145ハーマン・メルヴィル『書記バートルビー』
今更ですが『書記バートルビー』のネタバレありになります。
一応古典だしあまりそこら辺気にしていなかったのですが、ネタバレがあるときは一応書いておこうかなと思ったので、これからは覚えてたら書いていくと思います。
あと更新するの大変遅れて申し訳ありませんでした……!
「栞、今大変なことが判明した……」
図書室に駆け込むなりわたしは恐ろしい現実に直面したことに恐れおののいていた。
「んま! 何ですか藪から棒に……」
「連休後半なんもせずだらだらと一日過ごしてたら光の速さで休みが溶けて、今に至る……」
「んまっ!」
連休前半は栞と映画見に行ったり遊んだりしていたけれど、間挟んで連休後半は栞が祖父母の家に行くとかでいなかったので、暇を持て余し、金欠でもあったので家でなんか動画サイトとかずっと見てたり、ずっと寝てたり、ずっと動画サイト見てたり、ずっと寝てたり、あとはずっと寝てたりしたことに、連休が終わって最初の一日が終わる頃になって、いきなりぼんやりと脳に靄がかかっていた状態からいきなり目覚め、この恐怖の体験を栞にせねばならないと思い、実行したというワケである。
「結局寝ている時間以外だらだらと動画サイトで無駄に動画見て過ごしたらいきなり貴重な連休が終わっていたことに、遅まきながら気づいて、今になって慌てている、と、いうことですね……」
わたしは真顔で無言のまま唾を飲み込み力強く頷いた。
「まあ詩織さんらしいといえば詩織さんらしいですが……動画見ていた時間は楽しめたんだからいいんじゃないですか? あと眠りすぎると体内の時計がズレて脳にストレスがたまって鬱の原因になるとか聞いたことありますけれど……」
「やめて! さらりと怖い情報追加しないで!」
「まあ私も連休の後半は祖父母の家へいって暇な時間はいつも通り本ばかり読んでいたのでまあ時間を娯楽に使っていたという使い方は詩織さんと大差ないですが……」
「そこでネット見ながらだらだらしないでなんか本読んでいたというところがなんかインテリゲンチャな感じがして、そこからして違うんですよこのインテリが!」
「えっ! 私なんで怒られてるんですか!?」
「なんかわたしの場合は、ネットにかまけててギリ学校の課題終わらせただけが成果というのがダメダメだから時間無駄にした感じ強くて……」
「いいじゃないですか。課題ちゃんと終わらせたんなら最低限やることはやっているわけだし……」
「後に残るものが何もない虚無感が強くて……」
栞は白くて細い指を、薄いピンク色の唇に当てて視線を天井に泳がせて「うーん」といって何か閃いたように「あっそうそう」といって鞄の中から本を取り出した。
「ジャジャーン! ハーマン・メルヴィルの『書記バートルビー━━ウォール街の物語』でーす!」
「ジャジャーン! って……なにそれウォール街の物語ってなんか金融サスペンスみたいな映画の原作かなんか?」
「旅行中に読んだ本の一冊なんですが、この本を今こそ詩織さんに読んで欲しいなと……」
「えー今の流れでオススメの本? 栞はいつでも変わりませんなあ……」
「ハーマン・メルヴィルはご存じで?」
わたしは、両のこめかみに拳を当ててぐりぐりしながら考えに考えた。さび付いた脳細胞をガッツリと再起動させて考えた。
「あっ! 分かった! あれだ『白鯨』の人! 当然読んだことないけれどな、ハッハッハ!」
「はい、ご名答! 詩織さんに三〇〇〇点追加!」
「やったぜ! で、そのポイントは何かと引き換えられるの……?」
栞はガン無視してメルヴィル語りを始めた。
「『白鯨』はご存じの通りサマセット・モームの世界十大小説に選ばれた傑作の一つなんですが……」
「ご存じない……」
栞はガン無視して語り続ける。
「読んだことがなくてもモビー・ディックやエイハブ船長とかコーヒーチェーンのスターバックスの名前の由来になったスターバックなんかは耳にしたことあるんじゃないかと思います。その『白鯨』のすぐ後に書かれたのが『書記バートルビー』です。どんな話かというと、その頃勃興してきた資本主義の波に乗っかった金融街の聖地ウォール街の会社の契約書なんかを取り扱う弁護士が語り部です。お金持ちや社会的に重要な位置を占める人達に囲まれながら静かなオフィスで仕事をするのが好きだという弁護士事務所何ですが、午前と午後で人が変わる無茶苦茶な部下だとか小間使いの少年だとか一癖も二癖もある人たちと日夜契約書なんかの代書や写しを取る筆耕に明け暮れているのですが、その写し書きを作るのに手が回らなくなって雇ったのがバートルビーという青年なんですね」
