデンシアを慰め、可能ならコテージから出てくるように促そうと、いう企みにより二十一の掌編がテーマごとに語られるというお話です」


「掌編ってみじかーい話でしょ?」


「原稿用紙でいうとこの本だと十五枚から長くて三十枚ぐらいのお話ですね」


「いいじゃない。短い話でサクサク読めてサクサク面白い話好き」


「ジャンルでいうとSFなんですが、手を変え品を変え不思議な話が開陳されていきます」


「へーなんか作るの難しそう」


「難しいと思いますよ。元々は小説すばるという雑誌に月二本掌編小説をのっけてくれといわれたところから書き始めたそうですが、ホテルの設定には元ネタがあって、あのロックバンドのビートルズがインドで瞑想なんかを体験するために滞在中に、神に近づくために瞑想にのめり込みすぎて部屋から出てこなくなっちゃったアメリカの女優の妹に声をかけ続けたという話しがあって、それを元に曲も書かれているんですが、その話が設定の元ネタになっているようです」


「ほへーん元ネタありか」


「石川宗生という人は翻訳家でもあるそうなんですが、ラテン・アメリカの文学に深く傾倒していて、その影響がかなり強く出ています。七人の芸術家は『プリズマ』と呼ばれているんですが、これはアルゼンチンの大作家ボルヘスが作った壁雑誌からとっているそうです。ラテン・アメリカの作家だけでなくてギリシャ・ローマ時代の作家や中世ヨーロッパの作品や作家なんかの名前を借りてきたり、お話に作品を絡めたりと、一介の文学マニアという視点も大分色濃いですね」


「えー難しそう」


「大丈夫ですよ。知っていたら余計に楽しめるけれど、知らなくてもそれはそれで楽しめるというタイプの作品です。軽い馬鹿話から美しい話、珍妙極まりない話など色々と味わえる作品です」


「なるほど知っていた方が楽しめるってネットでよく言われている教養があると楽しめるから教養あった方がいいとかいうやつー?」


「まあ教養にしろ知識にしろ大抵のものはないよりあった方がいい場合が多いですけれど、私自身はあまり教養というものを信用してなくて、教養主義に落ちると頭でっかちになってしまうところがあるとは思うんですが、まあそういう面倒な話は置いておきましょう」


「置きましょう」


「掌編小説なのであらすじや設定あまり言い過ぎると面白さ激減してしまうので、個人的に気に入っている話というかモチーフの話だけ一つご紹介しましょう」


「おーけー!」


「「チママンダの街」という作品なんですが、私無限に街が広がっているとかそういう設定やヴィジョンの作品が好きなんですね。で、このチママンダというのはチママンダ・ンゴズィ・アディーチェというアメリカ在住のナイジェリアの女性作家から取ってるんだとは思うんですが、まあそれは置いておいて、チママンダという人をたたえてバベルの塔のような雲の上まで続く建物が作られていて、頂上を目指して帰ってきた人は一人もいないという言い伝えがあるところに学者や冒険家達からなるチママンダの街の調査隊が組織され、天辺を目指して旅をするという話なんですよ」


「へー確かになんか面白そう。壮大な秘密を巡るアドヴェンチャーっていうの? 他にどんな話あるのか知らないけれど設定はワクワクさせてくれるね」


「寡作だけれど、どれもこれも権威ある賞総なめにしているSF作家のテッド・チャンという人がいるんですが、その人のデビュー作がバベルの塔を作っている人たちの話で、天辺を目指して旅をするという大体同じような設定なんですがこちらも私凄い好きなんですよね、で、まあこれ以上いうとネタバレになるので読んで判断していただきたいのですが、私はこの「チママンダの街」を推しますね!」


「ふぅん、そんなに面白いんだ」


「あと短いのでどれもこれも読後感はサッパリしていますね。物語の構造としては芸術家が話の前にテーマを示す「愛のアトラス」とか「時のアトラス」なんていうホテルを巡る小話がされたあとに最初のアトラスで、アトラスを含むと七話、次ノーマで六話、更に次で五話と減っていって最後はアトラスの話だけになり、その芸術家達がプルデンシアに語りかけた八〇年後の話で、それぞれの芸術家がフルデンシアが結局どうなったのかというオチを全員バラバラなことを書いて出版してますよというところで終わりになります。この最後のサゲ方が単純な枠物語などとちょっと一風変わった味を出させているんですね」


「ふむ。確かに文字ギッチリっていうよりは次の話次の設定って感じで話進んでいるね」


 と、本をパラパラとめくりながら頷く。

 汗がぽたりと紙を濡らしそうになるのを避けて、目次を読んでいく。


「目次からだと内容よくわかんないのばっかりだけれど、確かに惹かれるものがあるね」


 そういうと栞は汗を額にきらめかせながら「でしょ?」といった。

 ちょうどその時栞宅についた。


「じゃあ詩織さんは、部屋に引きこもった私を引っ張り出すお話考えてくださいね」


 なんていってきたので「この暑さじゃ何も考えられないから先に引きこもれる涼しいところ用意して!」と叫んだ。

 栞は笑いながら「特別ですよ」といって玄関からまっすぐ部屋に向かい空調をピッといれてくれた。

 涼しさのあまりプルデンシアじゃなくても引きこもるわこれと思いながらぼんやりと、今までしていた話も切り取り方次第で一つの話になるのではないだろうかと、とりとめのないことを考えながら、栞が用意してくれたアイスティーをがぶ飲みしてお茶菓子に突撃した。


「まあ私たちも何か一つぐらい面白い話作れたらいいんですけれどね」


 なんて栞が言うので。


「栞のはなす話はわたしにとってはなんでも面白いよ」


 といったら、タオルで拭いたばかりなのにまだキラキラと汗で光っている額に髪の毛を張り付かせ「んまっ!」と叫んだ。

 私にはその姿がどうにも色っぽく映っていけないなあとぼんやりしながら考えていた。

文学作品モチーフのアイデアが大量に出てくるので知っていると楽しいけれど知らなくてもなんとなく面白いと思えるような作品だと思います。

枠物語という構造が好きなので中々楽しませて貰いました。


雑談や一言感想何でもあれば感想欄に放り込んで頂けると励みになります。

感想書くのは面倒臭いという向きの方は「いいね」ボタン押して頂けるとフフッとなるのでよろしくお願いいたします。

読んだ本のストックは入院中と言うこともあり大分増えたのですが、どういう切り口で書いていくか悩みどころなので、毎月性格の違う掌編を二本とはいえ書き続けるプロは本当に凄いなと思います。

それではまた近いうちにお会いしましょう。

ではっ!

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