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144カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

あまりにも有名な作品で、誰でも概要は知っているみたいな部分がある上に、背景の設定が比較的早い段階で明らかにされるのでネタバレ的な物がいつも以上にありますが、それでも良ければご覧頂けると幸いです。

「長い旅が終わった……!」


「んま!」


 珍しく図書室でちゃんと読書をしていたわたしが栞の台詞をとって嘆息すると、一度本を閉じた後、またパラパラとめくりながら「うーん」と唸った。


「いやあ、珍しくわたしが自分から読みたいと思っていた作品だから栞が持っててよかった。泣くまではいかないけれど感動しました!」


 栞は満面の笑みを浮かべると「私も大好きな作品です」といってなぜかわたしの手を取った。まあわたしですら読んだことないのに内容知っている超有名作品だからオチは分かっていたけれどそれでも感動した。

 わたしの手を握る栞の手を握り返して「わたしを離さないで」といった。


「いいタイトルですよねぇー『わたしを離さないで』切ないタイトルです」


「うんうん。タイトルから色々な感情というかテーマ? みたいなもの感じるよね」


「そうですね。カズオ・イシグロ作品の中では多分一番人気あると思うんですが、この『わたしを離さないで』については、周りのどんどんと一人ずつ消えていく仲間達の事のように「私のことを忘れないで」という感情を読者にまで投げかけているようですよね。信頼できない語り手という手法がイシグロ作品の代名詞なんですが、それだけではなくて様々なモチーフが出ては消えていくような所も、読み返しを読者に促す様な構造ですよね。例えば分かりやすいところだと空っぽのジュースの入れ物と内臓を一つずつ抜かれていくクローンを象徴したりと……」


「うんうん。わたしもなんとなくでしか分からなかったけれど、これってなんかの仄めかしなんじゃないかな? って思える作品だった」


「カズオ・イシグロの作品って主人公が仕事を全うしきるっていうテーマがあるんですよね、例えば『日の名残』の執事だったり『クララとお日さま』のAFだったり、この作品のキャシーをはじめとしたその他の途中で命を失っていく仲間達……とかですね。例えばですけれど、日本版のドラマだと自殺を仄めかすシーンなんかが挟まっているんですけれど、本を読んだ限りだと、なんでその運命に耐えて命を落とすことが分かっているのに、子供の頃から教育されていただけで、途中で厭になって自死を選ぶことがないのか……なんで提供者はどこの誰とも分からないレシピエントのための内臓袋として最後の最後まで……確実に死ぬと分かっている四回目の臓器提供まで健気に耐え続け、苦しい人生を歩み続けるのか……そして世話人として全国を走り回ることに疲れてすり切れてしまう人が大多数を占める一方、見送り人として最後の最後まで働き続けるキャシーの存在……そういった複合的なテーマや謎は考えれば考えるほど涙を誘いますね……!」


 わたしは本を裏返したり、パラパラめくったりしながら「そこまで深く考えて読んでなかったけど……」といいつつ「もっと早くお薦めしてくれればよかったのに」と呟いた。

 栞はちょっと恥ずかしそうに笑うと「いやあ、話題の作品で様々なところでお薦めされていた本ではあったし、父が発売日に買ってきて、すぐに読んだ後に父からも面白かったよといわれていたものの、そこまで話題になっちゃうとなんとなく読む切っ掛け失っちゃってどうにも手が出なかったんですよね」


「へぇ。栞でもそんなことあるんだ」


 そうですねぇといって唇に細くて白い指を当てつつ視線を天井付近に彷徨わせると「ある意味プレッシャーだったのかも知れないですね」といった。


「アンドロイド研究で有名な日本人の石黒教授という、たまたま名前の一緒の先生がいるんですが、この先生が絶賛していて人生の一冊としてお薦めしていたんですよね。石黒教授はたまにテレビに出てきますけれど、落語の桂米朝師匠のアンドロイドとか自分のアンドロイドとか、わりと最近のものだとマツコ・デラックスのアンドロイドとか作っていた人ですね。イギリス人が内臓のコピーを作って命を長らえるのとはまた違った意味での終わらない人生の普遍性みたいなものを追求している人なので、お薦めしてくるのもよく分かる……という部分はあるんですよね」


「うーん。わたしだったらそんなスペア内臓の人生だっていわれたら怖くて泣くし、そもそも車の運転免許とか取らされた時点で国外脱出が出来ない制度になっていたとしても、どこかに隠れ住んで逃げ回るかなあ……」


「そこなんですよね。ヘールシャムを出たあとにコテージで自由に生活できる期間とかあったりして、ここまでが彼女たちクローンの教育が完成する場所なんですけれど、なんでヘールシャムその他の教育施設だけで教育を完了させずに、逃げることの出来る自由な期間……それもどこに行ってもいいよという行動の自由を与えられていたのかというのも不思議なところで、クローン達の私たちには分からない何かがあるのかも知れないですね。それこそ語られていないだけで自殺や逃亡を防ぐ機関があるのかも知れないし、クローン達が自分たちの人生を得ることによって、他人になってしまうことや、自殺を選ぶことによって運命に反抗しているともいえますし、大変難しい話なんですね」


 わたしは「ほえー」と間抜けな返答をしつつ、そこまで考えて読んでなかったなあと思った。

 わたとしてはただ単純にクローン人間が一人ずつ運命に飲み込まれて死んでいきながら、愛情を育んだり、運命から一時的にでも逃れられる情報に飛びついたりとしたところで、ちょっとした泣きが入ったりとしたワケだけれど、本を深く読むというのはあんまり考えたことがなかったのでなんとなく感心してしまった。


