143ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』.
また間があいてしまいましたがヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』をお送りします。
季節の変わり目ということなのだろうか、昼過ぎまでは雲一つなかったのに、今はもの凄い降り方をしている。
雹でも降りそうな雷のなりかたもしているので、天気予報も見ずに出てきた私は傘も持っていないので帰るに帰れない。
いつの間にか空も暗くなっていて、昨日まで暑いぐらいだったのに寒くて仕方がないのである。
「栞ー寒いよぉーダルマストーブ出してよお……!」
「んま! 灯油抜くのにあれだけ苦労したのに、一時的に雨が降っただけで今更引っ張り出すなんて出来るわけないじゃないですか!」
「じゃあ途中まででいいから傘にいれてよぉー。栞は傘持ってきているんでしょ? 相合い傘しようよぉー」
「この降り方しているのに途中で詩織さん放り出して帰れるわけないじゃないですか……それに傘は確かに持ってきていますけれど、この雷の中帰れませんよ……予報だと一時間もすれば止むみたいですからそれまで静かに読書でもしてましょう!」
「えー……でも寒いのは我慢できないなあ。栞はストッキングはいているからいいけれど、わたしは生足だし……」
そう言うと、栞はわたしの太股をぺしーんと叩いて「スカートが短すぎます!」と先生みたいなことを言い出した。
「痛い……寒い……ひもじい……助けて……もう冬に逆戻りはいやぁ……」
「そうですねえ。まあ冬といえばイギリス辺りだと夜中にみんなで怪談を持ち合って、怖い話大会開くなんて話を前にしたことがあると思いますが、折角なんでちょっと怪談でもお披露目してみますか……」
「あーそれなら面白そう。聞く聞く」
栞は居住まいを正すと、椅子をこちらに向けてもったいつけたようにコホンと一息つけて「冬場なのでクリスマスの話です」と語り出した。
「ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』というお話です。ちょうど持ってきていたので後で読んでみてください」
そう言うと鞄から本を取り出してわたしにむかって差し出した。
「へぇー『ねじの回転』ねぇ? 変なタイトル。『ねじ式』なら読んだことあるけれど……」
「まあストーリーには直接関係ないんでいっちゃいますけれど「何か気の利いた話が聞ききたいなあ、くいっと捻りのきいた話」ということで「ねじが回転するように」捻りがきいているから『ねじの回転』なんですね」
「へー気の利いた感じというか変わっているというかなんとなく面白げなタイトルね。ねじが出てくるの?」
「いえ、さっきの話以上の部分で「回転」に対する話は一切出てきません」
思わずずっこける。
「ありゃ、そんなもんなの?」
「そんなもんです。舞台は十九世紀末のクリスマスを迎えたイギリスです。話の中心人物の家に集まった人たちが夜な夜な飛び切りの怪談話を披露する中、ある紳士が重い口を開きとっておきの話をするというのですね。六〇歳の語り部が自分より十歳年上の二十年前に亡くなった女性家庭教師の手記を正確に書き写したもの……というヤヤコシイものでこれを自宅に使者をやって取りに行かせ、それを朗読するところから始まります。因みに怪談の集いのシーンはこの後もう出てこないです」
「出てこないの……?」
「はい。物語は三重の構造になっていて、怪談の集い、そこで紳士が語るところ、手紙の主人公の女性家庭教師。ガヴァネスというらしいですが、その家庭教師の手記が本題になります」
「おーけー把握した。続けて」
「家庭教師の職にありつけた貧しい女性家庭教師は大金持ちの貴族の家に迎え入れられ、当時イギリス領だったインドで働いていた兄夫婦が亡くなったために自分が扶養することになった兄夫婦の遺児である兄妹の面倒を見てくれ、ただし自分は一切関係を持ちたくないので何があっても絶対に自分に連絡を取らずに別荘で暮らしている兄妹の教育と面倒を見てくれ……という変わった条件なのでした」
「一切関係を持ちたくないというあたり、マジで面倒事からは離れたいのね」
「はい。女性家庭教師はこの貴族の男性にちょっとした恋心を抱いている風な仄めかしもあるのですが、一切プロットには関わってきません。そして別荘の管理人兼家庭教師としてやとわれた主人公はそこで「天使より可愛い」兄妹と出会いすぐに堅い愛情で結ばれます」
「ふむふむ、そこの別荘でいろいろな怪異が起こりみんなで立ち向かっていくという……そんな話ね!」
「まあもう少し見ていきましょう。兄のマイルズは理由は最後まで明かされないのですが通っていた学校を退学処分にされます。このため家で教育を施されるわけですが本当にいい子達なのですね。しかし主人公の家庭教師は不気味な男の霊に出会います。昔この別荘で働いていた下男で酷い男だったとほのめかされます。そしてもう一人喪服を着た女性の霊にも出会うわけですね。この女性も確証はないのだけれど下男とくっついたあと死んでしまった前任の女性家庭教師だったと思われる霊なんです。イギリスはご存じの通り厳格な階級社会ですから下男と教育を受けた女性教師がくっつくことは貴賤結婚に近い冒涜的な許されない行為なんですね」