「それがなしてわたしにオススメで?」
「バートルビーは最初やってきたときに、黙々と朝から晩まで退屈極まりない契約書の写しを取る筆耕作業に明け暮れていて、昼も小間使いの少年に小銭を握らせて買ってきて貰ったジンジャー・クッキーを少しかじってはまた仕事を続けるというストイックが過ぎる性格なんですよね」
「ははーん、詩織さんもそういう真面目なところが……」
「黙らっしゃい」
「黙らっしゃい!?」
「あるとき写し取った書類に誤字脱字がないか確認する重要な作業である読み合わせを行うことになるのですが、これはもちろん業務の一環なわけなのでバートルビーも呼ばれるわけですが、バートルビーは「わたくしはしない方がいいと思います」といって理由もいわず拒否するんですね」
「肝が太い」
「はい。その場はまあ仕方ないみたいな感じになるのですが、業務が拡大したことによりバートルビーが雇われたわけなので、この読み合わせの回数はドンドン増えていきます。しかし何度言っても「わたくしはしない方がいいと思います」としか答えず、筆耕以外の仕事であると。ちょっと離れたところにある郵便局まで行って荷物を投函してくれという頼みにも「わたくしはしない方がいいと思います」と同じ台詞で答えるわけですね」
「それはサクサク首にされちゃうんじゃないの?」
「ええ、語り部も何度も首にしようと思うのですが、人のいいところがあって中々踏ん切りがつかないんですよ。で、あるときバートルビーがオフィスの部屋から一切外に出ずビルの中で寝泊まりし続け仕事をしている事に気づくわけです。で、これはやっかいだと思って遂にお金を握らせて田舎へ帰りなさいと、で、お金の不安があったりしたら助けてあげるから遠慮なく連絡してくれていいからといって退職を勧めるのですが、やっぱりここでも「そうしない方がいいと思います」といって置かれたお金には手をつけず、一日数枚のクッキーだけで過ごしているんですね。遂に筆耕の仕事もしなくなり何を言っても「しない方がいい」としか答えなくなり、堪忍袋の緒が切れた雇い主はバートルビーを追い出すのではなくて、自分たちが出て行くことにするわけです」
「どゆこと?」
「もっとお役所に近いビルに引っ越しするんです。バートルビーを置いて箱の方を移動させちゃうんですね」
「超強引!」
「まあそんなこんなでバートルビーは他人のビルから動かず、階段の踊り場で寝泊まりしていくことになるのですが、新しく入ってきた宿主に「あいつ全然出て行かない! なんとかして!」と弁護士に連絡が来たりするんですが、いって何を言ってもやっぱり「ここから動かない方がいい」としかいわないんですね。結局不法滞在だかで警察に捕まるのですがもう何もせず、そこに存在しているだけのバートルビーは大人しく捕まります。弁護士は人がいいいところが出てしまって拘留されている警察署に面会に行ったりするわけですが、模範囚ということで塀際の中庭に出ることを特別に許されているので一日中そこから動かずぼんやりとたたずんでいるのです」
「逆に忍耐力凄すぎるわ……本当に何にもしないの?」
「はい。出入りの調理人にお金を握らせて、バートルビーにはいいものを食べさせてやってくださいとまで頼んでやるんですが、もう何も食べずにただただ佇んでいるだけの存在になります」
「死んじゃわないの?」
「ネタバレになりますけれど、最終的にバートルビーは死にます。ここら辺カフカの「断食芸人」に滅茶苦茶よく似た展開なのですが、弁護士は葬式にまで出てやるという付き合いの良さでバートルビーに思いを馳せて終わるのですが、バートルビーの前職が郵便局の下級労働者で、デッド・レターと呼ばれる行き先不明の郵便物を処分する係だったことが分かり、自らもデッド・マンになってしまったと弁護士が嘆くところで終わります」
「何なのその話……」