「いやあ栞さん、読みが深いッスねえー」


 などといって感心したことを伝えた。


「まあそうですねえ……本を読んでいく冊数が増えていくと、全然違う国の本同士の横の繋がりが見えてきたり、読みが少しずつ深くなっていくというのは確かにあると思うんですが、この本というかカズオ・イシグロの作品って一言で言うと滅茶苦茶に上手い! っていうのが特徴なんですけれどプロットが複雑な上に色々とギミックが仕掛けてあるので分かりやすい部分とわかりにくい部分と色々あるのですけれど、丁寧に読んでいくと、それって自分の読み込みすぎなんじゃない? みたいな部分も出てくるんですけれども、比較的分かりやすい暗喩が込められたりしていて謎解きパズルみたいな部分がありますね」


「ふーん。読み込みすぎみたいなところもあるのかあー」


「まあノーベル賞取った所を境にイシグロ作品の論文とか世界中で死ぬほど出ているようなので、もしかしたら完全に謎は掘り尽くされちゃっているのかも知れないですけれど、自分でここはこういうことを言いたいんですよね先生! みたいな感じでニヤニヤしてもいいし、信頼できない語り手の部分に注目して、書かれてない範囲の部分に思いを馳せたり、イシグロ作品っていうのはいろいろな楽しみ方。軽くいえば遊び方が出来るんですよね。あとはまあ百合文学なんていってもてはやされたりしたこともあったので、そっち方面に興味がある方達のように比較的表面の所でちゃぷちゃぷ遊ぶのもまた楽しいと思うんですよね」


「うーん。深く考えるのも楽しいけれど、わたしは表面的なところでちゃぷちゃぷ遊んでいるぐらいが気軽でいいかなあ」


 栞は「別にそれは悪い事じゃなくて、個々人の楽しみ方ですからね」といってまた微笑んだ。その時気づいたけれど、栞はいつの間にかまたわたしの手を握っていた。


「しかしまあ話題の作品読めてよかったわ! アレだね、実績解除だね」


 栞は笑いながら「何ですかそれ?」といってわたしのてを優しく握った。


「まあわたしも疑問に思うところはあって、クローン人間が内臓提供する前に事故で死んだり病気になって死んだりしないのはなんでかなあみたいなのもあったんだけれど、そういう所深掘りするといいのかもね」


「そうですね。そういう楽しみ方はあると思います。そこに一つちょっとした情報を足すと、本の表紙が作中で出てきたカセットテープになっているじゃないですか。これ凄くいいと思うんですが、最初の設定段階では「わたしを離さないで」はカセットテープではなくてCDだったらしいですね。英国版でもカセットテープが表紙になっているものもあるんですが、他にもキャシーが「わたしを離さないで」を聞きながら枕を抱いて踊っている後ろ姿の表紙のバージョンなんかもあって、これはこれで趣深いというか、デザイナーの方の読み込みというか、作品への惚れ込み具合が分かって楽しいですよね」


「そうなんだ。まあまた一年ぐらいしたら読んでみようかな……」


「脳味噌の活性する行動の仕方ってインプット四割に、アウトプット六割っていうのが一番よいなんて小話聞いたことあるんですが、本当かどうか分からないけれど、確かになんとなく説得力あるなあっていう部分があるお話なんで、詩織さんもなんかネットにでも読書日記公開したらいいと思いますよ!」


 わたしは笑いながら顔の前で、栞に捕まっていない方の手で手を振りつつ「わたしの感想なんて恥ずかしいし見る人いないって!」といった。


「詩織さんの感想読む人は間違いなくいますよ」


「そうかなあ?」


「ほら。ここに一人」


 そういって栞はわたしの手を取って、一気に顔を近づけてきたので鼻の頭同士がぶつかりそうになった。

 わたしはカァーッとなんとなく血が熱くなるものを感じて顔を背けようとしたけれど、栞の射すくめるようなまっすぐな視線をまっすぐと見つめてくるので暫く私たちは二人して「わたし達を離さないで」状態で固まってしまった。


 窓の外ではとっくに散ってしまった桜の木が吹き上がるように一気に緑色の葉っぱをつけていた。

 もうすぐ五月の連休だなあと頭の底で焦げ付くようなな何かを感じながら、トロンと溶けていくような何かを感じて動けなくなってしまっていた。

 今年の連休は栞と最高の時間を過ごしたいなとぼんやりと考えていた。

発表当時滅茶苦茶に評判になった話題作です。

最近取り上げている作品の中では比較的最近発表された物かなと思いますが、中々読むタイミングが見つからず発売日に買って放置していたのですが、ようやく読みました。

資料集めの段階では、まだまだガチガチに設定資料みたいな物集めたのですが長くなりすぎそうなのでこの程度にしておきます。


ところで4000字っていうのは読む方としては短いんでしょうかね?

3000字以上で更新というのを一つの目安にしているのですがはてさて。


雑談、一言感想何でもあれば感想欄にでも放り投げて頂けると励みになります。

感想まで書くのは面倒臭いという向きの方は「いいね」ボタン押して頂けるとフフッてなるのでよろしくお願いいたします。

思ったより更新期間空いてしまいましたが、またゆっくりお付き合い頂ければ幸いです。

ではまた!

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