「きせんけっこん?」
「職業に貴賤なしの貴賤ですよ。上の階級と下の階級がくっつくというのは当時の感覚ではあり得ないわけですね」
「へーなんかロマンスを感じる」
「まあ以前から働いていた人たちの話からすると、そんないいものじゃなくて冒涜的な感じだったらしいんですけれどね」
「時代だねぇ……」
「まあ話の詳細は読んでからのお楽しみということでザックリ概要だけ説明すると、なんだかとても邪悪な感じのする存在なんですね。それでいて先生にしか見えていないんです。子供達は気づいているような感じもするんですが、実際には見えていないようでもあると……で、女中頭の女性と妹が一緒にいるときに、はっきりと女の霊が見えたので、内心嬉しくなりながら、ほらあそこに! と指さしいうわけですが誰にも見えていない。そもそも幽霊なんか本当にいたの? というところまで話が戻っていくわけです。幽霊と出会うたびに、あれだけ愛情が通じ合っていた兄妹達との関係はドンドン悪くなっていく……そして、固く禁じられていた叔父の家に妹を女中頭とともに馬車で送り出し、兄と二人で話し合うというシーンでまた下男の幽霊とで会うのですが、やはり子供には見えていないようで……さてこのあと恐ろしいオチが待っている……という話です」
「へーなんか変わった感じの怪談だね」
「そうなんですよね。ジェイムズ一族は祖父がアイルランドからアメリカに渡ってきて、アメリカの名門一族に数えられるほどの大成功を収めます。そして父親は息子達に最高の教育を与え、兄のウィリアムはプラグマティズムという哲学の流れをつくった一人となり、ヘンリーは法学の勉強を途中で辞めて執筆活動に入り、あっという間に大成功を収めます。この頃サロンではそうそうたる面子……詩織さんでも知ってそうな人でいえばチャールズ・ダーウィン等とも交流を得ていたそうです」
「何それ凄い……やっぱり金持ちで文化的資産? がある人は違うわねぇ……」
「そうですね一家はヨーロッパ周遊旅行などを通して、当時の最高の知的エリート達と交流を深めていき、ヘンリーの活動もいよいよのってきます。しかしこの頃から家業が傾き始め、出版社とも屈辱的な金額での契約を持ちかけられ、いったん小説から離れ劇作の道に入るのですが、芸術的な部分を前面に出していたので大成功を収めていたオスカー・ワイルドと比べてボロクソに貶されます。で、また小説の道に戻り少しずつ栄光を取り戻していきます。最後はアメリカが第一次世界大戦にアメリカが参戦しないことに抗議してイギリスに渡る途中脳卒中の発作を起こして亡くなり、遺灰はアメリカの一族の墓地に葬られます」
「波瀾万丈ねぇ」
「ヘンリーは生涯結婚しなかったのですが、今は十分幸せで、また不幸せでもあるためこれ以上幸せも不幸せも増やしたくないと友人に語っていたのですが夭折した従姉妹のミニーという女性が忘れられなかったからだとも言われていてわりとロマンチストなところもあったみたいですね」
「へー面白、波瀾万丈すぎる」
「まあ作品の話に戻ると、単純な幽霊話ではなくて心理小説という面が非常に強いです。発表当時「英語で書かれた最も忌まわしい話」だとか「魂が穢される邪悪な話」とまでいわれたそうで、これは褒め言葉じゃなくて完全に文字通りの酷評なんですが、プルーストやヴァージニア・ウルフに先んじること数十年。意識の流れといわれる手法に独自にたどり着いていたともいえるし、交霊会が流行り幽霊と交信することが出来ると本気で信じられていた当時において幽霊を出汁ながらも心理小説として書き上げられたこの本は確かに傑作なんですね。因みに英語としてはかなり上級者向けらしくて読むの凄い難しいそうです」
「はあーん。それが日本語で読めるんならいい時代になったもんだねぇー」
「あ、そろそろ雨も上がったようですね」
栞が外に視線を見やりニッコリとしていう。
まだ遠くでは雷が鳴っているがもう気をつけるような距離ではないようだ。
「栞と相合い傘して帰りたかったけれど、雨上がっちゃったかあー」
「もう。何のために怪談披露したのか分からないじゃないですか」
「まあまあ、ちゃんと心理小説? これ読むからさあー」
「じゃあ帰りましょうか!」
「私も心理小説よんで栞の心理の深いところまで見られるようにするわあー」
そう言うと栞は胸元をかき寄せて「えっち……」といった。
なんとなくムラッと来たので「栞ー!」といって抱きついて揉みくちゃにしたら暖かくなってきたので色々とちょうどイイカンジの有意義な時間を過ごしたと思う。
栞は「汚されてしまった……」といって嘆いていたけれどそれを見てまたムラッと……。
心理小説的側面の掘り出しをもっとやった方が良かったかなとも思ったのですが、文学理論の話は、個人的には好きなのだけれど、退屈極まりないという人もいると思いますので割愛して短めに仕上げました。
また近い内に更新したいと思います。
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次回はあのノーベル文学賞作家の大人気作で一本捻りたいと思います。