「不思議な話ですよね。細かいディティールが命な部分の所のある話ですから、ネタバレがあっても新鮮に読めると思うので、是非読んでみてください。まあ短いですから一、二時間といったところですかね」
「んじゃあ読んでみるけれど、もしかしてわたしにオススメした理由って……」
「はい。詩織さんが怠惰な方に振り切れたバートルビーみたいだなって思って……」
わたしは「むきゃー」と叫んで栞の両の肩を掴み「わたしそんな死に至るほどの暇人してたってこと!?」と問いただした。
栞はどこかそっぽを向いて「人間の人生って三万日らしいですからね……一万分の一しか経ってないと考えるか、一万分の一も過ぎたと考えるかは詩織さん次第ですが……まあ人生には緩んだ時間も必要ですしね!」
なんかとってつけたように肯定されたけれど内心すごくもやっとしている。
「まあ追加情報としてはメルヴィルは裕福な生まれだったけれど、子供の頃に家業が傾いて大学には行けず、捕鯨船や軍艦を渡り歩く海の男になるわけです。その体験を小説にしたら? といわれて大作家になるわけですが『白鯨』の中で「捕鯨船での暮らしこそが自分にとってのハードードであり、イェール大学だ」という台詞があるそうなんですが、これはまあメルヴィルの半分本音、半分新身節の強がりでしょうね。そしてお金に振り回されてたことで資本主義やお金に対する恨みもあったらしくて当時発表されたマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』まあいわゆる『プロ倫』ですねこの中で展開される、労働による蓄財は神のご意志にかなっているという理論展開にかなり反発していたらしく、キリスト教社会という世界観と、その中での資本主義に対して矛盾点や不条理な部分に対して意見する小説であるとも言われていたりします」
「『プロ倫』はタイトルだけ知っている。っていうか授業でやった記憶が薄らある……ぜ」
栞はニコニコしながらわたしの腰を抱いて体を密着させると「おーよしよし、偉いですねぇー」といって頭をなでなでしてくれたので、わたしも得意になって「でへへーでしょでしょ?」と答えた。
そして一瞬眼鏡をギラリと光らせると「まあ詩織さんが連休の後半をバートルビー並の意味不明な溶かし方したという点については変わらない訳ですが……」とぼそっと呟いたのでわたしは「ぐえー」と呻いた。
「まあ詩織さんはそういうのもいいと思いますけれどね。無駄にしたとはいえ楽しんだわけですし、人生弛緩する時間帯も間違いなく必要ですし……まあ多少の差というものはあるにしても……」
「やめて栞、それ以上は心が持たない……」
とりあえずわたしは、連休中にさび付いた脳味噌の錆を落とすために『書記バートルビー』を読んで戒めとすることにした。
窓の外では新緑が芽吹き、一面真緑な大地と、一面真っ青な雲一つない空が広がっていた。栞はわたしから体を離すと「お薦めですよ『バートルビー』は」といってにこりと笑った。
その瞬間栞の髪がふわりと揺れてシャンプーの匂いなのか、その体から発せられる香りなのか、なんだか甘い香りがして、まだギリギリ春なんだなと、変なところで季節を感じた。
もう一月も経てば梅雨がやってきて、初夏になり、夏を迎える。
人生三万日のなかであと何日栞と一緒にいられるのか、あと何冊本を読めるのかは分からなかったけれど、なんとなくバートルビーのふわふわと佇む姿のようにいつまでも続くような気がして、何があったわけでもないのに胸の鼓動が早くなった。
光文社古典新訳文庫『書記バートルビー/漂流船』から「バートルビー」だけをご紹介しました。
「漂流船」もかなりの傑作な心理サスペンス小説なので後々ご紹介したいと思っています。
暫く何も更新していなかったおかげでネタはたまってきたので、次はもう少し早く更新できればと思っていますが、毎回同じこと言っている気がするのであまり期待しないでください。
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最近大人による童話再読ブームというのが来ているらしいのでそこら辺意識したモノを書いてみたいと思いますが予定は未定です。
ではまた近いうちに!